(毎日新聞 2007年11月26日)
紅茶2杯で3時間。
斜光の入るレストランの個室で、筑紫哲也さん(72)は終始ニコニコしていた。
「
がんは面白い病気」と語れるようになった筑紫さんは今、
無常だからこそ輝く人生を、そのありがたさを感じているという。
事務所のある赤坂のビルまで迎えに上がると、
青いシャツに黒のジャケットというラフな格好で下りてきた。
療養中にしては、はつらつとしている。
半年ぶりにテレビ出演した先月は、つけ毛が話題になったが、
「生えてきたので、今は自毛です」と少し恥ずかしそうな顔をした。
「もともと髪が多いから、局で『視聴者がショックを受ける』なんて言われて、
つけ毛にされて。でも、嫌だから自分でばらしたんです」
以前、お会いしたのは2年前。
日比谷のホテルのバーでアフリカの話をした。
もともとがヘビースモーカーなので、灰皿が吸い殻の山に。
病後、たばこをやめた。
困ることが出てきた。大好きなマージャンと原稿書き。
「一服できないと、全然面白くない」。
長年愛してきたのは、ハイライトとマールボロの赤。
ニコチンが強く、のどに強い圧迫感のある本物のたばこだ。
「長生きには、吸わないのがいいのか、吸うのがいいのか、
議論のあるところでね。たばこで死ぬ人も、糖尿など食い過ぎで死ぬ人もいる。
もう一つは、たばこや食に急ブレーキかけて、そのストレスで死ぬ人。
屁理屈だけど」
論は勢いを増す。
「百害あって一利なしと言うけど、文化は悪徳が高い分、深い。
人類が発明した偉大な文化であり、たばこの代わりはありませんよ。
これを知らずに人生を終わる人を思うと、
何とものっぺらぼうで、気の毒な気がしますね」
でも、そんな文化ががんをもたらした、と向けると、
「そうとも言えない」と首を振る。
「肺がんに直結しているようだけど、たばこは引き金で、本当の原因はストレス」
たばこが原因だとは今でも思っていないのだ。
◇「Must(-ねばならない)」から「Want(-したい)」へ
では、どのようなストレスがあったのか?
「簡単に言えば、Mustが多すぎた。
だから、
MustからWantに変えればいい。
でも、長年、僕を知る人は笑う。
『お前は好きなことしかやらないじゃないか』と」
それでも、TBSテレビの「ニュース23」に出ずっぱりというのは、
やはり負担もあったのだろう。
「そう。僕は約束を破ったり、会議に出なかったり、いいかげんなんですが、
放送は18年間、月曜から金曜まで1秒も遅刻せずにやった。
自分がやりたいことだから、苦痛はなかった。
東京だけにいてはこの国は見えないと、週末は講演など理由をつけては
地方を回ったんです。これも、楽しかった」
ただ、心は楽しんでも、体は違った。
「加齢ですね。体が文句を言っても、ペースを崩さなかった。
人はそもそも心身が分裂しているものなんです。
美空ひばりは東京ドームで歌い終わり、ぐじゃっと倒れた。
僕もそういうところ、あると思う」
◇語るたびに自己嫌悪だった30年間、朝日新聞社で記者、雑誌編集長を務め、キャスターに転身。
活字の世界にない気遣いもあった。
後任キャスター、共同通信社の前編集局長、後藤謙次さんにこう助言した。
「テレビは、軽率で不完全なメディアだから、
家で奥さんと反省会をやるのはやめなさい、とね。
僕は毎晩、自己嫌悪でした。
原稿ってのは、へたくそでも活字になると、まあ自己満足できるでしょ。
でも、テレビは見るたびに自己嫌悪でね。
ボディーランゲージが大きなウエートを占めるし。
『なんであんなことを言ったのか』というのがストレスになってね」
「僕がキャスターを始めたころ、朝日新聞では、テレビは下賤なメディアで
一度さわったら体が腐る、とさえ言われた」。
テレビに移ったのは、新聞に限界を感じていたからだ。
「何百万も部数があるから、書いたものが相手に届くと思っていた。
でも、ある時気づいたのは、ほとんど何も届かない。
特に国際報道は、どんなに大変な思いをしても何も届かない。
多くの人に届けるには、テレビが手っ取り早いと気づいたんです」
キャスターとしてどれだけのことを伝えられたのか?
「こうあってほしいと思うことを語ってきたが、
その方向に世の中が進んだことはない」。
語るたびに、どんどん自分が少数派になってゆくと感じた。
それでも自分を突き動かすものがあるとすれば?
「うーん、おせっかいな好奇心ですかね。
でも、この(報道の)仕事って、おせっかいですよね」
◇予約つき人生、今日が大事
がんになり、発見があった。
一つは、
患者と有権者が似ていること。
「いくら情報を与えられても、自分で思うほど賢くはなれない」。
結局は他人に言われるままになる。
そして悪い結果が出れば「自分の責任」となる。
「底にあるのは、人間は賢者になれるという壮大なフィクション。
世界経済の影響で酪農家が破産すれば、
『お前の責任』と言われ、フリーターや社会からこぼれる人が叱責される。
でも、弱い患者と同じく、有権者にすべての責任があるわけじゃない」
ごく自然に東洋医学に向かった。
「僕の体は空爆されたイラクみたいなもの。
放射線でがんはほぼ撃退したけど、体中が被爆している。
西洋医学は敵を攻めるばかりだが、東洋医学は、がんを生む体に
ならないようにすることを心がける。それが自分には合っている」。
今は月の半分を奈良の東洋医学専門家、松元密峰さんのもとで過ごす。
放射線医療の後遺症でのどが膨れ上がったとき、はり治療などで救われた。
「がんは面白い病気でね、これくらい個人差があり、
気持ちに左右されるものはない。心臓が急に止まるのと違い、
余命率がどれくらいという、一種予約つきの人生になる。
年数はわからない。ラッキーだと延びるし、短い人もいる」
日々、「ありがたい」と思うことがある。「倒れるまで、一日、一日なんて、特に考えないで過ごしてきたけど、
先が限られていると思うとね。例えばきょう一日も、とても大事というかね。
うん。お墓には何も持っていけないから、大事なのは、どれくらい、
自分が人生を楽しんだかということ。それが最後の自分の成績表だと」
今は週に1回、立命館大で講義し、
あとは「源氏物語」を猛烈な勢いで読んでいるそうだ。
「入院中にじっくり読んだのは、新渡戸稲造の『武士道』。
古典が面白くてね。それと、仏像や日本画をしみじみと見るというのかな……。
これって、なんだろうと思う。
これから先、見ることはないという、見納めの心理も働いているんでしょうが、
すべてにありがたさを感じる。
そう思いながら味わえる何日かが、あとどのくらい続くか分からないけど。
その日々、月日があるというのは、急に逝くよりいいんじゃないか、なんて思うんです」
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