(読売 5月8日)
ハンガリーは、世界一の水球国。
五輪で8個の金を含む14個のメダルを獲得し、
男子は北京五輪で3連覇を目指す。
中欧の真ん中に位置する海なし国だが、
全土からわき出る温泉を利用し、各地にプールがある。
ハンガリー水球連盟のジョルジ・マルティン会長は、
「一年を通してプールを利用できるのが利点」。
環境に恵まれたハンガリーでは、もちろん競泳も強い。
しかし、男子水球日本代表で、1部リーグのフェヘールバールで
プレーする長沼敦(25)が、「日本では考えられないが、
ここでは水球がプールの真ん中を占領し、競泳の人は端の方で泳いでいる」
と驚くような特別な地位を得ている。
背景には、社会主義時代の悲しい事件。
1956年10月。ソ連(当時)の影響力に反対した労働者や学生が
自由を求めて立ち上がった。
ハンガリー動乱と呼ばれる事件は、ソ連軍の戦車2500両によって
踏みつけられ、1万7000人以上が命を落とす結末。
直後の11月末から行われたメルボルン五輪男子水球。
ハンガリーは、決勝でユーゴスラビアを1点差で破って、金メダルを獲得。
しかし、人々の記憶に刻まれたのは準決勝。
相手はソ連。その相手を4―0で下したから。
当時の主将、デジェ・ジャルマティさん(80)は、
「ラジオで結果を聞いたハンガリーに残った人、国外に亡命した人たちに
勇気を与えることができた」と振り返る。
試合中、接触プレーでハンガリー選手の右目の下が切れた。
その様子は、多くの血が流されたハンガリー動乱になぞらえられ、
「メルボルンの流血戦」として長く語り伝えられる。
「ソ連に勝ったということは、みんなの支えになった。
水球だけの歴史ではなかった」とジャルマティさん。
不幸な事件と、五輪での栄光が、
水球をハンガリー人にとって特別なスポーツに変えた。
社会主義時代に水球は、政治集会以外では最も人を集めるイベントで、
女性は着飾って会場に駆けつける晴れの場。
今は、金髪で長身のアイドルのような選手に、黄色い声援を送る
10代の女の子が観客の半分を占める。
ジャルマティさんは、「時代やファン層は変わっても、
水球の人気は続いている」と、目を細めた。
http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2008/feature/continent/fe_co_20080508.htm
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