(読売 6月10日)
ゾーラ・バッド(結婚後、ピータース姓)は歓声よりも、
怒号が渦巻く好奇の目の中で走り続けてきた。
「人類に対する犯罪」、とまで呼ばれたアパルトヘイト(人種隔離政策)。
それに対する反対の声が国際世論となり始めた1980年代、
10代のバッドは彗星のごとく登場。
世界のトップレベルの記録に、裸足で走る姿。
アパルトヘイト下の国の選手であることで、格好の政治的な論争の中心に。
南アが五輪舞台から締め出されていた84年ロサンゼルス五輪で、
英国に国籍を移して出場。
女子三千メートルでは米国のスター、メアリー・デッカーと接触。
デッカーは棄権し、大ブーイングの中、バッドも7位でレースを終えた。
南アが五輪の舞台に復帰した92年バルセロナ五輪には、
今度は堂々と南ア代表として再び同じ種目に出場したが、
すでに全盛期の力はなく、あえなく予選落ち。国際舞台から去った。
自分では、どうすることも出来ない状況下で競技生活を
送らざるを得なかったバッド。
「五輪にいい思い出はない。もちろん『あの時、ああじゃなかったら』と
思うことはある。スポーツと政治は、別であるべきなんだけど」
今も楽しみのために走るが、
テレビで五輪やスポーツを観戦することはない。
現役時代の写真やメダルも一切、家にはない。
選手育成にも興味はない。
第一線から退いた後、結婚し、長女と男女の双子の3人の子供に恵まれた。
静かな田舎町、故郷ブルームフォンテーンで子育ての傍ら、
キリスト教の教えを基にしたセラピスト(心理療法士)を目指している。
「誰に勝ちたいとか、記録を狙うなどの目的で走っていたんじゃない。
私にとってランニングは、悲しみや苦しみのはけ口だった。
でも、本当は、ただ好きだから走っていただけ」
以前は、子供に自分の体験を話すつもりなどなかったが、
ある日、長女が学校から帰宅して興奮した口調で聞いた。
「お母さんがあのバッドなの。教科書に載っていた」。
政治的な発言は、今も避ける。
しかし、最近、親として子供に伝えたい気持ちも芽生えている。
「とてもいやな体験だったけど、今から考えれば、困難な状況に陥った時の
対処の仕方を学んだし、得難い経験だったとも思う。
何より、スポーツは人生を教えてくれるものだから」
淡々と話し続けていたバッドに、ずっと身を寄せていた長女が顔を上げて、
母親のほおにそっとキスをした。
http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2008/feature/continent/fe_co_20080610.htm
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