(岩手日報 11月21日)
気仙登場1200年記念講演会(陸前高田市、同市教委主催)は、
市ふれあいセンターで開かれ、約300人が聴講。
国立歴史民俗博物館(佐倉市)の平川南館長が、
創設年代が不明な気仙郡について、
「715(霊亀元)年、郡役所設置の申請がなされた香河(かがわ)村と
無縁ではない」と講演。
東北古代史の解明に一石を投じた。
香河村については、歴史書「続日本紀」の記述で、
郡家(ぐんけ)(郡役所)の設置を律令国家側が認めたとあり、
「香河郡」になったことがうかがえる。
位置については、現在の宮城県の登米郡や黒川郡あたりとする
見方がこれまであったが、平川館長は否定。
平川館長は、713(和銅6)年に郡などの名称が、
「めでたい文字」に変更されたことを説明。
気力や仙人という言葉に象徴されるように、
「気仙」もめでたい文字とした上で、問題はそれ以前に
どんな文字表記がなされていたかだとした。
四国の香川郡(香川県)に言及し、「当時はケカワと読んでいた。
つまり、香という字はケと読んでいた。川はセンとも読める」と説明。
問題の「香河」に戻って、「ケセンと読めるかどうかは、今後の検討課題」
という表現にとどめながら、香河郡と気仙郡の深い関連を示唆。
同市気仙町のツアーコンダクター紺野文彰さん(59)は、
「気仙の前身は香河だ、ということを暗示したのではないか。
非常に興味深く、驚いた」
平川館長と奥州市埋蔵文化財調査センターの伊藤博幸所長、
えさし郷土文化館の相原康二館長によるてい談も行われた。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20101114_5
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