(読売 4月20日)
推定高さ18mの津波に襲われ、中心部がほぼ全滅した宮城県女川町。
高台にあり、難を逃れた同町立女川第二小学校に4月12日、
子どもたちの笑い声が響いた。
同小と、孤立した町北東部の離島・出島から移転してきた女川第四小学校。
二つの小学校の始業式や入学式が行われた。
町役場や災害対策本部も入り、体育館が支援物資置き場になっていたため、
第二小の式は4階コミュニティールームで行われた。
約130人の児童が出席した始業式では、
新任の梶谷美智子校長(54)が、「一生懸命学習しましょう」などとあいさつ、
児童代表の6年、渡辺杏奈さんが、
「友だちと避難所で支え合って生活し、不安な気持ちが和らぎました」
17人の新入生の1人、遠藤遥斗君(6)は、ランドセルが流され、
リュックで登校したが、入学式で新しいランドセルをもらって笑顔を見せた。
入学予定だった6人が、一時的に他校に転入し、
母親のあゆみさん(30)は、「お友だちが減って残念ですが、
この日が来てよかった」
第四小は、3階廊下ホールで始業式、4階教室で入学式を行った。
島の高台にあり、併設の女川第二中学校と共に
「SOS」と屋上に描き、助けを求めた学校。
児童は、9人が他地域に避難し、現在5人。
少し離れた女川第一小学校の避難所で、家族らと寝起きし、通学バスで通う。
「やっぱり学校は楽しい。野球がやりたいな」と、6年の須田龍人君(11)。
新田瑞穂教諭(48)は、「避難所にいる時より、子どもの顔色が明るく、
学校に戻ったことは大きい」、
三品隆校長(52)は、「学習場所を整備してもらった。
がんばるしかない」と気を引き締めた。
同県内の被災地では、多くの小中学校が4月下旬開始だが、
同町では4月初め、早期再開を決めていた。
第二小では、当時校内にいた約120人の避難者の大半に
別の避難所に移ってもらった。
電話事情の悪い中、保護者に何度も電話をかけ、
9か所の避難所を回って保護者を探し、お知らせを貼って周知。
人口約1万人の同町では19日現在、身元が判明しただけで321人が死亡、
1035人が行方不明、小中学生も4人の行方がわかっていない。
第二小では、児童は無事だったが、約30人の家族が死亡・行方不明、
9割の児童の家屋が流失。
遠藤定治・町教育長(70)は、「子どもたちが大変厳しい状況にあるからこそ、
学校で日常のリズムを回復させたい。
仲のいい友だちに再会し、先生が寄り添ってくれることで、
心の支えにしてほしい」
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110420-OYT8T00133.htm
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