(読売 10月10日)
シイやカシのこずえが、天を覆う石畳の道をゆく。
朝露にぬれ、フジつるが絡む昼なお暗い照葉樹の森。
沢のよどみにトノサマガエルが身を潜め、切り株の根元を青大将が横切った。
奈良市街の東に鎮座する春日大社。
裏手に控える御神体の「御蓋山」を取り囲むように、
「春日山原始林」が広がる。
地元の人たちが、今も「神の山」と敬う聖域である。
「続日本後紀」によると、狩猟や伐採が禁じられたのは841年。
以来ほぼ手つかずの自然が保たれてきた。
そのほとんどは、今も一般の入山が許されていない。
なぜ先人は森を守ろうと決めたのか?
鹿島大明神が御蓋山に降臨したという伝承を別にすれば、
水がカギを握るとの見方が有力。
春日大社禰宜の今井祐次さん(47)によると、
原始林一帯は古都奈良の水源。
春日大社を挟んで流れる能登川と水谷川は、別々の河川に流れ込んで
名前を変え、それぞれ佐保川と合流。最後は、大和川となって大阪湾に注ぐ。
御蓋山の山頂には本宮神社、奥山の尾根筋にも社が点在。
御神体山に向かって、神職が唱える祝詞が毎朝、春日大社の本殿に響く。
厳かな光景は途切れることなく続いてきた。
森を敬う文化は、アジアの各地にある。
東京のNPO「ヒマラヤ保全協会」が植林活動を続けてきた
ネパール西部のナンギ村。
事務局長の田野倉達弘さん(45)は、村人から深い緑の森に案内。
人口増による薪炭材の需要増で、森林破壊が進む風景のなか、
そこだけは苔むす倒木が折り重なる照葉樹林。
「デウタ」という神が住むと村人が信じる森には、泉もわき出していた。
暮らしの基本は、焼き畑や水田農業。
納豆やモチを好んで食べ、漆や養蚕の技術にも優れる――。
ネパールからブータン、中国中南部を経て、西日本まで続く照葉樹林帯。
民族植物学者の中尾佐助(1916~93)は、
この一帯の文化や習俗に共通点を見つけ、「照葉樹林文化」と名づけた。
独自の文化論は、宮崎駿監督のアニメーション作品にも大きな影響を与えた。
アジア各地を調査した国立民族学博物館の佐々木高明名誉教授は、
「照葉樹林文化の底流にあるのは、伝統的な焼き畑農耕。
そこに共通するのは、神々が支配する森林を借り、
耕作の後に再び神に返すという考え方。
水田農業にも、里山の多様な自然と共存する知恵が生きている」
森は水を蓄え、多様な生き物たちをはぐくむ。
アジアの森林破壊に歯止めをかけるため、
先人の知恵に学ぶべき点は少なくない。
http://www.yomiuri.co.jp/eco/kankyo/20081010-OYT8T00469.htm
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