(毎日 7月16日)
スポーツの魅力の一つは、物語性にある。
人間は、意味を求めずには生きていけない動物だから。
では、どうやって物語は作られるのか?
スポーツには、スポーツならではの物語の作られ方がある。
92年夏の甲子園、星稜の松井秀喜選手が明徳義塾戦で
5打席連続敬遠され、一度もバットを振らせてもらえずに敗れた。
あの時、スタンドの観客は怒ってブーイングをしたり、
「帰れコール」をしたりした。
打たれる確率が高くても、真っ向勝負をするものだという
物語の枠組みが出来上がっていたからだろう。
阪神大震災から3年半後の98年7月、オリックスの活躍によって
勇気づけられたかを球場に来た人たちにアンケートしたことがある。
神戸在住者の97%が、「勇気づけられた」と回答。
市民球団の広島カープが75年に初優勝した時、
当時のオーナーが球団の歩みと、原爆で壊滅した町の復興とを
重ね合わせて語っている。
感動を呼ぶ出来事(プレーや試合)をメディアが切り取り、
強調することで物語が作られている。
出来事と物語の循環によって、物語が強化・再生産される。
そこでメディアの果たす役割は大きい。
01年に発生した9・11同時多発テロの時、米国に滞在。
大学フットボールでは、試合前に犠牲者に祈りをささげ、
ヤンキースタジアムに行くと、第二の国歌と言われる
「ゴッド・ブレス・アメリカ」が歌われた。
国民としての凝集性を高めるのは、スポーツの政治的な機能で、
物語性と関係している。
いい悪いは別にして、これも有事にスポーツが果たす役割。
今回の東日本大震災では、阪神大震災の時と同じように、
災害からの復興を映し出す鏡として、スポーツが位置付けられている。
日本一になったオリックスのように、うまくはいかないかもしれないが、
被災者は楽天やベガルタ仙台をはじめ東北のチームの戦いぶりに、
つかの間、自分たちの生活を重ね合わせ、勇気づけられるだろう。
阪神が強くなかった時でも、ファンは「出来の悪い息子みたいなものだ」
という物語を作って応援。
勝てばすべていいのではなく、勝敗の絶対性が揺らぐような物語が作られる。
今後は、スポーツ情報を批判的に読み解くメディアリテラシーが必要。
メディアは、明るい前向きな話題の方がニュース価値があり、
読者や視聴者の同意を得やすいと考え、その文脈から外れる
厳しい現実やスポーツの限界は取り上げようとしない。
受け手は、こういう文脈だから、こういうメッセージをメディアが発していると
自覚的に受け取る能力を磨かなければならない。
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◇たかはし・ひでさと
1962年生まれ。スタジアムにおける観戦者行動の調査など。
近著「スポーツ応援文化の社会学」(世界思想社、2011年)
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/07/16/20110716dde007070061000c.html
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