(毎日 7月16日)
日本体育協会(体協)とJOCの創立100周年を記念した
シンポジウムが15日開かれ、スポーツの過去100年の成果や教訓を踏まえ、
今後100年に果たすべき使命を集約した「スポーツ宣言日本」を採択。
体協とJOCの前身となる大日本体育協会は1911年、
柔道の創始者、嘉納治五郎氏によって創立。
趣意書には、「国民体育の振興とオリンピック競技大会参加のための
体制整備」と記されたが、今回のスポーツ宣言は、趣意書の志を継承しつつ、
「21世紀における新たなスポーツの使命」と題し、
各地で行ったシンポジウムなどの意見も参考にまとめられた。
宣言では、
(1)公正で福祉豊かな地域生活の創造に寄与する
(2)環境と共生の時代を生きるライフスタイルの創造に寄与する
(3)フェアプレーの精神を広め、深めることを通じて平和と友好に
満ちた世界を築く--の3点を柱。
◇IOC会長講演
シンポジウムでは、IOCのジャック・ロゲ会長が特別講演を行い、
「スポーツ界は、ドーピングや人種差別、不正などさまざまな危険に
さらされているが、今こそスポーツの意義を有効に活用しなければならない」
などと強調した。
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/07/16/20110716ddm035050116000c.html
2011年7月19日火曜日
2011年7月18日月曜日
OCA:スポーツで世界は一つに フォーラムで室伏らが講演
(毎日 7月13日)
日本体育協会と日本オリンピック委員会(JOC)の
創立100周年記念事業として招致した、
アジア・オリンピック評議会(OCA)の会議が12日始まった。
13日は理事会、14日は総会が行われる。
この日は、午前のアスリート委員会に続いて、
「アジアアスリートフォーラム」が行われ、国際オリンピック委員会の
フランク・フレデリクス選手委員長(ナミビア)や、
陸上の室伏広治(ミズノ)ら7人が講演。
講演で、フレデリクス委員長は、競技生活中も引退後のことを考え、
高い教育を受けることの重要性を力説。
室伏は、自作の映像を駆使して、東日本大震災の被災地を
訪問した時のエピソードなどを披露し、
「世界は、スポーツを通じて一つになれる」と訴えかけた。
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/07/13/20110713ddm035050113000c.html
日本体育協会と日本オリンピック委員会(JOC)の
創立100周年記念事業として招致した、
アジア・オリンピック評議会(OCA)の会議が12日始まった。
13日は理事会、14日は総会が行われる。
この日は、午前のアスリート委員会に続いて、
「アジアアスリートフォーラム」が行われ、国際オリンピック委員会の
フランク・フレデリクス選手委員長(ナミビア)や、
陸上の室伏広治(ミズノ)ら7人が講演。
講演で、フレデリクス委員長は、競技生活中も引退後のことを考え、
高い教育を受けることの重要性を力説。
室伏は、自作の映像を駆使して、東日本大震災の被災地を
訪問した時のエピソードなどを披露し、
「世界は、スポーツを通じて一つになれる」と訴えかけた。
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/07/13/20110713ddm035050113000c.html
2011年7月17日日曜日
東日本大震災:IOCのロゲ会長、被災者と対面
(毎日 7月15日)
国際オリンピック委員会(IOC)のジャック・ロゲ会長が14日、
東京都内で東日本大震災の被災者と面会した。
日本オリンピック委員会(JOC)が、ユニホームなどの衣料を届け、
医療チームなどを派遣してきた岩手県大船渡市の9人が参加。
同市にある本増寺の木村勝行住職が、
「JOCのみなさんから、オリンピックの精神である元気、健康、
スポーツの精神をいただいた」とあいさつし、
ロゲ会長に、津波で自宅が流されていく写真、復興の印として特産品の
ワカメなどが手渡された。
ロゲ会長は、「大惨事に耐え、勇気を持って立ち上がる皆さんに敬服する」
などと話した。
ロゲ会長はこの日、日本外国特派員協会で行った講演で、
東京が立候補に意欲を示している20年の夏季五輪招致について、
「大陸間で開催地を巡回するというルールはない。
18年(冬季大会)が平昌になったが、東京が立候補すれば、強い候補地である」
と東京の立候補を歓迎する意向を示した。
*****
これに私も参加しました。
ロゲ会長が、被災者に気を配っていただいたことは、本当にうれしいことです。
スポーツの多くの試合会場や競技会場で、エールを送ってくれたことは、
私たちを大いに励ましてくれました。
今後も、アスリートを派遣してくれるとのこと。
スポーツで、多くの人たちを励ましてほしいです!!
そのくらい、スポーツにはパワーがあります。
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/07/15/20110715ddm035040078000c.html
国際オリンピック委員会(IOC)のジャック・ロゲ会長が14日、
東京都内で東日本大震災の被災者と面会した。
日本オリンピック委員会(JOC)が、ユニホームなどの衣料を届け、
医療チームなどを派遣してきた岩手県大船渡市の9人が参加。
同市にある本増寺の木村勝行住職が、
「JOCのみなさんから、オリンピックの精神である元気、健康、
スポーツの精神をいただいた」とあいさつし、
ロゲ会長に、津波で自宅が流されていく写真、復興の印として特産品の
ワカメなどが手渡された。
ロゲ会長は、「大惨事に耐え、勇気を持って立ち上がる皆さんに敬服する」
などと話した。
ロゲ会長はこの日、日本外国特派員協会で行った講演で、
東京が立候補に意欲を示している20年の夏季五輪招致について、
「大陸間で開催地を巡回するというルールはない。
18年(冬季大会)が平昌になったが、東京が立候補すれば、強い候補地である」
と東京の立候補を歓迎する意向を示した。
*****
これに私も参加しました。
ロゲ会長が、被災者に気を配っていただいたことは、本当にうれしいことです。
スポーツの多くの試合会場や競技会場で、エールを送ってくれたことは、
私たちを大いに励ましてくれました。
今後も、アスリートを派遣してくれるとのこと。
スポーツで、多くの人たちを励ましてほしいです!!
そのくらい、スポーツにはパワーがあります。
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/07/15/20110715ddm035040078000c.html
2011年7月8日金曜日
スポーツを考える:佐伯年詩雄・筑波大名誉教授(スポーツ社会学)
(毎日 7月2日)
スポーツ基本法が成立した。
私は、超党派のスポーツ議員連盟のアドバイザリーボードを務め、
衆院の文部科学委員会でも意見陳述をしてきた。
基本法ができたことは喜ぶべきだが、
この法律は多くの「宿題」を抱えている。
衆院の委員会では、スポーツは自発的な運動の楽しみを基調とする
自己目的的な文化であり、その文化的特性が十分に尊重されるとき、
さまざまな公益性が期待されるものであることを述べてきた。
法律の中では、前文の2段落目に
「スポーツは、心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進……
のために行われる」と定義。
これは、50年前のスポーツ振興法の体育的定義とまったく変わらない
「スポーツ手段論」であり、1行目の「スポーツは、
世界共通の人類の文化である」という言葉に矛盾。
私が求めているのは、もう一度、「スポーツとは何か」を
考えてほしいということだ。
国会議員やスポーツ関係者だけでなく、国民すべてに対して。
振興法は、スポーツ関係者だけに関係していたが、
基本法になると、すべての人にかかわる問題。
スポーツ大嫌いという人の意見も、取り入れなければならない。
そうでないと、これまでと同じように「たかがスポーツ」になってしまう。
とりあえず、スポーツ基本法を読んでもらいたい。
サッカー愛好者ならサッカー基本法、野球関係者ならば野球基本法と
置き換えてみてはどうか。
その中で、この条文はそぐわないとか、もっと議論してみるべきでは、
という問題点や評価すべき点が見えてくるはず。
このたびのスポーツ基本法の成立に至っては、
国民的な関心を持たれないまま、「こっそりと」であった。
これには、メディアの責任も大きい。
成立した日のテレビのスポーツニュースでは、
大リーグのことは伝えても、基本法についてはまったく触れなかった。
新聞も、「スポーツの権利」が入ったことに万々歳していて、
「自由な」身体活動の権利としての「スポーツ権」ということを
追求しなかった。
世界標準のスポーツのとらえ方、考え方から見ると、
スポーツ思想に関しては、日本は後進国。
その問題点を見つけられなかったがために、全く論議にならなかった。
法律は、できてしまえば終わりではない。
次は、スポーツ庁の設置へと向かうだろうから、
そこで改正することもできる。
日本には、週に1回以上スポーツをする人が、
4000万~5000万人いると言われている。
基本法は、そのすべての人たちにかかわってくる。
これから法律をどのように動かすか、
よりいいものにするためにどうするかが、
5、6年かけた私たちの宿題と思う。
==============
◇さえき・としお
1942年生まれ。東京教育大大学院修了。
企業とスポーツのかかわり方などを研究。
著書に「現代企業スポーツ論」など。
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/07/02/20110702dde007070038000c.html
スポーツ基本法が成立した。
私は、超党派のスポーツ議員連盟のアドバイザリーボードを務め、
衆院の文部科学委員会でも意見陳述をしてきた。
基本法ができたことは喜ぶべきだが、
この法律は多くの「宿題」を抱えている。
衆院の委員会では、スポーツは自発的な運動の楽しみを基調とする
自己目的的な文化であり、その文化的特性が十分に尊重されるとき、
さまざまな公益性が期待されるものであることを述べてきた。
法律の中では、前文の2段落目に
「スポーツは、心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進……
のために行われる」と定義。
これは、50年前のスポーツ振興法の体育的定義とまったく変わらない
「スポーツ手段論」であり、1行目の「スポーツは、
世界共通の人類の文化である」という言葉に矛盾。
私が求めているのは、もう一度、「スポーツとは何か」を
考えてほしいということだ。
国会議員やスポーツ関係者だけでなく、国民すべてに対して。
振興法は、スポーツ関係者だけに関係していたが、
基本法になると、すべての人にかかわる問題。
スポーツ大嫌いという人の意見も、取り入れなければならない。
そうでないと、これまでと同じように「たかがスポーツ」になってしまう。
とりあえず、スポーツ基本法を読んでもらいたい。
サッカー愛好者ならサッカー基本法、野球関係者ならば野球基本法と
置き換えてみてはどうか。
その中で、この条文はそぐわないとか、もっと議論してみるべきでは、
という問題点や評価すべき点が見えてくるはず。
このたびのスポーツ基本法の成立に至っては、
国民的な関心を持たれないまま、「こっそりと」であった。
これには、メディアの責任も大きい。
成立した日のテレビのスポーツニュースでは、
大リーグのことは伝えても、基本法についてはまったく触れなかった。
新聞も、「スポーツの権利」が入ったことに万々歳していて、
「自由な」身体活動の権利としての「スポーツ権」ということを
追求しなかった。
世界標準のスポーツのとらえ方、考え方から見ると、
スポーツ思想に関しては、日本は後進国。
その問題点を見つけられなかったがために、全く論議にならなかった。
法律は、できてしまえば終わりではない。
次は、スポーツ庁の設置へと向かうだろうから、
そこで改正することもできる。
日本には、週に1回以上スポーツをする人が、
4000万~5000万人いると言われている。
基本法は、そのすべての人たちにかかわってくる。
これから法律をどのように動かすか、
よりいいものにするためにどうするかが、
5、6年かけた私たちの宿題と思う。
==============
◇さえき・としお
1942年生まれ。東京教育大大学院修了。
企業とスポーツのかかわり方などを研究。
著書に「現代企業スポーツ論」など。
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/07/02/20110702dde007070038000c.html
2011年7月6日水曜日
スポーツ100年:現在・過去・未来/3 基本法、歴史的意味を考える
(毎日 6月28日)
国家戦略として、スポーツを推進することを明記したスポーツ基本法が成立。
前文で、目指すとしている「スポーツ立国」の実現によって、
「普通の人々」の暮らしは、どうなるのか?
戦前戦後のスポーツ政策の流れの中で、
スポーツ基本法の歴史的意味を考えてみる。
世界で競い合うトップアスリートの育成・強化に代表される
国際競技力の向上と、国民の誰もが、いつでも、どこでも
スポーツに親しむことができる生涯スポーツ社会の実現は、
「車の両輪」(鈴木寛・副文部科学相)と言われながら、
理想と現実は異なる。
文科省のスポーツ関連予算でみると、
競技力向上と生涯スポーツの格差は年々、拡大。
基本法の条文も、競技スポーツにより力を入れた表現が目立つ。
「競技力向上には、お金がかかる。
スポーツの高度化と大衆化の統一という観点から見ると、
組織にしても財源にしても、過剰なアンバランスが存在する」と
指摘するのは、戦後のスポーツ政策に詳しい
一橋大の尾崎正峰教授(スポーツ社会学)。
「高度化と大衆化の統一」の背景には、
スポーツが普及して競技人口が拡大すれば、結果として優秀な選手が
数多く生まれ、競技力も向上するという考え。
1970年代に登場した理念で、「スポーツ権」を根拠とする欧州発祥の
「スポーツ・フォア・オール(みんなのスポーツ)」運動の進展に呼応し、
日本でも広がりを見せた。
72年、文部省(当時)の保健体育審議会(保体審)は、
「体育・スポーツの普及振興に関する基本方策について」を答申。
戦後初の体系的なスポーツ政策と言われ、
スポーツ施設の設置基準を人口規模別に提示。
人口5万人の場合、面積1万平方メートルの運動場が3カ所、
床面積720平方メートルの体育館が3カ所などと定めた。
住民が、日常的に利用できるスポーツ施設を整備する根拠が
市町村に与えられた。
戦後に提起されながら、未達成だった歴史的な課題を見据えたものと、
この答申を評価する研究者は多い。
戦後改革が進む46年、文部省は社会体育に関する通達。
「体育の生活化」というスローガンを掲げ、
三つの柱として指導者、組織、施設の充実を図る。
国際舞台への復帰に伴い、スポーツ界は「オリンピック至上主義」へと回帰。
東京で、58年に開催したアジア大会の成功は、
東京五輪招致決定への呼び水となった。
国が、スポーツのために補助金を支出することへの正当性を与えたのが、
61年制定のスポーツ振興法。
70年代まで続いた高度経済成長は、生活様式の急激な変化を促し、
国民の間にスポーツへの要求が高まった。
そんな社会の変化を背景に、72年の保体審答申は出されたが、
財政的裏付けを欠いたことから、結果的には「作文」に終わった。
◇身近な施設、脆弱なまま
モスクワ五輪ボイコットやバブル経済に象徴されるように、
80年代以降、スポーツは政治や経済の波にのみ込まれていく。
竹下登首相の私的諮問機関は88年、
(1)スポーツ省の設置、
(2)メダリストへの功労金制度、
(3)選手強化のためのナショナルトレーニングセンターの設置、
などを柱とする報告書をまとめた。
「スポーツ振興の国策化」は、翌89年の保体審答申
「21世紀に向けたスポーツの振興方策について」にも色濃く反映され、
「選手中心主義」への再度の路線転換は明確に。
今世紀に入って、トップに厚く、裾野(地域)に薄くという流れは加速。
スポーツ振興法は制定当初、地方自治体がスポーツ施設を建設する
経費の「3分の1」を国が補助すると規定。
06年の改正で削除された。
国の社会体育施設整備費(地方自治体への補助金)も、
82年度の118億円をピークに、05年度は10億円。
翌年度から、予算表の項目が消えた。
スポーツ基本法は、スポーツに関する施策の策定、実施については
国や地方公共団体の「責務」としながら、一般の国民が利用できる
具体的なスポーツ施設の整備については、努力規定にとどまる。
尾崎教授は、「いろいろな調査をする中で、スポーツをする
公共的な基盤は縮小していることが分かる。
今回の基本法も、一番重要なスポーツ施設の整備を後押しするような
法律規定にはなっていない」
現行のスポーツ振興基本計画は、成人の週1回以上のスポーツ実施率を
50%(2人に1人)とすることを目標に掲げた。
文科省のスポーツ立国戦略は、65%(3人に2人)とすることを目指す。
公共の施設は増やさない中で、
数値目標は上げようと言っているのに等しい。
身近なスポーツ施設の脆弱さは、スポーツ政策の当然の帰結とも言え、
スポーツ基本法もその流れの中にある。
◇特別な理由なければ…
戦時下、国策によって都市に重点を置いたスポーツ施設の拡充政策が
本格的に行われたことが、最近の研究で明らかに。
戦火の拡大により、40年開催が決まっていた東京五輪の返上が
閣議決定される直前の38年2月、文部省に代わって
社会体育行政を担うことになった厚生省(当時)は、
「体育国策の具体案」を発表。
東京、仙台、大阪、福岡の4都市に国立総合体育運動場を建設するほか、
人口5万人以上の都市に各種の運動施設を整備するという計画。
一橋大の坂上康博教授(スポーツ史)によると、
綿密な施設設置基準が設定され、一部については
72年の保体審答申よりも高い基準だった。
国民の体力向上を目指す厚生省のスポーツ施設の拡充政策は、
内務省による防空緑地拡充政策と一体のものとして進められたのが特徴。
坂上教授は、「スポーツ施設建設は、戦中は国民の体位向上や
都市防空緑地施設といった名目、戦中戦後を通しては
オリンピックや国体といったメガイベントのためといった
特別な理由を冠して、やっと実施された。
そんな厚化粧をしなければ、国家予算を獲得できないという
貧困な状況には変わりない」
◇計画策定、慎重に
スポーツ基本法が成立した17日、JOCの久木留毅・情報戦略部会長
(専大准教授)は、「ようやくスタートラインに立った」。
今後、文科省はスポーツ基本計画の策定作業に入る。
久木留氏の言葉を借りれば、スポーツの「未来予想図」を描くこと。
スポーツ政策の国際比較の対象として、頻繁に登場するのが
西ドイツの「ゴールデンプラン(黄金計画)」。
60年に策定されたスポーツ施設建設の15カ年計画、
政府ではなく、民間団体のドイツ・オリンピック協会が策定。
ドイツのスポーツ史を研究する山本徳郎・奈良女子大名誉教授によると、
内容は子細を極めた。
3~6歳の子どもの遊び場の場合、
「住民1人当たり0・5平方メートル(人口密度によっては0・25平方メートル)
とし、望ましい大きさは150平方メートル。
できるだけ住居の近くに、限度は100メートル以内」という具合。
計画がなぜ必要なのか、どんな施設がどの程度必要なのか、
どのくらいの予算が必要なのか、調査を続けた。
その建設にかかる予算を、国(連邦政府)が2割、州(地方政府)が5割、
市町村(地方自治体)が3割負担することを決め、各議会に議決。
計画が発表されると、すぐ実行に移され、予定の15年間で
ほぼ100%の成果を上げることができた。
ドイツは、第二次世界大戦後の都市計画を策定する中、
スポーツをどう位置付けていくか、第一次世界大戦前から
時間をかけて調査、議論を重ねた。
山本氏は、「日本は、計画策定のプロセスを学ぶべきだ」
新しい基本計画の策定には、現行の振興基本計画の評価と検証が
欠かせないことは言うまでもない。
==============
◇主な参考文献
・尾崎正峰「スポーツ政策の形成過程に関する一研究」
(一橋大学研究年報人文科学研究39)
・坂上康博、高岡裕之編「幻の東京オリンピックとその時代」(青弓社)
・関春南「戦後日本のスポーツ政策」(大修館書店)
・森川貞夫「『国策としてのスポーツ』論の系譜と“強化策”の問題と
今後の課題」(スポーツ社会学研究第18巻第1号収録)
==============
◇国家(政治)とスポーツをめぐる関連年表◇
1911(明治44)年7月 嘉納治五郎が「大日本体育協会」設立
1924(大正13)年5月 パリ五輪への選手派遣に政府が補助金
10月 第1回明治神宮競技大会(内務省主催)
11月 文部省が第1回全国体育デー
※国民の体位・体力向上を図る
1932(昭和7)年4月 文部省が「野球統制令」施行
1936( 11)年7月 東京オリンピック開催がIOC総会で決定
1937( 12)年7月 盧溝橋事件 ※日中戦争始まる
1938( 13)年1月 厚生省設立
2月 厚生省が「体育国策の具体案」発表
5月 国家総動員法発令
7月 東京オリンピック返上を閣議決定
1939( 14)年10月 厚生省が第1回体力章検定実施
※15~25歳の男子対象
1940( 15)年6月 紀元二千六百年奉祝東亜競技大会
1941( 16)年12月 真珠湾攻撃 ※太平洋戦争始まる
1942( 17)年 4月 「大日本体育会」(東条英機会長)発足
※大日本体育協会を改組・強化
1945( 20)年 8月 敗戦(無条件降伏)
1946( 21)年 8月 第1回国民体育大会(夏季大会)
1947( 22)年 スポーツ議員連盟発足
1958( 33)年 5月 東京アジア競技大会
1959( 34)年 5月 東京オリンピック開催がIOC総会で決定
1960( 35)年 西ドイツが施設整備の15カ年計画「ゴールデンプラン」策定
1961( 36)年 6月 スポーツ振興法成立
1964( 39)年10月 東京オリンピック
1972( 47)年 2月 札幌冬季オリンピック
12月 保健体育審議会答申
※スポーツ施設の設置基準提示
1975( 50)年 3月 欧州評議会で「みんなのスポーツ憲章」採択
1978( 53)年11月 ユネスコが「体育・スポーツ国際憲章」採択
1980( 55)年 5月 政府の圧力を受け、モスクワ五輪不参加を決定
1988( 63)年 3月 竹下首相の私的諮問機関が「スポーツ振興の国策化」提言
1989(平成元)年11月 保健体育審議会答申
※施設整備についての責任を地方自治体に
1997( 9)年12月 日本スポーツ法学会が「スポーツ基本法要綱案」公表
1998( 10)年 2月 長野冬季オリンピック
5月 スポーツ振興投票法成立
2000( 12)年 9月 文部省が「スポーツ振興基本計画」策定
2001( 13)年 3月 スポーツ振興くじ(toto)全国販売開始
5月 日本オリンピック委員会が「ゴールドプラン」策定
10月 国立スポーツ科学センター(JISS)開設
2007( 19)年10月 自民党が「スポーツ立国調査会」設置
2008( 20)年 1月 ナショナルトレーニングセンター(NTC)開設
6月 スポーツ立国調査会が中間報告
2009( 21)年 7月 自民、公明両党が「スポーツ基本法案」提出
(衆院解散により廃案)
2010( 22)年 6月 自民、公明両党が「スポーツ基本法案」提出
(超党派による11年の法案提出に伴って取り下げ)
8月 文科省が「スポーツ立国戦略」発表
2011( 23)年 6月 スポーツ基本法成立
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/06/28/20110628ddm035050135000c.html
国家戦略として、スポーツを推進することを明記したスポーツ基本法が成立。
前文で、目指すとしている「スポーツ立国」の実現によって、
「普通の人々」の暮らしは、どうなるのか?
戦前戦後のスポーツ政策の流れの中で、
スポーツ基本法の歴史的意味を考えてみる。
世界で競い合うトップアスリートの育成・強化に代表される
国際競技力の向上と、国民の誰もが、いつでも、どこでも
スポーツに親しむことができる生涯スポーツ社会の実現は、
「車の両輪」(鈴木寛・副文部科学相)と言われながら、
理想と現実は異なる。
文科省のスポーツ関連予算でみると、
競技力向上と生涯スポーツの格差は年々、拡大。
基本法の条文も、競技スポーツにより力を入れた表現が目立つ。
「競技力向上には、お金がかかる。
スポーツの高度化と大衆化の統一という観点から見ると、
組織にしても財源にしても、過剰なアンバランスが存在する」と
指摘するのは、戦後のスポーツ政策に詳しい
一橋大の尾崎正峰教授(スポーツ社会学)。
「高度化と大衆化の統一」の背景には、
スポーツが普及して競技人口が拡大すれば、結果として優秀な選手が
数多く生まれ、競技力も向上するという考え。
1970年代に登場した理念で、「スポーツ権」を根拠とする欧州発祥の
「スポーツ・フォア・オール(みんなのスポーツ)」運動の進展に呼応し、
日本でも広がりを見せた。
72年、文部省(当時)の保健体育審議会(保体審)は、
「体育・スポーツの普及振興に関する基本方策について」を答申。
戦後初の体系的なスポーツ政策と言われ、
スポーツ施設の設置基準を人口規模別に提示。
人口5万人の場合、面積1万平方メートルの運動場が3カ所、
床面積720平方メートルの体育館が3カ所などと定めた。
住民が、日常的に利用できるスポーツ施設を整備する根拠が
市町村に与えられた。
戦後に提起されながら、未達成だった歴史的な課題を見据えたものと、
この答申を評価する研究者は多い。
戦後改革が進む46年、文部省は社会体育に関する通達。
「体育の生活化」というスローガンを掲げ、
三つの柱として指導者、組織、施設の充実を図る。
国際舞台への復帰に伴い、スポーツ界は「オリンピック至上主義」へと回帰。
東京で、58年に開催したアジア大会の成功は、
東京五輪招致決定への呼び水となった。
国が、スポーツのために補助金を支出することへの正当性を与えたのが、
61年制定のスポーツ振興法。
70年代まで続いた高度経済成長は、生活様式の急激な変化を促し、
国民の間にスポーツへの要求が高まった。
そんな社会の変化を背景に、72年の保体審答申は出されたが、
財政的裏付けを欠いたことから、結果的には「作文」に終わった。
◇身近な施設、脆弱なまま
モスクワ五輪ボイコットやバブル経済に象徴されるように、
80年代以降、スポーツは政治や経済の波にのみ込まれていく。
竹下登首相の私的諮問機関は88年、
(1)スポーツ省の設置、
(2)メダリストへの功労金制度、
(3)選手強化のためのナショナルトレーニングセンターの設置、
などを柱とする報告書をまとめた。
「スポーツ振興の国策化」は、翌89年の保体審答申
「21世紀に向けたスポーツの振興方策について」にも色濃く反映され、
「選手中心主義」への再度の路線転換は明確に。
今世紀に入って、トップに厚く、裾野(地域)に薄くという流れは加速。
スポーツ振興法は制定当初、地方自治体がスポーツ施設を建設する
経費の「3分の1」を国が補助すると規定。
06年の改正で削除された。
国の社会体育施設整備費(地方自治体への補助金)も、
82年度の118億円をピークに、05年度は10億円。
翌年度から、予算表の項目が消えた。
スポーツ基本法は、スポーツに関する施策の策定、実施については
国や地方公共団体の「責務」としながら、一般の国民が利用できる
具体的なスポーツ施設の整備については、努力規定にとどまる。
尾崎教授は、「いろいろな調査をする中で、スポーツをする
公共的な基盤は縮小していることが分かる。
今回の基本法も、一番重要なスポーツ施設の整備を後押しするような
法律規定にはなっていない」
現行のスポーツ振興基本計画は、成人の週1回以上のスポーツ実施率を
50%(2人に1人)とすることを目標に掲げた。
文科省のスポーツ立国戦略は、65%(3人に2人)とすることを目指す。
公共の施設は増やさない中で、
数値目標は上げようと言っているのに等しい。
身近なスポーツ施設の脆弱さは、スポーツ政策の当然の帰結とも言え、
スポーツ基本法もその流れの中にある。
◇特別な理由なければ…
戦時下、国策によって都市に重点を置いたスポーツ施設の拡充政策が
本格的に行われたことが、最近の研究で明らかに。
戦火の拡大により、40年開催が決まっていた東京五輪の返上が
閣議決定される直前の38年2月、文部省に代わって
社会体育行政を担うことになった厚生省(当時)は、
「体育国策の具体案」を発表。
東京、仙台、大阪、福岡の4都市に国立総合体育運動場を建設するほか、
人口5万人以上の都市に各種の運動施設を整備するという計画。
一橋大の坂上康博教授(スポーツ史)によると、
綿密な施設設置基準が設定され、一部については
72年の保体審答申よりも高い基準だった。
国民の体力向上を目指す厚生省のスポーツ施設の拡充政策は、
内務省による防空緑地拡充政策と一体のものとして進められたのが特徴。
坂上教授は、「スポーツ施設建設は、戦中は国民の体位向上や
都市防空緑地施設といった名目、戦中戦後を通しては
オリンピックや国体といったメガイベントのためといった
特別な理由を冠して、やっと実施された。
そんな厚化粧をしなければ、国家予算を獲得できないという
貧困な状況には変わりない」
◇計画策定、慎重に
スポーツ基本法が成立した17日、JOCの久木留毅・情報戦略部会長
(専大准教授)は、「ようやくスタートラインに立った」。
今後、文科省はスポーツ基本計画の策定作業に入る。
久木留氏の言葉を借りれば、スポーツの「未来予想図」を描くこと。
スポーツ政策の国際比較の対象として、頻繁に登場するのが
西ドイツの「ゴールデンプラン(黄金計画)」。
60年に策定されたスポーツ施設建設の15カ年計画、
政府ではなく、民間団体のドイツ・オリンピック協会が策定。
ドイツのスポーツ史を研究する山本徳郎・奈良女子大名誉教授によると、
内容は子細を極めた。
3~6歳の子どもの遊び場の場合、
「住民1人当たり0・5平方メートル(人口密度によっては0・25平方メートル)
とし、望ましい大きさは150平方メートル。
できるだけ住居の近くに、限度は100メートル以内」という具合。
計画がなぜ必要なのか、どんな施設がどの程度必要なのか、
どのくらいの予算が必要なのか、調査を続けた。
その建設にかかる予算を、国(連邦政府)が2割、州(地方政府)が5割、
市町村(地方自治体)が3割負担することを決め、各議会に議決。
計画が発表されると、すぐ実行に移され、予定の15年間で
ほぼ100%の成果を上げることができた。
ドイツは、第二次世界大戦後の都市計画を策定する中、
スポーツをどう位置付けていくか、第一次世界大戦前から
時間をかけて調査、議論を重ねた。
山本氏は、「日本は、計画策定のプロセスを学ぶべきだ」
新しい基本計画の策定には、現行の振興基本計画の評価と検証が
欠かせないことは言うまでもない。
==============
◇主な参考文献
・尾崎正峰「スポーツ政策の形成過程に関する一研究」
(一橋大学研究年報人文科学研究39)
・坂上康博、高岡裕之編「幻の東京オリンピックとその時代」(青弓社)
・関春南「戦後日本のスポーツ政策」(大修館書店)
・森川貞夫「『国策としてのスポーツ』論の系譜と“強化策”の問題と
今後の課題」(スポーツ社会学研究第18巻第1号収録)
==============
◇国家(政治)とスポーツをめぐる関連年表◇
1911(明治44)年7月 嘉納治五郎が「大日本体育協会」設立
1924(大正13)年5月 パリ五輪への選手派遣に政府が補助金
10月 第1回明治神宮競技大会(内務省主催)
11月 文部省が第1回全国体育デー
※国民の体位・体力向上を図る
1932(昭和7)年4月 文部省が「野球統制令」施行
1936( 11)年7月 東京オリンピック開催がIOC総会で決定
1937( 12)年7月 盧溝橋事件 ※日中戦争始まる
1938( 13)年1月 厚生省設立
2月 厚生省が「体育国策の具体案」発表
5月 国家総動員法発令
7月 東京オリンピック返上を閣議決定
1939( 14)年10月 厚生省が第1回体力章検定実施
※15~25歳の男子対象
1940( 15)年6月 紀元二千六百年奉祝東亜競技大会
1941( 16)年12月 真珠湾攻撃 ※太平洋戦争始まる
1942( 17)年 4月 「大日本体育会」(東条英機会長)発足
※大日本体育協会を改組・強化
1945( 20)年 8月 敗戦(無条件降伏)
1946( 21)年 8月 第1回国民体育大会(夏季大会)
1947( 22)年 スポーツ議員連盟発足
1958( 33)年 5月 東京アジア競技大会
1959( 34)年 5月 東京オリンピック開催がIOC総会で決定
1960( 35)年 西ドイツが施設整備の15カ年計画「ゴールデンプラン」策定
1961( 36)年 6月 スポーツ振興法成立
1964( 39)年10月 東京オリンピック
1972( 47)年 2月 札幌冬季オリンピック
12月 保健体育審議会答申
※スポーツ施設の設置基準提示
1975( 50)年 3月 欧州評議会で「みんなのスポーツ憲章」採択
1978( 53)年11月 ユネスコが「体育・スポーツ国際憲章」採択
1980( 55)年 5月 政府の圧力を受け、モスクワ五輪不参加を決定
1988( 63)年 3月 竹下首相の私的諮問機関が「スポーツ振興の国策化」提言
1989(平成元)年11月 保健体育審議会答申
※施設整備についての責任を地方自治体に
1997( 9)年12月 日本スポーツ法学会が「スポーツ基本法要綱案」公表
1998( 10)年 2月 長野冬季オリンピック
5月 スポーツ振興投票法成立
2000( 12)年 9月 文部省が「スポーツ振興基本計画」策定
2001( 13)年 3月 スポーツ振興くじ(toto)全国販売開始
5月 日本オリンピック委員会が「ゴールドプラン」策定
10月 国立スポーツ科学センター(JISS)開設
2007( 19)年10月 自民党が「スポーツ立国調査会」設置
2008( 20)年 1月 ナショナルトレーニングセンター(NTC)開設
6月 スポーツ立国調査会が中間報告
2009( 21)年 7月 自民、公明両党が「スポーツ基本法案」提出
(衆院解散により廃案)
2010( 22)年 6月 自民、公明両党が「スポーツ基本法案」提出
(超党派による11年の法案提出に伴って取り下げ)
8月 文科省が「スポーツ立国戦略」発表
2011( 23)年 6月 スポーツ基本法成立
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/06/28/20110628ddm035050135000c.html
2011年7月3日日曜日
岩手国体の条件緩和へ 日体協方針、一部他県開催も
(岩手日報 6月24日)
日本体育協会の本年度第1回国体委員会は、
2016年に本県で開催が予定されている岩手国体について協議。
本県が、東日本大震災の復興を優先している現状を考慮し、
同協会の泉正文国体委員長は、
「競技ができる最低限の施設が用意できれば、
それ以上の改修は求めない」と、
従来の開催条件を満たさなくても容認する方針を示した。
泉委員長は、本県と日本体協の協議内容を報告。
本県が、復旧・復興に財源や人的資源が必要になるとして、
岩手国体を「開催困難」とする一方、縮小開催した場合の
シミュレーションも行っていることについて、
「縮小案の作成に向けて、協力の依頼があった。
日本体協として、各競技の中央競技団体に対して調査を行いたい」
「岩手県では、できる競技だけをやってもらえればいい」と、
一部の競技を他県で実施する可能性を示唆。
「岩手が大会を返上しても、次の県を前倒しにするのは不可能。
岩手として開催できないと、国体に穴が空く」
終了後、泉委員長は、「大変な状況であることは理解しているので、
期限を決めないでじっくり待つ」と説明。
「岩手県には、可能な範囲でやってほしい。
あとは、達増知事と県民の英断を期待する」
国体を従来の基準で開催する場合、施設整備費と運営費で
約118億円の県負担が見込まれていたが、
負担軽減の方向で見直されることになりそうだ。
会議では、6月末が期限となっている開催申請など、
岩手国体に関する手続きの延期などが承認。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110624_2
日本体育協会の本年度第1回国体委員会は、
2016年に本県で開催が予定されている岩手国体について協議。
本県が、東日本大震災の復興を優先している現状を考慮し、
同協会の泉正文国体委員長は、
「競技ができる最低限の施設が用意できれば、
それ以上の改修は求めない」と、
従来の開催条件を満たさなくても容認する方針を示した。
泉委員長は、本県と日本体協の協議内容を報告。
本県が、復旧・復興に財源や人的資源が必要になるとして、
岩手国体を「開催困難」とする一方、縮小開催した場合の
シミュレーションも行っていることについて、
「縮小案の作成に向けて、協力の依頼があった。
日本体協として、各競技の中央競技団体に対して調査を行いたい」
「岩手県では、できる競技だけをやってもらえればいい」と、
一部の競技を他県で実施する可能性を示唆。
「岩手が大会を返上しても、次の県を前倒しにするのは不可能。
岩手として開催できないと、国体に穴が空く」
終了後、泉委員長は、「大変な状況であることは理解しているので、
期限を決めないでじっくり待つ」と説明。
「岩手県には、可能な範囲でやってほしい。
あとは、達増知事と県民の英断を期待する」
国体を従来の基準で開催する場合、施設整備費と運営費で
約118億円の県負担が見込まれていたが、
負担軽減の方向で見直されることになりそうだ。
会議では、6月末が期限となっている開催申請など、
岩手国体に関する手続きの延期などが承認。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110624_2
2011年6月28日火曜日
小学生向けサマージャンプ台 八幡平市に完成
(岩手日報 6月19日)
八幡平市矢神の田山スキー場に、県営スキージャンプ場スモールヒル
(HS=28m、K点25m)が完成し、完成祝いと安全祈願祭が行われた。
小学生や初心者向けのサマージャンプ台。
同スキー場の冬場の台を合わせ、幼少期から通年で練習に臨むことができ、
競技力向上と底辺拡大が期待。
競技関係者やスポーツ少年団の選手約30人が出席。
神事を行い、安全を祈った。
スプリンクラーでランディングバーンなどに散水し、
小学生の選手たちが早速飛躍して、台の感触を確かめた。
今季初めて飛んだ安代小の5年生は、
「冬の台よりも飛びやすい感じがした。
この台で、今季は20m以上を飛びたい」と、笑顔で目標を掲げた。
スモールヒルは、ミディアムヒル(HS=58m、K点50m)の右隣に完成。
選手をスタート地点まで運ぶモノレールを新設し、
管理棟やナイター設備も整備。
事業費は、約2億3千万円。
昨年8月に着工、今年2月に完成。
両ジャンプ台の管理運営は、八幡平市に委託。
これまでは、小学生ら競技を始めたばかりの選手のための
夏場のスモールヒルがなく、小学生は秋田県鹿角市の
花輪スキー場などへ練習に出向いていた。
県教委スポーツ健康課の平藤淳総括課長は、
「小さい子どもも夏から飛ぶことができ、競技力向上が期待。
夏も田山で飛べることで、競技人口拡大にもつながる」と力を込める。
ジャンプ台は、指導者がいる個人、団体に貸し出す。
使用申し込み、問い合わせは、
八幡平市教委生涯学習課体育振興係(0195・74・2111)。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110619_10
八幡平市矢神の田山スキー場に、県営スキージャンプ場スモールヒル
(HS=28m、K点25m)が完成し、完成祝いと安全祈願祭が行われた。
小学生や初心者向けのサマージャンプ台。
同スキー場の冬場の台を合わせ、幼少期から通年で練習に臨むことができ、
競技力向上と底辺拡大が期待。
競技関係者やスポーツ少年団の選手約30人が出席。
神事を行い、安全を祈った。
スプリンクラーでランディングバーンなどに散水し、
小学生の選手たちが早速飛躍して、台の感触を確かめた。
今季初めて飛んだ安代小の5年生は、
「冬の台よりも飛びやすい感じがした。
この台で、今季は20m以上を飛びたい」と、笑顔で目標を掲げた。
スモールヒルは、ミディアムヒル(HS=58m、K点50m)の右隣に完成。
選手をスタート地点まで運ぶモノレールを新設し、
管理棟やナイター設備も整備。
事業費は、約2億3千万円。
昨年8月に着工、今年2月に完成。
両ジャンプ台の管理運営は、八幡平市に委託。
これまでは、小学生ら競技を始めたばかりの選手のための
夏場のスモールヒルがなく、小学生は秋田県鹿角市の
花輪スキー場などへ練習に出向いていた。
県教委スポーツ健康課の平藤淳総括課長は、
「小さい子どもも夏から飛ぶことができ、競技力向上が期待。
夏も田山で飛べることで、競技人口拡大にもつながる」と力を込める。
ジャンプ台は、指導者がいる個人、団体に貸し出す。
使用申し込み、問い合わせは、
八幡平市教委生涯学習課体育振興係(0195・74・2111)。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110619_10
2011年6月26日日曜日
20年夏季五輪:JOCが都に立候補要請 被災地で実施も
(毎日 6月24日)
日本オリンピック委員会(JOC)が、石原慎太郎知事に、
20年夏季五輪招致への立候補を要請。
竹田恒和会長は、「国が一つになって五輪招致に向かうことは、
国益にかない、東日本大震災からの復興に向けても、
必ずスポーツが力になると信じている」
五輪開催計画の中で、被災地でサッカー競技の一部を実施する考え。
25日に宮城県庁を訪れ、五輪招致に関しての理解を求める。
都市が立候補を表明する前に、JOCが要請するのは異例。
前回、リオデジャネイロに敗れた16年五輪の招致の時、
東京都と福岡市が名乗りを上げ、国内選考となった。
今回は、広島市が09年10月に立候補の検討を始めることを表明、
今年4月の市長選で当選した新市長が誘致活動を断念。
JOC幹部は、「世論の支持が低かった前回の反省を踏まえ、
スポーツ界から仕掛けるような環境ができたから」
要請には、JOCの加盟団体や、女子柔道でアテネ、北京両五輪で
金メダルを獲得した谷本歩実さんらアスリート24人も同行。
アテネ五輪体操団体金メダリストの水鳥寿思は、
「オリンピックは、本当にすばらしいものと自分で実感。
東京で開催されることになれば、国民や子供たちに生で感じてもらえる
と思い、ぜひ東京で開催できたらいい」
竹田会長は、「前回の16年の開催計画は、IOCからも支持を得ている。
指摘された課題をブラッシュアップすれば、
過去最高の五輪を開くことができる」と自信。
***********
今回の震災で、スポーツがどれだけ多くの人に、特に子供たちに
夢や希望を与えてきたか、はっきり示されたと思う。
他の分野でももちろん貢献はあっただろうが、
スポーツほどニュースになり、体を動かすことで健康を保ち、
心をリフレッシュさせてくれるものはない。
多くのアスリートが震災地を訪ねたことで、
アスリートも自分たちがスポーツをやる意義を実感するいい機会に。
あとは、9年後に震災から復興した姿を全世界の人たちに見せて、
各国から支援を受けた恩を返す機会にしてほしい。
オリンピックほど、世界中にアピールする絶好の機会はないので。
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/news/20110624k0000m050046000c.html
日本オリンピック委員会(JOC)が、石原慎太郎知事に、
20年夏季五輪招致への立候補を要請。
竹田恒和会長は、「国が一つになって五輪招致に向かうことは、
国益にかない、東日本大震災からの復興に向けても、
必ずスポーツが力になると信じている」
五輪開催計画の中で、被災地でサッカー競技の一部を実施する考え。
25日に宮城県庁を訪れ、五輪招致に関しての理解を求める。
都市が立候補を表明する前に、JOCが要請するのは異例。
前回、リオデジャネイロに敗れた16年五輪の招致の時、
東京都と福岡市が名乗りを上げ、国内選考となった。
今回は、広島市が09年10月に立候補の検討を始めることを表明、
今年4月の市長選で当選した新市長が誘致活動を断念。
JOC幹部は、「世論の支持が低かった前回の反省を踏まえ、
スポーツ界から仕掛けるような環境ができたから」
要請には、JOCの加盟団体や、女子柔道でアテネ、北京両五輪で
金メダルを獲得した谷本歩実さんらアスリート24人も同行。
アテネ五輪体操団体金メダリストの水鳥寿思は、
「オリンピックは、本当にすばらしいものと自分で実感。
東京で開催されることになれば、国民や子供たちに生で感じてもらえる
と思い、ぜひ東京で開催できたらいい」
竹田会長は、「前回の16年の開催計画は、IOCからも支持を得ている。
指摘された課題をブラッシュアップすれば、
過去最高の五輪を開くことができる」と自信。
***********
今回の震災で、スポーツがどれだけ多くの人に、特に子供たちに
夢や希望を与えてきたか、はっきり示されたと思う。
他の分野でももちろん貢献はあっただろうが、
スポーツほどニュースになり、体を動かすことで健康を保ち、
心をリフレッシュさせてくれるものはない。
多くのアスリートが震災地を訪ねたことで、
アスリートも自分たちがスポーツをやる意義を実感するいい機会に。
あとは、9年後に震災から復興した姿を全世界の人たちに見せて、
各国から支援を受けた恩を返す機会にしてほしい。
オリンピックほど、世界中にアピールする絶好の機会はないので。
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/news/20110624k0000m050046000c.html
2011年6月4日土曜日
スポーツ基本法:「スポーツ立国」目指す 議連、法案を提出
(毎日 6月1日)
国のスポーツ政策の土台となるスポーツ基本法案が31日、
衆議院へ提出。
超党派の国会議員で構成する「スポーツ議員連盟」
(会長・麻生太郎元首相)がまとめた法案に、
スポーツ庁設置に反対するみんなの党を除く各党が同意し、
各党を代表する議員計17人の連名となった。
スポーツ基本法案は、61年制定のスポーツ振興法を、
50年ぶりに全面改定するもので、前文には
「スポーツ立国の実現を目指す国家戦略」として、
スポーツの推進を位置づけた。
地域スポーツの振興と競技スポーツの強化の両面を、
国の責務と明記し、地方公共団体やスポーツ団体、学校、
民間事業者なども連携し役割を果たすよう定めている。
障害者スポーツも対象に含め、
付則でスポーツ庁設置を検討することも記した。
法案提出後に会見したスポーツ議連の奥村展三幹事長(民主)は、
「スポーツが、文化と同じように扱われ振興するよう、
基本法をベースにスポーツ界全体で盛り上げることが大事」
と意義を強調。
遠藤利明幹事長代理(自民)は、
「国が責任を持ってやると明記したのは大きい。
財政、税制などいろんな形でスポーツを支援できる」
法案は過去に2度、自民、公明両党が提出したが、
一昨年は衆院解散のため廃案。
昨年は継続審議となり、今回の新たな法案の提出に伴い取り下げられた。
民主党などが修正を加えた今回は、3度目の提出。
今国会での成立を目指すが、政局の影響で審議が
順調に行われるかも懸念。
==============
◇新省庁設置に厳しい目
スポーツの基本理念や国などの責務が明記されたスポーツ基本法案。
その中で、付則という形にとどまったのが「スポーツ庁」の設置。
議論の中で、多く出てきたのが、同じ文部科学省管轄の文化庁との違い。
文化庁は、1968年に設置され、
「文化芸術振興基本法」も10年前に制定。
11年度予算でも、スポーツ関係の約230億円に比べ、
文化庁予算は1000億円を超える。
このため、「早くスポーツ庁を設置して、文化庁並みの予算を」
という声は強かった。
厚生労働省の管轄下にある障害者スポーツなども、
横断的に統括できることを利点に挙げる意見は根強い。
奥村展三・スポーツ議連幹事長は、
「省庁間に縦割りの部分があるが、それらを一体化させるためにも、
スポーツ庁を作りたい」
だが、一筋縄にはいかない。
行政改革がうたわれる中で、新省庁の設置には厳しい目も。
唯一、みんなの党が法案に反対したのもそのため。
現在は、震災復興が最優先され、たとえスポーツ庁ができても、
予算の拡充は容易ではない。
3度目の提出となる今回は、共産や社民など計8会派が
共同提案に名を連ね、法案成立の道筋は整った。
ここにきて、自民党などが内閣不信任決議案の提出を検討。
そのタイミング次第では、他の法案審議がストップする可能性もあり、
前途には不透明な部分も残されている。
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/06/01/20110601ddm035050009000c.html
国のスポーツ政策の土台となるスポーツ基本法案が31日、
衆議院へ提出。
超党派の国会議員で構成する「スポーツ議員連盟」
(会長・麻生太郎元首相)がまとめた法案に、
スポーツ庁設置に反対するみんなの党を除く各党が同意し、
各党を代表する議員計17人の連名となった。
スポーツ基本法案は、61年制定のスポーツ振興法を、
50年ぶりに全面改定するもので、前文には
「スポーツ立国の実現を目指す国家戦略」として、
スポーツの推進を位置づけた。
地域スポーツの振興と競技スポーツの強化の両面を、
国の責務と明記し、地方公共団体やスポーツ団体、学校、
民間事業者なども連携し役割を果たすよう定めている。
障害者スポーツも対象に含め、
付則でスポーツ庁設置を検討することも記した。
法案提出後に会見したスポーツ議連の奥村展三幹事長(民主)は、
「スポーツが、文化と同じように扱われ振興するよう、
基本法をベースにスポーツ界全体で盛り上げることが大事」
と意義を強調。
遠藤利明幹事長代理(自民)は、
「国が責任を持ってやると明記したのは大きい。
財政、税制などいろんな形でスポーツを支援できる」
法案は過去に2度、自民、公明両党が提出したが、
一昨年は衆院解散のため廃案。
昨年は継続審議となり、今回の新たな法案の提出に伴い取り下げられた。
民主党などが修正を加えた今回は、3度目の提出。
今国会での成立を目指すが、政局の影響で審議が
順調に行われるかも懸念。
==============
◇新省庁設置に厳しい目
スポーツの基本理念や国などの責務が明記されたスポーツ基本法案。
その中で、付則という形にとどまったのが「スポーツ庁」の設置。
議論の中で、多く出てきたのが、同じ文部科学省管轄の文化庁との違い。
文化庁は、1968年に設置され、
「文化芸術振興基本法」も10年前に制定。
11年度予算でも、スポーツ関係の約230億円に比べ、
文化庁予算は1000億円を超える。
このため、「早くスポーツ庁を設置して、文化庁並みの予算を」
という声は強かった。
厚生労働省の管轄下にある障害者スポーツなども、
横断的に統括できることを利点に挙げる意見は根強い。
奥村展三・スポーツ議連幹事長は、
「省庁間に縦割りの部分があるが、それらを一体化させるためにも、
スポーツ庁を作りたい」
だが、一筋縄にはいかない。
行政改革がうたわれる中で、新省庁の設置には厳しい目も。
唯一、みんなの党が法案に反対したのもそのため。
現在は、震災復興が最優先され、たとえスポーツ庁ができても、
予算の拡充は容易ではない。
3度目の提出となる今回は、共産や社民など計8会派が
共同提案に名を連ね、法案成立の道筋は整った。
ここにきて、自民党などが内閣不信任決議案の提出を検討。
そのタイミング次第では、他の法案審議がストップする可能性もあり、
前途には不透明な部分も残されている。
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/06/01/20110601ddm035050009000c.html
2011年6月3日金曜日
トピックスfromUSA:盛んな社会貢献活動 命名権を寄付に活用
(毎日 5月28日)
米国のスポーツ界は、社会貢献活動が盛ん。
東日本大震災でも、多くの義援金が寄せられ、
米中部を襲った竜巻による被害でも、大リーグ機構などが支援に動いた。
男子ゴルフのタイガー・ウッズなど、
選手個人が慈善団体を持つことも珍しくない。
サッカーの米プロリーグMLSに所属し、米中西部カンザス州の
都市カンザスシティーに本拠を置くクラブ、
「スポルティング・カンザスシティー」(SKC、旧ウィザーズ)は、
来月にオープン予定の専用スタジアムの命名権(ネーミングライツ)を
活用し、収益を社会貢献に結びつける試みを始める。
自転車ロードレースのツール・ド・フランスで7回優勝し、
自らもがんを克服したことで知られるランス・アームストロング(米国)が
設立した、がん撲滅団体「ライブストロング(LS)」との提携。
通常は、スタジアム側が命名権を売却して資金を得るが、
今回の提携は異なる。
SKCが、スタジアムを「ライブストロング・スポルティングパーク」と名付け、
ロゴを使用する代わりに、LS側に6年間で最低750万ドル
(約6億1500万円)を寄付。
サッカー界では、名門バルセロナ(スペイン)がユニホームの胸に、
ユニセフ(国連児童基金)のロゴを入れるとともに支援金を送った。
それと似た内容といえる。
観客動員は増えているものの、米国ではまだマイナーなMLSで、
しかもカンザスシティーは商業圏も小さい。
命名権を買い取る有力企業が現れなかったことから、発想を転換。
観客からすれば、試合やイベントで興奮を味わい、
さらに入場料やグッズ購入することで、社会貢献したと実感できる。
SKCは、こうした体験を共有することで、地域社会の一体感が
高まることにも期待。
年間席の売り上げは好調といい、収益が上がれば寄付額も増やしていく。
スタジアム建設費の負担もあり、新たな試みが採算が取れるか
危ぶむ声もある。
SKCのロブ・ハイネマンCEO(最高経営責任者)は、
「社会貢献に取り組めることを誇りに思う。
この創造的な提携が、遺産として残ると信じている」と期待。
現場は意欲満々だ。
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/05/28/20110528dde007050070000c.html
米国のスポーツ界は、社会貢献活動が盛ん。
東日本大震災でも、多くの義援金が寄せられ、
米中部を襲った竜巻による被害でも、大リーグ機構などが支援に動いた。
男子ゴルフのタイガー・ウッズなど、
選手個人が慈善団体を持つことも珍しくない。
サッカーの米プロリーグMLSに所属し、米中西部カンザス州の
都市カンザスシティーに本拠を置くクラブ、
「スポルティング・カンザスシティー」(SKC、旧ウィザーズ)は、
来月にオープン予定の専用スタジアムの命名権(ネーミングライツ)を
活用し、収益を社会貢献に結びつける試みを始める。
自転車ロードレースのツール・ド・フランスで7回優勝し、
自らもがんを克服したことで知られるランス・アームストロング(米国)が
設立した、がん撲滅団体「ライブストロング(LS)」との提携。
通常は、スタジアム側が命名権を売却して資金を得るが、
今回の提携は異なる。
SKCが、スタジアムを「ライブストロング・スポルティングパーク」と名付け、
ロゴを使用する代わりに、LS側に6年間で最低750万ドル
(約6億1500万円)を寄付。
サッカー界では、名門バルセロナ(スペイン)がユニホームの胸に、
ユニセフ(国連児童基金)のロゴを入れるとともに支援金を送った。
それと似た内容といえる。
観客動員は増えているものの、米国ではまだマイナーなMLSで、
しかもカンザスシティーは商業圏も小さい。
命名権を買い取る有力企業が現れなかったことから、発想を転換。
観客からすれば、試合やイベントで興奮を味わい、
さらに入場料やグッズ購入することで、社会貢献したと実感できる。
SKCは、こうした体験を共有することで、地域社会の一体感が
高まることにも期待。
年間席の売り上げは好調といい、収益が上がれば寄付額も増やしていく。
スタジアム建設費の負担もあり、新たな試みが採算が取れるか
危ぶむ声もある。
SKCのロブ・ハイネマンCEO(最高経営責任者)は、
「社会貢献に取り組めることを誇りに思う。
この創造的な提携が、遺産として残ると信じている」と期待。
現場は意欲満々だ。
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/05/28/20110528dde007050070000c.html
2011年6月2日木曜日
スポーツ100年:現在・過去・未来/2 テロの影響 ポール・タグリアブ氏に聞く
(毎日 5月24日)
米国の国技とも言えるアメリカンフットボールのNFLは、
米同時多発テロの後、試合を2週間延期。
ストライキを除いて、史上初めてのこと。
未曽有の事態に直面した米スポーツ界は、何を考えて行動したのか?
89年に就任、9・11当時のコミッショナーだった
ポール・タグリアブ氏は、「スポーツ界に必要なのは3R。
Respect(尊重)、Resolute(毅然)、Resilient(立ち直る)だろう」
--9・11で延期を決めた際、「それが正しいこと」と述べていたがなぜか?
◆NFL職員もそうだったが、テロの標的となったニューヨークや
ワシントンのチームでも、肉親や親しい人が亡くなっていた。
彼らの嘆きを尊重(Respect)しなければならない。
ニューヨークは、夜になっても空には煙が立ち込め、ほこりが降っていた。
まるで戦争のような事態で、状況を把握する時間が必要。
心理的な影響は、全米にも広がっていた。
--テロの脅威があっても、リーグ再開を決断したのはなぜか?
◆ある時点で、前を向いて毅然と(Resolute)歩き始めなければならない。
どんなに困難で何度倒されても、アメフットのように立ち直る(Resilient)。
決断そのものは明快だった。
難しかったのは、反対の立場にある人からも合意を得ること。
--NFLは、ケネディ元大統領暗殺(63年)際、試合を続行して批判を浴びた。
その教訓が、9・11の際にも生かされたのか?
◆参考にはならなかった。
あの当時、ホワイトハウスに相談して続行を決めたのは知っている。
大統領の暗殺と大勢の人々が亡くなった9・11とは、状況が違う。
試合を続行すべきだとのメディアもあったが、
私は立ち止まる時間が必要だと強く感じていた。
--NFLは、今季の日程で9月11日にニューヨークとワシントンで
試合を開催することを発表。どんな意味を持っているか?
◆今年で10年になるが、テロの標的になった都市で暮らす人々が
まだ深い嘆きを持っていることを認識する必要。
とても大切なことで、正しい決断だと思う。
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/05/24/20110524ddm035050020000c.html
米国の国技とも言えるアメリカンフットボールのNFLは、
米同時多発テロの後、試合を2週間延期。
ストライキを除いて、史上初めてのこと。
未曽有の事態に直面した米スポーツ界は、何を考えて行動したのか?
89年に就任、9・11当時のコミッショナーだった
ポール・タグリアブ氏は、「スポーツ界に必要なのは3R。
Respect(尊重)、Resolute(毅然)、Resilient(立ち直る)だろう」
--9・11で延期を決めた際、「それが正しいこと」と述べていたがなぜか?
◆NFL職員もそうだったが、テロの標的となったニューヨークや
ワシントンのチームでも、肉親や親しい人が亡くなっていた。
彼らの嘆きを尊重(Respect)しなければならない。
ニューヨークは、夜になっても空には煙が立ち込め、ほこりが降っていた。
まるで戦争のような事態で、状況を把握する時間が必要。
心理的な影響は、全米にも広がっていた。
--テロの脅威があっても、リーグ再開を決断したのはなぜか?
◆ある時点で、前を向いて毅然と(Resolute)歩き始めなければならない。
どんなに困難で何度倒されても、アメフットのように立ち直る(Resilient)。
決断そのものは明快だった。
難しかったのは、反対の立場にある人からも合意を得ること。
--NFLは、ケネディ元大統領暗殺(63年)際、試合を続行して批判を浴びた。
その教訓が、9・11の際にも生かされたのか?
◆参考にはならなかった。
あの当時、ホワイトハウスに相談して続行を決めたのは知っている。
大統領の暗殺と大勢の人々が亡くなった9・11とは、状況が違う。
試合を続行すべきだとのメディアもあったが、
私は立ち止まる時間が必要だと強く感じていた。
--NFLは、今季の日程で9月11日にニューヨークとワシントンで
試合を開催することを発表。どんな意味を持っているか?
◆今年で10年になるが、テロの標的になった都市で暮らす人々が
まだ深い嘆きを持っていることを認識する必要。
とても大切なことで、正しい決断だと思う。
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/05/24/20110524ddm035050020000c.html
2011年5月31日火曜日
スポーツ100年:現在・過去・未来/2 テロの影響
(毎日 5月24日)
米同時多発テロ事件(01年9月11日)の首謀者とされる
国際テロ組織アルカイダの最高指導者、ウサマ・ビンラディン容疑者が
殺害されたことを、スポーツ界は重大な関心。
「9・11」以降、世界の目が注がれるスポーツイベントは、
テロの標的になる懸念が高まり、米国内のみならず、
五輪やサッカーのワールドカップ(W杯)などもテロ対策が重要課題。
今年は、9・11から10年。
過去の歴史や現状を追いながら、将来のあり方を考える
「スポーツ100年」の第2回は、スポーツとテロの関係を取り上げる。
幾重にも張り巡らされた金網の周辺に警察官が立ち、
軍隊も待機して警戒に当たる。
人々は、監視カメラで見張られている。
9・11以降、五輪ではスポーツの祭典に似つかわしくない厳戒態勢が
当たり前の光景に。
IOCで、78年から委員を務めるベテラン、ディック・パウンド氏(カナダ)は、
ビンラディン容疑者の殺害を受けても、
「彼のようなタイプの人物は、ほかにもいる。
脅威がなくなったとは言えない」
◇重い警備費負担
9・11後、大会警備費は大幅に増加し、開催地には重い負担。
規模の大きい夏季大会で顕著で、9・11以降、初めての開催となった
04年アテネ五輪では10億ユーロ(当時約1300億円)を費やした。
00年シドニー五輪の4倍の数字に。
08年北京五輪は、正確な数字が公表されなかったものの、
上空からの脅威に備え、迎撃ミサイルも配置されるなど、
厳戒態勢は際立った。
パウンド氏は、五輪を取り巻く状況を、「不愉快で残念なこと」と認めつつも、
「すべての人々を対象にしているのだから、やむをえない。
北京五輪は、最も念入りな警備をしていた。
観客は、脅威を決して感じることなく、安全だと思えた」
ロンドン五輪の開催地となる英国は、この10年間で、
同盟国の米国と歩調を合わせて対テロ戦争を続けてきた。
テロに対する警戒感は高い。
警備費も、一時は15億ポンド(約1980億円)に。
全体予算の圧縮を受け、約7億2000万ポンド(約952億2000万円)に
見直されたが、1日当たり9000人の警官を動員する方針。
現段階の状況を、パウンド氏は「ロンドンは、優れた監視体制と情報網がある。
何より島国なので、外から侵入しようとする脅威には対処しやすい」と評価。
欧米では、9・11後に過激な思想が広まり、
「ホームグロウン・テロ(自国内で育った者によるテロ)」が新たな脅威。
五輪とは無関係とされているが、ロンドンでもIOCが開催を決めた
翌日の05年7月7日、市内の地下鉄を狙ったテロ事件が発生、
50人以上が死亡。
この事件も、ホームグロウン・テロによるもの。
「ロンドンが恐らく直面する大きな問題は、テロリストや、
そうなる可能性がある人物がすでに社会に埋め込まれていること。
より多くの場所と疑いのある人物を警戒しなければならない」とパウンド氏。
◇「世界の縮図」
五輪は、テロ行為や暴力に屈してこなかった歴史がある。
72年ミュンヘン五輪では、アラブゲリラがイスラエル選手団を襲撃した
「黒い9月事件」が起きた。
選手ら11人を含む死者17人を出した惨劇に、大会の続行を危ぶむ声も
あったが、IOCは追悼式典を経て、当時のブランデージ会長が再開を宣言。
その決断の背景を、パウンド氏は「IOCは、ゲリラにテロ行為は
成功しなかったと示す必要があった。
テロ行為が五輪を妨害することは許さない、と。
大会を続けることが、彼らへの返事だった」
96年アトランタ五輪でも、五輪公園で爆弾テロが発生、
大会は事件を乗り越えて続けられた。
五輪が目指してきた理想を、パウンド氏は「我々は、スポーツを通じて
平和を求めてきた。
世界が困難な状況にあっても、五輪は人々を結び付けることができる。
五輪は世界の縮図であり、五輪がうまくいけば、人々は世界に
平和がもたらされるかもしれない、との希望を持つことができる」
いまだにテロの脅威は消えないが、有事にこそスポーツが
持つ発信力への期待は大きい。
◇広がる「愛国心の表現」
9・11を境にスポーツの現場、米国では「愛国心」が演出。
鮮明なのは、9・11から5カ月後の02年2月に開催された
ソルトレークシティー冬季五輪。
開会式では、9・11で標的となったニューヨークの世界貿易センタービルで
発見された星条旗が入場、米国の愛国心を高めた。
開会式に出席したブッシュ大統領(当時)は、
「誇り高く、決意にあふれ、感謝の気持ちを持つ国を代表して」と開会を宣言。
テロとの戦いへの決意を示したことが、
五輪を政治的に利用したとして批判も受けた。
米大リーグでは9・11以降、七回表終了後に愛国の歌
「ゴッド・ブレス・アメリカ」が演奏され、10年たった今も一部で続いている。
NFLスーパーボウルなどで、巨大な国旗が掲げられるのも日常的。
米ニューヨーク・タイムズ紙のベテランコラムニストの
ジョージ・ベッシーさんは、「米国民が愛国心が強いのは確かだ。
何かあれば、国旗を掲げる。
それはナショナリズムとかではなく、プライドのようなもの。
もっとも過剰との批判があるのも分かる」
その後の五輪やサッカーW杯でも、開催国の国旗が派手に振られる
光景が目立ち、スポーツを通じた愛国心の表現は、
米国以外の国々にも広がっている。
==============
◇スポーツ界とテロ事件◇
1972年 9月
ミュンヘン五輪の選手村に、「黒い9月」と名乗るアラブゲリラが侵入。
獄中のパレスチナ人の解放を目的に、イスラエル選手団を人質に、
空港へ移動後、警察などと銃撃戦を展開。
選手村で射殺された2人を含む選手ら11人、ゲリラ5人、警官1人が死亡。
86年 9月
ソウル・アジア大会の開幕前、韓国・金浦空港でゴミ箱が爆発し、
韓国人5人が死亡。
開幕を6日後に控え、海外選手が入国していた。
87年11月
大韓航空機爆破事件が発生、乗員・乗客115人が死亡。
拘束された北朝鮮の金賢姫工作員が、犯行を供述。
テロの目的は、翌年開催のソウル五輪の妨害。
96年 7月
アトランタ五輪期間中、五輪公園で爆発事件が発生。
2人が死亡、100人以上が負傷する惨事。
2001年 9月
米国でアルカイダによる同時多発テロ事件が発生。
ニューヨークの世界貿易センタービルに航空機2機が突っ込み、
約3000人が死亡。
シーズン中だったプロスポーツは一時中断、大リーグは1週間後、
NFLは2週間後に再開。
翌年2月、ソルトレークシティーで冬季五輪が開かれた。
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/05/24/20110524ddm035050017000c.html
米同時多発テロ事件(01年9月11日)の首謀者とされる
国際テロ組織アルカイダの最高指導者、ウサマ・ビンラディン容疑者が
殺害されたことを、スポーツ界は重大な関心。
「9・11」以降、世界の目が注がれるスポーツイベントは、
テロの標的になる懸念が高まり、米国内のみならず、
五輪やサッカーのワールドカップ(W杯)などもテロ対策が重要課題。
今年は、9・11から10年。
過去の歴史や現状を追いながら、将来のあり方を考える
「スポーツ100年」の第2回は、スポーツとテロの関係を取り上げる。
幾重にも張り巡らされた金網の周辺に警察官が立ち、
軍隊も待機して警戒に当たる。
人々は、監視カメラで見張られている。
9・11以降、五輪ではスポーツの祭典に似つかわしくない厳戒態勢が
当たり前の光景に。
IOCで、78年から委員を務めるベテラン、ディック・パウンド氏(カナダ)は、
ビンラディン容疑者の殺害を受けても、
「彼のようなタイプの人物は、ほかにもいる。
脅威がなくなったとは言えない」
◇重い警備費負担
9・11後、大会警備費は大幅に増加し、開催地には重い負担。
規模の大きい夏季大会で顕著で、9・11以降、初めての開催となった
04年アテネ五輪では10億ユーロ(当時約1300億円)を費やした。
00年シドニー五輪の4倍の数字に。
08年北京五輪は、正確な数字が公表されなかったものの、
上空からの脅威に備え、迎撃ミサイルも配置されるなど、
厳戒態勢は際立った。
パウンド氏は、五輪を取り巻く状況を、「不愉快で残念なこと」と認めつつも、
「すべての人々を対象にしているのだから、やむをえない。
北京五輪は、最も念入りな警備をしていた。
観客は、脅威を決して感じることなく、安全だと思えた」
ロンドン五輪の開催地となる英国は、この10年間で、
同盟国の米国と歩調を合わせて対テロ戦争を続けてきた。
テロに対する警戒感は高い。
警備費も、一時は15億ポンド(約1980億円)に。
全体予算の圧縮を受け、約7億2000万ポンド(約952億2000万円)に
見直されたが、1日当たり9000人の警官を動員する方針。
現段階の状況を、パウンド氏は「ロンドンは、優れた監視体制と情報網がある。
何より島国なので、外から侵入しようとする脅威には対処しやすい」と評価。
欧米では、9・11後に過激な思想が広まり、
「ホームグロウン・テロ(自国内で育った者によるテロ)」が新たな脅威。
五輪とは無関係とされているが、ロンドンでもIOCが開催を決めた
翌日の05年7月7日、市内の地下鉄を狙ったテロ事件が発生、
50人以上が死亡。
この事件も、ホームグロウン・テロによるもの。
「ロンドンが恐らく直面する大きな問題は、テロリストや、
そうなる可能性がある人物がすでに社会に埋め込まれていること。
より多くの場所と疑いのある人物を警戒しなければならない」とパウンド氏。
◇「世界の縮図」
五輪は、テロ行為や暴力に屈してこなかった歴史がある。
72年ミュンヘン五輪では、アラブゲリラがイスラエル選手団を襲撃した
「黒い9月事件」が起きた。
選手ら11人を含む死者17人を出した惨劇に、大会の続行を危ぶむ声も
あったが、IOCは追悼式典を経て、当時のブランデージ会長が再開を宣言。
その決断の背景を、パウンド氏は「IOCは、ゲリラにテロ行為は
成功しなかったと示す必要があった。
テロ行為が五輪を妨害することは許さない、と。
大会を続けることが、彼らへの返事だった」
96年アトランタ五輪でも、五輪公園で爆弾テロが発生、
大会は事件を乗り越えて続けられた。
五輪が目指してきた理想を、パウンド氏は「我々は、スポーツを通じて
平和を求めてきた。
世界が困難な状況にあっても、五輪は人々を結び付けることができる。
五輪は世界の縮図であり、五輪がうまくいけば、人々は世界に
平和がもたらされるかもしれない、との希望を持つことができる」
いまだにテロの脅威は消えないが、有事にこそスポーツが
持つ発信力への期待は大きい。
◇広がる「愛国心の表現」
9・11を境にスポーツの現場、米国では「愛国心」が演出。
鮮明なのは、9・11から5カ月後の02年2月に開催された
ソルトレークシティー冬季五輪。
開会式では、9・11で標的となったニューヨークの世界貿易センタービルで
発見された星条旗が入場、米国の愛国心を高めた。
開会式に出席したブッシュ大統領(当時)は、
「誇り高く、決意にあふれ、感謝の気持ちを持つ国を代表して」と開会を宣言。
テロとの戦いへの決意を示したことが、
五輪を政治的に利用したとして批判も受けた。
米大リーグでは9・11以降、七回表終了後に愛国の歌
「ゴッド・ブレス・アメリカ」が演奏され、10年たった今も一部で続いている。
NFLスーパーボウルなどで、巨大な国旗が掲げられるのも日常的。
米ニューヨーク・タイムズ紙のベテランコラムニストの
ジョージ・ベッシーさんは、「米国民が愛国心が強いのは確かだ。
何かあれば、国旗を掲げる。
それはナショナリズムとかではなく、プライドのようなもの。
もっとも過剰との批判があるのも分かる」
その後の五輪やサッカーW杯でも、開催国の国旗が派手に振られる
光景が目立ち、スポーツを通じた愛国心の表現は、
米国以外の国々にも広がっている。
==============
◇スポーツ界とテロ事件◇
1972年 9月
ミュンヘン五輪の選手村に、「黒い9月」と名乗るアラブゲリラが侵入。
獄中のパレスチナ人の解放を目的に、イスラエル選手団を人質に、
空港へ移動後、警察などと銃撃戦を展開。
選手村で射殺された2人を含む選手ら11人、ゲリラ5人、警官1人が死亡。
86年 9月
ソウル・アジア大会の開幕前、韓国・金浦空港でゴミ箱が爆発し、
韓国人5人が死亡。
開幕を6日後に控え、海外選手が入国していた。
87年11月
大韓航空機爆破事件が発生、乗員・乗客115人が死亡。
拘束された北朝鮮の金賢姫工作員が、犯行を供述。
テロの目的は、翌年開催のソウル五輪の妨害。
96年 7月
アトランタ五輪期間中、五輪公園で爆発事件が発生。
2人が死亡、100人以上が負傷する惨事。
2001年 9月
米国でアルカイダによる同時多発テロ事件が発生。
ニューヨークの世界貿易センタービルに航空機2機が突っ込み、
約3000人が死亡。
シーズン中だったプロスポーツは一時中断、大リーグは1週間後、
NFLは2週間後に再開。
翌年2月、ソルトレークシティーで冬季五輪が開かれた。
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/05/24/20110524ddm035050017000c.html
2011年5月30日月曜日
スポーツ基本法:超党派議連が国会提出へ…振興法見直し
(毎日 5月27日)
超党派の国会議員でつくる「スポーツ議員連盟」
(会長・麻生太郎元首相)は、国のスポーツ政策の根幹となる
「スポーツ基本法」の法案を了承。
基本法は、1961年制定のスポーツ振興法を全面的に見直したもの。
31日にも国会に提出、政局が動かなければ今国会で成立する見通し。
法案は一昨年に自民、公明両党が提出した法案(衆院解散で廃案)に、
民主党などが修正を加えて一本化。
文部科学省が、昨夏に策定した「スポーツ立国戦略」の内容も盛り込まれた。
法案は、前文と5章35条。
前文では、「スポーツを通じて、幸福で豊かな生活を営むことは
すべての人々の権利」と明記。
「人間関係の希薄化などの問題をかかえる地域社会の再生に寄与する」と、
地域スポーツの重要性を打ち出し、一方で、
「国際大会での活躍は国民に夢と感動を与え、社会に活力を生み出し、
国民経済の発展に広く寄与する」と、競技スポーツの価値を記した。
「地域から優れたスポーツ選手が生まれ、その選手が地域スポーツの
推進に寄与すること」を、「スポーツの発展を支える好循環」としている。
大相撲の八百長問題などを踏まえて、スポーツ団体には透明性など、
ガバナンス(組織の統治)を求め、国際競技団体への人材の派遣など、
国際的な貢献も盛り込んだ。
スポーツ行政の一元的な組織となる「スポーツ庁」の設置については、
付則で、「行政改革との整合性に配慮して検討を加え、
必要な措置を講ずる」とした。
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/news/20110528k0000m050067000c.html
超党派の国会議員でつくる「スポーツ議員連盟」
(会長・麻生太郎元首相)は、国のスポーツ政策の根幹となる
「スポーツ基本法」の法案を了承。
基本法は、1961年制定のスポーツ振興法を全面的に見直したもの。
31日にも国会に提出、政局が動かなければ今国会で成立する見通し。
法案は一昨年に自民、公明両党が提出した法案(衆院解散で廃案)に、
民主党などが修正を加えて一本化。
文部科学省が、昨夏に策定した「スポーツ立国戦略」の内容も盛り込まれた。
法案は、前文と5章35条。
前文では、「スポーツを通じて、幸福で豊かな生活を営むことは
すべての人々の権利」と明記。
「人間関係の希薄化などの問題をかかえる地域社会の再生に寄与する」と、
地域スポーツの重要性を打ち出し、一方で、
「国際大会での活躍は国民に夢と感動を与え、社会に活力を生み出し、
国民経済の発展に広く寄与する」と、競技スポーツの価値を記した。
「地域から優れたスポーツ選手が生まれ、その選手が地域スポーツの
推進に寄与すること」を、「スポーツの発展を支える好循環」としている。
大相撲の八百長問題などを踏まえて、スポーツ団体には透明性など、
ガバナンス(組織の統治)を求め、国際競技団体への人材の派遣など、
国際的な貢献も盛り込んだ。
スポーツ行政の一元的な組織となる「スポーツ庁」の設置については、
付則で、「行政改革との整合性に配慮して検討を加え、
必要な措置を講ずる」とした。
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/news/20110528k0000m050067000c.html
2011年5月28日土曜日
東日本大震災:アスリート派遣、来月から 体協復興支援、7県の小学校に
(毎日 5月11日)
日本体育協会(日体協)の張富士夫会長は、
東日本大震災の復興支援のため、被災地などの小学校に、
五輪メダリストらを派遣する
「スポーツこころのプロジェクト 笑顔の教室」を、
6月から開始すると発表。
日体協とJOC、日本サッカー協会などが協力し、
アスリートとの交流により、子どもたちの心のケアに努める。
5年間にわたって行い、今年度だけで
約460校の1200クラスに派遣する予定。
当面は、青森、岩手、宮城、福島、茨城、栃木、千葉の7県の
小学校で計画。
サッカー協会が実施しているアスリート派遣事業をベースに、
日体協が各県体育協会や教育委員会と連絡を取って希望校を募り、
JOCがアスリートの派遣を担当、元選手や現役選手ら
約200~400人に協力を呼びかける。
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/05/11/20110511ddm035040148000c.html
***
これは、素晴らしい試みです。
被災地では、スポーツをやる環境は全く整っていません。
体育館は避難所に、グラウンドは仮設住宅になっています。
空き地を見つけて、しかも各学校、各クラブで譲り合ってやっている状態。
今の中学1年生は、もしかすると一度も学校のグラウンドを使えないまま、
卒業することに。
トップアスリートが定期的に来てくれて、一緒にプレーすることで、
子供たちに夢や希望を与えてほしい。
そうすれば、スポーツだけでなく勉強も、そして将来の進路にも
大きな目標を持てるようになる。
ぜひ、このプロジェクトを進めてほしい!!
日本体育協会(日体協)の張富士夫会長は、
東日本大震災の復興支援のため、被災地などの小学校に、
五輪メダリストらを派遣する
「スポーツこころのプロジェクト 笑顔の教室」を、
6月から開始すると発表。
日体協とJOC、日本サッカー協会などが協力し、
アスリートとの交流により、子どもたちの心のケアに努める。
5年間にわたって行い、今年度だけで
約460校の1200クラスに派遣する予定。
当面は、青森、岩手、宮城、福島、茨城、栃木、千葉の7県の
小学校で計画。
サッカー協会が実施しているアスリート派遣事業をベースに、
日体協が各県体育協会や教育委員会と連絡を取って希望校を募り、
JOCがアスリートの派遣を担当、元選手や現役選手ら
約200~400人に協力を呼びかける。
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/05/11/20110511ddm035040148000c.html
***
これは、素晴らしい試みです。
被災地では、スポーツをやる環境は全く整っていません。
体育館は避難所に、グラウンドは仮設住宅になっています。
空き地を見つけて、しかも各学校、各クラブで譲り合ってやっている状態。
今の中学1年生は、もしかすると一度も学校のグラウンドを使えないまま、
卒業することに。
トップアスリートが定期的に来てくれて、一緒にプレーすることで、
子供たちに夢や希望を与えてほしい。
そうすれば、スポーツだけでなく勉強も、そして将来の進路にも
大きな目標を持てるようになる。
ぜひ、このプロジェクトを進めてほしい!!
2011年5月27日金曜日
五輪=2020年五輪招致、7月にも東京都の立候補決断へ
(ロイター 2011年 05月 26日)
日本オリンピック委員会(JOC)の中森康弘招致推進室長は、
2020年夏季五輪の開催地に、東京都が再び立候補する計画があると、
7月にも決定する見通しを示した。
中森室長は、立候補の決定について都の承認が前提とし、
7月半ばに発表する方向であることを明かした。
福島第1原発の問題など、震災の影響に対処しながら、
立候補に向けてポジティブな環境を作りたい。
石原慎太郎都知事は4月の再選後、
2020年五輪招致に前向きな姿勢を見せている。
http://jp.reuters.com/article/sportsNews/idJPJAPAN-21368420110526
日本オリンピック委員会(JOC)の中森康弘招致推進室長は、
2020年夏季五輪の開催地に、東京都が再び立候補する計画があると、
7月にも決定する見通しを示した。
中森室長は、立候補の決定について都の承認が前提とし、
7月半ばに発表する方向であることを明かした。
福島第1原発の問題など、震災の影響に対処しながら、
立候補に向けてポジティブな環境を作りたい。
石原慎太郎都知事は4月の再選後、
2020年五輪招致に前向きな姿勢を見せている。
http://jp.reuters.com/article/sportsNews/idJPJAPAN-21368420110526
2011年5月24日火曜日
王さん、エール温かく 釜石、陸前高田で少年指導
(岩手日報 5月23日)
王さんがやってきた―。
プロ野球・ソフトバンク球団会長の王貞治さん(71)は、
東日本大震災で大きな被害を受けた釜石市と陸前高田市を訪れ、
地元の野球少年と交流。
「一日も早く震災前の姿に戻れるよう願っている」。
世界のホームラン王の温かい励ましが、被災者に元気を与えた。
釜石市は、避難所にもなっている釜石中など4カ所、
陸前高田市は、小友小を訪問。
釜石中では、野球部の45人にバッティングを教えた。
部員たちの素振りに、「しっかり振れているね」、「力強い」と
笑顔で拍手し、分かりやすく助言。
王さんは、「犠牲になった人たちは、君たちが毎日元気に生きることを
望んでいるはずだ。勉強にスポーツに頑張ってほしい」とエール。
津波で自宅を失った猪又敬大君(3年)は、
「世界の王さんに会えてうれしかった。
教えを生かし、中総体で優勝したい」と気合を入れた。
周囲で見守った避難住民も感激。
加藤昭さん(64)は、「オーラが伝わってきた。かなり元気が出た」
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110523_1
王さんがやってきた―。
プロ野球・ソフトバンク球団会長の王貞治さん(71)は、
東日本大震災で大きな被害を受けた釜石市と陸前高田市を訪れ、
地元の野球少年と交流。
「一日も早く震災前の姿に戻れるよう願っている」。
世界のホームラン王の温かい励ましが、被災者に元気を与えた。
釜石市は、避難所にもなっている釜石中など4カ所、
陸前高田市は、小友小を訪問。
釜石中では、野球部の45人にバッティングを教えた。
部員たちの素振りに、「しっかり振れているね」、「力強い」と
笑顔で拍手し、分かりやすく助言。
王さんは、「犠牲になった人たちは、君たちが毎日元気に生きることを
望んでいるはずだ。勉強にスポーツに頑張ってほしい」とエール。
津波で自宅を失った猪又敬大君(3年)は、
「世界の王さんに会えてうれしかった。
教えを生かし、中総体で優勝したい」と気合を入れた。
周囲で見守った避難住民も感激。
加藤昭さん(64)は、「オーラが伝わってきた。かなり元気が出た」
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110523_1
2011年5月20日金曜日
「国体の縮小開催探れ」 県説明で市町村の要望相次ぐ
(岩手日報 5月18日)
2016年岩手国体開催に関する県の市町村説明、
「開催は困難」とする県方針に対し、市町村側からは、
「縮小開催の可能性も探るべきだ」との声が多く出た。
県は、関係団体と協議しながら、施設改修の見直しなどを軸に、
どの程度の縮小開催が可能かを試算する構え。
今後、首長から意見を聞くことも検討。
県は9日から全市町村で説明し、
宮古、岩泉、紫波、洋野の4市町を訪問。
全体で118億円に上る開催費用や人員体制などを示し、
「被災者の生活再建優先だ」と理解を求めた。
多くの市町村は、教育長や担当職員が対応。
縮小開催の可能性も探るべきだとの反応が、見送り容認論を上回った。
「首長に伝える」など、聞くにとどめる自治体も多く、
当初計画通りの開催を求める声はなかった。
紫波町の川村秀彦教育長は、「人や予算がないから『開催しない』と
決めるのではなく、開催に向け工夫してほしい」と要請。
ヨット競技を開催予定だった宮古市は、
首長が意見交換する場も必要だと注文。
佐々木敏夫教育長は、会談後「施設が被災し、当初計画通りでは
無理だと感じる」と説明に一部理解を示した。
岩泉町の三上潤教育長は、判断するため検討材料を示すよう
求めた上で、「開催に踏み切るのであれば、町としては対応できる」
洋野町の日当博治副町長は、
「現状では、被災地でやるべきだとは言えない。
復興状況を見極めたい」
県は、今回の反応も踏まえ、
▽スタンド増設など施設改修の見直し、
▽参加者数の削減、
▽開・閉会式の簡素化、
▽競技数の縮減-
などを軸に日本体育協会などと協議、シミュレーションする方針。
県国体推進課の西村豊総括課長は、
「復興の励みになるとの声も多かった。
(開催の可否などを)具体的に検討してもらえるよう、
どの部分でどの程度縮小できるか探る」
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110518_7
***
5年後の国体に向けて進めるべき。
5年たっても、イベントが開けないというのでは、はっきり言って情けない。
岩手県が5年でここまで復興したのだという姿を全国に、全世界に示すためにも、
子供たちがスポーツをする夢や目標を持たせるためにも、
ぜひ国体は開催してほしい。
ちなみに、2019年はラグビーのワールドカップが日本で開催されます。
その時に、ラグビーの街・釜石はどうするのでしょうか?
試合会場やキャンプ地として立候補するのでは?
そのためにも、2016年の国体を開くことは世界にも注目されることになります。
叡智を集めて、多くのサポートをいただいて、開催してほしいです!
2016年岩手国体開催に関する県の市町村説明、
「開催は困難」とする県方針に対し、市町村側からは、
「縮小開催の可能性も探るべきだ」との声が多く出た。
県は、関係団体と協議しながら、施設改修の見直しなどを軸に、
どの程度の縮小開催が可能かを試算する構え。
今後、首長から意見を聞くことも検討。
県は9日から全市町村で説明し、
宮古、岩泉、紫波、洋野の4市町を訪問。
全体で118億円に上る開催費用や人員体制などを示し、
「被災者の生活再建優先だ」と理解を求めた。
多くの市町村は、教育長や担当職員が対応。
縮小開催の可能性も探るべきだとの反応が、見送り容認論を上回った。
「首長に伝える」など、聞くにとどめる自治体も多く、
当初計画通りの開催を求める声はなかった。
紫波町の川村秀彦教育長は、「人や予算がないから『開催しない』と
決めるのではなく、開催に向け工夫してほしい」と要請。
ヨット競技を開催予定だった宮古市は、
首長が意見交換する場も必要だと注文。
佐々木敏夫教育長は、会談後「施設が被災し、当初計画通りでは
無理だと感じる」と説明に一部理解を示した。
岩泉町の三上潤教育長は、判断するため検討材料を示すよう
求めた上で、「開催に踏み切るのであれば、町としては対応できる」
洋野町の日当博治副町長は、
「現状では、被災地でやるべきだとは言えない。
復興状況を見極めたい」
県は、今回の反応も踏まえ、
▽スタンド増設など施設改修の見直し、
▽参加者数の削減、
▽開・閉会式の簡素化、
▽競技数の縮減-
などを軸に日本体育協会などと協議、シミュレーションする方針。
県国体推進課の西村豊総括課長は、
「復興の励みになるとの声も多かった。
(開催の可否などを)具体的に検討してもらえるよう、
どの部分でどの程度縮小できるか探る」
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110518_7
***
5年後の国体に向けて進めるべき。
5年たっても、イベントが開けないというのでは、はっきり言って情けない。
岩手県が5年でここまで復興したのだという姿を全国に、全世界に示すためにも、
子供たちがスポーツをする夢や目標を持たせるためにも、
ぜひ国体は開催してほしい。
ちなみに、2019年はラグビーのワールドカップが日本で開催されます。
その時に、ラグビーの街・釜石はどうするのでしょうか?
試合会場やキャンプ地として立候補するのでは?
そのためにも、2016年の国体を開くことは世界にも注目されることになります。
叡智を集めて、多くのサポートをいただいて、開催してほしいです!
2011年5月17日火曜日
SW支援へ「スクラム」 新日鉄釜石OBら結成
(岩手日報 5月5日)
東日本大震災で大きな被害を受けた釜石市を本拠地とする
社会人ラグビーの釜石シーウェイブスRFCを支援する組織
「スクラム釜石」が4日、発足。
チームの前身、新日鉄釜石のOBらが結束。
サポーター会員の拡大を図り、シーウェイブスの支援を通じて、
被災地の復興を後押し。
設立記者会見は、東京・丸の内で開かれた。
ともに元日本代表で、スタンドオフとして活躍した
松尾雄治さん(57)がキャプテンに、
プロップとしてチームを支えた石山次郎さん(53)が代表に就任。
松尾さんは、「日本選手権7連覇を達成できたのは、
皆さんの心からの応援があったから。
今後も、チームと街の人が良い関係を保っていけるよう支援する」
石山さんは、「チームが勝てば、釜石が活気づき、
それが岩手や東北全体の元気につながるだろう。
側面から継続して支援していく」
「スクラム釜石」は、OBやラグビーファン約20人で発足。
チームの運営資金不足が見込まれるため、
1万人のサポーター会員登録を目標に掲げ、
首都圏の試合会場などで活動を展開。
ラグビー教室など、普及活動にも協力する。
シーウェイブスの高橋善幸ゼネラルマネジャーは、
「新日鉄釜石時代から、継続してチームを応援している人が多いので、
スクラム釜石の活動は心強い」と感謝。
「スクラム釜石」の問い合わせは、
事務局の電子メール(scrumkamaishi@gmail.com)へ。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110505_2
東日本大震災で大きな被害を受けた釜石市を本拠地とする
社会人ラグビーの釜石シーウェイブスRFCを支援する組織
「スクラム釜石」が4日、発足。
チームの前身、新日鉄釜石のOBらが結束。
サポーター会員の拡大を図り、シーウェイブスの支援を通じて、
被災地の復興を後押し。
設立記者会見は、東京・丸の内で開かれた。
ともに元日本代表で、スタンドオフとして活躍した
松尾雄治さん(57)がキャプテンに、
プロップとしてチームを支えた石山次郎さん(53)が代表に就任。
松尾さんは、「日本選手権7連覇を達成できたのは、
皆さんの心からの応援があったから。
今後も、チームと街の人が良い関係を保っていけるよう支援する」
石山さんは、「チームが勝てば、釜石が活気づき、
それが岩手や東北全体の元気につながるだろう。
側面から継続して支援していく」
「スクラム釜石」は、OBやラグビーファン約20人で発足。
チームの運営資金不足が見込まれるため、
1万人のサポーター会員登録を目標に掲げ、
首都圏の試合会場などで活動を展開。
ラグビー教室など、普及活動にも協力する。
シーウェイブスの高橋善幸ゼネラルマネジャーは、
「新日鉄釜石時代から、継続してチームを応援している人が多いので、
スクラム釜石の活動は心強い」と感謝。
「スクラム釜石」の問い合わせは、
事務局の電子メール(scrumkamaishi@gmail.com)へ。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110505_2
国体の「縮小」試算へ 県説明会で市町村は開催に賛否
(岩手日報 5月10日)
県は、2016年の岩手国体を「開催困難」とした方針について、
市町村に対する説明を開始。
開催に多くの人員や多額の経費が掛かる現実を訴える県側に、
自治体からは、「早期復興が第一」と理解を示す声がある一方、
「規模縮小も模索すべきだ」と開催を望む意見も。
県は、縮小開催した場合のシミュレーションも行う方針を明らかにし、
「時間をかけて協議をする」との考え。
県国体推進課の西村豊総括課長らが盛岡、北上、一関、平泉の
4市町を訪問。
開催した場合、前年から100人を超える人員が必要で、
施設整備費と運営費で、約118億円の県負担が見込まれる。
自治体別の経費も示し、盛岡、北上両市は、
県内最多の22億円が必要との見通し。
これに対し、受け止めはさまざまだ。
一関市の千葉一夫体育課長は、
「市として沿岸の後方支援に力を入れており、早期復興が第一。
開催するなら、復興後にきちんとした形で開くべきだ」と県方針に賛同。
正式競技のない平泉町の斎藤清寿教育次長も、
「方針に反対する立場にない。県の内情は分かった」と理解。
主会場地となっている北上市の高橋守教育次長らは、
市長の開催への強い意向を伝え、「工夫は必要だろうが、
開催に向けて頑張ってほしい。
知事と首長の意見交換の場も持ってほしい」と要望。
盛岡市の千葉仁一教育長は、
「今回の説明は、正規の規模で開催する場合の例だ。
規模縮小や施設基準の見直しなど、さまざまな方法を模索してほしい」
と再考を求めた。
終了後、西村総括課長は、「さまざまな意見があるのは理解した。
自治体側の要請に沿って、規模を縮小した場合などを想定した
シミュレーションも行いたい」
「莫大な復興予算が必要という事情は理解してほしい。
時間をかけて丁寧に説明する」
県は、17日まで全市町村で方針を説明。
競技団体の意向も聞きながら、対応を検討する。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110510_1
県は、2016年の岩手国体を「開催困難」とした方針について、
市町村に対する説明を開始。
開催に多くの人員や多額の経費が掛かる現実を訴える県側に、
自治体からは、「早期復興が第一」と理解を示す声がある一方、
「規模縮小も模索すべきだ」と開催を望む意見も。
県は、縮小開催した場合のシミュレーションも行う方針を明らかにし、
「時間をかけて協議をする」との考え。
県国体推進課の西村豊総括課長らが盛岡、北上、一関、平泉の
4市町を訪問。
開催した場合、前年から100人を超える人員が必要で、
施設整備費と運営費で、約118億円の県負担が見込まれる。
自治体別の経費も示し、盛岡、北上両市は、
県内最多の22億円が必要との見通し。
これに対し、受け止めはさまざまだ。
一関市の千葉一夫体育課長は、
「市として沿岸の後方支援に力を入れており、早期復興が第一。
開催するなら、復興後にきちんとした形で開くべきだ」と県方針に賛同。
正式競技のない平泉町の斎藤清寿教育次長も、
「方針に反対する立場にない。県の内情は分かった」と理解。
主会場地となっている北上市の高橋守教育次長らは、
市長の開催への強い意向を伝え、「工夫は必要だろうが、
開催に向けて頑張ってほしい。
知事と首長の意見交換の場も持ってほしい」と要望。
盛岡市の千葉仁一教育長は、
「今回の説明は、正規の規模で開催する場合の例だ。
規模縮小や施設基準の見直しなど、さまざまな方法を模索してほしい」
と再考を求めた。
終了後、西村総括課長は、「さまざまな意見があるのは理解した。
自治体側の要請に沿って、規模を縮小した場合などを想定した
シミュレーションも行いたい」
「莫大な復興予算が必要という事情は理解してほしい。
時間をかけて丁寧に説明する」
県は、17日まで全市町村で方針を説明。
競技団体の意向も聞きながら、対応を検討する。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110510_1
2011年5月16日月曜日
釜石SWが本格始動 「ラグビーで元気を」
(岩手日報 5月4日)
社会人ラグビーの釜石シーウェイブスRFCは3日、
釜石市松倉グラウンドで、5日までのミニ合宿に入り、本格始動。
東日本大震災で、大きな被害を受けた同市。
チームは犠牲者こそいなかったが、自宅を流されたり、
職場が被災した選手がいる。
何よりクラブを支えてくれた多くの市民が、
悲しみと絶望のふちに追いやられた。
今こそラグビーで元気を。
「北の鉄人」の決意のシーズンが幕を開けた。
松倉に、ラグビーが戻ってきた。
鮮やかな緑の芝を大男たちが駆ける。
久々の楕円球の感触に、笑みがこぼれる。
駆けつけたサポーターは、大漁旗を力いっぱい振って鼓舞。
初日から午前、午後の2部練習でみっちりと汗を流した。
フッカー小野寺政人選手(27)は、
「(久々の練習で)足がついていかなかった」と苦笑い。
2月に入居したアパートが流されたが、
「もっとつらい境遇の人がたくさんいる。
震災を言い訳にせず、結果を出す」
大槌町出身のロック三浦健博選手(34)は、
「決して諦めず、最後までボールを追いかける、
そんなプレーで見る人を勇気づけたい」と誓った。
冬場の体力づくりを進めていたチームは、震災で活動を中断。
ボランティアで救援物資の積み降ろしをしたり、
子どもたちとタグラグビーをしたりと、
自分たちにできることをやってきた。
市内は、震災の爪痕が色濃く残る。
高橋善幸ゼネラルマネジャー(46)は、再開すべきか悩んだが、
「ラグビーを通じ、釜石に元気と勇気と希望を与えるのが
使命だと思った」と力を込める。
年間約7千万円で運営してきたチームは、
スポンサーの被災で、2千万~3千万円減収する見通し。
前身の新日鉄釜石が、日本選手権7連覇を果たすなど、
ラグビー史にその名を刻む釜石。
感動を与えられてきた全国のファンは放っておかなかった。
義援金が、既に800万円以上寄せられ、
新日鉄釜石OBが首都圏でサポーター拡大に取り組む動きも。
複数の強豪から、「釜石に出向いて試合をしたい」と、
強化面でもありがたい申し出が相次いだ。
サポーターも、今まで以上の熱い声援で支える覚悟だ。
同市の歯科医福成和幸さん(64)は、
「前へ前へと進むプレーで、市民に元気を与えてほしい」
2001年4月のクラブ化から丸10年。
新たな物語のホイッスルは鳴った。
地域と歩んできたラガーマンたちは、被災者の思いを胸に刻み、
悲願のトップリーグ昇格へトライする。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110504_1
***
スポーツは、街や社会を明るくさせ、活気を与えてくれます。
今こそ、地域に支えられてきた恩を返すべき。
スポーツは、多くの人に支えられて存在するもの。
私も、釜石SWのサポーターとして、今シーズンの活躍を期待します!!
社会人ラグビーの釜石シーウェイブスRFCは3日、
釜石市松倉グラウンドで、5日までのミニ合宿に入り、本格始動。
東日本大震災で、大きな被害を受けた同市。
チームは犠牲者こそいなかったが、自宅を流されたり、
職場が被災した選手がいる。
何よりクラブを支えてくれた多くの市民が、
悲しみと絶望のふちに追いやられた。
今こそラグビーで元気を。
「北の鉄人」の決意のシーズンが幕を開けた。
松倉に、ラグビーが戻ってきた。
鮮やかな緑の芝を大男たちが駆ける。
久々の楕円球の感触に、笑みがこぼれる。
駆けつけたサポーターは、大漁旗を力いっぱい振って鼓舞。
初日から午前、午後の2部練習でみっちりと汗を流した。
フッカー小野寺政人選手(27)は、
「(久々の練習で)足がついていかなかった」と苦笑い。
2月に入居したアパートが流されたが、
「もっとつらい境遇の人がたくさんいる。
震災を言い訳にせず、結果を出す」
大槌町出身のロック三浦健博選手(34)は、
「決して諦めず、最後までボールを追いかける、
そんなプレーで見る人を勇気づけたい」と誓った。
冬場の体力づくりを進めていたチームは、震災で活動を中断。
ボランティアで救援物資の積み降ろしをしたり、
子どもたちとタグラグビーをしたりと、
自分たちにできることをやってきた。
市内は、震災の爪痕が色濃く残る。
高橋善幸ゼネラルマネジャー(46)は、再開すべきか悩んだが、
「ラグビーを通じ、釜石に元気と勇気と希望を与えるのが
使命だと思った」と力を込める。
年間約7千万円で運営してきたチームは、
スポンサーの被災で、2千万~3千万円減収する見通し。
前身の新日鉄釜石が、日本選手権7連覇を果たすなど、
ラグビー史にその名を刻む釜石。
感動を与えられてきた全国のファンは放っておかなかった。
義援金が、既に800万円以上寄せられ、
新日鉄釜石OBが首都圏でサポーター拡大に取り組む動きも。
複数の強豪から、「釜石に出向いて試合をしたい」と、
強化面でもありがたい申し出が相次いだ。
サポーターも、今まで以上の熱い声援で支える覚悟だ。
同市の歯科医福成和幸さん(64)は、
「前へ前へと進むプレーで、市民に元気を与えてほしい」
2001年4月のクラブ化から丸10年。
新たな物語のホイッスルは鳴った。
地域と歩んできたラガーマンたちは、被災者の思いを胸に刻み、
悲願のトップリーグ昇格へトライする。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110504_1
***
スポーツは、街や社会を明るくさせ、活気を与えてくれます。
今こそ、地域に支えられてきた恩を返すべき。
スポーツは、多くの人に支えられて存在するもの。
私も、釜石SWのサポーターとして、今シーズンの活躍を期待します!!
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