2009年4月5日日曜日

スポーツ21世紀:新しい波/297 市民マラソン熱/5

(毎日 3月28日)

宮崎市中心部にある1932(昭和7)年建築の宮崎県庁庁舎。
東国原英夫知事の就任以降、30万人を超える観光客が訪れた
新名所の前を昨年12月、7000人の市民ランナーが駆け抜けた。

第22回を数える国際青島太平洋マラソン。
従来は、海岸近くを走る大会だったが、
この年から中心市街地を巡るコースに変更。

大会は、87年に観光団体などで作る実行委員会が
最長20キロのコースで始めた。89年、フルマラソンを新設。
06年、コースの一部を海岸沿いに変えたが、
実行委事務局の中武悌晴さんは、
「県民のお祭りみたいな大会にしたい」と物足りなさを感じていた。

その後、大会の有りように大きな影響を与えたのが、
07年に始まった東京マラソン。
まずのろしを上げたのは、自身もランナーの東国原知事。
銀座、浅草を走る東京マラソンをモデルに、
県庁前、宮崎神宮を巡るコース変更を提案。
市内一の目抜き通りを通行止めにするため、市民の合意が欠かせなかった。

意見を募ったところ賛成が半数を超えたが、
「交通規制をしてまで開く必要はあるのか」などの反対も根強かった。
不安を抱えての本番だったが、当日は県庁前を走るフルのほか、
ハーフ、10キロなどを加えて史上最多の1万1000人が出場、
沿道は主催者発表で約10万人の観客であふれた。

中武さんは、「従来は宮崎市民でさえ、大会を見たことのない人が
ほとんどだったが、広く協力や支援をもらえる大会になった。
歩行者が横断できる個所を増やすなど、課題はある」と
さらに改善に努める。

東京マラソンの成功は、地域経済の活性化などの思惑も込め、
各地の大会に影響を与えている。
08年に新設された、とくしまマラソン(徳島市)、下関海響マラソン(下関市)
は、ともに中心市街地を発着点に名所を巡るルート。

月刊誌「ランナーズ」の高瀬晋治副編集長は、
中心市街地へのコース誘導は、市民に不便を強いることになる半面、
大勢の人の目に触れやすくなる特性もある。
ボランティアや沿道のパフォーマンスを含め、どれだけ多くの市民層を
大会に取り込むかが、今後の運営に欠かせない視点」

http://mainichi.jp/enta/sports/21century/

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