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2007年12月29日土曜日

<漢字林>稽 書経に始まる『稽古』 阿辻 哲次

(東京新聞 2007年12月26日)

一昔前のお稽古ごとといえば、書道やお茶・お花、ピアノ、料理などが
中心だったが、最近はずいぶんバラエティーにとんでいて、
知り合いの女性の中にはフラダンスやヨガ、
セクシーなベリーダンスにはまっている初老の女性も。
お稽古ごとも、時代とともに大きくさまがわりしつつある。

「稽古」ということばは、成立が非常に古く、
出典は儒学の経典、「四書五経」の一つに数えられる『書経』にある。
『書経』とは、古代中国のすぐれた帝王たちが重要な機会ごとに
発言したことばや行動を記録した書物で、
そこには聖人の教えが数多く記録されているとされるが、
この書物の出だしに、「曰若(えつじゃく)稽古」という四文字があって、
伝統的な解釈では、
「曰(ここ)に若(したが)いて古(いにし)えを稽(かんが)えるに」と訓読。
おそらく昔の物語を語る時の出だしの文句、
「今はむかし」に当たる表現だと考えられるが、
これがほかでもなく現在の日本語で使われる「稽古」の出典。
「稽」には、「考える」という意味があり、
だから「稽古」とは、古代の書物を読んで、
そこから聖人の教えなどを学びとることを意味することば。

しかし現実には、人はなにかの利益が手に入らなければ
なかなか「稽古」をしない。
現代の日本だけでなく、昔の中国でも同様。
神聖な教えを学ぶ儒学の世界でも、学問に向かう動機として
現実的な利益の追求があるのは珍しくなかった。
後漢の儒学者であった桓栄は、
皇太子の家庭教師に任命時、自分の学生たちを呼び集め、
皇帝から頂戴したたくさんの車や馬などを並べて、
「わしが陛下からいただいたさまざまなものは、
すべて『稽古』のおかげ。
だからお前たちもしっかり勉強するように」と訓示。
「稽古」とご褒美は、昔から不即不離の関係に。
お稽古ごととして学ぶ勉強も、それが長続きするかどうかは、
ひとえにゲットできるご褒美の大きさしだいなのかもしれない。

2007年12月28日金曜日

<漢字林>孟 三遷の故事で知られ 阿辻 哲次

(東京新聞 2007年12月19日)

いまではほとんど使われないことばになったが、
正月のことをまた「孟春」ともいう。
この場合の「」は、「はじめ」という意味であり、
二月を「仲春」、三月を「季春」という(「季」は「すえ」の意)。
「孟春」とか「孟夏」に使われる「孟」という漢字を見て、
まず思いつくのは儒学の聖人とされる孟子。

書物としての『孟子』を読んだことがない人でも、
「孟母三遷」の故事は耳にしたことはあるだろう。

知人が引っ越しをして、住所の案内をくれた。
新居は某有名大学の近くなので、子供が勉強するのにいい環境であると
家内がよろこんでいる、と書かれているのを見て、
「孟母三遷」の現代版かと苦笑。
「教育ママ」ということばが使われるようになったのは、
いったいいつごろからなのだろう。
少なくとも私が高校生だった昭和四十年代前半には、
まだそんなことばはなかったような気がする
(私が知らないだけかもしれないが)。
教育ママの元祖は、孟子のお母さん。
孟子の一家は、はじめ墓地のそばに住んでいた。
墓地では頻繁に葬式がおこなわれるので、
孟子少年は葬式のまねばかりして遊んでいた。
それを困ったことだと考えた孟子のお母さんは、
次に市場のそばに引っ越した。
すると、孟子は商人のまねをして遊びはじめた。
商人のまねをしていったいどこが悪いのかと思うが、
孟子のお母さんにとっては、それはやはり困ったことだったらしい。
今度は学校のそばに転居した。

すると、孟子は「学校ごっこ」をしはじめたので、
孟子の母はたいへん喜んだという。
当時の学校では、国語や算数のような教科を教えていたわけではなく、
実際にはさまざまな儀式のやりかたを教えるところだったので、
孟子はお祭りに使う道具(らしきもの)を並べ、
見よう見まねでお祭りや宴会の時の作法をまねて遊んでいた。
孟子の母はそれで満足したようだが、
現代の教育ママはそんな状況に満足せず、
きっとまた別のところに引っ越しを考えたにちがいない。

2007年11月11日日曜日

聖路加国際病院理事長・日野原重明さん 今、平和を語る

(毎日新聞 2007年10月29日)

聖路加国際病院理事長の日野原重明さん(96)が、
75歳以上をシニア会員とする「新老人の会」を設立して7年。
活動の大きな柱に、
「将来の日本を担う子どもたちに平和のメッセージを伝える」。

--小学生に平和のメッセージを伝える意義を。

日野原 僕たち大人は、世界の平和を実現できなかった。
戦争を体験した「新老人」は、想像を絶する苦しみや悲しみを味わいながら、
地上から戦争をなくせないできた。
子どもたちに託すしかないではありませんか。
75歳以上の戦争体験者が将来の日本をつくる子どもたちに、
戦争の悲惨さと人間のいのちの大切さを直接語りかける、
これは大変有意義なことです。

--日野原さんご自身も多忙なスケジュールの合間を縫って、
全国各地の小学校に出前授業に行かれています。

日野原 「新老人」の使命ですから。
訪問した小学校の校歌を歌いながら登場し、教壇に足を上げてみせる。
子どもたちは僕の年齢を知っていますから、それは驚きますよ。
何歳まで生きたいですかと聞くと、100歳とか120歳と答える子。
僕を見てのことですね。

そこで、いのちについて考える。

いのちは、人間に与えられた時間だから、とてもかけがえのないもので、
どのように使うかが大切だと話します。
どのようないのちも粗末にしてはいけない、奪ってはいけないと伝えるのです。
一度に大勢のいのちを奪うのが、戦争です。
戦争だけは絶対にやってはいけない、反対しなければいけないと語りかけると、
しっかりとうなずいてくれます。心強い。
手紙をたくさんもらいますが、僕をモデルにしてくれるのはうれしいですね。

--いのちについての考え方は、
よど号ハイジャック事件(1970年3月)に遭遇した経験によるとか。

日野原 58歳のとき。福岡での内科学会に向かう途中にハイジャックされ、
韓国の金浦空港で3晩過ごしたのですが、
相手は武装しているのだから、さからってはダメだと思いました。
生き延びることができてから、与えられたいのちだと考えるようになり、
このいのちを人のために使おうと心に決めました。

--徹底した非暴力主義を通されています。

日野原 子どもたちには、こう話しています。
けんかをして殴られたら、仕返しをしたくなるだろうが、応戦しないでほしい。
恨みが恨みを呼んで、報復がいつまでも続く、これが大人の戦争です。
恨みの悲劇的な連鎖を断ち切るには、「恕(ゆる)しの心」しかありません。
平和の実現には、犠牲がつきものです。
相手を恕す勇気と暴力や武器を放棄しても、
負けない精神力とをあわせもって、初めて平和は実現するのでは。

インドにガンジー、アメリカにキング牧師という非暴力主義者のモデルがいます。
暗殺されましたが、2人の魂は生き残って世界に大きな影響を与えています。
犠牲を覚悟のうえで平和行動を起こせば、必ず地上に平和は訪れる。
僕は日本の子どもたちに期待しているのです。

--日本の憲法については、どうみていますか。

日野原 世界中でこれほど先進的な憲法はないでしょう。
犠牲を強いられても、この憲法を永続させていかなくてはならない。
今の世の中の動きは、「いつか来た道」を感じさせてやまない。
日本は、積極的に他国に攻め入らないでしょうが、
米軍と一緒に戦う道を選ぶ可能性はありますね。とんでもないことですよ。
日本から米軍基地を撤去してほしい、
そのための費用がなければ、税金を上げてもいい。

--自衛隊については。

日野原 自衛のための軍隊も持つべきではない。
戦争は、決まって自衛のためだと言って起こる。
何かを契機に拡大路線に走るのは歴史が証明している。
軍力で相手を封じ込めても、そこには軋轢が生まれるだけで、
真の平和にはつながりません。
自衛隊は、国内外での災害や事故の救助隊に徹すればいい。

若者たちも、徴兵制の代わりに、海外ボランティアを義務づけては。
発展途上国の現実をみて、苦労して帰国したら、とても素晴らしい。
これは勇気ある実験です。
こうした行動を世界に先駆けて行う国を攻撃したらどうなるか、
そんなことはできないという世界の世論をつくるべきです。

--医学的な見地から。

日野原 最高の公衆衛生は、というと、戦争がない状態におくこと。
予防医学で必要なのは、水や空気をきれいにする前に戦争をしなければいい。
戦争難民が出ないし、ベトナム戦争の枯れ葉剤のような被害もない。
いま地上から戦争がなくなれば、公衆衛生が達成される。

--2005年に広島で、指揮者の小沢征爾さんと平和コンサートを開きました。
広島への思いは強いですね。

日野原 牧師だった父親が広島女学院の院長をしていました。
原爆で町が焼き尽くされ、352人の生徒らが犠牲になったことを、
父は深く悲しんでいました。
父の怒りと悲しみを見てきて、広島で平和イベントをしたいと考えていた。
今までのような原爆反対や核兵器反対の運動ではなく、
愛のメッセージと音楽でいのちの尊厳を訴える企画に。

子どもたちを通して、世界に平和を発信する
世界へおくる平和のメッセージ」に力を入れたものです。
4年後の2011年秋に、再びやることに決まりました。
そのとき僕は100歳です。

……………………………………………………………………………
■人物略歴

1911年山口県生まれ。京都帝大医学部を卒業後、
41年に聖路加国際病院の内科医となり内科医長、院長を歴任。
05年に文化勲章を受章。今春から日本ユニセフ協会大使に就任。
ベストセラー「生きかた上手」(ユーリーグ)、
「私が人生の旅で学んだこと」(集英社文庫)、
「十歳のきみへ--九十五歳のわたしから」(冨山房インターナショナル)など。

http://www.m3.com/news/news.jsp?sourceType=GENERAL&categoryId=&articleId=59514

2007年7月21日土曜日

Opening!

一時中断していたブログを、また再開します。
googleのを使うのは初めてですが、楽しんでやりたいですね!!

今回は、「ことば」に着目してみたいと思います。
日本語だけじゃなく、
外国のことばでも意味深いことばがたくさんあるので、
気がついたことをつらつら書いていきたいですね。


うちの父がよく言うことばにこういうのがありました。

「万機公論に決すべし」

最初は何のこっちゃ分かりませんでしたが、
調べてみたら・・・

な、な、な、なんと、

「五箇条の御誓文」にある!!!

しかも、第一文に載ってるではないですか!!!!!

いや~これには驚きました。
いまさら驚いて遅いかもしれませんが、
とにかく驚きです。

ちょうど来週は、参議院の投票日です。
広くみんなの意見を聞くということは、何か事を成す時には必要なこと。
民主主義の原点でもあります。
それを明治維新のときに、一番最初に宣誓していたとは。

いまの政府は、この「万機公論に決すべし」という態度で
政治をつかさどっているのでしょうかね??