(読売 3月26日)
1995年1月17日に起きた阪神大震災では、
多くの学校が避難所となった。
教育現場は、その運営に追われながら、学校再開に備えた。
子どもの心のケアも課題となった。
生徒714人のうち、2人が死亡、6割が自宅外へ避難した
神戸市立鷹取中学校もその一つ。
避難所の被災者は、震災直後に約2500人に上り、市内最大規模。
「水も電気もガスもない中で、少ない食料は奪い合いとなり、
暴動すら起きかねない状況。
教員は、声をからして対応にあたった」。
同中の教務主任として、避難所運営の責任者を務めた
中溝茂雄・市立長田中学校長(53)。
落ち着きを取り戻したのは、震災3日目。
電力会社の発電車によって、電気が通じてからだ。
被災者を班に分け、班長を決めて名簿を作成。
班ごとに、支援物資の配給が行えるようになった。
2月1日、近くの水族館の食堂を借りて授業を再開。
学年によって、半日や隔日の変則授業。
各学校では、余震におびえたり、不眠を訴えたりする
子どもの心の傷が心配。
鷹取中では、生徒にボランティア活動への参加を呼びかけた。
中溝校長は、「震災直後は、みんな同じ気持ち。
生徒にもどんどん手伝わせ、生きる目的を持たせたほうがいい」
2月6日付の同中の「ボランティアだより」には、生徒70人が名を連ねた。
1年女子は、「全国から救援物資や気持ちが集まっている。
私たちも頑張らなければ」と。
時間がたつにつれ、長期間の仮設住宅暮らしや親の失業などで、
子どもたちが二次的な心の不安を招く恐れもある。
こうした事態に対応するため、兵庫県教育委員会は95年4月、
心のケアに当たる「教育復興担当教員(復興担)」を、
小中学校128校に配置。
翌年、人員を倍増させた。
心の健康について、教育的配慮が必要とされた児童生徒は
3000~4000人に。
神戸市立本庄小学校で復興担を務めた
村岡弘朗・市立霞ヶ丘小学校長(57)は、被災した児童生徒には、
震災前の生活を取り戻させる<日常性の回復>が必要としたうえで、
「子どもたちにどう寄り添い、受け止めてやるか。
思いを聞いてやることが大切」
復興担(後に「心のケア担当教員」と改称)は、
2009年度末までの15年間で延べ約1700人が活動。
この経験は、災害時の教育復興支援を目的に、県教委が00年設立した
「震災・学校支援チーム」(EARTH、147人)に引き継がれた。
東日本巨大地震の直後、チームの先遣隊として宮城県に入った
圓田元彦・兵庫県教委指導主事(45)は、
「子どもが学校に行くことによって、気持ちに変化が表れ、心のケアになる。
まずは学校再開に全力を挙げてほしい。早ければ早いほどいい」
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110326-OYT8T00179.htm
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