2008年7月1日火曜日

[第2部・ブラジル](上)サッカー王国 「金」への悲願

(読売 6月19日)

5月初めのリオデジャネイロは雨続き。
浜には、ぬれた砂の感触を楽しむように、
はだしでボールを追う少年たちがいた。
ビーチ、空き地、道端。天気に関係なく、サッカー少年は街にあふれる。

5月4日、リオ州選手権決勝。
7万8000人収容のマラカナン・スタジアムが満員の観客で揺れた。
ワールドカップ(W杯)で最多5回優勝を誇る王国に一歩踏み入れば、
王国たる理由を肌で感じる。

しかし、ブラジルは、五輪王座をつかめない。
南米ではウルグアイが2回、前回アテネ五輪でアルゼンチンも金メダル。
だが、52年から10度出場のブラジルは銀2回だけ。

コパカバーナビーチを見下ろす一室で、52年ヘルシンキ五輪代表のGK、
アルベルト・ロザリオさん(76)は静かに話し始めた。
「初期は、東欧が国家アマだったのに対し、我々プロが出られなかった」。
ロザリオさんは空軍軍人で、ブラジル開催の50年W杯で第3GK。
五輪に初出場した52年の代表たちも、同じレベルのアマ。

「次の理由は人気。50年の初開催でW杯人気が高まり、五輪は陰になった。
でも、そんな理由は80年代からは通じないけどね」

84年ロサンゼルス五輪から、W杯未出場のプロが解禁。
国内の関心は薄く、全国選手権22位の
インテルナシオナル主体でチームを派遣。
しかし、フランスに次ぐ銀メダル。

当時の監督、ジャイール・ピセルニ氏(63)は、
「全く期待されてないチームの銀が歴史を変え、五輪への注目度も変化」。

88年のソウル五輪にはロマリオに、ベベト、ジョルジーニョ(ともに元鹿島)が
加わるメンバーを送ったが、ソ連に決勝延長で1―2と惜敗。
ピセルニ氏は、「ロサンゼルス以降は常に優勝を狙えたが、勝てない。
サッカーだからとしか言いようがない」。

56年前、ベスト8で敗退したロザリオさんが、苦しげな表情でこぼした。
「4強をかけた西ドイツ戦、2―1の89分。
ゴール前で胸トラップした敵が、DFをかわしてシュート。
すごい弾道でゴール右上に刺さった。つらい思い出だ」
あと1分の悔恨。延長で力尽きた無念。
76歳の元GKは、半世紀続く胸の痛みを沈める母国の金メダルを待っている。

http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2008/feature/continent/fe_co_20080619.htm

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