(毎日 12月9日)
科学におけるミスコンダクト(不正行為)は、
必ず起こりうる病気と考えるべき。
病気には、公衆衛生学的なアプローチ、
つまり大学を中心とした研究環境改善が解決の道であり、
倫理教育が重要な役割を果たす。
「ウソを言ってはいけない」と、説いたところでインパクトはない。
これまでの不正の事例に向き合い、何が問題で発生したのか背景を考え、
そこから学ぶ努力が大切。
日本の科学政策は近年、競争的な研究活動を促し、産学連携を推進。
その結果、大学は研究資金の獲得や金もうけに奔走し、
自身の首を絞めている。
こうした状況が、大学のよさをつぶしていると考える人は多い。
そうした問題意識を共有していかないと、国の方針に負けてしまう。
産学連携の功罪も、みていく必要。
企業から、研究助成金やコンサルタント収入を得るのは悪いことではない。
しかし、その企業に有利なデータを発表しようと考える人は当然いる。
こうした利害衝突(利益相反)が起こりうることを科学者に認識させ、
金銭的な関係を公開していくことが重要。
不正行為を、科学コミュニティーだけで解決しようというのはナンセンス。
自分たちの世界だけで何かをやろうというのは限界がある。
研究活動の多くは、税金である政府資金に依存しており、
社会や国民が政府による規制を求めれば、それを拒絶する理由はない。
例えば米国では、研究者が倫理教育プログラムを受講していないと、
国立衛生研究所(NIH)の研究に加われない。
これも規制の一つだろう。
NIHは、独自の倫理教育プログラムも持っている。
研究資金を配分する機関の役割はそれだけ大きい。
倫理教育では、科学論文などの著者の資格(オーサーシップ)
についても教えていくべきだ。
なぜなら、共著者同士による論文内容のチェック機能が、
不正の最初の防波堤になるから。
研究室トップを著者に入れるのは当たり前という日本の風潮は、
世界的な基準からみると妥当でない。
著者の資格をもっと厳しくみる必要がある。
不正行為によって、組織の何が問題なのかが浮かび上がってくる。
単に悪いことだと糾弾するのでなく、
若手もいきいきと研究できるような環境改善の一つの材料ととらえ、
前向きに取り組んだ方がいい。
私は、不正に手を染めた研究者自らが、
倫理教育の場で語るような時代がくればいい。
研究に携わる以上、不正行為をする可能性はだれにもあるからだ。
健康になったら、病気だったときの体験を語る、
それによって悩む人や将来ある人たちの力になれる。
米国の健康福祉省公衆衛生庁に属する研究公正局がまとめた
研究不正に対する調査報告書を読むと、
「調査の過程も教育なんだ」と気づく。
不正行為をした研究者に聴取する中のやり取りで、
自分のしたことの重大性を自覚させる作業をしている。
日本の科学界も、こうした報告書に触れて、
どうやって対処すべきなのか学んでほしい。
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■人物略歴◇やまざき・しげあき
47年生まれ。専門は科学コミュニケーション。
東京慈恵会医科大医学情報センター講師を経て、99年から現職。
近著「パブリッシュ・オア・ペリッシュ 科学者の発表倫理」(みすず書房)。
http://mainichi.jp/select/science/rikei/news/20071209ddm016040026000c.html
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