いまではほとんど使われないことばになったが、
正月のことをまた「孟春」ともいう。
この場合の「孟」は、「はじめ」という意味であり、
二月を「仲春」、三月を「季春」という(「季」は「すえ」の意)。
「孟春」とか「孟夏」に使われる「孟」という漢字を見て、
「孟春」とか「孟夏」に使われる「孟」という漢字を見て、
まず思いつくのは儒学の聖人とされる孟子。
書物としての『孟子』を読んだことがない人でも、
「孟母三遷」の故事は耳にしたことはあるだろう。
知人が引っ越しをして、住所の案内をくれた。
新居は某有名大学の近くなので、子供が勉強するのにいい環境であると
家内がよろこんでいる、と書かれているのを見て、
「孟母三遷」の現代版かと苦笑。
「教育ママ」ということばが使われるようになったのは、
いったいいつごろからなのだろう。
少なくとも私が高校生だった昭和四十年代前半には、
まだそんなことばはなかったような気がする
(私が知らないだけかもしれないが)。
教育ママの元祖は、孟子のお母さん。
孟子の一家は、はじめ墓地のそばに住んでいた。
孟子の一家は、はじめ墓地のそばに住んでいた。
墓地では頻繁に葬式がおこなわれるので、
孟子少年は葬式のまねばかりして遊んでいた。
それを困ったことだと考えた孟子のお母さんは、
それを困ったことだと考えた孟子のお母さんは、
次に市場のそばに引っ越した。
すると、孟子は商人のまねをして遊びはじめた。
商人のまねをしていったいどこが悪いのかと思うが、
孟子のお母さんにとっては、それはやはり困ったことだったらしい。
今度は学校のそばに転居した。
すると、孟子は「学校ごっこ」をしはじめたので、
孟子の母はたいへん喜んだという。
当時の学校では、国語や算数のような教科を教えていたわけではなく、
実際にはさまざまな儀式のやりかたを教えるところだったので、
孟子はお祭りに使う道具(らしきもの)を並べ、
見よう見まねでお祭りや宴会の時の作法をまねて遊んでいた。
孟子の母はそれで満足したようだが、
現代の教育ママはそんな状況に満足せず、
きっとまた別のところに引っ越しを考えたにちがいない。
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