(読売 6月25日)
「ドーハの悲劇」と呼ばれるサッカー・ワールドカップ(W杯)
米国大会アジア最終予選(1993年)の日本戦。
ゴールを決めたイラクの元スター、アハマド・ラディさん(44)は、
母国のサッカーに対する情熱を感じる1人。
「空襲や戦闘で街が廃虚になった時でも、子どもたちは、
がれきの上でボールをけっていた。それがイラクなんだ」
98年に現役引退。昨年10月にイラク議会議員に就任。
青年スポーツ委員会のメンバーとして、
スポーツ復興に力を注ぐが、身の危険を抱えた仕事。
イラク戦争後、政情不安や混乱はスポーツ界に及び、
要人や元選手らがテロや拉致の対象となった。
2006年7月に武装集団の襲撃を受け、五輪委員会の会長ら
約30人が拉致され、会長は消息不明に。
「将来に希望がない人の犯罪だろうが、誰が敵か、何の理由か分からない」
と五輪委のティラス・オディシオ・アンワイア事務総長は嘆く。
サッカーに与える影響も深刻。
フル代表が参加した昨年7月のアジアカップで劇的な初優勝を飾ったが、
快進撃の間もバグダッドでは、市民への自爆テロが発生。
大会後、主将のFWユニスらは身の危険を感じて帰国を見合わせた。
選手の多くは海外でプレーしているため、代表の練習もままならず、
主催試合をアラブ首長国連邦(UAE)など周辺国を間借りして開催。
空爆で競技施設が破壊され、使用できるスタジアムは国内で一つだけ。
リーグ戦も、中断や停止が繰り返されている。
04年のアテネ五輪で準決勝まで進んだ五輪代表チームは、
北京五輪アジア予選で敗退。
フセイン・サイード・サッカー協会長は、「準備が出来なかった」と悲しんだ。
W杯南アフリカ大会アジア3次予選でも敗れ、国民は失望した。
ウエートリフティングはトルコ、ボートはドイツなど、
イラクでは国際オリンピック委員会(IOC)などの協力で、
五輪で有望な個人競技の選手を、
国外に送り込んで練習施設の確保と強化を進めている。
「今のイラクで、スポーツは唯一国民に希望を与えるもの」
(オディシオ事務総長)と関係者の努力は続いている。
一方6月に入り、政府がイラク五輪委に干渉しているとして、
IOCがイラク五輪委の暫定資格停止を決めるなど
国内では新たな混乱も生じている。
スポーツを取り巻く厳しい状況は予断を許さない。
http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2008/feature/continent/fe_co_20080625.htm
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