(読売 6月19日)
5月初めのリオデジャネイロは雨続き。
浜には、ぬれた砂の感触を楽しむように、
はだしでボールを追う少年たちがいた。
ビーチ、空き地、道端。天気に関係なく、サッカー少年は街にあふれる。
5月4日、リオ州選手権決勝。
7万8000人収容のマラカナン・スタジアムが満員の観客で揺れた。
ワールドカップ(W杯)で最多5回優勝を誇る王国に一歩踏み入れば、
王国たる理由を肌で感じる。
しかし、ブラジルは、五輪王座をつかめない。
南米ではウルグアイが2回、前回アテネ五輪でアルゼンチンも金メダル。
だが、52年から10度出場のブラジルは銀2回だけ。
コパカバーナビーチを見下ろす一室で、52年ヘルシンキ五輪代表のGK、
アルベルト・ロザリオさん(76)は静かに話し始めた。
「初期は、東欧が国家アマだったのに対し、我々プロが出られなかった」。
ロザリオさんは空軍軍人で、ブラジル開催の50年W杯で第3GK。
五輪に初出場した52年の代表たちも、同じレベルのアマ。
「次の理由は人気。50年の初開催でW杯人気が高まり、五輪は陰になった。
でも、そんな理由は80年代からは通じないけどね」
84年ロサンゼルス五輪から、W杯未出場のプロが解禁。
国内の関心は薄く、全国選手権22位の
インテルナシオナル主体でチームを派遣。
しかし、フランスに次ぐ銀メダル。
当時の監督、ジャイール・ピセルニ氏(63)は、
「全く期待されてないチームの銀が歴史を変え、五輪への注目度も変化」。
88年のソウル五輪にはロマリオに、ベベト、ジョルジーニョ(ともに元鹿島)が
加わるメンバーを送ったが、ソ連に決勝延長で1―2と惜敗。
ピセルニ氏は、「ロサンゼルス以降は常に優勝を狙えたが、勝てない。
サッカーだからとしか言いようがない」。
56年前、ベスト8で敗退したロザリオさんが、苦しげな表情でこぼした。
「4強をかけた西ドイツ戦、2―1の89分。
ゴール前で胸トラップした敵が、DFをかわしてシュート。
すごい弾道でゴール右上に刺さった。つらい思い出だ」
あと1分の悔恨。延長で力尽きた無念。
76歳の元GKは、半世紀続く胸の痛みを沈める母国の金メダルを待っている。
http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2008/feature/continent/fe_co_20080619.htm
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