2008年7月19日土曜日

[第3部・インド](下)意識改革促した手紙

(読売 7月8日)

1通の手紙が、アブドル・カラム前大統領に届いた。
「ぜひ各村に、誰もがスポーツをできる運動場を整備していただきたい。
スポーツ文化が栄えれば、国も躍動するはずです」

アテネ五輪翌年の2005年。
差出人は、同五輪でインド唯一のメダルをクレー射撃ダブルトラップで
獲得した、銀メダリストのラジャバルダン・ラトール

官僚主義の横行するインドスポーツ界で、ラトールも苦しんだ。
アテネ五輪まで8か月を切った03年暮れ、頂点を争うには
世界レベルの指導者と海外転戦が不可欠との思いを強くした。

そこで、資金提供を協会に頼んだ。
が、動きはなし。
次いでスポーツ省に掛け合ったが、「予算がない」。
念のため財務省に確認すると、「いや予算はある」。

事なかれ主義の協会、役人に約2か月振り回された揚げ句、
自身で予算申請書を書き上げ、約600万ルピー(約1500万円)の
強化資金を獲得。
五輪半年前から指導者を雇い、海外経験を積み、銀メダルを射止めた。

この国のスポーツ組織に責任感はない。
自分のような苦労をしないためには、
国民のスポーツへの意識が変わる必要がある」。
大統領への手紙には、そんな思いが込められていた。

願いは届いた。
国は今年から6~8年間で、国内各地にスポーツクラブを作る計画に着手。
2010年には、初の「クラブ・ゲームズ」でインド一を競う。
インドオリンピック委員会のランディア・シン専務理事は、
「スポーツ界も変わり始めた。
底辺を広げ、2016年の五輪では六つのメダルを狙いたい」
と、変革に自信をにじませる。

国民の意識変革を迫る援軍も現れた。
昨年、女子ホッケーチームの成功物語を描いた映画、
「チャク・デ・インディア」が大ヒット。
今年6月には、インド映画のアカデミー賞で最優秀作品賞、
最優秀監督賞など9部門を受賞。

作品は、02年の英連邦大会で女子が優勝した際、
新聞に結果が4行しか載らなかったことに疑問を感じた
シミット・アミン監督が、使命感から作った。

ホッケーは、インドのもの。
それは従来、男のものだったが、女子の活躍には新時代を感じた。
その過程を描けば、男女関係なく、挑戦することの意義を学べる
スポーツが、インドでも盛り上がると思った」

存亡の危機を乗り越えた経済のように、近い将来、
11億人の底力をスポーツで表す糸口も、見え始めている。

http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2008/feature/continent/fe_co_20080708.htm

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