(読売 7月3日)
涼やかな目元に、強い意志を込め、静かに言った。
「タイの人々は今、とても五輪に関心がある。
頑張れば、女も世界で戦えることを伝えたい」。
アテネ五輪女子テコンドー49キロ級銅メダリスト、ヤオワパ・ブラポンチャイは、
迷いなく使命感を口にする。
1996年アトランタ五輪で、伝統のボクシングがタイ史上初の金メダルを
実現すると、その後は女性の躍進が際立った。
2000年シドニー五輪女子重量挙げ58キロ級で、
女子初の銅メダルを獲得すると、アテネ五輪では同53キロ級の
ウドンポーン・ポルサクら2人が金。
重量挙げの4個とヤオワパの銅を合わせ、メダル8個中5個を
女子が占め、メダル倍増を支えた。
その一因は、タイ五輪委員会がボクシングに加え、シドニー五輪で
正式種目となった女子重量挙げとテコンドーを重点強化したことだが、
五輪委のチャルック・アリラチャカラン専務理事(75)は、
「タイでは、男より女が働き者で、社会進出も進む。
金メダルの刺激を受けたのは、女性たちだった」。
19歳の史上最年少メダリストとなったヤオワパは、
スラリとした容姿と、端正な顔立ちで、CMに引っ張りだこ。
女性がスポーツに打ち込める時代の象徴的存在。
貧しい出身の多い他のメダリストが軍職を求める中、
報奨金は全額両親に渡し、小遣いで学生生活を楽しむバンコクっ子。
母スリーさん(42)は、「あの子の目的は、お金じゃなく自己表現。
女の子は、家事を手伝うのが当然の時代に生まれた私たちの悔しさを晴らして、
女性の可能性を広げてくれた」
午後6時。バンコク中心部のベンチャシリ公園では、
200人以上がエアロビクスに興じる。
99年から、市当局が公園に指導員を派遣して行っている。
9割方が女性。約40分後、女性たちの笑顔が輝いた。
参加10年目の主婦、ダオラト・スクサムランさん(54)は
「最初は20人ほどだったけど、相変わらず酒やたばこばかりの男に比べ、
女の健康意識は高くなった」と笑い、
指導員のマリンカ・ピームンさん(21)は、
「ヤオワパたちの活躍で女性が倍増した」。
スリナカリンウィロット大のパイブーン・スリシャイサワット体育学部長(51)は、
「母親の関心は、子供たちの興味に影響する。
この基盤を生かせば、タイのスポーツはもっと強くなる」。
女性の力は、タイのスポーツ界を、変えていく。
http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2008/feature/continent/fe_co_20080703.htm
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