(読売 7月1日)
1、2、3、8。
直近の五輪4大会で、タイはメダル倍増を続けている。
タイのスポーツと言えば、キックも使う国技のタイ式ボクシング、
ムエタイが知られる。
五輪で足技は使えないが、やはりボクシングはお家芸。
1952年の五輪初参加から92年バルセロナ五輪までに、
タイが獲得した全4個のメダルを、この種目だけで稼いできた。
1大会で複数のメダルはなく、金メダルもゼロ。
伝統の力は、国際舞台での限界も示していた。
流れを変えたのが、96年アトランタ五輪。
フェザー級のソムラック・カムシンが、タイ史上初の金メダルを獲得、
バンタム級も銅で、史上初の複数メダルもボクシングで実現。
今は、小さなテレビ番組製作会社を経営しつつ、手作りのジムで
ムエタイ選手を育てるソムラックさん(35)は、
「実は、ムエタイ頼みでは国際大会で通用しなかった。
金メダルはメンツを捨て、海外の文化とタイの伝統を融合させた成果」
タイは91年のクーデター後、東南アジアで有数の政治的安定を誇る
民主化が進んだ。
日本企業など外資も次々進出し、経済は発展を続けた。
ソムラックさんが獲得した史上初の金も、社会の改革機運と無縁ではない。
タイボクシング協会は、バルセロナ五輪後、キューバなど海外のコーチを
導入し、国際ルールに適応するボクシングを磨いていた。
「タイ人は良くも悪くも、優しすぎ。
キューバのコーチは、技術はもちろん、厳しい管理の大切さを教えてくれた」
民主化の風を受けた改革で、社会主義国の技術と規律を導入したことが、
伝統の力を五輪の舞台で生かすことに。
ソムラックさんは帰国後、政府からの報奨金やCM出演料などの
総計1億2000万バーツ(当時約4億7500万円)を超える金額を
手にしたとされ、CDを出し、俳優にもなった。
タイ五輪史上最高のスター誕生で、スポーツへの国民のまなざしは変わった。
「ソムラックは、タイ人も世界で勝てるとの自信を国民に持たせ、
スポーツも成功する手段という認識も広めてくれた」と、
タイのスポーツ紙、サヤーム・スポーツのオラン・チュアバン編集局長。
史上初の金がもたらした衝撃。
それが、その後のメダル倍増の呼び水になったが、
最も奮起したのは、それまで才能を眠らせ続けていた、タイの女性たち。
http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2008/feature/continent/fe_co_20080701.htm
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