京都大学の山中伸弥教授が作製に成功した新型万能細胞(iPS細胞)。
再生医療の切り札と期待を集め、「ノーベル賞級の研究成果」と評価。
iPS細胞が、なぜこれほど注目されるのか、
将来的にどんな医療を切り開くのか、研究の現状を探った。
Q1 なぜ世界が注目
人間は、約60兆個の細胞からなる。
元々は1個の受精卵が分裂を繰り返し、神経や筋肉、皮膚など体を
構成する約200種類の細胞に変化。
受精卵は、様々な細胞に変化する「万能性」を持つが、
いったん神経などに変化すると、もう別の細胞に後戻りできない。
この生物学の常識を覆したのが、iPS細胞。
皮膚細胞に数種類の遺伝子を入れるだけで、万能性を獲得。
時計の針を巻き戻す現象は、初期化(リプログラミング)と呼ばれ、
iPS細胞の開発は「タイムマシンの開発」と称賛。
iPS細胞の正式名は、人工多能性幹細胞(induced pluripotent stem cell)。
iが小文字なのは、人気音楽プレーヤー「iPod」にちなんだ。
iPS細胞の登場で期待が高まっているのは、病気やけがで失った機能を
iPS細胞の登場で期待が高まっているのは、病気やけがで失った機能を
回復させる再生医療の実現。
心臓の細胞(心筋細胞)の一部が壊死している心筋梗塞の場合、
iPS細胞から変化させた心筋細胞を、患者の心臓の壊死した部分に
移植すれば、心機能の回復が期待。
インスリンというホルモンの不足で起きる糖尿病も、
iPS細胞からインスリンを分泌する、膵臓のβ細胞を作って
患者に移植すれば、治療できる。
現在はまだ技術的に難しいが、iPS細胞を使い、心臓や肝臓など
臓器を丸ごと作って取り換えることも、将来できるかもしれない。
iPS細胞の登場で再生医療の夢が広がったが、
安全性の確認など実用化までには10年以上かかると予想。
すぐにでも活用できると見られているのは、
iPS細胞を使った病気の原因解明や新薬開発への応用。
それぞれ神経や筋肉の難病であるパーキンソン病や筋ジストロフィーなどの
患者から、iPS細胞を作製して、神経や筋肉に変化させる過程で、
どんな異常が起きているかをつぶさに観察することで、
病気発症の仕組みが解明できると期待。
新薬の効果や毒性も、シャーレ上で確認できる。
国内外の製薬業界も注目し、研究が加速。
一つは、倫理的な問題が少ない点。
同様に万能細胞として注目されている胚性幹細胞(ES細胞)は、
人の生命の萌芽である受精卵を壊して作るため、実用化に向けた障壁に。
米ブッシュ大統領は、人のES細胞を作製する研究に
連邦予算を付けることに強く反対。
日本でも、人のES細胞研究が、国の指針で厳しく制限。
iPS細胞は、皮膚細胞などから作製できるため倫理問題は少ない。
「受精の瞬間」を、人の誕生ととらえるカトリックの影響が強いイタリアなどでも、
万能細胞の研究を推進できるようになった。
もう一つの利点は、患者本人の細胞から作製できるため、
拒絶反応の心配がない。
患者本人の遺伝情報を持たないES細胞では、拒絶反応が避けられない。
これを回避するには、クローン技術を使って、卵子に、
患者の皮膚細胞などの細胞核を入れた「クローン胚」を作製、
そこから患者本人の遺伝情報を持つES細胞を作る必要。
クローンES細胞は、人ではまだ作製に成功していないが、
クローン人間作りにつながる恐れなどから、多くの国が作製を厳しく制限。
iPS細胞を利用すれば、クローン技術を使う必要がなくなる。
世界初のクローン羊ドリーを誕生させた、英エディンバラ大学の
イアン・ウィルムット教授も、すでにiPS細胞の研究に着手。
Q3 作り方は?
Q3 作り方は?
iPS細胞の作製は簡単。
「基本的なバイオテクノロジー技術があれば、誰でもできる」(山中教授)。
取り出した皮膚や胃の細胞などに、2~4種類の遺伝子を
ウイルスを使って入れ込むだけ。
遺伝子は、山中教授が、ES細胞の万能性にかかわる
遺伝子の中から探り当てた。
最初にマウスのiPS細胞を作った際には、
「Oct3/4」、「Sox2」、「Klf4」、「c―Myc」の4遺伝子を使用。
米ウィスコンシン大のジェームズ・トムソン教授らは、
山中教授が使った「Oct3/4」「Sox2」の2遺伝子に、
別の2遺伝子を組み合わせた方法で成功。
これらの遺伝子は、細胞のDNAの狙った部位に入れることができず、
細胞ががん化する恐れもある。
使う遺伝子は少ないほどよく、山中教授は、4遺伝子のうち、
がん遺伝子の「c―Myc」を抜いた3遺伝子でもiPS細胞を作製。
作製法は、これだけではない。
米スクリプス研究所のシェン・ディン准教授は、安全性の高い化合物と
2遺伝子を組み合わせた方法でも成功。
安全で効率の良い作製法を巡って、世界が激しい競争を繰り広げている。
Q4 研究の現状は?
2006年8月に、山中教授がマウスのiPS細胞の作製を発表して以来、
世界中で研究に火がついた。
昨年暮れには、米マサチューセッツ工科大(MIT)などのチームが、
iPS細胞由来の造血幹細胞(血液のもととなる細胞)で、
重症貧血マウスの症状改善に成功。
人間には、赤血球が変形して、酸素の運搬能力が低下する
「鎌状赤血球貧血」という遺伝病があるが、こうした病気の治療につながる。
米ハーバード大などのグループは8月7日、パーキンソン病や糖尿病など
10種類の病気の患者の皮膚などから、iPS細胞の作製に成功。
抜本的な治療法のない難治性疾患で、原因を解明することで
新薬の開発につながると期待。
激しい国際競争に対抗するため、日本でも研究拠点の整備が進む。
慶応大は、iPS細胞から作った神経細胞を、脊髄損傷マウスの患部に
移植する実験で、マヒをある程度回復させる効果を上げている。
交通事故など不慮の事故で、脊髄を損傷した患者に希望を与える成果。
国立病院機構大阪医療センターと共同で、
200種類以上のiPS細胞を作るバンクの設立も目指している。
京大は、マウスiPS細胞から、心筋梗塞などの治療に役立つ心筋細胞や
毛細血管の作製に成功。
マウスiPS細胞からは、輸血治療につながる血小板(東京大)や、
視力の回復に必要な網膜の細胞(理化学研究所)などができており、
国内の研究も着実に進展。
世界各地の研究成果を、医療や創薬開発につなげるには、
標準的な作製法や評価法が必要だとの意見が出始めており、
研究者間で協調する動きもある。
日本発の革新的な技術であるiPS細胞。
日本発の革新的な技術であるiPS細胞。
「再生医療の発展に大きな可能性を切りひらく画期的な成果」(福田首相)
として、政府も過去に例のないスピードで支援策を打ち出した。
文部科学省は、人のiPS細胞作製の公表からわずか1か月で、
今後5年間で総額100億円の研究費を投入する計画を策定。
今年4月には、京大iPS細胞研究センターを中心に、
約20の大学などでつくる研究ネットワークを発足。
政府の科学技術政策を決める総合科学技術会議は6月、
iPS細胞の実用化に向けた工程表を策定し、世界に先駆けて
iPS細胞を使った再生医療の実現を目指す。
こうした一連の動きは、国のバックアップなしに研究の結実はない
との判断が働いたからだ。
米国は有望な研究には、個人の寄付や企業などの潤沢な資金が投資。
世界トップレベルの大学や研究機関が集まるカリフォルニア州や
マサチューセッツ州は、数百億円単位の研究費を投じ、幹細胞研究を推進。
iPS細胞の登場により、細胞や分析機器などの幹細胞市場は活性化。
米国の幹細胞市場は、年率30%で成長し、
2012年には約460億円に達する。
幹細胞市場の発展で重要になってくるのが、知的財産の確保。
外国の企業に特許を押さえられると、iPS細胞を利用した再生医療が実現しても、
医療費の高騰を招く恐れがある。
京都大は6月、三井住友銀行など金融3社の出資をもとに、
iPS細胞の関連特許を管理・活用する会社を設立。
他大学や研究機関の知財も管理し、
知財の面でもオールジャパン体制を目指す。
松本紘・京大次期学長は、「日本全体のiPS細胞研究を発展させたい」。
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