(共同通信社 7月24日)
75歳以上を対象とする「後期高齢者医療制度」は、
首相小泉純一郎が自作自演する「小泉劇場」の陰に隠れ、
十分な議論を置き去りにしたまま誕生。
当時官房長官の首相福田康夫は、その後問題化する制度の
「欠陥」を見抜けないまま、「聖域なき構造改革」の奔流にのまれていく。
2002年1月21日召集の通常国会は、冒頭から波乱含み。
患者、医療機関、保険加入者が痛みを分かち合う、
「三方一両損」の医療制度改革を掲げた小泉は、
サラリーマンの医療費自己負担を03年度から3割に引き上げる方針。
患者負担増に猛反発する自民党厚生族を、「抵抗勢力」とののしり、
全面戦争の火ぶたを切ろうとしていた。
80%あった内閣支持率は、小泉改革の象徴的存在だった
外相田中真紀子の更迭で、一気に20ポイントも急落。
3割負担実現のスローガンをおろし、国民の離反を招く事態を小泉は懸念。
約3週間後の2月9日午前10時。
小泉は、厚生族の攻勢を受け、3割負担先送りを模索していた
厚生労働相坂口力(公明党)に電話を入れ、
自らの方針に従うようにくぎを刺した。
「自民党は必ずまとめるから、心配無用だ」。
坂口が、「厚生関係議員との問題は簡単ではない。
きちんと折り合ってください」と懇願すると、
小泉は「分かっている」とだけ言い捨てて、電話を切った。
2日後、小泉は国会近くのホテルで開かれた政府、与党会合に
福田を派遣して最後通告を突きつける。
「3割負担は、03年度から実施する。これだけは譲らない」
小泉サイドは、03年度実施で押し切り、
引き換えとして厚生族が要望した抜本改革策の検討を了承。
その中に隠れるように入っていたのが、高齢者医療制度の創設。
ここをピークに、小泉は医療制度改革から距離を置き、
新たな「劇」の幕を上げる。
02年9月の電撃訪朝だ。
拉致被害者の帰国などで、国民の視線は北朝鮮問題にくぎ付け。
政府は03年3月28日、医療制度改革基本方針を閣議決定。
厚労省は、75歳以上を対象とする「独立保険方式」、
制度間で資金をやりくりする「年齢リスク構造調整方式」の2案を提示。
小泉政権は、「現役世代の負担を軽減するには、独立保険しかない」
とする自民党の主張を採用。
4月からの3割負担スタート前の「駆け込み決着」だった。
決定後、小泉と厚生族のバトルに翻弄された坂口が、
「抜本改革になっただろうか」と問い掛けると、福田はつぶやいた。
「どんな制度にしても、野党はいろいろ言う。一歩でも二歩でも前進させよう」
小泉は、郵政民営化へ突っ走り、06年2月、
後期高齢者医療制度関連法案が閣議決定。
国会審議は、医師不足の問題に時間が費やされ、
後期高齢者医療制度の問題点に焦点が当たらないまま、
与党の賛成多数で6月に成立。
制度設計から関連法成立まで、政府、与党が一貫して重視していたのは、
「現役世代の負担軽減」。
75歳以上を切り離すことへの感覚は鈍く、後に「姥捨山」との批判が出る
事態など想定外だった。
「低所得層の負担軽減など微修正は必要だが、骨格は間違っていない」。
元厚労相尾辻秀久は、08年4月の制度スタート後、
そう強調しながら、割り切れない思いを口にした。
「福田さんは、小泉政治のツケを払わされて怒られ、内閣支持率も下がる。
小泉さんは人気が衰えず、待望論さえ出る。理不尽な話だ」
http://www.m3.com/news/news.jsp?sourceType=GENERAL&categoryId=&articleId=77587
0 件のコメント:
コメントを投稿