2007年9月7日金曜日

本の現場 福岡伸一さん 科学者にこそ、文学が要る

(毎日新聞社 2007年8月17日)

「生物と無生物のあいだ」 講談社現代新書(777円)

自宅近くの多摩川べりを散策しながら、ふと思い出す大学教師の言葉。
「人は瞬時に、生物と無生物を見分けるけれど、
それは生物の何を見ているのでしょうか?」

生命とは何か。

20世紀の科学は、生物を遺伝子などの部品に還元する
分子生物学で解き明かそうとしてきた。
本書の前半では、その発展の歴史を、分子生物学者としての体験に、
やや不遇な科学者たちの人生を織り交ぜて語った。

「でも、分子生物学の最前線を平易に解説した本ではありません」。
むしろ、その方法論に対するアンチテーゼであるところに、本書の醍醐味がある。

小さいころは、昆虫少年だった。
ファーブルや今西錦司にあこがれ、
昆虫学に優れていた京都大農学部に進んだ。

しかし、時代は分子生物学の黎明期。
その大波に流され、ファーブルも今西も色あせていったという。
米国や日本で最先端の競争に没頭してきたが、
研究を進めるほどに壁を感じるようになった。

たとえば、重要な遺伝子をつぶして作ったノックアウト・マウスは、
なんの問題もなく成長した。
「生命を機械論的にとらえるアプローチには限界がある」。

そう気づいた時に思い出したのが、
本書のキーパーソンであるルドルフ・シェーンハイマー。

私たちの体を構成する分子は、
食物として取り込んだ分子と絶え間なく入れ替わっている。
分子のレベルでみると、私たちは1年前とは別人だ。
こうした「時間」の概念を持った生命のダイナミズムを、
ネズミの実験で証明したユダヤ人科学者である。

本書の後半では、この「動的平衡」という生命徴を念頭に、
自らの研究の意味も問い直していく。
「再生医療やクローン技術に対する違和感も、
実は、生命に不可欠な時間を逆戻ししているからではないでしょうか」

そうした観点で生命をとらえることで、
「読者が自分の違和感を説明するヒントになってもらえれば」と。

「科学の成果は、最終的にはごく簡単な言葉で語られるべきだ」というのが持論。
専門論文を書くことこそが科学者の使命、
との考えが主流を占める中にあって、「異端」といってもいい。

「異端ぶり」は、牛海綿状脳症(BSE)の病原体をプリオンとする
「プリオン説」に疑問を感じ、
その検証をライフワークとしているところからもうかがえる。

昆虫少年は、読書少年でもあったという。
だからだろうか、巧みな比喩が理解を助け、文体には文学的な味わいがある。
「えらそうに聞こえるかもしれませんが、科学者にこそ文学が要る。
文学的想像力がないと、生物をプラモデル化してしまうのです」

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◇ふくおか・しんいち

1959年東京生まれ。京都大卒。米ハーバード大などを経て青山学院大教授。
著書に「もう牛を食べても安心か」「プリオン説はほんとうか?」など。

http://www.m3.com/news/news.jsp?sourceType=GENERAL&categoryId=&articleId=52630

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