2009年7月11日土曜日

シンガポールに県産牛 年内目指し輸出準備

(岩手日報 7月3日)

岩手畜産流通センター(杉村隆司社長)、
全農県本部(小林英男本部長)、県は、
県産牛のシンガポール輸出の準備を進めている。

シンガポール政府からの認可が下りれば、早ければ年内にも、
県産牛初の海外輸出を開始。

県議会6月定例会の農林水産常任委員会(新居田弘文委員長)で、
県が説明した。

シンガポール政府は、牛海綿状脳症(BSE)発生後、
日本からの牛肉輸入を禁止していたが、今年5月に解禁。
岩畜は6月、昨年10月の同政府の査察で指摘された施設改修などの
9項目を改善し、準備を整えた。

今後は、改善報告書を県から厚労省を通じて、
シンガポール政府に提出し、認可を待つ。

県は、2009年度一般会計補正予算案に、
シンガポールへの輸出が始まった際に行うPR活動費約500万円を計上。

浅沼康揮流通課総括課長は、
「海外で県産牛のブランドが確立されれば、
国内評価の向上にもつながり、生産者の意欲も増す」

県産牛の海外輸出は、米国向けも検討。
現在、岩畜の施設が認定基準をクリアするため、
衛生面での安全性の証明作業を進めている。

http://www.iwate-np.co.jp/economy/e200907/e0907031.html

ペットと一緒にフィットネス 双方に効果と

(CNN 6月14日)

人間と同様、犬や猫の肥満も増加傾向を示すなか、
飼い主とペットが一緒に減量に取り組むアイデアが注目。
双方の健康に役立つだけでなく、ペットが「コーチ役」を果たすことで
効果が上がりやすくなるとの報告。

米カリフォルニア州ベニスビーチの海岸で、エクササイズに励む
タラ・ブラウンさんは、バーベルの代わりに飼い猫の
「ラッキーキャット」を抱えて、腕や腰の筋肉を鍛えている。
腹筋運動を始めると肩に飛び乗り、
ヨガのポーズではひざの上におさまるなど、
ラッキーキャットのほうも楽しげ。
「エクササイズを始めるたびにまとわりついてくるから、
使ってみることにしたの」と、ブラウンさんは笑う。

ジェニファー・ロペス、キャメロン・ディアスら有名人のトレーナーとして
知られるガナー・ピーターソン氏は、
ペットと楽しむためのエクササイズ・ビデオを出している。
「ペットは飼い主に似る。
飼い主が散歩をさぼってじっと座っていたら、本人も犬も運動不足に。
触れ合う時間が持てない罪悪感から、
おやつを与え過ぎてしまう飼い主も多い」
腹筋運動やスクワットをしながら、犬におもちゃを投げてやったり、
猫にペンライトの光を追わせたり、ダンベルに飾りをぶら下げてみせたりと、
エクササイズをしながらペットと遊ぶ方法は色々。

人間と犬のための「フィットネスガイド」を執筆した
ノースウェスタン大医学部のロバートカシュナー博士も同じ意見。
同博士らが06年、肥満治療の専門誌に発表した研究によると、
飼い主と犬がともに太り過ぎている場合、
1年余り一緒にエクササイズに取り組むと、
飼い主が平均5.2%、犬が同15%の減量に成功。
犬を飼っていないグループに比べ、大きな効果。
飼い主グループは犬との触れ合いを楽しみ、
せがまれて散歩に出るなどして減量を進めていた。
「犬はコーチ役となって、飼い主を励ますこともできる」

http://www.cnn.co.jp/fringe/CNN200906140017.html

大気中のCO2を人工樹木で吸収 米コロンビア大が研究

(CNN 6月23日)

米コロンビア大学の研究チームが、地球温暖化の原因となるCO2を、
本物の樹木の約1000倍の速度で吸収できる
「人工樹木」を開発。

コロンビア大学地球環境工学部のクラウス・ラクナー教授のチーム。
人工樹木は、プラスチック製の「葉」の間を風が吹き抜けると、
特製の吸着剤によって、大気中のCO2を吸収・圧縮し、
液体二酸化炭素として保存するという仕組み。

これは、石炭火力発電所で排気からCO2を取り除く技術に似ているが、
人工樹木の場合、いつでもどこでもCO2をキャッチできるのが特徴。

ラクナー教授は、「CO2排出量の半分は、発生源が小規模かつ
分散していて発生源で取り除くのは難しい。
われわれは、こうしたほかの手段では収集不可能なCO2に目を向けた」

気候変動シンポジウムで、同教授は、米エネルギー省の
スティーブン・チュー長官と会い、この人工樹木のコンセプトについて説明。
現在、同省で検討してもらうために提案書を作成中。

http://www.cnn.co.jp/science/CNN200906230029.html

難病の女性が始球式 楽-ロから

(2009年7月9日 共同通信社)

全身の筋肉が徐々に動かなくなっていく、
難病の筋萎縮性側索硬化症の患者の女性が始球式を行った。

仙台市在住の沼田早苗さん(24)で、
楽天の田中に車いすを押してもらい、野村監督が捕手役を務めた。

マウンドと本塁の中間ぐらいの位置から投じた球は、
転がって野村監督のミットへ。

沼田さんは、「一生の思い出になる。表舞台に出ることの少ない、
同じ境遇の人たちに、チャンスを与えるきっかけになれば
と感激の面持ちだった。(Kスタ宮城)

http://www.m3.com/news/GENERAL/2009/7/9/103909/

SNS最大手はなぜ完敗したのか?

(日経 2009-06-25)

米国で、SNSの主役が完全交代。
有名タレントやセレブが競って自分のページを持ち、
情報発信に活用するかっこよさを売りに、市場をけん引してきた
「マイスペース」が人気を失い、業界1位の座は「フェースブック」に。

米メディア大手ニューズ・コーポレーションが親会社のマイスペースは、
企業規模、資本規模ともに大幅に小さいフェースブックに完敗。
ニューズ・マイスペース陣営は現在、捲土重来を目指し、
大規模な経営改革に取り組んでいる。

フェースブックが5月、米国のSNS利用者数で、
初めてマイスペースを上回った。
フェースブック利用者数は7028万人、マイスペースは7024万人。
世界市場では、約1年前にフェースブックが利用者数で首位。

1年前、マイスペース利用者が7369万人、フェースブックが3559万人。
マイスペースが約2倍の利用者数で、圧倒的な強さ。
なぜ、その形勢は逆転してしまったのか?

「最近のマイスペースは、イノベーション(技術革新力)が足りなかった」
と、ジェレマイヤ・オウヤン・シニアアナリスト。
フェースブックが矢継ぎ早に新機能を追加する一方、
最近のマイスペースの動きは緩慢。

▽利用者の名前を含んだURL取得の受け付け開始。
▽サイト内で売買される花束やプレゼントなど
バーチャルな商品を購入するための決済サービスを試験的に開始。

これらは、フェースブックが今月に追加した新機能で、
積極的に新しいサービスに取り組んでいる。
マイスペースが、目新しい機能を追加した形跡はない。

SNSの利用者の中核は、10~30代の若者層。
若者層に継続利用してもらうためには、
絶えず新たな機能を追加することが大切。
この努力を怠れば、簡単に利用者離れが起きる。

フェースブックは、「勇み足」が多いことも事実。
2007年末、「ビーコン騒動」が代表例。
フェースブックは、利用者が購入した情報を友人間のネットワークに、
「友人が気に入った商品」として紹介。
ビーコンという新サービスで、友人や家族間の交流を促進するSNSと
商品広告を、効率的に組み合わせたネット広告として注目。

だが、商品購入の情報を公表するか、しないかの選択権が不明確で、
利用者から猛反発を受ける。
マーク・ザッカーバーグCEOが謝罪し、
プライバシーに配慮した変更を加える事態。

ビーコン騒動は、フェースブックに大きな汚点となっていない。
「新しいサービスを提案したら、反発が起きたので、
利用者の意見に耳を傾けて改良しただけ。
最終的に利用者が納得すれば、禍根は残らない」(オウヤン氏)。

利用者からの反発も、イノベーションの「副産物」と考え、
利用者の意見を取り入れる好機に変えれば、
かえって利用者とのきずなは深まる。
ネット社会では、利用者の意見を無視すれば汚点、
反映させれば大きなプラスとなる。

フェースブックは、「ネット民主主義」的なトレンドをつかんでいた。
「フェースブックの画面はさっぱりして、情報が見やすい。
マイスペースの画面は一見ごちゃごちゃ」
アナリスト、デボラ・ウィリアムソン氏は、2つのSNSの違いを分析。

マイスペースは、自己紹介ページの色を自由に変えられたり、
写真や映像などを張り付けやすくしたことから、
「自己表現できる」サイトとして人気。
歌手やアーティストなどが競って利用。

華やかさは、時間とともに「飽き」にもつながりやすい、もろ刃の剣。
友人の誕生日や近況が知りたいだけなのに、
映像がチカチカしたり、音楽が鳴ったりと、利用者は食傷気味に。

派手さで先行したマイスペースが、シンプルなフェースブックに
首位を奪われた構図は、ネット検索市場で1番飾り気のない
サイト画面のグーグルが、他サイトを圧倒した図式に似ている。

マイスペース離れが進んでいるのは、利用者だけではない。
企業広告も減速傾向。
マイスペースは、昨年のSNS市場の広告シェアで約5割、
今年は43%まで落ち込む。
フェースブックは、昨年の18%から20%と増加傾向。
「SNS広告市場で勢いがあるのはフェースブック」(ウィリアムソン氏)。
広告収入でも、フェースブックがマイスペースを追い越す日は近い。

マイスペースは、グーグルとのネット広告の提携関係が、
2010年には契約切れ。
約3年間で最低9億ドルの広告収入を約束する契約も、
SNS市場で「ナンバーワン」称号があったから。
ナンバー2に転落した今、契約更新は危うい。

危機感を募らせたマイスペースは、親会社ニューズ主導の
経営改革を進めている。
「従業員数が肥大化しすぎて、効率的な意思決定の妨げ」
米国の従業員数の約3割削減を発表した、オーウェン・ヴァンナッタCEO。
ニューズ傘下に入り、大企業化してしまった反省のもと、
マイスペースは、新興企業のような
「小さくて、イノベーション重視の企業を目指す」

具体的な内容には、不安な点も多い。
ヴァンナッタ新CEOはフェースブックの元最高執行責任者(COO)、
人員削減後の従業員は約1000人と、フェースブックの約850人と同水準。
マイスペースを、「フェースブック化」しようとしているかのような改革案、
外枠からフェースブックをまねても、イノベーションが戻ってくるわけではない。

「フェースブックは今後、ウェブサイトの運営というより、
インターネット上で人がつながったり、情報を共有したりする
インフラの役割を果たしていく」(ザッカーバーグCEO)。
フェースブックのトップが描く、自社の将来像。

同社は、フェースブック用のIDやパスワードを、他サイトと共有できる
「コネクト」機能を導入、フェースブックをネット上にある他のサイトや
サービスとつなげることに力を入れている。
SNSが、ネットのたくさん存在する機能の1つに移行していく
「ネット社会の将来」を見据えた布石。
マイスペースは、まだこうした新しいビジョンの提示はない。

http://netplus.nikkei.co.jp/ssbiz/ittrend/itt090624.html

2009年7月10日金曜日

特集:後藤新平の真髄 13 第2の恩人 長与専斎

(岩手日日 2009年4月2日~)

27歳の後藤新平が、18歳の安場和子と結婚。

新平が、内務省御用掛を拝命してから10カ月後、
安場保和が嫁入りする娘に一口の日本刀を与えた。
安場の先祖一平が大石内蔵助を介錯した記念の刀。

新宅は、麻布材町に位置し、表の部分は後藤家、
裏に安場家と並んでいた。
安場が新平の将来を期待していた。
胆沢県の給仕時代から、腕一本で自分自身の道を開いていく
たのもしい若者と映じたのが新平。

当時務めていたのは、内務省衛生局だったが、
新平は局長長与専斎に才能を見込まれ、側近として重用。
長与は新平を見出し、活躍の場を与えた。

長与家が仕えていた大村藩の先祖は、
キリシタン大名大村純忠など開放的空気が支配、その雰囲気で、
祖父俊達が中年のころからオランダ医学を修める。
それが不幸の始まり。
蘭医は、キリシタンの妖術で国禁の邪法として職を免ぜられた。

幕府の取り締まりも厳しく、キリシタンに対する警戒心も強まった。
長与家も蘭法を捨てよ、と勧められた。
それに屈する俊達ではなかった。
父中庵は若くして亡くなり、祖父の志は孫専斎に伝えられ、
俊達は17歳の時、大阪に出て緒方洪庵に学んだ。
そこで福沢諭吉と知りあい、交友となったが、
福沢が江戸へ去った後、洪庵塾頭となる。

後年、新平は慶応義塾の塾長候補となる。
長与の推薦によるもの。
福沢と長与が交友関係にあったことで、福沢が慶応義塾の
「塾長」を辞めるに当たり、長与に相談、
残念ながら新平は慶応義塾以外の出身者ということで猛反対に。
新平の見識を物語るエピソード。

◆建白書好きが始まり

新平の建白書好きは、有名。
誰が書いた「新平論」にも出てくる。
「建白書」とは意見書のこと。
新平は明治14年、愛知県病院長兼愛知県医学校長に就任。

明治11年、愛知県病院二等診察医時代、衛生行政に関する建議書を
知事(県令)を通じて内務省に提出。
同省衛生局長、長与の目にとまった。
これを読んだ長与は、その識見に感服し、
新平は東京出張の折に長与を訪ね、先に提出した建議書について説明。
新平は22歳、説明だけでの長与との出会い。

新平は明治13年1月、愛知県内の漢洋医を集め、
「愛衆社」という団体をつくった。
医師会と大日本私立衛生会を一体とした組織。
長与はこれを知り、新平の見識もさることながら、行動力に感じ入った。

新平と安場の関係が第一なら、第二の恩人ともいうべき、
長与との因縁を深くする始まり。

新平の建白書はこれで終わらない。
「連合公立医学校設立の儀に付き建白」をつくった。
当時、各県がつくっていた県立医学校を、経費や設備の面から
数県が連合すべしというもの。
愛知、岐阜、三重の3県医学校の連合を実現すべしとの意見。

長与はこれを知り、新平に「適切の御意見」という書を送った。
長与は、「感服の外御座なく候」、「この上なき御盛策につき、
十分に御雄弁御揮い希い奉り候」と激励。
新平は、明治15年2月、長与から内務省衛生局出仕の勧誘を受ける。

◆「長与局長の懐刀」へ

専斎にとって、新平を知ったことは人材の大発見。
このことが世に知れわたると、愛知病院勤務に留任を求める運動が。
それを振り切って、新平は長与専斎の求めに応じた。
明治16年1月、時はよしと、安場は娘の和子を
27歳の新平と結婚させる決断をした。

長与によって内務省衛生局勤務となった新平の身分は内務省御用掛で、
いわば嘱託だった。
月給は100円。当時としては思い切った高給。
これに文句を言ったのは北里柴三郎で、彼は新平より30円安かった。

新平が専斎の下に入った時の内務卿は山田顕義、
大輔は土方久光、少輔が芳川顕正、衛生局長の長与専斎。
同僚の御用掛には石里忠悳、高木兼寛、長谷川秦、柴田承桂ら。

初めに新平が与えられた任務は、地方衛生の視察。
新潟、長野、群馬の3県を視察。
調査は実に詳細だったと評価。
新平を大風呂敷というが、当たらない。
飲食物、食器、衣服、家屋、運動、清潔、身体、体力、伝染病の増減、
諸病の増減、売薬需要など報告書は21項目、7500字に及んだ。

こうした実績を上げて、彼は間もなく衛生局東京試験所長心得、
医術開業試験主事となった。
専斎の信頼を厚くしたからである。

新平が出世の階段に立ち、各種事業の企画、立案に当たり、
それが実行されるに及んで、次第に周囲は新平を
「長与局長の懷刀」と呼ぶように。

明治23年、在官のまま私費によって、ドイツ・ベルリンに留学。
コッホ博士のもとに行き、そこの伝染病研究所に北里柴三郎が留学、
研究仲間となった。
北里は、肥後阿蘇郡小田村(熊本県阿蘇郡小国村)の出身。
明治8年、北里が東京医学校に入学、専斎は校長。
長与と北里は師弟関係。

晩学の北里は明治13年、31歳で東京大学を卒業、
衛生行政に携わるつもりで三宅秀東京帝国大学医学部長を訪れ、
三宅は長与専斎を紹介。
長与は承諾したが、入ってみて、後藤新平の月給が高い、
最高学府を出た自分は、田舎医者の下風に立つことは出来ぬと文句。

それが効いたか、明治19年1月、北里はドイツのコッホの下に官費留学。
遅れて新平は、明治23年に私費留学。
長与がみせた配慮を感ずる。
新平と北里の二人は、ドイツ留学を通じて友情で結ばれる。

http://www.iwanichi.co.jp/feature/gotou/item_13073.html

シベリア発祥の「塩セラピー」、呼吸器症状に効果

(CNN 6月28日)

ロンドン郊外の通り沿いに建つ、教会を改築した建物。
一歩足を踏み入れると、そこには一面、塩の世界。
シベリアの岩塩坑を再現したこの部屋では、
ぜんそくなどの呼吸器症状に効果があるとされる「塩セラピー」。

塩セラピーは、「ハロセラピー」とも呼ばれる民間療法。
19世紀後半、シベリアで岩塩を採掘する作業員らに
呼吸器の病気が非常に少ないことが分かったのをきっかけに、
ロシアや東欧諸国に普及。

塩に含まれるカリウムやマグネシウムなどのミネラルを
吸い込むことで、たんなどの粘液を除去し、
アレルギーによる炎症を抑える効果。
患者は、地下にある岩塩の洞くつで1日2―3時間過ごすのが一般的。

ロシアでは95年、岩塩坑を医療目的で利用することを
当局が正式に認可。
米医学専門誌NEJMでは06年、呼吸障害などを起こす遺伝的な病気
「のう胞性線維症」の患者を対象に、塩セラピーを48週間続け、
「安全で効果的な追加療法である」と結論。
最近では米国内でも、各地のスパなどに導入。

ロンドン郊外に設けられた治療院では、
床と壁を分厚い塩の層で覆った部屋に、
岩塩の粒を含んだ空気が送り込まれる。
波の音が聞こえる静かな室内に、ゆったりと座ること1時間。
これを、1―2週間続けることで、ぜんそくなどの症状が軽くなり、
その効果は約1年間続く。

設立者のソフィア・ベンクさん(30)は、ハンガリー出身。
2年前、英国に住み、塩セラピーを受けられる場所がないことに驚いた。
「私自身が鼻炎に悩んでいたので、母国でなじみのある岩塩抗を
ここに再現してしまおうと思い立った」
来院した人々から、「アレルギーの薬がいらなくなった」などの声。

英国では、塩セラピーは保健当局に認可された治療法ではない。
ぜんそく治療の専門医らは、「主治医と相談しながら、
あくまで補完的な治療法として扱うべき。
服薬を勝手に中止するのは、危険な場合もある」と警告。

http://www.cnn.co.jp/science/CNN200906280002.html

"自閉症マウス"を作製 人の障害解明に期待

(2009年6月26日 共同通信社)

自閉症の人の一部でみられる染色体異常を再現した
遺伝子操作マウスをつくるのに、
広島大の内匠透教授(神経科学)らのチームが成功、
26日付の米医学誌セルに発表。

実験で、通常のマウスとは少し違った行動を示すのを確認。
内匠教授は、「まだ初歩段階だが、人の自閉症の仕組みを
解明するための"動物モデル"として役立ちそう。
原因遺伝子を調べたり、自閉症の行動を検証したりできる」

自閉症は脳の発達障害の一種で、社会性や対人関係に
問題が出るのが特徴。
複数の遺伝子が関係するとみられるが、まだ未解明な点が多い。

チームは、自閉症の人でみられる遺伝子異常で数%と、
最も頻度が高い15番染色体の一部領域の重複に着目。
同種の染色体重複を持つマウスを作製し、
通常のマウスとの行動の違いを調べた。

その結果、父親から染色体異常を受け継いだマウスは、
近くにいる別のマウスに対する反応が少し鈍い一方で、
学習した反復行動を繰り返すなどの違いがみられた。
内匠教授は、「自閉症の特徴と似ている」
母親から受け継いだ場合は差がなかった。

一部の遺伝子を操作した自閉症マウスの報告例はあるが、
今回は染色体単位で多くの遺伝子を含む。
チームは、より人に近いモデルができたとしている。

大阪バイオサイエンス研究所、京都大、藤田保健衛生大、
理化学研究所、英サンガー研究所などとの共同研究。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2009/6/26/102977/

三菱自の金子・本社ショールーム館長 「EVで生活スタイルも提案」

(日経 6月30日)

新世代エコカーが、本格普及期を迎えようとしている。
量販開始で先陣を切るのが、7月下旬に三菱自動車が発売する
電気自動車「i—MiEV(アイ・ミーブ)」。

深刻な需要不振が続く国内市場だが、相次ぎ登場する新型環境車は
販売活性化の起爆剤となるか?
三菱自の本社ショールーム館長を務める金子律子氏に、展望を聞いた。

——国内の新車需要は低迷が続いている。来館客の反応は?

「最近特に感じるのは、実際に新車を購入するまで、
時間をかけて細かに検討するお客様が増えている。
ショールームに何回も足を運んで、じっくり候補の車種を探す。
経済状況や社会の変化にあわせ、車を買うという消費行動のプロセスが
大きく変わってきている

——若者のクルマ離れが著しい。

「1番多い来客層は40~50代の男性と、外国人の方。
20~30代の若い方の来館は非常に少ない。
最近は人の声や動きに反応する(三菱重工業製の)人型ロボットを
使ったイベントを開くなど、女性や小さなお子様連れの家族客でも
入りやすいよう、集客面で工夫。
若い世代にクルマに触れてもらう機会を増やしていく。
それが市場活性化の近道」

——7月に発売するアイ・ミーブの展示を始めた。

「お客様の関心は非常に高い。
ショールーム内では、実際にキーを回して走行可能状態になった時の
クルマの静けさを試してもらったり、充電プラグを接続してもらったり、
実車を使った体験型の接客が好評。
配布用に、アイミーブのカタログも置いてあるが、
1日当たり70~80部のペースで減っている。
通常の新型車以上に注目度は高い」

「7月下旬から、一般向けの予約受け付けも始まる。
実際の購入を検討されているお客様も多く、
日常の走行可能距離や必要になる電気代、充電の方法など
具体的な質問を受けるケースも増えている。
今後は、本社ショールームでも定期的に試乗会を開催し、
アイミーブという新世代のクルマを試せる機会を増やしていきたい」

——電気自動車は、走行中のCO2排出量がゼロ。
これまでのクルマにはない特性をどうアピールしていくか?

「電気自動車は、静かでCO2も出さない。
室内で運転できる唯一のクルマ。
こうした特長を生かし、ショールーム内に未来の家を再現し、
ソファやテレビと一緒に展示するなど、様々な工夫ができる。
自動車だけではなく、生活スタイルも提案。
新しい見せ方が可能になる」

——電気自動車などの新世代エコカーは、市場を活性化できるか?

「可能性を秘めた自動車だと思う。
自分の家で充電するのが当たり前になれば、
クルマは携帯電話やペットのように身近な存在になっていく。
本社ショールームを、電気自動車の情報発信拠点として、
いろいろな企画を検討していきたい」

http://netplus.nikkei.co.jp/ssbiz/interview/int090629.html

B787で炭素繊維もダッチロール

(日経 2009-06-24)

次世代の素材として注目を集める、炭素繊維の需給の
緩和感が強まっている。

メーカー各社が、成長分野と位置づけていた航空機の生産の
遅れが響いている。
工作機械向けやゴルフシャフトなども落ち込んだまま。
需要回復の兆しが見えない中、価格競争の芽も出てきた。
各社は、航空機需要の拡大を前提にした生産計画の見直しを始めている。

「本当に値崩れはないのか」——
5月上旬、東レ本社で開かれた決算説明会の席上。
アナリストからの質問に、榊原定征社長はこわ張った表情を見せた。
同社の2010年3月期は、2期連続で最終赤字を計上する見通し。
炭素繊維が値下がりすれば、赤字幅の拡大は避けられない。

各社の炭素繊維事業は低迷。
大手炭素繊維メーカー3社(東レ、三菱レイヨン、帝人子会社の
東邦テナックス)の09年3月期の炭素繊維事業の売上高合計は、
前の期比15%減の1431億円。
営業利益は、同75%減の90億円。

炭素繊維の用途は、主に工作機械などの産業向け、ゴルフクラブや
釣りざおなどのスポーツ向け、航空機向けの3つ。

成長期待が大きかったのが、航空機向け。
米ボーイングの最新鋭中型機「787」や欧州エアバスの新型機「A380」
への採用が決まり、炭素繊維各社は生産能力を増強。

炭素繊維の使用量が多いのは「787」。
1機あたり約30トンを使う。
6月中旬時点での受注は865機。
生産体制のトラブルやストライキなど、
全日空など航空機会社への納入が遅れている。
「787」への独占供給権を持つ最大手東レの国内の在庫量も膨らみ、
昨春から生産能力に過剰感が出ていた。

昨秋以降の景気後退で、産業向けとスポーツ向けの需要が落ち込み、
需給が急速に緩んだ。

需給引き締めを狙い、各社は3~4割の減産に踏み切ったが、
今のところ効果は限定的。
在庫水準を適正レベルに戻すには、一段の減産拡大か、
拡販を図るしかない。

東レは決算説明会で、シェア拡大をまず意識した「売り抜き戦略」に言及。
冒頭のアナリストの質問は、それを受けてのもの。
「値段を下げろとまでは言っていないが、価格に販売量を掛けた
『面積』で取れと言っている」(榊原社長)

東レは、風力発電機のブレード(羽根)など新規需要への売り込みを強化、
強化プラスチック向けへの本格参入も示唆。
強化プラスチック向けは、これまで東邦テナックスが先行、
価格競争が激化する可能性が高い。

ゴルフや釣りざおに使う「プリプレグ」の汎用品も、弱含んでいる。
「足元では、直近の高値を付けた昨秋から約25%安い」
(大手スポーツメーカー)との声。

今後の需給のカギを握る、6月末予定の「787」の初飛行テスト。
テストの結果が「787」の生産計画を、各社の生産計画を左右する。
ボーイングは、初飛行の延期を発表。

炭素繊維の市場が、成長に向けて離陸できるか否か。
分水嶺を迎えようとしている。

http://netplus.nikkei.co.jp/ssbiz/shikyou/shi090623.html

2009年7月9日木曜日

「傷口につば→早く治る」メカニズムの一端解明…松本歯大

(毎日 6月27日)

口の中に傷ができると、唾液に含まれるたんぱく質の一種
「ヒスタチン」が別のたんぱく質と結合して、
歯肉細胞を増殖させて傷をふさぐことが、
松本歯科大の王宝禮教授(歯科薬理学)と
今村泰弘講師のグループの研究でわかった。

「傷口につばをつけると治りが早い」という言い伝えの
メカニズムの一端を解き明かすもので、
米科学誌「ジャーナル・オブ・バイオロジカル・ケミストリー」電子版に掲載。

ヒスタチンに、歯肉細胞を増殖させる作用があることは
知られていたが、その原理は分かっていなかった。

研究グループは、歯肉細胞にヒスタチンを加え、観察を継続。
その結果、歯肉細胞内にあって、熱などのストレスにさらされた際、
歯肉細胞を保護する働きをする「熱ショックたんぱく質」と、
ヒスタチンが結合し、歯肉細胞が増殖することが確認。
熱ショックたんぱく質は、全身の細胞にある。

王教授らは1991年、ヒスタチンが歯周病菌の活性を抑える
働きをすることを発見。
以来、ヒスタチンには抗菌だけでなく、傷の治りを早める働きが
あるのではないか、との仮説に基づいて研究。
王教授は、「この研究を発展させれば、口腔内の傷の治療薬製造
だけでなく、再生医療分野の研究にも広がる可能性がある」

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20090626-OYT1T01192.htm

特集:後藤新平の真髄 12 板垣の宿題、新平の課題

(岩手日日 2009年4月2日~)

新渡戸稲造の和子夫人に対する話。

「…一体人と交わるには、弱点をはっきり心得、何か一つでも
とり柄があれば、親しみが深まるもので、伯(新平)、伯より以上に
わが輩の失敗やら短所やら面と向ってわが輩に語り、
(和子夫人)あるいは面白をかしく他人にもよく話された。

わが輩も、この夫婦に対して何の隠すこともしなかった。
隠したとして、彼等の慧眼がわが輩の薄っぺらを見通すであろうと、
他人に語らぬことも、この二人には遠慮なく告げた。
且秘密を告げても、わが輩には何の心配もなかった。

和子夫人は、聡明なうえ、人情味が深く意思の強い人。
人の性格を見るところがなかなか鋭かったから、
度々わが輩に語られることもあったのは、
『後藤はあの通り大ざっぱですから、誰にでもお交りをし、
随分、望ましくない人も、周囲におりますので、
これだけが誠に心配でなりません。

某の如きは頭脳もよし、弁舌も爽やかですが、
女の眼には偽物のように映ります。あなたはどういう観察ですか』
などという質問はしばしばあった。

夫人の名指しした怪しげな人は、早速伯に迷惑をかけた。
一時伯の怒りに触れたものでも、夫人が『あの人はいい人なのに、
何ゆえあんなに、面と向かって腹を立てたのか、気の毒でなりません。
折があったら、貴方からも説明して下さい』などということも、
二度や三度のことでなかった」

読者には、新平の性格を知る参考として記した次第。

◆医師資格を得るまでに

新平は、福島県小学第一洋学校に入学、途中で辞め、故郷に戻る。
須賀川医学校に転じて、生徒寮に。
医師を目指す新平のスタート。
福島県病院六等医生となり、医学校生徒取締り内舎副会長として
月給3円を支給。
五等医生を拝命し、月給5円を支給。
この時期が、医師としての修業(卒業)とみていい。

生徒寮内外舎長となり、月給8円を支給。
愛知県病院三等医を拝命、ローレツ博士の指導を受ける。
医術開業試験を合格、愛知県医学校四等訓導、
大阪陸軍臨時病院の傭医(日給60銭)、医術開業免状下付。

新平が、医師資格を正式に得るまでの道程を記したが、
岐阜で暴漢に襲われ、名古屋に名医がいると板垣周辺が聞いて、
往診を求められ、新平が急行した。

◆板垣退助、会津藩に悟る

板垣は、官軍の将として東京から東北へ進み、
会津藩境に入った時の所感を残している。
「境土に臨むや、あにはからん、一般の人民は妻子を伴い、
家財を携えことごとく四方に遁逃し、
一人来てわれに敵する者なきのみならず、
わが手足の用をなし、賃金をむさぼりて、てんとして恥じざるに至る。
われ深くその奇観なるを感じ、いまだかつてふところにこれを忘れず…」

これには前段がある。
板垣らが会津城を攻略し、藩主松平容保が妙周寺に退去するとき、
警衛に当たった二川元助の陣地に、会津の一農民が
一かごの焼芋を持参、藩主へ献上の手続きを依頼。
後日交代して本営に引き揚げた二川が、これを同僚に話し、
奇特のいたりであると感嘆しているのを聞き、
板垣は一人黙然とし、次のように感想を述べた。

「…兵を進めて会津に入らんとするに当たり、自らおもえらく、
会津は天下屈指の雄藩にして政善に民富む。
もし上下心を一にし、力をもって国に尽さば、わが三千未満の官軍、
容易にこれを降さんや。
よろしく、若松城下をもって墳墓となし、たおれて後ちやまんのみと」

板垣は、「百姓が領主に焼芋を献じた美談」を聞き、
一座が嘆賞しておかないのを知り、はじめて悟るところがあった。

今、国が亡び、家破れ、君主が面縛して降服するとき、
領民である農夫が一死もって国に酬いようとしないのはなぜか?
その楽を共にしないものは、その憂いを共にしないゆえんであって、
会津藩がその国の亡ぶのにおよんで、わずか三千の武士だけが
これに殉じ、農・工・商の民衆が逃げてしまって、
その国をかえりみないのは、この道理にほかならない。

板垣は後年語っている。
「是を以て今日の策を断ずるに只だ他なし、四民均一の制を建て、
楽を共にし、憂いを同ふせんのみ。
而して後、始めて百年の大計成るべき也。富強の基礎固かる可き也と」
(『史伝板垣退助』絲屋寿雄著から)

板垣が言いたいのは、民衆が藩主を支持せず、
かえって官軍を支持したから、三千の武士だけがいかに壮烈に戦っても、
会津藩はついに官軍に勝てなかった。
住民の全部が、国のために喜んで死ねるような体制を
どうしたら作り出すことができるか。
板垣にとって、宿題となった。

やがて政治家を目指す新平にとっても大きな課題となるが、
新平の行動、実践を待ちたい。

http://www.iwanichi.co.jp/feature/gotou/item_12955.html

アンジェリーナ・ジョリーさん、難民支援への情熱を語る

(CNN 6月28日)

15歳で家族を失い、重傷を負いながら、
それでも笑顔を見せた少年の強さが忘れられない――。

01年から国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の
親善大使を務める米女優のアンジェリーナ・ジョリーさんが、
難民支援活動への情熱を語った。

ジョリーさんは親善大使として、世界各地の難民キャンプを訪問、
イベントなどを通して啓蒙活動を続けてきた。
夫の俳優ブラッド・ピットさんとの間の子どもたちのほか、
難民の子らを養子にして育てている。

夫妻は、6月20日の世界難民の日に先立ち、
パキスタンの避難民に100万ドルを寄付。
ジョリーさんは難民の日の記念イベントなどの合間に、
CNNとのインタビューに応じた。

「現時点で最も気がかりな難民問題は?」との質問に、
ジョリーさんは「パキスタン」と答えた。
「避難民は、短期間のうちに200万人にも達した。
可能な限りの支援が寄せられても、間に合わないほどのペース」

ジョリーさんは数カ月前、パキスタンの隣国アフガニスタンを訪問。
同国の状況についても、「支援団体が危険にさらされ、
活動できない地域が広がっている」と懸念。

「これまでに話を聞いた人々の中で、忘れられない人物は?」、
ジョリーさんはある少年との出会いを紹介。
「かれは15歳前後。背中を銃で撃たれ、体がまひしていた。
家族は全員殺害され、天涯孤独の身。
それでも驚くほどけなげで、笑顔と優しさに満ちていた。
現地で出会ってから数カ月後に亡くなってしまったけれど、
生きていたらどんなに立派な人物になっていただろう。
私に強さを教えてくれたかれのことを思うと、
自分自身の今の暮らしにただ感謝するばかり。
文句など言えないと思います

ジョリーさんは、夫妻の子どもたちについて、
「世界に飛び出して人々の暮らしぶりを見たり、
強く生きる子どもたちと出会ったりしてほしい。
そうすることによって、より良い人間になれると思うから」

http://www.cnn.co.jp/showbiz/CNN200906280017.html

米燃費規制、ゴーン氏が狙う逆転劇

(日経 2009-06-29)

GMの法的整理が進む米国。
自動車市場はまだ厳冬期が続くが、
自動車メーカーの間で少しずつ差が開いてきた。
不況を脱した後にやってくる「環境の時代」への対応。

「ポテンシャルは大きい」
日産自動車のカルロス・ゴーン社長兼最高経営責任者(CEO)は、
米国での電気自動車事業への期待感。

日産は来年、電気自動車を商品化するが、
日本での量産とほぼ同時期(2011~12年)に米国でも現地生産。
日本の自動車大手は、金融危機以降、生産能力の拡大につながる
投資を先送りしているが、ゴーン社長は「電気自動車は別枠」と即断。

インセンティブも働いた。
電気自動車の米国生産には、オバマ政権から16億ドル(1520億円)の
公的融資が出る。
引き出したのは、ゴーン社長。
大統領選のさなか、オバマ陣営にアプローチし、昨年末には
「(融資の方向で)いい感触を得ていた」(関係者)。

「活用できる公的資金は、世界中で確保せよ」
そんな指示を出していたゴーン氏の本当の狙いは、米国の政府資金。
危機後をにらんだ果敢な経営判断という点では、
機敏なロビー活動を含め、評価していい。

日産は、電気自動車の米国での本格展開で、
オバマ大統領が導入の4年前倒しを決めた
新燃費規制の対応に大きく前進。

新基準は、乗用車・トラックを合わせた全社平均で、
1ガロンあたり35.5マイルと、日欧の長期規制と比べても厳しい。
現状では、最も基準値に近いとされているのは、
ハイブリッド車を持つホンダ(現在1ガロン26マイル程度)と
トヨタ(同24マイル程度)だが、ガソリンを使わない電気自動車が増えれば、
日産が一気に優位に立つことも不可能ではない。

日本勢に比べ、米国勢は動きが鈍い。
GMは、再建の目玉、電気自動車「VOLT」の量産時期が見えてこない。
米政府から60億ドル(6315億円)の融資を受ける
フォード・モーターもハイブリッド車を持つものの、
「35.5」のハードルをどう越えるのか、具体策が見えない。

最も心配なのは、現金の流出が止まっていない点。
米国でも、3500ドルから4000ドルのスクラップ・インセンティブ
(廃車にして新車を買う際に支給する補助金)制度ができたが、
GM車はさらに7000ドルから8000ドル値引きして売る
ディーラーが少なくない。
日本車の値引き率ははるかに小さい。

GM、クライスラーの再建は緒についたばかり。
この状況が続くとなると、電気自動車やハイブリッド車どころではない。
ブッシュ時代の遅れを取り戻すのは重要だが、
今の状況で燃費規制を強めたら、オバマ大統領も米国勢の力不足を
目の当たりにする場面が増えそう。

http://netplus.nikkei.co.jp/ssbiz/tanso/tan090626.html

高校再生(4)移転契機 新たな校風へ

(読売 6月27日)

不正な手段で元生徒の入学を阻止した背景には、
問題再発への恐れがあった。

「(改ざんより)入学してくる方を問題視していた」
昨年11月、都立日本橋高校で2006年の入学試験結果の
改ざんが発覚した。
退学後に再受験してきた2人の元男子生徒を
不合格にしたことについて、当時の校長が都教育委員会に語ったのは、
学校が再び荒れることを恐れる言葉だった。

2人が入学したのは05年4月。
当時の同校は東京・中央区のビル街にあり、小学校を転用した小さな学校。

05年度の中退率は6・7%(28人)。
都内の平均(2・4%)に比べて高く、学校は指導に追われていた。
「昼に校外に出ると帰ってこないし、授業中でも廊下を歩いている生徒がいた」
当時を知る関係者は語る。
狭い校舎で、生徒がストレスをためないようにと、
昼休みの外出は認めたが、校外での食べ散らかしや喫煙に苦情。

2人のうち1人は、校内で暴力やいじめの問題があり、
複数の生徒がいじめを受けて学校を辞め、
怖がって不登校気味の生徒もいた。
もう1人は、校外で補導されたことがあった。
2人は同年12月、それぞれ自主退学したが、翌春の入試に再受験。

学校は対応に苦慮した。
移転を09年に控え、学校としても早い時期の立て直しを図っていた。
服装は、私服から制服にすることを決め、
入試では生徒の意欲を見る面接を導入することも決定。

「校内には、予備軍的な生徒がたくさんおり、
2人が入学すれば学校が落ち着かなくなると予想」
2人とも合格圏内にいたが、校長の指示で調査書などを改ざんし、不合格に。

「フェアじゃないし、教師としてあるまじきこと」
石原慎太郎都知事は厳しく断じた。
都教委は、「ルールを曲げてまでやる行為ではない。
絶対あってはいけないこと」と、
当時の校長を懲戒免職、副校長を停職3か月の処分。

当時、同校の入試に面接はなかった。
元生徒らは、再入学への思いをアピールできず、
学校側も意欲で合否を判断できる権限はなかった。

問題発覚から半年後、同校は墨田区に移転。
3学年とも制服で統一され、生活面の指導も行き届き、
昨年度の中退率は3・4%(14人)まで下がっていた。

今年度から3年間、都の重点支援校になった。
「茶髪・遅刻ゼロ」を目標に掲げて生活指導に力を入れ、
校舎が狭いために十分でなかった部活動も充実。
ボートが盛んな墨田区に来たことで作ったボート部は、
13年の東京国体に向けた都教委の国体強化部活動候補。

「過去には、自由な校風が風紀の乱れにつながった時期も。
部活を活発にし、授業を充実させて進路の決定率を上げていきたい」
八戸伸二校長(59)は話す。

移転を追い風に、新しい学校づくりが進んでいる。

◆入学試験結果の改ざん

2006年2月に行われた都立日本橋高校の入学試験で、
当時の校長が当時の副校長に指示。
合格圏内にあった2人の元男子生徒の調査書や自己PRカードの
評価を低く、他の受験者の評価を高く改ざんするなどし、
2人を不合格にした。
試験は62人が受験し、合格ラインは60位。
改ざん前の2人の順位は34位と59位。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20090627-OYT8T00257.htm

2009年7月8日水曜日

頭でイメージするだけ、脳波で動く車いす

(毎日 6月29日)

両手足の動きをイメージしただけで電動車いすを動かすことに、
理化学研究所とトヨタ自動車などの研究チームが成功。

文部科学省の庁舎内で、8の字を描きスムーズに走る様子を披露。
脳波の変化を、頭にかぶった装置の電極5個で検知し、
0・1秒で分析して車いすのモーターに伝える仕組み。
「右手を上げる」と想像すると、左脳が発する脳波が小さくなり右に進む。
左手を上げようと考えると右脳、足を動かそうと考えると
中央部が発する脳波が小さくなり、左に進んだり、前進したりする。

ほおを膨らませると、筋肉の動きをセンサーがとらえ、
緊急停止する安全策も組み込んでいる。

1日3時間、1週間の訓練で操作できるようになる。
熟達には個人差があるといい、同研究所の山田整客員研究員は、
「個人差が出ないような脳波の解析能力と、
安全性を高めるセンサー機能を持たせれば、実用化に近づく」

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20090629-OYT1T00887.htm

効果ある政府の研究投資とは?

(サイエンスポータル 2009年6月25日)

科学技術政策研究所が、科学技術基本計画をフォローアップした
調査研究報告書「政府投資が生み出した成果」を公表。

iPS細胞研究など、政府の支援が功を奏した代表的な成果
「政府投資が支えた近年の科学技術成果事例集」として、12の例。
どのような種類の支援が効果的だったか、
それぞれ当該研究機関からの回答を基に付記。

一つの政策だけで成果が実現できた事例は存在せず、
複数の政府支援の相乗効果が大きいことを強調。

有効な支援策は、「研究開発への資金投資」と
「最先端の連携拠点の形成・活用・維持」。
その他の支援策の効果はどうだったのか?

「人材の育成・確保・創造」と「社会制度の策定・整備(法規制、社会基盤)」
を、有効な政府支援策として挙げている成功事例が少ない。
「この支援がなければ、成果は達成しなかった」として、
「人材の育成・確保・創造」を挙げた成功事例は、
12のうち「次世代画像表示技術(有機EL)」のみ。

「脳科学の展開」、「動脈硬化予防・治療法(高脂血症治療薬)」が
「この支援がなければ成果の達成が遅れたであろう」というものに、
「人材の育成・確保・創造」を挙げているだけ。

資金や研究拠点整備といった支援に比べ、
人材の育成は一朝一夕にいかない。
人材の育成と確保は、第3期科学技術基本計画の大きな柱。

効果があったとされる例が少ないもう一つの支援策、
「社会制度の策定・整備(法規制、社会基盤)」も、
イノベーションという観点から気になる。

「基礎研究の成果、開発研究の成果、発明、技術革新などだけでは
『イノベーション』とは言わない」、
「研究者が論文を書いて喜ぶだけでなく、その先の新たなコンセプトを
出すように科学技術政策を変え、社会システムの変更や
国民全体の意識の変更、市場構造の変更へと政策誘導していくのが
本当の意味でのイノベーション政策」

こうした声が、早くからイノベーションの必要を唱える
指導的な人々から出ている。
科学技術政策研究所が成功事例とした12の成果のうち、
こうした高い目標を掲げる人々を満足させるようなものは
果たしてどれほどあるのだろうか?

http://www.scienceportal.jp/news/review/0906/0906251.html

特集:後藤新平の真髄 11 医者から政界に関心

(岩手日日 2009年4月2日~)

岩倉具視が亡くなる約6か月前に会い、
板垣退助が暴漢に襲われて、その治療に急行する
後藤新平をみて思うことがある。

明治政府が、米欧使節団を明治4年に差遣した時の全権大使、
右大臣その人であり、帰国後、征韓論を主張した
西郷隆盛、板垣退助らが敗れ、征韓反対派の岩倉具視、
大久保利通らが政治の主流になるが、
両派に、新平は存在感を印象付けた。

安場保和は岩倉、大久保に気脈を通ずる官僚。
新平は、安場の二女和子と結婚、医療行政官僚として前途も開かれる。
行政官として北里柴三郎と机を並べ、
北里が新平の給料が高いと上司に文句を言う。

◆新渡戸の後藤夫人回想録

新平の生涯にとって、安場和子と結婚したことは最も誇れる出来事。
新渡戸稲造は、台湾総督府時代の和子夫人の回想録を、
偉人群像「後藤伯に対する和子夫人の内助」と題して書き、
その人柄を高く評価。

「後藤伯について語るものは、和子夫人の功を見逃してはならぬ。
和子夫人は明治初期の官界に、その名を轟かした安場男爵の息女。
後藤伯が少年時代、安場男爵が彼を見込んで、その娘を娶らした。

彼女は、頗る厳格な古武士的家庭に教育を受けた。
折々わが輩も親しく話を聞いたが、衣食に関する心掛け、
身のたしなみ、言葉遣ひ、一部始終両親の直接監督の下に鍛へられ、
あの喧しい後藤伯の夫人となっても、何の不足もなかった。

彼女の耐忍の力の偉大なることは、わが輩しばしば目撃。
日々の修養に心掛けられるは、誰人も夫人に会った人の気がついたこと。

わが輩、初めてこの夫人に紹介を得たのは、台湾赴任当時。
台北に着して数日ならず、時の長官々邸に晩餐に招かれ、
初めてこの人を知り得たが、その後一、二週間を経て、
夫人が草花を非常に愛翫さるる由を聞いて、
一日植物園に御夫婦を招いた。
伯は、例の通り大ざっぱな話のみで時を移したが、
夫人は細かに熱帯植物の名やら、性質、使用法について質された。

その質問が、單に好奇心のみでなく、真面目にして、
且実用の考へより出ることが明らかで、
わが輩は彼女の頭脳の細やかなることに注意を惹かされた。

この時、わが輩が彼女に如何なる印象を与えたかは、
その後数年を経て、彼女の口から聞くことが出来た」

和子夫人に対する新渡戸の聡明談は、なお続く。

「私は台湾に参りまして、別に友達もなく、他に慰みも、稽古をすることも
なかったものですから、草木が好きなため、それを幸ひ
熱帯植物の名だの用途等を知りたいと思ひ、色んな方に伺ひましたが、
御存じの方が少ないのに困ってをりました。
ある時、このことを主人に話しましたら、主人の申しますのに、
もう少し待ってをれば、新渡戸といふ農学博士が来るやうになってゐるから、
さうすれば何でも解るといって慰めて呉れましたので、
私は貴方の御赴任を待ってをりました…(以下略)」

新渡戸と和子夫人との出会いと、その感想記は面白い。
新平の歩みと関連して、今後も引用することにして、
板垣についてもう少し説明しておこう。

◆明治維新の指導者を知る

板垣退助は、天保8(1837)年4月17日、高知生まれ、
明治維新では土佐藩革命派を代表して軍事、政治の両面で、
重要な役割を演じた。
維新後は、自由民権運動の最高責任者として、
議会政治の確立のために東奔西走し、近代日本の民主化に貢献。
1881年、自由党を創設、総理となる。
翌年、岐阜に遊説の際に刺客に刺され、
「板垣死すとも自由は死せず」

新平は、板垣を知ることによって、
明治維新の指導者を理解する機会を得た。

慶応3(1867)年、薩摩、長州、土佐藩が討幕の密約を
結んだことが契機となり、維新の動乱は成功に。

板垣は、維新の功績によって、朝廷から永世禄1000石を下賜され、
土佐藩は家老に昇格、780石に加増、陸軍総督とした。
明治3(1870)年大参事に任命、権大参事福岡孝弟と協力して
藩政改革を試み、特に「土民平均の理」を掲げて、
個人の平等を改革の核とした。
3年後、高知に設立された立志社を中心に、
自由民権運動が板垣の志として引き継がれる。

明治10(1877)年2月、西南戦争が起こると、
高知の立志社にも風雲に乗じようとする運動が激化。
立志社の幹部は、ことごとく逮捕。
板垣は、愛国社の再興をはかって、遊説員を各地に派遣、同志を集め、
明治11(1878)年9月、第一回会議を大阪で開いた。

愛国社は、明治13(1880)年3月、国会期成同盟と改称。
4月、片岡、河野広中を代表とし、政府に国会開設要望書を提出。
政府はこれを拒否、時勢の推移と世論の激化に抗しきれず、
翌年10月12日、10年後を期して国会を開設する旨の詔勅。

10月15日、国会期成同盟を母体とする自由党が組織。
板垣は、その総理に就任、各地を遊説中、
明治15(1882)年4月5日、岐阜で暴漢に襲われた。
負傷で窮地を脱したが、新平は、傷の手当てに尽くし、
板垣の人となりを知り、医者から政治に開眼する機会。

http://www.iwanichi.co.jp/feature/gotou/item_12858.html

スマートグリッドでもガラパゴス?

(日経 2009-06-22)

ITを使って電力供給を制御し、CO2排出量削減にも有効、
という次世代送電網「スマートグリッド」。
米国では、GEやIBM、グーグルなどの企業が参入を表明、
開発熱が高まってきた。

日本の電力会社は、どちらかというと冷ややか。
停電が少ない日本の電力会社は、世界的に優等生であるうえ、
スマートグリッドの中身があやふやなのも確かだが、
技術革新の動きにアンテナを高くしておかないと、
“ガラパゴス化”する恐れがある。

「日本の電力技術は、米国のはるか先を行っている」
大手電力の役員は、スマートグリッドにそっけない。
設備の更新もあまりせず、停電が発生しても場所の特定さえ手間取る
米国の電力会社に比べ、日本の電力会社の品質管理は一段高いレベル。

戦後、10電力体制の規制の下、大規模電源の開発と大容量送電網を
セットにした系統整備を、全国規模で進めたことが大きい。

しかし、これからは電力需要の伸びが期待できないうえ、
低炭素化社会への対応で、太陽光や風力など
分散型電源の受け入れを格段に増やす必要。
出力の不安定な太陽光や風力を、より取り込みやすい
スマートグリッド関連の技術開発は、日本の電力会社にとって重要。

世界の電力事情に目を向けると、
日本を上回る速度で、分散型電源が広がっている。
欧米では、大規模な風力発電所の建設ラッシュ。
中東では、砂漠に大規模太陽光発電所を建設する構想が浮上。

注目すべきは、インドなど新興国。
経済成長のスピードに、大規模電源の開発が間に合わないインドでは、
電気が通っていない農村部を中心に、家庭用太陽電池が急速に普及。
ニカラグアなど中南米でも、何年もの「送電待ち」に耐えかねた
農村の顧客が、太陽光発電設備を自費で導入、灌漑用ポンプなど
農業生産にも利用する動きが広がっている。

こうした国でも、いずれ大規模電源の建設が追いついてくる。
原発や火力発電所に、太陽光などの分散型電源を組み入れた
送電網を運用には、ITによる制御技術と関連機器が欠かせない。
米大手が競って、スマートグリッド市場に参入するのは、
世界で需要が急拡大するとの読み。

「発展途上国で、再生可能エネルギーを使った分散型電源が
普及すれば、米国にとって技術輸出の好機」
米電力技術研究所は10年前、すでにこんな指摘。
米国企業は、世界市場攻略を念頭に、スタンダードをつくるのがうまい。

日本勢が手をこまぬいているうちに、GEやIBM、グーグルが
スマートグリッドで業界標準をつくり、電力会社などと組んで
新興国市場に攻めたら、日本企業が食い込む余地はどれほどあるか。
マイクロソフト、インテルの「ウィンテル連合」に、
付加価値の大半を奪われた、パソコンの世界にどこか重なる。

電力会社の技術開発にかける意気込みが、
以前に比べて衰えていないだろうか?

CO2排出量削減に有効な電気自動車(EV)。
電力消費増になり、夜間に充電すれば電力の負荷平準化にもプラス。
電力会社では、推進機運が高まっていると思いきや、「ほどほどでいい」
「あまりにEVが普及すると、ガソリン税収が減り、
代わりに電力に余分な税金がかけられるかもしれない」との心配。

気になるのは、関連メーカーなどと組み、新産業を興そうという
気概が電力会社からあまり伝わってこない。
低炭素社会対応や原油高を背景に、再生可能エネルギーの急拡大や
原発回帰など、世界のエネルギー市場は大きな転換点。
仏電力公社(EDF)が英ブリティッシュ・エナジー、
ベルギーのSPEと欧州の電力会社を相次ぎ買収するなど、
欧州電力の勢力図は急速に塗り替わり、
新興国では分散型電源ベンチャーが次々に登場。

エネルギー市場の変革は、日本の電力会社にとって
ビジネスチャンスが増えていることを意味するうえ、
公益企業として新産業創造の役割を演じる好機。
電力会社の攻めの経営を期待したい。

http://netplus.nikkei.co.jp/ssbiz/tanso/tan090618.html

高校再生(3)「体験」や「選択」で人気校

(読売 6月25日)

ユニークな授業改革により、2年で人気校になった。

兵庫県立神崎高校の1年生80人が少人数に分かれ、
地元の保育園など13か所を訪問。
体験学習「コミュニケーション授業」

同町内の神崎保育園には10人が訪れ、園長から
「お父さんお母さんの気持ちで接して下さいね」と助言を受け、園庭へ。
早速子どもたちに囲まれ、「手をつないで」、「遊ぼう」などとせがまれた。

隣町の鶴居保育所を訪れた祖浦拳也君(15)は、
「ほかの高校では、できない貴重な体験ができた」と喜んだ。

1977年、分校から独立して誕生した神崎高は、
山あいの小さな町にできた牧歌的な高校。
98年、JRが電化し、都市部の生徒が増えた頃から、
茶髪で制服を着ずに登校する姿が目立つ。
通学路では、水田の水を抜くような悪質ないたずらが繰り返され、
評判が悪化した。

2000年、定員割れが始まった。
1年は4学級あったのが、01年度は3学級、03年度には2学級、
定員80人。入学者はたった45人。もう後がなかった。

同年度に赴任した増尾禮二校長(59)(当時)は、
生徒指導だけでなく、「魅力作りが必要だ」と考え、
教員らと一気にカリキュラムを練った。

興味が持てる授業には、何が必要なのか?
目玉の一つが、増尾校長の着任以前から模索していた
コミュニケーション授業。
当初は、けがをさせたらという懸念の声もあったが、
問題を繰り返す生徒にも、幼児は抱っこをせがみ、
去り際には「帰ったらあかん」と泣いた。
担当した斎藤勝主幹教諭(46)は、
「頼られ、役に立つことで、素直な気持ちが出てきた」

東京都立高校で実績を上げた「30分授業」にも、目を付けた。
他の教員たちも、「座学の50分は持たない」と
集中力に課題を感じていた。
午前中の授業を20分短縮し、基礎学力の定着を目指した。

午後は、体験学習と選択授業の時間に。
農林業の町で、高齢者も多いことから、選択科目に「福祉教養」、
「木工クラフト」、「健康スポーツ」、「インターンシップ」を新設。
自分の興味や進路から、選べるようにした。

改革は、積極的にアピールした。
選択4科目は、ディスカバリーアワーと名付けられ、
スペースシャトルにちなんだ宣伝文句が考案。
PRには、地元ケーブルテレビなども活用。

この結果、04年度には早くも定員割れを解消。
05年度は、個性が重視される特色選抜で、募集8人に33人が志願、
県立高トップの倍率。3年前から、就職率100%を実現。

人気校になったことで、生徒のタイプが変わり、
08年度からは30分授業を廃止。
内海芳樹教頭(53)は、「夢を発見し、その夢が実現できる学校という
改革の精神を引き継ぎながら、常にカリキュラムを見直し、
地域から期待される学校であり続けたい」

◆コミュニケーション授業

幼児や高齢者と継続的に交流することにより、
人とのかかわり方や自尊感情を養う授業。
鳥取県立赤碕高校(現・鳥取中央育英高校)が実践、全国から注目。
神崎高校では現在、1年生全員が隔週、4時間連続で
地元の幼稚園や保育園を訪問。
毎回、記録ノートに目標や活動内容、「子どものつぶやき」を記し、
保育士らもコメントを残していく。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20090625-OYT8T00275.htm

2009年7月7日火曜日

インタビュー・環境戦略を語る:INAX・川本隆一社長

(毎日 6月22日)

バス、トイレ、キッチン、タイルなど身近な住宅設備の
大手メーカー、INAX。
製品を「つくる」、「つかう」、「もどす」という3つの場面で、
先進的な環境活動を展開。
08年、「環境宣言」では、2050年にCO2総排出量を、
90年比で80%削減するという高い目標を掲げた。
川本隆一社長に取り組みを聞いた。

--環境についての基本的な考え方は?

会社は、社会の公器だというのが、1924年創業以来の企業理念。
経済活動が大きな環境負荷を与えている、企業も行動しなければ、
ということで、92年から6回の環境宣言。
INAXは、たくさんの窯を持っているが、産業活動を続けながら
CO2排出量を減らすことが重要な課題。
昨年の宣言では、2050年、先進国が目指すべきだという議論がある
「80%削減」を目標。

--「つくる」過程でのCO2削減をどう進めてるか?

◆既に窯の燃料を、石油から天然ガスに替えることで、
CO2排出量を大きく減らし、窯の熱効率を上げる技術に取り組んでいる。
10年から、知多事業所に風力発電機を建設する予定。
伊勢湾に面し、北西風がよく吹く場所。
テストケースだが、これを足場に大規模な投資を考えている。

--消費者が「つかう」場面での省エネには、どんな工夫を?

◆社内の基準をクリアした「エコ推奨商品」を、売上高の90%が目標。
4月から、INAX製品を使った時、90年比でCO2排出量を
どれだけ減らせるか、カタログやホームページ、ショールームでの
表示を始めました。
冷暖房のエネルギー削減では、湿度を安定させる「エコカラット」という
建材があり、エアコンの使用を減らす。
給湯エネルギーの削減では、シャワーの流量を減らしても、
同じ爽快感を得られるよう、お湯の出方を工夫。

--製品を、資源に「もどす」取り組みもしている。

◆製品には寿命があるので、廃棄される時にいかに環境に
負荷を与えないかが重要。
07年、本社がある愛知県常滑市に「エコセンター」をつくり、
我々自身でリサイクルを始めた。
リフォームでお風呂を壊すと、INAXが作ったものではない
木材やセメントも一緒に出て、それらを全部エコセンターで引き取る。
徹底的に分別・分解し、新たな資源としてまた社会に還元。
現在は1カ所だけ、全国的な展開も考えている。
==============
◇かわもと・りゅういち

早稲田大理工卒。76年伊奈製陶(現INAX)入社。
住空間事業本部設備事業部長、取締役専務執行役員などを経て、
07年6月から社長。愛知県出身。56歳。

http://mainichi.jp/select/science/archive/news/2009/06/22/20090622ddm008020020000c.html

産学官共同研究拠点費695億円を生かすには

(サイエンスポータル 2009年6月22日)

総額2,700億円の研究支援基金とともに、補正予算で大きな関心を
集めている695億円の地域産学官共同研究拠点整備事業費を、
どのように地域発イノベーション創出に生かすか?

事業推進方策を検討する
「産学官イノベーション創出拠点推進委員会」の初会合。
新たに始まる「地域産学官拠点整備事業」の基本方針のほか、
最大で都道府県各1カ所ずつ新たに設けられる、
産学官イノベーション創出拠点の公募要領を、
7月末までにまとめる役目。

有馬朗人委員長をはじめ25人の委員会メンバーは、
知事、地方の大学の現・前学長、企業経営者、
地方に多くの出先機関を持つ独立行政法人役員、ブロック・地方紙幹部など。
広範囲の意見を取り入れたいという事業実施機関、
科学技術振興機構の思惑とともに、地方の関心の深さを示す。

委員から出された意見、質問はさまざま。
産学官イノベーション創出拠点各地域の活性化に、
予算をいかに効果的に使うかは、明確な構想を持ち得ていない。

機構は、建物・研究設備の建設・製作を担い、建物の所有者となる。
地域は、拠点整備事業の構想・計画の立案、
土地の提供と拠点の運用責任を持つ。

「既存の施設がいろいろある。これらを統合する形は可能か?」
「施設については増築も可能」との答え。
既存の施設の活用も、事業の目的、条件を満たせば認められる。

「地域活性化は、多様な価値観を取り入れてほしい」との要望。
地元にこれぞという企業がなく、地域の産学連携が進んでいない事情。

施設・設備をつくるだけでなく、その後の負担も支援してほしいと要望。
「運用経費に地域の負担。
建物・設備を作ってから何をするかは、地域に任せている」
北澤宏一・科学技術振興機構理事長は、
「地域からの提案によっては、機構として応援も考える」

運用費負担の問題は、この先も地方から強い要望として出されそう。
運用費に加え、地域には人がいないという発言。
産学官をとりまとめる人材の育成や確保という課題が、
拠点の運用費確保とともに、この事業を機にあらためて大きな問題。

科学技術振興機構が示した拠点整備のスケジュール案によると、
今年度に各県1件、数億円から最大30億円の提案を公募、審査を経て、
年内に設計を完了、来年度遅くても再来年度までに拠点を建設、
2011年度以降に運営開始。

http://www.scienceportal.jp/news/review/0906/0906221.html

特集:後藤新平の真髄 10 北里柴三郎の抗議

(岩手日日 2009年4月2日~)

新平は、明治16(1883)年1月25日、内務省御用掛を拝命。
当時、内務省衛生局は、大学生の秀才を採用。
内務省衛生局には、大学出の医者は暁の空の星ともいえるように
少なかった。その中に、新平の姿は目立つ存在。

同じころ、内務省衛生局に入ったのは、新進の学士北里柴三郎
新平は、月給100円。北里は、70円と少ない。
見比べて、北里は長与専斎衛生局長に抗議。

「私は、仮にも最高学府を出ています。後藤君は、福島あたりの、
あやしげな医学校の速成課程を修了したにすぎない。
私は、どうしてそういう男の下風に立たねばならないのか」

北里は、嘉永5(1852)年12月20日、肥後に生まれ。
東京医学校(現東京大学医学部)卒業後、1885年から91年まで
ドイツに留学、R・コッホの下で細菌学を学んだ。
1889年、破傷風菌の純粋培養に成功し、毒素を抽出、
これを兎に注射して血清に抗毒素をつくらせ、
この血清を人に注射することによって破傷風を予防、治療するという
破傷風の血清療法を、90年12月3日に発表。
これは、世界の学界を驚嘆させた。

帰国後、92年に設立された伝染病所長に就任、
香港に出張し、腺ペスト菌を発見したが、評価されて1908年、
イギリス王立教会の名誉会員に選ばれた。
14年、政府は伝染病研究所を内務省所轄から文部省に移し、
東京大学付属を決定、これに反対し所長を辞め、北里研究所を創立。
24年男爵、慶応義塾大学に医学部を創設、医学教育に当たった。
日本結核予防協会理事長として、結核撲滅に努めるなど、
日本の社会衛生の発展に力を尽くした(1931年6月13日没)

須賀川医学校に学んだ新平であるが、内務省衛生局の職員から、
北里のように不満を持つ者も。
内務省衛生局長長与専斎はどう答えたか?

◆学歴超えた、新平の報酬

長与は、天保9(1838)年8月28日、長崎生まれ。肥前大村藩士。
安政1(1854)年大阪に出て、日本洋医学の先駆者緒方洪庵の門に。
蘭学、医学を修め、長崎でオランダ医師M・ポンぺ、C・マンスフェルトから
蘭医学を学び、長崎医学校学頭となる。
明治4年、東京に出て内務省に入り、欧米を回って医学教育、
医事行政を視察、帰国後、種痘法を制定、牛痘腫継所を設置。
東京医学校長、元老院議官、晩年は貴族院議員となる。

北里は、後にドイツ留学で新平とは留学仲間となる。
出会い当初の内務省衛生局では、後藤の月給は上で、
北里とは格段の差が。
北里は、これに不満の声をあげて長与にかみついた。

北里の抗議に、長与は相手が納得できるような回答ができなかった。
「後藤君は、前任地の俸給が80円。新しく招聘するには、
これまでより高い額で来てもらうのが慣例で、100円に。
後藤君は、名古屋では月給以外の収入が2~300円。
内務省に入る際、本務に専念、自宅開業のようなことは一切しない覚悟。
彼にとっては大変な減収に。そういうことも、考えてやる必要があろう」

「それはわかったが、私の月給70円というのはわからない」と北里。
長与は、「初任給は、官制で決まっている。みだりに変更はできない。
実力があって、勤務に精励する人は昇給するから、
もし君が真に大学出にふさわしい実績をあげるなら、不均衡は是正される」
長与は北里をなだめ、不満はあろうがと、納得してもらった。

新平は、須賀川医学校の正則コースではなく、「変則」という名の
速成コースを2年間の修業、教育を受けたにすぎない。
それなのに、就職してからの評判はよかった。
速成コースだが、天性的な素質を持っていた。
実力は、外科医としては抜群。

◆衛生局長代理を務め

このころから新平は、すっきりした美男の本領に帰って、
当世風の紳士に変容。
学者という空気を、身辺に漂わせていた。

北里の件が収まり、長与局長から新平が呼ばれた。
「突然だが、熱海にいる岩倉具視右大臣閣下から、
何かおたずねがあるとのことで、すぐ来るようにとのこと。
私は用があるので、私の代理を務めてくれないか」

長与は、人物を見出して連れてきたという思いがあった。
新平を試してみようと考えて、代理派遣という手を使った。
新平は人に認められ、抜擢されてやって来たことを顧みて、
置かれた立場を理解。

長与命令では、宮内省御用掛の肥田浜五郎の同行を求めていた。
肥田は来ていなかった。
新平は一人、岩倉公の泊まっている相模屋へ行き、面会を求めた。

女中が襖を開けると、地味な色合いの寝巻きかドテラだか、
ありったけ着込んで、それでも寒そうにしている小柄な風采の
あがらない老人がいた。
明治4年、米欧視察団の団長岩倉具視その人。
随行員として参加し、サンフランシスコで一行から離脱して
途中帰国したのは、安場保和。
長与は、視察団に随行することを嘆願して加わった経緯が。

岩倉は、新平と会って6カ月後の明治16(1883)年7月20日死去。
享年59歳。

http://www.iwanichi.co.jp/feature/gotou/item_12716.html

21世紀の「愉快ナル理想工場」

(日経 2009-06-30)

「白木屋」と聞いて、ピンと来る人はもう少ないかも。
東京・日本橋にあった百貨店で、買収され、東急百貨店日本橋店と
屋号が変わり、1999年に東急も撤退。
現在は、複合商業ビル「コレド日本橋」。

1946年5月、ソニーの前身、「東京通信工業」が
産声を上げたのは、白木屋の一角。
3階の粗末な1室を間借りしての船出。

創業の地は、1年もたたないうちに「ダンスホールの開設」を理由に移転。
次が、北品川の御殿山。
日本気化器製作所(東証2部上場ニッキの前身)が、社員食堂や
倉庫として使っていた300平方メートルほどのバラック建ての建物。
「床はデコボコ。雨漏りがするので、傘をさして仕事をした」と
創業メンバーの1人が回顧。

御殿山への移転から3年後の50年、国産初のテープレコーダー出荷、
5年後にはトランジスタラジオ「TR—55」が世に出た。
55年、使用を開始した「SONY」ブランドは、
瞬く間に世界に広がって市場を席巻。
62年、訪仏した池田勇人首相がドゴール大統領から、
「トランジスタラジオのセールスマンが来た」と皮肉られた話は有名。

300平方メートルのバラック工場で滑り出した御殿山の「ソニー村」は、
40年後に4万4000平方メートルに拡大。
井深大氏、盛田昭夫氏ら創業者たちのサクセス・ストーリーは、
繰り返すまでもない(ソニー本社は、2007年品川駅東口港南に移転)。

2000年代、画期的な新製品が生まれず、
高コスト体質も指摘され、「ソニー神話」が色あせてきた。
ソニーの挫折は、そのまま日本のエレクトロニクス産業、
製造業全体の先行きを視界不良にしている。

だが、悲観に暮れるのは時期尚早。
日本のものづくり産業を支える新興企業は、決して少なくない。

太陽電池製造装置メーカーのエヌ・ピー・シー(NPC)も、その1社。
東京の下町、荒川区南千住にNPCの本社工場。
前身は、食品メーカー向けの機械を製造していた日本ポリセロ工業。

隣良郎・現NPC社長が入社した92年当時、
日本ポリセロは社員十数人、売上高4億円ほどの零細企業。
技術力では定評があり、主力製品の「柏木式真空包装機」は
食品業界で名が通っていた。

当時の社長が、融通手形を乱発して債務超過に陥り、
92年末、日本ポリセロは清算。
巨額損失事件で、経営の屋台骨が揺らいでいたイトマン
(93年に住金物産に吸収合併)を見切り、
商社マンから転身してきたばかりだった隣氏は、
「『柏木式』の暖簾を何とか残してほしい」と周囲に拝み倒されて、
事業の継承を決意、新会社NPCを設立。

十数人の社員と柏木式真空包装機の営業権、
1億2000万円の負債を引き継いだNPCは、
わずか2年で債務を完済、関係者を驚かせた。

発足間もないころ、南千住の本社工場の賃貸契約が期間満了となり、
土地と建物が競売にかけられ、一時は退去の危機に瀕したが、
主力銀行の大和銀行(現りそな銀行)の融資によって、居抜きで落札。
隣氏の経営手腕に対する評価の証し。

飛躍のきっかけは、債務をスピード完済したころ。
取引のなかった大手電機メーカーから、
「おたくの真空包装機を改造した小型の装置が欲しい」との注文。
それも2社から。

当初はクビをかしげたものの、そのうち使い途が判明。
それは、太陽電池の製造工程の1つ。
NPCが納品した機械は、真空状態で加熱・加圧したセル(発電素子)や
ガラス、保護シートをパネルに仕上げる「真空ラミネーター」という装置に。
柏木式で培ってきた真空技術が花開いた。

太陽電池製造装置への参入は、94年。
2年後、米国進出、5年後、太陽電池製造の後工程
(セルの出力検査、自動配線、真空ラミネーター、モジュールの
出力検査の4工程)の機械を一貫生産する体制を整えた。

NPCの強みは、この一貫生産体制。
欧州などのライバルメーカーは、専ら単体装置の製造を手がけている。
アフターサービスなどサポート部門を外注せず、
世界中24時間いつでも自前でトラブルなどに対応できる体制。
顧客の「かゆいところまで手が届く」サービスの提供。

2007年6月、東証マザーズ上場。
08年8月期の連結売上高は93億7300万円、09年8月期は55%増の
145億円を見込んでいる。
営業利益率24%(09年2月中間期)と、収益力の高さも際立つ。

現在、太陽電池製造の後工程に当たるモジュール化装置で、
4割強の世界シェアを6割強にまで高めることを目指している。

市場の成長性を見抜き、一貫生産や自前のサポートなど
独自の体制構築を早急にやり遂げた。
NPCの成功は、柏木式以来の技術力だけでなく、
巧みな経営戦略に負うところも大きい。
6人の取締役のうち、隣氏をはじめ5人がイトマン(関連会社を含む)OB。

取締役会での決定は、「全員一致が原則」。
経営陣に共通する、生き馬の目を抜く商社での数々のビジネス経験が、
世界を相手にした次世代エネルギーの事業で実を結んでいる。

NPCには社長室はなく、隣氏は社員たちと席を並べて仕事。
日本ポリセロが破綻した際、事業継続を引き受けたのは、
自分が断れば「工場の職人さんたちが路頭に迷うことになる」との考え。
その職人技術への信頼が、NPC設立の決断を後押しした。

「真面目ナル技術者ノ技能ヲ、最高度ニ発揮セシムベキ
自由豁達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」

日本橋の白木屋の3階で創業する4カ月前、井深大氏は自ら起草した
「東京通信工業株式会社設立趣意書」の冒頭にこう書き記している。
終戦の混乱のさなかに立ち上がった、井深氏や盛田氏らの弾む
息遣いが聞こえるようだ。

下町の工場から、世界の太陽電池製造装置メーカーへと飛躍してきたNPC。
往年のソニーに通じるものづくりの理念が、
この会社にも脈打っているような気がする。

http://netplus.nikkei.co.jp/ssbiz/mono/mon090629.html

高校再生(2)校長の熱意 生徒変える

(読売 6月24日)

元女性校長らの奮闘を土台に、生徒同士が支え合う学校へと変わった。

教室には私語もなく、意欲的に問題に取り組む生徒らの姿。
広島県立安西高校での日本史の授業。
三堂和生教諭(57)の問いかけに、生徒は4人1組になって
意見を出し合い、教科書を参考に答えを出した。
まじめな生徒の姿に、三堂教諭は「全く別の学校になったよう」

「こんな学校は見たことがなかった」
2001年から教頭や校長を務めた山広康子元校長(60)。
生徒は、化粧やアクセサリーなどで格好は乱れ、
授業中でも自由に教室を出入りした。
赴任の翌月、6件の暴力事件が連続して起こった。
たまり場だった玄関付近には、菓子袋や、
げた箱からこぼれ落ちた教科書が散乱。

それ以上に驚いたのが、教師のあきらめムード。
「1学期が過ぎれば静かになりますから」
課題ある生徒は入学当初に辞めることが多く、
教師からそんな言葉が漏れるほど。
01年度の中退率は、14・8%(86人)。

生徒指導担当の教頭だった山広さんは、
やればできるとお経のように唱えていた。
中断していた遅刻指導を始め、校内を巡回しては生徒を注意し、
ごみを拾って美化に努めた。
「時には問題を起こした生徒と一緒にご飯を食べたり、自宅に行ったり。
その子の気持ちをくもうと思った」

その年の年末、NPO団体と校内のトイレ掃除を行った時のこと。
「やってみて気持ち良かったので、またやりたい」
必死で掃除する大人の姿に感化されたのか、
暴力事件を起こした生徒らがそんな言葉を口に。
当番制だった校内の掃除を全員でやるようにしようと、
教師の方から提案が出るようになってきた。

「当たり前のことを当たり前にできるようにと思った。
こちらが本気の姿勢を示せば、生徒に伝わる」

「生徒は落ち着きを取り戻し始めていたが、意欲の面では今一つ」
3年前に着任した才木裕久前校長(55)は、そう感じていた。
学校に対する生徒の意欲をかき立てることが、次の課題。

「学びの共同体」を参考に、2年前からすべての授業で始めたのが
グループ学習だった。
1人では難しい問題を、4人1組で協力して解く。解ければ自信になる。
「仲間が待っていると感じられれば学校への意欲は高まる。
支え合う、認め合う仕組みが必要だった」

昨年6月の文化祭。
各クラスが出店するテントで、多くの生徒が一緒に活動する姿。
以前は当番の生徒しかおらず、校内で所在なげに、
たむろしていた生徒が見られた風景はそこになかった。

昨年度の中退率は3・7%(20人)まで下がり、入試の倍率も上がった。
「今度は、社会人として必要な力をつけさせたい」と、
奥山雅大校長(55)は考えている。

◆学びの共同体

生徒同士の顔が見えるように、机を「コ」の字形に並べ、
時に男女4人1組のグループで学習。
提唱する東大大学院の佐藤学教授によると、
授業レベルは高く設定するが、低い学力の生徒の疑問を
グループ内で解消することで、すべての生徒の学ぶ権利を保障できる。
10年前から各地で始まり、現在は全国約3100の小中高校で実践。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20090624-OYT8T00294.htm

2009年7月6日月曜日

スポーツ21世紀:新しい波/307 toto好調の波紋/6止

(毎日 6月20日)

国は、スポーツ振興の新たな指針づくりへ動き始めた。

議論の舞台は、文部科学省
「中央教育審議会スポーツ振興に関する特別委員会」。
スポーツ界出身者や大学教授らをメンバーに、
2011年度からの新スポーツ振興基本計画策定を視野。
関係団体へのヒアリングでは、売上額が急増した
スポーツ振興くじ(toto)への期待の大きさも伝わった。

全国高校体育連盟の梅村和伸専務理事は、
「totoの財源が増えたので、広く積極的に活用できるように
条件を整備してほしい。スポーツ庁の設置も急務」

1961年制定のスポーツ振興法に基づき、
現行のスポーツ振興基本計画が策定されたのは00年9月。
法制定から約40年後。
スポーツ予算の乏しい時代が長く続いたが、
98年、toto関連の法律ができ、01年から全国発売。
その収益は、計画を推進する財源と期待。

totoの売り上げ急増は、スポーツ行政の在り方に影響を及ぼす可能性。
現在、自民党を中心に、与党はスポーツ振興法を全面改正する形で、
スポーツ基本法制定を目指す。
遠藤利明衆院議員(自民)は、
「浮き沈みのあるtotoに過大な期待はしない」、
財源が膨らめば、計画の実効性を担保し、後押しする材料に。

懸念もある。
スポーツ振興法では、「スポーツを国民に強制しない」など、
国民の「自主性」を重視。
与党のスポーツ基本法案は、自主性を踏まえつつ、
競技力向上を念頭に「国家戦略」の位置づけを打ち出し、
「スポーツ立国を実現することは、我が国の発展のために
不可欠な重要課題。
国家戦略として、スポーツに関する施策を総合的かつ計画的に推進する」

10月、16年東京五輪招致に答えが出る。
スポーツ振興への関心は高まるが、国策化により政治の関与が
強まる懸念もぬぐえない。
慎重な議論が求められる。

http://mainichi.jp/enta/sports/21century/

ユリ:強い香り、抑制 レストラン飾りやすく--花き研究所が方法開発

(毎日 6月25日)

「ユリの女王」と異名をとるカサブランカの香りを弱める方法を、
農業・食品産業技術総合研究機構花き研究所(つくば市)が開発。

花瓶の水に、市販の薬品を混ぜるだけで済む。
強過ぎる香りで、敬遠されがちだったレストランなどに飾りやすくなる。
カサブランカは、白い大輪の花をつけ、甘く濃厚な香りで知られる。
10畳の部屋に数本の花を置くだけで、
むせ返るような香りがするのが課題。

研究所の大久保直美主任研究員らは、香りの成分を分析。
強い香りをもたらす物質は、主にクレゾールなどの
「芳香族化合物」と特定。
花が芳香族化合物を作るのを妨げる薬品で、
生け花の延命に使われる「アミノオキシ酢酸ヘミ塩酸塩」を、
花がつぼみのうちに、花瓶の水1リットルあたり約0・01グラム
(耳かき1杯分)加えて実験。

その結果、24時間後には開いた花が放つ香り物質が、
通常の約8分の1に減り、大幅に香りが弱まる。
「イエローウィン」など、他の香りの強いユリにも有効で、
薬品の量に応じて香りの強さを調整。
花1本あたりの薬品代は、約0・8円。

http://mainichi.jp/select/science/archive/news/2009/06/25/20090625ddm012040028000c.html

座談会「環境と経済の発展をめざして」 地球守る新機軸

(毎日 6月28日)

環境省は、今年度から「環境経済の政策研究」を始めた。
新たな段階に入った環境と経済との関係について、
西尾哲茂環境事務次官、植田和弘京都大教授、
牧野正志パナソニック環境担当取締役の3氏に話し。

--環境と経済との関係はどのように変化?

植田 オバマ米大統領は、10年間で1500億ドルを
クリーンエネルギーに投資、500万人の雇用を生む。
世界同時不況を克服する、地球温暖化防止のため、
低炭素社会をつくるという課題を同時に解決できる、
環境と経済との関係を再編成。

温暖化問題では、スターン・レビューは大きなインパクトを与え、
重要なメッセージの一つは、温暖化防止に取り組まなかった場合の
コストが大変大きい。
経済行為そのものを、環境配慮型に変えていく。
文明史的転換と言ってよい。

--企業はどうとらえているか?

牧野 環境に関する企業への社会的な要請が変化。
以前はコスト要因として考えられていたが、
企業にとっては競争力の源泉であり、
環境経営なしには企業経営はありえない。

当社は、「企業は社会の公器である」を経営理念、
「地球環境との共存」を掲げ、環境経営を積極推進。
01年、中長期環境行動計画「グリーンプラン2010」を策定、
07年、「エコアイディア宣言」を発信、事業成長と環境負荷削減を両立。

環境経営には、「3つのエコアイディア」。
一つは、「商品のエコアイディア」。
省エネの徹底的追求による省エネ性能ナンバーワン商品の倍増と、
性能の低い商品を減らす。
CO2排出量実質ゼロのくらしが体験できる
「エコアイディアハウス」を東京都江東区に開設。

二つ目は、「モノづくりのエコアイディア」、
世界中の製造拠点から排出されるCO2を、3年間で30万トン削減。
生産量を伸ばしつつ、CO2排出量削減を目指す。
品質や歩留まり低下への懸念から、生産プロセスの省エネや、
工場のCO2排出量を月度で集計する仕組みの構築、
CO2排出削減の経営指標への組み込みにより、目標は達成。

もう一つは、「ひろげるエコアイディア」。
従業員の環境意識を高めるため、地域・世界へと啓発を広めていく活動。

--「緑の経済と社会の変革」(日本版グリーン・ニューディール)が公表。

西尾 世界が始めたから日本も、ということではなく、
環境に対する投資で経済にプラス影響を及ぼすこと。
経済危機の中、環境投資を経済のけん引車にすることを目指す。
現在、環境産業の規模は70兆円、これを20年までに120兆円に。
140万人の雇用を、280万人に広げる計画。

72年、国連人間環境会議で、経済成長すると環境破壊が起こりうるから、
環境配慮が必要。
92年、地球サミットで「持続可能な開発」が打ち出された。
今は、環境対策が経済を引っ張っていく時代。
環境と経済の関係が転換期に入った。
パラダイム転換しないと、温暖化対策と経済危機の両方を解決できない。

植田 パラダイム転換は重要な点。
イノベーションの源が、環境とかかわることが多くなってきた。
新しいパラダイムを体現した新しい産業が出てくるし、
今ある産業も物質循環を基準にするとか、
ライフサイクルを考えてものづくりをする。
企業にとって、どのように志向するかが競争力の源になる。

牧野 環境が、イノベーションの源泉になる。
家電メーカーが技術開発をし、省エネ商品を市場に出すことが、
消費者の環境意識を高め、技術イノベーションの加速に。

商品の企画、開発設計、製造、アフターサービス、リサイクルまでの
トータルライフサイクルを考えている。
省エネ家電や照明の省エネ化といった単品の環境技術だが、
今後は、ホームエネルギー・マネジメントシステムと呼ばれる
家丸ごと、ビル丸ごと、地域全体のエネルギー管理技術が重要。
環境が経済をけん引し、地球環境保全につながる。

植田 現在のシステムやビジネスモデルを変える、
環境への取り組みがイノベーションの源であることが共通認識。
イノベーションは、オーストリアの経済学者シュムペーターが使い、
「技術革新」としたのは日本の造語で、本来の訳は「新機軸」。
生産方法や販売の仕方を含め、作り変えることがイノベーション。
あらゆる領域に広がった、まさにイノベーションが今、必要。

--グリーン・ニューディールの一環、家電のエコポイント制度が実施。

西尾 自動車は、70年代の日本版マスキー規制(排ガス規制)に始まり、
自動車税のグリーン化などを進めてきた。
家電は種類が多く、自動車のような戦略が立てにくい。
消費者から見て、分かりやすい形で方針を出せないかと。

私が仕掛け人になって、3年前にポイント制度を発案。
1年間、環境省がモデルづくりをし、経済産業省や総務省が乗り、
3省で計3000億円の新事業、エコポイント制度ができた。

ニューディールには、2つのメッセージ。
一つは、できるだけ少ない物質、エネルギーで生活する、
出たものは再利用する低炭素社会をつくること。
もう一つは、経済社会を変えるには、政策で最初の加速を
しなければならないこと。
はずみ車のように、最初はすごく重い。
システムがなく、コストが高いから。
最初が回れば、ビジネスチャンスができ、多くの人が参加。
揺るぎない政策意思を示すこと、軌道に乗るまで思い切った
インセンティブ(奨励策)を与えることが重要。
エコポイント制度は、小売店や商店街の人たちから
還元商品などのいろいろな工夫が出ている。

牧野 エコポイント制度は、実施後に販売増加もみられ、効果が。
緊急経済対策として出され、継続を願う。

植田 政策は明確に方針を指し示し、揺るがないことが基本。
温暖化問題が典型的で、長期の見通しが大事。
2050年、世界で温室効果ガスの60~80%削減という方向が、
日本やEUから打ち出され、投資の確実性に。

--環境経済の政策研究の狙いは?

西尾 研究の動機は3つ。
一つは、日本の超スターン・レビューがあってもよい。
国立環境研究所など、温暖化問題の研究に取り組み、
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告書に取り上げられ、
成果を上げてきたが、循環型社会なども含め、
地球レベルから都市や地域の問題まで厚みのある検討が必要。
来年10月、生物多様性条約の第10回締約国会議(COP10)が
名古屋市であり、生物多様性と経済との研究も大事。

第2に、環境から見た経済見通しがあってもよい。
第3に、日銀短観のように、短期の経済指標の環境版があってもよい。
昨年は、ガソリンの価格が急激に変動し、消費量も変化。
ガソリン消費量に、価格弾力性(需要が価格に従って増減)が
あるのかが論争、こうした分析は重要。
事業費は約4億円。
経済と環境の分析の上に立って、政策を機動的に実施。

地球環境問題は、シェアリングの問題。
同じ世代間の水平のシェアリングは交渉できるが、
将来世代との垂直のシェアリングは交渉しようがない。
次世代に何を残し、私たちは何を変えればよいのかが見えるような
研究をしていきたい。
==============
<1>スターン・レビュー

英国の経済学者ニコラス・スターン卿の報告書、06年に発表。
表題は「気候変動の経済学」。
「気候変動を無視すれば、世界大戦や1929年からの世界恐慌に
匹敵する経済的リスク。
気温5~6度の温暖化の場合、世界の国内総生産(GDP)の
5~10%相当の損失が発生」などと指摘、
早期の強力な温暖化防止政策の実施を求めている。
温暖化防止の重要性を、経済学的に明らかにし、
各国の政策に影響を与えている。

<2>グリーン・ニューディール

08年7月、英国の経済学者などのグループが報告書
「グリーン・ニューディール」を発表。
すべてのビルを発電所にするマイクロ発電、
グリーンジョブ(環境分野での雇用)の創出などを提言。
国連環境計画が、「グローバル・グリーン・ニューディール」を発表、
米国や日本もこの政策を打ち出し、世界に広がった。
==============
◇西尾哲茂(にしお・てつしげ)

1972年東京大法学部卒、環境庁入庁。
自然環境局長、環境管理局長、大臣官房長、
総合環境政策局長などを経て、08年から現職。

◇植田和弘(うえだ・かずひろ)

1975年京都大工学部卒、大阪大大学院博士課程修了。
京都大助教授、ロンドン大客員研究員などを経て、
94年京都大経済学部教授。中央環境審議会臨時委員。

◇牧野正志(まきの・まさし)

1973年松下電器産業(現パナソニック)入社。
生産技術研究所長、生産革新本部長などを経て、03年役員。
09年6月から現職。

http://mainichi.jp/select/science/news/20090628ddm010020014000c.html

iPS細胞臨床応用へのロードマップ策定

(サイエンスポータル 2009年6月25日)

文部科学省は、今後のiPS細胞研究について
具体的な目標を示したロードマップを策定。

山中伸弥・京都大学教授らが樹立したiPS細胞は、
再生医療だけでなく、生命の仕組みの解明から疾患研究や創薬など、
基礎研究から臨床研究、産業応用まで幅広く活用されることが期待。

ロードマップでは、研究分野を4つに大別し、
約10年後の到達目標を設定。
初期化メカニズムの解明では、5年以内にiPS細胞の初期化の
分子メカニズムの解明を進め、iPS細胞とは異なる新たな
多能性幹細胞の樹立を目指す。

標準iPS細胞の作製と供給(標準化)では、
1年以内にiPS細胞の性質を明らかにするための評価項目を策定、
2年以内に、高品質でリスクの少ないiPS細胞の作製方法の確立と
その最適化、高品質でリスクの少ないiPS細胞の評価方法の確立、
iPS細胞の体系的な評価結果に関する情報を蓄積・解析する体制を構築。
3年後以降、高品質でリスクの少ないiPS細胞を国内外に
安価かつ同条件で配布できる。

疾患研究・創薬のための患者由来のiPS細胞の作製・評価、
バンクの構築では、2年以内に、疾患研究用iPS細胞の
作製方法の確立とその最適化、評価方法の確立、
疾患特異的iPS細胞バンクを整備し、2年後以降、
疾患特異的iPS細胞の国内外研究者への配布を開始。

5-10年後の目標として、遺伝病等の先天的疾患の患者の細胞から
作製されたiPS細胞を用いた病態の再現と解明、
後天性疾患の患者の細胞から作製されたiPS細胞を用いた
病態の再現と解明を掲げた。

再生医療については、iPS細胞バンクを5年以内に構築し、
4年後以降に前臨床研究用として再生医療用iPS細胞の分配を始める。
各部位別に目標を掲げ、中枢神経系は、2-4年で神経細胞への
分化誘導技術を確立し、3-5年程度で霊長類への前臨床研究を、
7年後以降にヒトへの臨床研究を開始する。

角膜については、5年以内にはモデル動物への前臨床研究、
7年以内にヒトへの臨床研究を開始。
網膜色素上皮細胞は、モデル動物への前臨床研究は2年以内に、
5年以内にヒトへの臨床研究を、
視細胞については、3-4年で前臨床研究を進め、
7年以内にヒトへの臨床研究を開始する。

血小板と赤血球については、血小板で5-8年程度、
赤血球では10年後以降、造血幹細胞は7年後以降、心筋は5-7年程度、
骨・軟骨、骨格筋は、10年後以降、肝臓細胞や膵ベータ細胞、
腎臓細胞などの内胚様系細胞についても10年後以降と、
ヒトへの臨床試験開始目標年を設定、
臨床試験開始に至るまでのiPS細胞からの分化誘導技術の確立や、
モデル動物への前臨床研究開始の目標時期も示している。

文部科学省は、今回のロードマップについて、
すでに多額の予算が投じられ、iPS細胞研究ネットワークや
ライフサイエンス委員会の意見を踏まえ、
国民への説明責任を果たす意味で策定した。

塩谷立・文部科学相は、
「iPS細胞研究の成果が少しでも早く臨床応用され、
難病に苦しむ世界中の患者の福音となるよう、
研究者に一層の主体性を持って研究に取り組んでもらうとともに、
文部科学省も必要な施策の実施に努める」

http://www.scienceportal.jp/news/daily/0906/0906251.html

高校再生(1)「活躍できる」気づけば成長

(読売 6月23日)

生徒と信頼関係を築き、活躍の場を広げる学校がある。

大阪市の舞洲アリーナ。
“軽音楽の甲子園”と呼ばれる大会「スニーカーエイジ」
初出場した大阪府立北淀高校フォークソング部の11人は、
とにかく笑顔だった。
149校の中で、準グランプリ。
ギター、ボーカルの3年中村得夢君(18)は、
「やればできるやんと感じた。学校がめっちゃ好き。
次はもっと頑張ろうと思える、こんな学校はない」と声を弾ませた。

北淀高は、1963年に開校、かつては進学校として知られた。
合格発表ミスなどがあり、評判が徐々に悪化。
80年代、学校崩壊を経験。
校内が破壊され、授業は成立せず、生徒は競って規則や秩序を破り、
自由に校内外を動き回った。
先生への不信感をむき出しにした――

退学者数は、79年からの8年間で10倍。
千数百人もの生徒がいたとはいえ、87年度100人以上が退学。
生徒の素行不良などを理由に、住民からは廃校運動の声。

87年、府教育委員会の支援を得て再建がスタート。
学年フロアの真ん中に、「担任室」が設置。
教員が朝は校門、休み時間はトイレ前に立ち、
終業まで校門前に常駐する仕組みもできた。

生徒の目線で考え、教職員はチームとなって取り組み、
トラブルが起きた時も、まずは生徒の言い分をじっくり聞いた。
こうした努力の結果、徐々に授業ができるように。

山崎睦也教頭(54)は、赴任した95年当時、
「力で押さえつけるのではなく、生徒と信頼関係を築く姿勢ができていた」
新入生は教師不信が強く、授業中、大声で雑談する生徒も
一部にはいたが、「2年生になる頃には心を開いてくるようになった」

だが、何かが足りなかった。
99年から4年間、同校に勤務した伊井直比呂教諭(50)は、
赴任当時、生徒の「どうせ」という人生へのあきらめの空気に驚いた。
学力面だけで判断され続け、学校不信や教師不信に陥っていた。

「自尊感情を高めることが求められているのではないか」
伊井教諭は考え、同僚の教諭らと、国際理解教育を企画。
先入観のない海外からの研修員や留学生が相手なら、
素直な部分が出せるのではないか。

「君たちの印象が、日本の高校生の印象になる」と励ますと、
自己紹介の英語を学ぶなど意欲的に取り組むように。
本番では、苦手な英語で堂々と留学生たちと交流し、
「北淀に来てよかった」と感想を寄せた。
「認められ、活躍できると感じることができれば、成長できる」
伊井教諭はそんな感触を得た。

こうした中、部活動が活発になってきた。
2005年、休部状態だったフォークソング部が再開。
最初は、ギター2本とマラカスだけだったが、
「夏休みが過ぎても、部員が辞めないようになり、
バンドとして形になるなど、一つひとつできることが増えてきた」、
06年から顧問を務める狭間弘美教諭(44)。

ボーカルの3年宮城泰希君(17)には、忘れられない経験が。
1年の冬、人間関係のいら立ちから、ゴミ箱やいすをけって暴れた時。
先生が駆け付け、「どうしてん。落ち着け」と声をかけて
言葉を引き出し、ギターを鳴らしながら昔話もしてくれた。

「本気で聞いてくれたことがうれしくて、大泣きしてしまった。
先生というより、人と向き合う感じ。こういうのは初めてだった」

大会当日の応援席には、野球、サッカー部員ら100人近い応援団。
「のびのびとやんちゃな北淀高校が、そのまま応援席に引っ越してきた。
奇跡のような一日だった」と狭間教諭。
大会では応援も審査され、部員と応援席が一体となって
勝ち取った準グランプリだった。

会場に響いた演奏は、学校が取り戻した〈一体感〉で輝いていた。

◆担任室

1~3年の各フロアの中心に設けられ、担任団が常駐するミニ職員室。
トラブル時の指導や相談、話し合いの場所として、
仕切られたスペースが設けられている。
何かあるとまず、担任室に連絡が入る。
情報を担任室に集約することで、学年全体で生徒の事情を共有し、
素早い対応ができる。

◆「義務教育化」の現状

高校進学率97.8%、中退者数7万2854人――。
高校を巡る最新の数字から、義務教育のような存在でありながら、
多様な生徒に応じられていない現状。

女子美術大学短期大学部の山田朋子准教授(43)(教育制度学)が、
様々な課題が集中する高校を100校以上調査、
〈1〉九九や漢字などの基礎学力が不足している生徒がいる
〈2〉荒れて授業が成立しない。地域で存在を煙たがられ、学校が孤立
〈3〉家庭が経済的困難を抱えている――などの傾向。

こうした状態を改善するには、学校一丸となった努力に加え、
地域や家族などによる様々な協力や支援が欠かせない。

山田准教授は、「生徒は自己否定感を強め、
将来に希望を見いだせずにいる。
そのまま社会に出れば、次世代に拡大された形で現れてくる。
悪循環を断ち切るためにも、義務教育の〈やり直しの場〉としての
役割が重要だが、現場は限界を超えている。
教員を増やすなどの支援を充実させるべきだ」

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20090623-OYT8T00321.htm

2009年7月5日日曜日

星空に学ぶ(8)「不思議」宇宙への引力

(読売 6月20日)

宇宙飛行士の向井千秋さん(57)、毛利衛さん(61)が
宇宙の魅力を語る。

「宇宙から地球に戻って一番驚いたのは、一枚の紙の重さを
ずっしりと感じたこと。地球には重力がある。
これは不思議なことだなぁって」

1994年と98年、米スペースシャトルで宇宙に向かった向井さん。
2度の宇宙体験を、そう振り返った。
ボールは、坂道の高い方から低い方に転がる。物には重さがある。
すべて地球に重力があるからにほかならない。

重力は、あまりに当たり前の存在だから、
日常生活で気にとめることはない。

「青い色眼鏡をかけると青い鳥が見えないように、
私たちは生まれてからずっと『重力』という色眼鏡を通して、
世界を見ている。
私は無重力環境に放り込まれ、重力の色眼鏡をいやおうなく外された。
重力の存在を強く意識できた。
重力がある地球こそ、『特殊な存在』であることも
-------------------------------------------------
宇宙では、メダカを使った生物実験や材料実験など、
重要な科学研究に忙殺。

そうした中で、ネジを回そうと思うと自分の体の方が回転したり、
道具を置こうと思ったら、「物を置く」ということが
宇宙にはないことに気付かされたり。
疑問の余地がなかった日常の風景が、特別であると気付く
劇的な体験の連続だった。

「身の回りの世界は、普段は見えなくても、
実はいろんな不思議なことに満ちあふれている。
宇宙を知ることが、そうしたことに気付く『入り口』になる」

「子どものころから、『宇宙』はあこがれでした」。
毛利さんのその原点は、高校1年生の時、
出身地の北海道で見た「皆既日食」にある。

「人間にはどうしようもない大きな力で、宇宙は動いている。
壮大な自然現象を目の当たりにして、不思議な気持ちに包まれた」

もっともっと自然を知りたい。
その強い思いが、科学者へ、そして宇宙飛行士の道へと突き動かした。
92年、日本人で初めてシャトルに搭乗。2000年、再び宇宙へ。
2度の宇宙体験で得たもの。
それは、「地球は、遠く広がる宇宙の一部だという見方。
私たちが生活する地球に対する特別な思い」
それだけではない。
「自分も、宇宙の一部なんだということも感じた」

自分は何者で、宇宙のどこから来たのか?
宇宙の果てには、私たちのような生命体がいるのか?
宇宙に思いを寄せながら、「生命」を持つ自分、
宇宙でたった一人の自分の存在に思いが巡った。

毛利さんにとってあの「原点」がまた、やってくる。
来月22日、46年ぶりに日本で皆既日食が出現。
屋久島や奄美大島など一部だが、部分食なら全国で見られる。

「子どもたちの『理科離れ』は確かにある。
それは、受験のための理科の勉強だから。
本物に触れれば、大きな刺激を受けるはず。
またとない自然現象を自分の目で見て、何かを感じ取ってほしい

毛利さんは、高1の時に感じた新鮮な感動をそのままに、
屋久島でその日に臨む。

◆むかい・ちあき
慶応大医学部卒。医学博士。
1985年、宇宙開発事業団(現宇宙航空研究開発機構)の
初の宇宙飛行士選抜試験に合格。
2004年9月から3年間、国際宇宙大学客員教授。
07年10月、同機構宇宙医学生物学研究室長。

◆もうり・まもる
北海道大大学院修了。理学博士。
専門は真空材料表面科学と核融合炉壁材料。
向井さんとともに宇宙飛行士選抜試験に合格。
2000年10月、日本科学未来館初代館長。
政府の宇宙開発戦略専門調査会委員も務める。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20090620-OYT8T00233.htm

水と緑の地球環境:宮脇方式で初、モデル植林 被災地で導入検討--林野庁

(毎日 6月23日)

林野庁と大きく異なる独自の植樹法で、国内外の森林再生を指導する、
宮脇昭・横浜国大名誉教授(植物生態学)による同庁初の植林が、
広島県呉市の野路山国有林で行われた。
北海道を除く、全国6カ所の森林管理局職員ら参加した約70人は、
宮脇氏の指導に戸惑いながらも、12種の広葉樹約2000本を植えた。

同庁の植林は、木材生産の効率性を重視。
穴を掘って、主にスギ、ヒノキの単一樹種の裸苗を整然と植え、
単一林をつくる。
宮脇方式は、地面全体を掘り返し、酸素を供給し、
根を張りやすくした上で、土地本来の多様な広葉樹のポット苗を
交ぜ、密集させて植える。

両者は長年接点がなかったが、密植による競り合い効果で、
10~15年の短期で森の形状に成長させられるという、
宮脇方式の早期森林化に同庁は注目。

同国有林は、04年の台風で、ヒノキの単一林0・7ヘクタールが倒木。
再植林しなければ、表土が流出し災害を誘発する可能性があり、
早期復旧に迫られていた。
ドイツでは、90年の暴風で年間木材生産量の約2倍の人工林が
被害に遭い、針葉樹の単一林から土地本来の広葉樹を交ぜる政策に転換。

植林前日、宮脇氏の講演で、管理局職員らを前に、
本郷浩二・同庁業務課長は、「我々は、針葉樹を植えすぎた、と言えば
言い過ぎだと言われるかもしれない。
しかし(間伐など作業が困難な場所まで植えたため)、
現実に管理放棄された場所が被害に遭っている」、
「(被災地を)森林に早く戻すのに、宮脇先生の造林の仕方もある」

同庁は、今回の植林を継続させ、0・7ヘクタールの被災林に
合計2万本の広葉樹を宮脇方式で植える。
コストなどを検証し、自然災害の被災地の復旧に宮脇方式の導入を検討。

宮脇氏も、「生態学的手法による森づくりを、国有林から民有林まで
広げてほしい」と協力的で、国土や環境の保全に向けて、
両者が接点を得た意味は大きい。

http://mainichi.jp/select/science/archive/news/2009/06/23/20090623ddm012040123000c.html

理系白書’09:挑戦のとき/12 北海道大電子科学研究所教授・永井健治さん

(毎日 6月23日)

細胞や分子を生きたまま観察し、生命の営みを解明する。
永井さんは、「バイオイメージング」という分野を先導する一人。

東京大大学院博士課程で、神経発生学を学んでいた98年。
研究室の先輩、宮脇敦史博士に留学の相談。
宮脇さんは、緑色蛍光たんぱく質(GFP)の開発で、
08年のノーベル化学賞を受けたロジャー・チェン・カリフォルニア大教授に
師事し、研究を発展させようと考えていた。
「留学より僕のところに来ない?」
迷った末、理化学研究所に新設された宮脇ラボで、ポスドクになった。

GFPは、光を吸収して「励起」と呼ばれる現象を起こし、
安定した状態に戻る時に緑の光を放つ。
GFPを作る遺伝子を組み込むことで、狙った分子や小器官を光らせ、
生きたまま観察できる。
神経発生学を学びながら、「原因(遺伝子)と結果(発現)は
確かめられても、途中に何が起きているのか分からない」という
じれったさを感じていた永井さんにとって、
GFPは謎を解く鍵になると感じた。

理研での6年間、宮脇さんとともに「ペリカン」、「ビーナス」など、
より明るく応用範囲の広い蛍光たんぱく質を開発、
観察対象が広がった。
任期が終わりに近づいたころ、北海道大の公募に応募し採用。
ポスドクから教授への転身。
北大で、最年少の教授。

「流れにさおささない(時流に乗らない)」がモットー。
それが、時にはつらい試練にもなる。

01年、若手を支援する「さきがけ21」の研究員に選ばれた。
テーマは、「光らない蛍光たんぱく質の活用」

普通は「光らなければ無駄」と考えるところを、
「光として放出されないエネルギーで特定の細胞を壊し、
様子を観察してはどうか」と考えた。

挑戦的なテーマ。
「理論的に無理」と断言した大御所もいた。
文献を読むうちに半年が過ぎ、最初の報告会では
成果を報告できなかった。
「翌年の研究費は3分の1に。人生最大のピンチでした」
05年3月までの任期中に、目標は達成できなかったが、
その1年後、ロシアのチームが同じテーマを実現し、
アイデアの正しさは実証された。

北大に来た年、研究所内に産学連携の
「ニコンバイオイメージングセンター」を開設。
最新鋭の顕微鏡6台を備え、全国から研究者が訪れる。
今春には、世界一短い波長の青い光を放つ蛍光たんぱく質
「シリウス」を開発。
「次は世界一長い波長で作ってみせます」と、大きな目を輝かせた。
==============
◇ながい・たけはる

大阪府生まれ。98年、東京大大学院医学系研究科博士課程修了。
01~05年、科学技術振興機構の「さきがけ21」研究員。05年から現職。

http://mainichi.jp/select/science/archive/news/2009/06/23/20090623ddm016040110000c.html

脳神経:制御を解明 アルツハイマー理解に道--東大など

(毎日 6月29日)

脳神経細胞同士の接続を正常に保つ働きをたんぱく質
「Wnt」が持つことを、林悠・理化学研究所基礎科学特別研究員
(元東京大大学院)ら東大と九州大のチームが、線虫を使い解明。

哺乳類も同じメカニズムと見られ、アルツハイマー病など
脳神経変性疾患の理解につながると期待。
28日付の米科学誌「ネイチャー・ニューロサイエンス」電子版。

人間は、成長期に脳神経細胞同士が突起を伸ばして
盛んにつながる一方、「刈り込み」という不要な接続の削除が行われる。

アルツハイマー病やパーキンソン病は、
刈り込みが過剰に起きることが一因。

チームは、脳神経細胞が302個と少ない線虫を使って
神経細胞同士の接続を調べ、線虫でも刈り込みが起きていることを確認。
突起を切り離すたんぱく質「MBR-1」を突き止めた。
刈り込みが過剰に起きないよう、Wntが制御していることを発見。

http://mainichi.jp/select/science/news/20090629ddm012040079000c.html

社会還元意識した研究6割

(サイエンスポータル 2009年6月23日)

大学・公的研究機関では、社会還元を意識した研究が
6割程度行われていることを、
科学技術政策研究所「政府投資が生み出した成果の調査」で明らかに。

この調査は、科学技術基本計画がどの程度、実行されているかを
追跡するために行われた。

科学技術政策研究所が公表した報告者は、
第2期(2001-05年)、第3期(06年~)の科学技術基本計画中に
得られた研究成果として、189機関から回答のあった1,052件を分析。
第3期科学技術基本計画では、6つの大目標を掲げ、
このうち4つの目標が成果の社会還元を重視したもの。

調査の結果、社会での位置づけや活用をある程度明確に意識した
研究に該当するとされた成果が全体の62%を占め、
科学技術政策研究所は、大学・公的研究機関では、
社会還元を意識した研究が6割程度行われている。

同研究所は、1,052件の中から代表的な成果として39件を選び、
「大学・公的研究機関の多様な成果事例集」としてまとめた。
社会還元、活用を目標としたものは29件あり、
以下のような成果が含まれている。

「超高効率な発電性能を有する風レンズ風車の開発と
高精度な数値風況予測による風力エネルギーの有効利用」(九州大学)、
「常温でセラミックスを作る省エネプロセス技術」(産業技術総合研究所)、
「アルツハイマー病の原因物質の分子メカニズム解明」(理化学研究所)、
「緊急地震速報の実用化と進展」(気象研究所)、
「インフルエンザウイルス感染過程の解明とその応用」
(科学技術振興機構=代表研究機関・東京大学)

社会還元する方向が特定しにくい2つの政策目標、「飛躍知の発見・発明」、
「科学技術の限界突破」に該当する代表的成果として、
「新系統の高温超伝導物質を発見」(東京工業大学)、
「新しい光ナノ構造『フォトニック結晶』の開発とそれによる
自在な光制御の実現」(京都大学)、
「月の起源と進化の解明に迫る、月周回衛星『かぐや』」
(宇宙航空研究開発機構)、
「地球深部探査船『ちきゅう』の建造と
『南海トラフ地震発生帯掘削計画』の開始」(海洋研究開発機構)など
10の成果が挙げられた。

今回、これら39の事例とは別に、政府の支援が功を奏した
代表的な成果12例を、「政府投資が支えた近年の科学技術成果事例集
として挙げている。

「iPS細胞の創出」、「脳科学の展開」、「地球と宇宙の探査・観測技術」、
「X線自由電子レーザーと大型放射光施設」、「次世代蓄電システム」、
「希少金属回収技術」、「次世代画像表示技術(有機EL)」、
「ユビキタス社会を支えるメモリと高速無線通信ネットワーク」、
「動脈硬化予防・治療法(高脂血症治療薬)」、
「重粒子線がん治療技術」、「新興・再興感染症の制御技術」、
「自然災害の減災システム技術」

http://www.scienceportal.jp/news/daily/0906/0906231.html