2011年6月4日土曜日

イスラエル…軍が若者の更生を支援

(読売 1月27日)

「罰として、腕立て伏せをしなさい」と教官。
「ちゃんと命令に従ったじゃないか」と新兵。
イスラエル北部アフラ郊外のハバット・ハショメル軍基地で、
元不良少年の新兵に、軍の規律をたたき込む特別訓練が。

時間厳守や共同作業の大切さを学ぶ10週間の更生プログラムで、

1981年に始まった。
毎年約1400人が参加、平均年齢は19歳。
大半が高校中退で、犯罪歴がある者も多い。
約85%が訓練に合格、軍隊に残る。
高校卒業資格を取得させる制度もあり、
日本の「再チャレンジ支援」に似た取り組み。

軍のカウンセラーによると、紛争やテロに向き合う緊張感から、
イスラエルの若者はストレスにさらされている。
取材中も、新兵が指導官に反抗、大声を出すなど、不穏な空気が漂った。
小競り合いや脱走も絶えない。

なぜ、軍なのか?
国民皆兵制の同国では、軍への信頼度が高く、
世論調査で最高裁や大統領を上回り、常にトップ。
学歴と同様に、兵役(男性3年、女性2年)が重視されるのが
イスラエル社会だ。
兵役を果たさなければ、就職も不利に。
軍は、「我々は国民の軍隊。
教育や非行などの社会問題にも取り組む必要がある」と説明。

麻薬売買の罪で、少年院に入ったアンドレイ・イェルジェンスキさん(20)は、
「軍で高校卒業の資格を取り、人生をやり直したい」、
3週間前に訓練に参加。

「彼らが社会に受け入れられるには、この訓練が最後のチャンス」と、
同基地のアサフ・クナアン副隊長。
18歳以上の非行少年を更生させる公的機関は軍しかなく、
「我々にとっても、負けられない戦いだ」と力を込めた。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/jijou/sekai/20110127-OYT8T00205.htm

子どもの虫歯の少なさ、11年連続で全国トップ 新潟県「意識の高さ」胸張る

(2011年5月27日 毎日新聞社)

子どもの虫歯の少なさで、00年から全国トップを続ける県は、
10年の調査でも、平均本数が0・75本(治療済みの歯も含む)と最少、
11年連続トップになった。

国は、10年度までに全国平均を1本以下にする目標、
達成できなかった。
06年、全国に先駆けて1本を切った県は、順調に減らしている。

文部科学省が、永久歯のほぼ生えそろう12歳(中学1年生)を
対象に毎年行っている調査によると、
10年の全国平均は1・29本。
1本を切ったのは、新潟を含めて6県。

新潟は、06年に0・99本、09年の0・80本からさらに減少。
県内の中学校で調査したところ、虫歯が1本もない生徒は64%。

県は、1981年から「虫歯半減10カ年運動」をスタート。
当時は、5・03本と全国平均5・9本をやや下回る程度。
歯を強くするという、フッ素を含む水で口をすすぐ、
フッ素洗口の教育現場での普及や、
小中学校の検診で虫歯だけでなく、表面が白っぽくなるなど、
虫歯になる前の段階で歯科医受診を勧めるなど、予防に重点。

08年、全国初の歯科保健推進条例を制定。
県健康対策課は、「長年の取り組みで予防の大切さが浸透し、
県民の意識の高さが一番の要因ではないか」と胸を張る。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/5/27/137116/

「大船渡丸」再び海上に 今月中の移動目指す 『飛鳥Ⅱ』来港合わせ電飾も

(東海新報 6月1日)

大津波で大船渡市赤崎町の市道沿いに打ち上げられた
海上七夕船『大船渡丸』への対応に、関心が高まっている。

光の演出で、毎年魅了する三陸・大船渡夏まつり実行委員会では、
今年は中止の方向。
海上七夕船は、陸上からそのまま海に戻し、
7月下旬の大型客船『飛鳥Ⅱ』寄港に合わせたイルミネーションなどを計画。

『大船渡丸』は、平成19年の三陸・大船渡夏まつりで、
イルミネーションによる装飾が初披露。
まつり実行委は、大船渡市からの補助2000万円を生かし、
青森県内にあった砂利運搬船を購入し、七夕船として改造。

3月11日大震災発生時、『大船渡丸』は、同じく海上七夕船として
毎年活躍する『明和丸』とともに、赤崎町の永浜貯木場に係留。

大津波の引き波によって、地震発生から2時間30分余りが経過した
午後5時30分ごろ、大船渡湾外に流された。
長崎漁港方面に漂流し、その光景を目にした関係者は“流失”を覚悟。

一夜開けた12日、2隻は揃って市道蛸ノ浦合足線沿いに続く
防潮堤に乗っていた。
11日夜にも押し寄せた津波によって、再び湾内に戻ってきたと。

無事だった一方、縦38m、幅10・5mの大型船が市道の半分を覆い、
片側交互通行措置が続く。
船舶移動は、基本的に所有者自身の負担で行わなければならず、
同実行委では検討を続けていた。

同実行委の齊藤俊明委員長(大船渡商工会議所会頭)は、
「1日も早く海に帰したいと思っている」
解体も選択肢にあったが、作業に危険が伴い、
数千万円規模の経費が見込まれる。

そのまま海に戻す際も、多額の費用が予想、
実行委ではなるべく経費をかけない方法を模索。
現在も協議を進め、今月中には着手したい。
市に対し、金銭的な支援も要望。

7月27(水)、28(木)の両日予定している大型客船『飛鳥Ⅱ』寄港に合わせ、
イルミネーションを施したい。
船内に保管していた電飾資材は無事。

8月5(金)、6(土)の両日に予定していた三陸・大船渡夏まつりは、
協賛支援を得ることが難しく、会場となる港湾機能が被害を受け、
今年は中止の方向。
6日は、『大船渡丸』のイルミネーション電飾だけは行う方針。

齊藤委員長は、「勇気と元気を鼓舞する意味でも、
イルミネーションはやりたい。
太平洋セメントに通電して煙突に光が付いただけでも、
地域に明るさが生まれた。
心理的な明るさをもたらす役割を、『大船渡丸』に期待したい」

http://www.tohkaishimpo.com/

スポーツ基本法:「スポーツ立国」目指す 議連、法案を提出

(毎日 6月1日)

国のスポーツ政策の土台となるスポーツ基本法案が31日、
衆議院へ提出。

超党派の国会議員で構成する「スポーツ議員連盟」
(会長・麻生太郎元首相)がまとめた法案に、
スポーツ庁設置に反対するみんなの党を除く各党が同意し、
各党を代表する議員計17人の連名となった。

スポーツ基本法案は、61年制定のスポーツ振興法を、
50年ぶりに全面改定するもので、前文には
「スポーツ立国の実現を目指す国家戦略」として、
スポーツの推進を位置づけた。

地域スポーツの振興と競技スポーツの強化の両面を、
国の責務と明記し、地方公共団体やスポーツ団体、学校、
民間事業者なども連携し役割を果たすよう定めている。

障害者スポーツも対象に含め、
付則でスポーツ庁設置を検討することも記した。

法案提出後に会見したスポーツ議連の奥村展三幹事長(民主)は、
「スポーツが、文化と同じように扱われ振興するよう、
基本法をベースにスポーツ界全体で盛り上げることが大事」
と意義を強調。

遠藤利明幹事長代理(自民)は、
「国が責任を持ってやると明記したのは大きい。
財政、税制などいろんな形でスポーツを支援できる」

法案は過去に2度、自民、公明両党が提出したが、
一昨年は衆院解散のため廃案。
昨年は継続審議となり、今回の新たな法案の提出に伴い取り下げられた。
民主党などが修正を加えた今回は、3度目の提出。

今国会での成立を目指すが、政局の影響で審議が
順調に行われるかも懸念。
==============
◇新省庁設置に厳しい目

スポーツの基本理念や国などの責務が明記されたスポーツ基本法案。
その中で、付則という形にとどまったのが「スポーツ庁」の設置。
議論の中で、多く出てきたのが、同じ文部科学省管轄の文化庁との違い。
文化庁は、1968年に設置され、
「文化芸術振興基本法」も10年前に制定。

11年度予算でも、スポーツ関係の約230億円に比べ、
文化庁予算は1000億円を超える。
このため、「早くスポーツ庁を設置して、文化庁並みの予算を」
という声は強かった。

厚生労働省の管轄下にある障害者スポーツなども、
横断的に統括できることを利点に挙げる意見は根強い。
奥村展三・スポーツ議連幹事長は、
「省庁間に縦割りの部分があるが、それらを一体化させるためにも、
スポーツ庁を作りたい」

だが、一筋縄にはいかない。
行政改革がうたわれる中で、新省庁の設置には厳しい目も。
唯一、みんなの党が法案に反対したのもそのため。
現在は、震災復興が最優先され、たとえスポーツ庁ができても、
予算の拡充は容易ではない。

3度目の提出となる今回は、共産や社民など計8会派が
共同提案に名を連ね、法案成立の道筋は整った。
ここにきて、自民党などが内閣不信任決議案の提出を検討。
そのタイミング次第では、他の法案審議がストップする可能性もあり、
前途には不透明な部分も残されている。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/06/01/20110601ddm035050009000c.html

2011年6月3日金曜日

トピックスfromUSA:盛んな社会貢献活動 命名権を寄付に活用

(毎日 5月28日)

米国のスポーツ界は、社会貢献活動が盛ん。
東日本大震災でも、多くの義援金が寄せられ、
米中部を襲った竜巻による被害でも、大リーグ機構などが支援に動いた。

男子ゴルフのタイガー・ウッズなど、
選手個人が慈善団体を持つことも珍しくない。

サッカーの米プロリーグMLSに所属し、米中西部カンザス州の
都市カンザスシティーに本拠を置くクラブ、
「スポルティング・カンザスシティー」(SKC、旧ウィザーズ)は、
来月にオープン予定の専用スタジアムの命名権(ネーミングライツ)を
活用し、収益を社会貢献に結びつける試みを始める。

自転車ロードレースのツール・ド・フランスで7回優勝し、
自らもがんを克服したことで知られるランス・アームストロング(米国)が
設立した、がん撲滅団体「ライブストロング(LS)」との提携。

通常は、スタジアム側が命名権を売却して資金を得るが、
今回の提携は異なる。
SKCが、スタジアムを「ライブストロング・スポルティングパーク」と名付け、
ロゴを使用する代わりに、LS側に6年間で最低750万ドル
(約6億1500万円)を寄付。

サッカー界では、名門バルセロナ(スペイン)がユニホームの胸に、
ユニセフ(国連児童基金)のロゴを入れるとともに支援金を送った。
それと似た内容といえる。

観客動員は増えているものの、米国ではまだマイナーなMLSで、
しかもカンザスシティーは商業圏も小さい。

命名権を買い取る有力企業が現れなかったことから、発想を転換。
観客からすれば、試合やイベントで興奮を味わい、
さらに入場料やグッズ購入することで、社会貢献したと実感できる。

SKCは、こうした体験を共有することで、地域社会の一体感が
高まることにも期待。
年間席の売り上げは好調といい、収益が上がれば寄付額も増やしていく。
スタジアム建設費の負担もあり、新たな試みが採算が取れるか
危ぶむ声もある。

SKCのロブ・ハイネマンCEO(最高経営責任者)は、
「社会貢献に取り組めることを誇りに思う。
この創造的な提携が、遺産として残ると信じている」と期待。
現場は意欲満々だ。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/05/28/20110528dde007050070000c.html

農林水産業の被害総額1兆7,760億円に

(サイエンスポータル 2011年5月26日)

農林水産省は、東北地方太平洋沖地震による農業、水産業、
林業の被害額は、全国で1兆7,760億円。
24日時点の調査結果で、今後、数値は変わりうる。

水産関係では、宮城県の全漁港142港、福島県の全漁港10港と、
岩手県の漁港111港中108港に、北海道、青森、茨城、千葉を
加えた7道県で、319港の港湾施設が被害。

被害を受けた漁港は、7道県の全漁港の約44%、
被害総額は6,442億円。

被災した漁船の数は、北海道から鹿児島県まで、
21都道県で20,727隻、被害総額は1,384億円。

農業関係では、11道県14,734カ所の農地が損壊し、
被害総額は3,957億円。

被害は岩手、宮城、福島、茨城、千葉の5県が特に多く、
5県合わせて被害面積は23,500ha。
ため池、水路、揚水機、農地海岸保全施設など、
農業用施設の被害が16道県18,364カ所、被害総額は3,180億円。

林業関係では、木材加工・流通施設、治山施設、森林の被害や
林地荒廃など、14県で総額1,169億円の被害。

農林水産省によると、2004年の新潟県中越地震の農林水産関係の
被害額は、1,330億円、2005年の兵庫県南部地震
(阪神・淡路大震災)では900億円。

http://scienceportal.jp/news/daily/1105/1105261.html

「復興市場」オープン 地元から〝テナント〟募集 被災地支援の理想的なサイト

(東海新報 6月1日)

人々の善意が、「被災者の暮らし再建」と「町の復興」
どちらにも生かされるように―。

立教大学の外部職員、山崎太朗さん(41)が、被災地の事業者から
支援物資を購入し、被災者へ届けることができる
ショッピングサイト「復興市場」(http://fukkoichiba.com/)を立ち上げた。

支援を受けられると同時に、地域経済を循環させることができるとして、
取り組みが広がることを願っている。

山崎さんは、妻・千佳さん(29)の両親が岩手出身であるという以外には
本県と無縁だが、震災を受け、岩手のために何かしなければという
思いにかられた。

ネットで、陸前高田市消防団高田分団がボランティア募集しているのを
見つけ、4月中旬に同市入り。
ゴールデンウイークまでの3週間を、同分団と共に過ごした。

同分団ではこれまでも、アマゾン・ジャパンの「ほしいものリスト」という
システムを使い、支援してほしい物資をオンライン公開。
第三者がその物品購入を行う→アマゾンが発送する―
という仕組みを活用、必要な物資を効率よく住民へ届けてきた。

「これだけ大量の物資、よその地域からではなく、
被災地でこそ買われるべきではないか」と考えた山崎さんは、
独自に「復興市場」の立ち上げを決めた。

最大の協力者は、千佳さん。
調べ物からウェブサイトの構築まで、ほぼすべてを担った。
現時点での配達先は、高田一中や同分団、サンビレッジ、
大船渡市末崎町の三十刈公民館、三陸町越喜来の南区公民館など数カ所。

配達は参加商店ごとに相談し、同分団員が届ける場合もあるが、
山崎さんは、「分団員も被災者で、自分たちの生活がある。
いずれは地元の方をアルバイトに雇いたい」

苦労するのは、商店主らとの交渉。
〝よそ者〟である山崎さんが、話を進めてもなかなかうまくいかないといい、
同分団員が仲介するなどして、同市の伊東文具店、ササキスポーツ、
高橋鋸刃物店、小島電化、大船渡市の三浦靴店などがテナント参加。

商品が調達できれば、店舗や在庫を持たなくても参加可能。
地元事業主の収入源確保のため、今後もテナント数を
増やしていきたいとし、地域への理解を呼びかけている。

同サイトから、事業主向けの資料もダウンロードできる。
問い合わせは、「お問い合わせフォーム」、メール(info@fukkoichiba.com)。

http://www.tohkaishimpo.com/

2011年6月2日木曜日

スポーツ100年:現在・過去・未来/2 テロの影響 ポール・タグリアブ氏に聞く

(毎日 5月24日)

米国の国技とも言えるアメリカンフットボールのNFLは、
米同時多発テロの後、試合を2週間延期。

ストライキを除いて、史上初めてのこと。
未曽有の事態に直面した米スポーツ界は、何を考えて行動したのか?

89年に就任、9・11当時のコミッショナーだった
ポール・タグリアブ氏は、「スポーツ界に必要なのは3R。
Respect(尊重)、Resolute(毅然)、Resilient(立ち直る)だろう」

--9・11で延期を決めた際、「それが正しいこと」と述べていたがなぜか?

◆NFL職員もそうだったが、テロの標的となったニューヨークや
ワシントンのチームでも、肉親や親しい人が亡くなっていた。
彼らの嘆きを尊重(Respect)しなければならない。

ニューヨークは、夜になっても空には煙が立ち込め、ほこりが降っていた。
まるで戦争のような事態で、状況を把握する時間が必要。
心理的な影響は、全米にも広がっていた。

--テロの脅威があっても、リーグ再開を決断したのはなぜか?

ある時点で、前を向いて毅然と(Resolute)歩き始めなければならない。
どんなに困難で何度倒されても、アメフットのように立ち直る(Resilient)。
決断そのものは明快だった。
難しかったのは、反対の立場にある人からも合意を得ること。

--NFLは、ケネディ元大統領暗殺(63年)際、試合を続行して批判を浴びた。
その教訓が、9・11の際にも生かされたのか?

◆参考にはならなかった。
あの当時、ホワイトハウスに相談して続行を決めたのは知っている。
大統領の暗殺と大勢の人々が亡くなった9・11とは、状況が違う。
試合を続行すべきだとのメディアもあったが、
私は立ち止まる時間が必要だと強く感じていた。

--NFLは、今季の日程で9月11日にニューヨークとワシントンで
試合を開催することを発表。どんな意味を持っているか?

◆今年で10年になるが、テロの標的になった都市で暮らす人々が
まだ深い嘆きを持っていることを認識する必要。
とても大切なことで、正しい決断だと思う。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/05/24/20110524ddm035050020000c.html

心癒やす木製ポスト 世田米中生が製作

(岩手日報 6月2日)

住田町の世田米中(内海行英校長、生徒79人)は、
町内の仮設住宅向けのポスト作りに取り組んでいる。

中心となるのは、特設木工部。
「住田式」木造仮設住宅にぴったりの木製ポストが、
入居者の心を和ませそうだ。

生徒8人が集まり、ポストを支える板を取り付けたり、
仕上げのやすりかけに取り組んだ。
5月30日から作業を始めて、計50個を製作。

材料の杉の集成材は、けせんプレカット事業協同組合から
無償提供を受け、木の香りとぬくもりある手触りが楽しめる。

6月2日に、同町世田米の仮設住宅火石団地13戸に、
生徒が取り付ける予定。

神田麻奈伽さん(2年)は、「少しでも役立てば、と作った。
大切に使ってほしい」、

部長の佐藤駿君(3年)は、「自分たちの得意なことを生かせるなら、と作った。
使ってもらえるだけでうれしい」と楽しみにしていた。

同校の特設木工部は、20年以上の伝統があり、
全国児童生徒木工工作コンクール上位入賞の常連。
3月の第35回大会では、12度目の最高賞、農林水産大臣賞に輝いている。

http://www.iwate-np.co.jp/hisaichi/h201106/h1106024.html

被災研究者、学生の受け入れ・支援機関を一覧表示

(サイエンスポータル 2011年5月30日)

日本学術会議の若手アカデミー委員会・若手アカデミー活動検討分科会は、
東日本大震災で被災した研究者、学生の受け入れを表明している
大学・研究機関名とそれぞれの受け入れ・支援態勢をまとめ、
日本学術会議ホームページに掲載。

約80の大学、研究機関などが何らかの受け入れ、支援を表明、
「緊急の共同研究」を募集している北海道大学遺伝子病制御研究所、
同大学低温科学研究所をはじめ、
「共同研究(被災研究者支援)」(九州大学生体防御医学研究所)、
「緊急の個別共同利用研究」(基礎生物学研究所)、
「共同利用研究特別プロジェクト(被災地域大学・研究機関研究者支援)」
(生理学研究所)、「東日本大震災共同研究緊急支援プログラム」
(国立極地研究所)、「特別共同利用研究」(統計数理研究所)など、
共同研究プログラムを設けて、支援の姿勢を明確にしている
大学、研究機関関もある。

被災者に、宿泊施設をはじめとする施設の利用を認めている大学、
研究機関、大学院生や学生に対する研究指導、講義の肩代わりを
表明している大学、研究機関も多い。

◎日本学術会議「被災された研究者・学生等の受入・研究支援等に関する情報
http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/wakateacademy/pdf/wakate7.pdf

http://www.scienceportal.jp/news/daily/1105/1105301.html

2011年6月1日水曜日

「危機の時代だから、土光さんを語りたい」 「メードバイJAPAN」第4部(1)

(日経 2011/5/31)

日本の製造業は戦後、石油ショックを皮切りとする幾多の危機を
乗り越え、そのたびに強くなってきた。
東日本大震災でも、多くの企業が被災し、窮地に陥っている。
過去の「ニッポン神話」を再現し、復活に向けて歩き出すために今、
何が求められているのだろうか?

◆「財界の巨人」土光敏夫氏

IHI(旧石川島播磨重工業)を貫く、故土光敏夫氏の経営哲学を紹介。
土光氏は、石川島重工業の社長、東芝社長などを歴任、
「財界総理」ともいわれる経済団体連合会(経団連)会長を務めた。
働く人々の力を最大限に生かし切る経営のスタイルは、
今の日本でも輝きを放っている。

震災で大きな打撃を受けながら、奇跡的な復活を遂げたIHIの相馬工場。
民間航空機エンジン部品では、世界屈指の大型拠点。
同工場は相馬市にあり、東京電力福島第1原子力発電所から40km余り。

震災で鋳造などの主要設備が壊れ、当初は「復旧まで半年は必要」だったが、
女性パートを含む1500人の従業員たちの執念によって、2カ月で復旧。

世界の航空業界関係者も、IHI相馬工場の早期復旧を心から喜んだ。
同工場は、米ゼネラル・エレクトリック(GE)の主力エンジンの多くに
使われている低圧タービンのブレードを独占供給。

GEは、民間航空機エンジンで世界シェア50%。
相馬工場の稼働が遅れれば、世界の航空機の運航にも支障が。

相馬工場は、「世界で最も生産性の高いエンジン部品工場」
大震災を乗り越え、現場の知恵を生かし、今後も技術力と生産性に
磨きをかけようとしている。
経営者の決断と、正社員もパートも区別なく生き生きと働く現場力。
そこには、日本企業の多くが学ぶべき経営のヒントがある。

◆人間尊重こそ、土光イズムの原点

IHIの相馬工場は、土光氏が航空機エンジン事業への参入を
決断したことで発足。

土光氏は1950年、IHIの前身、石川島重工業の社長に就任。
その後、経営危機に陥った東芝の再建社長。
74年、経団連会長として「財界総理」となり、80年代には行革に尽力。
88年に亡くなるまで、働きづめの日々。

作家の故城山三郎氏は、土光氏の生き様を、
「一瞬、一瞬にすべてを懸ける、という生き方の迫力」と表現。
最も好きだった言葉も、「日新、日日新(日新た、日々新たなり)」。
「毎日、毎日が新しい日で、1日1日を全力を投入して生きていく」という意。

IHI相馬工場には、土光氏の哲学が受け継がれ、今も生産革新で
世界の先頭を走り続けている。
経営者・土光敏夫氏の足跡を、IHIの釜和明社長と長男である
土光陽一郎氏のコメントを紹介。

◆土光さんは「決断の人」

「私は、1971年入社。財務部門に配属。
65年、東芝社長に就かれた土光さんと個人的な面識はない。
当時も、土光さんの薫陶を受けた先輩が財務部門にいて、
土光さんのすごさを感じていた。

驚くべきことは、決断力。
航空機エンジン事業への参入も、ブラジルでの造船所の建設も、
今の時代の経営者が、これほど難しい決断ができたか?
入社時、財務部門の同期は9人も。
土光さんが、59年に決断したブラジルの造船所事業に加え、
他の海外造船所もあり、若い財務・経理の担当者を派遣する
必要があった」(釜社長談)

土光氏は、まさに「決断の人」。
猛烈な勉強家でもあり、米GEなど海外企業の経営を学んでいた。
米経営学者、ドラッカー氏の著書もよく読んでいた。

ドラッカー氏の言葉を引用してよく語っていたのは、
「勇者は1度だけしか死なないが、臆病者は1000回も
見苦しい死に方をする」。
なかなか決定を下せずに、書類を山積みにしているような
会社幹部に対する痛烈な批判。

社長として、航空機エンジン事業への本格参入を決めた。
朝鮮戦争(50~53年)後で、日本でも防衛力の整備が必要。
戦闘機エンジンを国内生産する必要があったが、
航空機の中でも、戦闘機のエンジンは技術的に極めて難易度が高い。

土光氏は参入を決断、57年、東京都に田無工場を建設。
社員を集めた総会を開き、土光氏は、「この航空機エンジン事業に、
石川島の社運を賭ける」と、拳で机を殴りつけながら熱弁を振るった。
その拳が、血で真っ赤に染まったのは有名。

ほぼ同じ時期に検討していたブラジルの造船所事業も、
「狂気の沙汰」と言われた。
82年1月、日本経済新聞「私の履歴書」の中で、
「ブラジル進出は、リスクが大きすぎ、狂気の沙汰という意見が多かった。
私は反対意見を、『すべて責任は私が負う』として押し切り、
(昭和)33年1月8日、ブラジル関係当局と協議し、議定書の調印を行った」

石川島ブラジル造船所は、58年に開業。
土光氏は、日本から100人を超える技術者を現地に、
「骨を埋めて来い」と送り込んだ。
当初800人だった従業員は、3300人までに増え、
石川島重工は投資を回収し、多額の利益も生み出した。

最終的には、激しいインフレによるブラジル経済の悪化で撤退するが、
海外でのノウハウを蓄え、シンガポールでも造船所を成功。
60年代後半、世界の造船業界でトップに躍り出る。

◆「逃げ隠れもせず」が土光さんの教え

「IHIの業績は、平成に入ってから長い間伸び悩み。
私が社長になったのが、2007年。
その年、(プラント事業などの損失計上による)業績の大幅な下方修正。
突然のことで、先輩たちからも『何をやっているのだ』と叱咤。
下方修正の時、本当に経営者としてつらい時期。
IHIの株式が、特設注意市場銘柄に指定され、
株主のみなさんにも、取引先の金融機関にも迷惑をかけた。

私は、この危機を乗り切るため、従業員の心を一つにしたい、と。
逃げも隠れもせずに、どこにでも行って説明した。
土光さんから学んだこと。
何よりも社員を大切にすること、経営者として自分を律することの大切さ。

現代の経営者は、決断力がないというより、
非常に複雑な時代だから決断が難しい。
右肩上がりの成長を期待できるわけでもないし、
株主を含めて利害関係が複雑。
危機の時代だからこそ、土光さんから学び、語りたい。
経営者として、決めるべきことはたくさんある」(釜社長談)

IHIはこの10年間、業績の低迷が続いていた。
電力用ボイラーなど、エネルギー関連や造船といった柱となる事業が不振。
2007年秋、業績の大幅な下方修正を発表、赤字に転落。
海外のプラント建設といった事業部門で、適正なコスト管理ができなかった。
問題が起きた時期、社長を務めていた当時の伊藤源嗣会長は辞任。

マスコミから、「(財務担当役員だった)釜社長は知っていたはず」、
釜社長もいつ辞任に追い込まれるのか、と。
釜社長は、そこで踏みとどまり、立て直しに奔走。
11年3月期、純利益が過去最高に。

業績回復を支えた功労者は、釜社長が業績下方修正の後に
子会社から呼び戻し、エネルギー・プラント事業の採算性を
劇的に改善させた橋本伊智郎副社長。
釜社長の決断による、IHIでは異例ともいえる抜てき人事が奏功した。

◆大震災での被害から奇跡の復旧

「3月11日、東日本大震災で相馬工場は大きな打撃を受けた。
この工場は、土光さんが参入を決断した航空機エンジン事業の中核拠点。
1957年、田無事業所を建設してから半世紀が過ぎ、
IHIの航空機事業は3000億円規模に。

地震から1カ月し、相馬工場に行った。
その時に思ったのは、工場の従業員の明るさ。
土光さんの時代から、現場が生き生きと働くという風土がある。
パートを含め、従業員を非常に大切にする。

相馬工場が最初に稼働した10年前ぐらいは、だいたい200人。
当時の副社長は、2000人が働く工場になると。
『本当かなあ』と思ったが、今では1500人以上に増えている。
従業員たちが、寝食を忘れて復旧に没頭してくれた。

先輩から、『土光さんの理念を忘れないように』と。
土光さんといえば、『メザシの土光さん』というイメージしか知らない社員も。
経営者として語り継ぎ、その理念を受け継ぐことが大きな仕事。

特に好きな言葉は、『日々新たなり』。
社員が日々、仕事に全力投球するような会社であれば、
厳しい時代も乗り切れる」(釜社長談)

◆「重い荷物を背負えば、人が育つ」

もう1人、土光氏の人物像や生き方、経営スタイルを知るための
エピソードを証言をしてくれる人物。
土光敏夫氏の長男である土光陽一郎氏(85)。

石川島重工業で、航空機エンジンの技術者として活躍、
主力拠点の田無工場長などの要職を歴任。
子供のころから、家では仕事のことを語らない父。
同じ会社でも、顔を合わせる機会は公私ともにほとんどなかった。
家では、無口な父の背中から、陽一郎氏は何を感じたのか?

「私が小さいころ、親父は仕事ばかりで、ほとんど家に帰ってこない。
父は、大正9(1920)年、石川島芝浦タービンに入り、機関設計を担当。
スイスのタービン会社のエッシャーウイス社に留学、
タービン技術者として仕事ばかりしていた。

父から、ほとんど何も言われなかった。
覚えているのは、埼玉のお菓子『五家宝』をよく買ってきてれた。
親父が、心血を注いだ秩父セメントの仕事だったのかと」(陽一郎氏談)

土光敏夫氏が、タービン技術者として名をとどろかせたのが、
秩父セメント向けの発電用蒸気タービンの受注。
昭和4年(29年)当時、日本の大手企業は、GEなど外国製タービンを購入。
秩父セメントに売り込んだ時、「国産だからダメだ」と断られた。

頭にきた土光氏は、「欠陥があれば、引き取りましょう」と約束。
秩父セメントの工場に何度も泊まり込み、このタービンの受注を成功、
石川島はタービンで飛躍する契機に。
「国産はダメ」という常識を覆したのは、土光氏の執念。

「私は戦後、すぐに親父が働いていた石川島芝浦タービンの
親会社である石川島造船所に入り、舶用タービンを設計。
親父とも、仕事についてはほとんど話さない。

親父が、50年に社長としてやってきた。
会社で会わず、家からも独立して、会話を交わすことはほとんどない。
その後、私は航空機エンジンの設計に携わる。

53年、日本でも航空機の生産が再開。
私も、業界各社が出資する開発会社へ。
57年、石川島重工業が航空機エンジンの田無工場を作り、
そこですごい人たちと一緒に仕事をする。
その多くは、親父が集めてきた人たち。

最も有名なのは、初代の航空宇宙本部長となる永野治さん。
工場は、戦前の海軍で活躍した技術者ばかりで、
失敗を恐れない雰囲気に満ちていた。
若手にどんどん重い責任を与えて、仕事をやらせる。
そして、人材が育っていく。

航空機エンジンの開発は難しい。
設計も試運転も仕事がたくさんあるから、どんどん人が増え、
活気にあふれていた。
入社して2~3年でも、難しい設計の仕事を任された。
それは、親父の経営理念も影響していることが後で良く分かった」(陽一郎氏談)

土光敏夫氏の有名な言葉に、「重荷主義で育てよ」。
若いうちから、能力を上回るような仕事を与えてこそ人材が育つ。
そして、「少数精鋭」の意味。

土光流解釈では、「少数だから精鋭が育つ」のである。
責任のある仕事を任せてこそ、本当に優秀な人材が育つ。

田無工場が象徴的なケース。
土光氏は、同工場の建設で大きな決断をしたが、
すべては事業部に任せた。
投資額が大きいため、赤字事業だったが、多くの人材を学歴などに
関係なく採用できるように社長として後押し。
現場の生産担当者を含め、誰もが寝食を忘れて仕事に没頭。
土光氏の、現場に任せ、人を育てることを最優先した経営があった。

◆試練があれば、逆に燃えた父

親父の生き様を返ると、仕事ばかりの人生。
小さい頃のことは、日帰りで日光に行ったことと、
会社の旅行で1泊2日で河口湖に行ったことぐらい。
家では書斎に閉じこもっていた。
いない時に入ってみると、ドイツ語や英語の技術専門書ばかり。
英語の技術雑誌「エンジニア」が、たくさんあった。

そこで何を思っていたのか?
私は終戦直後に大学を卒業したから、就職先などない。
親父が石川島にしろ、と。
就職し、親父と同じ機関設計課に配属、
その後は航空機エンジンの設計をしていた。
週末に子供を連れ、横浜市鶴見の実家に行っても、
ほとんど仕事の話はしない。

私のことでいえば、田無の工場長だった永野さんから、
仕事ぶりについては聞いていたが、褒めてもくれないし、叱ったりもしない。
私の母から聞いていて、安心していたのかも。
日経新聞の『私の履歴書』で、私が技術者としての仕事を選んだことを
喜んでいる記述があり、うれしかった。

親父が今生きていたら、今の日本をどう思ったか?

今回の大震災も、天が与えた試練。
この試練を乗り越えなければならない。
親父であれば、間違いなく前向きですから。
試練があれば、それを乗り越えるために必死で働く。
部下を励まし、部下を育てて、先頭に立って動いていると思う」(陽一郎氏談)

http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C889DE0EBE6E4E6E0E2E2E1E2E2E7E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2?n_cid=TW001

2011年5月31日火曜日

スポーツ100年:現在・過去・未来/2 テロの影響

(毎日 5月24日)

米同時多発テロ事件(01年9月11日)の首謀者とされる
国際テロ組織アルカイダの最高指導者、ウサマ・ビンラディン容疑者が
殺害されたことを、スポーツ界は重大な関心。

「9・11」以降、世界の目が注がれるスポーツイベントは、
テロの標的になる懸念が高まり、米国内のみならず、
五輪やサッカーのワールドカップ(W杯)などもテロ対策が重要課題。

今年は、9・11から10年。
過去の歴史や現状を追いながら、将来のあり方を考える
「スポーツ100年」の第2回は、スポーツとテロの関係を取り上げる。

幾重にも張り巡らされた金網の周辺に警察官が立ち、
軍隊も待機して警戒に当たる。
人々は、監視カメラで見張られている。
9・11以降、五輪ではスポーツの祭典に似つかわしくない厳戒態勢が
当たり前の光景に。

IOCで、78年から委員を務めるベテラン、ディック・パウンド氏(カナダ)は、
ビンラディン容疑者の殺害を受けても、
「彼のようなタイプの人物は、ほかにもいる。
脅威がなくなったとは言えない」

◇重い警備費負担

9・11後、大会警備費は大幅に増加し、開催地には重い負担。
規模の大きい夏季大会で顕著で、9・11以降、初めての開催となった

04年アテネ五輪では10億ユーロ(当時約1300億円)を費やした。
00年シドニー五輪の4倍の数字に。
08年北京五輪は、正確な数字が公表されなかったものの、
上空からの脅威に備え、迎撃ミサイルも配置されるなど、
厳戒態勢は際立った。

パウンド氏は、五輪を取り巻く状況を、「不愉快で残念なこと」と認めつつも、
「すべての人々を対象にしているのだから、やむをえない。
北京五輪は、最も念入りな警備をしていた。
観客は、脅威を決して感じることなく、安全だと思えた」

ロンドン五輪の開催地となる英国は、この10年間で、
同盟国の米国と歩調を合わせて対テロ戦争を続けてきた。
テロに対する警戒感は高い。

警備費も、一時は15億ポンド(約1980億円)に。
全体予算の圧縮を受け、約7億2000万ポンド(約952億2000万円)
見直されたが、1日当たり9000人の警官を動員する方針。
現段階の状況を、パウンド氏は「ロンドンは、優れた監視体制と情報網がある。
何より島国なので、外から侵入しようとする脅威には対処しやすい」と評価。

欧米では、9・11後に過激な思想が広まり、
「ホームグロウン・テロ(自国内で育った者によるテロ)」が新たな脅威。

五輪とは無関係とされているが、ロンドンでもIOCが開催を決めた
翌日の05年7月7日、市内の地下鉄を狙ったテロ事件が発生、
50人以上が死亡。

この事件も、ホームグロウン・テロによるもの。
「ロンドンが恐らく直面する大きな問題は、テロリストや、
そうなる可能性がある人物がすでに社会に埋め込まれていること。
より多くの場所と疑いのある人物を警戒しなければならない」とパウンド氏。

◇「世界の縮図」

五輪は、テロ行為や暴力に屈してこなかった歴史がある。
72年ミュンヘン五輪では、アラブゲリラがイスラエル選手団を襲撃した
「黒い9月事件」が起きた。
選手ら11人を含む死者17人を出した惨劇に、大会の続行を危ぶむ声も
あったが、IOCは追悼式典を経て、当時のブランデージ会長が再開を宣言。

その決断の背景を、パウンド氏は「IOCは、ゲリラにテロ行為は
成功しなかったと示す必要があった。
テロ行為が五輪を妨害することは許さない、と。
大会を続けることが、彼らへの返事だった

96年アトランタ五輪でも、五輪公園で爆弾テロが発生、
大会は事件を乗り越えて続けられた。

五輪が目指してきた理想を、パウンド氏は「我々は、スポーツを通じて
平和を求めてきた。
世界が困難な状況にあっても、五輪は人々を結び付けることができる。
五輪は世界の縮図であり、五輪がうまくいけば、人々は世界に
平和がもたらされるかもしれない、との希望を持つことができる

いまだにテロの脅威は消えないが、有事にこそスポーツが
持つ発信力への期待は大きい。

◇広がる「愛国心の表現」

9・11を境にスポーツの現場、米国では「愛国心」が演出。
鮮明なのは、9・11から5カ月後の02年2月に開催された
ソルトレークシティー冬季五輪。

開会式では、9・11で標的となったニューヨークの世界貿易センタービルで
発見された星条旗が入場、米国の愛国心を高めた。
開会式に出席したブッシュ大統領(当時)は、
「誇り高く、決意にあふれ、感謝の気持ちを持つ国を代表して」と開会を宣言。

テロとの戦いへの決意を示したことが、
五輪を政治的に利用したとして批判も受けた。

米大リーグでは9・11以降、七回表終了後に愛国の歌
「ゴッド・ブレス・アメリカ」が演奏され、10年たった今も一部で続いている。
NFLスーパーボウルなどで、巨大な国旗が掲げられるのも日常的。

米ニューヨーク・タイムズ紙のベテランコラムニストの
ジョージ・ベッシーさんは、「米国民が愛国心が強いのは確かだ。
何かあれば、国旗を掲げる。
それはナショナリズムとかではなく、プライドのようなもの。
もっとも過剰との批判があるのも分かる」

その後の五輪やサッカーW杯でも、開催国の国旗が派手に振られる
光景が目立ち、スポーツを通じた愛国心の表現は、
米国以外の国々にも広がっている。
==============
◇スポーツ界とテロ事件◇

1972年 9月
ミュンヘン五輪の選手村に、「黒い9月」と名乗るアラブゲリラが侵入。
獄中のパレスチナ人の解放を目的に、イスラエル選手団を人質に、
空港へ移動後、警察などと銃撃戦を展開。
選手村で射殺された2人を含む選手ら11人、ゲリラ5人、警官1人が死亡。

86年 9月
ソウル・アジア大会の開幕前、韓国・金浦空港でゴミ箱が爆発し、
韓国人5人が死亡。
開幕を6日後に控え、海外選手が入国していた。

87年11月
大韓航空機爆破事件が発生、乗員・乗客115人が死亡。
拘束された北朝鮮の金賢姫工作員が、犯行を供述。
テロの目的は、翌年開催のソウル五輪の妨害。

96年 7月
アトランタ五輪期間中、五輪公園で爆発事件が発生。
2人が死亡、100人以上が負傷する惨事。

2001年 9月
米国でアルカイダによる同時多発テロ事件が発生。
ニューヨークの世界貿易センタービルに航空機2機が突っ込み、
約3000人が死亡。
シーズン中だったプロスポーツは一時中断、大リーグは1週間後、
NFLは2週間後に再開。
翌年2月、ソルトレークシティーで冬季五輪が開かれた。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/05/24/20110524ddm035050017000c.html

インタビュー・環境戦略を語る:楽天・杉原章郎取締役常務執行役員

(毎日 5月23日)

ネット商店街など、多様なインターネット事業を手掛ける楽天。
東日本大震災を機に、グリーンエネルギーや省電力の推進を柱とする
「社会的責任プロジェクト」を打ち出した。
推進役の杉原章郎・取締役常務執行役員に、狙いを聞いた。

--環境への取り組みを強化した。

◆これまでも梱包の簡素化など環境保護に取り組んできたが、
明確な目標は立てていなかった。
震災に伴う電力不足や原発事故によって、
生活基盤が脅かされる事態になり、ビジネスをより健全に続けるには
数値目標も立ててやらなければいけないと、
社員みんなが強く意識するように。

--社会的責任プロジェクト。

◆四つの柱がある。
第一が、新しい街づくりや子供たちのサポートという大きなビジョン。
第二、第三が、グリーンエネルギーの推進と電力消費量の抑制による
地球環境への配慮。
四つ目が、本業を通じて人や社会を力づけ、日本の再生に寄与すること。

--経済界では、原発政策の継続を求める声も強い。

◆原発や化石燃料は経済合理的だと言われるが、
それは安全な生活を維持する社会的コストを十分に考慮しない場合の話。
我々は、生活者が気持ち良く生活できなければ、
経済活動は成り立たないと考える。
楽天が扱う買い物や旅行、証券取引などは特にそう。

--自然エネルギーへの切り替えをどう進めるか?

◆我々は電気は作れないが、会員7000万人を抱え、
日本の大部分の家庭にリーチできる。
例えば、太陽光発電の機材を安く提供する。
楽天市場で、すでに取り組みを始めた店主さんもおられる。
ネットを通じ人や社会を巻き込み、力づけていく
「エンパワーメント」が楽天スタイル。
サービスを通じて、消費者にグリーンな生活スタイルを積極的に提案していく。

--電力消費の削減ではすでに成果が出ている。

◆社員1人当たりの電力使用量の4割削減が目標。
電球を間引き、OA機器を止めるなど、身近にできることを
全て積み重ねた結果、オフィスで3割の削減を達成。
もう一歩進めるため、消費電力の少ないノート型パソコンへの切り替えや、
午後のピークタイムの電力使用量を下げる方策を検討。

--今後の戦略は?

◆省電力は、単なる緊急避難ではなく、コスト削減にもつながる
取り組みと考えている。
ネットサービスの拠点であるデータセンターについても、
外部電源に頼らない自己循環型を目指すなど、
長期的視点で省電力化を一段と進めている。
==============
◇すぎはら・あきお

慶大大学院政策・メディア研究科修士課程修了。97年楽天入社。
楽天ブックス社長などを経て、06年から現職。
11年5月から、楽天ソーシャル・レスポンシビリティ・
プロジェクトリーダー兼務。広島県出身。41歳。

http://mainichi.jp/select/science/archive/news/2011/05/23/20110523ddm008020019000c.html

特集 おかやまメディカルイノベーションセンター 医療産業創成の拠点

(2011年5月20日 毎日新聞社)

産学官が連携し、がんの治療薬などを開発する研究拠点
「おかやまメディカルイノベーションセンター(OMIC)」が、
岡山大鹿田キャンパス(北区)に整備。

最先端の医療研究機器が完備され、研究開発で民間企業との
連携協力も促進。
開所式で、岡山大大学院医歯薬学総合研究科産学官連携センターの
公文裕巳センター長は、「これだけの設備は、国内でもトップクラス。
新薬の開発がしやすくなった」と期待。

OMICでは、分子イメージングを使った研究が中心。
分子イメージングとは、生き物が生きた状態のまま、傷つけることなく、
がん細胞や薬剤などさまざまな分子の動きを可視化し、観察できる技術。

公文センター長は、「分子イメージングは、これからの生命科学を
切り開く技術」と、その重要性を説いた。

岡山大と県などは、国の科学技術振興機構から
11億8000万円の補助を受け、OMICに最新の設備を整備。
陽電子を放出する特殊な薬剤を体内に投与し、
その分布を断層画像でとらえる陽電子放射断層撮影(PET)装置などが導入。
動物を用いた実験に使われる小・中動物用のPET装置も備えられ、
動物実験の成果を人と比較し、応用できる双方向性をもった
新薬開発の研究が可能に。

医薬品や医療機器の開発を目指す企業などに、
これらの機器を使える環境を提供するため、
OMIC内にインキュベーション施設が置かれた。
各企業用の8実験室、共有スペースとして培養室、滅菌室、暗室などの
施設が設置。
入居条件は、OMICを拠点として分子イメージング研究を実施する企業で、
岡山大が入居企業を審査して受け入れる。

公文センター長は、産学官の連携について、
「私たちの研究は基礎研究。
薬を作らない限り、患者さんは良くならない。
ものを作る企業と連携することで、出口の見えた研究ができ、
先端医療を提供していけるようになる

県は08年、医療系ベンチャー企業の創出や医療関連企業の
集積を目指し、「メディカルテクノバレー構想」を掲げてきた。
OMICは、その医療産業創成の拠点となる。

OMICは今後、創薬・イメージング関連機器開発の研究だけではなく、
新医療産業創出を目指す施設として、理化学研究所神戸研究所と
連携して、高度人材育成事業支援などの支援事業も予定。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/5/20/136818/

2011年5月30日月曜日

スポーツ基本法:超党派議連が国会提出へ…振興法見直し

(毎日 5月27日)

超党派の国会議員でつくる「スポーツ議員連盟」
(会長・麻生太郎元首相)は、国のスポーツ政策の根幹となる
「スポーツ基本法」の法案を了承。

基本法は、1961年制定のスポーツ振興法を全面的に見直したもの。
31日にも国会に提出、政局が動かなければ今国会で成立する見通し。

法案は一昨年に自民、公明両党が提出した法案(衆院解散で廃案)に、
民主党などが修正を加えて一本化。
文部科学省が、昨夏に策定した「スポーツ立国戦略」の内容も盛り込まれた。
法案は、前文と5章35条。

前文では、「スポーツを通じて、幸福で豊かな生活を営むことは
すべての人々の権利」と明記。

「人間関係の希薄化などの問題をかかえる地域社会の再生に寄与する」と、
地域スポーツの重要性を打ち出し、一方で、
「国際大会での活躍は国民に夢と感動を与え、社会に活力を生み出し、
国民経済の発展に広く寄与する」と、競技スポーツの価値を記した。

「地域から優れたスポーツ選手が生まれ、その選手が地域スポーツの
推進に寄与すること」を、「スポーツの発展を支える好循環」としている。

大相撲の八百長問題などを踏まえて、スポーツ団体には透明性など、
ガバナンス(組織の統治)を求め、国際競技団体への人材の派遣など、
国際的な貢献も盛り込んだ。

スポーツ行政の一元的な組織となる「スポーツ庁」の設置については、
付則で、「行政改革との整合性に配慮して検討を加え、
必要な措置を講ずる」とした。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/news/20110528k0000m050067000c.html

20年代初め電力の20%自然エネルギーに 菅首相OECD記念式典で表明

(サイエンスポータル 2011年5月27日)

菅首相は、経済協力開発機構(OECD)設立50周年記念式典で、
2020年代のできるだけ早い時期に、自然エネルギーが電力に占める
割合を20%以上とするなど、自然エネルギー重視の姿勢。

具体的な一歩として、「太陽電池の発電コストを、
2020年に現在の3分の1、30年に6分の1に引き下げ、
設置可能な1,000万戸の屋根すべてに、
太陽光パネルを設置することを目指す」

「生活の快適さを失わず、省エネルギーを実現する」ことを目指し、
「エネルギー消費についての新たな文化を創る」意欲。

「エネルギー消費を際限なく増大させる社会が適切か」という問いを
投げ掛け、「人類全体が、地球環境問題に直面し、
エネルギー問題がさまざまな紛争の原因となっている今日、
われわれ地球に住む者に深く問われているのは、
実は、この問いに他ならないのではないか」と訴えた。

原子力の安全性に関して、
「今回の事故を教訓に、『最高度の原子力安全』を実現していく」、
事故で学んだことは、「人類にとっての新たな教訓」として、
「世界、未来の世代に伝えていくことが、
日本の歴史的責務である」との決意。

http://scienceportal.jp/news/daily/1105/1105271.html

ARIA 「血管枝分かれ」抑制、遺伝子のメカニズム解明 がん治療に光

(2011年5月20日 毎日新聞社)

京都府立医大の松原弘明教授、池田宏二講師(循環器内科学)らの
研究グループはこのほど、血管が枝分かれして、
がん細胞の増大などに大きな役割を果たす「血管新生」を抑制する
遺伝子「ARIA」のメカニズムを解明。

グループは、血管の内側にある血管内皮前駆細胞などに多く存在する
ARIAが、がん抑制遺伝子の一種「PTEN」と細胞膜付近で結合することで、
血管新生に必要な細胞内部のリン酸化が抑制される作用を、
マウスを使った実験で実証。

松原教授は、「ARIAの働きで血管新生を制御すれば、
動脈硬化による血流低下を改善したり、がんの増大を食い止めたりする
新しい治療法が可能になるのではないか」

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/5/20/136820/

2011年5月29日日曜日

創造的復興へ 「構想会議」がビジョン作り

(毎日 5月11日)

戦後最大の災害となった東日本大震災から2カ月。
被災地の生活基盤の再建には程遠く、福島第1原発の周辺住民の
強制的な避難が続くなど、被災地は厳しい状況が続いている。

政府は、「東日本大震災復興構想会議」を立ち上げ、
東北をよみがえらせるビジョン作りに着手。
大規模な復旧予算を組んだ11年度第1次補正予算を成立させ、
復興へ向けて第2、第3の補正予算編成にも取り組む。

その財源をどうするか?
最悪の「レベル7」になった原発事故をいかに収束させるか?
放射能被害への補償は……?
前例のない災害との国を挙げた戦いが続く。

◇6月に「創造的復興」への第1次提言

菅直人首相は、復興構想会議の議長に、五百旗頭真防衛大学校長を指名。
政治学者で、神戸大教授時代に阪神大震災(1995年1月17日)に遭遇、
「ひょうご震災記念21世紀研究機構」で、災害対応や復興を研究。

議長代理には、御厨貴東大教授が総合調整を担い、
各分野の専門家を擁する検討部会の部会長には、
飯尾潤政策大学院大学教授と、復興ビジョン策定の中枢に
気鋭の政治学者が起用。

会議のメンバーには、もう一人の議長代理として、
建築家の安藤忠雄東大名誉教授や、東北に縁がある脚本家の内館牧子氏、
作家で僧侶の玄侑宗久氏ら著名人、大西隆東大教授(都市工学)と
河田恵昭関西大社会安全学部長(巨大災害、危機管理)ら学識経験者、
被災地の岩手、宮城、福島3県の知事ら計15人。
検討部会は、19人の専門家が集められた。

会議は5月中旬に論点整理をし、6月末までに第1次提言をまとめる方針。
検討部会も、同時並行して議論を進める。

4月14日の会議の初会合で、首相から諮問された五百旗頭氏は、
会議の基本方針に関するペーパーを示した。

柱は、
(1)超党派の、国と国民のための復興会議とする
(2)被災地主体の復興を基本としつつ、国としての全体計画をつくる
(3)単なる復興でなく、創造的復興を期す
(4)全国民的な支援と負担が不可欠
(5)明日の日本への希望となる青写真を描く--とした。

復興財源として、義援金と公債発行に加えて「震災復興税」を
明記したことが波紋を広げた。
五百旗頭氏は、震災復興税を第1次提言に盛り込むことは、
「国民全体で負担することを視野に入れなくてはならないが、
具体的にはこれからだ」と明言を避けたが、初会合から新税創設の議論を
テーブルに載せたことに、「官邸の代弁をしているのでは」と、
うがった見方も出た。

閣僚からも、「本来、政治の最重要課題の一つ。
学者や有識者の皆さんに、正面から論じてもらうテーマでは
必ずしもないのではないか」(片山善博総務相)など批判的な反応も。

原発災害への言及がなかったことについて、特別顧問の哲学者、
梅原猛氏は、「原発問題を考えずに、この復興会議は意味がない」と、
議論の方向性を巡り、ひと悶着ありそう。

◇10兆円超の復旧・復興財源をどうするか
◇復興再生債発行、消費増税の時限増税など検討

政府は、東日本大震災の被害額は阪神大震災(約10兆円)を
大きく上回る25兆円と試算、復旧対策費も10兆円を超えるとの見方。

5月上旬、総額4兆153億円の11年度1次補正予算が成立。
財源を国債に頼らず、民主党マニフェスト関連施策の予算を
削減するなどして捻出、6月の本格的な復旧・復興に向けた
第2次補正予算、それ以降の第3次補正予算では国債発行が避けられず、
その償還財源として消費税率の引き上げが大きく浮上。

11年度第1次補正予算の規模は、阪神大震災の1次補正額(1兆223億円)
の4倍に当たる巨額な規模。
内容は、道路・港湾・下水道の復旧(1・3兆円)、仮設住宅建設(0・5兆円)、
学校・社会福祉施設復旧(0・4兆円)、がれき処理(0・3兆円)、
特別交付税(0・1兆円)、その他緊急雇用支援、
自衛隊活動費など(1・5兆円)--。

財源は、国債増発に伴う市場への影響を極力避けたいと、
当初予算の組み替えで対応。
大きな項目として、基礎年金の国庫負担2分の1を維持するため、
鉄道建設・運輸施設整備支援機構の剰余金などの2・5兆円の
「埋蔵金」を充てず、補正予算に転用。
経済危機対応予備費0・8兆円も、被災地の緊急雇用支援に。

民主党マニフェストの子ども手当上積みの見直しで0・2兆円、
高速道路料金割引の見直し・同無料化社会実験の凍結で0・3兆円。
政府開発援助(ODA)を2割削減、0・1兆円をかき集め、
国債発行回避のための腐心が目立った。

10兆円規模の第2次補正(阪神大震災時は1・4兆円)、
第3次補正(同0・7兆円)では、1次補正の時のような財源が見当たらず、
国債発行は避けられない。
菅政権は、新規国債の「復興再生債」を発行し、その償還財源として
2~3%の消費税増税分を充てることを検討。
一般会計と切り離した「震災復興基金」(仮称)で管理する構想。

現行5%の消費税率は、1%引き上げれば2・5兆円の税収が確保、
3%の引き上げなら7・5兆円。
3年間の期間限定とすれば、22・5兆円の復興財源が期待。
政府は、11年度からの法人税の実効税率5%引き下げを見送り、
この環境下で法人税や所得税の増税に復興財源を期待することは難しい。

一般会計と切り離し、将来の償還財源を明記して復興財源を管理するのは、
国・地方合わせた中長期債務残高が900兆円近い現状で、
財源の裏付けのない「復興再生債」を出せば、
市場で我が国の国債の信用が下落し、長期金利が跳ね上がり、
国際金融市場に悪影響を及ぼしかねない。

「復興再生債」について、岡田克也幹事長は「財源は、税以外には考えられない」、
菅首相は「財政再建も含めた青写真がつくれれば本望」

政府は、6月にもまとめる「復興構想会議」の第1次提言に、
「復興再生債」プランを盛り込ませ、第2次補正予算に組み込みたい意向、
消費税増税には野党だけでなく、与党内にも異論があり、
政府の思惑通りに運ぶか不透明な状況。

◇東電にのしかかる数兆円にのぼる賠償
◇「原発賠償機構」新設を検討

東日本大震災で、福島第1原発の放射能漏れ事故を起こした
東京電力(清水正孝社長)は、原発事故を収束させるとともに、
巨額に上る事故の賠償と電力の安定供給という厳しい使命。

今回の事故の賠償額は、1私企業にはとても耐えられない数兆円規模に。
首都圏の電力供給を確保するため、東電を国有化した場合、
株主や社債の保有者が広範囲にわたり、金融市場に混乱を
招きかねないため、「国有化はせず」(海江田万里原子力経済被害担当相)、
政府として「原発賠償機構」(仮称)を新設、財源的にバックアップ。

東電は、福島第1原発の事故に伴って避難した住民に対し、
賠償金の仮払いを4月中に開始。
原子力損害賠償法に基づく賠償には時間がかかるため、
当面の生活資金として1世帯100万円、単身者には75万円を、
市町村の窓口を通じて支払った。

対象は、第1原発から半径30km以内、政府の指示で避難や屋内待避を
している12市町村の4万8000世帯。
20km以上でも、計画的避難区域となっている2000世帯にも支払われ、
計5万世帯の約8万人が対象。

仮払いの総額は500億円。
風評被害を受けた農林漁業、商工業者への仮払いは見送られた。

数兆円ともみられる巨額の損害賠償は、一義的には東電が行うが、
政府が「原発賠償機構」(仮称)を新設し、賠償の財源は
国が拠出する交付国債や金融機関からの融資で賄う。

東電は、リストラなどで捻出する自己資金に加え、
同機構から当面の賠償資金を借り、分割して返済。
同機構は、東電の優先株を取得して、東電の経営を監視。
交付国債は、必要な時にだけ現金化できる国債で、数兆円規模になると
みられるが、東電の分割返済分は同機構から国庫に返納され、
国には最終的な財政負担は発生しない仕組み。

東電は、今回の事故でメガバンク3行などから2兆円の緊急融資を受けている。
東電株式の44%が、お年寄りなどの個人所有、社債発行残高も5兆円近く、
国有化による経営破綻は金融機関の焦げ付きを招き、
金融市場への影響が大き過ぎるとして、新機構を作って損害賠償を
バックアップしていく。

新機構は、今回の事故の損害賠償に対応する勘定と将来の事故に備える勘定を
分離して管理し、後者には原発を保有する他電力会社も負担金を出す形。
新機構は、東電の優先株を保有し、徹底的なリストラを促す。

東電は毎年、約5兆円の電気事業収入、約3兆円の純資産を保有。
例年2000億円~4000億円の経常利益を出し、
年間2000億円程度の返済は可能。

東電は、保有しているKDDI株の売却を決め、賠償原資の捻出に向け、
役員、管理職の報酬削減、社員の年収カットや業務のスリム化など、
徹底的なリストラを図る方針だが、電気料金の値上げも今後取りざたされる。

電力供給不足から、大震災直後に実施した計画停電で、
首都圏に大混乱を巻き起こした反省から、東電はこの夏、
計画停電は実施しないと言明。

この夏のピーク時、5500万~6000万kwと予想される電力需要に対し、
供給力は5500万kwしか確保できていない。
工場などの大口需要家に使用電力を減らすよう求め、
家庭についても節電を求めている。

4月8日、政府が発表した夏の電力不足対策の骨格では、
東電の夏場の供給力が4650万kwしか見込めず、大口需要家に対し、
ピーク時の使用電力を昨年より25%削減するよう求め、
家庭についても15~20%の削減目標を設けた。

4月21日時点で、ガスタービン発電の新設や茨城・福島両県の
火力発電所の復旧により、850万kwの供給力を上積み、
需給バランスはかなり改善。

昨夏のような猛暑になれば、電力不足になることは目に見え、
政府は夏期休業の長期化、分散化、家庭でのこまめな消灯など
節電対策を求めている。

◇原発事故が突きつけた地球規模の課題
◇根拠乏しい事態収束の工程表

福島第1原発について、東電は4月17日、収束まで6~9カ月という
工程表を示した。
日程に具体性はなく、不確実な要素も多いが、今以上に事態が深刻化する
当面の危機は去ったと受け止める。

拡大する被害への補償、避難住民の帰宅に加え、
エネルギー不足や地球温暖化という、原発事故が突きつけた
地球規模の課題にどう対処していくのか?
日本が試されている。

東京電力は工程表で、今後3カ月を「ステップ1」とし、
放射線量を着実に減少させることを掲げた。
その後、3~6カ月を「ステップ2」とし、放射線量を大幅に抑える。
目標とする冷温停止とは、原子炉内の水を100度以下に保ち、安定化。

この収束への道筋を2段階で示し、その中で原子炉冷却や放射性物質の
拡散防止など63項目の具体策を挙げ、
(1)原子炉冷却
(2)燃料プールの冷却
(3)汚染水対策
(4)大気・土壌での放射性物質抑制
(5)避難地域での放射線量低減--
の課題別に対策を公表。

原子炉冷却では、ステップ1で原子炉圧力容器の外側の格納容器まで
大量の水を注入し、燃料の温度上昇を抑制。
この水は、高濃度放射性汚染水のため、同じ水を繰り返し使って
冷やせるよう、外部に熱交換器を設置することも検討。

1号機で実施している格納容器への窒素注入を2、3号機でも行い、
水素爆発の危険性を取り除く。
これらの対策をステップ2まで継続し、原子炉の冷温停止を目指す。

原子炉の本体をまるごと水で冷やす方法は、チェルノブイリ事故
(旧ソ連、1986年)のようにコンクリートで埋める「石棺方式」と対比し、
「水棺方式」と呼ばれる。
格納容器から水が漏れ出したとしても、原子炉建屋からは漏れないことが必要。

現状でも、高濃度汚染水が漏れている可能性があり、
その原因は突き止められていない。
本当に実現できるのかについて、専門家からは疑問の声。
海江田経済産業相も、「どうしても作業は遅れがちになる」と、
計画通り進まない可能性が高いことを認めた。

工程表には、核燃料取り出しや解体など、中長期的な見通しは示されていない。
対策にいくらかかり、どう賄うかについても、東電の勝俣恒久会長は、
「収束させるために、やれることからやっている。
費用の計画を立てている段階ではない」

拡大する被害の補償について、枠組みの検討が始まったところ。
原子力損害賠償法に基づく被害補償の指針を作る、
文部科学省の「原子力損害賠償紛争審査会」の初会合が4月15日。
身体被害や営業損害、避難費用など補償対象の大まかな項目を、
7月末までに作ることを目指す。
99年、東海村の臨界事故では、補償の最終決着に10年8カ月かかった。
規模ではるかに上回る、今回の事故の決着には一層の長期化が予想。

避難住民の帰宅についても、混迷を極めている。
政府は4月21日、福島第1原発から半径20km圏内に、
立ち入り禁止や退去を命令できる「警戒区域」を設定。
22日、この外側に当たる福島県飯舘村や葛尾村などを
「計画的避難区域」に指定。

警戒区域だけでも、2市6町2村の約8万人が居住。
福島県の佐藤雄平知事は、「1日も早く避難者が
ふるさとに帰れるようにしてもらいたい」と要請、
住民帰宅への道筋が、いつ示せるかは不透明。

東電の勝俣会長は、「ステップ2で、ある程度分かるようにしていきたい」
工程表自体のスケジュールも、不確定な要素が多いことから、
事実上、年内の帰宅は難しい情勢。

福島原発の事故は、これら見通しの立たない国内問題だけでなく、
地球規模の課題も突きつけた。

国際エネルギー機関(IEA)によると、世界の発電総量は
2008年で約2000万GWh。
火力が約67%、水力16%、原子力13%、自然エネルギー4%。

中国やインド、ブラジルなど新興国の経済成長にともなって、
世界のエネルギー需要は右肩上がり。
多くの新興国や途上国は、火力発電が中心。

原子力の比率が高い国は、フランスの80%を筆頭、韓国38%、日本28%、
ドイツ27%など、先進国に偏っている。
今回の福島原発事故をきっかけに、ドイツが80年以前に稼働した
老朽原発7基の運転を、3カ月間停止する措置に踏み切るなど、
今後、世界各国での原発離れが進む。

火力発電への依存が高まるとの見方が広がり、原油や天然ガス、
石炭の国際価格の高騰を招いている。
新興国を中心とする旺盛な需要で、エネルギー価格はいっそうの上昇も。

◇後退懸念される温暖化対策

化石燃料への回帰で問題になるのが、地球温暖化。
火力発電所は、地球温暖化の原因となるCO2を大量に排出、
原発は運転中にはCO2をほとんど排出せず、
地球温暖化対策の切り札として位置付け。

東日本大震災により被災した原発14基の運転が再開できず、
計画中の原発9基も新設できなかった場合、2020年における
CO2などの温室効果ガス排出量は90年比で10%増加。

震災後、気候変動枠組み条約の作業部会に出席した
同省の南川秀樹事務次官も4月3日、「20年までに90年比25%削減」とした
日本の温室効果ガス削減目標について、「見直し議論の対象となる」

年末、国際的な地球温暖化防止の枠組みを話し合う
同条約第17回締約国会議(COP17)が、南アフリカで開かれる。
東日本大震災の復興途上の日本が、国内問題を乗り越え、
エネルギー問題や地球温暖化に対し、どのようなメッセージを
世界に発信できるのか?
日本が問われている。

http://mainichi.jp/select/seiji/forum/special/news/20110509org00m010062000c.html

武田薬品、欧大手買収を発表 世界12位、海外拠点70カ国に

(2011年5月20日 毎日新聞社)

武田薬品工業は、スイスの製薬大手「ナイコメッド」の全株式を、
96億ユーロ(1兆1136億円)で取得、完全子会社化することで合意。

国内製薬会社による買収では、過去最大規模。
同社の医療用医薬品の売上高は、世界16位から12位に浮上。
販売網が手薄だった欧州や新興国市場への本格参入を果たす。

ナイコメッドの10年12月期の売上高は約3700億円、
欧州が5割、ロシアや中南米、アフリカなど新興国での売り上げが約4割。

武田は、11年3月期の売上高1兆4193億円のうち、
8割強を日米が占め、新興国への展開が遅れていた。
今回の買収で、武田の進出拠点は28カ国から70カ国へと大幅に拡大。

世界の医薬品市場は、日米市場が医療費抑制策などの影響で
伸び悩む一方、新興国は10~15年の成長の7割を占める見通し。
武田は買収に伴い、金融機関から7000億円規模を借り入れ、
今年9月末までに株式取得を終える方針。

◇特許切れ前に基盤強化

主力薬の特許が、12年以降に相次いで切れる「2012年問題」を抱える
武田にとって、ナイコメッド買収は「時間を買う戦略」(外国証券)以外の
何ものでもない。
武田は、販売網がないロシアや東欧、アフリカなど新興国市場で
収益基盤の強化を狙うが、巨額の借り入れは「ものすごい冒険」(武田OB)、
格付け会社のムーディーズ・ジャパンとスタンダード&プアーズ(S&P)は、
武田の格付けを引き下げる方向で検討する。

武田の「2012年問題」は深刻。
売り上げの3割近くを占める稼ぎ頭の糖尿病治療薬「アクトス」は、
既に日米欧で特許が切れ、最大市場の米国で12年8月から
後発薬の販売が可能。
15%を占める高血圧治療薬「ブロプレス」も、
14年前後に特許切れを迎え、後発薬にシェアを奪われかねない。

別の主力薬の特許切れで、武田の11年3月期は2年連続で減収。
アステラス製薬とエーザイも、同じ理由で前期は減収。
新薬に代わる収益源として、海外進出は急務。

武田は08年、米バイオベンチャー、ミレニアム社を
約88億ドル(約9000億円)で買収、売上高への寄与は
全体の約5%に過ぎない。

長谷川閑史社長は、「両社は(事業エリアの)重複が少なく、
相乗効果が発揮できる」と今回の買収に期待。

巨額の投資で、財務基盤は一時的に悪化。
長谷川社長は、今後の大型買収を問われ、
「あまり期待されない方がいいんじゃないですか」とかわした。
「キャッシュに余裕があるうちに仕掛けた最後の大型買収」(武田OB)が、
経営の即効薬となるか、真価を問われる。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/5/20/136824/