2011年6月25日土曜日

ドイツ…成績優秀 ベトナム系子弟

(読売 3月10日)

ドイツで、アジア式教育が注目。

特に関心を呼んでいるのが、かつて難民や労働者として、
この国にやってきたベトナム系移民子弟の成績優秀さ。

2月下旬、ベルリンで行われた数学オリンピックの予選を取材。
約300人の出場者のうち、約20人がベトナム系。
関係者によると、成績優秀者の常連にはベトナム系が名を連ねる。

出場したチャン・ズイェン・フオンさん(15)は、
「才能だけではだめ。努力も大切。
週4時間、数学クラブで勉強している」

予選で第1位となった息子を持つファム・ベト・クオンさん(56)も、
「我々の勤勉さが背景にある。
教師や親への尊敬の念を失っていないし、
親も子どもの教育に投資を怠らない」

ベトナム系人口は、ドイツ国籍の取得者も含めると、約10万人と推定、
全人口に占める割合は0・1%強。

ベトナム系子弟のギムナジウム(大学進学を前提とした中等教育学校)
進学率は59%、ドイツ人平均の43%よりかなり高い。

日本と同様、ドイツでも近年、学力低下が大きな問題。
ベトナム系の子どもたちが成績優秀なのは、規律や反復練習などを
重視するアジア式教育が背景にあるのでは、と見られている。

ニュース週刊誌「フォークス」は、日本などアジア諸国の教育現場を視察、
近年ドイツで否定されてきた「成績重視と規律志向の学校作り」を目指す
ギムナジウム校長の例を紹介、改革を模索する動きも少なくない。
教育界には、規律は創造性を奪うと、否定的な考え方も根強い。
議論は当面続きそうだ。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/jijou/sekai/20110310-OYT8T00367.htm

入院期間の短縮実現  術後回復強化プロトコル 欧米で拡大、日本へも

(2011年6月14日 共同通信社)

どんな管理をすれば、手術後の患者の回復が早まり、
入院期間を短縮できるのか?
「術後回復強化(ERAS)プロトコル」と呼ばれる手法が注目。

有効性が確認された麻酔や輸液、栄養などの管理方法を組み合わせ、
総合的に実践するもので、近年、欧米の先進的な医療機関で導入が拡大。
日本での普及は遅れているが、一部に積極的な施設も現れ始めた。

▽手術当日に歩行

一昨年、大阪府済生会千里病院。
病棟の廊下に、男性患者(76)と看護師らの談笑の輪が広がった。
男性は前日、結腸がんで開腹手術を受けたばかり。
痛み止めの麻酔薬を、脊髄の硬膜外に持続注入する装置を首からぶら下げ、
明るい表情で歩き回っていた。

「痛くないですか」
太田博文消化器外科部長が心配して尋ねると、
男性は、「こんなこともできますよ」と言って両腕を左右に大きく振り、
上体をひねって見せた。
男性は、この日の朝食から、三分がゆを食べ始めた。

昨年秋、直腸がんを腹腔鏡手術で切除した女性(83)は、
手術室から帰って約7時間後にベッドを離れ、
両脇を抱えられながら病室内を歩行。
消灯までの2時間、椅子に座っておしゃべりを続け、
翌朝には五分がゆも食べた。
太田さんは、「ここまで元気になるものかと驚かされた」

▽術前に炭水化物

手術当日や翌日は、点滴の管をつながれてベッドで寝たきり。
食事開始は4~5日後。それが従来のパターン。
なぜ2人は、これほど早い回復を見せたのか?
背景には、同病院が2008年2月に導入したERASプロトコルが。

ERASは、1990年代半ばにデンマークの医師が提唱した周術期
(手術前から手術中、手術後まで)の管理方法。
結腸、直腸などの大腸手術で発展し、海外では肝臓や膵臓にも広がりつつある。
太田さんは07年の英国留学の際に知り、帰国後すぐに試みた。

「回復力を強め、術後を楽に過ごす。
合併症の減少や入院期間の短縮を図り、経費を削減する。
科学的に『良い』ことを総動員する」

従来の大腸手術では、前日夕から絶食するが、飢餓状態で手術に臨むと
血糖値が上がり、体の負担が大きくなることが報告。
ERASでは、手術の6時間前までの食事を認めた上、
2時間前に炭水化物を含む飲料を摂取するよう勧めている。

▽4日で退院可能

手術後、速やかに目覚めるように、超短時間作用型の麻酔薬を使用。
過剰な輸液は、腸がむくんで食事が取れなかったり、
合併症を増やしたりするため避ける。
術後は、硬膜外麻酔などでしっかり痛みを取り、早期離床を図る―などを推奨。

千里病院では、導入から09年までに大腸がん手術71症例にERASを適用。
従来の方法による52例と成績(中央値)を比べると、
ERASでの食事開始日は術後1日(従来は同5日)、
最初の排ガスは同1日(同3日)、最初の排便は同2日(同4・5日)、
手術後の入院日数は同12日(同19日)、明らかに短縮。
再手術や再入院、合併症などの発生率には差が無かった。

実際の入院日数とは別に、排便や、五分がゆ以上の食事を退院条件とした場合、
中央値は術後4日で、医学的には極めて早期に退院が可能に。

今後の普及には、課題も多い。
導入には、麻酔医や看護師、栄養士など、職種を超えた院内の協力が不可欠。
早期退院による病院経営への影響も検討する必要。

「外科医が、熱意を持って周囲を説得することが大切。
患者さんの利益は大きいので、是非普及させたい」

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/6/14/137940/

高田松原の奇跡の一本松 クローン再生に成功 森林総合研究所

(東海新報 6月16日)

東日本大震災で甚大な被害を受けた陸前高田市の景勝地・高田松原で、
1本だけ残った「奇跡の一本松」から採取して接ぎ木した穂木が、
滝沢村の森林総合研究所林木育種センター東北育種場で活着。

同場では、4月22日に採取した穂木100本を接ぎ木。
通常の接ぎ木が冬に行われるため、1本でも成功してくれれば、
という不適な時期での試みだったが、
大津波を乗り越えた松の遺伝子が第1関門を通過した。

高田松原は、2㌔にわたって松林の続いた景勝地で、国の名勝に指定。
約7万本のクロマツ、アカマツがあった松林は、
3月11日の大津波に呑み込まれたが、奇跡的に1本だけが残った。

現地では、奇跡の一本松を残そうという取り組みが進められている。
この松の遺伝子を継ぐクローンの苗木を育てる作戦が、同場で進行。

同センターでは、天然記念物や衰退の危機にある貴重な樹木を守るため、
挿し木や接ぎ木で増殖し、育成後に苗木として里帰りさせる
「材木遺伝子銀行110番」という取り組み。
今回も所有者である同市からの申請により、
この事業による里帰りプロジェクトが始まった。

今回は、穂木が老木から採取したもので、
大津波をかぶり激しい塩害を受けていることに加え、緊急を要したため、
通常は木が活動を停止する冬に行う採取が春になったことなど、
育成には不利な要件が重なっている。

同場では、穂木は一般的に10本程度のところ、今回は100本を採取、
その日のうちに接ぎ木。
真水で丹念に塩を流すなど、少しでも生育を助けるための手を打ち、
生育経過が見守られてきた。
屋外育成で、よしずで日よけをして守られてきたが、
13日に4本の苗が活着していることを確認。

春原武志場長は、「冬まで待って採取しようとも考えたが、
一本松は厳しい環境にあり、保存に取り組む団体から
穂を取る話があったので採取した。
できるだけ多くやった方がいいと、100本を接ぎ木。
1本でも成功してくれればと思っていた。
4本が同じ遺伝子を持った松を、後世に残せる可能性を持ってくれて良かった」

今後の育成には、夏本番、北東北の厳しい冬など気象環境にも困難は伴うが、
同場では今回の活着で、第1段階をまずは成功。
丈が50㌢程度に成長すれば、高田松原の親元に里帰りできるよう育てていく。
3年ぐらいの期間が見込まれる。

地元の「高田松原を守る会」などが保護に取り組んでいる
奇跡の一本松はアカマツで、高さが27・7㍍。
樹齢は200年以上と推定。

塩害などによる枯死の危機から救おうと、震災後、周囲に土のうを積んで
海水の侵入を防いだり、根の成長を助ける活性剤を散布するなどの処理が
取られてきたが、1カ月ほど前から徐々に葉の変色が進行。
満潮になると、地盤沈下した地表に海水がしみ出し、根が傷んだとみられ、
現在は、地元有志の造園業者らによる海水流入対策として、
周囲に鉄板が埋め込まれている。

森林総合研究所材木育種センター
http://touiku.job.affrc.go.jp/press/kisekinoipponmatsu.pdf

http://www.tohkaishimpo.com/

2011年6月24日金曜日

有機薄膜太陽電池の効率よい作製法開発

(サイエンスポータル 2011年6月16日)

低価格の太陽光発電方式として期待されている
有機薄膜太陽電池の効率よい作製法を、
分子科学研究所と米ロチェスター大学の研究グループが開発。

有機薄膜太陽電池は現在、さまざまな有機半導体のドナー性材料と
アクセプター性材料とでできた混合膜を、
透明電極基板の上に真空蒸着して作る方法が主流。
この方法は、100nm以下の薄い膜しかつくれないことが弱点。

分子科学研究所の嘉治寿彦・助教らと米ロチェスター大学のタン教授らは、
2種類の有機材料に加え、透明電極基板に付着しないような
液体分子を蒸発させる新しい方法で、4倍厚い薄膜を作ることに成功。

この手法で、さまざまな組み合わせの有機薄膜を作り、
電流を計測したところ、これまでより3倍から40倍、
ものによっては3,000倍以上という劇的な向上が見られた。

有機薄膜太陽電池は、最も普及しているシリコン型太陽電池に比べ、
太陽光を電気に変換する効率は低いものの、
低価格で作製できる長所がある。

ドナー性材料とアクセプター性材料を重ねた二層構造の
有機薄膜太陽電池が、1986年にタン教授によって世界で初めて報告、
このドナー性材料とアクセプター性材料との混合層(共蒸着層)を加えた
三層構造の有機薄膜太陽電池が、
1991年に平本昌宏・分子科学研究所教授によって開発、
各国で研究が進んでいる。

今回開発した手法は、従来の真空蒸着法よりも結晶性の良い
混合膜を、簡単に作製することができるため、
より変換効率のよい低分子型有機薄膜太陽電池を実現することができる。

http://www.scienceportal.jp/news/daily/1106/1106161.html

正看護師の夢のむ 患者救った後に津波 きょう100カ日

(東海新報 6月18日)

未曾有の災害となった東日本大震災は、18日で発生から100日。
あの日、人を助けるために命を落とした人も大勢いた。

大船渡市出身で、名取市にある医院の准看護師だった
遊佐郁(かおる)さん(43)は、寝たきりの患者を救った直後、
津波に呑まれた。
正看護師の国家試験に挑戦していたという彼女の遺影には、
合格通知書が届けられ、関係者は悲しみを新たにしている。

遊佐さんは大船渡小、大船渡中、大船渡農高を卒業後、
千葉県の看護学校を経て、宮城県内の病院に就職。
この春まで、名取市にある岡部医院で訪問看護を担当。

地震直後、遊佐さんは亘理町荒浜の患者宅に向かった。
難病の女性が1人でおびえていた。
帰宅した夫と女性を2階に移そうと、階段で押し上げていた時、
波に呑み込まれ行方不明となり、1週間後に遺体で見つかった。

同僚の看護師は、「泥で汚れた体を清めた時の遊佐さんの顔が
忘れられません。つらいケアでした。
『看護師をやらなきゃ、へこたれていたら彼女に怒られる』と、
あの時を境に気持ちを切り替えました」

将来、独立して認知症ケア施設をつくるのが夢だった。
正看護師の国家資格が必要で、遊佐さんは昼夜を惜しんで
国家試験の勉強に励んでいた。

遺体が見つかった日から1週間後、試験に合格していたことが分かった。
埼玉県の叔父の家に、合格通知書が届いた。

遊佐さんの叔母で、大船渡市内に在住の後藤富子さん(77)は、
「郁ちゃんは、小さい頃に両親を亡くしましたが、
辛抱強い努力家で、勉強をしながら仕事をやっていた。
念願の合格通知書を手にすることもできないで、逝ってしまってかわいそう」

後藤さんのもとには、遊佐さんの〝生きざま〟を紹介した新聞が
関係者から届けられている。
記事には、患者たちとキャンプを楽しむ遊佐さんの笑顔の写真が。

後藤さんは、「あまり笑わない子ですが、表情が生き生きしている。
仕事をしている時や患者さんと接している時は、きっと楽しかったのでしょう」

http://www.tohkaishimpo.com/

緊急連載 学校と震災(19)大学生に支援の熱意

(読売 4月23日)

避難所の体育館から出てきた子どもが、
石巻専修大学4年佐原英晃さん(21)の腰をつつき、くすくす笑った。

4月14日、宮城県石巻市の市立住吉中学校
「顔見知りで、仲良しですよ」と佐原さん。

校舎掃除などを行う学生ボランティアとして、同大4年三塚光さん(21)と
一緒に毎日、同中に通い、もう20日以上に。

佐原さんは、震災時にいた同大構内に4日間とどまり、
15日、日和山公園そばの自宅アパートまで帰った。
がれきを避け、線路の上や水のない場所を探して歩いたら、
通常は車で15分の距離に4時間かかった。
街はぼろぼろだった。

「(河口近くの)門脇町には何もなかった。遺体も見た。
ガソリンと潮のにおいがまざったヘドロで、道がぐちゃぐちゃでした」

大学の前期授業再開は5月20日。
福島県にある実家の親は、帰ってこなくていいと。
街を何とかしたいと、3月24日に同大に開設された
市災害ボランティアセンターに登録、三塚さんと同中に派遣。

時間は昼休みを挟み、朝9時から午後4時まで。
車の交通整理、避難所の食事の手配、床上浸水した校舎の掃除、
支援物資整理などやることは山積みで、子どもとも遊ぶ。
斎藤達彦・同中教頭(54)は、「震災後まもなく来てくれ、
あらゆることをしてくれて、本当にありがたい」と感謝。

4月21日、避難者約200人と同居しつつ、同中は再開。
佐原さんは当面続けるが、三塚さんには最後の日。
5月9日から、実家のある栗原市の中学校で、3週間の教育実習。
「けじめをつけ、次をがんばりたい。
子どもたちと親しくなれてよかった」と三塚さん。

今回の震災では、東日本の多くの大学が5月の連休明け以降を
新年度開始日とした。
文部科学省が、ボランティア活動に単位を与える配慮などの通知を
各大学などに出したこともあり、日々、多くの学生ボランティアが被災地入りし、
家屋の泥のかき出しや家財道具、畳の運び出しなどを手伝っている。

食事、宿泊、移動手段などは自分で準備が基本だが、
日本財団(東京)が、東京と石巻市を往復する交通手段と宿泊施設を用意し、
学生ボランティアを募集したところ、遠くは琉球大学からも
参加者が駆けつけた。
「とにかく役に立ちたい、という熱意のある学生が多いようだ」。

学びの場として、本来の姿を取り戻そうとする被災地の学校。

現場を支える大人の中に、ひたむきに頑張る学生たちの姿がある。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110423-OYT8T00219.htm

2011年6月23日木曜日

世界最短波長のX線レーザー発振に成功

(サイエンスポータル 2011年6月13日)

理化学研究所と高輝度光科学研究センターは、
X線自由電子レーザー施設「SACLA(サクラ)」で、
世界一短い波長のX線レーザーを発振することに成功。

「SACLA」は、第3期科学技術基本計画の国家基幹技術の
一つとして、5年がかりで開発、2月末にビーム運転を開始。

今回、発振に成功したX線レーザーは、
波長が1.2オングストローム(1オングストロームは1億分の1センチ)。

X線自由電子レーザー施設の完成は、米国のXFEL施設に先を越されたが、
2009年4月、同施設が発生させた1.5オングストロームの
最短波長記録を追い抜いた。

X線自由電子レーザーは、1,000万分の1センチより
小さな世界をフェムト(千兆分の1)秒で観察可能なことから、
膜タンパク質の構造解析や、触媒が化学反応で
どのような働きをしているかなど、
従来のX線解析では困難ないし不可能だった原子や分子の世界の
「機能」を、直接観察する新しい強力な道具になると期待。

今後、調整運転を行い、今年度内に国内外に開かれた施設として
供用運転を開始する。

http://www.scienceportal.jp/news/daily/1106/1106131.html

(宮城)沿岸部 東北大が病院配置構想

(2011年6月8日 読売新聞)

東日本大震災で甚大な被害を受けた沿岸部の
自治体病院の将来的な配置について、検討を進めていた
東北大病院の構想案が明らかに。

石巻市や気仙沼市、内陸部の3か所に拠点の医療センターを置き、
診療所が補完する内容。

県内の医師派遣を事実上担う東北大病院の構想は、
病院配置に大きな影響を与えるとみられ、地域医療のあり方を考える
県の地域医療復興検討会議に提案する予定。

配置の構想では、石巻赤十字病院や気仙沼市立病院を
医療センターと位置づけ、機能を強化して拠点病院とする。

30kmおきに、拠点の病院を配置するのが望ましいとの考えから、
内陸部の病院も医療センターとして機能を強化。

大きな被害を受けるなどした気仙沼市立本吉、公立志津川、
石巻市立雄勝、同市立牡鹿、女川町立の5病院は、
規模を縮小したり機能を限定したりして、診療所、
慢性期の患者向け病院として存続。

軽度の患者の診療を行うが、急患らは医療センターに
振り分けるなど、機能を明確に分けている。

東北大病院は、これらの診療所を街の中心部に置き、
周辺部の宅地から徒歩で通えるような、
1km四方の町作り構想の提案も検討。

沿岸部の被災地は、医療体制も壊滅的な被害を受け、
雄勝病院は医師・看護師が死亡して診療を休止、
公立志津川病院や気仙沼市立本吉病院は、
県外の医師の応援を受けて診療を続けている。

東北大病院は当面、石巻市、気仙沼市、南三陸町の各地に、
1-2か所の仮設診療所を置き、医師の応援を受けずに
診療を続けられる体制を早急に構築すべきと考え、
まずは、現状の医療体制の整備を目指す。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/6/8/137709/

緊急連載 学校と震災(18)再開前の「補習」で安心

(読売 4月22日)

「いけいけ」、「きゃー」、「アウト、アウト」、「あはは」
4月15日、宮城県多賀城市の市立天真小学校
校庭でドッジボールをする児童が走り回り、
教室では先生からそろばん、漢字、算数などを教わっている。

この日は、児童の心のケアのため、21日の始業式を前に、
補習を兼ねて設けられた「学習支援日」。

「登校したくてたまらなかった子どもは多い。
体を動かしてストレスが発散できているようです」、
昨年度まで2年生の担任だった小泉優教諭(23)。

大震災のため、同市では21日現在、188人の死者・行方不明者。
市内に10ある小中学校の児童生徒は無事だったが、
親や祖父母が亡くなったり、家屋を流されたり、
市街地に押し寄せた津波を目の前で見たりした。

子どもたちが受けた心の傷は計り知れない。
市教委は、教員に心のケアの研修を事前に受けてもらい、
7日から学習支援日を始めた。
対象は新2~6年生、期間は学校ごとに3~9日間。

天真小では4日間、在校児童の9割が午前中に登校、
休憩を挟んで、約2時間を教室や校庭で過ごした。
同小には、避難者が一時約1400人いたが、開始前日に近くの体育館に
移動してもらい、教職員や保護者らが土足で汚れた校内を清掃。

支援日の児童下校後は、教員らが手分けし、ブロック塀が崩れていないか、
堤防が決壊していないかなど、通学路の安全を確認、
保護者にメールなどで連絡。
高橋憲章校長(58)は、「子どもの心に配慮しながら、
学校生活を送らせてあげたい」

6年の相沢愛海さん(11)、堀内大揮君(11)は、
「友だちが心配だったが、学校に来て安心した」とホッとした様子。
鍬形優歩君(12)は、「家が床上60cmまで浸水したけど、
友だちが手伝ってくれたり、食べ物を持ってきてくれたりした」

5月9日以降、学校再開を予定する同県南三陸町の
町立志津川中学校では、3月に未実施だった授業8日間分の補習、
生活のリズム作りなどを狙いに、新2、3年生対象で任意参加の
「学習会」が14日から開かれている。

午前9時40分から午後3時30分まで、
英語や数学、社会などをみっちり学習。
避難所ボランティアの炊き出しで、給食も用意。
2、3年で、計219人在学の予定だが、毎日80人~100人前後が登校。

同中では生徒11人の親が亡くなり、167人の家屋が流失。
菅原貞芳校長(58)は、「まだ厳しい状況だが、
だんだん表情が柔らかくなってきたようだ」

授業再開前の補習が、子どもたちの気持ちをときほぐしている。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110422-OYT8T00232.htm

2011年6月22日水曜日

一夜漬けはやはり身につかず

(サイエンスポータル 2011年6月15日)

間隔を置いて繰り返さない学習は効果がなく、
一夜漬けは身につかないことを、
理化学研究所の研究チームがマウスを使った実験で突き止めた。

理化学研究所脳科学総合研究センターの永雄総一・運動学習制御研究
チームリーダー、岡本武人テクニカルスタッフと、
遠藤昌吾・東京都健康長寿医療センター部長、
白尾智明・群馬大学医学部教授らは、
マウスの眼球の運動学習に着目し、
学習による記憶が、脳のどの部分に刻み込まれるかを調べた。

4.5秒で一往復するチェッカーボードをマウスに見させ、
ボードの動きに追従する眼球の動きの大きさで、学習効果を測った。

1時間集中的にチェッカーボードを見せたマウスと、
30分、1時間、24時間の休憩を取って15分ずつ4回繰り返し見せたマウス、
24時間の休憩を挟んで8回に分けて7.5分ずつ見せたマウスを比べ、
学習終了時の記憶(学習効果)に差はなかった。

学習終了後、24時間たってから調べると、
集中学習を受けたマウスは運動量が半分くらいに減少する、
つまり半分くらい忘れてしまっていることが分かった。

途中、間隔を置いて学習を受けたマウスは、
いずれの場合もほぼ完全に覚えていた。

研究グループは既に、短期の運動学習による記憶は小脳皮質に、
長期の運動学習による記憶は小脳核にあることを解明。

学習の終了直後、小脳皮質に局所麻酔剤を投与し、
小脳皮質の活動を止める実験を行ったところ、
集中学習させたマウスの記憶は消えてしまったのに対し、
間隔を置いて学習させたマウスの記憶は全く影響を受けない。

これらの結果は、集中学習でつくられた記憶は、
小脳皮質にとどまったままだが、
学習中に休憩を取ると、記憶が小脳核へ移動することを示している。

研究グループは、さらにタンパク質合成阻害剤を、
運動学習の直前に小脳皮質へ投与する実験を行い、
記憶を移動させるものが、休憩中に小脳皮質のプルキンエ細胞で作られる
何らかのタンパク質であることを突き止めた。

「学習には休憩が大事だ」ということを、
科学的に初めて証明することができた。

理化学研究所
http://www.riken.jp/r-world/info/release/press/2011/110615/

http://www.scienceportal.jp/news/daily/1106/1106151.html

岩手大が沿岸に拠点 水産復興支援へ検討

(岩手日報 6月12日)

岩手大(藤井克己学長)は、東日本大震災による津波で甚大な
被害を受けた漁業などの復興支援を目的に、
海洋・水産分野の研究教育拠点を本県沿岸に開設する方向。

内陸部で展開する工学系3研究センターに続く、
第4のサテライト施設」と位置付け、人材の育成にも力を注ぐ。
全国の海洋・水産系大学から客員教授を招くことも視野に入れ、
再生を目指す漁業関係者らの期待を集めそう。

研究教育拠点は、同大が取り組む震災復興プロジェクトの一環で、
「SANRIKU(三陸)海洋産業復興研究教育拠点形成創成事業」として推進。

環境把握・解析と漁業、養殖、加工、流通分野までを研究対象に想定し、
地元関係者や企業とも連携して研究や技術開発を進め、復興を後押ししていく。

同大は、これまで沿岸部への施設展開を行っていなかった。
開設時期や具体的計画はこれからだが、沿岸部の被害状況から、
設置場所は釜石以北となる可能性が高そう。

既存のサテライト施設は金型(北上市)、鋳造(奥州市)、
複合デバイス(花巻市)の各技術研究センターがあり、
いずれも工学部が教員を派遣。
沿岸の研究教育拠点は、担当の学部を固定せず、
学部横断的に全学を挙げて取り組む予定。

従来の施設開設に当たって、地元市町村の全面的支援を受けてきたが、
被災自治体に経済的負担を求めるのは困難。
内陸サテライト施設の実績や沿岸産業の厳しい現状を国に訴え、
予算化を求めていく方針。

沿岸部では、大船渡市三陸町の北里大海洋生命科学部が
2015年度まで5年間、三陸キャンパスの使用を中止。
岩手大の研究教育拠点が実現すれば、
産学官連携の新たな道筋も生まれそうだ。

藤井学長は、「沿岸地域の将来を担う研究者、技術者を育成したい。
地元企業とタイアップしながら、世界に誇る『メード・イン・三陸』の
高付加価値商品化に貢献できれば」と意欲。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110612_3

緊急連載 学校と震災(17)他校生・避難者と「同居」

(読売 4月21日)

「地域の皆さんが避難し、東六郷小の皆さんが同じ校舎内で勉強します。
不便なこともありますが、周りの人の気持ちを思いやり、
地域が立ち上がる大きな力となるよう、協力してください」。

4月13日午前、仙台市若林区の市立六郷中学校の始業式は、
教室で着席した生徒らに郷家雄二校長(55)が、
職員室から校内放送で呼びかける異例の形をとった。

生徒数約400人の同中で、体育館と武道館で避難者約370人が寝起き。
津波で自校舎が使えなくなった同市立東六郷小学校(児童数37人)が
校舎1階に入り、式の会場がなかった。
翌14日の入学式も、同じ形で行われた。

避難所の学校では新学期を前に、避難者に別の避難所に
移ってもらうケースが多い。
同中のある若林区自体の被災者が多く、近くの避難所も満杯に近いため、
3者同居での学校再開。

避難所運営委員の小野吉信さん(61)は、
「子どもたちの通学もあるし、今後の復興に向け、
今まとまって避難している地域の人間関係も維持したい。
仮設住宅が近くにできれば、移りたい」

避難所では、校内トイレも利用するため、
24時間開放の校舎管理で、男性教員が交代で泊まる。
学校が再開してからは、合唱祭、部活動などの行事、
多感な中学生と小学生のかかわりをどうするかなど、悩みは多い。

「一緒にがんばるしかない。落ち着いたら小中交流も」と郷家校長。
生徒会長の3年、高橋賢智さん(14)は、
「避難している人のお手伝いもしたいし、小学生が何か困っていることが
あったら世話してあげたい」

地震や津波で校舎が使えなくなった学校は多く、
宮城県内では20日現在、公立の小中学校43校、高校4校が、
他校など校外の施設に間借りして新学期を始める予定。

仙台市立荒浜小学校(若林区、児童数56人)
も、約7km離れた
東宮城野小学校(宮城野区、同179人)に移り、19日に再開。

荒浜小は、4階建て校舎の2階床上約50cmまで津波につかり、
避難した児童や教職員、住民らがヘリコプターで
陸上自衛隊霞目駐屯地へ移送。
校外にいた児童1人が亡くなった。

交流がほとんどなかった二つの小学校だが、20日には早速、
合同朝会が開かれ、児童や教員が顔合わせした。
川村孝男・荒浜小校長(55)は、
悲しみは残るが、幸い、子どもは順応性も高い。
心に配慮しつつ、別の学校の仲良しも大勢できて、
うれしいと思える学校にしたい
」と、新たな出発に期待。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110421-OYT8T00165.htm

2011年6月21日火曜日

後藤新平が紙上に教訓 顕彰会理事の高橋さん入手

(岩手日報 6月15日)

奥州市の後藤新平顕彰会理事高橋力さん(62)は、
後藤新平が、1923(大正12)年の関東大震災直後、
内務相として活躍した当時の新聞を入手。

後藤が打ち上げた大胆な復興計画を報じる紙面は、
大震災に見舞われた今に、教訓を伝えている。

顕彰会で調査研究担当を務める高橋さんは、ネットオークションに
同年9月28日の大阪朝日新聞夕刊が売りに出ているのを発見、入手。

関東大震災から約4週間後に当たり、後藤が内務相兼務で
帝都復興院総裁に就任する前日。
保存状態が良く、活字がはっきり読める。

紙面には、「応急措置が終わり、いよいよ第二段に入る」との見出しが躍り、
後藤が15億円から30億円まで、復興都市計画4案を立案したことや
遂行に伴う焼失域の土地問題、財源問題を報じている。

当時の年間国家予算15億円(22年)を上回る規模の復興構想は、
結果的に財政事情が許さず、大幅縮小されたが、
震災直後に壮大な計画をまとめ上げた後藤の指導力や
先見性をうかがわせる。

「震災後3カ月が経過しても、復旧・復興が進まない政治状況は歯がゆい。
後藤新平の精神に、今こそ学ばなければならない」と高橋さん。

顕彰会が、小学生を対象に先人の足跡を伝える
「寺子屋」事業などで教材に活用していく。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110615_15

冷暖房費が減る 人気のエコガラスの実力

(日経 2011/6/16)

節電効果の大きいエアコンや扇風機に注目が集まる中、
省エネ効果をさらに高める「窓」が相次いで登場。

大手ガラスメーカーやサッシメーカーは、断熱性や遮熱性を持たせた
「エコガラス」の開発、販売に力を入れる。

新築一戸建ての場合は、普及率が9割以上とほぼ「標準装備」、
既存の住宅やマンションに、エコガラスや複層ガラスを
取り付ける例が増えている。
内窓の工事費用の相場は、通常のガラス交換に比べ、
2倍強の13万円前後(2m×1.7mの場合)と高額だが、
長期的な光熱費削減や住み心地の良さが評価。

◆4分の1の時間で冷房が効く

「エコガラスの内窓を取り付けてから、冷暖房を使う機会が減った」と、
墨田区の手塚昭(73)さん、静子さん(70)夫妻。
昨年春、4LDKのマンションの7つの窓をすべて工事し、
既存の窓の内側に「Low-E」と呼ばれる断熱ガラスを用いた
二層構造の窓を取り付けた。

この窓は、二重ガラスの隙間に、熱を伝えにくいアルゴンガスを充てん。
内窓と既存窓との間にできた約7cmの空気層にも、断熱効果がある。
「結露がほとんどなくなり、掃除の苦労やカビの心配がなくなった」
ガラス表面は、特殊な金属膜で覆われ、夏場には遮熱効果も。

施工費は、材料費込みで計約69万円。
工事は1日で終わり、国の住宅版エコポイント10万2000ポイントと
墨田区からの助成金11万3000円を受け取った。

旭硝子によると、一般の1枚ガラスでは太陽光の熱のうち、
89%を室内に通すが、同社のLow―E製品「ペアプラス」では、
半分以下の43%に抑えられる。

実験では、冷房をつけてから快適に感じるまでの時間は、
平均で従来の4分の1程度に短縮。

◆冷暖房費が4万3000円減

サッシ(窓枠)は、直射日光が当たる外側にアルミ、
内側にポリ塩化ビニールなどの樹脂を採用するものが多く、
冬場は屋内の熱を閉じ込める断熱性を発揮。

年間の冷暖房費は、標準的な一戸建て住宅
(床面積148平方メートル=約45坪を想定)で、35%に相当する
4万3000円を節約できる試算。

防音効果もある。
屋外で発生する音を、平均で40デシベル低減。
工事現場や走行中の地下鉄に匹敵する90~100デシベルの騒音なら、
室内では50~60デシベルまで低減され、
一般的なオフィス内やレストランに相当する水準になる。

LIXIL(旧トステム)の内窓「インプラス」は、2010年度の販売額が
101億円と、前年度比3倍強に伸びた。
東日本大震災が発生した3月以降、住宅リフォーム市場は一時縮小したが、
余震の減少や部材供給の再開で徐々に回復。

購買層は、マイホーム購入から10~20年がたった50歳代以上が主力だが、
節電志向を背景に30~40歳代がショールームを訪れる回数も増えている。

◆エコポイントや自治体補助金が後押し

<窓の断熱工事への地方自治体の主な補助制度>

山形県 山形の家づくり利子補給(県産木材使用の新築)
     省エネ・耐久基準など満たせばローン補助
東京都
品川区 住宅リフォーム助成事業 断熱工事費用の1割、個人は上限20万円

墨田区 地球温暖化防止設備導入助成制度、工事費用の2割

千代田区 新エネルギー及び省エネルギー機器等導入助成制度、
       断熱改修費用の2割、上限100万円

静岡市 静岡市たてものまるごと省エネ化促進事業補助金制度
      複層ガラス1枚あたり1万5000円

福井県 省エネリフォーム促進事業 対象工事費用の1割、上限10万円

広島市 住宅環境性能向上補助金(新築)
     1居室すべての窓の複層工事で5万円

山口県 やまぐちエコハウス補助金、太陽光発電と併せた工事で補助

福岡市 住宅省エネ改修助成事業、国のエコポイントの3分の2相当

長崎県 一般住宅省エネ設備導入支援事業 工事次第、
     国のエコポイントとの併願不可

消費者の背中を押しているのは、住宅版エコポイント。
国土交通省は、省エネにつながる設備に付与する同制度の
終了時期を、当初予定より5カ月早い7月末までに短縮。
ガラス専門店では、駆け込み需要が発生。
リグラスショップ・ウチヤマの5月中旬から1カ月の受注件数は、
通常の倍の10件。
内窓の改修工事が多い。

国のエコポイント終了後は、地方自治体が実施している補助金に注目。
品川区は、8月以降の工事を対象に支援。
窓の断熱化など、省エネ関連の工事費用の10%相当額を
個人で最大20万円、共同住宅で最大100万円補助。
静岡市や広島市も、省エネ関連工事への補助制度を設けている。

自治体によって、審査基準が厳しいケースや、予算の早期消化で
終了を前倒しすることがあるので、申請前に確認が必要。

◆重視する季節で変わる選択肢

実際に窓を購入する際、地域による気候などの違いも
商品選びのポイントに。

冬の保温や結露防止を優先するか、夏の暑さ対策を重視するかの
判断が重要。
室内を保温するなら内窓が有効だが、暑さの厳しい地域では
夏に熱がこもる可能性。
暑さをしのぐには、単なる複層ガラスへの交換では効果が限定的で、
Low―Eなど遮熱性の高い商品が必要。

都市部では、防災上の理由で網状のワイヤ入りの窓が
義務付けられている場合も。
単価の高いワイヤ入りエコガラスにするか、既存のワイヤ入り窓に
通常のエコガラスを内窓として取り付けるかも選択肢。

http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819698E2EBE2E0958DE3E1E2E4E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2?n_cid=TW001

緊急連載 学校と震災(16)早期再開「日常」へ戻す

(読売 4月20日)

推定高さ18mの津波に襲われ、中心部がほぼ全滅した宮城県女川町。
高台にあり、難を逃れた同町立女川第二小学校に4月12日、
子どもたちの笑い声が響いた。

同小と、孤立した町北東部の離島・出島から移転してきた女川第四小学校
二つの小学校の始業式や入学式が行われた。

町役場や災害対策本部も入り、体育館が支援物資置き場になっていたため、
第二小の式は4階コミュニティールームで行われた。
約130人の児童が出席した始業式では、
新任の梶谷美智子校長(54)が、「一生懸命学習しましょう」などとあいさつ、
児童代表の6年、渡辺杏奈さんが、
「友だちと避難所で支え合って生活し、不安な気持ちが和らぎました」

17人の新入生の1人、遠藤遥斗君(6)は、ランドセルが流され、
リュックで登校したが、入学式で新しいランドセルをもらって笑顔を見せた。
入学予定だった6人が、一時的に他校に転入し、
母親のあゆみさん(30)は、「お友だちが減って残念ですが、
この日が来てよかった」

第四小は、3階廊下ホールで始業式、4階教室で入学式を行った。
島の高台にあり、併設の女川第二中学校と共に
「SOS」と屋上に描き、助けを求めた学校。

児童は、9人が他地域に避難し、現在5人。
少し離れた女川第一小学校の避難所で、家族らと寝起きし、通学バスで通う。

「やっぱり学校は楽しい。野球がやりたいな」と、6年の須田龍人君(11)。
新田瑞穂教諭(48)は、「避難所にいる時より、子どもの顔色が明るく、
学校に戻ったことは大きい」、
三品隆校長(52)は、「学習場所を整備してもらった。
がんばるしかない」と気を引き締めた。

同県内の被災地では、多くの小中学校が4月下旬開始だが、
同町では4月初め、早期再開を決めていた。
第二小では、当時校内にいた約120人の避難者の大半に
別の避難所に移ってもらった。
電話事情の悪い中、保護者に何度も電話をかけ、
9か所の避難所を回って保護者を探し、お知らせを貼って周知。

人口約1万人の同町では19日現在、身元が判明しただけで321人が死亡、
1035人が行方不明、小中学生も4人の行方がわかっていない。
第二小では、児童は無事だったが、約30人の家族が死亡・行方不明、
9割の児童の家屋が流失。

遠藤定治・町教育長(70)は、「子どもたちが大変厳しい状況にあるからこそ、
学校で日常のリズムを回復させたい。
仲のいい友だちに再会し、先生が寄り添ってくれることで、
心の支えにしてほしい」

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110420-OYT8T00133.htm

2011年6月20日月曜日

多層型の2次電池開発 岩手大と新潟の企業2社

(岩手日報 6月15日)

岩手大の馬場守名誉教授(66)=電子デバイス工学=と、
新潟県の企業2社は、セラミックス製の多層セル型リチウムイオン
2次電池を開発した。

セルと呼ばれる薄い層を積み上げて、一括して焼き固めた電池は世界初。
安全性が高く放電容量を拡大できるため、小型電子機器から
電気自動車まで、幅広い機器への応用が期待。

馬場名誉教授とナミックス社(小田嶋寿信社長)、
アイオムテクノロジー(増村均社長)が共同開発。

岩手大の全固体薄膜リチウムイオン2次電池の技術と、
2社の電子部品などにおけるセラミックスのペースト化や焼成、
積層技術を融合させた。

充電可能な2次電池は、150層の場合、縦、横3・2mm、厚さ2・5mm。
正極、無機の電解質、負極のペーストを1層のセルとして重ね、
全体を800~1000度の高温で焼き固めた。
1時間当たりの放電容量は、210マイクロアンペア。

有機の液体電解質を使った通常のリチウムイオン電池と異なり、
全てが固体のため、発火などのトラブルが少ない。

そのまま電池として使用可能なため、パッケージが不要で
コンパクト化、コスト削減にも。
多層化によって、放電容量を拡大できるため、
携帯電話など小型電子機器から、電気自動車まで幅広い応用が可能。
今後は、量産化をどう進めていくかが課題。

馬場名誉教授は、「震災で甚大な被害を受けた本県を含め、
わが国の産業界に新たなものづくり分野を創成、
雇用創出にもつなげたい」と抱負。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110615_8

朝型/夜型が野球の成績に影響?

(ナショナルジオグラフィック 6月16日)

野球選手の打率が高くなる時間帯は、
睡眠パターンによって異なる傾向にあることが、
米大リーグ選手を対象にした予備的研究によって明らかに。

朝型を自認する選手は、早い時間のゲームで打率が高く、
晩い時間になると打率が下がる。
反対に夜型の選手は、晩い時間のゲームで打率が高い。

バージニア州シャーロッツビルにある
マーサ・ジェファーソン病院睡眠医学センターの医長、
W・クリストファー・ウィンター氏。

わざわざ研究で証明する必要があるのかと思われるかもしれないが、
これまで誰も本格的に調査したことはなかった。

人間は誰しも、概日リズムという自然の睡眠パターンを持っている。
右利きの人と左利きの人がいるように、この概日リズムが
人間を朝型と夜型に分けている。
概日リズムは、年齢とともに早い時間帯へずれる傾向。
お年寄りが、午後4時半に夕食を摂ったりするのはそのため。

今回の研究には参加していないハーバード・メディカルスクールの
神経学者ジェフリー・エレンボーゲン氏は、
概日リズムは、行動や身体パフォーマンスなど、
人間のあらゆる生理的側面に影響を及ぼす。
髪の色が、人によって茶色だったり赤だったりするのは遺伝によるが、
1日の特定の時間帯におけるピークパフォーマンスに
個人差がみられることにも、遺伝子がある程度関与」

野球選手を対象にした今回の研究で、研究チームは、
大リーグ7球団の選手16名(平均年齢29歳)に、
睡眠に関する標準的な質問票に答えてもらった。

質問票は、その人の概日リズムを明らかにするもので、
今回の研究向けに修正が施されていた。
質問の結果、選手9名が夜型、7名が朝型と判明。

次に、選手の2009年と2010年の成績を分析、
試合開始時間との照合を行った。
選手は、タイムゾーンをまたいで移動することもあるため、
試合開始時間はその分を計算に入れて調整。

ボルチモア・オリオールズの選手がロサンゼルスまで移動し、
午後2時からの試合に出場した場合、
その選手にとっての体感的な試合開始時間は午後5時。

分析の結果、午後2時より前に始まった試合では、
朝型の選手の打率(.267)が夜型の選手(.259)を上回っていた。

午後2時以降に始まった試合では、夜型の選手の打率(.261)が
朝型の選手(.252)を上回った。

「体が行うことにはすべて、自然な山と谷があり」、
人間は最も覚醒しているときに、より良い運動パフォーマンスを発揮する
可能性が高い。

夜型の人が、遅くに寝て遅くに起きるという睡眠パターンを
永久に抜け出せないわけではない。

概日リズムを変える方法もある。
体内の睡眠リズムは、明るい光に接する時間帯に影響され、
1日の早いうちに光を浴びるようにすると、
睡眠サイクルを早い時間にずらすことが可能。

米国立アルコール乱用・依存症研究所(NIAAA)によると、
アルコールの摂取も、時差ボケと同じように睡眠サイクルを乱す。

睡眠におけるわれわれの嗜好や習慣は、従来考えられていた以上に、
生活や行動に深く影響を及ぼしていることが認識されつつある。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110616-00000001-natiogeo-int

緊急連載 学校と震災(15)退職校長 再開手助け

(読売 4月16日)

津波で崩壊した渡波中の1階。「おい、元気にやってるか」

震災1か月後の4月11日、約60人が暮らす避難所でもある
石巻市立渡波中学校で、千葉道博さん(60)が女子生徒に声をかけた。
千葉さんは、3年間勤めた同中校長を、
震災直後の3月末に定年退職したばかり。
被災地の学校の助っ人として、宮城県教育委員会が
今春退職の学校教員らを急きょ任用した「緊急学校支援員」の一人。

震災当日は、午前中が卒業式。
地震発生時、生徒の大半は下校していたが、戻ってきた生徒や
住民百数十人が学校に避難。
約30分後、高さ数mの津波が襲ってきた時、
校舎3階などにいて助かったものの、その後3日間学校が水に囲まれ、
食べ物も水もほとんどない状況に。

千葉さんは避難誘導を指示し、学校が孤立してからは、
寒さをしのぎ食べ物を分け合い、励まし合う避難者のリーダーとして奮闘。
「流れついた箱入りの冷凍魚を焼き、みんなで食べたりした」
住民が避難所を自主運営し始めた1週間後頃から、
教職員で手分けし、校外にいた生徒らの安否確認に避難所や自宅を回った。

3月下旬、県教委から協力要請が来た。
渡波小学校教頭時代も含め、渡波地区に5年間お世話に。
同中では、生徒3人の死亡が確認されたほか、
多くの保護者や教職員の家族も亡くなったり行方不明になったりし、
校舎も一部が壊れた。
「この状況で、はいサヨナラはできない」と引き受けた。

同中は今月21日に再開、教室不足のため、2年生が同中、
1年生は近くの万石浦中学校、3年生は万石浦小学校に分かれて
授業を行う多難な船出。
学校業務は、新しく赴任した阿部博志校長(56)が指揮。

千葉さんは、今も安否不明の生徒3人を捜し、校舎や体育館を掃除し、
子どもの心のケアなどを担当。
「子どもたちが生きていく確認をしたい。最後の仕事です」

新3年担任の阿部欽一教諭(41)は、
「震災から一時も学校を離れず、冷静に指示を出してくれた。頼もしい先生」
新3年の女子生徒(14)も、「家で作った野菜を文化祭や
調理実習に持ってきてくれた。身近にいてくれて心強い」

文部科学省は、阪神大震災や新潟県中越沖地震で長期間配置した
「復興担当教員」(常勤)の配置を今回も検討中だが、
宮城県の「緊急学校支援員」は、目前の必要に対処した県独自。

働くのは、1学期までがめど。
15日現在、11市町村で31人が任用され、
呼びかけに応じ、協力者は増える一方。

同県教委の後藤教至教職員課長は、
「多くの教職員が被災し、学校現場はとにかく人手が足りない。
事情をよく知る退職教員らの支援は、子どもや教員を力づけ、
学校の復興に役立つはず」と期待。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110420-OYT8T00147.htm

2011年6月19日日曜日

緊急連載 学校と震災(14)集団転入先 支援の手

(読売 4月15日)

福島第一原発事故で集団避難している福島県双葉町の小中学生は
8日、避難先の埼玉県加須市の学校で、入学式と始業式を迎えた。

小学生99人が転入した同市立騎西小学校では、
在校生が手作りの花のアーチで歓迎。
在校生代表の6年、寺島瑞季さん(11)が、
「心を一つにして、楽しい学校生活を送りましょう」と呼びかけた。

双葉町出身の5年、坂本千乃さん(10)は、
「歓迎の言葉を聞いて、少し緊張が解けた。
こちらから話しかけたら、友だちが2、3人できた」と、ホッとした様子。

松井政信校長(56)は、震災や原発事故について、
式辞ではあえて触れなかった。
式の終了後、「子ども同士が仲良くなるためにも、
加須と双葉の子どもを分け隔てなく育てたい」

市立騎西中学校には、69人が転入。
分け隔てなくという思いは、武正和己校長(59)も同じだが、
「不便な避難所生活を送る生徒に、教育的な配慮は必要」

転入してきた2~3年生に、PTAの協力で昼食の弁当を用意し、
午後から開かれた入学式に、在校生と一緒に参加できるように計らった。

避難所では、子どもたちが落ち着いて勉強できるよう、
学習室の設置が計画。
一緒に避難してきた同町の教員に、学習室での指導や、
転入先の騎西小、中学校で学習支援にあたってもらうことも検討中。

子どもたちに対する心のケアなど、共通する問題も多い。
同市と同町の教育関係者は、近く連絡協議会を発足させ、
解決策を探っていく。

原発事故で住民が避難した福島県の8町村のうち、
双葉町など6町村の子どもは、避難先の学校に転入。
大熊町と川内村は、県内の集団避難先に学校を移転。

川内村は、同県郡山市の学校を間借りし、

14日までに小中学校の授業を再開。
教育設備はそろっているが、「体育館や理科室などの利用で、
受け入れ校と調整が必要だ」(村教委)。

大熊町は19日、同県会津若松市に、
「大熊町立小中学校会津若松分校」を開校。
保護者から、「仲の良い友だちと一緒に勉強させたい」、
「原発事故で避難してきたという理由で、いじめに遭わないか」
との声が寄せられたからだ。

「故郷に戻れる日まで、大熊の子どもは大熊で育てる」と、
分校として利用可能な廃校舎があった同市に集団移転。
全小中学生の半数にあたる約580人が通う予定。

福島県教委は、「転校にしても集団移転にしても、
慣れない環境で勉強することは子どもの負担に。
教員は、子どもたちの心のケアをしっかりやってほしい」

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110415-OYT8T00221.htm

『究極の節電ハウス』実証実験スタート

(サイエンスポータル 2011年6月9日)

太陽電池や蓄電池と次世代省エネ家電などを組み合わせて、
外部からの電力供給ゼロを目指す「節電を極める家」を、
シャープが堺市内の同社太陽電池工場敷地内に建設、
実証実験を始めた。

このエコハウスは、延べ床面積約270平方メートルの木造2階建て住宅。
9kwの太陽光発電システム、8kw時のリチウム蓄電池、
センサー連動のLED(発光ダイオード)照明、電気自動車と連携できる
インテリジェントパワーコンディショナのほかに、
直流電力で作動する次世代をにらんだ家電機器などを備えている。

これらを、家庭エネルギー管理システムでネットワーク化することで、
太陽電池、蓄電池の電力と家電機器の消費電力量を
最適に制御することが可能。

LED照明による節電性能のほか、太陽電池で発電したエネルギーを
交流に変換せず、直流のまま利用する将来に向けた給電技術も検証。

インテリジェントパワーコンディショナと連携し、
電気自動車用バッテリーを家庭用の蓄電池として利用する試みも行う。

http://www.scienceportal.jp/news/daily/1106/1106092.html

水産加工業復興へ一丸 連合会組織が発足 サンマ漁控え要望強化

(東海新報 6月12日)

水産分野の生産・流通・加工業界が、一丸となって
東日本大震災からの復興などに取り組もうと、
県水産生産流通加工業連合会が11日に発足。

気仙沿岸の漁業、水産加工関係者らも役員に名を連ね、
スクラムを組んだ形での活動展開を確認。
関係者は、とくに水産加工業被害に対する国の支援を強く求め、
9月から本格化するサンマ漁に合わせた早期再開に強い意欲。

設立総会は、ホテル丸森で行われ、気仙を含む県沿岸の漁業、
魚市場、水産加工関係者ら約80人が出席。

県近海漁船協会長を務める鎌田和昭設立世話人は、
「サンマ漁業の振興に寄与しようと、昨年から設立準備を進めてきたが、
東日本大震災の発生を受けて一度は躊躇。
今こそ、本連合としての役割が求められる」とあいさつ。

藤原良信参議院議員、黄川田徹衆院議員らも祝辞。
議事では、設立趣意書や設置要領を承認した後、
役員選出では会長職に鎌田氏が就任。
本年度の事業計画や収支予算も確認。

設立趣意書では、東日本大震災から3カ月が経過し、
夏から秋にかけての盛漁期が近づく中、
「漁業・魚市場・加工業の復活は進んでいない」と指摘。
多くの漁業者や関連事業所が廃業、撤退の危機にある。

一分野だけでの機能回復では、地域産業のサイクルは
成り立たない点にも言及。
生産・流通・加工業界の関係者が、一体となって解決策の提言などを
発信することで、早期復旧、復興を急ぎたい考え。
水産加工業の被害は甚大であるとした上で、
本年度の事業計画では重点事項に盛り込んでいる。

議事終了後には、岩手秋刀魚船団の千葉幸男船団長による決議も採択。
生産者は、己のみの復興はありえず、加工、冷凍、流通の
一日も早い復興が望まれる。
生産者と同様、手厚い支援の拡充を図るよう、国、県、市町村に要望する」、
鎌田会長は早速、黄川田、藤原両国会議員に水産加工業への支援を
求める要望書を手渡した。

決議の背景には、水産加工業者の事業再開に向けた焦りや不安が。
多くの雇用を抱え、水揚げが本格化する時期までの修繕を急いでいるが、
冷蔵庫や設備機器など多額の費用が見込まれる。
過去の借入金と合わせた「二重ローン」の負担も重くのしかかる。

大船渡魚市場だけを見ても、昨年のサンマ水揚げ実績は約26億円。
事業再開が遅れれば、魚市場でも買受体制が縮小する形となり、
幅広い分野に影響が及ぶ。

山岸冷蔵㈱の菅原康民代表取締役は、
「漁期を前に、受け入れ体制を作ることが大事だが、
被災して資産がなくなっている。
今は、独自に銀行から資金を調達して修繕しているが、
国の後押しがなければ、今後の復興は難しい。
国が支援するという確かな手応えがほしい」

個人経営の販売、流通業者も組織に入っている
大船渡水産物商業協同組合の佐々木英一理事長も、
「店がなくなって困っている業者が多いが、一人では要望も難しい。
団体行動が大事」と、スクラムを組んだ形での動きに期待。
同連合会では、今後も要望活動を展開し、早期再開を後押しすることに。

http://www.tohkaishimpo.com/