2009年6月13日土曜日

職員の力(6)部活顧問 生活も指導

(読売 6月3日)

クラブ活動を通じ、職員が学習、生活の両面を指導する。

授業を終えた名古屋商科大学のテニス部員たちが
三々五々、コートに集まってくる。

「なんだ、その髪形は。変だぞ」。
大学職員で、テニス部副部長を務める
石本潤・学生担当チームリーダー(45)の遠慮ない言葉が飛ぶ。
学生も、「すみません、後で直します」と応じる。
クラブとはいえ、身だしなみにも配慮。

同大の男性職員の半数以上は卒業生。
石本さんは、学生時代、同大テニス部主将。
男性職員全員、いずれかのクラブに部長、副部長として張り付き、
学生の相談相手になる。

テニス部では、教科で「F(不合格)」をとると、テニス部長で
学生支援部門長の杉浦学さん(54)から、その数だけ「げんこつ」。

経営情報学部3年の岩田葵衣さん(20)は、
「聞いてはいましたが、さほど手加減されないのでびっくりでした。
『しっかりやらなきゃ』と思うきっかけに。
1年前期での1回が目を覚ましてくれました」と笑う。

同学部3年の松井雄樹さん(20)は、
「職員の人たちは親のような兄のような存在。
一人暮らしなので、心配なことがありましたが、
バイト探しなど親身に相談に乗ってくれます」
厳しい体育会というより、面倒見のいい大人たちが
身近で見守ってくれているという印象。

名商大は、こうした課外活動の効用に着目し、
15年前からクラブ活動を単位として認定。
活動実績があるクラブの部員が対象で、卒業基準124単位のうち
半期2単位、4年間で16単位を算入。

杉浦さんは、「職員が身近にいて学生を指導しつつ、交流するのが
名商大の伝統。私たちは単なる事務屋とは違います

こうした伝統は、卒業生を通じて他大学にも広がっている。
卒業生で、大同学園経理室主任の大脇崇浩さん(39)は、
大同大学(名古屋市)で剣道、スキー、バイクと三つの部の顧問、
学生たちと楽しく過ごしている。

社会人としての礼儀、ふるまいを教えるのは職員の方がいい。
社会人基礎力の育成になる。
学生も大人とふれ合う機会が少ないから、学生に対するサービス」

大脇さんには苦い思い出がある。
就職活動をしていた時、ある大学の面接で、
「大学では剣道に打ち込んだので、ぜひ剣道部の顧問もやらせて下さい」
と熱意を示したが、「そんなことより仕事をきちんとやればいい」と。

学生が大学でつきあう大人は、教員ばかりになりがち。
ふつうの大学なら、「職員がでしゃばるな」、「学生と接するな」と
言われてしまうことも多い。

職員も、学生を支援する立場にあるのは変わらない。
気概を持つ職員が、どの大学にも求められている。

◆社会人基礎力

産業界から学校に対し、学生たちが主体性や課題発見力など、
実社会で必要な能力を就職前から育成しておくことが
近年求められている。
経済産業省は、従来の学力だけでは身に着かない「社会人基礎力」
これを定義し、大学の教育段階での取り組みを支援。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20090603-OYT8T00259.htm

特集:後藤新平の真髄03 17歳で「医師」を決心

(岩手日日 2009年4月2日~)

後藤新平が、「朝敵論争」で喧嘩をし、郷里水沢に帰ってきたが、
そのころ明治初年の詔勅、御誓文等の類を見ると
維新などという言葉は、ほとんど使われていない(『幕末史』半藤一利著)。

革命で徳川家を倒したものの、民草はやがて薩長が衝突し、
諸藩が再び動き、天下をあげての大乱となることを予測。
狂歌がある。
「上からは明治などといふけれど 治まるめい(明治)と下からは読む」

後藤の血にはそれが流れていて、朝敵論が出た時、
主人に向かって、「それはないだろう」と開き直って古里に帰った。
父十右衛門は新平を迎えて、新平の心情をどう思ったか?

◆暴れん坊の少年

安場保和が、岩倉使節団から外れて日本へ戻り、福島県令に任命。
安場は、胆沢県大参事時代に新平を下宿させて世話をしていた
岡田光裕(阿川と改名)を福島県に呼び寄せ、
須賀川支庁勤務の職に就かせた。

阿川光裕は、新平の父十右衛門に手紙を出した。
「令息を、このまま片田舎に埋もれさせるのは誠に惜しい。
福島県では、須賀川に医学校を設立し、生徒を募集。
令息を将来、医者にしてはどうか」

新平には、もっと大きな志があった。
人の病を治すより、国家の病を治す人物になりたいという気宇。
維新の元勲の功業を、少年のころから見て成長した彼にとって、
国運を双肩に担って、天下に号令することこそ男子の本懐、
他のことは一生を捧げるに値しない閑事業。

そう思いつつも、阿川光裕には恩がある。
その裏には、安場保和が構えていると知る。
“申し出”を受けなければなるまいと考える新平は、
阿川光裕に手紙を出した。

阿川の返書は、「医者になれ」であった。
それはまた父十右衛門の意思でもあったろう。
新平は、福島県須賀川支庁官舎に阿川光裕を訪ねた。
阿川は、新平に「医学をする決心はついたのか」と尋ね、
新平は決心した-と答えた。

新平は、日本の「羅針盤」といわれるが、
少年のころの新平は暴れん坊と言われている。
しかし、単なる“きかん坊”ではない。
理不尽な他人の言には、断固とした姿勢で応ずることが大事であると
教えているのが彼の性格。

◆緒方洪庵と「学問のすすめ」

須賀川医学校の教育は、「正則」と「変則」の区別があった。
正則は教科書に英語の原書を用い、変則は翻訳書を使用するもの。
明治の教養人は、英語がうまかったと聞かされたことがある。
このような制度があったからだろう。

正則の修業には、長い年月と多額の費用がかかるが、
一度修得した技術は応用が出来、深い専門の研究に進むことが可能。
変則は速成なだけに、与えられた知識の外に出ることができず、
医者ならば風邪を治す診断ができる医者がせいぜい。

阿川にどっちの道を選ぶかと新平は聞かれて、
「正則の課程で、心ゆくまで研究したいと思いますが」、
「それが本当だな。学問を志す以上、そこまで徹底するべきだ」

新平は17歳、頭に浮かんだのは高野長英か、緒方洪庵か。
高野長英ではなく緒方洪庵であろう。
高野長英は親族として知られている。
天下国家を治める「医師」を目指すつもりならば、
緒方洪庵を目指す新平を想像する。

緒方洪庵は、1810(文化7)年備中足守出身、
1863(文久3)年に江戸で没した、江戸時代の代表的蘭学者。
17歳で大阪に出る。その後、江戸に出て坪井信道に学ぶ。
長崎に行き、蘭医から直接蘭学を学び、29歳で大阪に戻り開業。

蘭医としての名声が高まるとともに、全国から患者、教えを乞う者が
大阪に集まり、大阪の河原口に適々斎塾を開き後進の教育に当たった。
門下生が1000人超、橋本左内、大村益次郎、福沢諭吉、大鳥圭介ら
国家有為の人材が輩出。

文久2年、新渡戸稲造が生まれた年、幕命を受けて
江戸の西洋医学所(東大の前身)頭取に。
著書『病学通論』は、日本最初の病理学書。

後藤新平が、東京の荘村家で逆賊論を戦わせて水沢に帰る頃、
福沢諭吉の著書『学問のすすめ』第一編が発表。全17編、
明治5(1872)~9(1876)年に分冊として発行。
明治13(1880)年、一冊の本として出版。

現代語版初版が、「ちくま新書」から斎藤孝訳で出たのは2009年2月。
『学問のすすめ』は、日本人が書いた書物の中で最も有名なものの一つ。
現代訳を参考にし、『学問のすすめ』を取り上げたい。

『学問のすすめ』は、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず
の、あの有名な言葉から始まる。
「天が人を生み出すに当たって、人はみな同じ権理(権利)を持ち、
生まれによる身分上下はなく、万物の霊長の人として身体と心を働かせて
この世界のいろいろなものを利用し、衣食住の必要を満たし、
自由自在に互いに人の邪魔をしないで、それぞれが安楽に
この世を過ごしていけるようにしてくれているということ(以下略)」

『学問のすすめ』は、緒方洪庵に学んだ福沢諭吉によって、
明治5年2月に第一編が出版、最後は第17編。

http://www.iwanichi.co.jp/feature/gotou/item_11634.html

東京五輪招致、OCA支持へ

(読売 6月5日)

中東を訪問している日本オリンピック委員会(JOC)の
市原則之専務理事は、アジア・オリンピック評議会(OCA)
アーマド会長が、同専務理事との会談の中で、夏季五輪招致に関して、
「OCAとして、東京支持を決議できるよう最大限の努力をする」

市原専務理事は、「7月にシンガポールで行われるOCA総会での
決議を目指す」

◆ロンドンに前線基地

JOCは、ロンドン五輪の事前合宿地として、
スポーツ分野で高い評価を誇り、施設も充実している
英ラフバラ大と提携の覚書を結んだ。

同大からは、卒業生を含め北京五輪に56人が出場。
OBには、セバスチャン・コー・ロンドン五輪組織委員会会長ら。

在英日本大使館での調印式に出席したJOCの竹田会長は、
「スポーツ科学・医学の面でも交流を進めたい」

http://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/syouchi/sy20090605_01.htm

釜石出身の医師が志賀・秦賞を受賞 抗菌薬の研究で

(岩手日報 6月4日)

釜石市出身で、元東京慈恵医大教授の医学博士柴孝也さん(69)は、
感染症分野で優れた研究業績をたたえる
「志賀潔・秦佐八郎記念賞」に選ばれた。

新薬開発に不可欠な、薬が体の中をめぐる「体内動態」メカニズムの
長年にわたる研究が評価。

同賞は、感染症の化学療法で偉大な功績を残した
赤痢菌発見者の志賀潔、梅毒の特効薬を開発した秦佐八郎の名を
後世に伝えるとともに、同分野の進歩に貢献した医師らをたたえる目的で、
日本化学療法学会が1990年設けた。
毎年1件だけに贈られる。

柴さんは、東京慈恵医大に約40年間在籍。
投与した抗菌薬が体内をどう巡り、作用するかを解明する
「体内動態」研究に情熱を傾けた。
新薬開発において、効用をつかむ欠かせない分野で、
同学会は「とりわけ重要で優れた業績」と評価。

釜石市唐丹町で生まれ、医師として働く両親の背中を見て育った
柴さんは、同じ道を目指し、盛岡一高から東京慈恵医大に進学。
卒業後も研究室に残って研究や診療、人材育成に活躍し、
2005年3月、教授で退職。

学外では、海部俊樹首相時代に外遊の随行医を務めたほか、
衆院議員宿舎に約30年間住み、議員の健康管理を世話するなど
長年、国政を裏方で支えた異色の経歴も持つ。

協力者の同意を得て行うのが、通例の医薬の臨床試験だが、
「若いころは自分で薬を飲んで、血中濃度などを調べた。
それが当たり前の時代で、ひたすら取り組んだ」と苦労を振り返る。

今もなお、国会内の衆院医務室所長や同大客員教授を務めるなど
健在で、「名誉な賞と縁があると思わなかった。
業績を認めてもらえ、うれしい。
向こう10年間は一線で頑張りたい」と、意欲はいささかも衰えない。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20090604_6

残業ゼロの仕事術 「定時に帰る」から逆算を 優先度考察し作業効率化

(日経 6月3日)

上司から早く帰れとせき立てられるが、
やらなければいけないことは山積み状態——。
業績悪化で、残業代削減に取り組む企業が増え、
こうした悩みを持つビジネスパーソンは多い。

「部下を定時に帰す『仕事術』」を著した、
東レ経営研究所(浦安市)の佐々木常夫社長の話をもとに、
残業ゼロの秘訣を探ってみた。

「逆説的だが、まずは定時に帰ると決めること」
佐々木さんが、最初にあげた秘訣がこれ。
無理やりでも、定時に仕事を切り上げてしまう。
そうすると、「その時間までに仕事を終えるにはどうすればよいのかを
考えるようになる」

このやり方の目的は、無駄のあぶり出し。
佐々木さんが部下の仕事ぶりを見たところ、
だらだらと机に向かっている人が多かった。
定時に終わらせるには、「何を優先的に処理すべきかを
真剣に考えるようになる」
この考える作業が、効率化への最大のポイント。

重要なのが、「思い込みやあいまいさを排除すること」
上司から、取引先の経営状況を調べるように指示されたとしよう。
上司は、売上高や利益の水準を知りたかっただけなのに、
部下は勝手に思いこんで、株主構成や従業員の規模まで
調べてしまう場合がある。
結果的に無駄な仕事に追われ、夜遅くまで会社に居残るということに。

上司は、なぜこの仕事を頼んだのかを考えて確認しておけば、
無駄な残業はなくなる。
途中経過を報告しておけば、上司の要求とのすれ違いの危険性も減る。

定時に帰ると決めた後、「自分へのアポイント」を設定。
月曜日の午後1~2時は、取引先の経営分析にあてる。
この時間帯は、社外からの電話や上司からの問い合わせに
邪魔されないよう、会議室にこもったり、喫茶店で仕事をしたりする。

日中にアポイントを設定するのが難しければ、
早く帰って自宅で仕事をしたり、早朝に出勤して夕方前に
退社したりするといった方法も。

秘訣の3つ目は、「こま切れ」時間の活用。
佐々木さんのカバンには4種類のファイルがあり、
それぞれ部下の報告書や寄稿文、講演会での原稿などが入っている。
会社の行き帰りの電車の中でファイルを取り出し、
文書を読み込んだり、手を加えたりしている。

こま切れの時間をひねり出す工夫も怠っていない。
取引先と連絡を取る際、午前9時または9時半を狙って電話。
相手が会議や打ち合わせで席を外す前に電話すれば、
その後に時間の余裕が生まれる。
昼食も、正午前に店に着くように心がけている。
列に並ぶ時間を省ける。

残業ゼロを目指すには、仕事にすぐに取りかかってはいけない。
「急がば回れ」を心がけて、段取りを意識することが
ムリやムラをなくすのだ。

「仕事の期限を守れるようになり、残業も減った」
IT関連企業に勤める金谷年泰さん(31)は、段取りの効果をこう語る。
金谷さんは、企業のホームページを作成。
発注から納期まで約1カ月。
この間に企画を立てて、業務をチーム内で分担し、
実際に作成するという手順。

以前は、どの仕事にどれくらい時間がかかるのかを
あまり考えず、業務を割り振っていた。
あるメンバーに、極端に負担がかかるなどして、
納期を守れなかったこともあった。

金谷さんは、書籍などを通じて段取り術を学んだ。
今では、業務の内容や難易度を十分に調べてから分担を考えている。
予備日を置くなど、余裕を持たせた計画を立てるようになった。

◆「残業ゼロ!仕事が3倍速くなるダンドリ仕事術」を著した
ハイブリッドコンサルティングの吉山勇樹・最高経営責任者(CEO)の話

段取りで必要なのは、仕事の全体像を把握したうえで細分化し、
それぞれのゴールを明確に設定すること。
算数に例えれば、最初に『10』という答えを出す。
その答えを導き出すには、何と何を足さなければならないのかを考える、
という発想が必要」

「失敗しても、修正を繰り返せば、段取りの技術は完成度が高くなる。
企業経営でPDCA(プラン・ドゥー・チェック・アクション)といわれるように、
段取りではGPDCA(ゴール・プラン・ドゥー・チェック・アクション)を
意識してほしい」

段取り力を高めるには、発想力が必要。
ゴールにたどり着くためにしなければならないことを
メモする習慣をつけてみるとよい」

http://netplus.nikkei.co.jp/ssbiz/bizskill/biz090603.html

2009年6月12日金曜日

職員の力(5)「育て直し」熱意と連携

(読売 6月2日)

教職員の連携で、学生の心を支える。

「カニだ!」「こっちは魚」
甲南大学から歩いて10分ほどの川辺。
初夏の日差しの中、網を手にした同大生数人が、歓声をあげる。
図鑑を抱えた学生が座り込み、「先生、アリが」と
付き添うカウンセラーに話しかけていた。

同大の学生相談室は、毎週金曜日の午後、
書道や陶芸など多様な活動に取り組む。この日もその一環。
ふだん相談室を利用したことがない学生にも参加を呼びかけ、
友だちづくりの場も兼ねた川辺散策となった。

カウンセラーたちは、学生の背中を無理に押したりはしない。
「学生が求めるのは、ありのままを受けとめる居場所」と、
専任カウンセラーの高石恭子教授(48)。

同大学生部に相談室ができたのは、1957年。
当初は職員が対応していた相談室は89年、臨床心理士が
カウンセラーとして常駐する組織として独立。

構内で学生が自殺したのを受け、「職員の熱意だけで対応するのは難しい」
と、専門的な組織への脱皮を求める声が高まった。
新しい相談室は学長直属で、教員や他の事務部門と
直接連絡できる体制。

意味のある変化は、「カウンセラーが教員として処遇されたこと」
職員と異なり、教員には上司への報告義務がない。
異動が職員に比べて少なく、学外研修や出張も自由がきく。
長期的な計画を立て、学生の相談に当たれるように。

そんな改革を生かすのは、今も「職員の熱意」。
相談室の前まで来てもノックさえできず、
柱の陰で涙を流す学生が少なくない。
相談室に来られず、医務室に入り浸る学生も。
植村亮介・学生部次長(57)が、その存在に気づき、
高石さんと2人で学長に医務室への養護教諭の配置を求め、
“保健室登校”できるようにしたのは、2年前。

植村さんは、学生に自分の携帯電話の番号を知らせ、
就寝時も必ず枕元に置く。
「1人で教室に行けない」と訴える学生に付き添い、
一緒に授業を受けることも。

学生数は減っているのに、学生相談室の利用件数は上昇傾向で、
昨年度は2009件と過去最多。
こうした状況が同大の特殊事情ではないことを、
高石さんは学外との交流で実感。

親や教師に素直に従い、自我を確立する機会を逸してきた。
何が苦しいのか、どうしたいかを言葉にできず、リストカットや摂食障害、
他人を傷つけるなどでしか表現できない学生が目立つ。
「だからこそ、大学を挙げての『育て直し』が必要」

部署横断の会議を毎月開き、全体の状況を把握する。
学生の相談を受けた教職員に、個別に助言するコーナーを
学内ウェブに設ける……。
巣立ちを控えた学生たちの「育て直し」にかける思いが、
次々に放つ新たな一手を後押しする。

◆カウンセラー

悩みやトラブルを抱える人の相談に応じ、助言を与える専門家。
就職活動や進路決定の相談に応じるキャリアカウンセラーや、
心のケアに当たる心理カウンセラーなど、多様な職種があるが、
国家資格ではない。
心理カウンセラーと称される臨床心理士は、
日本臨床心理士資格認定協会の認定資格。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20090602-OYT8T00230.htm

トップ選手が生き方指南 盛岡で講演会

(岩手日報 6月8日)

県、盛岡市両歯科医師会共催の「8020健康フェスタ」は、
県歯科医師会館で開かれ、元バレーボール日本代表で
タレントの益子直美さんが、「チャレンジ精神が私を変えた」と題して講演。

益子さんは、日本代表として初の世界選手権で惨敗。
「日本に帰れない」と号泣する先輩選手を見て、
「日の丸の重みを知った。負けたからこそ、学べたことがある」

ソウル五輪の候補選手として合宿に参加しながら、
大会直前で外された悔しい思いも紹介し、
「いろいろな挫折を乗り越えてバレーを続けてきた。
壁に直面したら、チャンスと思って挑戦してほしい」と、
集まった市民約120人に訴えた。

フェスタは講演のほか、岩手医大歯科衛生専門学校生による
健康講座や歯や口に関する健康相談、体験イベントも開催。

元ラグビー日本代表で、香川大客員教授の大八木淳史さん(47)が、
プラザおでってで、「トップアスリートが語るスポーツの教育力」と題し講演。

能開センター盛岡校などを運営するワオ・コーポレーション(WAO)が
主催し、約160人が聴講。
大八木さんは、強豪校の部活動では豊かな人間性は育たないと考え、
2年前に発足した高知中央高(高知県)ラグビー部の
ゼネラルマネジャーに就任。

「底辺層の子は家庭環境に恵まれず、ごはんも食べていない生徒だった。
風呂に入り、食事を重ねた」

同校は、創部2年目で花園出場を果たし、
「人生の99%は邂逅、出会い。
ノーサイドの精神は世界に通用し、社会性を身につける上で役に立つ」

盛岡一高ラグビー部の吉田凌一君(2年)は、
「感情を素直に出せない人でも、スポーツが壁をなくしてくれる」

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20090608_8

特集:後藤新平の真髄02 失意の帰郷

(岩手日日 2009年4月2日~)

明治4(1871)年は、後藤新平にとって希望に燃え、
一転して悲しみに転じた年。

「学成らずんば死すとも帰らじ」のはずだった故郷水沢の地へと心が動いた。
明治2年6月17日、版籍奉還し、藩主は「知藩事」(現在の知事)トップの
支配者として任命、旧藩の行政を担当。
知藩事は274人、一口に300諸侯といわれた大名の数。

◆租税権ノ頭と使途

大久保利通は、国造りの体制を構築することに懸命。
その一つに、「岩倉使節団」の派遣。
明治4年11月12日、岩倉具視特命全権大使(右大臣・公家)、
副使木戸孝允(参議、長州)、大久保利通(大蔵卿、薩摩)、
伊藤博文(工部大輔、長州)、山口尚芳(外務少輔、肥前)の4人。
書記官、理事官、随行など総勢46人。

新政府は、金を惜しまずに大型団体を送り出す。
幕臣の福地源一郎(桜痴)、林董三郎(董)、土佐の佐々木高行、
田中光顕、薩摩の村田経満(新八、西郷隆盛と西南戦争に参加)、
長州の山田顕義(後の陸軍中将)、盛岡の大島高任らも参加、
留学生42人が同乗。

内訳は華族13人、士族24人、開拓使派遣女子5人、
この中に津田梅子も含まれていた。
民権運動に大きな影響も与えた中江兆民も留学生。
安場保和も、岩倉使節団の一人。
そこに至るまでに興味深い話がある。

岩倉使節団が欧米に差遣されなければ、
後藤新平の運命はみじめなものであったろう。

岩倉使節団の出発を前にして、こういうことがあった。
視察団が派遣されるに当たり、大蔵大丞安場保和を、
大久保利通が訪ねてきた。
安場は、租税権ノ頭という職に就いていた。
省内の者達と意見が合わず、安場は官界から身を引こうと思っていた。
大久保は、自宅まで訪ねてきて、視察団に同行せよと説いた。
安場は乗り気でなかったが、承諾。

視察団一行は、横浜港を出発、サンフランシスコに上陸した直後に、
安場保和は帰国したいと大久保に申し出た。
安場は、「英語が嫌いで、こういう男が使節団に加わっても、
視察見学の役目を果たすことができない」

大久保は、岩倉具視に相談。
岩倉のもとへ呼ばれた安場に向かって、
「ここまでの旅費が無駄になる」というと、
安場は、「役にも立たぬ男が、この先2年間も欧米をうろつき回ることの
方が、よっぽど国費の無駄遣い。私は租税権ノ頭です」
岩倉は、「租税権ノ頭は、税を取り立てることだけを考えればいい。
使い道のことまで心配するナ」

安場は、「自分が無用の人間だとわかったら、
さっさと引っ込むのもご奉公のうちです…」と反論。
今の役人、議員に聞かせてやりたい場面である。
安場が、「役人というものも、なってみると案外つまらない。
この辺でお役御免としていただき、浪人になりたい」、
岩倉は、「それはならん…」と、語調厳しく安場を見詰めた。
安場は、「かしこ参りました」というほかなかった。

安場保和は、租税権ノ頭を免ぜられると、新たに福島県令に発令。
これが、後藤新平の運命に大きくかかわり合ってくる。
縁は異なものというが、不思議に思う場面である。

◆安場が福島県令に着任

後藤は、安場が明治4年に東京へ出た時、
太政官荘村省三宅で酷使されていた。
新平は安場にすがりたい思いであったが、思いとどまり、
そのうち「逆賊論」で荘村家を飛び出した。

水沢に帰ってみれば、3秀才とうたわれた山崎周作、斎藤実の2人は
新平が水沢から東京へ出発した1年前と違って、
山崎は嘉悦氏房に愛されて熊本洋学校に通い、
斎藤は東京で海軍の学校で勉強中。

水沢に帰ったのは明治5年早春、
父十右衛門は息子新平の心境を察して、安場がいてくれたならと
思うとともに、安場は岩倉視察団の一員として海外旅行中であり、
新平ともども不運を嘆いていた。

そういった時期に、安場保和は福島県令になった。
安場は、水沢時代に史生(書記)として使っていた岡田光裕
手紙を書き、福島県へ転任して仕事をする意思はないかを尋ねた。

岡田光裕は、水沢時代に後藤新平が給仕していた頃、
安場に依頼されて新平を自宅に下宿させ、世話をした仲。
岡田は、安場の手紙に感激し、承諾。
岡田は、結婚して阿川と改姓。

安場が、福島県令として着任早々に着目したのは、
安積郡一帯の広大な荒野。
旧米沢藩士中条政恒を起用し、開墾事業を担当させて実績を挙げた。
新事業の進展をみて安場は、後藤新平のことを思い出す。
気の強いあの少年がどうしているか。

ある日、阿川光裕が打ち合わせに、勤務先の須賀川支庁から
本庁を訪ねてきた。
用件が済み、安場が阿川光裕に尋ねた。
「後藤新平はどうなっているか」
阿川は、「…実は、新平は荘村さんの家にはおりませぬ」

http://www.iwanichi.co.jp/feature/gotou/item_11484.html

心の病、予兆逃さない 「上司の心得」専門家に聞く

(日経 6月2日)

新年度になって2カ月。
今の職場に適応できず、悩んでいるビジネスパーソンも少なくない。
上司は、どうすれば部下の心の病の予兆を見逃さずにすむか?
メンタルヘルスサービスのピースマインド社長で、
産業カウンセラーの資格を持つ荻原国啓さんに、
主な想定されるケースごとに対処法を聞いた。

◆ケース(1)

誰よりも早く出勤し、元気良くあいさつしていたAさん。
徐々に出勤時間が遅くなり、表情も暗くなってきた。

この場合は、何が原因なのかを把握することが大切。
会議室など30分から1時間、Aさんの話をじっくり聞くことが必要。
「飲みにいこう」と誘ってはいけない。
飲み会では、仕事の話題から脱線しがち。

悩みの聞き出し方も重要。
Aさんの価値観に同調しながら、話を聞くのが基本。
目をみながら、うなずくだけでも効果はある。
上司の存在がストレス、という可能性も。
その場合、上司が直接、問題解決に乗りださない方がよい。
同期入社の社員や年齢の近い先輩社員などを通じて、
事情を聞くのが得策。
その上で何ができるかを考える。

◆ケース(2)

今まで寡黙だったBさん。
「給料が安い」、「通勤に時間がかかる」と不平不満を言うようになった。
その内容が徐々に激しくなってきた。

この場合、もともと不満を言うタイプなのかそうでないのかを
見極める必要がある。
文句を言いながら、それをテコに仕事をバリバリこなす人も多い。

トーンがあがっていくようだと要注意。
心の病が発症する危険信号の可能性。
ある日、不満が抑えきれなくなり、突然、会社を休んでしまう人も。
Bさんの話に耳を傾ける必要があるが、
どこまでもその不満につきあってしまうのはよくない。

たとえ気に入らない点があっても、会社は成果を出さなければならない
場所であることを伝えなければならない。
周囲の人も、Bさんの職場での役割や個性を認めてあげるのがよい。

◆ケース(3)

春に異動で、今の職場に加わったCさん。
会議で奇をてらった意見を出したり、質問したりするようになった。

こうした事例は若手社員、異動や入社したばかりの人に多い。
「結果を出さなければならない」という強迫観念に迫られている危険性。
意欲が空回りして焦りになり、悪くすると心の病に。

この場合、Cさんに今取り組んでいる仕事の内容を報告させてみては。
上司に認められていると思わせることで、
焦燥感を軽減できる可能性がある。
「地道に業務を進めていけばよい」と伝える。

Cさんだけ面談するやり方は禁物。
あくまでも、職場の制度や仕組みとして話を聞くという姿勢を示すべき。

◆部下への歩み寄り必要

予兆の見極め方や対処法を知っても、
部下の様子がわからなければ意味がない。
神戸製鋼所の人事労政部の北村彰浩・安全健康グループ長は、
毎週月曜日の朝、部下5人を集めて30分程度のミーティングを開く。
「とても楽しそうだね。今度はどこに行くのかな」
話題は仕事だけでなく、プライベートにも及ぶ。

北村さんは、5人全員が発言するように仕向けている。
言葉や表情から、何に悩んでいるのかを探るのが狙い。
「問題が小さいうちに気づけば、先輩として助言できる」

信頼関係が構築できれば、若手社員から話しかけてくる例も。
北村さんの上司の小山雄司課長も、
「こんなことを悩んでいたんだという発見もある」とミーティングの効用を説く。

JTBの人事企画部マネージャーの田村敦さんも、
意識的に部下とコミュニケーションを取るようにしている。
簡単な書類でも印刷して手渡すなどして、
言葉を交わす機会を多くしている。
部下の話を謙虚に聞くようにも心がけている。
「我々の価値観を押し付けても、意味がない」

自分1人で抱え込んで、悩みを深めてしまう若手社員もいる。
田村さんや北村さんのように、上司から歩み寄る姿勢が欠かせない。

リンクアンドモチベーションの水谷健彦取締役の話

社員が心の病になってしまうと、その組織は大きな戦力ダウンに。
不景気で、各社とも現場の人員を最小限に切りつめている。
ストレスへの抵抗力を高めるとともに、
心の病にならないようにすることが大切。

心の病は、誰もがかかる可能性がある。
リーダーは、1日数分でも意識的に時間をつくって
部下とコミュニケーションを取り、少しずつでも
ストレスの種を発散させていくことが必要。
不運にも発症してしまった場合は、
医者の診断やカウンセリングをすすめることも上司の重要な役割。

http://netplus.nikkei.co.jp/ssbiz/bizskill/biz090602.html

岩崎電気の熊坂社長「官需依存の社内意識を変える」

(日経 6月4日)

特殊照明器大手の岩崎電気が、世界的な景気後退に苦しんでいる。
公共投資の減少が続くなか、道路照明を中心とする
「官需」頼みの脱却をめざし、「民需」強化をはかっていただけに
ショックは大きい。
2009年3月期は営業赤字に転落、「今年は我慢の年になる」と語る
熊坂隆雄社長に、今後の取り組みを聞いた。

——世界的な景気後退で鮮明になった岩崎電気の弱みは?

社内に根強く残る『官頼み』の風潮。
照明事業の6割を、道路照明などの官需が占める。
強い“地盤”があるのは確かだが、昔のように公共投資を
バンバンやる時代はもう来ない。
社内には、『役所に行っていれば大丈夫』という意識が根強い。
まずはこれを払拭しなければならない」

——収益改善に向けた具体策は?

「今、不採算事業を洗い出せと社内に号令をかけている。
手を引くなり、採算がとれるように、
コスト構造を変える策を講じなければいけない。
商品も多すぎる。半分くらいに絞り込んでもいい」

「国内の照明市場はもう伸びない。
東芝やパナソニックといった大手が強い分野では戦わない。
岩崎が得意とする高輝度放電(HID)ランプの市場規模は、
器具まで入れて1000億円程度。
大企業が手をつけないニッチな市場をしっかり押さえる。
それが岩崎の戦略だ」

——成長のけん引役と位置付けるのは?

「規模は小さいが(光源技術を照明以外の装置に応用する)、
『光応用』分野を強化する。
例えば、太陽電池の性能を光で検査する装置や半導体に
光で刺激を与える装置などをもっと伸ばしていく」

「これらの分野は市場規模も大きくないため、
『競争価格』ではなく、『効用価格』で商売ができている。
特注が多く、原価率も高いが、我が社の技術蓄積を進めれば
コストを下げられる」

——照明業界では発光ダイオード(LED)照明への投資が活発。

「官公庁も、買い手側が情緒的に『LED、LED』と言っている。
注力分野ではあるが、LEDなら何でもやるというわけではない。
道路灯や投光器など、強みが生かせる屋外照明に集中する

「屋外照明への新規企業の参入は不安視していない。
公共空間の明かりには均質性や広がりなど、厳しい要求がある。
これまでHIDランプで培ってきた我が社の強みが生かせるはず」

——収益改善に向けて、自身が率先する取り組みは?

「賃金面など、今期は従業員に我慢を強いることに。
不採算事業からの撤退や拠点の再編など、
構造改革も進めなければならない。
これまで以上に、営業所や工場に出向いて従業員と話をしようと思っている」

http://netplus.nikkei.co.jp/ssbiz/interview/int090603.html

2009年6月11日木曜日

職員の力(4)チーム医療寮も教室

(読売 5月30日)

チーム医療の基本を学ぶため、寮生活が活用されている。

「お帰りなさーい。リフレッシュした?」
5月の連休が終わり、寮に次々と戻ってくる学生たちに、
寮監の大川照子さん(56)が声をかける。

「コミュニケーションがうまくできないと、医療人としては失格と
言われますが、その点、寮での共同生活は意味があります」
大川さんは、大学病院の元看護師。

山梨県の富士山のふもとに広がる、昭和大学富士吉田キャンパス
医、歯、薬、保健医療の4学部がそろう医系総合大学で、
全学部の1年生約600人のほぼ全員が寮で共同生活。

同大がユニークなのは、チーム医療の学習に、
全寮制の特色を利用していること。

チーム医療とは、病院で、医師、看護師、薬剤師など異なる医療の
専門職が、協力して患者の治療に当たること。
医療の高度化複雑化、患者の権利を尊重する機運の高まりなどを背景に、
ますます重要性を増している。

同大では、チーム医療を担う職種の卵が共同生活を送る寮に注目。
1室4人の部屋を、異なる学部生が同室になるようにした。
寝起きを共にすることで、お互いの理解を深めてもらおう。

医学部1年の黒田凌さん(18)は、
「高校も寮生活でした。すぐ仲良くなれる。勉強も教えあえる。
互いを知り合うのに都合がいい」
黒田さんの友人で、別室の歯学部1年早川大地さん(18)も、
「部屋が違っても、意思疎通が図りやすい」

一昨年、課題についてどう対処したらいいかをチームで学ぶ
「問題解決型学習」を始めた。
「おばあちゃん、施設はいやだ、家が一番いいっていつも言っているよ」、
「年寄りの世話は大変だ、と母さんは言うし」、
「僕のおじいさんは、この前やっとホームに入れたんだ」

学生がシナリオに沿って話を進めると、聞き役の先生が、
「施設がいやだと思われる理由は?」、
「年寄りの世話はなぜ大変?」、
「どうして入所が『やっと』なの?」などと突っ込んだ質問。

問題点を整理し、持ち帰って不明な点を調べ、
みんなで解決策を話し合う。
異なる学部生を8人程度集めた男女混合のチームは、
同室者でないように編成されるが、全員が寮生なので、
集会室などにすぐに集まることができる。
初めの一歩の学習はこんな調子で、
3年生から本格的なチーム医療の学習に発展。

「チーム医療につなげるには、生活を支える教職員の
チームワークも不可欠」と、
富士吉田教育部長の片桐敬名誉教授。
各寮の寮監らも、付属病院の看護師だった人など、
医療に精通したスタッフを集めた。
生活だけでなく勉強の面でも、学生の相談相手になっている。

「勉強も見て、親代わりを務めるのがポイント」
教職員が口をそろえる。

◆問題解決型学習

少人数で解決策を追究させる学習法。
教員の助言の下、解決のための仮説をいくつか立て、
仮説を実証するための情報収集と学習を進め、
最も優れた対策を討論で導く。
単なる知識の習得ではなく、実際的な効果が認められ、
多くの医系大学で導入。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20090530-OYT8T00198.htm

特集:後藤新平の真髄 01 旅立ちの明治4年

(岩手日日 2009年4月2日)

明治4年、廃藩置県が実施された年。
戊辰の役が終わり、新時代が始まる。
戊辰の役では、仙台藩も幕府側につき、賊軍になった。
盛岡藩も同様であった。

水沢藩は、仙台藩の支藩で城主は留守氏である。
仙台藩とともに朝敵に回った。
水沢藩は、胆沢県となり水沢城に県庁が置かれた。

胆沢県権知事武田亀三郎一行が、水沢に乗り込んだのは明治2年。
一行がやってくる様子は、すべて大名の格式だった。
水沢城は、それまで藩主の居館。
その建物に新しく武田権知事が住み、
他の役人は周囲に建てられた官舎で暮らした。

県庁の役人は、すべて薩長派系ばかり。
“水沢弁”が理解できないため、地元の少年4、5人を給仕として採用。
そのうちの一人に、後藤新平がいた。
斎藤富五郎(のちの実)も一緒。

斎藤実は総理大臣、海軍大将、子爵となったが、
昭和に入って「二・二六事件」の犠牲者。
新平は、斎藤実の1歳上で、子供のころは気力、体力も斎藤を圧倒し、
いじめてばかりいた。

胆沢県庁の給仕は、役人の末端に連なっているので、
廃刀令(明治9年公布)前は刀を差すことを許された。
彼等は、大勢の中から選ばれた秀才、刀を差すことは威厳を持たせ、
喜びにわくわくしながら刀を差して歩き回った。

◆運命的な出会い

後藤新平が担当させられたのは、安場保和大参事。
安場保和は、快活で物にこだわらぬ性格。
開国論で知られる横井小楠の塾で学んだことがあって、
高野長英を尊敬していた。

後藤新平の大伯父が長英であり、安場保和の給仕になったことに
新平は親しみをもった。
安場保和-横井小楠-高野長英という流れを通じて、
胆沢県庁給仕役目に新平は縁を思った。
安場保和は、新平に向かって「高野長英の子孫なら、大いに勉強して、
お国の役に立つ人物になってほしい」

明治維新後、四民平等の時代になり、藩政時代のような身分制度が
なくなったことの意義を、新平は安場保和から身近に教えられた。
安場保和の家庭は、女ばかりの家族。
母・久子は当時63歳。
大久保利通が訪ねてきた時、保和は留守で、久子と話し込んで、
「ただならぬ女性とお見受けした」と語った。
岩倉具視公も安場家を訪れると、まず久子に敬意を表した。

大久保利通、岩倉具視は、のちに安場保和に関係してくる。
久子が安場へ嫁ぐにあたって、縁談が二つあった。
一つは、近在の大金持ちの庄屋の息子、もう一つは安場源右衛門。
彼女は、貧乏でも侍の方がいいと、
安場源右衛門(保和の父)のところへやってきた。

◆朝敵呼ばわりに激高

後藤新平が上京したのは、明治4年2月。
8月、新渡戸稲造が東京に向かい、原敬が上京したのは12月。
明治4年は、維新後の日本を背負う先人が旅立った年。
日本の国造りのために大奮闘。

明治3年、後藤新平の恩人安場保和が熊本県大参事試補を
命ぜられ、転出。
嘉悦と安場は、横井小楠塾で兄弟同様に勉強していた仲間。

嘉悦氏房は、横井小楠塾で農業を学び、水沢に来てからは
特に農事改良に力を尽くした。
育英にも関心を持っていた。
明治の女子教育の先覚者・嘉悦孝子はその娘。

後藤新平は、安場、嘉悦の2人に目をかけられ、功名心を燃やし、
東京へ出て出世の機会をつかみたいと志していた頃の明治4年2月、
嘉悦氏房大参事が上京することに。
後藤新平は、この時とばかりに嘉悦に随行を申し出た。
新平15歳。

嘉悦氏房は、友人太政官小吏荘村省三の玄関番に新平を斡旋。
荘村は、安場保和のように新平の才能を評価しなかった。
安場保和が、岩倉具視(右大臣・公家)を特命全権大使とする
欧米視察団の派遣一行に随員として加わり、
東京へ出てきたものの新平は安場から離れることに。

荘村省三は、嘉悦氏房と同郷の肥後藩士で維新の時、
西郷隆盛、大隈重信の下で働いた功で、今の地位に就いた。
荘村家に住み込むことが出世の第一段階にみえた。

しかし、荘村家の玄関番になって体験したのは、拭き掃除、水汲み、
炊事、来客の使い走り、雑多な用事を立て続けにさせられ、
新平は読書する時間など持てなかった。
荘村家の女中の分担だった仕事が、新平の方へ回ってきた。
女中の補充もなく、荘村家にいても先の見込みがないように思えてくる。

荘村省三が、客人に新平を紹介するに当たり、
「この書生は、奥州の山奥から出てきた者で、
東京は人殺しの多いところだと驚いている。
こいつは奥羽の朝敵の子ですから…」
と話した途端、
「朝敵の子とは何事か、東北人はいつまでもその負い目を
背負って歩まねばならぬのか-」と憤慨。

「先生(荘村)はただ今、朝敵という言葉を使いましたが、
不謹慎ではございませんか。
お客様の前で、人を朝敵呼ばわりされることこそ無礼だろうと思います」
新平は、朝敵論争をきっかけに故郷へ戻る覚悟をした。

http://www.iwanichi.co.jp/feature/gotou/item_11483.html

嘉納治五郎センター設立 五輪教育、国際交流を推進

(共同通信 5月20日)

2016年夏季五輪の東京招致を機に持ち上がった、
故・嘉納治五郎氏の理念を受け継ぐ
「嘉納治五郎記念国際スポーツ研究・交流センター」の設立発起人会が
開かれ、日本体協の森喜朗会長が同センターの会長に就任。

嘉納氏が、アジア初の国際オリンピック委員会(IOC)委員に就任して
ちょうど100周年となる27日を設立日。

事務所は、東京・渋谷の岸記念体育会館内に構え、
五輪運動の理念を広める施策として、
(1)五輪教育や研究
(2)反ドーピング活動
(3)スポーツの国際交流-を推進。

講道館柔道の創始者である嘉納氏は、1911年に日本体協の
前身となる大日本体育協会を創立。
日本体協の100周年記念事業を2年後に控える森会長は、
「嘉納先生がまいた種が、ここまで大きく育ってきた。
次の100年は、このセンターで世界のスポーツのために貢献したい」

http://www.47news.jp/CN/200905/CN2009052001000764.html

五十肩:謎の痛み 原因も不明 骨など異常なし

(2009年6月5日 毎日新聞社)

スーツを着ようとすると、右肩が痛くて上がらない。
寝るとき、右半身を下にすると痛む。
大田区の男性会社員(43)は、昨年秋からこんな症状に悩まされた。
痛みは次第に増し、近くの病院で診察を受けた。
レントゲン撮影では、骨折は発見されなかった。
炎症や上腕骨と肩甲骨をつなぐ腱板の断裂もなかった。

医師から、「これといった異常はない。典型的な五十肩ですね」、
痛み止め薬と湿布を処方された。
「痛みがやわらいだら、意識的に肩を動かしてください。
今回のように、半年も放置しないように」と注意。
男性は、「異常がないのに強い痛みを伴う。不思議だ」

このような症状は、「四十肩」「五十肩」と呼ばれる。
江戸時代中期の辞書には、「五十腕」という項目があり、
「五十腕とも五十肩ともいう。また長命病という」と説明。

当時は、平均寿命が50歳以下で、
「肩が痛くなったら長生きの証拠」と考えられていた。
医療現場では、「五十肩」と呼ばれることが多く、
「明らかな起因を証明しにくい初老期の疼痛性肩関節制動症」と定義。

海外では、「フローズン・ショルダー(凍結肩)」
「痛みが強く動きにくくなる時期」があり、
続いて「動きが制限される時期」、「動きが回復する時期」と推移。

江戸時代から人々を悩ませてきた痛みだが、
実態は今もよく分かっていない。
「40-50歳の人に多い肩関節の動きが制限される痛み」で、
なぜ起きるのか、原因となる生活習慣があるのか、
男女で違いはあるのか、なぜ回復するのかなど、未解明部分が多い。

肩関節のトラブルに詳しい高岸憲二・群馬大教授(整形外科)は、
「五十肩の患者を検査しても、これといった異常が見つからない。
肩関節を包む袋(関節包)が厚く、硬くなっており、
結果として肩が動きにくくなったり、痛みが生じるようだ

糖尿病や高脂血症の人に五十肩が多く、治りにくいといわれる。
これらの病気の患者は、末梢血管に障害が出やすいことが
関連している可能性がある。

五十肩の症状が出たら、どう対処すればよいのか?
高岸教授は、「痛みがひどいときは安静に、痛みが少しやわらいだら、
肩を動かせる範囲で動かした方が回復は早い」

ひどい痛みのときは、なるべく肩を動かさないようにし、
三角巾を使うことも勧められる。
重い荷物は厳禁だ。
患部を温めると、痛みがやわらぐ。
我慢ができない痛みが続く場合は、ステロイドやヒアルロン酸、
大量の生理食塩水を注射する治療法も。

肩が少し動かせるようになったら、
痛みが出ない範囲で動かすことを心がける。
イラストのような運動も効果がある。
夜の痛みは、日中の活動が過剰な場合に出やすいので、
運動量などの目安にするとよい。

放っておいても、多くの人が1-2年で治る。
高岸教授が164人の患者を対象に実施した調査では、
1年以上たっても運動や作業をする際、痛みが残っている患者が3割。
「五十肩と思っても、腱板断裂など別の障害が起きている可能性がある。
自分で判断せず、整形外科の診察を受けてほしい」
………………………………………………………………………………
◆こんな時に痛むと五十肩が疑われる
・シャツや上着を着る
・髪をとかしたり結う
・帯を結ぶ
・腕を真上に上げる
・腕を頭の後ろに回す
・腕を背中に回す

http://www.m3.com/news/GENERAL/2009/6/5/101350/

ヤフーが原点回帰を急ぐ理由

(日経 2009-06-04)

国内ネット企業が、技術重視の姿勢を強めている。
ポータルのヤフーとエキサイトが、相次いで技術陣を統合する
組織改革を実行。
新サービスや新機能の開発力を強化する体制を敷いた。

SNS最大手のミクシィも、自社サイトの技術仕様(API)公開によって、
他社が自由に使えるプラットフォーム型のサイトへの脱皮をめざし始めた。
「ネット企業=IT企業」という原点に回帰する動きが広がりそう。

ヤフーは4月、近年で最大規模の組織改革を実行。
井上雅博社長の直轄組織として、「R&D統括本部」を新設、
従来各事業部に分散していた技術開発機能を集約。
この改革を、「ヤフーはIT企業であるという宣言」と解説。
メディア企業からIT企業への原点回帰といえる。

技術をどう生かすのか?
同社は昨年から、ショッピングや検索、オークションなどの
各種サービスや、IDや課金といったプラットフォーム技術のAPIを
他社にも開放する「オープン化」戦略を推進。
APIの利用企業を増やすために大事なのが、
使い勝手や機能、処理能力を左右する技術力。

APIの利用企業とは、利用によって得られた収入を分け合うのが基本路線。
ネット普及以来ポータル企業が続けてきた、コンテンツを仕入れて
自社サイトに掲載し、広告を張って稼ぐという
「電子雑誌」的なモデルとは明らかに違う。

背景には、国内ネット業界でガリバー的存在のヤフーといえども、
自社サイト内の広告収入だけでは、高成長・高収益は維持できない
との危機感がある。

ポータル中堅のエキサイトも、4月に社員全員が辞令をもらうほどの
抜本的な組織改革を実施、「技術志向の体制」(野田俊介社長)を整備。
具体的には、本業の「ポータルサービス本部」のトップを技術者とした。
同社技術開発とサービス開発の機能を統括する
テクノロジー&サービス本部を新設。
本部長を、全社の技術陣を統括するCTO(最高技術責任者)とし、
その下に全社のサービス企画を統合するCSO(最高戦略責任者)を置いた。
同本部の中に社内大多数の技術者を集めた。

同社は、各種サービスの担当グループに技術者が散在し、
サイト開発を進めていた。
社内のいたるところに類似の開発プロジェクトが併存し、重複コストがかさむ。
新体制では全社に散在する技術面、サービス面のアイデアを
吸収・集約でき、効率的に新サービスや新機能を開発できる。
具現化できれば、業績低迷脱出の突破口となるかもしれない。

ミクシィは、ミクシィの中で動くゲームなどのアプリケーションソフトを
外部の企業や個人が開発しやすいよう、4月からAPIの社外提供を始めた。
今後も開放するAPIは順次増やす計画。

恐らく3社が共通して意識しているのが、
技術基盤を社外の個人や企業に提供して収入に結びつけてきた
米グーグルや米アマゾン・ドット・コムなど、「Web2.0」企業群。

グーグルがネット界の王座についたのは、
一にも二にも検索エンジンの性能、膨大なデータを処理できる
巨大並列サーバーの構築・運用技術といった技術力のたまもの。
アマゾンも、消費者や提携店舗が使いやすいソフトウエアが競争力の核。

ネットの世界では、新サイト立ち上げにしても、新しいビジネスモデルの
構築にしても、必ずサイト・機能の開発が伴う。
ネット広告市場の急成長に頼ってきた国内ネット企業が、
広告不況がネットにまで広がった今、
ようやく自らの肝心な部分を再認識しつつある。

http://netplus.nikkei.co.jp/ssbiz/ittrend/itt090603.html

2009年6月10日水曜日

宇宙飛行士:土井さん、国連の課長に 宇宙平和利用に意欲

(毎日 6月6日)

宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、宇宙飛行士の
土井隆雄さん(54)が国連宇宙部(本部・ウィーン)の
宇宙応用課長の公募に応じ、採用されたと発表。

国連宇宙部に、宇宙飛行士が採用されたのは初めて。
任期は、今年9月から2年間。
国連宇宙部は、宇宙の平和利用施策を担当する部署。

土井さんは、人工衛星を使った通信や気象観測技術を、
遠隔医療や防災に活用する施策や、途上国への宇宙教育の推進などを
受け持つ予定。

在職中は、宇宙飛行士としての訓練が受けられなくなるため、
宇宙飛行はしない見込み。

NASAジョンソン宇宙センター(テキサス州)で訓練中の土井さんは
JAXAを通じ、「国連での仕事は、世界のより多くの人々に
宇宙開発の恩恵をもたらす。宇宙飛行士として培った経験を生かし、
全力で取り組む」との談話を発表。

土井さんは東京大大学院を修了後、NASA研究員などを経て、
85年に宇宙飛行士に選抜。
97年、米スペースシャトルで初飛行した際、
日本人として初めて船外活動を担当。
08年、国際宇宙ステーションに日本実験棟「きぼう」の
最初の施設を取り付けた。

http://mainichi.jp/select/science/news/20090606ddm001040016000c.html

職員の力(3)「林業塾」演習林を活用

(読売 5月28日)

実習が不足しがちな農学部生のために、
職員が野外活動の場を作っている。

「ほら、これが常緑樹の落ち葉。
落葉樹と違って、こんなに厚くて硬いんだよ」
高知県香美市の国見山(標高1089メートル)の山腹に広がる
高知大学農学部の演習林。
普段は、実習や研究に使われている約127ヘクタールの広大な林で、
農学部森林科学科の「林業塾」が開かれていた。

林業塾は、2006年春、演習林を維持管理する「林の守り役」、
技術職員の長井宏賢さん(33)と今安清光さん(46)が発足。
演習林での実習時間不足を補うのが狙いで、
長井さんらが指導役を務める。
課外活動ながら、学生約40人が登録し、主な活動だけで、
飛び入りも含め毎年延べ約450人が参加。

学生たちは、月1、2回程度、長井さんらの指導を受けながら、
間伐作業、林道の補修、炭焼き、シイタケ栽培などを行う。
地域貢献活動として、地域住民を招いた自然観察会も開く。

同大で、森林生態や森林開発などを学ぶ学生の演習林での
実習時間は、意外に少ない。
2年生は5泊6日が1回だけ、3年生は6泊7日が3回、1泊2日が1回、
4年生は卒論準備で実習はない。

習うべき知識が多く、授業の多くが座学に費やされることなどから、
実習時間が取れない。
実習では、少ない時間で多くの技術や作業を学ぶため、
例えば樹木を伐採する体験も、1人が1本程度。

カリキュラムを組み替えるのは難しく、
教員は授業や学内運営で忙しい。
学生には、森で活動する工具や機材も、それらの使い方の知識もない。
「森を熟知している技術職員が、学生の意欲に応えようと思った」

この日は、地元の子どもたち25人を招いての自然観察教室。
参加した大学院生4人は、子どもたちと林道を歩きながら、
木々の名前や特徴を解説したり、
道端の山菜類の名前を当てるクイズを出したり。
長井さんは、学生たちの生き生きとした様子に、
「農学部には、自然に触れたいという学生たちが多い。
そんな学生たちの要望に応えられた」と満足そう。

案内役を務めた修士2年の金重光太朗さん(23)は、
「自分たちの研究を子どもたちに分かりやすく教えるのは、
林業塾でしか経験できない。
もっと自然に入って勉強したいと思っていたので、貴重な体験」と笑顔。

森林生態学を学ぶ修士2年の宇佐美敦さん(23)も、
「授業では1回きりで終わっても、
塾では継続的に自然にかかわれるのがうれしい」

3年を経て、演習林に自生する植物を使った草木染めや林道での
レースなど、学生ならではの企画も増えてきた。
大学側は、塾の教育効果を認め、単位認定の検討も始めた。

職員と学生の自主活動が、大学の教育を変えようとしている。

◆演習林

全国大学演習林協議会によると、全国の国公私立大学で
演習林を所有するのは27大学。
最大の面積を持つのは、北海道大学の演習林で約7万ヘクタール、
高知大は全国最小。
各大学では、樹木学や森林生態学、造林学の実習、
試験研究や技術改良の場としてだけでなく、
市民の学習の場に活用する動きも広がっている。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20090528-OYT8T00308.htm

知事が北里大で出前授業 新地域主義とソフトパワー戦略説く

(東海新報 6月4日)

達増拓也知事が、県民と直接意見を交換する「移動県庁」が、
北里大学海洋生命科学部で出前授業を行い、
海洋産業の可能性について述べた。

県北・沿岸振興本部会議(本部長・宮舘壽喜副知事)では、
本年度中に「三陸沿岸海洋産業振興指針(仮称)」を策定し、
海と海洋の多彩な資源を活用し、海洋産業の振興に力を入れる。

出前授業は、学生、教授陣ら約100人が出席。
知事は、「いわて三陸の未来と若者への期待」と題して講義、

「三陸は、海と山とまちの三位一体のトリプルランドで、
無限の可能性がある」とし、県政方針に掲げる広域圏とコミュニティーに
重きを置いた新地域主義と、ソフトパワーの二大戦略について述べた。

ソフトパワーの一つに、世界遺産登録を目指す平泉文化を挙げ、
「国際政治で、オバマ米大統領もソフトパワーを使うが、
文化の力、信頼関係で進めるやり方。
平泉文化は、21世紀の世界が必要とする平和、環境の理念を、
900年前に実現したもの。
中尊寺建立時、敵味方なく人の死を悼み、動植物や魚介類も
すべての生命を大切にすることを宣言。これは世界にもないこと」、

文化の持つソフトパワーをもとに産業振興を図る考えや、
新たに三陸沿岸海洋産業振興指針を本年度策定することを明らか。
「水産資源、海洋バイオテクノロジーやエネルギー、
レクリエーションなどを総合的に海洋産業振興を図るもので、
策定に当たっては北里大の果たす役割に期待」

地方から直接世界に乗り出すことも必要と、
中国に乾ナマコ、シンガポールに県産米、マレーシアにサンマやイサダの
売り込みに力を入れていること、学生たちには
「地球規模で考え、地域で行動するグローカルポリシーが重要」

学生から、「知事が世界に売り込みたいものは?」との質問に、
「最近では乾ナマコ。中国にPRしていきたい」など、
このほか人材育成などの課題を巡って意見交換。

県北・沿岸振興本部会議は、陸前高田市のキャピタルホテルで開かれ、
田村誠、菅原一敏両県議も出席。
三陸沿岸海洋産業振興指針を、12月下旬をめどに策定。

策定の趣旨は、10年程度を見据えて県が講ずる施策を
総合的に推進するもので、海洋資源を活用した商品やビジネスの創出、
国の海洋関連プロジェクト導入などによって、新産業創出を目指す。
指針は、新しい長期計画に反映するほか、
新規施策などを来年度予算に盛り込む。

達増知事は、「岩手全体の活性化になるもので、
海に顔を向けて未来に向かって進んでいきたい」

「海洋産業の現状と今後の可能性」と題し、
(社)海洋産研究会常務理事の中原裕幸氏の講演。

同氏は、日本の200カイリ水域が世界第6位の広さであることや、
海洋産業は政府の試算で2010年には市場規模約7兆円、
雇用規模80万人と予測、
「今後の成長15分野に入っている」とし、
本県の海洋開発の方向性などについて指摘。

http://www.tohkaishimpo.com/

クールビズ、今年は全身でセンス光らす

(日経 5月27日)

今年で5年目を迎え、定着した感のある夏の軽装「クールビズ」。
商品の種類も、当初とは比べものにならないほど豊富。
今年は、単にネクタイを外すだけではなく、
ジャケットも含めたコーディネートに挑戦してみては?
今年のクールビズの傾向と対策をまとめた。

東京・新宿の伊勢丹メンズ館。
売り場には、約80種類のシャツが所狭しと並ぶ。
商品点数は昨年より2—3割増えた。
白やネイビーといった定番に、ラベンダーやピンクなども
品ぞろえが増え、色のバリエーションも豊富。

紳士営業部バイヤーの五十嵐賢さんは、
「自由度の高い服装への心理的壁が低くなった」
シャツの柄も多様に。
細いストライプだけでなく、「太いストライプや格子柄も試してほしい」

デザインでは、第二ボタン付近に補助的なスナップボタンを
付けるのが今年のトレンド。
第二ボタンまで外しても、スナップボタンを使えば
襟元が大きくはだけることはない。
えりと布地の色が異なる「クレリックシャツ」や、
前襟が高い「ドゥエボットーニ」も昨年に続いて、
今年も人気を集めている。

クールビズの基本はノーネクタイ。
営業では、ネクタイ着用が欠かせない場合も。
ニットタイがおすすめ。
今年は、ニットでも剣先のあるデザインが多く、
フォーマルな場でも違和感を与えずに済む。

シルクやコットンをメッシュ状に織り上げた「フレスコ」の素材であれば、
清涼感がより高まる。
「ひし柄」や「ボーダー」など、柄も多彩になっており、選びがいがある。
上級者向けに、「ネップ」と呼ばれる糸むらをつけたタイプも。
上着は、生地の枚数を減らした「アンコンストラクテッド(アンコン)」
呼ばれるタイプが着心地がいい。

通常、ジャケットは立体感を出すため、表地と裏地のほか、
芯地と呼ばれる中間生地やパットを多層的に組み合わせる。
通気性を高めようと、生地の枚数を減らすとシルエットが崩れるため、
アンコンジャケットはビジネスシーンには向かないといわれていた。
近年は、新素材の開発や縫製技術の進歩で、
形崩れしにくいタイプも店頭に並び始めている。

フリーの雑誌編集者、池田保行さんは
「アンコンジャケットを選ぶ際、肩と胸に注目してほしい」
試着時、肩の部分が丸く盛り上がり、胸にもしっかり曲線のラインが
出るようなら問題はない。

シャツ同様、パンツも今年は淡い水色やラベンダーなど
鮮やかな色合いのものが店頭をにぎわしている。
レザーやシルク地の編み込み型のメッシュベルトを合わせれば、
一層清涼感が増す。
外羽根が大きく、先端が丸い靴をはけば、
「ビジネスだけでなく、休日でも着用できる」

クールビズは、男性の専売特許ではない。
インターネット上の女性向けファッション誌「デジタルef」の
高橋祥子編集長は、女性版クールビズのポイントに、
「機能性と周囲との調和」をあげる。

特に避けたいのは、過度の露出。
肩や胸元が見えるノースリーブは、基本的にはNG。
ミュールやサンダルなど、素足に直接履く靴もさけた方が無難。

今年の流行は「ロングシャツ」
襟付きで、すその長さはおしりが隠れるくらい。
アンダーの上に羽織るようにして着て、サッシュベルトなどと
組み合わせれば、着回しのバリエーションも広がる。
40歳前後の「アラフォー」のビジネスウーマンにとって、
腰回りのラインを隠せる点も評価が高い。

パンツは、ポケットやポケットの周辺がゆったりとした
「サルエルパンツ」が着心地がよい。
胸元には、顔色の映えるシルバーなどのアクセサリーを
あしらってみてもよい。

監査法人のグループ会社に勤める岩尾康史さん(44)は、
今年のクールビズで、明るいグレーにストライプが入ったジャケットに、
爽快感のある薄レモン色のシャツを組み合わせる。
クールビズの定着で、ある程度の冒険も許容される。
「個性をアピールして、顧客への印象を強めたい」

リース会社に勤める山本勤さん(仮名、36)は、
「売り場に並ぶ商品は先端的すぎる」
同僚の間でも、シャツは水色やベージュなど淡い色合いのものが
主流になっており、「柄物では職場で浮いてしまう」
シャツやジャケットは、紳士服量販店の既製品で間に合わせ、
ポケットチーフやベルトといった小物でアクセントをつける。

服装は、自己演出の手段でもあり、周囲とのコミュニケーションを
円滑にする役割も果たす。
個性のアピールと職場の雰囲気の両面を考えたうえで、
最適なファッションを選びたい。

http://netplus.nikkei.co.jp/ssbiz/bizskill/biz090527.html

タイコムのカセムセット会長「衛星ブロードバンド、日本で年内1万回線」

(日経 5月20日)

都市と地方のデジタルデバイド(情報格差)を解消する手段として、
通信衛星を利用したブロードバンド(高速大容量)通信サービスが浮上。

タイ通信大手タイコムの子会社であるIPSTAR(渋谷)は、
離島や山間部などの市町村向けに、
日本国内で4月から商用サービスを開始。
タイコムのダムロン・カセムセット会長に、
日本における戦略や、海外での展開状況などを聞いた。

−−4月に開始したサービスの特徴は?

「家庭にモデムとアンテナを設置し、衛星経由で当社の設備から
インターネットに接続する。
通信料金は、受信が最大毎秒512キロビットの場合で月額3500円、
同1メガ(メガは100万)ビットの場合で月額4500円、
同2メガビットの場合で月額1万円。
初期費用は、モデムやアンテナなどの一式で30万円。
ほかの固定ブロードバンド通信サービスに比べ、
戦略的な料金を設定したつもり」

−−30万円の初期費用は高くないか?

「一般家庭には負担が重く、地方自治体などの補助金抜きで
普及させるのは難しい。
デジタルデバイドの解消という観点で考えれば、決して高くない。
山間部や離島などに有線の固定回線を整備するのに比べれば、
総費用は大幅に少ない。
衛星の場合、各家庭にピンポイントで電波を届けられるので、
ユーザーが少ない地域になればなるほど有利」

「実際に体験してもらうため、全国の都道府県を対象に
サービスを1年間無償で提供。
希望する都道府県に、モデムとアンテナを最大1セットまで貸し出すので、
デジタルデバイド解消を検討している市町村は、
これを使って検証してほしい」

−−日本市場をどうみている?

「日本の政府(総務省)は、2010年度末までに
ブロードバンド・ゼロ地域の解消という意欲的な目標。
全国約1.7%の地域の80万世帯で、
ブロードバンドを利用できない状況。
この達成に、我々のサービスは必ず役に立つ。
日本市場について楽観視している。
コアテック(札幌市)やシーオーテック(広島市)などの
パートナーを通じて販売、2009年中に1万回線を獲得したい

−−日本以外の国での展開状況は?

「タイやベトナムをはじめ、カンボジア、中国、オーストラリア、
ニュージーランドなどの10カ国でサービスを展開、
2010年までに14カ国に広げる予定。
現在の回線数は、約17万回線。
回線を複数のユーザーで共有するので、
実際のユーザー数に換算すればこの3−4倍の規模。
衛星ブロードバンド事業単体ではまだ赤字だが、
25万回線を超えれば黒字化できる」

http://netplus.nikkei.co.jp/ssbiz/interview/int090519.html

2009年6月9日火曜日

職員の力(2)無駄排除 東大の挑戦

(読売 5月27日)

世界一の“無駄なし大学”を目指し、東京大学が改革を始めた。

書類の束が所狭しと並ぶ東大の工学系事務部で、
尾越和博副理事(60)が職員に尋ねた。
「机にまで書類を積んだら、仕事しづらくない?」

すかさず隣に立つ西成活裕教授(42)が、
「その日の分だけ置くと、はかどりますね」とフォロー。
2人は、「電話は1人1台ずつ必要?」、
「メールを開く時間は決めている?」など仕事の効率についての
質問を重ね、メモにして事務部を後にした。

東大は、〈スリムな組織・スマートな運営・スピーディーな業務〉の
「3S」作戦を開始。
尾越さんは、業務改善担当の副理事として同月、
工学部事務部長から昇格。
「東大に必要なのは改善ではなく、改革」と意気込む。
パートナーの西成教授は、いかに無駄を省くかを考える
「無駄学」で知られる研究者。
「暑い時期に髪は不要」と、頭をそり上げるほどの意気込み。

巨大な組織を3Sにするためには現状把握からと、
二人三脚の無駄取り行脚が始まった。

5年前、国立大学法人化に伴い、運営費交付金に効率化係数が
かけられ、毎年1%削られるようになった。
東大の今年度の削減幅は、約7億5000万円。
これまでも公共料金の口座引き落としや契約手続き簡素化などを推進。
改革には、現場の知恵が欠かせないとの判断から、
尾越さんら生え抜きの職員3人を初めて副理事に抜てき。

高等専門学校勤務の経験もある尾越さんには、
学内の無駄や不具合が目についていた。
何も決まらない長い会議、誰もいないのにつけっぱなしの照明。
大学全体のCO2排出量は16万トン以上と、
東京都内の事業所で最も多い。
学生らへの対応で、“お役人”風を吹かせていることも耳に。

製造現場や企業などでの無駄取り指導に取り組む
西成さんによると、成功のカギは目的と期間を定めること。
狙いも定めずに続けると、それ自体が無駄になりかねない。
尾越さんは、目的を「世界トップの無駄なし大学」とし、
期間は「1年」にした。

教職員約9000人の労力と時間が、
うまく教育・研究の成果につながっているか。
現場行脚の初日、約2時間かけて5か所を回るうち、
尾越さんらには無駄が見えてきた。
パソコンをつけっぱなしだと、不急のメールも開けたくなる、
書類が多すぎて業務の全体が見えない、など。

同時に、大学側の自助努力ではらちが明かない無駄も見つけた。
例えば、受託研究費の申請書。
外部資金の獲得は、法人化した大学には不可欠だが、
申請書式が同じ省庁内でも異なるため、作成にやたらと手間がかかる。

まずは足元から。
「無駄取りはチームワークで取り組まないと」と西成さんが言えば、
尾越さんも、「何度も現場に行って話し合いましょう」と応じる。
日々の積み重ねが、無駄を取り除いていく。

◆効率化係数

教職員の人件費や光熱費など大学の基盤的経費として、
国から国立大学法人に配分される運営費交付金を、
毎年1%削減する仕組み。
政府の歳出削減路線の中、2004年の国立大学の法人化に伴い施行。
今年度の運営費交付金は1兆1695億円、昨年度より118億円削減。
中規模の国立大学1大学分を削っている計算。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20090527-OYT8T00230.htm

住田のバイオマス、「新エネ百選」に 「地産地消型の好事例」

(東海新報 6月4日)

経済産業省と独立行政法人・新エネルギー産業技術総合開発機構
(NEDO)による「新エネ百選」の一つに、
住田町での木質バイオマスエネルギーの取り組みが選ばれた。
地産地消型の新エネルギー導入の優れた好事例として評価、
今後の全国への情報発信に弾みがつきそう。

同町では、バイオマスを足がかりに産業振興と循環型林業を目指した
一連の取り組み継続に意欲。

「新エネ百選」は、地域の特性などを考慮した新エネルギー利用などの
取り組みを評価して、好事例として広く情報発信、
新エネルギーを全国に広めていくことを目的に初めて実施。

自治体や事業者らにより実施された
新エネルギー導入事業などについて公募。
有識者による審査委員会
(委員長・茅陽一財団法人地球環境産業技術研究機構副理事長)を経て、
優れた取り組みとして自然エネルギー発電などの百例を選定。

面積の約9割が、森林の住田町は平成12年に
「町地域新エネルギービジョン」を策定。
以降、豊富な森林資源や林業廃棄物を燃料として活用する
木質エネルギーを主力に位置づけ、
「森林エネルギーのまち」を基本理念とする各種取り組みを展開。

世田米保育園と遊林ランド種山へのペレットボイラー導入、
公共施設や家庭へのペレットストーブの導入推進に向けた
補助制度をはじめ、町の方針に呼応した木工団地内事業体での
木くず炊きボイラー設置と、これを活用した木材乾燥と発電施設整備、
施設園芸ハウスへの熱供給、ペレット製造施設整備などを
官民一体となって進め、化石燃料や二酸化炭素排出削減に
一定の効果をあげてきた。

認定書授与は、東京国際フォーラムで開かれた
「新エネ百選選定記念シンポジウム」の席上で行われた。
主催者では、パネル展開催などで選定事例について広く発信する予定、
町では選定を喜ぶとともに、「全国に先導的な役割を果たす
森林・林業日本一を目指し、今後も取り組みを進めたい」

釜石市「ウインドファームを契機とした地球にやさしいまちづくり」、
葛巻町「エネルギー自給のまちづくり」、
県「県営屋内温水プールへの新エネルギー導入」が選ばれた。

http://www.tohkaishimpo.com/

メタボ基準、異論百出…測定不要論も

(2009年6月3日 読売新聞)

メタボリックシンドロームを見つけるため、腹囲測定などを行う
特定健診・保健指導(メタボ健診)が2年目。
腹囲の基準に異論を唱える研究報告が相次ぎ、
専門家の間で見直し論議に拍車がかかっている。

心臓病や脳梗塞を引き起こす生活習慣病の原因として、
高血圧や高血糖、脂質異常と併せて肥満をチェックするのがメタボ健診。

腹囲の基準値は、男性85センチ、女性90センチ。
日本人の男女約750人のへその辺りの内臓脂肪面積を、
コンピューター断層撮影法(CT)で計測、100平方センチ以上になると、
高血圧や高血糖など、生活習慣病を引き起こす危険要因の数が増える、
という日本肥満学会のデータを基に算定。

厚生労働省研究班(班長=津金昌一郎・国立がんセンター予防研究部長)は
「心臓病や脳梗塞などの予防には、
メタボ対策よりも高血圧対策が重要」という研究結果。

40-69歳の男女約2万3000人を、平均11年間追跡したところ、
高血圧を治療すれば男性48%、女性で45%発症を減らせるのに対し、
メタボ解消では20%未満しか改善効果がないとの結論。

磯博康・大阪大教授(公衆衛生学)は、
「肥満を必須条件とする現在の基準では、やせていて血圧が高めの人など、
脳卒中や心筋梗塞になる危険性の高い人への対応が不十分になる」

愛知県の約3000人を対象にした別の厚労省研究班も、
「腹囲が大きいだけでは、生活習慣病との関連はそれほど強くない」、
腹囲の指標を切り捨てた。

腹囲の基準値を設けることに肯定的な研究者でも、
数値についての意見はバラバラ。

門脇孝・東京大教授(糖尿病・代謝内科)が班長の厚労省研究班は、
全国の男女3万3000人について、高血糖、高血圧、脂質異常と
腹囲との関連を調査。
中間解析では、男性84センチ以上、女性は81センチ以上になると、
2項目以上の異常を併せ持つ割合が約3倍高かった。
門脇教授は、「女性の基準は80センチが良いのではないか」

米国の基準は男性102センチ超、女性88センチ超。
国際糖尿病連合の基準では、欧州人が男性94センチ以上、
女性80センチ以上、日本人は男性90センチ以上、女性80センチ以上で、
いずれも男性の方が女性よりも大きい。

現在の基準は2005年、日本肥満学会など8学会が合同で決めた。
松沢佑次・同学会理事長(住友病院院長)は、
「CT画像から内臓脂肪面積まで測って、基準値を決めたのは日本だけ。
女性は皮下脂肪が多く、心筋梗塞の危険は男性より低い。
妥当な基準だと思うが、学会としてもデータを集め、検証をしていく」

厚労省は、「肥満は生活習慣病に大きくかかわっており、
健診で腹囲を測ることには意味がある。
だが、基準値については、見直しも含めて柔軟に対応したい」

世界保健機関(WHO)でも、腹囲の基準を決める作業を進めている。
決定版となる数値が示されるかどうか、注目される。

「ワイシャツをめくっておへそを出してください」
大手重機メーカー「コマツ」本社での特定健診。
会場の一角では、社員のおなかにメジャーがあてられ、
腹囲の測定が行われていた。

ある男性社員は、血圧などはすべて正常なのに、
腹囲は90センチと基準を5センチオーバー。
男性は、「なぜ取り立てて腹囲を問題にするのか。
なんだか不健康だと言われたようで……」と納得いかない様子。

血圧などに異常があっても、腹囲が基準以下のため、
指導の対象とならない社員も男性で約20%、女性は約15%いた。
担当者は、「本当に生活習慣病の危険がある人を抽出できているのか」
「85センチはだめだが、84センチならいいというわけではない」、
腹囲に関係なく、全員に保健指導を行う兵庫県尼崎市のような自治体も。

特定健診の狙いは、生活習慣病になる人を減らし、
医療費削減につなげること。
国は、生活習慣病にかかる医療費を約10兆円と推計。
これは医療費の3分の1に当たり、2015年度までに
患者やその予備軍を25%削減する計画。

日本看護協会は、07年度から先行的にメタボ健診を始めた
自治体や企業の健康保険組合の男女約400人の数値を分析。
1年間で、体重は1・4キロ・グラム、腹囲は1・8センチ減り、
血糖値と中性脂肪の数値も改善。

尾島俊之・浜松医大教授(健康社会医学)は、
「途中経過としては一定の効果が見られるが、
生活習慣病の減少につながるかは、長期的に見ていく必要」

◆特定健診・保健指導

企業の健保組合や市町村などの保険者に対し、
2008年度から、40-74歳の人を対象にした実施が義務付け。
腹囲に加え、血圧、血糖値、脂質のうち一つに異常があれば、
原則1回、面接指導を行う「動機づけ支援」、
二つ以上異常があれば、3-6か月継続指導する「積極的支援」が行われる。
受診率や保健指導の実施率などが低いと、
後期高齢者医療への財政負担が増すペナルティーを科す仕組みが導入。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2009/6/3/101160/

教育再生懇談会:「国策でスポーツ振興」 基本法策定後押し--強化明示

(毎日 5月29日)

スポーツ庁の新設などを求めた政府の教育再生懇談会
(座長・安西祐一郎慶応義塾前塾長)の第4次報告。
1961年制定のスポーツ振興法を改正し、
国策として競技力の向上やスポーツの振興を強化することを明示。
国会のスポーツ基本法策定の動きを、後押しする提案。

学校体育が文部科学省、障害者スポーツは、
厚生労働省などに分かれる現在のスポーツ振興を一元化し、
新たにスポーツ振興基本計画を策定。
ナショナルトレーニングセンターの充実、
国際競技大会の招致や引退後のセカンドキャリア支援、
企業スポーツへの税制優遇措置--なども打ち出した。

五輪での日本の金メダル数が、04年アテネの16から08年北京は9に
減少したことや、子どもの体力低下、休廃部が相次ぐ
企業スポーツの現状などを考慮。

超党派の国会議員で、スポーツ基本法の立法化を目指す
「スポーツ議員連盟」の遠藤利明幹事長代理(自民)は、
「有識者からも認められたことは大きな追い風」と歓迎。
同議連では、国会の延長を視野に6月半ばまでに法案をまとめ、
今国会の提出を目指す方針。

議連の総会を開催して各党の議論に入るが、
行政改革を推進する中で、いかにスポーツ庁新設をスリム化して
行うかが実現へのカギ。

教育再生懇談会のメンバーで、スポーツ庁設置を提案した
北京五輪陸上銅メダリストの朝原宣治さん(36)は、
「強化が進むのはうれしいが、スポーツを通じた食育など
教育の充実にも広げていければ」と期待。

◇日本オリンピック委員会(JOC)の市原則之専務理事

企業がスポーツを抱えていくのは大変。
スポーツ振興を国策として考えていくことが求められているだけに、
待ちに待ったこと。
スポーツは、健康増進による医療費削減や教育的な効果もある。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/archive/news/2009/05/29/20090529ddm035010163000c.html

「固定席への郷愁」を捨てよ

(日経 2009-06-01)

低炭素社会を目指すうえで、意外と効果を軽く見ることができないのが
オフィス環境の改革。
節電は、電力会社のCO2排出抑制に直結。
テレビ会議の導入など、IT活用で社員の出張を減らせれば、
自動車や交通機関によるCO2排出の削減にも。

環境負荷低減の効果も狙って、NECが2004年、東京・港に開設した
先端的オフィスが「NECブロードバンドソリューションセンター」。
業務効率化のための情報システムを展示するショールームを設け、
オフィスでは社員が、最新のITを使った新しい働き方を実践。

「環境にやさしいオフィス」をつくるうえでの勘所を探ろうと、
同センターを訪ねた。
NECが同センターを設けた際、オフィス環境面で
思い切って変えた点は大きく3つある。

1つは、社員の席を固定せず、毎朝出社すると、
自由に自分の席を決める「フリーアドレス」制。
事業部長クラスやその秘書など一部を除き、
営業、SE(システムエンジニア)など大半の社員はフリーアドレス制とした。

2番目は、ペーパーレス化。
センター開設時に文書の収納スペースを大胆に減らし、
自然と社員が紙の資料を大量に持たなくなるようにした。
できるだけ文書類は、社員が自分の端末画面で確認できるようにし、
会議資料などの複写を抑制。
社内用のソフトウエアがたびたび更新され、従来はその使い方を
端末から印刷、多量の紙を抱える社員もいたが、
そうした自分用のマニュアル類も減らせた。

3つ目は、テレビ会議やインターネットによるウェブ会議の活用推進。
出張、外出など社員の移動を抑制。

それぞれの改革は意外と効果が出ている。
フリーアドレス制は、例えば営業、SEについては
人数分の席を用意する必要がなくなり、空調や照明など
単位面積あたりの電力消費を削減。
CO2排出に換算すると、最大40%の削減できたと試算。

ペーパーレス化は、紙生産に必要な電力や燃料をつくりだす際に
排出するCO2の抑制に。
センター開設後、端末側のハードディスクに格納していたデータを
サーバー側に保管する「シンクライアント」システムを導入、
IT機器の電力消費も抑えられる。

ペーパーレス化関連のCO2削減幅は、旧オフィス時代に比べ最大62%。
テレビ会議、ウェブ会議は、東京側、大阪側から3人が参加する会議を
月20回開くとすると、大阪側の3人が東京に来るための
航空機や新幹線利用が不要になり、削減できるCO2排出量は年間15トン。

旧オフィス時代と比べたCO2削減幅は最大50%、
2008年度は07年度比で25%削減できた。
「環境にやさしいオフィス」づくりは、円滑に進んだようにも見えるが、
新たな発見や実際にやってみて気づいた点もいくつかあった。

「一番難しかったのはペーパーレスの推進」と下垣直子センター長。
必要な情報は端末画面で確認できるからと、資料や文書の「一掃」を
社員に強く呼びかけると、かえって抵抗感を生み反発にあう。
紙の資料を「ゼロ」にできるかというと、それはおそらく不可能。
社員に強いプレッシャーを与えずとも、紙の量は「5割くらいは減る」

「ペーパー『レス』であって、ペーパー『ゼロ』ではない」ということを、
推進者はしっかり押さえるべきだというわけだ。
「ペーパーレスとフリーアドレスは、密接につながっている」
フリーアドレスといっても、次第に自分がすわる席が決まってきて、
「これは自分の席」という認識が社員に生まれないとも限らない。
その瞬間から、その席に紙の資料を積み始めたくなるかもしれない。

NECのセンターでは、社員が資料を入れておくための小型ロッカーを用意、
机の上には個人の所有物を置かないことを厳格ルールとした。

それぞれのチームのリーダーが気持ちを切り替え、
「固定席への郷愁」を捨て去ることも重要。
結局、オフィス環境改革は1人ひとりの自覚次第。
意識の切り替えが進むかどうかが問われそう。
情報システム環境の再設計や机や座席の配置見直しなどは
入り口にすぎない。
安易な気持ちで「低炭素オフィス」を目指しても実りは少ない。

http://netplus.nikkei.co.jp/ssbiz/tanso/tan090528.html

2009年6月8日月曜日

職員の力(1)留学生の支援 あらゆる面で

(読売 5月26日)

留学生の受け入れに、職員が骨を折る。

東京国際大学(川越市)の食堂は、新入生歓迎パーティーに集う
約200人の歓声であふれた。
学生支援部の職員、金善子さん(38)は、一人でたたずむ
留学生を見かけると、すかさず近寄り、中国語で話しかけた。
「生活は落ち着いた?」

友だちができない、生活が苦しい……。
中国で生まれ、同大大学院で学んだ金さんには、
留学生の気持ちがわかる。
別の場所では、こちらも卒業生の米国人職員が、
留学生に暮らしぶりを尋ねていた。

同大は1965年の開学以来、「国際人養成」を理念に掲げて積極的に
留学生を受け入れ、今年度も24か国・地域の約600人が学ぶ。

留学生たちは、日本人と異なる考え方を披露して議論を盛り上げるし、
図書館で午後9時の閉館まで残って勉強しているのも、
たいてい留学生。
荒井孝昌学長(69)は、「留学生は刺激を与えてくれる。
大学の学びに欠かせない」

そうした状態を維持するには、労力が必要。
「職員が四六時中あらゆる角度から支援しないと」と、
長谷川良成事務局長(61)。

留学生を受け入れた大学の責任は重い。
国は、「留学生30万人計画」を推進する一方、
不法滞在の撲滅にも力を入れる。
留学生が、卒業後も日本にとどまる場合、就職か進学か、
次の落ち着き先が決まるまで、受け入れ大学の責任が問われる。

大切なのは、大学生活に軟着陸させるための心配り。
警察官に職務質問を受けた時、外国人登録証を持っていなかったり、
具合が悪くなって病院に運び込まれたり。
何かあると、まず大学に在籍の確認が来るため、
その都度、職員は奔走する。

長谷川さんには、忘れられない光景がある。
学生課で、片言の日本語で何かを訴える中国人留学生がいた。
言いたいことがなかなか伝わらない様子だったため、
中国語を話せる職員を連れてくると、
人が変わったかのようにまくしたてた。
「授業が速すぎる」
不満を一通り吐き出し、職員が改善を約束すると、
学生は安堵の顔で引き揚げた。

「生の感情」を出せる相手が必要と痛感し、
その後、留学生がかかわる学生課などには、
中国や米国、韓国人職員のほか、外国語が堪能な職員を複数配置。

母国語で話せるようになると、留学生は生活の苦労も口にしだす。
不用になった布団や家財道具を贈る職員も現れる。
長谷川さんによると、正門脇にずらりと並ぶ留学生の母国の旗は、
この大学はあなたの居場所だ、と伝えるための演出。

居場所作りには、昨年4月に開設された学生支援室も一役買う。
職員2人が常駐する小部屋に、毎日10人前後の留学生が通い、
そろって友だちができない悩みを口にする。
「さりげなく友だちを紹介したり、黙って聞くだけだったり。
いつも僕らがついていると伝えています」と担当の瀬戸口勲さん(32)。

授業でも、留学生のペースには合わせられないと
改善要請を断る教員もいるため、職員がリポートの書き方なども指導。

それでも、毎年3%前後の留学生が退学して行方不明になったり、
学費を払えず除籍処分になったりして、大学を去っていく。
ここ数年は、現地から直接留学生を募集せず、一定期間、
日本語学校で学んだ就学生だけを対象、
母国の保証人にも確認をするなど入学の審査を厳格にするが、
そうした学生は減らない。

経済情勢の悪化も重くのしかかる。
新入生歓迎パーティーの直前、前期の学費納入期限の前、
長谷川さんの机には、「学費延納願」の書類が山積み。
500人弱、うち半分は留学生。
「父の転職で、家族に仕送りをしなくてはいけない」、
「家族の入院で学費が送られてこない」。
校舎の明かりが消えた後、学生課の職員たちが毎晩、
留学生の個別の相談に乗りながら、奨学金申請書を一緒に書く。

国際色豊かな学びの場を支えるため、地道な努力が続いている。

◆留学生30万人計画

日本の国際競争力を高めるため、2020年をめどに、
留学生の受け入れ数を、現在の約12万人から30万人に増やす計画。
関係省庁や企業などで受け入れ策を推進、
各大学での職員を中心とした多様な支援が定着へのカギ。

◆資質向上へ他校と連携も

職員の資質向上を目指した取り組みが全国に広がっている。
大学が個別に職員研修を行うだけでなく、
他の大学やNPOと連携するケースも目立つ。

四国では、34の大学・短大・高等専門学校がネットワークを発足、
若手職員の育成や経営者、管理者養成プログラムの開発、研修を始めた。
東京では、元大学職員らが集まり、養成・研修を行うNPO
「大学職員サポートセンター」を発足。

こうした動きの背景には、大学の生き残りへの強い危機感。
高い専門性や指導力を持った教員だけでなく、
教育内容や大学経営の全体を見渡せる職員の存在がなければ、
競争に勝ち残れない、とみる大学は多い。

職員に求められる能力は、かつてないほど多様化。
財務や経理、学生相談や学習サポート、地域や企業との交流のための
パイプ作り、大学間連携なども期待。

職員自身の意識も変わりつつある。
大学職員約1250人が加盟する「大学行政管理学会」によると、
経理や財務より、教育のあり方に関心を持つ職員が増えている。
「職員力」をキーワードに、大学に変革が始まっている。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20090526-OYT8T00312.htm

地域社会との交流づくりが課題に 09年高齢社会白書

(2009年6月3日 Japan Medicine(じほう))

政府は、2009年版高齢社会白書を了承。
活動的な高齢者の増加が期待される一方、地縁・血縁に代わる
人間関係を形成できないまま孤立した高齢者の増加も見込まれるとし、
高齢者が地域社会とのつながりを持てる
環境の整備を進める必要性を指摘。

白書では、内閣府が08年に実施した調査で、近所の人と
「親しくつきあっている」とした高齢者の減少傾向が近年続いており、
近所同士の結びつきが弱まっていると指摘。

高齢者のいる世帯数に占める高齢者単独世帯の割合は、
07年で22.5%を占め、今後高齢者の独居世帯の割合は
加速度的に上昇することが考えられる。

一方、高齢者の勤労意欲や地域活動への参加意欲の高まりを示す
統計も盛り込み、「高齢者が孤立に陥らないコミュニティーづくりや、
地域の実情に応じた見守りシステムなどの地域での取り組みを
促進する必要性を指摘。

「自分は健康だ」と考える高齢者の割合が、諸外国と比べて高い半面、
高齢者の医療サービス利用頻度は諸外国と比べ多い現状や、
75歳以上人口に占める要支援・要介護認定を受ける人の割合が
65-74歳人口に占める割合と比べ、大幅に高まっていることにも言及。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2009/6/3/101165/

逆風の中で:第4部・冬季競技の模索/7止 「エース」船木、恩返し

(毎日 5月25日)

北海道余市町で開かれたジャンプ大会。
会場には、「世界一美しい」と呼ばれた飛型で一時代を築いた
98年長野五輪金メダリスト、船木和喜(34)の姿。
今も現役の船木は、出場した子供たちに1着10万円ほどの
ジャンプスーツを5着贈り、笑顔でサインに応じた。

長野五輪当時、約3000人いた道内の選手は、
今や3分の1ほどに減少。
その状況を心配した船木は、「競技人口を増やしたい」と立ち上がった。
昨年2月、知人と冷凍食品販売会社を設立して、取締役に就任。
売り上げの一部や自分の資金から、子供たちを支援することを決め、
古里の余市町から活動を始めた。
ジャンプに恩返しをしたいという船木は、
「将来はNPO法人を作り、子供たちの『雪離れ』を食い止めたい」

日本のジャンプ選手は、多くが企業の社員。
船木も、長野五輪のころはデサントの社員。
99年に退社し、自身の会社「フィット」を設立。
国内では、まれなクラブチームを作った。
上を狙う選手だけでなく、「結果が残せずに引退するしかない選手や
趣味でジャンプを続けたい人の受け皿」を目指した。

この挑戦は苦難の連続だった。
環境の変化に対応できず、自身の成績も低迷し、
06年トリノ五輪は出場を逃した。
スポンサー探しも難航し、「100社に当たって1、2社」の支援が
得られるかどうかだ。
今は、船木を含め4人が所属しているが、遠征費などはすべて「自腹」。

そんな窮状を見かねた道内の不動産会社社長の呼び掛けで今年4月、
「船木和喜北海道後援会」ができた。
1口1万円(法人は2万円以上)の会費を募り、
それを競技活動費に充てようという、ジャンプ界では珍しい試み。

そんな動きが起こるのも、船木が現役を続けているからだろう。
本人は、「ジャンプは楽しいし、次々と新しい目標が出てくる。
当面は来年のバンクーバー五輪出場。
(14年)ソチ五輪も狙っている」と力強い。
全盛期と比べれば、五輪代表入りは決してたやすいものではないが、
「ジャンプをやめる必要はないし、引退はない」と断言。

船木は数年前、フィンランドで、祖父と孫が一緒に
ジャンプを楽しむ光景を見た。
「すごくいいなと思い、日本でもできないかと考えた」と船木。
独自の視点で、ジャンプ界に新風を吹き込もうと挑む船木の着地点は、
かつての大ジャンプのように、まだまだ遠い先にある。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/archive/news/2009/05/25/20090525ddm035050103000c.html

新しい波/303 toto好調の波紋/2

(毎日 5月30日)

宮城県栗原市で、04年3月に発足した総合型地域スポーツクラブ
「しわひめスポーツクラブ」の菅原信行会長は振り返る。
「totoのせいで、町議会で詐欺師呼ばわりされた」
栗原市は、05年4月に旧栗原郡の10町村が合併して誕生、
クラブは同市の旧・志波姫町で産声を上げた。
初年度の運営資金として当て込んでいた
「スポーツ振興くじ助成金」が支給されなかった。

08年度、totoの売り上げは過去最高の897億円にまで達し、
今年度は17億円が総合型クラブの活動助成に充てられる見込み。
totoが販売不振にあえいでいた04年度当時、
総合型クラブに対する助成は、全国で3億8000万円に過ぎなかった。

菅原さんは、800万円の助成を申請。
これを当面の「運転資金」とすることを前提に、
町へもスポーツ振興を目的として運営費の補助を要請。
町議会でも承認されて、無事支給。
totoからの助成は、認められなかった。

結果的に「はしご」を外され、町に運営費の大半を求める形に。
多様な競技のチームが集う総合型クラブの創設は、
文部科学省が進めるスポーツ振興事業。
「『国策だから安全』と思って、各方面に理解を求めたが、
紙一枚に数行の通知で終わりだった」

08年度の売り上げ増大もあり、今年度は
「ほぼ要望通りの助成はできた」と、totoを運営する
日本スポーツ振興センターの助成課担当者。
助成期間はクラブ創設支援で2年、活動支援で5年と最大7年間。

これまで総合型クラブには国庫からの補助もあったが、
今年度からは大半がtotoの売上金に委ねられる。
過去の売り上げ推移を見れば、助成の安定供給に不安はぬぐえない。

ようやくクラブ運営が軌道に乗ってきた菅原さんは、
「売り上げ増によって、助成申請も増える。
しかし、totoの売り上げは今後も不透明。
国やセンターには対応を考えてほしい」
苦い経験がある分、totoの将来を楽観はしていない。

http://mainichi.jp/enta/sports/21century/news/20090530ddm035050134000c.html

オバマの燃費規制、透けるGMの影

(日経 2009-05-25)

オバマ米大統領が、自動車の燃費規制を厳しくする時期を、
2016年に4年前倒しすると発表。
米国では、ゼネラル・モーターズ(GM)の経営問題が
月末にヤマ場を迎える。
そんな重要局面を前に、GMの重荷を増やすような決定を
下すのはなぜか?
米国では憶測を呼んでいる。

「19日までは内密に」
発表の直前、米政府は規制強化を早める決定について、
自動車各社に詳細を説明し、こう口止めしていた。

連絡を受けたある日本メーカーの担当者は、
政府関係者にこう問いただした。
「自動車業界も州政府も考え方がばらばら。
規制強化は日本車を利するだけだと反対され、
決定を後で取り下げることはないでしょうね」
政府関係者は、「大統領を信じてほしい。これで行くことになるから、
安心して承諾のサインをしてほしい」

米国の新規制は、日欧の中長期規制に追いつくためのもの。
内容自体は日本車大手にとって、それほど厳しいものではない。

問題は大型車が多く、経営問題も抱えている米国勢の反対。
規制の内容やタイミングが定まらず、設備投資や研究開発に影響が出る。
ブッシュ政権は、米自動車大手の反対に遭って、
規制強化には消極姿勢に傾き、独自の規制を導入しようとした
カリフォルニア州に中止を求める大統領命令まで出した。

オバマ政権は、どこまで本気なのか?
日本勢の疑心暗鬼には理由もあった。

オバマ政権は、リーダーシップを発揮した。
キャロル・ブラウナー・エネルギー気候変動担当補佐官は、
大統領の意向に沿って、ビッグスリー(米自動車大手3社)のほか、
全米自動車労組(UAW)のゲトルフィンガー委員長、
ミシガン州知事などの規制反対勢力に根回しを展開、同意を得た。
2週間程度の短期決着。
「そこまで急ぐ理由は何だったんでしょうねえ」
ワシントン駐在の日本車メーカー関係者では最近、こんな会話が。

オバマ大統領が急いだ理由——。
関係者の多くが挙げるのは「GM問題」。

GMは現在、債権団やUAWと借入金や医療費・年金などの削減に向け、
交渉の真っただ中。
6月1日に設定された交渉の期限中には合意が困難とされ、
連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)に基づく法的整理を
申請する可能性が高まっている。

「環境政策は政権の根幹でもあり、破綻前に規制前倒しを決めないと、
導入のめどはもうなくなる。
米政府は、法的整理を前提に動き出した」

ビッグスリーには今回、政府からこんな打診もあったとされる。
「(破産法11条の下での)再建期間中は、CO2排出量の“前借り”などを
認めてもいい。弾力的に運用するから、規制に同意してほしい」

来月早々に向け、GM周辺ではどんな動きが進んでいるのか?
規制前倒しの1件からも慌ただしさは伝わってくる。

http://netplus.nikkei.co.jp/ssbiz/tanso/tan090522.html

2009年6月7日日曜日

検証 橋下改革(11)読者の声…「反復学習」高い関心

(読売 5月23日)

読者の反響では、強引な手法や反復学習の是非などに関心。

「全国学力テストの成績が下位にある現状では、
橋下徹・大阪府知事の立腹はうなずける」
千葉県成田市の無職、小倉茂さん(71)は、改革に理解。

川崎市の主婦は、「ある程度詰め込んでもらって、
やっと普通にやってこられた。以前の教育に感謝している」
反復学習などに賛成。
橋下知事が全国学力テストの結果にこだわることについて、
「点数も一つの結果。『点数化できないこともある』と、言い訳にしない」

保育士の専門学校に勤務する奈良市の辻井正さん(69)は、
「庶民感情から言って、橋下知事は大阪が待ち望んでいた正義の味方」
とする一方、「百ます計算」などの反復学習の推進には疑問。
「反復学習は、日本の伝統的な学習法なので、
簡単には批判はできないが……」と前置き、
「現場の教師たちは、子どもの思考回路が単一化して
文章題の意味を読む前に、数字合わせに必死になる」と懸念。

塾と連携して、土日や放課後などに学ぶ取り組みにも意見。
養護教諭だった堺市の女性(74)は、
「子どもたちは常に学びたい、わかりたいと思っている。
放課後や土日にも、大学生や塾講師らが教えることで、
救われる子どもが増えるはず」と賛成。

高槻市の主婦(50)は、「塾と連携するよりも、地元の学校の卒業生や
大学生など、地域の事情をわかっているボランティアを生かした方がいい」

携帯ゲーム機「ニンテンドーDS」の活用について、
堺市の60歳代の男性は、そろばんを教える「計算科」を
小学校に導入した兵庫県尼崎市を念頭に、
「勉強嫌いをなくす方法の一つとして、そろばんを取り入れれば、
計り知れない効果があると思う」と提案。

教師を目指す若者からも意見。
滋賀県野洲市の大学4年生、山本真美さん(21)は、
「反復学習などはいい方法。
知事の教育委員会に対する批判など、どなりつけるような言葉は良くない」
改革の進め方には否定的な見方。

中学校での補習のボランティアを通じて学校現場を見ている山本さんは、
「勉強が苦手な子も、補習の時間が取れればフォローできるが、
教師は保護者への対応や会議などで忙しい。
橋下改革は、教育人を育てる部分は感じにくい。
教師が、子どもたちとかかわれる時間が増えるような環境作りが大切」

共通する願いは、子どもたちのためになる改革だ。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20090523-OYT8T00185.htm

逆風の中で:第4部・冬季競技の模索/6 ジャンプ界の名門雪印

(毎日 5月24日)

雪印乳業史料館で、ノルディックスキー・ジャンプの
06年トリノ五輪代表、伊東大貴(23)、伊藤謙司郎(19)の入社会見。
2人は昨年末、所属していた土屋ホーム(札幌市)の
業績悪化による支援縮小を受け、同社を退社。
不況でスポンサー探しが難航、「就職活動」を続けながら
シーズンを過ごした。
一転して、1946年創部の名門チーム入りとなった伊東は、
「今季は不安で競技に集中できなかった。
精神的な強さを身につけたい」

五輪代表選手でも、所属先が決まらないほど経済状況は悪く、
雪印も余裕があったわけではない。
3月期のグループ決算は増収増益だったが、
これは値上げや大幅なコストダウンが要因。
今後も、厳しい経営環境が続く。

2人を採用した背景には、「有力選手の補強によるチーム強化」
だけでなく、「ジャンプ界を支えている」という使命感。

雪印スキー部副部長の武田泰夫総務部長は、
「スキー部の活動は、社会貢献の一環。
費用対効果は算出したことがない」
1925年、北海道製酪販売組合として誕生した雪印は、
冬季競技の発展と普及を目指してきた。
ジャンプを通じて、青少年育成や社会貢献に力を入れてきた歴史。

ジャンプ台を寄贈し、今はスキー部員らによる年2回の
ジャンプ少年団指導などに取り組んでいる。
58年から、協賛の「雪印杯全日本ジャンプ大会」がスタート。
中学生や高校生の部がある数少ない大会で、
ジャンパーの登竜門として知られる。

雪印は、00年に約1万5000人の発症者を出した
食中毒事件を起こし、会社が大きく傾いた。
アイスホッケー部や陸上部は廃部になったが、スキー部は存続。
02年、子会社の牛肉偽装事件が発覚した直後、
スキー部の複合部門が廃止、ジャンプに特化した部自体は残った。

高野瀬忠明社長は、「スキー部は継続していく」と断言。
72年札幌五輪銅メダルの故青地清二さんをはじめ、
98年長野五輪団体金メダルメンバーの原田雅彦さん(現コーチ)、
斎藤浩哉さん(現監督)、38歳で現役の岡部孝信らを輩出。
「会社がある限り持ち続ける」(武田総務部長)という
「スノーブランド」チームは、日本ジャンプ界に欠かせない存在。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/archive/news/2009/05/24/20090524ddm035050083000c.html

インタビュー・環境戦略を語る:新日本石油・西尾進路社長

(毎日 6月1日)

2度の石油ショックの経験から、
「脱石油社会」への転換を進めてきた日本。
エネルギーの石油依存度は4割以上あり、
石炭や水力、原子力を上回る最大のエネルギー源である。
地球温暖化問題に対する関心の高まりによって、
「脱石油」を求める声がますます強まる中、
石油元売り最大手のトップとして環境対策にどう取り組むのか。
西尾進路社長に聞いた。

--石油依存の社会からの転換が叫ばれている。

◆海外の資源に頼る日本は、石油はもちろん、石炭、LNG、原子力と、
何かひとつだけに頼るわけにはいかない。
石油依存度を2030年に4割以下にする国の長期目標、
30%以上は石油に頼らないといけない。
3つのE(環境=Environment、経済性=Economy、
効率性=Efficiency)を、うまくミックスしていかなければいけない。

--家庭用燃料電池「エネファーム」や太陽電池といった
新エネ関連事業を強化。

◆燃料電池は、技術的にブレークスルーが起きれば究極のエネルギーに。
当社は実証段階で、日本全体の4割に当たる1368台のエネファームを
設置しているトップランナー。
コストが高いのが難点だが、15年には50万円で売れるようにして
採算に乗せたい。
太陽電池は、三洋電機の「HIT」の販売を4月から始めた。
三洋とは、薄膜太陽電池でも共同出資会社を作って販路を調査。
有機系太陽電池の研究も、東京大学先端科学技術研究センターと提携。

--昨年6月発足の「わが家で創エネ」プロジェクトとは?

HEMS(ホームエネルギーマネジメントシステム)を使った、
究極的にCO2の排出をゼロにしようという計画。
お父さんは風呂、お母さんは炊事に使う場合など、
その時々に応じて太陽光発電がいいか、
太陽光と燃料電池を併せた発電がいいか、最適方法を判断するシステム。
横浜に創エネハウスを作り、社員を住ませて実験中だが、
見学者をさばききれないほどの人気。

--ガソリン代替燃料としてバイオ燃料が注目。

◆日本では大量生産できないので、ブラジルから船で
CO2をまき散らしながら持ってくる。
サトウキビをトラクターで刈り、工場にトラックで運び、
工場でもCO2を排出する。
温暖化問題上とんでもない話。
世界で10億人が飢餓に苦しむ中、
食糧をエネルギーに変えていいのかという問題。
食糧と競合しないセルロース系のバイオエタノールの研究を、
トヨタ自動車や三菱重工など5社とともに進めている。
==============
◇にしお・しんじ

慶応大経済学部卒。64年、日本石油(現新日本石油)入社。
95年取締役経理部長、00年常務、02年副社長を経て、
05年6月から社長。東京都出身。68歳。

http://mainichi.jp/select/science/archive/news/2009/06/01/20090601ddm008020018000c.html

外反母趾:幼児にも 大きな靴をはかせない 裸足になる環境を

(毎日 5月31日)

外反母趾など、大人の女性に多いと思われがちな足のトラブルが、
幼児や児童にもある。

足にあった靴をはいていないことや、
足の筋肉が鍛えられていないことが原因。
どう防いだらよいのだろう。

医師や靴の専門家でつくるNPOオーソティックスソサエティーとミズノが、
04年に千葉県船橋市の幼稚園児約200人の足を調べた。
ほぼ全員にあたる193人で、指に何らかの変形がみられた。

変形が最も多かったのは、小指で全体の7割以上、
薬指でも半数以上で変形があった。
外反母趾も約3%。

同じ園の05年調査では、指が地面につかない「浮き指」が、
約半数の子どもにみられた。
変形の多かった小指では7割以上が、薬指でも3割近くが浮き指。

幼児の足は軟骨が多く、外部からの影響を受けやすい。
大人は、足の甲の辺りに七つの骨があるが、
幼児期は数が少なく、全部そろうのは10歳ごろ。

同NPO理事長で整形外科医の内田俊彦さんは、
「幼児期に合わない靴をはき続けると、指が変形する。
靴のような覆いのない手の指は曲がらない」

曲がった指では踏ん張って立つことができず、バランスの悪い姿勢に。
肩こりや腰痛の原因になり、内臓などにも悪影響が及ぶ。
幼児の曲がった指は、大人の外反母趾のような痛みはないが、
放置すると本格的な「トラブル足」になる。

ではどう防ぐか?
大事なのは、サイズの合わない大きな靴を履かせない、
3、4カ月に1度は靴が適しているかチェックする、
家の中では裸足で過ごす。
足指じゃんけんなど、遊びながら指を開いたり閉じたりする運動も
指の変形防止に役立つ。

世田谷区立給田小学校(土橋稔校長、児童数820人)では、
1980年から裸足の外遊びを奨励。
校舎改築に伴い05年に休止したが、今年春に再開。
校庭近くなどに足洗い場を設け、60個以上の蛇口を付けた。
休み時間には、素足の子どもたちが校庭で、
大縄跳びやドッジボールなどを楽しむ。

甲府市のしらゆり幼稚園(数野朱美園長、園児数130人)は、
4月最終週から11月上旬まで裸足で通す。
数野三郎理事長は、「土踏まずがきちんと形成されるので、
直立姿勢のバランスが良く、長時間立っていられる」

玉川大学の野田雄二教授(運動学)は、
「裸足は、すべての指で体を支えるので小さな筋肉が鍛えられ、
下半身が安定する」
==============
◆子どもの靴の選び方

・足長(足の長さ)、足囲(甲まわり)、足幅をメジャーで測る。
・中敷きが取り出せ、ひもや面ファスナーのベルトで足幅が調節できる靴。
・中敷きに足を乗せ、つま先に5ミリ程度のゆとりを確認し、履かせる。
 子どもの足は、半年で5ミリ程度の成長なので、大き過ぎる靴を選ばない。
・「きつく」ても、サイズを大きくするのではなく、足幅が広いものに。
 サイズが合う靴は、心地よい締め付け感がある。
 締め付け感がないのは、サイズが大き過ぎる。

◆外反母趾の見つけ方と対処法

・紙に垂直に足を乗せる。
 ボールペンから芯の部分を取り出し、それを使って形をとる。
・足形の親指の付け根からまっすぐ線を伸ばし、内側に入っている
 親指部分との角度を測り、15度以上なら外反母趾。
・親指の付け根辺りから、足幅を締めるよう収縮性のある包帯を巻く。
 子どもの足は少しずつ修正されることも。

http://mainichi.jp/select/science/archive/news/2009/05/31/20090531ddm013100050000c.html

ポスドク:加速する頭脳流出 若手研究者、職なく41%が海外へ

(毎日 5月30日)

10年間に、ポスドクが就職するまでの期間が平均6・4年と
倍近くに増え、職が見つからない若手研究者の海外流出が
加速していることが、大阪府立大の浅野雅子准教授(素粒子論)の
調査で分かった。

国が常勤職を確保しないままポスドクを増やした計画が背景に。
素粒子論分野のみの調査だが、
海外在住の研究者を含めてほぼ全数を調査した例は珍しく、
他分野でも同様の傾向。
日本の将来の科学技術発展への影響が懸念。

素粒子論研究者で作る学術団体(素粒子論サブグループ)の
98~08年度までの名簿を基に調べた。
全体の人数は700人前後で推移しているが、
ポスドクの人数は107人から193人と1・8倍に増え、
博士課程に進学する人は85人から47人に減った。

博士号取得後、ポスドクを続けている期間は98年度の平均3・4年から
08年度の平均6・4年と増加。
海外流出したポスドクは、98年度の3%弱から04年度28%、
08年度41%と急増。

03年以前の同団体の会員制度は、現在と異なるために
単純な比較はできないが、ポスドクが海外に職を求め、
昨年秋のノーベル物理学賞受賞者の南部陽一郎さんが
米国籍だったことで話題になった頭脳流出が年々増えている傾向。
特に、台湾や韓国など東アジアへの流出が目立つ。

浅野准教授は、「若者が就職難を心配し、博士課程に進んで
研究を続けなくなっている。
このままでは、日本の基礎科学は先細りしかねない」と危機感。
==============
◇ポスドク

ポストドクターの略。博士号取得後、常勤の職についていない研究者を指し、
多くは3~5年の任期付き研究員として働く。
政府は、第1期科学技術基本計画(96~00年度)の中で、
「ポストドクター等1万人支援計画」を実施。
現在1万6000人を超すが、
大学や研究所などの常勤の研究職は増えていない。

http://mainichi.jp/select/science/archive/news/2009/05/30/20090530dde001040011000c.html