2009年6月11日木曜日

特集:後藤新平の真髄 01 旅立ちの明治4年

(岩手日日 2009年4月2日)

明治4年、廃藩置県が実施された年。
戊辰の役が終わり、新時代が始まる。
戊辰の役では、仙台藩も幕府側につき、賊軍になった。
盛岡藩も同様であった。

水沢藩は、仙台藩の支藩で城主は留守氏である。
仙台藩とともに朝敵に回った。
水沢藩は、胆沢県となり水沢城に県庁が置かれた。

胆沢県権知事武田亀三郎一行が、水沢に乗り込んだのは明治2年。
一行がやってくる様子は、すべて大名の格式だった。
水沢城は、それまで藩主の居館。
その建物に新しく武田権知事が住み、
他の役人は周囲に建てられた官舎で暮らした。

県庁の役人は、すべて薩長派系ばかり。
“水沢弁”が理解できないため、地元の少年4、5人を給仕として採用。
そのうちの一人に、後藤新平がいた。
斎藤富五郎(のちの実)も一緒。

斎藤実は総理大臣、海軍大将、子爵となったが、
昭和に入って「二・二六事件」の犠牲者。
新平は、斎藤実の1歳上で、子供のころは気力、体力も斎藤を圧倒し、
いじめてばかりいた。

胆沢県庁の給仕は、役人の末端に連なっているので、
廃刀令(明治9年公布)前は刀を差すことを許された。
彼等は、大勢の中から選ばれた秀才、刀を差すことは威厳を持たせ、
喜びにわくわくしながら刀を差して歩き回った。

◆運命的な出会い

後藤新平が担当させられたのは、安場保和大参事。
安場保和は、快活で物にこだわらぬ性格。
開国論で知られる横井小楠の塾で学んだことがあって、
高野長英を尊敬していた。

後藤新平の大伯父が長英であり、安場保和の給仕になったことに
新平は親しみをもった。
安場保和-横井小楠-高野長英という流れを通じて、
胆沢県庁給仕役目に新平は縁を思った。
安場保和は、新平に向かって「高野長英の子孫なら、大いに勉強して、
お国の役に立つ人物になってほしい」

明治維新後、四民平等の時代になり、藩政時代のような身分制度が
なくなったことの意義を、新平は安場保和から身近に教えられた。
安場保和の家庭は、女ばかりの家族。
母・久子は当時63歳。
大久保利通が訪ねてきた時、保和は留守で、久子と話し込んで、
「ただならぬ女性とお見受けした」と語った。
岩倉具視公も安場家を訪れると、まず久子に敬意を表した。

大久保利通、岩倉具視は、のちに安場保和に関係してくる。
久子が安場へ嫁ぐにあたって、縁談が二つあった。
一つは、近在の大金持ちの庄屋の息子、もう一つは安場源右衛門。
彼女は、貧乏でも侍の方がいいと、
安場源右衛門(保和の父)のところへやってきた。

◆朝敵呼ばわりに激高

後藤新平が上京したのは、明治4年2月。
8月、新渡戸稲造が東京に向かい、原敬が上京したのは12月。
明治4年は、維新後の日本を背負う先人が旅立った年。
日本の国造りのために大奮闘。

明治3年、後藤新平の恩人安場保和が熊本県大参事試補を
命ぜられ、転出。
嘉悦と安場は、横井小楠塾で兄弟同様に勉強していた仲間。

嘉悦氏房は、横井小楠塾で農業を学び、水沢に来てからは
特に農事改良に力を尽くした。
育英にも関心を持っていた。
明治の女子教育の先覚者・嘉悦孝子はその娘。

後藤新平は、安場、嘉悦の2人に目をかけられ、功名心を燃やし、
東京へ出て出世の機会をつかみたいと志していた頃の明治4年2月、
嘉悦氏房大参事が上京することに。
後藤新平は、この時とばかりに嘉悦に随行を申し出た。
新平15歳。

嘉悦氏房は、友人太政官小吏荘村省三の玄関番に新平を斡旋。
荘村は、安場保和のように新平の才能を評価しなかった。
安場保和が、岩倉具視(右大臣・公家)を特命全権大使とする
欧米視察団の派遣一行に随員として加わり、
東京へ出てきたものの新平は安場から離れることに。

荘村省三は、嘉悦氏房と同郷の肥後藩士で維新の時、
西郷隆盛、大隈重信の下で働いた功で、今の地位に就いた。
荘村家に住み込むことが出世の第一段階にみえた。

しかし、荘村家の玄関番になって体験したのは、拭き掃除、水汲み、
炊事、来客の使い走り、雑多な用事を立て続けにさせられ、
新平は読書する時間など持てなかった。
荘村家の女中の分担だった仕事が、新平の方へ回ってきた。
女中の補充もなく、荘村家にいても先の見込みがないように思えてくる。

荘村省三が、客人に新平を紹介するに当たり、
「この書生は、奥州の山奥から出てきた者で、
東京は人殺しの多いところだと驚いている。
こいつは奥羽の朝敵の子ですから…」
と話した途端、
「朝敵の子とは何事か、東北人はいつまでもその負い目を
背負って歩まねばならぬのか-」と憤慨。

「先生(荘村)はただ今、朝敵という言葉を使いましたが、
不謹慎ではございませんか。
お客様の前で、人を朝敵呼ばわりされることこそ無礼だろうと思います」
新平は、朝敵論争をきっかけに故郷へ戻る覚悟をした。

http://www.iwanichi.co.jp/feature/gotou/item_11483.html

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