2011年7月9日土曜日

子どもに栄養ドリンクはダメ、スポーツ飲料も不要 米研究

(CNN 5月31日)

栄養ドリンクは、10代までの子どもにふさわしい飲料ではなく、
スポーツ飲料も、ほとんどの子どもにとっては必要ない、
とする研究報告を米国の専門家が米小児科学会誌に発表。

報告は、同学会に所属する栄養学やスポーツ医学の研究者がまとめた。
栄養ドリンクは、集中力や精神力を高めるなどの効果をうたい、
大量のカフェインやガラナ、朝鮮人参、タウリンなどの
滋養強壮成分が配合。

こうした飲料を子どもが飲むことには危険が伴う、と研究チームは解説。
栄養ドリンクと心拍数や血圧の上昇、睡眠障害、
不安神経症との関係を指摘。

栄養学専門家のマーシー・シュナイダー氏は、
「多くの場合、ラベルを見ただけではどのくらいのカフェインが
入っているのか分からない」、
「エネルギードリンクの中には、ソーダ14缶分に匹敵する500mg以上の
カフェインが含まれているものも」と警告。

運動で失われる水分や電解質の補給をうたって、
炭水化物やビタミンなどを配合したスポーツ飲料については、
激しい運動や長期に及ぶ練習をする若者の場合は効果的な場合も。

そうでなければ、ビタミンやミネラルはバランスの取れた食生活を通じて
摂取すべきだと指摘、「定期的に運動しているほとんどの子どもにとって、
普通の水が一番よい」(スポーツ医学専門家のホリー・ベンジャミン氏)。

スポーツ飲料には、子どもには不要な余分なカロリーが含まれ、
肥満や虫歯の原因になりかねない。
「運動後には水を飲み、食事の時には推奨摂取量のジュースや
低脂肪牛乳を飲んだ方がいい」

http://www.cnn.co.jp/fringe/30002918.html

1日1時間の運動実施は15%、米国の男女高校生調査

(CNN 6月19日)

米疾病対策センター(CDC)は、米国の男女高校生のスポーツ活動に
関する報告書をまとめ、1日1時間のエアロビクス運動を
実行しているのは、15%に過ぎなかった。

男女別の比率を見ると、女子は8%を少し超えるだけで、男子は22%。
学年が上がれば、運動を行う比率は下がっている。

健康衛生当局の勧告に従い、1週間に少なくとも3度、腕立て伏せや
ウエートリフティングなどの筋肉増強運動を行っているのは51%。

男女高校生のドリンク摂取調査も合わせて実施、
水、牛乳や100%果汁が最も人気を集めたが、
大多数が健康ドリンクの代替飲料として、ソーダや砂糖成分が入った
飲み物を選んでいる。

約4分の1が、1日少なくとも1個のソーダを摂取。
63%が、1日当たり少なくとも1個のソーダ、「ゲータレード」のような
スポーツドリンクや砂糖が入ったドリンクを飲み、
33%がそれぞれ2個以上を消費。

CDCは、運動量が少ないにもかかわらず、ソーダや砂糖が入ったドリンクを
過度に摂取するのは、体重増加や糖尿病発病の恐れにつながると警告。
砂糖が入ったドリンクは、自宅で飲むことが大多数なことから、
両親に対し、水などの健康ドリンクに変えるよう指導。

運動不足は後々の人生で、心臓疾病や高血圧など多数の健康障害を
招く原因にもなると注意。

今回調査は2010年、全米の高校生1万1429人を対象に
アンケート調査を配って実施。

http://www.cnn.co.jp/fringe/30003118.html

ぜんそくの秘薬は小魚 印南部に伝来、効能は?

(2011年6月27日 共同通信社)

インド南部ハイデラバードに、ぜんそくを治すという、
生きた小魚を使った"秘薬"が、160年以上前から伝わっている。

ヒンズー教の聖人が処方箋を授けたとされ、今月7日から年に一度の
無料配布が始まり、会場には患者ら数千人が押し寄せた。
医師らは、「非科学的」と効能を疑問視するが、
実際に治ったという人からは「魔法の薬」と尊ばれている。

秘薬を代々受け継いでいるのは、
ヤシの樹液から酒をつくっているバティニ・ゴウド家。

164年前、先祖が聖人から、小魚に井戸水を使った黄色の液体を
口から注入し、生きたままのみ込むという"調薬"を教わった。
その際、液体の成分を決して他言せず、
秘薬は無料で患者に配るよう約束。

患者が、薬として丸ごとのみ込むイワシなどは2~3cm。
医師らは、「薬が効く、というのは思い込みにすぎない」と酷評、
人権団体も、「子供に無理やりのますべきではない」と厳しい。

8歳からぜんそくに悩まされていた元銀行員D・シブムルティさん(60)は、
2年前にこの薬で完治したと主張。
「自分の家族にも、予防のために服用するよう勧めた」

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/6/27/138545/

2011年7月8日金曜日

スポーツを考える:佐伯年詩雄・筑波大名誉教授(スポーツ社会学)

(毎日 7月2日)

スポーツ基本法が成立した。
私は、超党派のスポーツ議員連盟のアドバイザリーボードを務め、
衆院の文部科学委員会でも意見陳述をしてきた。

基本法ができたことは喜ぶべきだが、
この法律は多くの「宿題」を抱えている。

衆院の委員会では、スポーツは自発的な運動の楽しみを基調とする
自己目的的な文化であり、その文化的特性が十分に尊重されるとき、
さまざまな公益性が期待されるものであることを述べてきた。

法律の中では、前文の2段落目に
「スポーツは、心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進……
のために行われる」と定義。

これは、50年前のスポーツ振興法の体育的定義とまったく変わらない
「スポーツ手段論」であり、1行目の「スポーツは、
世界共通の人類の文化である」という言葉に矛盾。

私が求めているのは、もう一度、「スポーツとは何か」を
考えてほしいということだ。
国会議員やスポーツ関係者だけでなく、国民すべてに対して。

振興法は、スポーツ関係者だけに関係していたが、
基本法になると、すべての人にかかわる問題。
スポーツ大嫌いという人の意見も、取り入れなければならない。
そうでないと、これまでと同じように「たかがスポーツ」になってしまう。

とりあえず、スポーツ基本法を読んでもらいたい。
サッカー愛好者ならサッカー基本法、野球関係者ならば野球基本法と
置き換えてみてはどうか。
その中で、この条文はそぐわないとか、もっと議論してみるべきでは、
という問題点や評価すべき点が見えてくるはず。

このたびのスポーツ基本法の成立に至っては、
国民的な関心を持たれないまま、「こっそりと」であった。
これには、メディアの責任も大きい。

成立した日のテレビのスポーツニュースでは、
大リーグのことは伝えても、基本法についてはまったく触れなかった。
新聞も、「スポーツの権利」が入ったことに万々歳していて、
「自由な」身体活動の権利としての「スポーツ権」ということを
追求しなかった。

世界標準のスポーツのとらえ方、考え方から見ると、
スポーツ思想に関しては、日本は後進国。

その問題点を見つけられなかったがために、全く論議にならなかった。
法律は、できてしまえば終わりではない。
次は、スポーツ庁の設置へと向かうだろうから、
そこで改正することもできる。

日本には、週に1回以上スポーツをする人が、
4000万~5000万人いると言われている。
基本法は、そのすべての人たちにかかわってくる。

これから法律をどのように動かすか、
よりいいものにするためにどうするかが、
5、6年かけた私たちの宿題と思う。
==============
◇さえき・としお

1942年生まれ。東京教育大大学院修了。
企業とスポーツのかかわり方などを研究。
著書に「現代企業スポーツ論」など。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/07/02/20110702dde007070038000c.html

養護教諭(6)岡山大大学院 高橋香代教授に聞く

(読売 5月5日)

今回の連載では、子どもたちの課題が多様化する中で注目される
全国各地の養護教諭の実践を報告。

教育現場における養護教諭の役割や可能性について、
養護教諭の資質能力の向上について研究している
日本養護教諭養成大学協議会の高橋香代会長
(岡山大学大学院教育学研究科教授)に話を聞いた。

――養護教諭を取り巻く環境をどう見るか?

「以前は、病気やけがの処置が仕事の中心だったが、
悩みや不安を抱えている子どもに対応する割合が大きくなってきた。
アレルギーや感染症、いじめや発達障害など子どもの健康課題が多様化し、
家庭の問題を抱えた子どもは増えている。
理由なく、ふらっと保健室に来る子の数も増え、養護教諭の役割は重要」

――仕事の意味は何か?

養護教諭は、学校保健を推進する中核的な存在。
保健室で個別に対応するので、子どもの体や心の状態に気付きやすい立場。
『おなかが痛い』と訴え、保健室に来た子がいれば、
養護教諭は、病院で診てもらう必要があるかどうかを確認。
食事や睡眠などの様子を聞きながら、生活指導することもあれば、
ふと漏らした友だちや家庭の問題に気付くことも」

「東日本大震災直後、被災地の養護教諭から、
『今は皆、空腹感や寒さから逃れるのに精いっぱいだが、
落ち着いた時に心や体への傷が見えてくる。
傷の深さは計り知れないが、子どもたちをサポートするのが
養護教諭の役目』とメールが来た。
養護教諭はどんな状況でも、子どもたちの保健管理や心のケアに
見通しを持って取り組んでいる

――働く環境はどうか?

「子どもたちの心と体の健康を守り育てるのは、学校教育の基盤。
健康課題が多様化・複雑化し、虐待やいじめ、リストカットなど
命にかかわる場合も。
養護教諭には、専門性の向上が求められるが、研修は十分とはいえない。
自治体は個人の努力任せにせず、もっと全体の底上げを図るべき。
子どもに対応する十分な時間の確保も必要」

――複数配置についてどう考えるか?

「1人配置の場合、子どもの対応に十分な時間を割けないことが多く、
教科担当の教員のように、校内に相談相手もいない。
2人以上配置すれば、子ども一人一人に時間をかけて対応でき、
養護教諭の数だけ、多面的に子どもたちを見ることもできる。
互いに相談し合ったり、学び合うことで、実践力の向上にもつながるので、
全国規模でもっと増員するべきだ」

◇たかはし・かよ

専門は学校保健医科学。岡山大学医学部を卒業。
同大教育学部長などを経て、現在は同大大学院教育学研究科教授。63歳。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110505-OYT8T00190.htm

1万4千人が受診・相談 精神科医らの「心のケア」

(2011年6月27日 共同通信社)

東日本大震災で被害の大きかった岩手、宮城両県で、
精神科医らによる「心のケアチーム」の相談支援や診察を受けた
被災者が、少なくとも延べ1万4111人に。

津波で家族や家、職を失い、不眠や不安、いら立ちを訴えた人が
多数を占め、被災者の精神的サポートの必要性があらためて浮き彫り。

避難生活の長期化で、心のバランスを崩す人が出る一方、
仮設住宅入居で孤独感を抱く人も。
専門医らの対応には限界があり、被災地で治療に当たっている
心療内科医は、「今後は、精神面を支える地域のつながり、
周囲の支援が大切になる

心のケアチームは、精神科医や看護師、精神保健福祉士らが
数人単位で組織し、厚生労働省に登録。
被災地の要請に基づき、これまでに54チームが派遣、
避難所や被災住宅を巡回、心身に不調を来した住民の相談を受け、診察。
被災した自治体で、独自に組織されたケアチームも巡回。

宮城県精神保健福祉センターによると、政令市の仙台市を除く
県内では、3月17日から活動を開始。
中心市街地が壊滅的な被害を受けた気仙沼市や南三陸町を
抱えていることもあり、支援をした被災者は5月27日現在で延べ8318人。

最も多かった症状は「不眠・睡眠障害」で、1891人。
「不安・恐怖」954人、「イライラ」を訴えた被災者も369人。
「抑うつ気分」278人、「無気力」126人と多かった。
「食欲不振」、「アルコール問題」の相談も数多く寄せられた。

沿岸部の被害が大きかった仙台市では、3月14日からケアチームが
活動を始め、6月11日までに診察などをした被災者は延べ2310人。
岩手県は、3月18日~4月30日に、延べ3483人、
5月以降の数字は集計中のため、人数はさらに膨らむ見通し。

福島県でもこれまでに11チームが入っているが、
担当者は「まだ活動実績がまとまっていない」

※心のケアチーム

地震や津波などの被災地で、災害のストレスによって心身に不調を来した
住民や、受診先がなくなった精神障害患者への対応をする医療チーム。
精神科医や看護師、保健師、精神保健福祉士などの専門家が、
数人単位で避難所や被災住宅、在宅患者を巡回。
継続的な診療を要する場合、地域の医療機関を紹介し、
必要な時には投薬も行う。
東日本大震災では、厚生労働省が災害対策基本法に基づき54チーム、
計2450人を岩手、宮城、福島3県に派遣。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/6/27/138481/

2011年7月7日木曜日

養護教諭(5)悩みのサイン捉える

(読売 5月4日)

保健室のベランダで、1人の男子生徒が弁当を食べ始めた。
毎日ここで食べているという。

全日制と定時制(3部制)の生徒835人が通う
千葉県立生浜高校の昼休み。
保健室に次々やって来る生徒たちは、体の不調を訴えるわけではないが、
鵜沢京子・養護教諭(46)は、すぐには追い返さない。
「保健室の来室は、生徒のSOSサインの一つ」と考えているから。

不登校気味だった女子生徒が、ふらっと保健室を訪れたことが。
「久しぶりだね」と迎え入れて、会話を交わすうち、
交際相手の家に外泊を続けていることが分かった。
すぐにはとがめず、なぜ自宅に帰らないのかを尋ねると、
最初は言葉を濁していたが、「父親が怖い」と口を開き、
やがて、父親から暴力を受けていたことを打ち明けた。
校長に話し、児童相談所に虐待として通報。

身長を測りに度々訪れていた男子生徒は、
「親が帰って来ない。
たまに冷蔵庫にスーパーの総菜が入っているけど、
何もなくて食べずに寝ることもある」と漏らした。
鵜沢教諭は、「食材を買って、ご飯を作ってみようよ」と元気付け、
簡単なレシピを教えた。

同校のキャッチフレーズは、「やり直しのきく学校」。
中学時代、いじめや不登校を経験した生徒や、
複雑な家庭環境で育った生徒もいるが、
教職員の励ましと本人の頑張りで、有名企業への就職や
大学進学も果たしている。
「その陰に、本校の要ともいえる保健室の存在がある」と
関晶子副校長(54)。

同高の保健室には2010年度、延べ7219人の生徒が来室。
うち半数以上の4145人は、体調不良を訴えず、
「なんとなく来室」した生徒たち。

千葉大学教育学部養護教諭養成課程の岡田加奈子教授(50)は、
「生徒たちが、明確な理由なく保健室に来る状況は全国的に見られる。
家庭事情や友達関係に悩む生徒は少なくなく、
保健室に助けや居場所を求めている」

生徒たちの悩みに気付くのは簡単ではない。
ある生徒は、親が生活費を渡さずに家を空け、
1人で数か月間暮らしていた。
教材費などの支払いが滞り、心配した教員が生徒の自宅を訪ねて
事態が発覚した。
生徒は休まず登校し、まじめな態度で授業に参加。
保健室では、親に食事を作ってもらったことなどを
明るく話していたといい、生徒の真意を見抜けなかった。

子どもたちは、そう簡単には悩みを話さない。
だから、少しの変化にも気づけるようアンテナを張り、
理解して受け止めるよ、というサインも送り続けなければならない」

生徒たちを包み込み、耳を傾ける。
養護教諭の支援は、悩みの発見から始まる。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110504-OYT8T00116.htm

「8020運動」は幼児期から=山根源之 口福学入門/2

(2011年6月27日 毎日新聞社)

病気になってから診療所や病院に行く、というのが従来の考え方。
病気にかからない努力も、かなり前から進められている。
不老不死は無理としても、アンチエージング(抗加齢)についての
話題には事欠きません。

年をとると視力が低下し、耳が遠くなり、歯が抜け落ちるのは
当然と思われていた。

現在では、歯が抜け落ちることは老化現象から
仲間外れになりつつある。

89年に始まった80歳で20本の歯を残そう、とする
「8020(ハチマルニマル)運動」は、大きな成果を上げている。
達成者は、全国平均(05年度歯科疾患実態調査)では20%を優に超え、
調査年の本年ではかなり高い値が期待。

老年期に近づいてから、口腔に関心を持っても間に合わないことが。
私たちは、病院の母親学級に歯科の立場で積極的に参加。
妊婦に対して、妊娠中の歯と口腔衛生の重要性を説明し、
誕生後の赤ちゃんのための実習も。

一昔前は、妊娠すると歯がだめになり、1人出産するごとに
歯を1本失うといわれた。
現在は、出産数が少ないので目立たないだけなのか?
そうではない。
つわりの時、刺激の強い歯磨剤を使うと、
気持ち悪くなって磨けない人が多く出て、口腔内が不潔になる。
そういう方には、小さな歯ブラシに水だけつけて、
体調の良いときに磨くことをお勧め。

赤ちゃんには歯が生える前から、授乳後に口の周りをふきながら
口の中も指で触り、慣れさせると、乳歯が出た後も歯磨きを嫌がらない。
少し大きくなれば、親の歯磨きを見て、子どもたちが毎食後磨くようになる。

幼児期の親の愛情は、子どもにとって一生の宝。
子どもの口腔衛生状態を気にかけないことは、ネグレクトの一つで、
多数の虫歯や重症の歯肉炎が見られることがあり、
口の中を診ると、児童虐待の有無が想像できる。

親の管理下にある12歳の永久歯の平均虫歯数は、1・4本。
親の思いが子どもの心に残り、多くの人は口腔のケアが習慣になり、
一生を通じて歯を残すことにつながる。

◆やまね・げんゆき=東京歯科大名誉教授

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/6/27/138520/

大船渡魚市場、震災後初待望の水揚げ、活気あふれ 銀ザケ主体に25トン

(東海新報 7月2日)

大船渡魚市場に1日、銀ザケを主体に約25㌧の水揚げ。
まとまった量の水揚げは、東日本大震災後初めて、
関係者らも「待ってました」と言わんばかりに笑顔。

場内には市職員や仲買人、漁協関係者が訪れ、
魚市場の記念すべき再スタートを祝っていた。

吉浜漁協所属の第十八吉浜丸(17㌧)が、吉浜の沖合約350㍍にある
横沼漁場で漁獲した銀ザケなど、約14㌧を水揚げ。
陸送で、約11㌧が運ばれてきた。

同魚市場には、午前8時ごろ吉浜丸が着岸。
タンクから銀ザケが網で水揚げされると、場内の仲買人や市職員、
漁協関係者らが一斉に詰めかけ、銀色に輝く魚体に見入っていた。

東邦博漁労長は、「漁師を30年以上やっているが、本当にうれしい。
沖から来る時、大船渡湾を見てきたが、涙がでた。
船の新人8人も頑張ってくれた」と、満面の笑み。

水揚げされた銀ザケは、ベルトコンベヤーで運ばれ、
市場職員らの手で計量。
鮮度保持タンクの中で氷漬けにされ、仲買人らが真剣な目つきで魚体を吟味。

入札の結果、水揚げされた銀ザケには㌔339円から331円の値。
同魚市場の千葉隆美専務は、「再開に向け、いいスタートが切れた。
多くの関係者のご支援と努力で、ようやくここまでこぎ着けることができた。
これから一歩ずつ、乗り越えていきたい」と感謝。

吉浜漁協の庄司尚男組合長は、
「定置の水揚げを見て感無量。
この日の水揚げを復興の第一歩として、一日も早く漁業生産が
軌道に乗れるように取り組みたい」と気を引き締めていた。

http://www.tohkaishimpo.com/

2011年7月6日水曜日

震災後ストレス対策、これからが正念場

(日経ヘルス 2011年6月17日)

東日本大震災の発生から3カ月が経過し、被災地も少しずつ
落ち着きを取り戻しつつある。
大正大学准教授で、海上保安庁惨事ストレス対策アドバイザーを務める
廣川進氏は、「被災者や救援活動に当たった人たちの自殺が、
これから増える可能性が高い」と危惧。

被災地に出向き、海保職員のストレスチェックやカウンセリングに
携わった廣川氏に、今後のメンタルヘルス対策について聞いた。

――そろそろ、被災者の気持ちも落ち着くのでは?

廣川:地震・津波のような災害や事故現場で、悲惨な光景を目撃したり、
自分の職責を果たせなかったと思うことから生じるストレスを、
「惨事ストレス」と言う。
不眠や悪夢、頭痛や血圧の上昇といった身体の反応、
恐怖感・不安感などが表れる。
1カ月程度で元の状態に戻れば、一過性の正常な反応として、
あまり気にする必要はない。

――1カ月以上続く場合は?

廣川:PTSD(心的外傷後ストレス障害)となった可能性があり、治療が必要。
被災者であれば、自分が生き残ったことへの罪悪感から、
救助活動に従事した人の場合は無力感などから、
いずれも自責の念を抱き、自殺のリスクが高まる。
PTSDとうつ病は、近い関係にある。
飲酒で気を紛らわせようとしたり、仮設住宅へ移って
一人暮らしになったりすればなおさら。

――今のところ、被災地で自殺者が増えたという話は聞かない。

廣川:大災害の直後には、自殺者は増えない。
半年後ぐらいから増え、この冬は要注意。
東北の人はがまん強いとか、不平不満を口にしないとか言われるが、
これはストレスを発散できないということ。
今回の惨事ストレスは強烈で、危険性はなおさら。
大都市部に比べ、精神科医の敷居は高いし、方言が通じない人には
自分の気持ちを話したくないと思うから、
適切な治療を受けにくいという側面も。

――今後、復興が順調に進めば、自殺者増加のリスクは少なくなるのでは?

廣川:そうはいえない。
復興の過程において、被災者の間で格差がつく。
就職が決まり、家を建て直す人が出る一方、
収入もなく、避難所暮らしを続けざるを得ない人もいる。
後者は、「置き去りにされた」、「世間から忘れられた」という
ネガティブな感情を抱き、自殺に追い込まれかねない。

――救援のために働いた人のメンタルヘルスも心配。

廣川:私も、被災地に派遣された自衛隊員、地元の消防団員、
自治体職員らの心理状態を心配。
特に地元の救援者は、悲惨な現場を目にしているのに加え、
自宅が津波で流されたり家族が被災するなど、
二重に惨事ストレスを被っている。
PTSDの発症率は5~10%、10万人以上派遣された自衛隊員から
何人PTSD発症者が出るかを考えると暗然。
これまで遺体を見た経験も多くはない。

――こうした人たちに、どのような対策が必要か?

廣川:ストレスが高い状態で長時間働き続けると、
脳や心臓の疾患で過労死する危険性が高まる。
被災地の会社員や公務員に、過労死が出始めた。
それを防ぐには、体全体のチェックが大切。
会社などが実施する健康診断をきちんと受診し、
「要注意」の項目があったら、日頃は放置している人も、
今回だけは精密検査を受けること。
会社側も、3月以降の延べ労働時間を把握したり、
3、4月の勤務時間がどうだったかを確認したりして、
実態を踏まえた綿密な労働時間管理をし、
必要に応じてまとまった休暇を取らせるべき。

――部下の心の不調を見抜くポイントは?

廣川:管理職の人は、「口数が少なくなった」、「昼間ぼんやりしている」
といった変化が、部下に表れていないか気に留めてほしい。
就寝時間や起床時間を尋ねてみるのもいい。
食事がきちんと取れているかどうかも、重要なバロメーター。
量だけでなく、おいしく感じたかどうかが肝心。
自分を責めるような言葉を口にしないか、気をつけてください。

――新聞やテレビで震災を“目撃”した人たちは大丈夫か?

廣川:阪神大震災は、発生したのが冬の早朝で辺りがまだ暗く、
大半が建物の倒壊による圧死や窒息死。
東日本大震災は昼間に発生し、津波が繰り返し襲ってくる様子が
鮮明な画像で日本全国に流れた。
被災者でなくても、ナイーブな人は影響を受け、
体が揺れる感じがしたり、不安な気持ちになったり。
こうした人は、ゆっくり休息する、好きなことを思い切り楽しむなど、
自分なりの気分転換をしてみよう。
自分の部下にこういう人がいたら、管理職はそのような症状が出ても
不思議はないと話し、安心感を与えるように。
症状が2週間以上続くようだったら、かかりつけの医師を受診するよう
勧めていただきたい。

――東日本大震災による惨事ストレスの影響は、いつごろまで続くか?

廣川:発生から1年では収まらない。
通常は発生時のストレスが最も大きいが、今回はその後も大きな余震が
何度かあったり、福島第一原発の事故が収束していなかったりと、
今なお現在進行中の惨事。
PTSDの症状が深刻化し、回復も遅れることが危惧。

http://wol.nikkeibp.co.jp/article/trend/20110614/111203/

スポーツ100年:現在・過去・未来/3 基本法、歴史的意味を考える

(毎日 6月28日)

国家戦略として、スポーツを推進することを明記したスポーツ基本法が成立。
前文で、目指すとしている「スポーツ立国」の実現によって、
「普通の人々」の暮らしは、どうなるのか?
戦前戦後のスポーツ政策の流れの中で、
スポーツ基本法の歴史的意味を考えてみる。

世界で競い合うトップアスリートの育成・強化に代表される
国際競技力の向上と、国民の誰もが、いつでも、どこでも
スポーツに親しむことができる生涯スポーツ社会の実現は、
「車の両輪」(鈴木寛・副文部科学相)と言われながら、
理想と現実は異なる。

文科省のスポーツ関連予算でみると、
競技力向上と生涯スポーツの格差は年々、拡大。
基本法の条文も、競技スポーツにより力を入れた表現が目立つ。
「競技力向上には、お金がかかる。
スポーツの高度化と大衆化の統一という観点から見ると、
組織にしても財源にしても、過剰なアンバランスが存在する」と
指摘するのは、戦後のスポーツ政策に詳しい
一橋大の尾崎正峰教授(スポーツ社会学)。

「高度化と大衆化の統一」
の背景には、
スポーツが普及して競技人口が拡大すれば、結果として優秀な選手が
数多く生まれ、競技力も向上するという考え。
1970年代に登場した理念で、「スポーツ権」を根拠とする欧州発祥の
「スポーツ・フォア・オール(みんなのスポーツ)」運動の進展に呼応し、
日本でも広がりを見せた。

72年、文部省(当時)の保健体育審議会(保体審)は、
「体育・スポーツの普及振興に関する基本方策について」を答申。
戦後初の体系的なスポーツ政策と言われ、
スポーツ施設の設置基準を人口規模別に提示。

人口5万人の場合、面積1万平方メートルの運動場が3カ所、
床面積720平方メートルの体育館が3カ所などと定めた。

住民が、日常的に利用できるスポーツ施設を整備する根拠が
市町村に与えられた。
戦後に提起されながら、未達成だった歴史的な課題を見据えたものと、
この答申を評価する研究者は多い。

戦後改革が進む46年、文部省は社会体育に関する通達。
「体育の生活化」というスローガンを掲げ、
三つの柱として指導者、組織、施設の充実を図る。

国際舞台への復帰に伴い、スポーツ界は「オリンピック至上主義」へと回帰。
東京で、58年に開催したアジア大会の成功は、
東京五輪招致決定への呼び水となった。
国が、スポーツのために補助金を支出することへの正当性を与えたのが、
61年制定のスポーツ振興法。

70年代まで続いた高度経済成長は、生活様式の急激な変化を促し、
国民の間にスポーツへの要求が高まった。
そんな社会の変化を背景に、72年の保体審答申は出されたが、
財政的裏付けを欠いたことから、結果的には「作文」に終わった。

◇身近な施設、脆弱なまま

モスクワ五輪ボイコットやバブル経済に象徴されるように、
80年代以降、スポーツは政治や経済の波にのみ込まれていく。

竹下登首相の私的諮問機関は88年、
(1)スポーツ省の設置、
(2)メダリストへの功労金制度、
(3)選手強化のためのナショナルトレーニングセンターの設置、
などを柱とする報告書をまとめた。

「スポーツ振興の国策化」は、翌89年の保体審答申
「21世紀に向けたスポーツの振興方策について」にも色濃く反映され、
「選手中心主義」への再度の路線転換は明確に。
今世紀に入って、トップに厚く、裾野(地域)に薄くという流れは加速。

スポーツ振興法は制定当初、地方自治体がスポーツ施設を建設する
経費の「3分の1」を国が補助すると規定。
06年の改正で削除された。
国の社会体育施設整備費(地方自治体への補助金)も、
82年度の118億円をピークに、05年度は10億円。
翌年度から、予算表の項目が消えた。

スポーツ基本法は、スポーツに関する施策の策定、実施については
国や地方公共団体の「責務」としながら、一般の国民が利用できる
具体的なスポーツ施設の整備については、努力規定にとどまる。

尾崎教授は、「いろいろな調査をする中で、スポーツをする
公共的な基盤は縮小していることが分かる。
今回の基本法も、一番重要なスポーツ施設の整備を後押しするような
法律規定にはなっていない

現行のスポーツ振興基本計画は、成人の週1回以上のスポーツ実施率を
50%(2人に1人)とすることを目標に掲げた。
文科省のスポーツ立国戦略は、65%(3人に2人)とすることを目指す。
公共の施設は増やさない中で、
数値目標は上げようと言っているのに等しい。
身近なスポーツ施設の脆弱さは、スポーツ政策の当然の帰結とも言え、
スポーツ基本法もその流れの中にある。

◇特別な理由なければ…

戦時下、国策によって都市に重点を置いたスポーツ施設の拡充政策が
本格的に行われたことが、最近の研究で明らかに。

戦火の拡大により、40年開催が決まっていた東京五輪の返上が
閣議決定される直前の38年2月、文部省に代わって
社会体育行政を担うことになった厚生省(当時)は、
「体育国策の具体案」を発表。
東京、仙台、大阪、福岡の4都市に国立総合体育運動場を建設するほか、
人口5万人以上の都市に各種の運動施設を整備するという計画。

一橋大の坂上康博教授(スポーツ史)によると、
綿密な施設設置基準が設定され、一部については
72年の保体審答申よりも高い基準だった。

国民の体力向上を目指す厚生省のスポーツ施設の拡充政策は、
内務省による防空緑地拡充政策と一体のものとして進められたのが特徴。
坂上教授は、「スポーツ施設建設は、戦中は国民の体位向上や
都市防空緑地施設といった名目、戦中戦後を通しては
オリンピックや国体といったメガイベントのためといった
特別な理由を冠して、やっと実施された。
そんな厚化粧をしなければ、国家予算を獲得できないという
貧困な状況には変わりない」

◇計画策定、慎重に

スポーツ基本法が成立した17日、JOCの久木留毅・情報戦略部会長
(専大准教授)は、「ようやくスタートラインに立った」。
今後、文科省はスポーツ基本計画の策定作業に入る。
久木留氏の言葉を借りれば、スポーツの「未来予想図」を描くこと。

スポーツ政策の国際比較の対象として、頻繁に登場するのが
西ドイツの「ゴールデンプラン(黄金計画)」。
60年に策定されたスポーツ施設建設の15カ年計画、
政府ではなく、民間団体のドイツ・オリンピック協会が策定。

ドイツのスポーツ史を研究する山本徳郎・奈良女子大名誉教授によると、
内容は子細を極めた。
3~6歳の子どもの遊び場の場合、
「住民1人当たり0・5平方メートル(人口密度によっては0・25平方メートル)
とし、望ましい大きさは150平方メートル。
できるだけ住居の近くに、限度は100メートル以内」という具合。

計画がなぜ必要なのか、どんな施設がどの程度必要なのか、
どのくらいの予算が必要なのか、調査を続けた。
その建設にかかる予算を、国(連邦政府)が2割、州(地方政府)が5割、
市町村(地方自治体)が3割負担することを決め、各議会に議決。
計画が発表されると、すぐ実行に移され、予定の15年間で
ほぼ100%の成果を上げることができた。

ドイツは、第二次世界大戦後の都市計画を策定する中、
スポーツをどう位置付けていくか、第一次世界大戦前から
時間をかけて調査、議論を重ねた。
山本氏は、「日本は、計画策定のプロセスを学ぶべきだ」

新しい基本計画の策定には、現行の振興基本計画の評価と検証が
欠かせないことは言うまでもない。
==============
◇主な参考文献

・尾崎正峰「スポーツ政策の形成過程に関する一研究」
(一橋大学研究年報人文科学研究39)
・坂上康博、高岡裕之編「幻の東京オリンピックとその時代」(青弓社)
・関春南「戦後日本のスポーツ政策」(大修館書店)
・森川貞夫「『国策としてのスポーツ』論の系譜と“強化策”の問題と
今後の課題」(スポーツ社会学研究第18巻第1号収録)
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◇国家(政治)とスポーツをめぐる関連年表◇

1911(明治44)年7月 嘉納治五郎が「大日本体育協会」設立
1924(大正13)年5月 パリ五輪への選手派遣に政府が補助金
           10月 第1回明治神宮競技大会(内務省主催)
           11月 文部省が第1回全国体育デー
               ※国民の体位・体力向上を図る
1932(昭和7)年4月 文部省が「野球統制令」施行
1936(  11)年7月 東京オリンピック開催がIOC総会で決定
1937(  12)年7月 盧溝橋事件 ※日中戦争始まる
1938(  13)年1月 厚生省設立
           2月 厚生省が「体育国策の具体案」発表
           5月 国家総動員法発令
           7月 東京オリンピック返上を閣議決定
1939( 14)年10月 厚生省が第1回体力章検定実施
              ※15~25歳の男子対象
1940( 15)年6月  紀元二千六百年奉祝東亜競技大会
1941( 16)年12月 真珠湾攻撃 ※太平洋戦争始まる
1942( 17)年 4月 「大日本体育会」(東条英機会長)発足
              ※大日本体育協会を改組・強化
1945( 20)年 8月 敗戦(無条件降伏)
1946( 21)年 8月 第1回国民体育大会(夏季大会)
1947( 22)年    スポーツ議員連盟発足
1958( 33)年 5月 東京アジア競技大会
1959( 34)年 5月 東京オリンピック開催がIOC総会で決定
1960( 35)年    西ドイツが施設整備の15カ年計画「ゴールデンプラン」策定
1961( 36)年 6月 スポーツ振興法成立
1964( 39)年10月 東京オリンピック
1972( 47)年 2月 札幌冬季オリンピック
          12月 保健体育審議会答申
              ※スポーツ施設の設置基準提示
1975( 50)年 3月 欧州評議会で「みんなのスポーツ憲章」採択
1978( 53)年11月 ユネスコが「体育・スポーツ国際憲章」採択
1980( 55)年 5月 政府の圧力を受け、モスクワ五輪不参加を決定
1988( 63)年 3月 竹下首相の私的諮問機関が「スポーツ振興の国策化」提言
1989(平成元)年11月 保健体育審議会答申
               ※施設整備についての責任を地方自治体に
1997(   9)年12月 日本スポーツ法学会が「スポーツ基本法要綱案」公表
1998(  10)年 2月 長野冬季オリンピック
            5月 スポーツ振興投票法成立
2000(  12)年 9月 文部省が「スポーツ振興基本計画」策定
2001(  13)年 3月 スポーツ振興くじ(toto)全国販売開始
            5月 日本オリンピック委員会が「ゴールドプラン」策定
           10月 国立スポーツ科学センター(JISS)開設
2007(  19)年10月 自民党が「スポーツ立国調査会」設置
2008(  20)年 1月 ナショナルトレーニングセンター(NTC)開設
            6月 スポーツ立国調査会が中間報告
2009(  21)年 7月 自民、公明両党が「スポーツ基本法案」提出
               (衆院解散により廃案)
2010(  22)年 6月 自民、公明両党が「スポーツ基本法案」提出
               (超党派による11年の法案提出に伴って取り下げ)
            8月 文科省が「スポーツ立国戦略」発表
2011(  23)年 6月 スポーツ基本法成立

http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/06/28/20110628ddm035050135000c.html

養護教諭(4)「かむ食育」へ 装置発案

(読売 4月30日)

「いただきまーす」
長野県喬木村立喬木第二小学校の6年生の教室。

3月中旬の給食の時間、子どもたちが一斉に、かむ回数を数える機器
「かみかみセンサー」をあごに装着。
養護教諭の安富和子さん(56)(3月末で退職)は、
「よくかんで食べよう」、「少し姿勢が悪いよ」などと声をかけて回った。

この風変わりなセンサーは、あごの動きを感知し、かんだ回数を表示。
子どもの健康のため、かんだ回数を数える装置がほしいという
安富さんの発案で開発。

この日は、同小が2年前から月2回実施している「かみかみデー」。
子どもたちは、センサーで数えた回数をカードに記録。
目標は、「1口あたり30回。給食1食あたり1000回以上」。

安富さんが、かむことに注目したのは約10年前。
子どもたちと給食を食べた時、硬い食べ物が嫌いな子や、
なかなかのみ込めない子がいたのがきっかけ。

「かむ力が弱いのでは」と思い、子どもたちの咬合力を測定したところ、
自分の体重とほぼ同じ力が必要と言われているが、
体重より小さい子が1クラスに5人ほどいた。

よくかんで食べるにはどうしたらいいか?
安富さんは、給食の時間を使い、よくかまないと、
胃腸の負担が大きくなる、唾液が出ず虫歯予防にならない、
あごが弱くなり歯並びが悪くなる、など「かむ大切さ」を伝えた。

2005年、県立工業高校の教諭の協力を得てセンサーを開発し、
かんだ回数を意識させる指導を始めた。

効果は表れている。
福沢栞さん(12)は、「これまで何も考えずに食べていたな、と気付いた」、
木下雄介君(12)は、「よくかむようになったら、
ご飯の甘さを感じるようになった」と笑顔を見せた。

担任の友野淳司教諭(35)は、
給食指導に対する意識が低かったと痛感。
事務をするため早く食べると、『よくかんで』と子どもたちに注意される」
かむことを意識するためか、どの学級も給食の時間が
しっかり確保されるようになった。

安富さんは4月から、飯田女子短期大学の准教授に。
「養護教諭の卵たちに、『給食は、子どもの将来の食に対する
姿勢を育む教育の場』と教えたい」

センサーは、07年から市販。
正しい食習慣で健康管理ができるよう、
養護教諭が進める食の教育が広がっている。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110430-OYT8T00195.htm

2011年7月5日火曜日

養護教諭(3)高校生に予防接種説く

(読売 4月29日)

茨城県神栖市にある県立波崎高校。
2月上旬、普通科2年A組のホームルームでは、
長谷川純子・養護教諭(38)が、はしかと風疹の説明。

「風疹は、妊娠中にかかると流産のほか、赤ちゃんに障害が生じる
恐れがあり、はしかは、母子ともに命を落とすこともあります」
生徒たちは、きょとんとした様子だったが、

長谷川教諭が、「はしかと風疹の予防接種は2回必要ですが、
みんなの中には受けていない人や1回のみの人もいます」と告げると、
真剣に資料を読み始めた。

この日は、接種対象者の中学1年生と高校3年生には
自宅に通知が届くことや、予防接種を受けたことを
入学条件とする大学があることも学んだ。

船倉亜結美さん(17)は、「病名を聞いたことはあったが、
具体的な症状も予防接種があることも知らなかった。
怖い病気と知り、予防接種を受けようと思った」

はしかも風疹も、予防にはワクチン接種が有効とされ、
かつては乳児期に1回接種。
免疫が少ない10~20代の若者の間で、はしかの大流行がたびたび発生。
1回の接種では不十分だと分かり、今では2回行われている。

4年前に流行した時、同高で、はしか患者は出なかった。
高熱が出ても病院に行かずに登校し、「具合が悪い」と
保健室に来る生徒が何人もいた。
予防接種の通知をよく分からず、捨てた生徒もいた。

長谷川教諭は、「感染力が強く、命にかかわる可能性もあるのに
理解が足りない」と痛感。

ワクチン接種は、対象者が医療機関に行く「個人接種」の自治体が多い。
長谷川教諭は市に現状を訴え、2009年度から同高を含む
市内の3高校で校内での「集団接種」を始めた。

担任教諭の協力を得て、各クラスを回って病気の知識や
予防接種の大切さを伝え、学校側が生徒から予診表の回収も行った。

この結果、同高3年の接種率は09年度は94・0%となり、
同年度の全国の高校3年の77・0%(厚生労働省調べ)を大きく上回った。
同高は、10年度には100%を達成。

国立感染症研究所の小児科専門医・竹田誠氏は、
「はしかや風疹は、ワクチン接種を受けないリスクが大きい。
副反応やアレルギーは、医師に相談すれば大丈夫であることなど、
学校現場で正しい情報を伝える必要がある」

養護教諭の指導が、生徒たちの予防意識を高めている。

◆メモ

はしかの予防接種は、法律で努力義務と位置付けられている。
以前は、幼児期に1回だけだったが、2006年度にはしかと風疹の
混合ワクチン(MR)の2回接種が始まった。
免疫が少ない場合が多いため、経過措置で中学1年と高校3年への
追加接種が行われている。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110429-OYT8T00175.htm

中国、韓国、台湾と食料・農業・環境分野の連携強化提言

(サイエンスポータル 2011年6月22日)

アジアモンスーン気候地域に属する日本、中国、韓国、台湾が、
食料・農業・環境に関する共通の課題に取り組むため、
学術上の連携強化を急ぐ必要がある、という提言を、
日本学術会議がまとめ、20日公表。

連携を強める分野として提言は、
食料・農業政策についての研究、
食品安全分野のリスクアナリシスを定着させるための研究、
情報の恒常的な交換・共有のためのシステム構築、を挙げている。

日本が主導的役割を果たすべき具体的な課題として、
世界のコメ需給安定のための国際備蓄体制の強化や、
食品安全性向上のため、専門的人材の育成に関する
連携態勢の構築などを挙げた。

提言は、アジアモンスーン気候地域はコメへの依存度が高い食生活、
人口稠密な農耕社会を形成してきたという共通点を持つ一方、
日本、韓国、台湾は経済発展により農産物を含む市場開放が進展し、
競争力に乏しい農業の衰退と食料自給率の急速な低下という
共通の課題にも、直面している現状を指摘。

これまでのところ、高い食料自給率を維持している中国も、
中長期的には食料の多くを海外に依存し、
日本、韓国、台湾と同様の課題に直面する可能性があるとして、
連携の必要を強調。

http://www.scienceportal.jp/news/daily/1106/1106221.html

夏告げるアユ漁解禁 県内トップ切り気仙川で

(東海新報 7月2日)

気仙地方に本格的な夏の訪れを告げる気仙川のアユ漁が1日、
県内河川のトップを切って解禁。

震災の影響で入り込みが心配されたが、早朝から多くの〝太公望〟の姿と
さおの放列が見られ、停滞していた気仙のレジャー分野再始動の
先陣を切ることともなった。

「アユの宝庫」として、県内外に知られる気仙川。
陸前高田市側の下流では、津波被害を受けたものの、
それより上流に大きな影響はなかったものとみられ、
同川漁協(佐藤啓一組合長)では例年通りの解禁に踏み切った。

あいにくの天候にもかかわらず、横田町の金成橋より上流の川沿いには
車やテントで、午前4時のスタートを待つ釣り人たちの姿が見られ、
時間が来ると同時に、さおの放列ができた。

釣り人たちは、久々のさおの感触を楽しむようにしながら、
思い思いのポイントに糸を垂らしあたりを待っていた。

降雨の影響で、水ににごりが見られたこともあってか、
この日の釣果はいまひとつ。
「解禁の雰囲気を味わっただけで満足」と、早めにさおをおさめる人も。

同漁協では例年、解禁を前に中間育成した1500㌔ほどを放流、
今季は震災によって大幅縮小を余儀なくされ、
南部馬淵川、盛川両漁協産の計800㌔にとどめている。

住田町世田米地内でさおを握った盛岡市の男性(65)は、
「きょうは振るわなかった。
放流の量や場所が限られたことで、ポイントがこれまでと
変わったのかもしれない」と、次回の釣果に期待。

漁協関係者は、「ここ数日の雨で水温が下がって、
アユの動きが鈍くなっていると思われる。
水が落ち着き、好漁となることを期待したい」

同川のほか、気仙では大船渡市の盛川が3日午前4時解禁。

http://www.tohkaishimpo.com/

2011年7月4日月曜日

養護教諭(2)命の授業 被災児童に力

(読売 4月28日)

東日本大震災に襲われた仙台市立木町通小学校。
児童は全員無事だったが、避難所になった同小体育館に
家族と寝泊まりする子もいた。

養護教諭の粉川妙子さん(60)は、避難所の手伝いの合間に、
「夜は眠れているかな」、「体調はどうかな」などと、
優しく子どもたちに声をかけて回った。

粉川さんは10年前から、自ら考案した「命の授業」を行ってきた。
1年生から6年生まで、発達段階に応じて男女の体の違いや
命の誕生、心の働きなどを学ぶ。
授業を始めたきっかけは、14年前にがんと宣告されて
死と向き合った経験と、父親の死を受け入れられずに
保健室登校になった児童との出会い。

人間には、生と死があることを伝え、自分も友だちも大切にする
心を育てたかった」と振り返る。

2月下旬、6年1組の教室で、命の授業は最終回を迎えた。
この日、自身ががんであることを告白。
「乳がんと宣告された時、泣いて落ち込みました。
でも、命ある限り一生懸命生きようと思った。
だから、先生はいつも生き生きしているんだよ」

今村柊君(12)は、「人間は不死身じゃない。命は大切にしたい」
中居美絵さん(12)は、「命は何万年も前から受け継がれていると勉強して、
自分が生まれたことに感動した」と真剣に話した。

養護教諭はかつて、担当教諭などと一緒でないと授業ができなかった。
1998年の法改正で権限が強化され、都道府県に申請して
兼職発令を受ければ、1人で保健の授業ができるようになった。

発令を受けたすべての養護教諭が、単独で授業を行うわけではない。
全学年用の発達段階に応じた指導案を考え、
保健や学級活動などの時間も使って、年間計47時間も保健室から
教室に出向いて指導するのは珍しい。
粉川さんの授業には、他校からも見学者が訪れていた。

粉川さんはこの春、定年を迎えた。
今後は、大学で養護教諭などの育成にあたる。

未曽有の大震災を経験した子どもたちが今後、
向き合い続ける現実はあまりにも大きい。
関一男校長(56)は、「命の授業を受けた子どもたちは、
助かった命を大切に、精いっぱい生きていく力があると信じている」
子どもたちの心のケアのため、
粉川さんが残した命の授業が受け継がれていく。

◆兼職発令

都道府県から発令を受ければ、養護教諭が保健の授業を担当する
教諭も兼務できる制度。
養護教諭の主な役目は、児童生徒の心身の健康や
環境衛生に関する状況把握。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110428-OYT8T00306.htm

軽くて曲げられるCIGS系太陽電池開発

(サイエンスポータル 2011年6月21日)

ステンレスを基板に用いた低コストのCIGS系太陽電池を
開発することに、産業技術総合研究所の研究グループが成功。

軽くて曲げることもできる特徴を持つことから、
車の屋根につける太陽電池など、幅広い用途が期待。

仁木 栄・太陽光発電工学研究センター副研究センター長、
石塚 尚吾・先端産業プロセス高効率化チーム主任研究員らが、
富士フイルムと共同で開発した新しいCIGS系太陽電池は、
市販されている1枚のガラス基板上に複数の太陽電池を並べたものと違い、
基板にステンレスを使っているのが特徴。

CIGS太陽電池は、光を吸収する層に銅、インジウム、ガリウム、セレン
からなる多元系化合物半導体を用いている。
ステンレスのような金属を基板に使うと、金属成分が化合物半導体層に
入り込む問題があったが、研究グループは化合物半導体の表面を
酸化マグネシウムで覆う工夫により、これを解決した。
光電変換効率も15%と、従来のCIGS系太陽電池と比べ、
大きな遜色がないことが確認。

CIGS系太陽電池は、シリコン系太陽電池に次いで光電変換効率が高く、
経年劣化もないという長所を持つ。
ステンレスを基板に使うことで、軽くて曲げられる低コストの太陽電池が
実現し、新しい用途の開拓が期待できる。

http://www.scienceportal.jp/news/daily/1106/1106211.html

復興、市民が担い手 大船渡で有志が「会議」立ち上げ

(岩手日報 6月30日)

大船渡市民が、復興に向けた「おおふなと復興市民会議」を立ち上げ、
活動の輪を広げようとしている。

市民自ら復興の担い手となるとともに、行政の復興構想に、
市民の意見を反映させる狙いも。
被災事業所の復活策や、個人の二重ローン問題解決に向けた
ファンド設立など、具体的な提言を検討するなど、
積極的にまちづくりに関わる考え。

同会議は、漁業、商工業、水産加工業、サービス業、NPOなどに携わる
市民や超党派の市議有志らで、4月下旬に立ち上げ。

▽被災者や被災事業者の自立復興をバックアップ
▽復興事業に市民が参画できる環境整備
▽他自治体の同様の団体や支援団体との連携―などを目指す。
既に、仮設飲食街の設置に向け、準備を進めている。

6月28日の6回目の会合には、約20人が出席。
浸水地域から高台への移転を検討している同市末崎町の
住民も参加し、意見交換。

この中で話題として出たのが、個人の二重ローン解消策。
メンバーの一人は、公的出資を伴うファンド設立を働き掛けるよう提案。
高台移転に向けた地域の合意形成の進め方なども議論。

参加者から、「新しい宅地を造成するためには、まず道路整備が必要
などの具体的な話。
「実態を伝え、必要な施策を提案していこう」など、
積極的に行政に提言すべきだという意見が大勢を占めた。

市内のNPO法人理事長の金野広充さん(47)は、
「自分たちの街は自分たちでつくらなければ。
市の届かない部分を補いたい。
多くの人に参加してほしい」と呼び掛ける。

同会議は、週1回ペースで会議を開く予定。
問い合わせは、同会議事務局(090・3365・9765)へ。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110630_11

仮設住宅孤独死防止、病状などデータベース化…岩手

(2011年6月23日 読売新聞)

沿岸被災地で、高齢者の病状悪化や孤独死を防ごうと、
岩手県は、仮設住宅などの住民の病状や通院歴を
データベース化する方針。

市町村と情報を共有することで、被災地に必要な医療・介護チームを
効率的に派遣できるようになるほか、病院間連携もスムーズに。
県によると、津波で大きな被害を受けた東北の3県では、初の取り組み。

対象となるのは、仮設住宅や被災地の自宅で暮らす高齢者や
障害者ら、在宅支援が必要な人。
独り暮らしはもちろん、家族と同居の場合も含む。
データベース化する項目は、住所、氏名、病状、通院歴などで、
市町村と協議を進め、服用薬や既往症など、
より詳細な項目も含めるか検討。

メリットは、検索すれば治療に必要な情報が把握できること。
避難所から仮設住宅、親類宅などに移って担当保健師が代わった場合、
細かな引き継ぎがなくとも、高齢者の状態を把握できる。

現在、沿岸市町村の保健師がデータの聞き取り作業を進めている。
県は、仮設住宅への入居が完了する7月中をめどに、
データを県に提供するよう求めている。

1995年の阪神大震災では、仮設住宅に入居した高齢者を中心に
200人以上が孤独死した。
県によると、21日現在で約5500世帯が仮設住宅に入居、
うち65歳以上の独り暮らしは、少なくとも約100人いる。

県保健福祉企画室は、「データベース化で息の長い支援をしていく」

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/6/23/138305/

14倍以上の発症リスク 2型糖尿病の遺伝異常発見

(2011年6月23日 共同通信社)

東北大大学院医学系研究科の片桐秀樹教授(代謝学)の
研究グループが23日、2型糖尿病の患者で高頻度に認められる
ゲノム(全遺伝情報)構造の異常を発見。
この異常により、糖尿病の発症リスクは14倍以上になる。

グループは、35歳未満で2型糖尿病を発症した日本人100人と、
60歳以上で糖尿病の診断歴がなく、家族にも患者がいない100人を比較。
この結果、第4染色体の一部領域で、遺伝子コピー数が減少する
異常が患者13人から発見。
糖尿病ではない人では、1人しか見つからなかった。

従来の研究で、2型糖尿病に関連する遺伝子として20個以上が
見つかっているが、糖尿病の発症リスクは高いもので1・4倍前後。
グループは今後、簡易な検査で異常を見つける方法を開発し、
発症していない人の予防などにつなげる。

片桐教授は、「遺伝的な要因が強く存在すると言われながら、
決め手がなかった2型糖尿病の解明に、大きく貢献する発見」

※掲載誌は Experimental Diabetes Research

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/6/23/138333/

2011年7月3日日曜日

養護教諭(1)保健室登校の生徒導く

(読売 4月27日)

東日本大震災から3日後の3月14日。
岩手県岩手町立沼宮内中学校では、余震が続く中で卒業式が行われた。
卒業生の中に、不登校だった3年生の女子生徒の姿が。

女子生徒は約1年半ぶりに、保健室に寄らずに、
自ら自分のクラスに登校した。
地震で断水して食事をとれなかったせいか、式の最中に貧血を起こしたが、
「最後まで出る」と退席せず、保護者らに見守られる中、同級生と共に卒業。

「本当によかった」。
古井美恵子・養護教諭(51)は涙をぬぐった。

女子生徒は、2年生になってから不登校に。
冬になると時々、保健室に来るようになったが、
姿を見せるのは午後になってから。
来ない時は、担任が保護者に連絡し、「待ってるよ」というサインを伝えた。
プレッシャーを与え過ぎないよう、心がけた。

クラスに入れない生徒が学習できる部屋もあるが、
本人の希望で保健室での学習も認められている。
「人の出入りがあり、来室した先生や生徒とちょっとした会話を
交わすことができる。
それは、本人にとっては大きな一歩」と、古井教諭。

これまでに、不登校、保健室登校を経てクラスに戻った生徒も。
この生徒は、家庭訪問を重ねるうち、友人関係などで
悩みを抱えていることが分かった。
「学校はどうでもいい」と言う一方で、「できればクラスに戻りたい」とも。
古井教諭は、「まずは校門まで来てみたら」と提案。
学校が無人となる夜、生徒に付き添って学校に行った。

保健室登校した生徒には、1日の様子を記録。
生徒が小さな成長に気付き、その自信がクラスに戻る大きなカギに。
本人と話し合い、目標を決めて実行させる。
女子生徒の場合も、「卒業式に出る」という目標は決めていた。

宇部幸治校長(58)は、「古井先生は、見逃しがちな子どものサインや
誤った対応も指摘してくれる」と評価。

卒業式の日の夜、古井教諭のもとに、女子生徒から長文のメール。
「古井先生のおかげで卒業できました。
高校もちゃんと卒業します。ありがとうございました」

巣立ちの陰に、養護教諭の支えがあった。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110427-OYT8T00345.htm

ルース米大使が来県 陸前高田などで交流や奉仕活動

(岩手日報 6月29日)

ルース駐日米大使は、東日本大震災で大きな被害を受けた
陸前高田市、大船渡市、大槌町を訪問し、両市長と懇談。

津波で死亡した米国人モンティー・ディクソンさん(26)が、
英語を教えていた陸前高田市の米崎小では、
ディクソンさんの生前の思い出話に耳を傾け、
子どもたちの歓迎を受けるなど、日米の絆を再確認。

ルース大使は、陸前高田市役所で戸羽太市長から被災状況の説明を受け、
「日米の友好関係は非常に深い。力になりたい」と強調。
米国が、今後も被災地支援に全力を挙げる考えを伝えた。

米崎小では、佐藤圭子校長が、ディクソンさんが震災当日まで
授業をしていたことを紹介。
「子どもたちに慕われ、教職員も(彼のことを)大好きでした」と、
昔の写真を見せながら語った。

大使は、ディクソンさんの家族が、
「彼にとって特別な学校、地域社会だった」と話していたと述べ、
佐藤校長に謝意を表明。
その後、5年生のクラスに立ち寄り、
「大きくなったら米国に来てほしい」と語りかけ、握手攻めに。

大船渡市役所で、戸田公明市長と懇談後、
震災直後に米国の救援隊と一緒に活動した大船渡消防署を訪れ、
署員の労をねぎらった。

同市盛町では、同市を拠点に家屋の復旧などに当たっている
米国のNPO「オールハンズボランティア」と共に、
被災したコンノ自動車整備工場のショールーム解体作業に参加。
社長の今野一夫さん(44)は、「感謝の一言です」と握手。
大使は、大槌町の避難所も訪問。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110629_1

岩手国体の条件緩和へ 日体協方針、一部他県開催も

(岩手日報 6月24日)

日本体育協会の本年度第1回国体委員会は、
2016年に本県で開催が予定されている岩手国体について協議。

本県が、東日本大震災の復興を優先している現状を考慮し、
同協会の泉正文国体委員長は、
競技ができる最低限の施設が用意できれば、
それ以上の改修は求めない」と、
従来の開催条件を満たさなくても容認する方針を示した。

泉委員長は、本県と日本体協の協議内容を報告。
本県が、復旧・復興に財源や人的資源が必要になるとして、
岩手国体を「開催困難」とする一方、縮小開催した場合の
シミュレーションも行っていることについて、
「縮小案の作成に向けて、協力の依頼があった。
日本体協として、各競技の中央競技団体に対して調査を行いたい」

「岩手県では、できる競技だけをやってもらえればいい」と、
一部の競技を他県で実施する可能性を示唆。
「岩手が大会を返上しても、次の県を前倒しにするのは不可能。
岩手として開催できないと、国体に穴が空く」

終了後、泉委員長は、「大変な状況であることは理解しているので、
期限を決めないでじっくり待つ」と説明。
「岩手県には、可能な範囲でやってほしい。
あとは、達増知事と県民の英断を期待する」

国体を従来の基準で開催する場合、施設整備費と運営費で
約118億円の県負担が見込まれていたが、
負担軽減の方向で見直されることになりそうだ。

会議では、6月末が期限となっている開催申請など、
岩手国体に関する手続きの延期などが承認。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110624_2

避難所の食事栄養量、ビタミン7-9割 岩手県調査

(2011年6月23日 毎日新聞社)

県内の避難所で提供されている食事は、
ビタミンが目標とする栄養量の約7~9割にとどまっていた。
エネルギーとたんぱく質は、ほぼ目標に達している。

保健所や市町村などの栄養士が5月10~29日、全避難所の
約半数にあたる沿岸部7市町村の131避難所を対象に聞き取り調査。

厚生労働省が示した目標栄養量に対する提供量の平均は、
ビタミンC:72%、同B1:81・8%、同B2:91・7%――と、
ビタミンCが最も少なかった。
エネルギーは91・8%、たんぱく質は105・5%に達した。

食事は、全避難所で1日3回提供。
84%の避難所で、主食・主菜・副菜がそろった食事が1日2回以上。
温かい食事が1日1回以上出るのは、97・7%。
弁当を出しているのは5市町村、1日1回以上が弁当という避難所は35・9%。
間食が出される避難所は20・2%。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/6/23/138329/

花粉症の"源"構造解明 副作用少ない治療薬も 京大、細胞膜タンパク質

(2011年6月23日 共同通信社)

花粉などの刺激により、体内で放出された炎症物質と結合し、
花粉症などのアレルギー症状を引き起こすタンパク質
「ヒスタミンH1受容体」(H1R)の立体構造を、
京都大や九州大、米スクリプス研究所のチームが世界で初めて解明、
22日付英科学誌ネイチャー電子版。

H1Rは、花粉症の治療薬が作用する標的タンパク質。
チームの島村達郎京大特定講師は、「この構造を基に、効率的に副作用を
少なくする抗ヒスタミン薬の開発が可能になる」

くしゃみや鼻水などのアレルギー症状は、体内のヒスタミンなどの炎症物質が、
細胞膜にあるH1Rに結合して引き起こされる。

花粉症を治療する抗ヒスタミン薬は、ヒスタミンがH1Rに結合するのを阻止し、
症状を抑えている。
抗ヒスタミン薬は、H1R以外の受容体にも結合しやすく、
眠気や口の渇き、不整脈などの副作用も起こす。

チームは、H1Rを酵母を使って大量に精製。
細胞膜に似た環境をつくって結晶化し、
エックス線を用いた構造解析で解明。
H1Rの立体構造を明らかにし、結合部分の分子レベルの"形"を
突き止めたことで、H1Rにだけ結合する治療薬の設計が可能に。

膜タンパク質のH1Rは、水になじむ部分と油になじむ部分があり、
水に溶けやすい細胞内のタンパク質と違い、
タンパク質の精製や結晶化が難しく、立体構造が解明されていなかった。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/6/23/138307/