2010年8月14日土曜日

手術支援ロボットが触覚を伝える、世界初、慶応大が開発

(2010年8月4日 毎日新聞社)

遠隔操作するロボットの「手」を通して、触覚が伝わる
手術支援ロボットを慶応大が開発。

触覚を伝える手術用ロボットの開発は世界初。
エックス線写真などで発見が難しい場所のがんの触診や、
より難度の高い手術が可能に。
理工学部の大西公平教授と、医学部の森川康英教授らが共同開発。

遠隔操作による手術支援ロボットは多くの場合、
患者の腹部に、小さな穴を開けて微小なカメラや器具を挿入し、
腫瘍などを切除する手術に使われている。
従来のものは、患部を触る感覚が得られなかった。

新しいロボットは、医師の手の動きに応じて動いたロボットの
「手」に当たる鉗子の体内での挙動を、1秒間に1万回という
精密な計算で再現。
医師は、実際に患部を触っているような手応えを感じられる。
大西教授は、「医師が直接触れない感染症患者の治療にも応用できる」

http://www.m3.com/news/GENERAL/2010/8/4/123661/

ひと汗いかが 太極柔力球 日本太極柔力球連盟

(2010年8月3日 毎日新聞社)

太極柔力球というスポーツがある。
どんなスポーツ?
太極拳と球技が一つになった感じ?

日本太極柔力球連盟が、大阪市中央体育館で開いている教室に参加。
中高年の女性たちがラケットを使い、白いボールを巧みに受け止める
姿は、まるでフライパンを操っているようにも。

この日のメンバーは、40~70歳代が中心の女性約20人。
Tシャツにトレーニングパンツのラフな格好。
講師は、鄒力(ゾウリー)さん(50)と青木恵子さん(46)。

私もラケットとボールを借りた。
直径約25cmのラケット面には、ラバーが張ってあり、弾力がある。
直径約7cmのボールは、重さ約50g。
遠心力を感じやすいよう、中に砂が入っている。

ラケットとボールを使い、準備体操から徐々に難度を上げていく。
ボールを手に持って、体を伸ばしたり、縮めたり、
上半身を左右にひねる。
「ボールの重さを感じてください」と青木さん。
ボールをラケットに乗せたまま、振り子のように左右に振ったり、
大きく1回転させたり。
ボールが、ラケットからほとんど離れないのが不思議。

私も挑戦。
見た目は優雅だが、やってみるとなかなか難しい。
何度もチャレンジして、ようやく左右にラケットを振れたが、
ちょっと目を離すと、ボールはたちまちあらぬ方向に飛んでいく。
注視していなくても、ボールをコントロールできるように。
「1回転は、バケツに水を入れてぐるぐる回す要領」
青木さんに教えられ、やってみる。
「(水が入っていたら)すっかりびしょびしょですね」と笑われてしまった。

他のメンバーは、私が初歩でつまずいている間も
どんどん技をこなしていく。
ラケットを使い、片足を上げてまたの下にボールをくぐらせたり、
右から左へ腰の後ろにボールを回してキャッチしたり。
みやびやかな中国音楽に合わせて、みんな楽しそう。

「イー、アール、サン、スー(1、2、3、4)」、鄒さんの掛け声。
2人1組で、ボールを打ち合う練習。
初め一つだったボールが二つに増えると、
見ているこちらまで目が回る忙しさ。
やり始めると、つい夢中になってのめり込んでしまう。
太極柔力球には、そんな魅力がある。

「リラックスできる」、「肩凝りがなくなった」、
「おなかが引っ込み、バストラインがきれいになった」----。
富山市で太極拳を教える児玉さちこさん(60)は、
「年を取って、ひざを痛めた人たちも取り組みやすいスポーツ。
私が身につけて、地元の人たちに提案していきたい」

◇打ち合う「競技」も

太極柔力球は、太極拳の円運動を基本に、90年代に中国で考案。
バランス感覚や集中力が磨かれ、肺活量の維持に結びつく。
1分間に、ウオーキングの約1.3倍のカロリー消費が期待。

紹介した基本動作は、「演舞」と呼ばれ、脳梗塞などのリハビリや
障害者スポーツとしても注目。
バドミントンと同じコートでボールを打ち合い、
点数を競う「競技」も行われている。

日本太極柔力球連盟(鄒力代表理事)の定期教室は、
大阪、兵庫、京都、奈良、和歌山で多数開講。
毎日文化センター(大阪市北区、電話06・6346・8700)にも教室。
体験、見学は随時。料金は教室により異なる。
問い合わせは、同連盟(電話072・236・8305)。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2010/8/3/123603/

熱中症:高齢者、室内でも注意 気付かず重症化…気温上昇、脱水

(2010年8月3日 毎日新聞社)

自宅で、熱中症を発症する人が増えている。
室内は注意を怠りがちだが、特に高齢者や体が弱っている人には、
屋外と変わらない危険がある。
注意点や発症した際の対処法などを専門家に聞いた。

◇28度、湿度70%超で冷房 こまめに水分補給を

独立行政法人・国立環境研究所のまとめでは、
09年夏、熱中症で救急搬送された20都県市の2835人のうち、
自宅での発症が591人(21%)で最も多かった。

三宅康史・昭和大准教授は、
「今の住宅は、密閉性が高く風通しが悪く、窓を閉め切り冷房を使わないと、
室内は外気温以上に上がる。
高齢化で、体温の調節機能が衰え熱中症になりやすい高齢者が
室内にいる割合が高くなった

人間の体は暑さを感じると、皮膚に血液を多く流したり、
汗を出して体温を下げる。
血液には熱を運ぶ役割があり、皮膚を流れる血管を通る時に
熱を外に出す。
汗は、体から蒸発する時に体の熱も一緒に放出。

気温が高い状態が長く続くと、大量に発汗して水分や塩分が失われ、
血液中の水分を奪い、汗が出なくなったり、臓器に流れる血流量に影響。
気温が30度を超えなくても、湿度が高いと、汗が蒸発せず、
皮膚の表面にたまり、熱もこもったままになる。
こうしたバランスの崩れが、熱中症の症状を引き起こす。

今夏の室内での死亡例を見ると、
エアコンが作動していなかったケースが目立つ。

大阪市内のマンションで、南側ベランダに面した寝室のベッドで妻(87)が、
隣室との敷居辺りで夫(79)が、亡くなっていた。
寝室は、扇風機が1台作動、窓は少し開いていたが、エアコンはなかった。
さいたま市内で、女性(81)が寝室ベッドで死亡。
女性は、エアコンが嫌いで日ごろからスイッチを切っていた。

日本救急医学会が、救急搬送を受け入れる全国82の施設を、
08年6~9月に熱中症で受診した913人を調べたところ、
屋内で発症した123人のうち、エアコンを「停止中・設置なし」52%、
「使用中」13%。
高齢者や重症者ほど、使わない傾向が高かった。

調査責任者の三宅准教授は、「室内は決して安全な場所でないと
肝に銘じ、湿度計付き温度計を置き、
室温28度、湿度70%を超えたら、エアコンを使ってほしい。
例年、患者のピークはお盆ごろまで。
あと約2週間を乗り切って」

室温調整とともに重要なのが、水分補給。
筑波メディカルセンター病院の管理栄養士、遠藤祥子さんは、
「のどの渇きを感じる前に、こまめに水分を取るよう心がけて」

男性は体重の約60%、女性は約55%が水分。
体重60kgの男性の場合、36kg(36L)、
汗や排せつなどで、1日計2・5Lが体外に出ているが、
食事と飲料、体内で作られる代謝水で計約2・5L補い、
バランスを保っている。

水分補給は、室内で普通に生活したり軽く汗ばむ程度なら、
水か甘くないお茶で十分。
冷たすぎるとおなかを壊しがちだが、熱中症の発症後には効果的。
吸収が速いうえ、体温を素早く下げる。
利尿作用があるアルコールや糖分が多いジュース類は、
脱水を進めるため不向き。

発熱や下痢をしている人は、かかりつけ医に相談。
水分は、トマトやキュウリ、スイカ、みそ汁やスープ類でも補える。
塩分や糖分の取り過ぎに気をつけ、上手に水分コントロールしたい。

消防庁消防・救急課によると、今年5月31日~7月25日、
熱中症のため救急搬送された人は全国で1万5114人、
46・4%にあたる7014人が65歳以上。

高齢者が熱中症になりやすいのは、主に加齢による体の衰えが原因。
気温の上昇に鈍感になり、脱水症状が始まっても、
自分で体の異変に気付きにくくなる。
家族ら周囲も察知しにくく、救急搬送されるまで
異変が分からないことも多い。
高血圧や糖尿病など、持病がある人も重症化しやすい。

屋内で家族が熱中症になったら、どう対処すればいいのか?

日本赤十字社「赤十字救急法講習教本」などによると、
最初に涼しい所に移動させ、話しかけながら
リラックスできる体勢を取らせる。
首筋や脇の下、脚の付け根などを冷たいペットボトルで冷やすと、
太い血管を通る血液が冷やされ、体全体の冷却効果がある。

日赤健康安全課の鈴木隆則指導係長は、
「お年寄りの場合、体温が40度近くになると脳、心臓、腎臓、肝臓などの
臓器不全を起こしやすい。
流水をかけ続けたりして体を急に冷やすと、
低体温症に陥る危険性がある」、適切な対応を呼びかける。
……………………………………………………………………………
◆熱中症の主な症状

1度(熱失神・熱けいれん、現場での応急処置で対応できる軽症)
=めまい、失神、筋肉痛、こむら返り、大量の発汗

2度(熱疲労、病院搬送が必要な中等症)
=頭痛、気分の不快、吐き気、嘔吐、倦怠感、虚脱感

3度(熱射病、入院して集中治療が必要な重症)
=意識障害、けいれん、手足の運動障害、体に触ると熱いぐらいの高体温
※日本救急医学会の資料から
……………………………………………………………………………
◇家族が熱中症になったら

(1)涼しい場所に移し、衣服をゆるめてリラックスさせる
(2)首筋、脇の下、脚の付け根を冷やす
(3)顔が赤いときは頭を高く、青白ければ足を高くして寝かせる
(4)意識があり、嘔吐がなければ水分補給させる
(5)皮膚が熱ければ、風を送ったり熱い部分にぬれタオルを当てる
(6)皮膚が冷たければぬれタオルをしぼり冷たい部分をマッサージ
(7)意識がなかったり、急に体温が上がったらすぐ救急車を呼ぶ
※日本赤十字社への取材を基に作成

http://www.m3.com/news/GENERAL/2010/8/3/123586/

インサイド:五輪ボイコット30年・第3部 歴代政権とスポーツ政策/3

(毎日 8月5日)

昨年11月の政府の行政刷新会議による事業仕分けは、
未曽有の税収不足の中、徹底した事業の無駄見直しにより、
財源を確保することを強調して行われた。
その結果、国庫補助金がJOC分で5%、
日本体育協会分で6%カットされた。

概算要求をした側の鈴木寛・副文部科学相は、
当時の鳩山由紀夫首相が提唱した「友愛政治」を引き合いに出し、
「民主党は友愛政治。
スポーツは友愛そのもので、我々も重要性を認識している。
だから概算要求した。
正直、民間の仕分け人のスポーツに対する評価にびっくりした。
国民の理解があると思いこんでいた」と戸惑いを隠さなかった。

◆高度成長期は順調

スポーツに対する公的支援の確保は、苦労の連続。
64年、東京五輪を契機に進んだスポーツ環境の整備は、
オイルショックで減速した。
82年、中曽根康弘政権はスポーツ振興に「民活路線」を導入。
行財政を簡素化した「小さな政府」を志向した同政権下で、
スポーツ行政も、施設の民間委託や民営化が進められた。

旧文部省OBの浦井孝夫・日本スポーツクラブ協会理事長は、
「東京五輪後の高度経済成長期は、
スポーツ施設の補助金もどんどん出た。
その後、財政的な裏付けが弱くなった」と当時を振り返る。

80年代半ば、日本はバブル景気に突入。
民活路線で追い風に乗ったゴルフ場やフィットネスクラブなどの
スポーツ産業が急成長。
スポーツ界では、堤義明・初代JOC会長が、
西武鉄道グループのコクドを率いて、
ゴルフ場やスキー場などのリゾート開発を全国各地で展開。
懇意だったサマランチ・前IOC会長の支持を取り付け、
コクドの利益にも関係する98年長野冬季五輪招致に成功。

会長を退いた後も影響力を保っていた堤氏には、
「民間資金だけで、JOCを運営する発想があった」(JOC関係者)。

バブルの崩壊と、その後の「失われた10年」と呼ばれた
長引く不況の中で、企業の下支えが弱まり、その構想もあっけなく消えた。

◆根深い不況の影響

90年、民間活力を導入した新たな財源として、
政府出資の250億円と民間からの寄付金からなる
「スポーツ振興基金」が設立、不景気や金利の低下で、
民間からの寄付や運用益は伸び悩んでいる。
01年、全国発売された「スポーツ振興くじ」(toto)も、
ここ数年は好調だが、収益は不安定。

関春南・一橋大名誉教授は、
・循環器系疾患を中心とした国民医療費が毎年約1兆円増加、
・年3万人超の自殺者のうち、半数近くが健康問題が原因、
・青少年の部活動離れが進んでいる--
ことなどを挙げ、「地域スポーツでしか解決できない問題も多い。
健康と同時に生きる意欲、連帯といったスポーツの価値を
認識できる場が必要」、
国がスポーツ環境整備を支援する必要性を主張。

関氏は、「スポーツ施設や指導者への予算投下は、
景気回復や雇用にプラスになるだけでなく、
長期的には医療費削減で国家財政の改善にもつながる」、
1930年代、ルーズベルト米大統領が公共事業で、
大恐慌からの脱却を目指したニューディール政策のスポーツ版である
「スポーツ・ニューディール」の有効性を説く。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/news/20100805ddm035050140000c.html

2010年8月13日金曜日

ミケランジェロの「隠し絵」神の姿に脳幹解剖図

(2010年7月31日 読売新聞)

ルネサンス期のイタリアの芸術家ミケランジェロが、
バチカン・システィーナ礼拝堂の天井に描いた神の絵に、
脳の一部や目の神経系などの解剖図が、一見ではわからない
「隠し絵」として描き込まれていることが、
米ジョンズホプキンス大学の研究でわかった。
専門誌ニューロサージェリーに掲載。

隠し絵がみつかったのは、闇と光を分ける神の絵。
同大の脳外科医と医療イラストレーターが、画像をデジタル処理して
輪郭などを細かく調べた。

その結果、神のあごひげからのどにかけての凹凸が、
中脳や延髄などが集まった「脳幹」という脳の中枢部を
下から見上げた解剖図と重なった。
この不自然な凹凸について、ミケランジェロの意図について
専門家の間でも論議があった。

腹部にも、不自然なひだが描かれ、同時期に活躍したダ・ビンチが
残した目と視神経の解剖図によく似ている。

ミケランジェロやダ・ビンチは、人体を描くために遺体の解剖を行い、
医学や生物学の高度な知識を持っていた。

◆システィーナ礼拝堂

バチカン宮殿にある礼拝堂。
15世紀、法王シクストゥス4世によって建てられた。
16世紀、ミケランジェロが描いた旧約聖書の9場面からなる天井画や、
壁画「最後の審判」が有名。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2010/8/2/123551/

インサイド:五輪ボイコット30年・第3部 歴代政権とスポーツ政策/2

(毎日 8月4日)

デンマークのコペンハーゲンで、昨年10月に行われたIOC総会。
16年夏季五輪の開催地を決めるIOC委員による投票で、
52年ぶりの夏季五輪開催を目指した東京は敗れた。
JOC福田富昭副会長は、「五輪の自国開催が決まれば、
政府が国策としてスポーツ政策を発展させるべきだ、という
我々の訴えに大きな弾みがつくはずだった」と、
「国頼み」が不発に終わった落胆を隠さない。

◆政治からの独立模索

64年東京五輪は、まさに国策事業だった。
当時の池田勇人政権は、東京五輪を起爆剤に、
新幹線などの整備を進め、経済成長につなげた。

池井優・慶大名誉教授は、「岸(信介)政権が安保闘争で揺れた後、
池田政権は、所得倍増論で国民の関心を政治から経済に向けた。
東京五輪は、その推進役だった」と位置づけ。

東京五輪開催を視野に、61年成立したスポーツ振興法は、
国際競技力向上を担当した日本体育協会に対する
補助金の道を開き、国民スポーツのための施設整備などを促す、
72年保健体育審議会答申にもつながった。
オイルショックで景気が減速するまで、
国によるスポーツ振興策は順調に進んだ。

スポーツ界が、80年モスクワ五輪不参加を決めざるをえなかったのは、
政府から補助金カットを示唆されたため。

JOCは、政治からの独立を大義名分に89年、政界出身者を
トップに仰ぐことが多く、政治色が濃かった
日本体育協会から独立した法人となった。

JOCは、バブル経済を当て込んでスポンサー獲得などに乗り出し、
独自財源の確保にこだわった。
これらは収益事業とみなされ、法人税が課され、
必ずしも十分な財源になっていない。
バブルの崩壊など、長期にわたる景気低迷の影響で、
スポーツを支えてきた民間企業の体力が弱まり、
JOCは再び補助金の必要性を強調。

JOCの今年度予算では、収入総額84億5600万円のうち、
国庫補助金が28%を占める。

◆国民との間に距離

JOC関係者は、「体協からJOCが独立したから、
政治から自由になったなんてことは、まったくない。
今でも、カネを国からもらっていることには変わりはない。
今でも、JOCは文部科学省の言うことを聞いている」と漏らす。

ドイツでは、政権は援助するが支配はせず、
スポーツ団体は公共の福祉のために活動する、という
国とスポーツ団体の「パートナーシップの原則」が成り立っている。

国は、スポーツ団体の決定に介入しないが、
スポーツ団体の側にも自主的活動を公費で支えてもらう権利がある
代わりに、国とともに「公共の福祉」に貢献する義務があるという考え方。

日本のスポーツ界について、五輪評論家の伊藤公氏は、
「ボイコットの教訓で、JOCは体協から独立したが、
あれは協議離婚ではなく、JOCの一方的離婚。
体協との連携を話し合って分かれたわけではない」

基本的にJOCはトップ選手の強化、体協は生涯スポーツの振興と
役割は分かれたが、緊密な協力関係にあるとは言い難く、
国際競技力向上に特化したJOCと国民との間に
距離が広がったとの見方がある。
体協の存在意義も見えにくくなった。

国策によるスポーツ振興を主張する以上、JOCと体協が連携し、
納税者である国民を説得する戦略づくりが不可欠だ。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/news/20100804ddm035050155000c.html

唾液腺作る鍵タンパク発見 大阪大、再生医療に期待

(2010年7月30日 共同通信社)

母胎で育つ胎児に、唾液腺などが形作られる際に鍵となる
タンパク質を、大阪大と米国立衛生研究所(NIH)のグループが
マウスで見つけ、30日付の米科学誌サイエンス電子版に発表。

大阪大の阪井丘芳教授(口腔外科)は、
「唾液腺の機能不全が原因で起きるドライマウス(口腔乾燥症)を、
腺組織を再生して治療するなど、再生医療に役立つかもしれない」

このタンパク質は「Btbd7」、グループはマウスの胎児の
唾液腺の細胞を使い、発見。

唾液腺や腎臓、肺などでは、組織の表面積を増やして
水分や酸素の交換効率を上げるため、
たくさんの枝分かれ構造が作られる。

枝分かれは、形成初期にできた裂け目が大きくなって生じるが、
Btbd7は、この裂け目で多く作られていた。

Btbd7は、細胞同士の接着を引き離す働きがあり、
裂け目が大きくなって、枝分かれができる。

Btbd7を働かなくした唾液腺では、枝分かれの数が半分以下に。
肺ができる際、Btbd7が働いていることも分かった。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2010/7/30/123461/

「観光+検診」大阪に来てや…先端医療、中国の富裕層狙う

(2010年7月29日 読売新聞)

大阪市は、外国人富裕層の観光ツアーに検診を組み合わせた
「医療ツーリズム」の事業支援に乗り出す。

平松邦夫市長が、上海などの富裕層をターゲットに来阪を呼びかけ、
庁内に「大阪国際医療ツーリズム研究会」を設置、
新たなビジネスモデルの構築を目指す。

近年、先端医療を目的に、海外での検診を希望する
中国やロシアなどの外国人富裕層が増加。
各国も顧客獲得にしのぎを削り、観光庁の試算では、
世界の医療観光市場は2012年度には10兆円に達する見通し。

市内では現在、少なくとも2医療機関が中国人観光客を受け入れ、
がんの早期発見に有効なPETなど、最先端の検診サービスを提供。
年内には、さらに数施設が受け入れを予定。

市は、「先端医療の集積と豊富な観光資源が大阪の強み」とし、
医師や観光業関係者らとともに研究会を発足。
病院や旅行会社、ホテルなどの提携による受け入れ態勢を築くほか、
課題とされる通訳の確保や、医療事故への対応策も練る。

中国人の需要が高い消化器内科や歯科の分野では、
受け入れ可能な病院をリストアップ。
11年度中にも事業計画案を策定。

平松市長は、上海万博会場で開かれた「大阪-上海友好盆踊り大会」に
参加し、「大阪」を盛大にアピール。
1人あたり国内総生産(GDP)が、中国トップ水準の深センで
市長らと会談、観光など今後の交流促進に向けた覚書に調印。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2010/7/29/123451/

2010年8月12日木曜日

インサイド:五輪ボイコット30年・第3部 歴代政権とスポーツ政策/1

(毎日 8月3日)

ソ連のアフガニスタン侵攻に反対する米国の呼び掛けに応じ、
1980年モスクワ五輪の不参加を決めた日本。
最終的には、日本体育協会が決定した形だが、
その背後では、「政治の力」が強く働いた。
政治とスポーツとの関係について、ボイコット時の大平正芳内閣を
はじめ、歴代政権がどうかかわってきたのかを取り上げる。

◇日米関係修復を優先

モスクワ五輪ボイコット当時の大平首相の娘婿である
森田一・元衆院議員(76)は、「大平さんが一人で決断したことだ」。
大平氏の秘書だった森田氏が、ボイコットに至る過程を初めて明らかにし、
カーター米大統領の意向を酌んだ首相の判断だった。

「ほかの首相なら、ここまで悩まなかっただろう。
文化やスポーツなど、『民』のことには介入しないことを
信条としていた大平さんは、スポーツは政治からの独立性を
保つべきだと考えていた」
森田氏は、行動をともにしていた大平氏が移動の車中で再三、
「どうするかなあ」と、五輪参加問題に思いを巡らしていた。
「最後は一人で決めた。
伊東(正義)官房長官(当時)にも相談しなかった」

◆明らかな政治介入

なぜ、大平氏はボイコットを決断したのか?
「大平研究」の第一人者、福永文夫・独協大教授は、
「在イラン米大使館人質事件(79年)が起きた当時、
日本はイランから石油を輸入していただけでなく、
イランとの合弁で石油化学工場を建設中だった。
カーター政権の大平内閣に対する評価は当初、必ずしも良くなかった。
日米関係がぎくしゃくする中、関係を修復するための手土産が
モスクワ五輪のボイコットだった

単なる米国追随というわけでもなかった。
米国は、ベトナム戦争で国際的な威信が失墜。
日本は、経済大国としての国際的な地位を築いていた。
福永教授は、「70年代までは、アメリカのしっぽについていけば
よかったが、もはやアメリカは超大国ではないという認識が、
大平さんにはあった。
だからこそ、アメリカを助けるという気持ちが強かった」、
当時の日米関係の変質を読み解く。

「共存共苦」(苦しみをともにする)という表現で、日米同盟を
再定義した大平氏は、米国をフォローする形で不参加を選んだ。

大平氏自身、スポーツへの露骨な介入は避けたかった。
米国には、協力せざるを得ない。
少なくとも形式上は、「スポーツ界の自主的決定」を演出しながら
ボイコットへ導く必然性が生まれた。

五輪参加の場合の補助金カットをちらつかせるなど、
政治の介入は明らかだった。
大平氏に近かった自民党の河野謙三・日本体育協会会長(当時)が、
五輪参加反対の決議をした80年5月24日の体協理事会の席で、
「政治が何を介入したんだよ」と気色ばんだのは、そんな事情。

早大時代、箱根駅伝で2度の総合優勝を経験している河野氏は、
ボイコット決定直前の陸上の国際大会で、
瀬古利彦が一万mのレースを制した時、国立競技場の貴賓席で突然、
声を上げて泣き始めた。
その様子を見ていた岡野俊一郎・国際オリンピック委員会委員は、
「本当は、瀬古を五輪に出してあげたかったんだ。
でも、立場上そうは言えなかった」と心中を察する。

◆反映されなかった精神

78年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)が、
「体育・スポーツ国際憲章」を採択、「体育・スポーツの実践は
すべての人にとっての基本的権利」と宣言。
しかし、その精神は反映されなかった。

現在、日本ではスポーツ基本法の制定が検討。
大きなテーマは、「スポーツ権」の保障。
この議論に携わる日本スポーツ法学会の菅原哲朗弁護士は、
「カネを与えるから、国がコントロールできるのではない。
選手にも、国に対してものを言う権利があるはずだ」と主張。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2010/08/03/20100803ddm035050101000c.html

敬意持ち対等な関係築こう 障害者権利条約が基準に 早稲田大学客員教授 湯汲英史

(2010年7月30日 共同通信社)

国連が認める唯一の知的障害者の団体、国際育成会連盟による
4年に1度の国際大会が6月、ドイツ・ベルリンで開かれた。
70以上の国から2500人を超える人たちが集まり、
日本からも84人が参加。
参加者の一人として、会議の基調を紹介し、
世界の動向と日本の進むべき道を明確にしておきたい。

わたしは今回を含め、4大会連続で参加。
8年前のオーストラリア・メルボルンでは、障害者本人が開会式の壇上に
上がり、施設の中での自分の人生を切々と語った。

4年前のメキシコ・アカプルコでは、本人とともに兄弟姉妹も、
つらい経験を話した。

今回のベルリンでは、障害者が「地域で暮らしていきたい」という
自らの希望を、障害者権利条約を背景にしながら語った。

ベルリン大会の印象を一言でいえば、
障害者権利条約が世界の判断基準になったということ。
日本はまだ批准していないが、今後は医療・教育・福祉・労働など
あらゆる領域において、この条約の精神や趣旨に合致しているか
どうかが問われる。

障害者権利条約の精神とは何か?
大会で心に残ったのは、「知的障害のある私たちに対し、
敬意を持って接してほしい」という言葉。

障害に対するリハビリや保護でなく、お互いに人間として
交流することを求めるのが、障害者権利条約の考え方。
必要なのは、障害のある人への敬意である。
それがなければ、対等な関係は築けない。

これまで、「知的障害のある人の話は分からない」、
「こちらの話も理解してもらえない」、
「コミュニケーションが取れなくても仕方がない」と思われてきた。
それは間違っていると、ベルリン大会に参加した障害者たちは主張。

ベルリンには、忘れてはならない歴史がある。
ナチス・ドイツによる障害者や難病患者の抹殺である。
「生きるに値しない命」として殺された人の数は約7万人。
知的障害者を乗せ、安楽死施設へ向かった「灰色のバス」は、
障害者抹殺の代名詞。

あの悲劇は昔のこと、現代では起こり得ないと考えるのは正しくない。
ルーマニアのチャウシェスク政権時代、10万人近くの知的障害の子たちが、
裸のまま悲惨な処遇を受け、施設に閉じ込められていた。
その姿は、日本でも放映され、大きな反響をよんだ。
わずか20年ほど前の出来事。

これほどの規模ではないが、日本でも障害者への虐待や差別は
決してなくなってはいない。

知的障害のある人や家族は、排除され、あたかも存在しないかのように
扱われる危険を知っている。
障害の有無に関係なく、社会の中で共生するという考え方・生き方を
意味するインクルージョンが重要。

同じ時代に生きながら、閉じた世界に隠されてはならない。
命ある存在として、敬意を持って社会の中に包み込まれる必要。

ベルリン大会で示された障害者権利条約への期待は熱く、
普遍性を持つ基準として理解されだしていた。
障害者権利条約の精神は、他の国々と同様に、
日本でも受け入れられ、法や制度の改正を通して、
社会システムの改革へ、向かっていかなければならない。

それは、障害者や家族の幸せにつながるとともに、
障害のない人たちにとっても、伸びやかに生きられる社会を
実現することになるだろう。

◆ゆくみ・えいし

53年、福岡県生まれ。早稲田大卒。
言語聴覚士、精神保健福祉士、社会福祉士。
日本発達障害福祉連盟常務理事。
「発達につまずきがある子どもの子そだて-はじめての関わり方」など
著書多数。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2010/7/30/123476/

「く」の字触り認知症検査 岡山大、早期診断に応用

(2010年7月29日 共同通信社)

「く」の字が、異なる角度で開いて盛り上がった二つの板を
指先で触り、角度の大小を区別する実験で、
アルツハイマー病の患者は、健常者に比べ正答率が低い。
岡山大の呉景龍教授(生体計測工学)らが28日発表。

呉教授によると、認知症は「見えない障害」とされ、
早期診断の方法が確立されていない。
触覚を新指標にすることで、早期のアルツハイマー病診断に
応用することが期待。

呉教授らは、くの字の開きを点字のように盛り上げた4cm四方の
アクリル板9枚を用意。
角度は、60度から少しずつ大きくなっており、最大で110度。
アイマスクをした患者に、開きの異なる2枚の板を触らせ、
60度と比べてどちらの角度が大きいか区別してもらう。

研究の対象は、健常者14人、アルツハイマー病に先行する
「軽度認知障害」の患者10人、アルツハイマー病患者13人、
いずれも60~80代。

健常者は、約8度という小さな角度差で正答できたが、
軽度認知障害患者は約14度、アルツハイマー病患者は約25度の
角度差がないと、正答できなかった。

呉教授は、「装置の小型化や検査時間の短縮の研究を進め、
実用化を目指したい」

http://www.m3.com/news/GENERAL/2010/7/29/123408/

8割がビタミンD不足 介護施設入所の高齢女性 転倒、骨折の原因にも 長寿医療研が調査

(2010年7月29日 共同通信社)

特別養護老人ホームなどの介護施設で暮らす
女性高齢者の8割が、カルシウムの吸収を助けるビタミンDが不足、
自宅で暮らす人に比べ、血中濃度も半分程度と低いことが、
高齢者医療を研究している独立行政法人国立長寿医療研究センターの
原田敦・先端機能回復診療部長らの調査で分かった。

カルシウムの吸収を促し、骨の形成を助けるビタミンDの不足は、
骨折や転倒の原因、骨折したことがある高齢者には不足傾向。
太ももの付け根近くの骨折がもとで、
歩行困難から寝たきりにつながる人も多い。

原田部長は、「ビタミンDの取りすぎは良くないが、
干ししいたけなどの食品やサプリメント、日光浴などで補う方がいい

対象は、愛知県内の特養や介護老人保健施設、
認知症グループホーム計46施設に入所する女性435人。
寝たきりになっていない人たちで、平均年齢は86歳。
ホルモンバランスの影響で、男性よりも骨がもろくなりやすい、
調査対象は女性とした。

原田部長によると、入所女性の血液中のビタミンD濃度は、
1ml当たり平均16・8ng。
8割近くが、ビタミンD不足とされる20ng未満。
国内外の研究では、自宅で生活する70~80代女性の平均値は
20~30ng程度、これも大きく下回っていた。

同部長は、入所女性の方がビタミンDの血中濃度が低い
原因について、「もともと運動量や栄養維持機能が低下している
人たちが、入所後にさらに悪化している

ビタミンDは、食事から摂取され、日光を浴びると皮膚で合成される。
欧州では、日照時間の長い夏に転倒事故が少なくなることが知られ、
過剰摂取を続けると高カルシウム血症などの危険も。

※高齢者の骨折

長年の生活習慣などにより、骨の密度が低下し、
スカスカになり骨折しやすくなる、骨粗しょう症などによるものが主、
大半を女性が占める。
近年、太ももの付け根近くの骨折が目立ち、脳卒中とともに
寝たきりの大きな要因に。
寝たきりの人が認知症になるケースも多く、
骨折予防の重要性が指摘。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2010/7/29/123427/

2010年8月11日水曜日

防波堤、早期改修へ 国の重点港湾に大船渡正式決定

(岩手日報 8月4日)

前原誠司国土交通相は、来年度以降に集中整備する
「重点港湾」として、全国103の重要港湾から、
本県の大船渡港など43港を選んだ。

大船渡港は、湾口防波堤が老朽化。
宮城県沖地震による危険性が指摘、改修が急務として、
県が選定を求めていた。
大船渡市の関係者は、港湾振興の起爆剤として期待。

大船渡港の湾口防波堤は、1967年完成。
釜石港湾事務所は、宮城県沖地震津波で防波堤のケーソンが
滑って動く可能性を指摘。

大船渡市、同市の経済界などは、湾口防波堤の改修を要望。
県内の4重要港湾の大規模直轄事業は、久慈、宮古が進行中、
釜石は完了。
県は、大船渡港の緊急性が高いとして、
重点港湾に選定するよう求めてきた。

甘竹勝郎大船渡市長は、「国、県、関係者の努力に感謝する。
港の元気と、伸びしろを評価いただいたのではないか」と喜ぶ。

同港の取扱重量は近年減少傾向だが、隔週運航の
国際コンテナ定期航路が、韓国から中国に延伸。
2009年、世界的不況に見舞われながらも、
伸び率は47%で全国2位。

コンテナ用クレーンは、民間で購入・運営。
大船渡商工会議所の甘竹秀雄会頭は、
「苦労して、情熱をささげてきた港湾振興に弾みがつく。
将来的に、食料輸出港として拠点化できれば」と期待。

県は、老朽化や地域の安全拠点、今後の発展性を訴えたことが
評価されたと分析。
達増知事は、「今後の発展性などを評価して選定してもらったと考える。
湾口防波堤改良の早期事業化を引き続き要請し、
整備中の久慈港、宮古港の整備促進を要請する」

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20100804_6

ロシアのスポーツ政策

(sfen)

◆ロシアのスポーツ環境の特徴

1992年ソビエト崩壊後、ロシアは政党結社の自由を認め、
法整備を進めるなど、民主的な政治体制に移行。
特に、スポーツは国威高揚の重要政策と位置付けられ、
国際競技力の維持のため、スポーツ法の制定がすばやく着手。

ロシアは、一貫してスポーツの普及と強化を国策としてきた。
世界で初めて、スポーツを国家の管理下に置き、
国際競技力の強化に励み、優れた競技者を日常の労働から解放し、
スポーツの強化に専念できる環境を整えた。

全国から英才を集め、訓練した。
優秀な競技者とコーチには、名誉称号と報償金を与え、
国民的英雄として生涯を通じて厚く処遇した。

ソビエト期ロシアでは、法整備を行わず、国家スポーツ制度の
整備によって、スポーツの管理と普及を図った。

◆ロシアにおけるスポーツ基本法制定の背景

1917年ロシア革命後、1922年ソビエトが結成。
スポーツは、労働者大衆の余暇活動、社会保障の権利に内包され、
1930年スポーツの中央集権管理体制を築いた。

1928年より実施されていた第1次国家五カ年計画遂行のため、
過酷な労働に駆り立てられた労働者の余暇と
職場のチームワークの強化を目的として、
スポーツの普及が図られた。

1936年12月5日、ソビエト憲法が制定、
労働者の休息の権利、社会保障の権利が明記され、
休息時のスポーツ活動が保障された。
同年6月21日、ソ連邦人民委員会議付属体育・スポーツ委員会を設置。

1937年、全ソ連邦統一スポーツ等級制度を制定、
スポーツマスター称号と授与規定を制定、競技者管理の基盤とした。
1992年、ソビエトが崩壊するまで、
「国家体育・スポーツ委員会規則」がスポーツ法としての役割。

1986年、国家体育・スポーツ委員会機構改革後、
スポーツ法の制定に着手。
グラスノスチ(公開)政策の下、すべての法案は官報で公開、
公開審議を受けた。

1990年7月20日、スポーツ法案は公開、
1992年7月11日、議会を通過。

◆ロシアのスポーツ法

ロシアスポーツ法は、30項から成る成文法。
「ロシアにおける体育、スポーツ、観光、軍事技術スポーツ、
民族スポーツ、遊戯を調整する権限を持った法規」と規定。
このスポーツ法の下、国民のスポーツ権が保障された。

同法は、1条から3条で国民のスポーツ活動、結社、
競技会参加を権利として明記。
国民は、健康維持の義務を負い、親・後見人は
子供の発育・健康の保障を義務付けられた。
スポーツの目的を、競技力の強化よりも発育・健康に置いた。

(1)スポーツ権

第2条「スポーツに関する国民の権利」は、
「ロシア国民は体育・スポーツに従事し、体育・健康維持・スポーツの
組織に加わり、国内の体育・スポーツ事業に参加する権利を有する」
同法は、国民のスポーツ権について、
「この国民の権利を保護する法を学術的に研究し、
体育・スポーツに規則的に従事するよう奨励する」、
国民のスポーツ権を認めた。

(2)スポーツの普及

第3条「体育に対する国民の義務」で、
「ロシア国民は、身体面・精神面が改善された状況の下でも、
自身の健康の維持に努める義務を負っている。
両親、後見人、世話人、代理人は、子供の全面的な身体の発育と
健康に配慮し、体育・スポーツ活動に不可欠な条件を整え、
健康的な生活様式の模範を示さなければならない」

(3)国家のスポーツに対する権能

第4条「体育・スポーツに関するロシア構成共和国並びに
自冶共和国の権限」で、「ロシア構成共和国並びに自冶共和国は
体育・スポーツの発展を自主的、充分に広い範囲で実施する。
構成共和国と自冶共和国は、地方評議会の人民代議員に
体育・スポーツに関する権能を与えている」として、
ロシアを構成する連邦共和国と自冶共和国議会に
体育・スポーツの監督権を委ね、スポーツ行政の地方自冶権を
認めることで、スポーツ行政の民主化を法制化した。

(4)スポーツ施設の整備

第14条「体育、健康、スポーツ施設」では、
「住宅地区で新たな体育、健康、スポーツ施設の建設が
行われない限り、現存する施設の解体を認めない」
「人数に応じて整備すべき体育、健康、スポーツ施設を
所有しない企業、共同組合企業、公共企業へは追徴金を課す」

既存の施設の解体は、新たな体育・スポーツ施設の建設が
実施されない間は認めない、として施設数の現状維持を法に定めた。
企業に対して、従業員人数に合わせスポーツ施設を保有することを
義務付け、犯した企業には罰則を定めた。
国民のスポーツ施設の維持と管理を、企業の義務とする
画期的な法制化を行った。
スポーツ施設の維持と建設、管理に企業への財政支出を
法的に義務付けた。

(5)地域スポーツの財政確保

第12条「体育・スポーツの財政」で、「地方人民代議員評議会の
体育の発展と健康教育の予算は、タバコ製品とアルコール飲料
販売の約6%の収益からなる」、
たばこ・アルコール企業に、体育とスポーツ振興のための
特別税を課した。

(6)プロスポーツ

第28条「プロスポーツ事業」は、「ロシア国民は、報酬を受ける
プロスポーツに従事する権利を有する」と定め、
スポーツ興行から利益を得ることを認めた。

(7)競技者の権利と保護

第27条「国家体育・スポーツ機関と社会的連盟、
スポーツクラブ、スポーツ基地は、スポーツマンの競技会の準備と
参加費用に関する財政的損失を緊急の財政保障によって補助する」、
競技者の練習、競技会参加費は国家機関、スポーツクラブが
援助することを定めた。
「ロシア閣僚会議は、スポーツマンに与えられる年金額を定める」、
スポーツマンの国家年金を設置し、競技者の老後の生活を保障。

(8)競技者の収賄、ドーピング

第29条「スポーツにおける金銭受領の禁止」によって
法的に禁止し、処罰の対象とした。

◆ロシアスポーツ法の特徴

ロシアスポーツ法は、国民のスポーツ権の保証、
地域スポーツ行政の権限強化、スポーツ施設整備の法制化、
スポーツ税に立脚した財政の確立、ドーピング違反に対する
実刑導入による不正の追放などの斬新な内容。

最も重要なことは、ロシアスポーツ法が国民による公開審査を受け、
2度に渡り、草案が修正され、国会で承認された点。

スポーツ法制定のプロセスの公開こそが、
ロシアスポーツ界の民主化の象徴となった。

ロシアスポーツ法制定のプロセスから日本が学ぶべきことは、
「法案作成の公開審議」、「制定過程の透明化」の2点。

◆里見悦郎

モスクワ大学留学、国際キリスト大学大学院、東海大学大学院に学ぶ。
国際競技団体事務局勤務、アジア競技会、オリンピック、
世界陸上等国際競技会運営に従事。
専門は、ロシアスポーツ行財政、スポーツ医療行政。
武蔵野美術大学講師、小田切病院診療部長。教育学博士。

http://www.ssf.or.jp/sfen/sports/sports_vol8-1.html

脳の神経細胞 移動の仕組み解明

(2010年7月30日 読売新聞)

脳の神経細胞が、トンネル状の通り道を作って脳内を移動する
仕組みを、名古屋市立大学の沢本和延教授(再生医学)らが明らかに。
脳梗塞などの治療にも応用できると期待。
29日付の米科学誌ニューロンに発表。

脳の神経細胞は、脳室下帯など特定の場所で、
活発に作られることが近年、分かってきた。
作られた神経細胞が、実際に働く場所へ、密集した脳内をどうやって
移動するのかはよく分かっていなかった。

研究チームは、「SLIT」という遺伝子に着目。
この遺伝子をマウスで働かなくすると、神経細胞の通り道となる
トンネルの形が不規則になり、神経細胞の移動速度も半分以下に低下。
このトンネルは、アストロサイトという別の細胞が作るが、
神経細胞はSLITを使って、トンネルを構築するようアストロサイトに指示。

沢本教授は、「発見したメカニズムを応用して、脳梗塞などでダメージを
受けた脳の部位に、素早く新しい神経細胞を届ければ、治療に役立つ」

http://www.m3.com/news/GENERAL/2010/7/30/123491/

メタボ指導で体重、腹囲減 38万人調査で判明

(2010年7月28日 共同通信社)

生活習慣病予防のため、2008年度に始まった国の特定健診
(メタボ健診)で、腹囲が基準を上回るなどして保健指導を受けた人は、
体重や腹囲が大きく減少するなどの効果があったとの結果を、
国立保健医療科学院の今井博久疫学部長ら。

保健指導は、医師や保健師らが対象者と面談、
生活習慣を改善するための目標を設定、達成状況を確認。
今回は、その効果に関する初の大規模調査で、
今井部長は、「指導の科学的根拠を示すことができた」と強調。

8都道県で、08年度に健診を受けた40~74歳の約38万人のうち、
保健指導の対象になった約6万1千人を追跡。
指導を受けたのは約1万2千人、09年度健診では
体重が男性で1・65kg(2・4%)、女性で1・79kg(3・0%)減少。
対象だったが指導を受けなかった約4万9千人は、
体重減少が男性0・49kg(0・7%)、女性0・61kg(1・0%)。

腹囲は、指導を受けた男性で2・2%、女性で2・8%減少。
中性脂肪も男性で10・9%、女性で10・3%減った。

食べたものを撮った写真を使い食生活を評価したり、
夜間や休日にも保健指導の機会をつくるなどの工夫によって
効果が上がることも分かった。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2010/7/28/123363/

2010年8月10日火曜日

独法化など比較検討 県立病院経営形態あり方懇

(岩手日報 8月6日)

第3回県立病院等事業の経営形態のあり方に関する
懇談会(座長・浜田淳岡山大医学部教授)。

今後の県立病院の経営形態として、
現在の地方公営企業法全部適用(全適)のほか、
地方独立行政法人(独法)化や指定管理者制などの可能性を比較。
2009年度決算で、189億4200万円の累積欠損金を抱え、
経営改善を迫られている県立病院の在り方を検討。

会議は、ほぼ非公開で行われ、委員7人が出席。
県が救急など不採算だが、公益性が高い事業への県の支援体制や、
職員採用面での制約、給与などについて、全適や独法、
指定管理者ごとのメリットとデメリットを説明。

給与は現在県職員に準拠しているが、
独法化すれば勤務成績などに応じた支給が可能。
県医療局は、退職給付引当金を計上しておらず、
独法に移行する場合、所要額全額の引当金を計上する必要。

現在21病院を運営する県医療局は、地方の病院への応援医師派遣や
看護師ら医療従事者の配置など、運営にスケールメリットを発揮。

全施設を一体で独法化するには、4千人を超える職員の身分を
地方公務員から非公務員に変える必要があり、
労働組合などの反発が想定。
各病院ごとの移行は、スケールメリットが十分に生かせない。

病院経営に対する県議会の関与は全適に比べ、
独法や指定管理者は限定的。

委員から、「全適のまま、院長の権限強化などで、
どこまで経営改善が進められるか検証すべき」、
「21病院全体の独法化のほか、基幹病院や地域病院などに
類型化して考えてはどうか」など、意見が出された。

閉会後、浜田座長は、「県が20以上の病院を経営しているのは
全国でも珍しく、黒字体質の病院だけ切り離して独法化するのは
個人的には難しいと思う。まだ方向性は決まっていない」

同懇談会は、来年の県議会2月定例会までに意見をまとめ、
報告書を提出。
県は、報告書を基に将来の経営形態を検討。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20100806_7

カナダのスポーツ政策

(sfen)

◆連邦政府のスポーツ分野への関与(~1990年代)

カナダ連邦政府が、スポーツ分野へ積極的に関与するように
なったのは、1961年、「フィットネス・アマチュアスポーツ法」制定から。
同法成立の背景には、カナダ人の健康・体力水準の低下、
国技であるアイスホッケーの世界選手権などでの不振、
五輪・英連邦競技大会でのカナダ人選手・チームの不振など。

同法に基づき、健康づくり分野とアマチュアスポーツ分野に
連邦政府から一会計年度中500万ドルまで支出され、
中央スポーツ組織(NSOs)他への補助金交付、
州政府の実施する関連プログラムについての
「連邦・州間費用分担協定」などにおいて、資金活用が図られた。

初期の連邦政府の関与で、カナダは国際競技大会での成功を
収めることも、同協定による効果的な資金分配も
果たすことができなかった。

カナダは、国家として「ケベック問題 ※」を内包
1960年代、問題が顕在化し、1968年の国政選挙期間中、
「国民統合」論争が活発化。
当時のP・トルドー首相は、「スポーツによる国民統合」について言及、
その問題に関する特別調査委員会の設置を命じた。

連邦政府は、1969年同委員会の報告を踏まえ、
幾つかの独立スポーツ機関(arm's length sport agencies)を創設
同法の趣旨を維持しつつも、カナダのスポーツ基盤への支援に
その役割の舵を切るようになった。

1976年五輪、1978年英連邦競技大会の自国開催を機に、
連邦政府の関与はさらに高まり、それらを指揮監督するため、
1976年からフィットネス・アマチュアスポーツ担当国務大臣
(初代:I・カンパニョーロ)設置。

1980年代初頭、女性・障がい者対象プログラムへの支援、
二言語主義などがスポーツ制度の基本要素として導入、
1990年代初頭、連邦予算抑制の中、NSOs他への補助金も縮減、
結果として、連邦政府のプライオリティは競技スポーツの支援へと移行。

※ケベック州のフランス系カナダ人が求めている
カナダ連邦政府からの分離・独立をめぐる問題。
カナダの国家としてのアイデンティティの根源とも言えるが、
1995年、独立について2度目の州民投票が実施
(賛成49.4%、反対50.6%という僅差で否決)、
同国のみならず、北米地域においても重要な問題。

◆スポーツ政策の現状

今日のカナダのスポーツ政策は、2002年、
「The Canadian Sport Policy」に基づき展開、
2012年までに達成すべき4つの政策目標
(スポーツ参加の向上、国際競技力の向上、潜在能力の向上、
相互作用の向上)が掲げられている。

原点は、「カナダ民族遺産に関する下院常任委員会・
スポーツ調査小委員会」がまとめた「ミルズ報告」(1998年)。
同報告では、スポーツ政策に対する69項目の勧告。

D・コデール(アマチュアスポーツ担当政務官)が中心、
2000年、カナダのスポーツ政策開発を目的として、
「汎カナダスポーツ協議プロセス」が開始、
国内6カ所の地域会議、連邦・州・準州政府スポーツ担当大臣会議、
全国スポーツサミット(議長:カナダ首相)などのプロセスを経て、
同政策の策定に至った。

その特徴は、
①14の政府が政策ビジョン・目標を共有、
②政策開発にスポーツ組織、スポーツ産業などの利害関係者が関与、
③目標設定や意思疎通において、政府とスポーツ関係機関の
 代表者との協同を約束。
 「FROM POLICY TO ACTION」と書かれているように、
④同政策だけで目標達成を図るのではなく、
 補完的な行動計画(Action Plan)策定の必要性を指摘、
 「The F-P/T Priorities for Collaborative Action」、
 「The Sport Excellence Strategy」など多くの行動計画が策定。

◆カナダのスポーツ政策関係年表(主要事項)

1997年11月24日
● カナダ民族遺産に関する下院常任委員会・スポーツ調査小委員会
※委員長:D・ミルズ下院議員、副委員長:D・コデール下院議員
※1998年11月24日までに計23回の公聴会(41参考人)
※スポーツ組織への質問調査(109団体から返答)

1998年12月
● 「ミルズ報告」(SPORT IN CANADA: Leadership, Partnership and Accountability)

2000年 1月
● 汎カナダスポーツ協議プロセスの開始
※6カ所の地域会議

2001年4月26日
● 連邦・州・準州政府スポーツ担当大臣会議
4月27日
● 全国スポーツサミット(オタワ) ~28日
8月10日
● 連邦・州・準州スポーツ担当大臣会議「ロンドン宣言」

2002年4月10日
● 身体活動・スポーツ法案上程 ※下院第一読会
5月24日
● The Canadian Sport Policy
● Canadian Strategy for Ethical Conduct in Sport
● The F-P/T Priorities for Collaborative Action 2002-2005(PDF)

2003年3月19日
● 「身体活動・スポーツ法」成立

2004年 2月
● 2010バンクーバーオリンピック・パラリンピック対策会議(カルガリー)
6月
● The Canadian Policy Against Doping in Sport

2005年 5月
● Sport Canada's Policy on Aboriginal Peoples' Participation in Sport
8月
● SPORT EXCELLENCE STRATEGY(PDF)(国際競技力向上戦略)

2006年
● Podium Canada創設
※Own the Podium(OTP:2010バンクーバー対策)
※Road to Excellence(RTE:2012ロンドン対策)
● Policy on Sport for Persons With a Disability

2007年
● The F-P/T Priorities for Collaborative Action 2007-2012(PDF)

2008年
● The Federal Policy for Hosting International Sport Events
● Sport Canada's Anti-Doping Sanctions(PDF)

2009年
● Actively Engaged: A Policy on Sport for Women and Girls: Action Plan 2009-2012
● Athlete Assistance Program: Policies and Procedures(PDF)

2010年 2月
● バンクーバーオリンピック・パラリンピック冬季競技大会

◆カナダのスポーツ法

カナダ連邦政府のスポーツ政策の根拠法は、
2003年、「身体活動・スポーツ法」。
同法は、今日のカナダのスポーツ界における諸問題を解決するため、
フィットネス・アマチュアスポーツ法を現代化したもの。

身体活動・スポーツ法は、前文及び全40条からなり、
第9~36条の28条が、「カナダスポーツ紛争解決センター」に係る条項、
同センターの設置法かの印象を与えるが、それ以外の各条項を見ると、
新しい「目的・権限」が盛り込まれるなど、
前法の規定よりも詳細かつ範囲拡大された規定。

カナダ連邦政府のスポーツ政策についての方針・役割を前法以上に
明確にしていること、現代スポーツを巡る新たなスポーツ問題
(スポーツ紛争、スポーツ機会の平等)に対応するための法律であること、
身体活動及びスポーツを通じて、カナダの抱える二言語主義の尊重や
社会的結合の実現を図ろうとしていることなどが特徴。

政策と法の関連では、内容上からも、身体活動・スポーツ法案が、
「The Canadian Sport Policy」公表の直前に議会(下院)に上程、
政策先行型("政策在りき")での法制定。

◆スポーツ所管省庁・担当部局

カナダ連邦政府のスポーツ担当部局は、「Sport Canada」
(スポーツカナダ:カナダ民族遺産省スポーツ局)で、
州・準州政府には、それぞれスポーツ関連省庁が存在。

スポーツカナダは、「カナダ人のスポーツ参加の促進」、
「国際競技力の向上」を主たる任務とし、補助金などの交付による
つながりで、スポーツシステム(Canadian Sport System)を構築、
その中心において積極的なイニシアチブをとっている。

具体的な取り組みとして、「スポーツ資金提供プログラム」と
「特別施策」の2本柱、前者において、
「競技者支援プログラム(AAP)」、
「スポーツ援助プログラム(SSP)」、
「主催プログラム(HP)」、
後者においては、「長期競技者養成プログラム(LTAD)」、
「ポウディアム・カナダ」などの事業が展開。

スポーツカナダの05~06年度予算は、1億4000万カナダドル
(当時のレート換算:約117億円)。

スポーツカナダ組織図
http://www.ssf.or.jp/sfen/sports/pdf/canada.pdf

◆まとめ ~日本への示唆~

カナダのスポーツ政策の特徴を、
“日本のスポーツ政策への示唆”という観点で要約。

(1)国家としてのスポーツの位置づけ・役割が明確化

カナダはケベック問題とともに、多民族国家、多文化主義の実現
という課題も抱え、国民統合や社会的結合を図るうえで
スポーツ、特にオリンピックなどの国際競技大会での
カナダの成功に、国家として価値を見出している。

(2)現在のスポーツ政策がボトムアップにより開発

「ミルズ報告」をまとめる段階で、多くの関係者・機関から
情報を収集することで、カナダのスポーツ分野における
問題点を抽出し、それらを解決するための政策案を、
「汎カナダスポーツ協議プロセス」に基づき、地域会議から
全国スポーツサミットに至る各段階ではかり、
意見集約と合意を得ながらボトムアップし、
「The Canadian Sport Policy」を作成、
その政策の実現を図るべく、新しいスポーツ法を制定。

(3)スポーツカナダを中心とした機能的な体制が形成

「Canadian Sport System」は、スポーツカナダをその中心とし、
NSOs、MSOs(複合スポーツサービス組織)、
CSCs(カナダスポーツセンター)、13の州・準州政府他で構成、
パートナーシップを前提にしつつ、補助金などを通じて
スポーツカナダによるコントロールとイニシアチブが機能。

(4)スポーツ政策実現のための行動計画が綿密に策定

スポーツ政策(Policy)を実現(補完)するための行動計画
(Action Plan、Strategic Plan)が綿密に策定。

(5)スポーツ政策における原理・原則を尊重

カナダは国家として、二言語主義や多文化主義の尊重、
先住民の権利保障、説明責任の遵守など、1988年ソウル五輪における
ベン・ジョンソン選手のドーピング違反に関する調査委員会報告
(Dubin Inquiry)以後、スポーツにおける倫理(公正、反ドーピング、
ハラスメント・虐待の防止など)も原理・原則のスタンダードとなり、
政策などに反映。

◆出雲輝彦

東京成徳大学応用心理学部健康・スポーツ心理学科教授。
埼玉女子短期大学他非常勤講師、
財団法人杉並区スポーツ振興財団体育専門調査員を経て現職。
日本体育・スポーツ政策学会理事、
関東学生テニス連盟部長監督会理事。
カナダ政府2006-2007 FRP Award受賞、
共編著「スポーツ政策の現代的課題」日本評論社。

http://www.ssf.or.jp/sfen/sports/sports_vol7-1.html

水和水の揺らぎがタンパクの機能誘導

(サイエンスポータル 2010年7月29日)

タンパクは、構造を変えることでさまざまな機能を
発揮することが知られているが、この「構造の揺らぎ」には、
タンパクを取り巻く水が決定的な役割を果たしていることを、
日本原子力研究開発機構などの研究チームが明らかに。

タンパクの表面には、通常の水とは異なる性質を持つ
水和水が取り付いて、タンパクの働きに大きな役割を果たす。
日本原子力研究開発機構・量子ビーム応用研究部門の
中川洋研究員と奈良先端科学技術大学院大学物質創成科学研究科
の片岡幹雄教授の研究グループは、研究用原子炉を用いた
中性子散乱実験による観測データとコンピュータによる計算結果を
照らし合わせる手法で、水和水とタンパク機能との関係を調べた。

この結果、タンパクを取り囲む水和水の量が一定以上に増え、
タンパクをかごのように取り囲む状態になると、
その水和水ネットワークの揺らぎが、タンパクの構造の揺らぎを
誘導することが分かった。

今回の成果は、水も含めた酵素活性機構の解明や、
水和水や揺らぎに着目したこれまでにない創薬設計のほか、
食品の腐食防止などへの応用も期待できる。

http://scienceportal.jp/news/daily/1007/1007291.html

いじめ対策(8)生徒が討論 根絶へ宣言

(読売 7月29日)

長野県伊那市立西箕輪中学校で開かれた生徒総会。
生徒会役員から、3学年6クラスの代表に、
「いじめや差別を絶対に許しません」などと印刷された
パネルが手渡された。
生徒会が採択した、いじめ根絶の「人権宣言」だ。

きっかけは、2007年12月の生徒会選挙。
生徒会長・副会長候補6人のうち、3人が「西中からいじめをなくす」
を公約に掲げた。
副会長候補2人が当選、新しい生徒会の主導で、
いじめ根絶運動が始まった。

生徒会は08年6月、生徒にアンケートを実施、
25%が「自分のクラスにいじめはあると思う」と回答。
同11月、全校生徒で小グループに分かれた討論を実施。
討論が、普段の人間関係に縛られないよう、
グループは学年を超えた縦割りとし、
「いじめを注意できる関係を作る」、
「相手の立場で行動する」など、率直な声を出し合った。

当時の生徒会長で、高校2年望月健人さん(16)は、
「みんなにいじめに対する意識を持ってほしかった」。
根絶運動はその後も引き継がれ、今年1月、2年目の縦割り討論会で
出た意見をもとに、宣言を採択した。

同中は、全校生徒177人。
自然豊かな地域に1586世帯が暮らし、保育園から中学校まで
ほぼ同じ顔ぶれ。
「固定された人間関係の中で、いじめの加害者も被害者も
自覚しにくく、我慢もする。
いじめは親や教師に見えにくくなり、生徒主導のこうした活動は
意味がある」と、片山寛教頭(57)。

人権宣言が採択された今年1月21日、同中で開かれた
いじめ根絶運動の記念講演会。
同県須坂市の団体職員前島章良さん(56)が講師として訪れ、
「我が子が生きているときに、こんな宣言があれば
救われたかもしれません」と語りかけた。

1997年、前島さんの長男で、同県須坂市立中学1年だった
優作君(当時13歳)が、「いじめられていた」という遺書を残して自殺。
前島さんは、同市を相手取って訴訟を起こす一方、
任期付き職員として、県教育委員会でいじめ相談を受ける側に
回った経験がある。

前島さんは、「いじめをなくそうとする努力が続く限り、
悲劇は少しでも減ると信じたい」。

◆西箕輪中の人権宣言

・いじめや差別についてよく理解するよう努力し、
 周りにあるいじめに気付けるようになります。
・一人ひとりの個性を認め、いじめや差別を絶対に許しません。
・毎日明るくあいさつをし、みんなが声がけできる環境をつくります。
・常に相手の気持ちを考えて行動し、温かい言葉で話します。
・どんな時でも、助け合い、支え合い、励まし合う友達をつくります。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20100729-OYT8T00219.htm

2010年8月9日月曜日

中国・大連で本県6社が商談会 県など主催

(岩手日報 8月5日)

県内企業が、中国東北部の玄関口・大連市の企業と
ビジネスマッチングを行う大連商談会が行われ、
企業6社が急成長市場の企業にアピール。

中国側は、72社が参加。
本県の企業1社当たり中国側の10社以上の企業が商談し、
本県の水、水産加工、木材加工、土壌改良、製パン・製菓などの
ビジネスに関心を高めた。

大連市には、多くの日系企業が進出、
本県企業にとってもビジネスチャンス。
県担当者によると、商談の場では早速見積もりするなど、
中国側の積極的な姿勢が見られた。

同商談会は、岩手、宮城両県、岩手県産業貿易振興協会、
宮城県国際経済振興協会の主催。
宮城県と合同で2004年から始まり8年目を迎え、
宮城県からは14社が参加。

県産業経済交流課の福沢淳一総括課長は、
「これを機に、岩手の企業が成約に結び付け、成長することを期待。
県大連経済事務所を通じ、フォローアップしていきたい」

http://www.iwate-np.co.jp/economy/e201008/e1008051.html

オーストラリアのスポーツ政策

(sfen)

◆諸外国へ影響を及ぼした先駆的取り組み

連邦政府が、スポーツに積極的に関与するようになったのは、
1970年代以降。
以前は、オリンピックや英連邦大会(Commonwealth Games)など、
国際競技大会に参加する選手に対する派遣支援といった程度。

1956年メルボルンオリンピックでさえ、政府は特に何もしていない、
という結果が、1964年東京オリンピック開催にあたり、
日本オリンピック委員会による諸外国のスポーツ政策調査で報告。

オーストラリア連邦政府がまず行ったことは、
指導者養成制度の確立。
1978年、指導者評議会(Australian Coaching Council : ACC)設立、
全国統一の資格制度を導入。

1981年、ナショナルトレーニングセンター機能と
スポーツ医科学研究機能を、併せ持つスポーツ研究所
(Australian Institute of Sport : AIS)創設。
20歳前後の若いアスリートに、質の高い指導が提供、
多くのオリンピック選手を輩出。

AISは、イギリスのハイパフォーマンスセンターや日本の
スポーツ科学センター、ナショナルトレーニングセンターのモデルに。

◆スポーツ委員会の機能

政策には、各国の歴史や文化、行政権限などが反映。
スポーツ基本法も、各国で必ず制定されているわけではなく、
スポーツ政策のあり方は、その国の状況によって異なる。

オーストラリアに、スポーツ基本法と呼べるようなものは存在しない。
競技団体の関係する公益法人のあり方などは、
社団法人法などの各州法で規定。
スポーツ権に関する議論も、ほとんど行われていない。

歴史的背景から、国家建設の当初よりスポーツは市民のものであり、
さまざまなスポーツに参加する者の権利保障に関する事項は、
必要に応じて諸法に盛り込まれている。

オーストラリア憲法に省庁の設置規定がないため、
省レベルの組織改編が頻繁に行われる。
実務を担う専門機関が各方面で設立、スポーツ専門機関としては、
1985年、スポーツ委員会(Australian Sports Commission : ASC)が
法律に基づいて創設。

AISが、主として競技スポーツの発展という役割を担っているのに対し、
ASCは、予算配分から政策立案など、
スポーツ行政の中心的役割を担っており、
1989年、ASCの機能の中に、AISも吸収。

権限や任務などを規定したASC設置法
(Australian Sports Commission Act of 1989)が、
スポーツ基本法のような機能を有している。
http://www.comlaw.gov.au/ComLaw/Legislation/ActCompilation1.nsf/0/08D6A321E01176AACA25768C007D9EBE/$file/AusSportsComm89WD02.pdf

◆4年単位のスポーツ政策

近年、オーストラリアのスポーツ政策の特徴は、
オリンピックの4年を期間として、その間の政策ターゲットを
予算とともに明確に打ち出すこと。

1989年、初めて「Next Step」と題する政策を打ち出し、
1992年、「Maintain the Momentum」を発表。
1993年、00年シドニー五輪開催が決定、期間を00年まで延長。

シドニー五輪後の2001年、「Backing Australia's Sporting Ability:
A More Active Australia」を導入。
2008年、「Australian Sport: The Pathway to Success」が公表・展開。

◆オーストラリアから学ぶもの

日豪間では、行政のあり方や社会におけるスポーツの位置付けなどが
異なるため、日本の参考になる点が多くあるとは思えないが、
ここでは3点をあげておく。

第一、スポーツ庁設置という議論が起こっているが、
ASCのようなスポーツに責任をもつ独立した行政機関設置は可能。
スポーツの振興に教育所管省との連携は不可欠だが、
これまでの成果からみても限界があり、独立専門機関が望まれる。

第二、2008年、「Australian Sport: The Pathway to Success」の
中にみられる、競技団体の組織・財政基盤の強化は、
日本のスポーツ界には非常に重要なテーマ。
公益法人改革が進んでいるが、国際スポーツ社会における
力不足が指摘、幅広い意味での組織基盤の強化が求められる。

第三、4年というサイクルでの予算をつけた形での政策展開。
わが国では、スポーツ振興基本計画が展開、
計画の実施期間は10年と長く、ターゲットの設定や
予算をつけた方式というのは参考に。

◆オーストラリアの4年単位の政策

(1)1989年、「Next step」

● AISのプログラムをさらにサポートし、各州間の集中的な
 トレーニングセンターのネットワークを発展
● 指導者の質と量を向上させ、専門の組織を発展
● スポンサーシップを拡大
● 医科学研究の専門的なサポートサービスをさらに発展
● Australian Sports Drug Agency設立、
 薬物テストの回数を増やし、教育プログラムを導入
● AUSSIE SPORT プログラムを発展、
 女性とスポーツの関わりを高める
● 障害者スポーツプログラムへのサポートを強化
● 才能ある若年競技者に対して、助成やサポート体制を強化
● スポーツ管理者の雇用のための補助金を増加し、国内での
 国際的イベントを支援し、組織的な反省や組織の再編成にも助力

(2)1992年「Maintain the momentum」

● 国民のスポーツ参加の増大を図るため、100万人以上の
 スポーツボランティアと3万のスポーツクラブの支援を得る政策を展開
● エリート選手の発掘・育成のため、AIS、各州の
 トレーニングセンターやアカデミー、各種のスポーツプログラム、
 オリンピック委員会が連携しながら、国家的なシステムを構築
● スポーツ団体は、それぞれの競技の発展のための独自の
 戦略的展開と到達可能な目標を設定
● スポーツ科学、スポーツ医学、スポーツ教育、情報、調査の分野で、
 世界最先端のレベルを維持
● 指導者、管理者審判の役割を正当に評価、その育成に努める
● 学校教育における体育やスポーツ教育の重要性への理解を
 各州の教育機関に働きかける

(3)2001年「Backing Australia's Sporting Ability: A More Active Australia」

● 国際競技水準の維持、向上
● すべての世代におけるスポーツへのさらなる参加
● 優れたマネジメント
● ドーピング対策の継続
http://fulltext.ausport.gov.au/fulltext/2001/feddep/active.pdf

(4)2008年「Australian Sport: The Pathway to Success」

● 学校におけるスポーツの役割・意義
● 市民スポーツ拡大のための財政対策
● スポーツのさまざまな場面における女性の参加拡大
● 質の高い指導者の重要性に対する認識の向上
● 地域スポーツの指導者、管理者を5000人増加させ、
 そのための養成に関する助成金の分配
● 優秀な潜在能力を持つ若い競技者の早期発掘と能力の開発
● 地方のスポーツ振興への助成拡大
● 現役、引退した選手の経験を地域へ活かすためのプログラム導入
● ボランティアの重要性の再認識および活動への支援の増大
● 国際競技力のさらなる向上に関する支援
● 高水準指導者の定着率の向上

http://www.health.gov.au/internet/main/publishing.nsf/Content/9BDACC426F0BC9C8CA25771E0080EF4F/$File/Australian%20Sport.pdf

◆森浩寿

大東文化大学スポーツ・健康科学部准教授、
日本スポーツ法学会理事、日本体育・スポーツ政策学会理事、
日本スポーツ産業学会スポーツ法学専門分科会幹事を兼任。
共編「スポーツ六法」信山社、「導入対話によるスポーツ法学」不磨書房、
著書「スポーツ政策の現代的課題」日本評論社など。

http://www.ssf.or.jp/sfen/sports/sports_vol6-1.html

私は日本に「不必要」 頭脳生かせぬシステム 「日本の実力:頭脳流出」

(2010年7月27日 共同通信社)

「私は、日本では必要とされていないんですよ」
シンガポールの丘陵地に広がる生命科学の研究拠点
「バイオポリス」の研究所の一室で、
伊藤嘉明元京大教授(71)は静かに話した。

伊藤さんは、がん遺伝子研究の世界的権威。
63歳の定年を迎えた2002年、シンガポール政府の招きで、
自らの研究室のスタッフ9人を引き連れ、シンガポールに移住。
日本では、異例の「研究室ごとの頭脳流出」として、
学界を騒然とさせた。

「日本の(国公立大の)研究者は、定年が近づくと、
管理部門に移り研究を断念するか、
私大に移って研究規模を縮小するしかない」

シンガポール側が提示した移籍の条件は、
「良い研究をしてくれればいい」
伊藤さんに迷いはなかった。

「ついこの間も、日本のエイズ研究者が、定年を1年残して
こちらにやってきた」と伊藤さん。

「60~65歳でも元気に仕事ができるのに、
切り捨ててしまうのは残酷。
日本はそういう人材を、他国に持っていかれてしまっている

シンガポールは、世界各国の優れた研究者を、
人種や年齢を問わずスカウトしている。
国土は、東京23区ほどで、天然資源もほとんどない。

「何もしなければ、国が滅びる」という危機感があり、
頭脳立国を生き残り戦略とする。

科学技術研究庁生物医学研究評議会のアンドレ・ワン事務局次長は、
「シンガポール経済に利益をもたらす研究こそ重要だ」
医薬品開発に応用できる生命科学の研究者への期待は
特に大きい。

国費で、潤沢な研究予算を確保。
日本のように、金勘定や伝票づくりの雑務に追われることなく、
研究に専念できる。

半面、評価は厳格だ。
成果を挙げられなかった研究者は、容赦なく研究所を追われる。
米名門大の博士号を持つ研究者が職を失い、
タクシー運転手として生計を立てているのが話題に。

「利益に直結する研究だけが重視され、
基礎研究が軽視されている」との批判があるが、
ワンさんは、「研究資金は国民の税金。
経済発展のために使うのは当然だ」と意に介さない。

伊藤さんらのケースが注目され、一般には日本からの頭脳流出が
続いているイメージがあるが、若手研究者の間では実は、
海外に出るのを敬遠する傾向が強まっている。
「帰国後、ポストが確保できるかどうか不安」というのが大きな理由。

「研究者の頭脳流出は、どんどんすればいい。
問題は、一度出て行った人が帰ってこられない日本のシステムだ」。

伊藤さんと同じシンガポールの研究所に在籍経験がある
沖縄科学技術研究基盤整備機構の丸山一郎さん(57)は、
日本の研究界の硬直性や閉鎖性が、
優れた研究を生み出す妨げになっている。

アジア各国の学術研究の実情に詳しい
新井賢一・元東京大医科学研究所所長(67)も、
研究者のキャリアのあり方を批判。
「日本は、官僚がモデルの終身雇用制で、
明治以来変わっていない。
定年を超えたから研究能力がない、と考えるのはとんでもない無駄」

伊藤さんの研究室は、眼下に熱帯の木々を望む。
日本とシンガポールを比べたら、
明らかに日本の方が研究のすそ野が広い。
でも、日本のシステムには限界がある。
その実力から考えれば、日本は研究の世界でもっと存在感を
示すことができるはず」

日本に帰国して、研究を続けてほしいと言われたら?
「喜んで帰ります。
でも、もう71歳だから(日本のシステムでは)無理ですよ」

http://www.m3.com/news/GENERAL/2010/7/27/123333/

インタビュー 東山紀之さん(GM-踊れドクター)

(2010年7月26日 読売新聞)

問診などから包括的に患者を診断する「総合診療科(GM)」
世界的名医でありながら、43歳でなおもダンサーとして
ブレークする夢を追い続ける後藤英雄を演じる。

「初めて台本を読んだ時はびっくりしたが、ダンスも含めて、
この役を演じて不自然でないのは僕ぐらいでは、と思うようになった」

英雄は、街中で突然踊り出したり、潔癖症で患者に触ることが
できなかったり、というとっぴな役柄。
アイドルにあこがれ、デビュー当時の少年隊の映像を見る場面もあるが、
「開き直って演じているので、『いかがですか』という感じ」と笑う。

コミカルな設定も多いが、患者と接する場面では名医に変身。
題材となる総合診療について、
「こんなに患者の気持ちをくみとる医療はない。
それを演じることは、社会的にも意義がある」と真剣な表情を見せる。

突き抜けた笑いと社会性のあるテーマ。
そんな両極端なものを違和感なく見せることは容易でないが、
振り幅の広い役を楽しむ姿にすごみすら感じられた。

Q お医者さんとの印象的な思い出は?

A 4、5歳の頃、虫歯を治療した時、歯科医が麻酔を
一切使わなかったこと。
一応治ったけど、号泣したことを覚えている。
何で麻酔を使わなかったのか、いまだに真相は分からない。

Q 暑い日が続くが、夏バテ防止法があれば?

A 気温の高い、低いに関係なく、自分のリズムを一定に保つこと。
バテるからといって、たくさん食べると余計に疲れてしまう。

Q 英雄は考え込むと踊り出すが、考える時の癖は?

A 英雄と同じで、何かをしながら考えることが多い。
ランニングしながら、掃除機かけながらなど。
ジムで走りながらセリフを覚えることも。
僕は、何かをしながらの方が頭に入ってくる。

◆GM-踊れドクター(TBSテレビ系 日曜後9・00)

英雄(東山紀之)は、「総合診療科のメンバーは全員元ダンサー」
という桃子(多部未華子)を信じ、名峰病院に残ることを決意。
そんな中、謎の入退院を繰り返す女性を診断することに。

◆ひがしやま・のりゆき

1966年9月30日、神奈川県出身。
85年、錦織一清、植草克秀と組んだ「少年隊」としてレコードデビュー。
現在、「世界まる見え!テレビ特捜部」(日本テレビ)、
「バース・デイ」(TBS)にレギュラー出演。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2010/7/26/123281/

2010年8月8日日曜日

海上から防波堤見学親子で学ぶ地震・津波講座 大船渡で

(東海新報 8月3日)

国土交通省東北地方整備局釜石港湾事務所などによる
「親子で学ぶ、地震・津波防災講座」が、大船渡市内で行われた。

子どもたちは、碁石海岸観光船に乗船し、
大船渡湾口防波堤を間近で見学し、防災への意識を高めていた。

この講座は、同事務所と県沿岸広域振興局、市で構成する
地震・津波防災学習発表会実行委員会が主催。
宮城県沖を震源とする地震の発生確率が、
30年以内に99%と予測される中、津波発生の仕組みなどを知り、
防災設備について理解を深めようと企画。
夏休み中の児童と保護者ら20人余りが参加。

市民文化会館・リアスホールでの座学研修では、
津波のメカニズムや津波災害から身を守る防災について学習。
岬の突端やリアス式海岸の湾奥では、波や海水が集中して、
高い津波が襲う危険性があることなどを、
スクリーンに映された画像を通じて確認。

観光船が出航する大船渡町の野々田ふ頭まではバスで移動し、
各地にある水門や避難誘導標識を車窓から確認。
観光船に乗った児童たちは、飛び回る海鳥に餌をやりながら、
湾口防波堤に向かった。

この日は濃い霧に覆われ、間近でしか湾口防波堤を見ることが
できなかったが、子どもたちはコンクリート構造による
大きさに驚きの表情。

湾内では、コンテナ貨物の積み降ろし作業を行っていた外貿船に加え、
カキ養殖棚で作業する漁業者の姿も多く、
海を生かしたさまざまな産業にも理解を深めていた。

大船渡北小5年の佐藤駿君は、
「湾口防波堤はとにかく大きかった。
講座では、津波に対して逃げる対処法がとても勉強になりました」

http://www.tohkaishimpo.com/

中国のスポーツ政策

(sfen)

◆政策の展開と行政組織

中国のスポーツに関する行政改革は、
「改革・開放」を目指す国家行政改革の一環として、
1978年より活発に行われてきた。
その結果、中国のスポーツ政策は、「国家が行政を統制する」
ことから、「行政を支援する」ことへと転換、発展。

中国のスポーツ政策は、2008年北京オリンピック開催を契機に、
法制度などの整備が進み、北京オリンピック後は、
一般国民のスポーツ参加、競技スポーツ、学校体育、
スポーツ産業、スポーツの国際交流などの多方面で
推進が図られ、総合的に展開。

競技スポーツについて、北京オリンピックで51個の金メダルと
パラリンピックで89個の金メダルを獲得、
金メダル総数で世界1位となった。

中国のスポーツ政策は、国務院の中央行政組織を中心に、
スポーツに関する法律及び計画などを整備して、
体系的かつ計画的に実施。

中国のスポーツ行政組織は、1949年新中国の建国以後、
国務院直属の行政機構である「国家体育委員会」によって所管、
1978年から2001年にわたる国務院の機構改革に伴い、
1998年「国家体育総局」に改組。

国家体育総局には、弁公庁、大衆体育司、競技体育司、
政策法規司、体育経済司、対外連絡司、人事司、科教司、宣伝司、
機関党委員会、監察局、退職幹部局の12の機関司局と、
登山センターなど各種管理サービスセンターや
北京体育大学などを含む、43の直属事業単位から構成。

各体育協会、スポーツ連盟、中国オリンピック委員会、
その他の社会団体など、95の管理社会組織がある。
学校体育について、国務院構成部門である国家教育部の
体育衛生及び芸術教育司が担当。

◆中国のスポーツ政策法規とその体系

2009年、「全国体育政策法規会議」において、
国家体育総局副局長肖天氏は、中国におけるスポーツの
国家戦略として、将来、体育政策法規に関する新たな任務、
方法、理念、目標を明確にしていく。

現在の中国の体育政策法規は、1995年8月29日、
「中華人民共和国体育法」を基本に、関連する行政法規、
中央文書、部門規章(行政命令)、規範性文書及び地方立法に
よって体系化、総合的に制度構築と政策実施が図られている。

生涯スポーツ及び競技スポーツに関係する法規だけでなく、
スポーツの経済、人事・資格、教育、宣伝、外交など、
日本に比べ、非常に広範囲にスポーツ法の整備が進んでいる。

主要な行政法規として、
・国家体育鍛錬標準施行方法(1990年1月6日公布)
・学校体育工作条例(1990年3月12日公布)
・中国来訪外国人登山管理方法(1991年8月29日公布)
・国務院弁公庁転発、国家体育総局、民政部、公安部の健身気功活動
 の管理に関連する問題についての意見通知(1999年8月29日)
・オリンピック標識保護条例(2002年2月4日公布)
・公共文化体育施設条例(2003年6月26日公布)
・反ドーピング条例(2004年1月13日公布)
・くじ管理条例(2009年5月4日)
・全民健身条例(2009年8月30日公布)

主要な中央文書として、
・中共中央国務院、青少年の体育の強化及び青少年の体質の増強に
 関する意見(2007年5月7日公布)
・国家体育総局、民政部、公安部の健身気功活動の管理に関連する
 問題についての意見(1999年8月29日)
・国家体育委員会、県級体育事業の改革の深化及び
 発展の加速についての意見(1996年11月25日)
・全民健身計画綱要(1995年6月20日公布)
・中共中央国務院、新時期体育工作の強化改進についての意見
 (2002年7月22日)

部門規章(行政命令)として、
・社会体育指導員技術等級制度(1993年12月4日公布)
・体育統計工作管理方法(1991年12月6日公布)
・体育事業十五計画(2006年7月11日公布)
・体育道徳建設の強化に関する意見(2002年11月18日)
・2001-2010年体育改革発展綱要(2000年12月15日)
・全国自動車競技管理規定(2001年10月12日公布)
・全国的体育社会団体暫定管理方法(2010年2月3日公布)

規範性文書として、
・仲裁委員会条例(1982年7月29日公布)など

◆中国体育法の構造と特色

1995年、中華人民共和国体育法(「中国体育法」)は、
建国以来はじめてとなる体育及びスポーツに関する基本法。

中国体育法は当初、第1章総則、第2章社会体育、
第3章学校体育、第4章競技体育、第5章体育社会団体、
第6章保障条件、第7章法律責任、第8章附則の全8章56条から構成。

スポーツ用品・用具の検定に関する47条の規定は、
社会主義市場経済及び社会発展の要求に適応していないことを
理由に、2009年に削除。

中国体育法の構造上の特色として、学校体育に関すること、
社会体育及び競技体育に関すること、
スポーツに関する両方の基本が定められている。

日本のスポーツ振興法が、スポーツ振興のための行政の施策を
主に定めているのに対し、中国体育法は体育社会団体に関する
章を設けて、関連する体育・スポーツ関係団体をあわせて
規律している点が異なっている。

中国体育法は、第7章で法律責任を定め、規律違反、ドーピング違反、
八百長、賭博、不正流用、不法占拠、騒動等のそれぞれの
違反行為に対する民事責任、行政責任、刑事責任を定め、
この点も日本のスポーツ振興法と異なる。

◆中国体育法の内容と特色

中国のスポーツ法は、「中国体育法」を基本法とし、
人権、倫理、ドーピング、仲裁、標章、国際交流など、
国際的なスポーツ政策法規の動向を取り入れながら、
中国の体制にも適応した諸措置を定め、
今後も下位の特別な法令を整備しながら発展することが予測。

日本に比べ、中国のスポーツ法の整備は、スポーツ政策の
重要な事項として扱われている。

◆中国体育法の内容と特色

(1)総則

法律の目的(1条)、国家による体育事業の発展(2条)、
体育事業の計画経済への導入と管理体制(3条)、
中央及び地方の体育行政部門(4条)について定め、
特に青年・少年・児童(5条)、少数民族(6条)の
体育活動の保障を定めている。

第16条では、高齢者、障害者の体育活動を奨励することも定め、
人権等に配慮した規定が存在。
対外体育交流の原則と関連する国際条約を遵守すること(9条)、
国際交流が大きな政策方針の1つとして掲げられている。

(2)社会体育

社会体育活動の奨励を、単に地方政府を政策主体の単位として
示すだけでなく、都市・農村(12条)、企業・事業組織(13条)、
労働組合(14条)、民族伝統種目(15条)、高齢者・障害者(16条)
などの組織構成単位に分けて定めている。

第11条では、体育鍛錬標準制度と社会体育指導員技術等等級制度
の実施について定めている。

(3)学校体育

教育行政部門及び学校教育上の構成部分としての体育を認め(17条)、
学校における体育の必置(18条)、国家体育鍛錬標準の実施及び
体育活動時間の保証を定めている(19条)。

学校における課外体育活動及び全校体育運動会の組織(20条)、
体育教師の配置と勤務・待遇面の保障(21条)、
学校体育施設・設備の設置及び使途(22条)、
学生体格健康検査制度(23条)について定めている。

(4)競技体育

アマチュア体育訓練の奨励、優秀な予備人材の養成(25条)、
優秀運動選手及びチームの選抜と編成(26条)、
運動選手の育成と教育(27条)、
優秀運動選手の就職及び学業面での優遇(28条)、
運動選手の登録管理と人員交流(29条)、
専門技術職等級制度(30条)、
競技の種目別・級別管理と総合的な競技会の管理(31条)、
全国記録審査制度(32条)など、
競技スポーツのための諸措置を定めている。

優秀な選手の選抜養成だけでなく、
専門職化やキャリアサポートにも配慮。
34条では、競技における公平競争の原則、道徳の遵守、
不正行為の禁止を掲げ、紛争が生じた場合の仲裁機関の
設置を定めている(33条)。
競技会の名称、旗、マスコット等の標識の保護を定めている(35条)。

以上のように、中国体育法における競技スポーツに関する規定は、
日本のスポーツ振興法に比べ、多様かつ具体的に定められている。

(5)体育社会団体

各級体育総会(37条)、中国オリンピック委員会(38条)、
体育科学社会団体(39条)、種目別体育協会(40条)を定め、
関連する体育社会団体が果たす社会的な役割を認め、
その組織活動を奨励することを定めている。

(6)保障条件

地方人民政府の予算及び計画に体育予算を組み込むこと(41条)、
企業・事業組織及び社会団体の自己資金及び寄付による
体育事業の奨励(42条)、
国家の体育資金の管理強化と不正流用の禁止(43条)、
体育に関する経営活動に対する地方体育行政部門による監督(44条)、
地方、都市及び農村における公共体育施設の計画(45条)、
公共体育施設の開放及び使用(46条)、
体育系専門大学等における体育専門人材の養成(48条)。

(7)法律責任

(8)附則

◆張林芳

中国北京師範大学大学院体育人文社会学専攻修士修了後、
日本の国立鹿屋体育大学大学院で体育学専攻修士号を取得、
日本筑波大学博士課程人間総合科学研究科・
体育科学専攻研究生を修了。
中国内モングル呼倫貝爾学院体育学院の准教授、
現在、筑波大学人間総合科学研究科外国人受託研究員として
研究活動を進めている。
専門分野は、スポーツ経営・スポーツ政策。
研究領域は、日中両国におけるスポーツ法学及び政策。

http://www.ssf.or.jp/sfen/sports/sports_vol5-1.html

[解説]富裕外国人を検診 医療ツーリズム

(2010年7月24日 読売新聞)

◆現在は検診中心、将来は「輸出」も検討

【要約】
・地域振興の糸口として、医療ツーリズムが注目
・国内患者が後回しにならぬよう、歯止め措置も必要
・国際的に評価されるよう、医療のあり方を見直すべき


中国やロシアなどの外国の富裕層に、日本の高水準の医療を
提供する医療ツーリズムが、新たな成長分野の一つとして注目。
政府の新成長戦略には、
「国際医療交流(外国人患者の受け入れ)」として盛り込まれた。

外国人の滞在期間などを弾力化する「医療滞在ビザ」の創設、
受け入れ医療機関の認証制度、
医療通訳育成事業などの施策を推進。

日本政策投資銀行の試算では、2020年時点で日本への
医療ツーリズム客は43万人の潜在需要、市場規模は5500億円。

政府が旗を振り始めた背景には、近年、先端医療や医療費節約を
目的にした海外渡航者が世界的に増えていること。
アジアでは、タイやシンガポール、韓国などが
国を挙げて受け入れに取り組んでいる。
特にタイへの医療ツーリズム客は、今年200万人に達する勢い。
遅ればせながら、日本も市場に乗り出した。

国内の医療機関が糸口としているのが、検診。
日本は、MRI、PETなど、高価な検査機器の人口当たりの
保有台数は世界トップクラス、地方を中心にその稼働率が低い
病院が少なくない。
病院経営にも響いている。
検診で稼働率をアップさせ、合わせて観光を組み合わせたツアーで、
地域振興を図ろうという取り組みが全国で動き始めている。

長崎県や福島県では、上海との直行便を利用し、
中国人向けにPET検診を含めた観光ツアーを開始。
栃木県日光市の独協医大日光医療センターは、
4月に観光医療科を設け、世界遺産の社寺に来る
外国人観光客の取り込みに力を入れる。

糖尿病検診と観光を組み合わせたツアーを企画する徳島県は、
「検診は、東京や大阪に負けないための観光ツアーのオプション」
(観光企画課)。

こうした検診を軸に置く進め方について、
真野俊樹多摩大教授(医療経営学)は、
「検診を医療ツーリズムの売り物にしている国はない。
治療目的の患者は数が少ないので、当面は検診中心でいいだろうが、
10年後も同じ状況かどうかは分からない」
検査機器頼みでは、ターゲットとしている中国やロシア国内に
先端の検査機器が普及すれば、日本に来る意味はなくなる。

日本の医療の今後を考えれば、政府が力を入れるべきは、
わが国が得意とする消化器系の疾患治療や、
将来的には他国に先がけた再生医療など先端医療を創出し、
医療ツーリズムの核にすること。

世界最高水準の医療を提供するなら当然、海外で普及している
医療機器や医薬品の国内承認遅れという
現在の状況は改善する必要。

医師不足などによる「医療崩壊」が指摘される中、
医療機関が自由診療の外国人を優先して国民を後回しにしないよう、
何らかの歯止め措置も必要。

「医療の国際化」という視点で取り組むなら、
外国人の受け入れだけでなく、「医療の輸出」も検討すべき課題。

世界の医療事情に詳しいキヤノングローバル戦略研究所の
松山幸弘主席研究員は、「世界は、むしろ医療ツーリズムから
病院・医学部の直接輸出の時代
米国の名門大学医学部やクリニックは、続々と中東やカナダに海外進出、
「海外に出るだけの力がなければ、医療ツーリズムでも勝てない」

医療ツーリズムを入り口に、日本の医療が国際的に評価されるよう、
その在り方を見直すべきだ。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2010/7/26/123285/

がん化しにくいiPSで脊髄治療…慶大、京大がマウスで実験

(2010年7月25日 読売新聞)

iPS細胞(新型万能細胞)には、がん化しやすい性質があり、
再生医療の実現の障害になっていたが、
慶応大の岡野栄之教授と京都大の山中伸弥教授らは、
がん化しにくい細胞を選んで、脊髄損傷を治療できることを、
マウスの実験で確かめた。

岡野教授らは、マウスやヒトのiPS細胞を使って、
脊髄損傷で歩けなくなったマウスの治療実験に成功。
しかし、治療後にがん化するマウスが多いのが課題。

岡野教授らは、iPS細胞には、神経のもとになる細胞に
きちんと変化する系統と、変化しきれない系統があることを
新たに突き止めた。

きちんと変化する系統を、細胞表面に現れるたんぱく質を
調べることで、見分けることに成功。

こうして作った安全なiPS細胞を、体外で神経のもとになる
細胞に変化させ、いったんマウスの脳に移植し、
がん化しないことを確かめた。

背骨の折れたマウスに、この細胞を移植すると、
正常な神経細胞の組織ができ、機能も回復した。

安全でないと評価されたiPS細胞で治療を行ったマウスは、
がんができて失敗した。

岡野教授は、「人間のiPS細胞も、同様と考えられる。
事前に細胞の性質を十分に確かめれば、臨床応用できるだろう

http://www.m3.com/news/GENERAL/2010/7/26/123291/