2010年8月13日金曜日

インサイド:五輪ボイコット30年・第3部 歴代政権とスポーツ政策/2

(毎日 8月4日)

デンマークのコペンハーゲンで、昨年10月に行われたIOC総会。
16年夏季五輪の開催地を決めるIOC委員による投票で、
52年ぶりの夏季五輪開催を目指した東京は敗れた。
JOC福田富昭副会長は、「五輪の自国開催が決まれば、
政府が国策としてスポーツ政策を発展させるべきだ、という
我々の訴えに大きな弾みがつくはずだった」と、
「国頼み」が不発に終わった落胆を隠さない。

◆政治からの独立模索

64年東京五輪は、まさに国策事業だった。
当時の池田勇人政権は、東京五輪を起爆剤に、
新幹線などの整備を進め、経済成長につなげた。

池井優・慶大名誉教授は、「岸(信介)政権が安保闘争で揺れた後、
池田政権は、所得倍増論で国民の関心を政治から経済に向けた。
東京五輪は、その推進役だった」と位置づけ。

東京五輪開催を視野に、61年成立したスポーツ振興法は、
国際競技力向上を担当した日本体育協会に対する
補助金の道を開き、国民スポーツのための施設整備などを促す、
72年保健体育審議会答申にもつながった。
オイルショックで景気が減速するまで、
国によるスポーツ振興策は順調に進んだ。

スポーツ界が、80年モスクワ五輪不参加を決めざるをえなかったのは、
政府から補助金カットを示唆されたため。

JOCは、政治からの独立を大義名分に89年、政界出身者を
トップに仰ぐことが多く、政治色が濃かった
日本体育協会から独立した法人となった。

JOCは、バブル経済を当て込んでスポンサー獲得などに乗り出し、
独自財源の確保にこだわった。
これらは収益事業とみなされ、法人税が課され、
必ずしも十分な財源になっていない。
バブルの崩壊など、長期にわたる景気低迷の影響で、
スポーツを支えてきた民間企業の体力が弱まり、
JOCは再び補助金の必要性を強調。

JOCの今年度予算では、収入総額84億5600万円のうち、
国庫補助金が28%を占める。

◆国民との間に距離

JOC関係者は、「体協からJOCが独立したから、
政治から自由になったなんてことは、まったくない。
今でも、カネを国からもらっていることには変わりはない。
今でも、JOCは文部科学省の言うことを聞いている」と漏らす。

ドイツでは、政権は援助するが支配はせず、
スポーツ団体は公共の福祉のために活動する、という
国とスポーツ団体の「パートナーシップの原則」が成り立っている。

国は、スポーツ団体の決定に介入しないが、
スポーツ団体の側にも自主的活動を公費で支えてもらう権利がある
代わりに、国とともに「公共の福祉」に貢献する義務があるという考え方。

日本のスポーツ界について、五輪評論家の伊藤公氏は、
「ボイコットの教訓で、JOCは体協から独立したが、
あれは協議離婚ではなく、JOCの一方的離婚。
体協との連携を話し合って分かれたわけではない」

基本的にJOCはトップ選手の強化、体協は生涯スポーツの振興と
役割は分かれたが、緊密な協力関係にあるとは言い難く、
国際競技力向上に特化したJOCと国民との間に
距離が広がったとの見方がある。
体協の存在意義も見えにくくなった。

国策によるスポーツ振興を主張する以上、JOCと体協が連携し、
納税者である国民を説得する戦略づくりが不可欠だ。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/news/20100804ddm035050155000c.html

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