(2010年7月30日 共同通信社)
国連が認める唯一の知的障害者の団体、国際育成会連盟による
4年に1度の国際大会が6月、ドイツ・ベルリンで開かれた。
70以上の国から2500人を超える人たちが集まり、
日本からも84人が参加。
参加者の一人として、会議の基調を紹介し、
世界の動向と日本の進むべき道を明確にしておきたい。
わたしは今回を含め、4大会連続で参加。
8年前のオーストラリア・メルボルンでは、障害者本人が開会式の壇上に
上がり、施設の中での自分の人生を切々と語った。
4年前のメキシコ・アカプルコでは、本人とともに兄弟姉妹も、
つらい経験を話した。
今回のベルリンでは、障害者が「地域で暮らしていきたい」という
自らの希望を、障害者権利条約を背景にしながら語った。
ベルリン大会の印象を一言でいえば、
障害者権利条約が世界の判断基準になったということ。
日本はまだ批准していないが、今後は医療・教育・福祉・労働など
あらゆる領域において、この条約の精神や趣旨に合致しているか
どうかが問われる。
障害者権利条約の精神とは何か?
大会で心に残ったのは、「知的障害のある私たちに対し、
敬意を持って接してほしい」という言葉。
障害に対するリハビリや保護でなく、お互いに人間として
交流することを求めるのが、障害者権利条約の考え方。
必要なのは、障害のある人への敬意である。
それがなければ、対等な関係は築けない。
これまで、「知的障害のある人の話は分からない」、
「こちらの話も理解してもらえない」、
「コミュニケーションが取れなくても仕方がない」と思われてきた。
それは間違っていると、ベルリン大会に参加した障害者たちは主張。
ベルリンには、忘れてはならない歴史がある。
ナチス・ドイツによる障害者や難病患者の抹殺である。
「生きるに値しない命」として殺された人の数は約7万人。
知的障害者を乗せ、安楽死施設へ向かった「灰色のバス」は、
障害者抹殺の代名詞。
あの悲劇は昔のこと、現代では起こり得ないと考えるのは正しくない。
ルーマニアのチャウシェスク政権時代、10万人近くの知的障害の子たちが、
裸のまま悲惨な処遇を受け、施設に閉じ込められていた。
その姿は、日本でも放映され、大きな反響をよんだ。
わずか20年ほど前の出来事。
これほどの規模ではないが、日本でも障害者への虐待や差別は
決してなくなってはいない。
知的障害のある人や家族は、排除され、あたかも存在しないかのように
扱われる危険を知っている。
障害の有無に関係なく、社会の中で共生するという考え方・生き方を
意味するインクルージョンが重要。
同じ時代に生きながら、閉じた世界に隠されてはならない。
命ある存在として、敬意を持って社会の中に包み込まれる必要。
ベルリン大会で示された障害者権利条約への期待は熱く、
普遍性を持つ基準として理解されだしていた。
障害者権利条約の精神は、他の国々と同様に、
日本でも受け入れられ、法や制度の改正を通して、
社会システムの改革へ、向かっていかなければならない。
それは、障害者や家族の幸せにつながるとともに、
障害のない人たちにとっても、伸びやかに生きられる社会を
実現することになるだろう。
◆ゆくみ・えいし
53年、福岡県生まれ。早稲田大卒。
言語聴覚士、精神保健福祉士、社会福祉士。
日本発達障害福祉連盟常務理事。
「発達につまずきがある子どもの子そだて-はじめての関わり方」など
著書多数。
http://www.m3.com/news/GENERAL/2010/7/30/123476/
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