2010年8月14日土曜日

インサイド:五輪ボイコット30年・第3部 歴代政権とスポーツ政策/3

(毎日 8月5日)

昨年11月の政府の行政刷新会議による事業仕分けは、
未曽有の税収不足の中、徹底した事業の無駄見直しにより、
財源を確保することを強調して行われた。
その結果、国庫補助金がJOC分で5%、
日本体育協会分で6%カットされた。

概算要求をした側の鈴木寛・副文部科学相は、
当時の鳩山由紀夫首相が提唱した「友愛政治」を引き合いに出し、
「民主党は友愛政治。
スポーツは友愛そのもので、我々も重要性を認識している。
だから概算要求した。
正直、民間の仕分け人のスポーツに対する評価にびっくりした。
国民の理解があると思いこんでいた」と戸惑いを隠さなかった。

◆高度成長期は順調

スポーツに対する公的支援の確保は、苦労の連続。
64年、東京五輪を契機に進んだスポーツ環境の整備は、
オイルショックで減速した。
82年、中曽根康弘政権はスポーツ振興に「民活路線」を導入。
行財政を簡素化した「小さな政府」を志向した同政権下で、
スポーツ行政も、施設の民間委託や民営化が進められた。

旧文部省OBの浦井孝夫・日本スポーツクラブ協会理事長は、
「東京五輪後の高度経済成長期は、
スポーツ施設の補助金もどんどん出た。
その後、財政的な裏付けが弱くなった」と当時を振り返る。

80年代半ば、日本はバブル景気に突入。
民活路線で追い風に乗ったゴルフ場やフィットネスクラブなどの
スポーツ産業が急成長。
スポーツ界では、堤義明・初代JOC会長が、
西武鉄道グループのコクドを率いて、
ゴルフ場やスキー場などのリゾート開発を全国各地で展開。
懇意だったサマランチ・前IOC会長の支持を取り付け、
コクドの利益にも関係する98年長野冬季五輪招致に成功。

会長を退いた後も影響力を保っていた堤氏には、
「民間資金だけで、JOCを運営する発想があった」(JOC関係者)。

バブルの崩壊と、その後の「失われた10年」と呼ばれた
長引く不況の中で、企業の下支えが弱まり、その構想もあっけなく消えた。

◆根深い不況の影響

90年、民間活力を導入した新たな財源として、
政府出資の250億円と民間からの寄付金からなる
「スポーツ振興基金」が設立、不景気や金利の低下で、
民間からの寄付や運用益は伸び悩んでいる。
01年、全国発売された「スポーツ振興くじ」(toto)も、
ここ数年は好調だが、収益は不安定。

関春南・一橋大名誉教授は、
・循環器系疾患を中心とした国民医療費が毎年約1兆円増加、
・年3万人超の自殺者のうち、半数近くが健康問題が原因、
・青少年の部活動離れが進んでいる--
ことなどを挙げ、「地域スポーツでしか解決できない問題も多い。
健康と同時に生きる意欲、連帯といったスポーツの価値を
認識できる場が必要」、
国がスポーツ環境整備を支援する必要性を主張。

関氏は、「スポーツ施設や指導者への予算投下は、
景気回復や雇用にプラスになるだけでなく、
長期的には医療費削減で国家財政の改善にもつながる」、
1930年代、ルーズベルト米大統領が公共事業で、
大恐慌からの脱却を目指したニューディール政策のスポーツ版である
「スポーツ・ニューディール」の有効性を説く。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/news/20100805ddm035050140000c.html

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