2011年6月18日土曜日

緊急連載 学校と震災(13)安置所で教え子と対面

(読売 4月14日)

大震災から12日が過ぎた3月23日午後。
宮城県東松島市立大曲小学校の教員たちは、
市内の遺体安置所にいた。

掲示板の前に行き、収容された遺体の性別や身長、服装などが記された
一覧表をじっと見つめている。
同小の児童らしき子どもがいれば、安置所の担当者に教員であることを話し、
中に入って本人かどうかを確認。

自分のクラスの児童2人が行方不明だった高田景子教諭(32)は、
「子どもが奇跡的に無事で発見されてほしいと思う気持ちと、
駄目かもしれないという気持ちが入り交じり、
とても落ち着いていられない。
家族と一緒に、私たちも子どもを捜してあげなければ」と、
涙をこらえながら話した。

3月11日午後、巨大地震の発生当時、同小の児童は教室に。
教員らは、災害マニュアル通り、保護者が学校に迎えに来た順に
子どもを引き渡し、帰宅させた。
その直後、大津波が同小を襲った。
学区内には海に近い地域もあり、
多くの児童が家族と逃げる途中、津波にのみ込まれた。

地震の翌日、電話などの通信機器はまだ使えず、
児童数424人のうち、約100人の安否が確認できなかった。

「子どもの安否確認は学校の役目」
熱海隆一校長(60)(3月末で退職)の判断で、教員らは数班に分かれ、
各避難所を徒歩や自転車で回り始めた。
「大曲小の子どもを知りませんか」と聞き、情報を集めた。

地震から10日過ぎても、行方不明の子どもが4人いた。
市街地の6割以上が浸水した上、沿岸など広域で水が引かない
状態が続き、遺体の捜索も難航。
22日からは、行方不明の子どものクラス担任らが中心となり、
最悪の事態も考え、遺体安置所も回り始めた。

高田教諭は31日、行方不明だったクラスの男児と、遺体安置所で対面。
あの日着ていたジャンパー姿で見つかった男児に、
「やっと会えたね」と、心の中で語りかけた。
帰宅後、最後にもう一度だけ男児の顔を見たいと思い、
翌朝、安置所に行き、男児に小さな花束をささげてきた。

「子どもと毎日触れ合いながら、命を守り、成長を見守ることが
一番の仕事だと強く感じた。
この責任の重さを忘れず、教師を続けていきたい」
高田教諭は力を込めた。

被災地では、教員たちが子どもの安否情報を求めて避難所を回ったり、
チラシを配ったりする姿が各地で見られた。
教え子についての情報を求める貼り紙も、多くの避難所にあった。

災害時の安否確認は、法で学校に義務づけられているわけではない。
それにもかかわらず、地震発生直後から走り回る教員たちの姿が。
子どもたちに、生きていてほしいとただ願う気持ちが伝わってきた。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110414-OYT8T00192.htm

北上山地調査へ分科会 ILCで東北研究会

(岩手日報 6月15日)

超大型加速器「国際リニアコライダー(ILC)」の受け入れを目指す、
産学官組織・東北加速器基礎科学研究会は、
候補地の一つとされる北上山地(北上高地)への建設に関する
地質などの調査研究をする分科会の設置を決めた。

2012年末までに、ILCの技術設計がまとまるのを踏まえ、
各種データの収集と北上山地に適した建設の検討を急ぎ、
候補地の精度を高める。
達増知事は、東日本大震災からの復興のため、
計画を国家プロジェクトに位置づける意義を強調。

共同代表の井上明久東北大総長と高橋宏明東北経済連合会長、
達増知事、村井嘉浩宮城県知事ら10人が出席。
「サイト(用地)研究分科会」は、11年度事業計画に設置を盛り込んだ。

ILC計画をめぐっては、国際的な研究者チームが12年末までの
技術設計の完了を目指し、作業を進めている。
受け入れ実現を目指すため、地下トンネルの掘削を念頭に
候補地と周辺の地質や自然環境、社会活動など多岐にわたる
データを集め、準備を整えておく必要。

サイト分科会はこの役割を担い、委員長は東北大大学院理学研究科の
佐貫智行准教授が務める。
本県の担当職員も加わる。

本県は10年度、東北大と共同で建設候補地となる一関市大東町と
奥州市江刺区の3カ所をボーリング調査。
地下トンネルの建設に適した岩盤地域である点は基本的に確認、
11年度はトンネルの中間点付近について詳細調査の方向。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110615_2

ニコチンに食欲減退作用…でも、たばこは危険

(2011年6月11日 読売新聞)

たばこに含まれるニコチンが、脳に作用し食欲を減退させる仕組みを、
米エール大学医学部などの研究チームが解明、
10日付の米科学誌サイエンスで発表。

マウスを使った実験で、ニコチンが脳内の信号伝達に
どのような影響を与えるかを調べた。
その結果、ニコチンは、摂食に関わる視床下部にある「POMC」という
神経細胞の回路を活性化させ、食欲を抑制する信号を多く発信させる。
このため、喫煙者は食べる量が減り、体重も減る。

「多くの人が、体重が増えるから禁煙しないと言う。
残念ながら、喫煙で確かに体重は減る」としながらも、
「喫煙で体重が減っても、がんや心臓病が増えるので危険」

「研究が進めば、このメカニズムを利用して、
肥満防止の新薬を開発することも可能」

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/6/13/137849/

2011年6月17日金曜日

緊急連載 学校と震災(12)心の復興 教員の力で

(読売 4月13日)

避難所となった中学校の校庭で、小学生が走り回りながら
笑い声を上げていた。

宮城県東松島市立鳴瀬第一中学校。
避難してきた同市立野蒜小学校の2年~6年生12人が、
同小2年生担任の渡辺裕希教諭(44)と一緒に約1時間半、
体操や鬼ごっこ、全身を使ったじゃんけんなどを楽しんだ。

同小では、住民らが避難した体育館が大津波に襲われ、
子どもたちの目の前で、何人もお年寄りが亡くなった。
半分以上が家を失い、家や車が流されるのを見たり、
家族や友だちを亡くしたりした子もいた。
木島美智子校長(54)は、「子どもたちに少しでも安心感を与えよう」
と、心のケアを始めた。

地震の数日後、同小の避難所は閉鎖され、教職員室は同中に、
児童は家族と共に、同中などいくつかの避難所に分かれていった。
余震が続き、子どもたちを一か所に集められないため、
同中を拠点に、教員10人前後で手分けして同小児童がいる
避難所8か所を毎日回ることにした。

子どもたちと会話しながら様子を観察し、気になることをノートに記録。
20日から、同中でレクリエーションを開始。
「こおり鬼」や「手つなぎ鬼」など、全員が参加でき、
お互いに触れ合って安心でき、体を動かしてストレスを
発散できる遊びをした。

24日朝の職員会議。
木島校長は教員に、「皆さんも被災して大変だけれども、
子どもたちを毎日見守るのは私たちの仕事。
子どもが少ない避難所では、滞在時間を長くして遊んであげてください」
と呼びかけた。
見た目は元気だが、心の傷は大きい。
今はできることをして、少しでも楽しく過ごせるようにするしかない」

自宅や職場などすべてを失い、子どもに気遣う余裕がない家族は多い。
同小4年の長女(10)らと津波にのみ込まれて助かった
市川富美代さん(44)は、「娘はまだ、祖母の死も受け止められていない。
先生も被災しているのに、毎日声をかけてくれ、本当にありがたい」

震災時の子どもの心のケアに詳しい臨床心理士の大谷朗子さん(74)は、
「日頃の様子を知る教員は、子どもの不安を和らげて安心を与える力がある。
教員自身の負担も大きく、サポート体制の充実が必要だ

岩手県では今月8日、壊滅的な被害を受けた沿岸部にある宮古市などの
学校や、被災児童を受け入れる内陸部の学校の教員を対象に、
心のケアなどを学ぶ研修会を開始。
同県教委の担当者は、「カウンセラーなど専門家だけでなく、
教員の力も使って子どもたちを支えたい」

子どもたちと長く時間を過ごす教員が、心のケアのカギを握る。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110413-OYT8T00180.htm

安全、高効率にiPS細胞 マウスで100%、京大

(2011年6月9日 共同通信社)

未受精卵や受精卵の初期段階で強く働く遺伝子「Glis1(グリスワン)」を
導入することで、より安全な人工多能性幹細胞(iPS細胞)を
効率よく作ることに、京都大の山中伸弥教授の研究チームらが成功、
9日付の英科学誌ネイチャーに発表。
マウスなら、作製効率はほぼ100%で「顕著な改善」。

山中教授は、「グリスワンは、iPS細胞の実用化に有利な性質を備え、
魔法の遺伝子」

体のさまざまな種類の細胞になれるiPS細胞は、
山中教授が四つの遺伝子を導入して開発。
遺伝子「cMyc」を使うと、iPS細胞ががん化する不完全な細胞ができる
恐れがある一方、cMycを除くと作製効率が極端に低下する問題。

チームは、cMycを除く三つの遺伝子とグリスワンを、
マウスとヒトの線維芽細胞に導入。
iPS細胞の作製効率は、cMycを含む従来の4遺伝子を使った
場合よりも高くなった。

グリスワンは、不完全なiPS細胞の増殖を抑えるとみられ、
チームの前川桃子助教は、「完全なiPS細胞だけが増殖すると考えられる」

チームは、今回作ったiPS細胞がマウスの生体内で、
神経細胞や軟骨などに分化したことも確認。

※iPS細胞

神経や筋肉、血液などさまざまな組織や細胞になる能力がある新型万能細胞。
皮膚などの体細胞に、外部から遺伝子を導入して作る。
京都大の山中伸弥教授が2006年にマウスで、07年にヒトで作製成功。
事故や病気で失われた組織や細胞を回復する再生医療や
新薬開発などでの利用が期待。
がん化の危険性があり、実用化に向けては安全性の向上が課題。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/6/9/137720/

復興財源に増税明記 農林水産業を集約化 特区、自由貿易推進 構想会議が提言素案

(2011年6月9日 共同通信社)

政府の東日本大震災「復興構想会議」(議長・五百旗頭真防衛大学校長)
の第1次提言素案。

復興財源として国債を発行する場合に所得、消費税などを念頭に
「基幹税」を中心とする増税で償還するよう要請。
壊滅的な被害を受けた農林水産業の再生では、集約化を中心課題に挙げ、
自由貿易推進による経済再生、地域を絞って、
規制を緩和する「特区」創設も盛り込んだ。

東京電力福島第1原発事故を踏まえ、エネルギー政策の抜本見直し、
再生可能エネルギーの導入促進が必要だと指摘。

この素案をたたき台に議論し、月末の提言決定に向けた意見集約を急ぐ。
増税をめぐっては異論も予想、取りまとめが難航する可能性も。

提言は、財源に関し、「将来世代に負担を先送りすることなく、
今を生きている世代で確保」とし、国債市場の信認を確保するため、
復興支援策と同時に財源措置を決定する必要があると強調。
増税と併せた歳出の見直しや、民間資金の積極的な活用も打ち出した。

復興事業の担い手は、「市町村が基本」と明記。
迅速な復興を支援するため、住宅地や農地など形態別に
法律が分かれる土地規制を見直し、用途変更の手続きを
一本化するよう求めた。
住宅の高台移転をめぐる公費買収の是非など、
津波被災地向けの具体策は未調整として触れなかった。

防災対策では、被害を最小化する「減災」の考え方を提起。
防波堤や避難施設の整備などにとどまらず、
防災教育などソフト面も含めた対策を総動員すべき。

農業再生について、平野部を中心に農地集約を進めて
効率化する方向性を提示。
拠点漁港の復旧・復興を急ぐとともに、漁船・漁具の共同化や集約を促進。
民間資本の積極導入も盛り込んだ。

経済再生や雇用確保策では、「自由貿易体制の推進や
外国企業による投資促進」を挙げ、被災地を
少子高齢化の社会モデルの先鞭」と位置付け、
医療、福祉の拡充による雇用拡大を目指す。

原発事故被害を受けた福島県を、
「放射能汚染の除去や再生可能エネルギー研究の場」にすると強調。
エネルギー政策の転換は、「総合的・多角的な検討が必要」として、
「脱原発」の方向性は明示しなかった。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/6/9/137733/

2011年6月16日木曜日

緊急連載 学校と震災(11)避難所運営に教員奔走

(読売 4月9日)

大津波に襲われ、約650人が避難した
宮城県東松島市立矢本第二中学校。

地震発生から丸一日たっても水が引かず、救助も来なかった。
菅野英一校長(54)は、地震発生時から学校にいた教職員28人を、
「衛生・安全」、「物資」、「食料」の三つの班に分けた。

衛生・安全班は、避難者がいる教室を回り、健康状態を確認。
視聴覚室に「救護室」を設け、養護教諭らが、けが人の応急処置に。
低体温の高齢者には、カーテンを巻いて見守った。
教職員と相談して、トイレ用に泥水の上澄みをくんだり、
トイレットペーパーは流さないように周知したりした。

発生から3日後、ようやく食料などの物資が届いたが、
数日間は圧倒的に不足。
「申し訳ありませんが、食パン1枚を3人で分けてください」。
物資、食料班は、市職員がボートで運んできた少ない物資を、
避難者の人数分に分け、避難者に配って回った。
胸まで泥水につかって、市との連絡役も果たした。

避難者から、「食べ物はこれだけか」など不安な気持ちを
ぶつけられたこともあったが、「どこも大変のようです。
もう少しがんばりましょう」と、冷静に説明を繰り返した。
校舎1階の水没は、結果として10日間も続いた。

水が引いた頃、学校側が食事の配給などのボランティアを

募集したのを機に、避難者により自主的に運営されるように。
教職員は補助的な役目となり、泊まり勤務は交代制に。
菅野校長は、「教職員は、地域の人のことをよく考えて、
避難所の運営に頑張ってくれた」

同県石巻市立青葉中学校も避難所になり、約4000人が避難。
近くにいた市職員らが駆け付けたが、教職員も泊まり込んで、
昼夜を問わず、避難者の救護などの世話に。

各自治体は、災害時、地域住民らが避難所運営を行えるようにと、
地域の自主防災組織などに力を入れてきた。
今回は、地域のまとめ役が命を落とすなどして、
自治組織が動き出すのに時間がかかった所もあった。

阪神大震災では、学校避難所は最長7か月間開設され、
管理運営に多くの教職員が投入。
結果、学校の早期再開などに支障が出た。
兵庫県教育委員会は、学校は日頃から地域と連携し、災害時には、
避難所の運営管理は、後方支援として携わるなどの対応をマニュアルに。

宮城県教委の小林伸一教育長は、
「教員が通常業務を超えて、献身的に尽力していることに敬意を表したい。
今後、学校避難所の運営のあり方を市町村と見つめ直し、
災害時の学校の対応力の強化につなげていきたい

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110409-OYT8T00176.htm

一歩ずつ前へ! がれき撤去視界広く

(東海新報 6月11日)

気仙沿岸に甚大な被害をもたらした東日本大震災から、
11日で3カ月を迎えた。
かつてない規模の大津波は、各地に強烈な爪痕を残した。

大船渡市の中心部では、がれきの撤去が進んでいる。
壊滅的な被害を受けた陸前高田市でも、平坦な土地が一面に広がり、
復興に向けて一歩ずつ踏み出し始めた。

県災害対策本部のまとめ(10日現在)によると、
県内の死者数は4532人、行方不明者は2787人、
自衛隊などによる捜索活動やがれき処理が続いている。

◆大船渡市…完了面積は全体の32%

大船渡市では、8地区(盛、大船渡3地区、の末崎2地区、赤崎2地区)で
がれき撤去を開始した4月11日から1カ月半後の5月25日現在で、
撤去完了面積率は、市全体で32%。

地区別でみると、3月中から先行実施されていた三陸地区が
吉浜(85%)、越喜来(84%)、綾里(64%)。
4月以降、大船渡(19%)、末崎(17%)、盛(13%)、赤崎(10%)、
6月に入り撤去作業はさらにペースを上げている。

太平洋セメント大船渡工場では、22日(水)から気仙両市で撤去した
がれきの焼却処分を始める。

◆陸前高田市…がれき量の回収率24%

陸前高田市では、津波で被災した倒壊家屋の撤去を、
先月23日から本格化。
市建設課によると、これまで市内のがれき量96万㌧のうち、
回収した分は23万7000㌧、回収率は24%(6月1日現在)。

市では、撤去申請された被災家屋(半壊以上)の撤去を実施中。
6日以降は、気仙町(上長部、下八日町、鉄砲町)、
竹駒町(大畑、細根沢)、高田町(寒風)、米崎町(勝木田)、
小友町(両替)、広田町(久保)などで撤去作業を進めている。

http://www.tohkaishimpo.com/

過去の「津波石」が出現 大船渡・三陸町

(岩手日報 6月10日)

大船渡市三陸町吉浜の吉浜川河口付近で、
「津波記念」と彫られた大きな「津波石」が見つかった。

明治か昭和の三陸大津波で、海から運ばれてきた石で、
かつては津波記念碑として置かれていた。
道路工事の際、埋没した。

東日本大震災の津波は、その道路を破壊し、崩れたのり面から一部が露出。
発見した住民たちは、偶然現れた津波の歴史を伝える
貴重な石の保存を求めている。

津波石を発見したのは、近くに住む※木沢(はのきざわ)正雄さん(82)、
柿崎門弥さん(81)、木川田平三郎さん(78)、木村正継さん(64)。
木村さん以外は幼い頃、津波石の周辺でよく遊んでいた。

津波石のことを思い出し、周辺を訪れた。
石の上にあった市道は、今回の津波で無残な姿に。
落下した橋より、少し海寄りの砂から一部が出た石を見つけた。

3人の記憶から、「この石に間違いない」と判断。
2時間かけて周辺を掘った。
「津波記念碑」と書いているはずだが、文字はなかなか見えない。
この日の作業を終えようと水洗いすると、「津波」の文字が浮かび上がった。

石は、まだ上部を見せたばかりだが、横幅3m、高さ2m程度と推測。
3人は、「とにかく大きな石だった」と記憶。
砂に埋もれた部分に、いつの時代の津波記念碑かなど
細かい記載があるとみられる。

石を埋めた道路工事の経緯や石の存在を知る住民は限られる。
木川田さんは、この工事に作業員として携わっており、
1975年前後と記憶。
「当時、現場で『壊すか、埋めるか』と言われた。
どうしても残したかったので、それならば埋めた方がいいと
話した記憶がある」と振り返る。

震災当日午前、※木沢さんと柿崎さんは散歩しながら、
「津波石はどこに埋まっているんだろうね」と。
偶然にも、午後の津波で石が顔を出した。

石を見た※木沢さんは、「懐かしい。今後はこれをしっかりと残さなければ」
木村さんは、「今回の津波で、数十年ぶりに姿を現した記念碑。
津波の記憶を風化させないため、市に保存、活用をお願いしたい

※は、木へんに「爪」

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110610_2

8年計画案を了承 県復興本部員会議

(岩手日報 6月10日)

県の復興本部員会議は、8年の計画期間で復興ビジョンや
具体的取り組みを示した「復興基本計画案」を正式に了承。

達増知事は、「それぞれの県民が直面する課題に包括的に応え、
復興の道筋を確認できる内容だ」と説明。
地域説明会などを通じて、県民と広く共有する考え。

計画案は、「安全の確保」、「暮らしの再建」、「なりわいの再生」の
三つの原則の下、8年間で取り組む280の事業を列記。
計画期間を超える長期の「三陸創造プロジェクト」として、
国際的な防災・海洋研究拠点の設置などを挙げた。

特に、ハード、ソフト両面による多重防災型のまちづくりを提唱。
最終案には、被災自治体からの指摘などを受け、
被害をできるだけ最小限にとどめるという「減災」の考え方も盛り込んだ。

震災発生から3カ月を前に、計画案が策定されたことについて、
達増知事は、「さまざまな分野からの提言をいただき、
速やかな策定につながった。
県の復興委員会の関係者、多くの声をいただいた
被災者の皆さんにも感謝したい」

県は今後、各市町村が策定中の復興計画の参考としてもらうため、
自治体向けの説明会を開催。
一般県民を対象にしたパブリックコメントや地域説明会も開催する予定。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110610_3

2011年6月15日水曜日

緊急連載 学校と震災(10)教員が市民の避難指揮

(読売 4月8日)

「津波だーっ」。
3月11日午後、宮城県東松島市立野蒜小学校の体育館。
数百m先で、ワゴン車が水に浮いたのに気付いた
木島美智子校長(54)が叫んだ。

巨大地震の発生から約50分後、市の避難場所に指定された
同小体育館には、子どもや地域の人ら約300人がいた。

木島校長は、体育館の扉を閉めて、全員の避難と救助を行うよう
教員に指示し、「赤ちゃん、病人やお年寄り、子ども、大人の順に
ステージや2階ギャラリーに避難してください」と、大声で叫んだ。

間もなく、黒い濁流が窓を突き破って流れ込み、
ステージを超える約2m以上の高さまで一瞬にして浸水。
2階に駆け上がった教員たちは、卒業式用の紅白幕をフロアに垂らし、
おぼれかけた人たちにつかまらせた。
フロアで濁流にのみ込まれた教員たちは、
水の中にいた赤ちゃんや子ども、
自力で泳げないお年寄りの救助にあたった。

2時間が過ぎ、ようやく体育館内の水が引いたが、
学校周辺の水は引かず、大量のがれきもあって孤立状態に。
外は雪。
大半は、体がびしょぬれで寒さに震えていた。

木島校長は、「このままでは凍死してしまう」と思い、
「全員で互いの体をさすってマッサージをしましょう。1・2・3・4……」と
数分おきに呼びかけ続けた。
教員たちも、「がんばろう」と大声を出して励まし続けた。
避難者全員で、寒さや恐怖に耐えた。
消防団員らが救助に来たのは、夜中の12時頃。

木島校長は当時を振り返り、「あの時は無我夢中だった。
体育館にいた赤ちゃんや小中学生は全員無事だったが、
何人かのお年寄りは亡くなってしまった」と声を詰まらせた。

市は、市立の小中学校14校を避難先として指定しているが、
うち6校は学校自体が津波に襲われた。
市の防災計画では、避難誘導の指揮を執るのは
担当する市職員の役目だが、この日は情報収集に追われ、
市職員が到着した学校はほとんどなかった。
結果として、子どもたちの安全確保に専念するべき校長と教員が、
現場判断で全体を動かした。

校舎1階部分が水没した同市立大曲小学校では、

教頭らが避難誘導の指揮。
学校に避難してきた地域の人たちを、早めに校庭から校舎2階以上に移動。
全員無事だった。

同市の木村民男教育長は、「学校に逃げた市内の子どもは全員助かった。
休日で学校に先生がいなかったら、もっと多くの命が奪われただろう。
本当に頭が下がる思いだ」

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110408-OYT8T00224.htm

古川さん宇宙へ 日本最年長、47歳の初飛行 ステーション長期滞在へ 飛行士採用から12年 ソユーズ打ち上げ成功

(2011年6月8日 共同通信社)

国際宇宙ステーションでの宇宙長期滞在に臨む、
古川聡さん(47)が乗るロシアのソユーズ宇宙船が、
8日未明、カザフスタンのバイコヌール宇宙基地から打ち上げられた。
ソユーズは予定の軌道に乗り、打ち上げは成功。

古川さんは、1999年に宇宙飛行士に選ばれて以来、
約12年4カ月かけて、初めての宇宙飛行。
47歳2カ月は、初飛行としては日本人最年長。

ソユーズは、10日朝にはステーションにドッキング。
古川さんは、11月中旬に地球に帰還する予定。
ステーション長期滞在は、若田光一さん、野口聡一さんに次ぐ3人目。
同宇宙基地では、古川さんの妻や母ら家族も出発を見送った。

古川さんは宇宙滞在中、東大病院医師だった知識と経験を生かした
医学関係の実験を担当。
地上にいる医師の診察を遠隔で受けたり、コンピューターで作成された
電子カルテを使って、自ら健康管理したりする新しいシステムを実証。

筋ジストロフィーなど病気にかかわるタンパク質や、
プラスチックを分解する酵素のタンパク質などのきれいな結晶を作成し、
副作用の少ない医薬品の開発や廃棄物処理の
新技術につなげる成果が期待。

無重力下で抹茶をたてたり、船内に浮かべた球状の水に墨をたらして
模様を浮かび上がらせる「墨流し」にも挑戦する予定。
打ち上げの際、船長補佐としてソユーズ宇宙船の操縦も担当。

ステーションではロシア人3人、米国人2人の計5人の乗組員と共同生活。
滞在中の7月、米スペースシャトル「アトランティス」がドッキング。
シャトルは、アトランティスを最後に退役し、当面はソユーズが
ステーションへ人を送る唯一の手段。

ソユーズで宇宙に向かった日本人は、TBS記者(当時)の秋山豊寛さん、
野口さんに続き3人目。
ステーションには、古川さんに続いて星出彰彦さんが2012年5月ごろから、
若田さんが13年11月ごろから、それぞれ長期滞在する予定。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/6/8/137682/

健康に悪影響、効果は疑問 検証のない省エネ神話 本間研一・北海道大特任教授  「サマータイム」

(2011年6月7日 共同通信社)

福島第1原発事故などに伴う電力不足から、
政府は、この夏15%の節電を国民に呼び掛けている。
その方策として注目を浴びているのが、
企業などによる出勤時間の繰り上げ。
マスコミは、これをサマータイムと呼んでいるが、
正確には企業別フレックスタイムであり、
時計の針を1時間進める本来のサマータイム制とは異なる。

2008年、国会でサマータイム導入の動きがあった時、
私が委員長を務める日本睡眠学会
「サマータイム制度に関する特別委員会」は、睡眠時間の短縮に懸念。
既に睡眠時間が短く、生活パターンの夜型化が進行している
日本での導入は、生体リズムを乱し、不眠など健康に
悪影響を与える可能性があるとの理由で、反対を表明。

今回のサマータイムは企業別であり、それによって生じる事態の
責任はすべて企業にあるので、第三者がとやかく言うことではない。
同じ問題が内在していることは、指摘しておきたい。

出勤を1時間早めるためには、起床を1時間早くするか、
起床時間は変えないで出勤までを1時間短縮するかのどちらか。
夜型化が進んでいる日本では、いずれにせよ早起きは難しい。

退社が1時間早くなっても、普段通りの生活を維持し、
就眠を1時間早くしなければ夜間の睡眠時間は減少。
早く床に就いても、昼間熱せられた家屋が冷えるまで、
熟睡できないこともありうる。

一部のマスコミは、サマータイムで夕方に、
あたかも時間の余裕が出るかのような誤解を国民に与え、
買い物やレジャーによる経済効果を唱えているが、
これは全くの誤り。
「余暇」の幻想は、睡眠不足を招く原因となりかねない。

04~06年、経済活性化を目的として、札幌市を中心に
企業別フレックスタイムの実験が実施、
参加した従業員の約40%が体調不良や睡眠不足を訴えた。
労働時間の増加が26%にみられたが、減少したとの回答も19%。

睡眠不足は日中の活動に影響し、作業能率を低下させ、
業務ミスを増加させる。
特にサマータイムで、時計の針を1時間進めた直後は、
交通事故が多発する恐れ。
睡眠不足は、糖尿病などの生活習慣病、がん、うつ病の
リスクを高めるとも報告。
サマータイムには、このようなマイナス面がある。

期待されている節電効果については、限定的というよりも、
全体としてむしろ増エネになるとの調査結果が複数。
照明の節約効果は、照明器具の省エネ化で薄れる一方、
家庭における冷房需要の増加がその理由。
サマータイムによって、冷房を必要とする時間帯が
就業時間から在宅時間にシフトするため。

結局、サマータイムは、地域として節電効果が
あまり期待できないだけでなく、不眠による健康障害や
産業事故の危険性を高め、全体としてみると、
コストの増加は避けられない。

サマータイムに代わるものとして、長期の夏季休暇や、
一部の企業が既に提案している労働日のシフトが考えられる。
平日の作業を土日に振り替えることで、電力消費の分散化を
図ることができる。
多くの企業が参入し、体系的に労働日を決めれば、
それだけでかなりの節電になるだろう。

検証されることなく、数年ごとに登場してくるサマータイムの省エネ神話に、
原発安全神話と同質のものを感じるのは私だけではないはず。

◆ほんま・けんいち

46年札幌市生まれ。北海道大医学部卒。専門は睡眠生理学。
05年北海道大大学院医学研究科長、医学部長、10年から現職。
日本睡眠学会副理事長。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/6/7/137616/

2011年6月14日火曜日

緊急連載 学校と震災(9)通学路でも避難訓練を

(読売 3月31日)

震度5程度の揺れでも、学校現場などに大混乱が生じた今回の地震。
東京学芸大学の渡辺正樹教授(53)(安全教育学)に、
防災教育の課題を聞いた。

――現時点で浮かび上がってきたものは?

「ちょうど下校中、特に小学校低学年児童の多くが大地震にあったこと。
東京近辺で、帰り道でびっくりして泣き出したり、
学校に戻ったりした子がいると聞く。
早朝の阪神大震災、夕刻の新潟県中越地震とは違い、
下校中の子どもが大地震に遭遇、
恐らく初めてのケースでは。
校内での避難訓練はかなり浸透しているが、
下校中を想定した避難訓練が必要

――何が必要か?

「津波などはまた別の想定が必要だが、
通学路の中で公園など、物が倒れてこない、落ちてこない、
『ここに行けば安全な場所』を具体的に教える
上から物が落ちてきそうなビルの近く、倒れてくるかもしれない
自動販売機などには近づかない『約束』をしておく、など。
できれば、保護者も参加した訓練を行うのが望ましい」

――通学区域が広く、電車通学も多い都市部の私立小学校では、
何かあった時は近くの公立小学校、駅員などに助けを求めるよう、
子どもらに指導していると聞いた。

「有効な手段の一つかもしれない。
信頼できる大人に保護してもらう必要がある。
国立大学付属学校も、電車通学の子どもは多い」

――地震時に学校に子どもがおり、保護者が帰宅難民となって、
そのまま学校に宿泊したケースも多かった。
被災地では現在も、多くの学校が避難所となっている。

緊急時、どの教職員がどこまで責任を持つのか。
校内の役割分担はもちろん、学校と地元自治体との分担も
見直しておくべき。
子どもらを宿泊させた学校では、家庭に帰ることができなかった
教職員もおり、たとえ1泊でも大変だっただろう。

どの学校も、避難所になる可能性がある。
公的避難所になれば、自治体が責任を持つが、
実際には教職員が手伝いに入る例も少なくない。
線引きはしておかないと、教職員も持たない」

――今までの防災教育は役に立ったのか?

「役に立ったケースも多くあるはず。
想定を超えすぎ、今までの教訓があてはまらなかったケースも、
残念ながら少なくない。
今後は、今回の地震と津波をもとに、防災教育を根本から
立て直すことが急務。
三陸海岸を襲った最も高い津波が、東京近辺を襲う最悪の想定も、
自然災害の恐ろしさを知った今なら、必要に思える」

◆わたなべ・まさき

1957年生まれ。専門は安全教育と健康教育。
学校安全に関する教員研修の講師も務める。
編著に『最新学校保健安全ハンドブック』など。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110331-OYT8T00178.htm

トレーラーハウスでケア 「愛知ネット」1年間の長期支援

(東海新報 6月10日)

愛知県の「NPO愛知ネット」(天野竹行理事長)の臨床心理士チームは、
避難所になっているリアスホールの駐車場に、
トレーラーハウスを設置し、カウンセリングを行っている。

被災者の心のケアの支援活動は、来年3月末まで長期にわたる予定、
臨床心理士のみで編成する支援チームの派遣は、全国でも初めて。

臨床心理士チームは、大震災発生後の4月2日に先発隊が入り、
1週間交代で、現在は4人のカウンセラーが来談者の悩みなどを聞いて
ケアにあたっている。

カウンセリングは、絵本に出てくるようなかわいい木調の
トレーラーハウスの中で行われ、凝った照明と内装は
リラックスして相談できる雰囲気。

阪神大震災を機に設立された愛知ネットは、不登校などの受け入れ、
社会教育活動、まちづくり支援などをはじめ、
災害救助活動では、中越地震などの被災地で
インターネットでの情報発信を行っている。

臨床心理士チームの派遣は、今回が初めて。
支援活動は、復興の状況にもよるが3月まで1年間の予定。

臨床心理士の木原英里子さんと事務局員の勝屋弘文さんは、
初期から詰めており、広島県の児童養護施設で
虐待児童のカウンセリングをしていた木原さんは、
震災後、被災地での支援活動を希望し、
臨床心理士チームのメンバーとなった。

津波で家や職場を流され、経済的な悩みや先の見通しが立たない
不安を訴える被災者たちが訪れ、
全人格を認め、その方の心に寄り添いつつ
健康な心の面を引き出していければ」と木原さん。

これまで臨床心理士が医療保健チームに入り、
被災地で活動している例はあるが、全員が心理士という
支援チームは、「全国的にも初めて」。

宿泊用トレーラーハウスを置いている住田町農林会館から、
拠点のリアスホールに通い、市内五十数カ所の避難所を
回り終えた現在は、保健福祉チームと連携して福祉の里、
仮設住宅、在宅訪問も行っている。

リアスホールのトレーラーハウスには、「こころの里」と張り紙し、
扉を開けて待っている。
今月13日から、月曜と水曜~金曜日の午後2時~同4時に開け、
予約して訪れる場合は、月曜と水~日曜日の午前9時~午後4時。
予約は、電話番号「080・6010・5352」。

http://www.tohkaishimpo.com/

日本「友人、近所頼れず」 高齢者孤立進む、国際比較 11年版白書

(2011年6月7日 共同通信社)

政府は、2011年版高齢社会白書を決定。
高齢者の社会的なつながりを国際比較した結果、
日本は血縁以外に頼れる近所の人や友人がいる割合が最も低く、
国際的にみて、社会的孤立が進んでいる実態が明らかに。

昨年、住民基本台帳などに記載されていながら、
所在が分からない高齢者の問題がクローズアップ、
白書は、「日本の高齢者は、血縁中心に人間関係を構築し、
近所や友人との関係が希薄」と分析。

日本と米国、ドイツ、スウェーデン、韓国の60歳以上の人を
対象に、意識調査。
困った時に同居の家族以外で頼れる人を複数回答で尋ねたところ、
日本で「友人」を挙げたのが17・2%、
「近所の人」は18・5%、5カ国中最低。
逆に、「いない」との回答は20・3%で最も多かった。
最も少なかったのはドイツで、5・4%。

ボランティア活動などへの参加状況は、日本は31・3%、
韓国の17・6%を上回り4位。
スウェーデンでは、54%が参加。

別の調査では、日本の60歳以上で、ボランティア活動への参加を
希望する男性が34・6%、女性の23・9%を上回った。
東日本大震災でボランティアへの関心も高まっており、
内閣府は、「孤立化しやすい男性高齢者の社会参加の
有効な手段となりうる」と期待。

65歳以上の人口は、10年10月時点で2958万人。
総人口に占める割合を示す高齢化率は23・1%、
前年比0・4ポイント増加し、過去最高を更新。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/6/7/137615/

2011年6月13日月曜日

緊急連載 学校と震災(8)引率先 想定外の足止め

(読売 3月30日)

東日本巨大地震が起きた11日午後、
私立攻玉社中学高校(品川区)のソフトテニス部は、
学校から約15km離れた墨田区内の公園のテニスコートで練習中。

部員30人が汗を流していると、突然、地面が揺れた。
コート周辺に被害はなく、騒いでいる人もいない。
屋外にいるので、テレビニュースも見られない。
「大丈夫だろう」。
顧問の山口浩人教諭(53)は、そのまま練習を続行した。

その後、山口教諭は大通りまで様子を見に行ったりしたが、
公園の外で何が起きているかはよく分からなかった。
夕方5時まで予定通り練習し、最寄りのJR南千住駅へ歩いて移動。

駅の外で待っていたが、電車が動き出す気配はない。
午後8時ごろ、生徒たちが「寒い」と言い始め、「どうにかしなければ」と。
事情を知った生徒の父親が助け舟を出し、近くにあった
父親の勤務先の研修施設に一晩泊めてもらえることに。
翌日、最後の生徒を親に引き渡したのは昼前。

山口教諭は、「運が良かった。こんな大混乱になっているとは思わなかった。
早めに、警察や学校に相談すれば良かった」と反省。

同校は校庭が手狭なため、部活動の練習は校外ですることが多い。
地震発生時、陸上部も品川区内の公園で練習しており、
生徒16人が園内の都施設で夜を明かした。
顧問の羽生稔之教諭(38)は、「公園内にいると、
いつもよりちょっとひどく揺れたぐらいにしか感じなかった」

修学旅行中だった沖縄県立浦添高校の2年生269人は、
5人程度の班に分かれて、都内を見物。
浦安市のホテルに宿泊予定だったが、地震による交通機関の混乱のため、
ほとんどの生徒がたどり着けなくなった。

東京駅近くで足止めされたリユー志保子教頭(56)らは、
沖縄の留守部隊と連絡を取り合いながら、
メールを駆使して生徒全員の無事を確認。
並行して、生徒を少しずつ合流させ、最終的に、緊急避難所になっていた
東京駅近くの小学校や青山学院大学(渋谷区)など4か所に分宿。

リユー教頭は、「旅行中に地震にあった時、どう避難するか、
具体的に決めていなかった。
全員が無事で本当に良かった」と胸をなで下ろす。

中高生は、部の遠征試合や合宿、修学旅行など、
教職員の引率で遠くまで出かける機会が多い。
最近は小学校も、総合学習などで地域に出る。
少ない教職員で引率する場合もあり、教職員一人一人に
的確な判断力と行動力が求められている。

文部科学省の石田善顕・学校安全対策専門官は、
「想定を超えた事態も起きうる。
教職員は、普段から意識を高く持ってほしい」

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110330-OYT8T00152.htm

大船渡の復興計画期間は10年 策定委が骨子案

(岩手日報 6月3日)

大船渡市の東日本大震災からの復興計画策定委員会
(委員長・塩崎賢明神戸大大学院教授)は、
市が2020年度までの10年間を復興計画期間とする骨子案を提示。
懇談会で、市民の意見を募った上で、骨子を決定する。

骨子案の計画期間は、
▽前期(11~13年度)、生活再建や産業再開のための
住宅・都市・生産基盤の復旧
▽中期(14~16年度)、整備された基盤を使い、市民と行政の協働で
復興の動きを本格化
▽後期(17~20年度)、災害に強い魅力ある市の創造―と定義。

市民生活の復興施策として、個人住宅再建支援や公営住宅整備、
高台移転や宅地のかさ上げを例示。
心のケアや医療復旧、教育再建を行う。

委員から、「ハード整備中心の防災は非現実的で、減災の観点が必要」、
「医療では、気仙3市町広域での復興が大事」、
「スピード感のある対応を」などの意見。

計画の骨子策定のため、市は6日から11地区で懇談会を開催。
市民の意見を募って骨子を決定し、7月末の計画策定を目指す。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110603_1

経済成長のための医療か 中川俊男・日本医師会副会長

(2011年5月31日 共同通信社)

医療ツーリズムは、タイなどの東南アジア諸国でうまくいっているから、
日本の医療レベルならもっといけるのでは、という発想。

公的医療費をもう増やせないから、
医療機関に外国の富裕層を呼んでお金もうけをしなさいというが、
それが結果的に、日本の経済成長に結び付くという考え方は安易。

2010年6月、閣議決定した新成長戦略で、医療や医療周辺産業を
日本経済の成長けん引役に位置づけたことに、もともと問題がある。

医療や介護に雇用創出効果はあるが、
それ以上の成長けん引産業とするには、利益を出さなければならない。

がんの検査をするため、陽電子放射断層撮影装置(PET)などがある
病院に中国人観光客が来て、診療報酬の点数の2、3倍の
料金を取ったとする。

病院側が経営だけを考えれば、金持ちを優先し、
公的医療保険を使う日本人は後回しになって、
予約が取りにくくなる恐れ。

日本人でも、「自費で払うから、検査だけでも先にやってほしい」と
申し出る人が現れるだろう。
(保険診療と自費診療を併用する)混合診療について、
「どうして全面解禁しないのか」という不満が高まってくる。

結果的に、患者の支払い能力で格差が出る医療が
つくられてしまうのが目に見えている。

株式会社が利益や配当のため、医療に参入する道を開くことにも。
地方の自治体や病院で、医療ツーリズムに期待する声はある。
地方財政が苦しく、突破口を見つけようという必死の努力の中で出た意見。

実際にどうなるかを考えると、うまくいかないことに気づく。
「がんかもしれない」と思いながら、検診のためとはいえ、
海外旅行をするだろうか?

中国にも、高度医療を提供できる病院はつくられている。
留学している優秀な医師もたくさんいる。

地方の医療の窮状は、小泉政権以降の自民党政権が診療報酬を下げ、
医療費を抑制し続けた結果。

今は、日本の医療提供体制を立て直すことに
全力投球しなければならない時期。
日本の公的医療保険制度を絶対に守らなければいけない。

一度でも壊れれば、それがアリの一穴になって、
全体の崩壊につながるのだから。

◆なかがわ・としお

51年北海道旭川市生まれ。札幌医科大医学部の臨床教授などを経て、
10年から日本医師会副会長。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/5/31/137278/

2011年6月12日日曜日

緊急連載 学校と震災(7)授業再開が心癒やす

(読売 3月26日)

1995年1月17日に起きた阪神大震災では、
多くの学校が避難所となった。
教育現場は、その運営に追われながら、学校再開に備えた。
子どもの心のケアも課題となった。

生徒714人のうち、2人が死亡、6割が自宅外へ避難した
神戸市立鷹取中学校もその一つ。
避難所の被災者は、震災直後に約2500人に上り、市内最大規模。

水も電気もガスもない中で、少ない食料は奪い合いとなり、
暴動すら起きかねない状況。
教員は、声をからして対応にあたった」。
同中の教務主任として、避難所運営の責任者を務めた
中溝茂雄・市立長田中学校長(53)。

落ち着きを取り戻したのは、震災3日目。
電力会社の発電車によって、電気が通じてからだ。
被災者を班に分け、班長を決めて名簿を作成。
班ごとに、支援物資の配給が行えるようになった。
2月1日、近くの水族館の食堂を借りて授業を再開。
学年によって、半日や隔日の変則授業。

各学校では、余震におびえたり、不眠を訴えたりする
子どもの心の傷が心配。
鷹取中では、生徒にボランティア活動への参加を呼びかけた。
中溝校長は、「震災直後は、みんな同じ気持ち。
生徒にもどんどん手伝わせ、生きる目的を持たせたほうがいい」

2月6日付の同中の「ボランティアだより」には、生徒70人が名を連ねた。
1年女子は、「全国から救援物資や気持ちが集まっている。
私たちも頑張らなければ」と。

時間がたつにつれ、長期間の仮設住宅暮らしや親の失業などで、
子どもたちが二次的な心の不安を招く恐れもある。

こうした事態に対応するため、兵庫県教育委員会は95年4月、
心のケアに当たる「教育復興担当教員(復興担)」を、
小中学校128校に配置。
翌年、人員を倍増させた。
心の健康について、教育的配慮が必要とされた児童生徒は
3000~4000人に。

神戸市立本庄小学校で復興担を務めた
村岡弘朗・市立霞ヶ丘小学校長(57)は、被災した児童生徒には、
震災前の生活を取り戻させる<日常性の回復>が必要としたうえで、
「子どもたちにどう寄り添い、受け止めてやるか。
思いを聞いてやることが大切」

復興担(後に「心のケア担当教員」と改称)は、
2009年度末までの15年間で延べ約1700人が活動。
この経験は、災害時の教育復興支援を目的に、県教委が00年設立した
「震災・学校支援チーム」(EARTH、147人)に引き継がれた。

東日本巨大地震の直後、チームの先遣隊として宮城県に入った
圓田元彦・兵庫県教委指導主事(45)は、
「子どもが学校に行くことによって、気持ちに変化が表れ、心のケアになる。
まずは学校再開に全力を挙げてほしい。早ければ早いほどいい

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110326-OYT8T00179.htm

「自粛よりビジネス、信じて前へ」ジャパネットたかた・高田明社長

(日経 2011/6/4)

「東日本大震災は、消費者を変えた」――。
日経MJの創刊40周年記念シンポジウムで、
ジャパネットたかたの高田明社長(62)。

自粛ムードも漂うが、「復興のためには、何よりも消費が大事だ」と強調。
ヒット商品を作り出すノウハウを示しながら、
「消費は、自分で『作る』という意識が大切だ」と語りかけた。
おなじみのテレビ通販では、「いつも30回ほど撮り直す」といった裏話も。

【基調講演】

東日本大震災で、多くの人の生活が変わった。

ジャパネットは4、5年前からエコ(環境)が大事だと言い続け、
エコに対応した商品しか売れないとのメッセージを出してきた。
今は、節電意識の高まりで、扇風機が前年の10倍売れている。
消費という軸でみると、震災は消費者を変えた。

企業は、エコに対応した商品を求めていくことが大切だが、
既存の商品もしっかりとらえることが必要。
両方を大事にしながら、商品戦略やマーケティングに取り組んでいく。

震災後、元気の出る話をあまり聞かない。
日本経済はどうなっていくか、という大きな不安があるため。
地震、津波、原発、風評被害の4つの問題が発生、
いま日本を覆っている問題は経済活動の自粛で、
この考え方には反対だ。

米国は、(米同時テロが起きた)「9.11」の2日後、
国が「自粛はいけない」、「やるべきことはやろう」と
メッセージを出して力強く復活。

◆10分で全商品売り切れ

当社も、10日間はテレビショッピングの番組を自粛するつもり。
だが、本当に被災地のことを考えていくのであれば、
企業としての仕事を頑張り通すしかないのではないかと、
3月16日、番組を一部再開しようと社内で提案。

単に放送を再開するのではなく、テレビ1500台とランタン1000個を用意し、
それらの売り上げのすべてを義援金にしようと提案。
午前9時半に番組がスタート、冒頭ですべての売り上げを
全額義援金として被災地に送る旨を視聴者に伝えた。

すると、商品の紹介が終わらないうちに、
10分で全部の商品が売り切れた。
コールセンターには、次々に電話が入ってきた。
「本当にわたしたちの気持ちが被災地に届くのか」と。

その時、私たちはビジネスを進めながら支援に取り組まないと、
本当の支援にはならないと確信。
自分たちが信じること、企業が信じることを突き進むべきだ。

テレビ通販のスタジオがある佐世保市からほぼ毎日、
日本全国に番組を発信、マーケティングが日々変化していることを感じる。
今の時代は、ITの進化で商品のサイクルが早過ぎ、世の中の変化も早い。
今日売れた商品が、明日も売れる保証はまったくないのが今の世の中。

◆20年前から情熱変わらず

番組づくりにかける情熱と仕事への取り組み方の姿勢は、
20年前のラジオ通販をやっていた時と、まったく変わらない。

この商品を何人に買ってもらえるか、という一念。
100個しか売れなかったら、100人にしか伝わらなかったということ。

伝えるために、何が足らなかったのか?
その課題を書き出していく。

まずは、自分の説明の仕方に問題がある。
自分の語りが足りなかったのなら、どうして足らないのかを考える。
本を読み、商品の知識を身につける。
商品に触ってみる。
どうやってうまく伝えるかを練り直す。
番組には台本がない。
いつも30回ほど撮り直す。

たった60秒の中に、人生やビジネスが凝縮して詰まっていると
いっても過言ではない。
商品の展示も、重要なポイント。

スタジオに商品をどう並べるかで、番組の印象が全然違う。

若いスタッフには、「並べ方が悪い」、「商品が主役になっていない」と指摘。
商品のチェック。
この商品は、本当にお客の立場に立った商品か?
値段が、私たちが提供している商品に見合っているか?
いろいろな課題が10個、20個と出てくる。
それらを1つずつつぶしていくことが、60秒のショッピング番組。
企業の組織体の問題であり、社員教育や企業の理念にもつながる。

◆伝えたいからハイテンションに

番組で商品を紹介しているとき、私のテンションが高いと
よく言われるが、あれは商品の良さを伝えたいと思って、
自然と言葉が出ている。

カメラの先の視聴者を見ているので、その人に伝えたいと思ったら、
テンションがどんどん上がっていく。

宣伝の仕方は、経験からいうと、半端な投資は意味がない。
やるときは大胆にやった方がいい。
チラシは1回に4000万部を配り、5億~6億円。
テレビコマーシャルにも、億円単位の費用が必要。

10億円しか売れなかった商品が、宣伝効果で30億円売れることも。
宣伝投資は、お客がサプライズを待っており、
それに応えたいという経営判断。

◎トークセッション

――先行きの消費をどうみるか?

「当社は、エコ応援プロジェクトを4~5年前から家電などでやってきた。
当時から、環境を考えない商品にはお客が振り向かない。
今回の震災で、まさにそういう状況に。
エアコンにしても15、16年前は6万~7万円の機種がよく売れた。
今は10万円を超えても、エコを考えた商品には多くのお客が集まる。
これから消費者が関心を示すのは、節電やエコ関連の商品

――震災で消費は根本から変わるのか?

経済を左右するのは、人々の心理学。
消費者の心がどう動くのか?
今は自粛するのではなく、皆で日本を元気にしようと、
立ち上がっていかないとだめ。
復興のためには、何よりも消費が大事で、わたしたちにできるのは
前に進んでいくための消費を生み出すこと

「市場は、社会状況で変わっていく。
待ちの姿勢ではなく、消費は自分で『作る』という意識が大切。
8年前に販売したボイスレコーダーは、数万台を売った商品。
当初、会議で使う目的で販売、小さい子どもがいる主婦や高齢者を
どうターゲットにするか?
『お母さんの声を録音し、子どもに聞かせてください』、
『お年寄りは、用事を書くメモ代わりに使って下さい』
こう説明して、年代ごとに使い方を具体的に提案」

――消費者心理は冷え込んでいる。気持ちをどうかき立てるか?

お客にものを売るときの伝え方が大切。
テレビ通販の番組を見た人が、『ものを売っている』と感じると、
敬遠して買ってくれない。
視聴者から、『番組を見ていて楽しい』、『子どもが番組を見てよく踊る』。
こうした感想が寄せられるのが、一番うれしい。
わたしの説明によって、商品を使った楽しさが伝わっていると分かる。
企業は、単に商品を世の中に出すのではなく、
どういう出し方で、消費者とどうつながっていくのかを考える必要

――企業にできる復興支援とは?

支援の方法は、いろいろある。
当社では、復興支援の企画をいくつか考えている。
番組で東北の商品を紹介することや、観光で応援することも計画。
いま社内で議論しているのが、1万人を集めて東北ツアーをやり、
義援金を集めたり、現地で買い物したりする。
テレビ局と協力した復興支援の企画も考えている」

――通販だけでなく、リアルの店舗を展開するなど、
新たな事業展開をどう考えているか?

企業は、身の丈にあった商売をしなければならない。
家電製品を売っているけど、化粧品も売れるのではないかと思ってしまう。
何でもできると勘違いすると危ない。
いずれ海外に進出することがあるかもしれないが、
今の仕事は課題がたくさんあり、日本でやりたいことも多い。
我々と同じ思いを持ったメーカーがあれば、一緒に商品開発などもしたい」

http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819499E2E0E2E3998DE2E0E2E4E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2?n_cid=TW001

水産物ネット販売復活へ 大船渡・新拠点立ち上げ

(岩手日報 6月8日)

東日本大震災の津波に、事業所や設備を根こそぎ奪われた
大船渡市三陸町越喜来の水産物ネット販売業「三陸とれたて市場」は、
今月中旬にも、越喜来に新しい活動拠点を立ち上げる。

静岡県出身の社長、八木健一郎さん(34)は震災直後、
葬儀店を手伝い、多くの津波犠牲者を送った。
絶望的な状況にも、「ここで踏ん張らないと」とネット販売を再開。
越喜来の人と全国の客の温かさを感じながら、
三陸の海の復興を目指して歩みを進める。

一面のがれきを見下ろす新拠点予定地で、社長の八木さんが
社員の松本泰博さん(36)とホタテとワカメの干物を作る。
津波に破壊された養殖施設から引き上げた、ホタテ約2千枚で作った。

「シンプルに火を通して干しただけなのにおいしい」と、八木さん。
原始的な加工法だが、時代を超えても変わらぬおいしさに気付いた。
同様に、津波は「大事なものに気付かせてもくれていた」と振り返る。

3月11日。津波は、会社と機材を奪った。
漁業者の多くが船や漁港を失い、販売する水産物も仕入れられない。
「絶望しかなかった」が、すぐには事業再興へ向かわなかった。

北里大水産学部在籍時、アルバイトしていた越喜来の葬儀店で1カ月働いた。
明かりのない体育館に、多くの遺体が並ぶ。
身元が分からない遺体を傷ませないよう気を配った。
悲しみに暮れる遺族に、傷んだ遺体を見せたくなかった。
多くの人を送り出した。

葬儀店の仕事が一段落し、ようやく自分の今後を考えた。
一瞬、静岡に帰ることも浮かんだが、地元漁業者が
「これから一緒につくっていこうな」と声を掛けてくれた。
「ここで逃げてはいけない」と思い、とどまった。

客からの励ましや支援も、勇気づけてくれた。
日付や魚種の指定はできないが、5月から「三陸復興おまかせ特別便」の
ネット販売受け付けを再開。
骨組みなどが残った薬・コンビニ店跡を修繕し、拠点とすることに。

津波は流された悲しみの半面、人のつながりという温かさを置いていった」。
起業から10年で積み重ねたつながりを大事にしながら、難局に立ち向かう。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110608_15