2011年6月15日水曜日

緊急連載 学校と震災(10)教員が市民の避難指揮

(読売 4月8日)

「津波だーっ」。
3月11日午後、宮城県東松島市立野蒜小学校の体育館。
数百m先で、ワゴン車が水に浮いたのに気付いた
木島美智子校長(54)が叫んだ。

巨大地震の発生から約50分後、市の避難場所に指定された
同小体育館には、子どもや地域の人ら約300人がいた。

木島校長は、体育館の扉を閉めて、全員の避難と救助を行うよう
教員に指示し、「赤ちゃん、病人やお年寄り、子ども、大人の順に
ステージや2階ギャラリーに避難してください」と、大声で叫んだ。

間もなく、黒い濁流が窓を突き破って流れ込み、
ステージを超える約2m以上の高さまで一瞬にして浸水。
2階に駆け上がった教員たちは、卒業式用の紅白幕をフロアに垂らし、
おぼれかけた人たちにつかまらせた。
フロアで濁流にのみ込まれた教員たちは、
水の中にいた赤ちゃんや子ども、
自力で泳げないお年寄りの救助にあたった。

2時間が過ぎ、ようやく体育館内の水が引いたが、
学校周辺の水は引かず、大量のがれきもあって孤立状態に。
外は雪。
大半は、体がびしょぬれで寒さに震えていた。

木島校長は、「このままでは凍死してしまう」と思い、
「全員で互いの体をさすってマッサージをしましょう。1・2・3・4……」と
数分おきに呼びかけ続けた。
教員たちも、「がんばろう」と大声を出して励まし続けた。
避難者全員で、寒さや恐怖に耐えた。
消防団員らが救助に来たのは、夜中の12時頃。

木島校長は当時を振り返り、「あの時は無我夢中だった。
体育館にいた赤ちゃんや小中学生は全員無事だったが、
何人かのお年寄りは亡くなってしまった」と声を詰まらせた。

市は、市立の小中学校14校を避難先として指定しているが、
うち6校は学校自体が津波に襲われた。
市の防災計画では、避難誘導の指揮を執るのは
担当する市職員の役目だが、この日は情報収集に追われ、
市職員が到着した学校はほとんどなかった。
結果として、子どもたちの安全確保に専念するべき校長と教員が、
現場判断で全体を動かした。

校舎1階部分が水没した同市立大曲小学校では、

教頭らが避難誘導の指揮。
学校に避難してきた地域の人たちを、早めに校庭から校舎2階以上に移動。
全員無事だった。

同市の木村民男教育長は、「学校に逃げた市内の子どもは全員助かった。
休日で学校に先生がいなかったら、もっと多くの命が奪われただろう。
本当に頭が下がる思いだ」

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110408-OYT8T00224.htm

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