2011年6月16日木曜日

緊急連載 学校と震災(11)避難所運営に教員奔走

(読売 4月9日)

大津波に襲われ、約650人が避難した
宮城県東松島市立矢本第二中学校。

地震発生から丸一日たっても水が引かず、救助も来なかった。
菅野英一校長(54)は、地震発生時から学校にいた教職員28人を、
「衛生・安全」、「物資」、「食料」の三つの班に分けた。

衛生・安全班は、避難者がいる教室を回り、健康状態を確認。
視聴覚室に「救護室」を設け、養護教諭らが、けが人の応急処置に。
低体温の高齢者には、カーテンを巻いて見守った。
教職員と相談して、トイレ用に泥水の上澄みをくんだり、
トイレットペーパーは流さないように周知したりした。

発生から3日後、ようやく食料などの物資が届いたが、
数日間は圧倒的に不足。
「申し訳ありませんが、食パン1枚を3人で分けてください」。
物資、食料班は、市職員がボートで運んできた少ない物資を、
避難者の人数分に分け、避難者に配って回った。
胸まで泥水につかって、市との連絡役も果たした。

避難者から、「食べ物はこれだけか」など不安な気持ちを
ぶつけられたこともあったが、「どこも大変のようです。
もう少しがんばりましょう」と、冷静に説明を繰り返した。
校舎1階の水没は、結果として10日間も続いた。

水が引いた頃、学校側が食事の配給などのボランティアを

募集したのを機に、避難者により自主的に運営されるように。
教職員は補助的な役目となり、泊まり勤務は交代制に。
菅野校長は、「教職員は、地域の人のことをよく考えて、
避難所の運営に頑張ってくれた」

同県石巻市立青葉中学校も避難所になり、約4000人が避難。
近くにいた市職員らが駆け付けたが、教職員も泊まり込んで、
昼夜を問わず、避難者の救護などの世話に。

各自治体は、災害時、地域住民らが避難所運営を行えるようにと、
地域の自主防災組織などに力を入れてきた。
今回は、地域のまとめ役が命を落とすなどして、
自治組織が動き出すのに時間がかかった所もあった。

阪神大震災では、学校避難所は最長7か月間開設され、
管理運営に多くの教職員が投入。
結果、学校の早期再開などに支障が出た。
兵庫県教育委員会は、学校は日頃から地域と連携し、災害時には、
避難所の運営管理は、後方支援として携わるなどの対応をマニュアルに。

宮城県教委の小林伸一教育長は、
「教員が通常業務を超えて、献身的に尽力していることに敬意を表したい。
今後、学校避難所の運営のあり方を市町村と見つめ直し、
災害時の学校の対応力の強化につなげていきたい

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110409-OYT8T00176.htm

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