2011年6月12日日曜日

緊急連載 学校と震災(7)授業再開が心癒やす

(読売 3月26日)

1995年1月17日に起きた阪神大震災では、
多くの学校が避難所となった。
教育現場は、その運営に追われながら、学校再開に備えた。
子どもの心のケアも課題となった。

生徒714人のうち、2人が死亡、6割が自宅外へ避難した
神戸市立鷹取中学校もその一つ。
避難所の被災者は、震災直後に約2500人に上り、市内最大規模。

水も電気もガスもない中で、少ない食料は奪い合いとなり、
暴動すら起きかねない状況。
教員は、声をからして対応にあたった」。
同中の教務主任として、避難所運営の責任者を務めた
中溝茂雄・市立長田中学校長(53)。

落ち着きを取り戻したのは、震災3日目。
電力会社の発電車によって、電気が通じてからだ。
被災者を班に分け、班長を決めて名簿を作成。
班ごとに、支援物資の配給が行えるようになった。
2月1日、近くの水族館の食堂を借りて授業を再開。
学年によって、半日や隔日の変則授業。

各学校では、余震におびえたり、不眠を訴えたりする
子どもの心の傷が心配。
鷹取中では、生徒にボランティア活動への参加を呼びかけた。
中溝校長は、「震災直後は、みんな同じ気持ち。
生徒にもどんどん手伝わせ、生きる目的を持たせたほうがいい」

2月6日付の同中の「ボランティアだより」には、生徒70人が名を連ねた。
1年女子は、「全国から救援物資や気持ちが集まっている。
私たちも頑張らなければ」と。

時間がたつにつれ、長期間の仮設住宅暮らしや親の失業などで、
子どもたちが二次的な心の不安を招く恐れもある。

こうした事態に対応するため、兵庫県教育委員会は95年4月、
心のケアに当たる「教育復興担当教員(復興担)」を、
小中学校128校に配置。
翌年、人員を倍増させた。
心の健康について、教育的配慮が必要とされた児童生徒は
3000~4000人に。

神戸市立本庄小学校で復興担を務めた
村岡弘朗・市立霞ヶ丘小学校長(57)は、被災した児童生徒には、
震災前の生活を取り戻させる<日常性の回復>が必要としたうえで、
「子どもたちにどう寄り添い、受け止めてやるか。
思いを聞いてやることが大切」

復興担(後に「心のケア担当教員」と改称)は、
2009年度末までの15年間で延べ約1700人が活動。
この経験は、災害時の教育復興支援を目的に、県教委が00年設立した
「震災・学校支援チーム」(EARTH、147人)に引き継がれた。

東日本巨大地震の直後、チームの先遣隊として宮城県に入った
圓田元彦・兵庫県教委指導主事(45)は、
「子どもが学校に行くことによって、気持ちに変化が表れ、心のケアになる。
まずは学校再開に全力を挙げてほしい。早ければ早いほどいい

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110326-OYT8T00179.htm

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