2011年6月11日土曜日

緊急連載 学校と震災(6)年11回訓練 冷静に避難

(読売 3月25日)

東日本巨大地震が発生した11日、東京湾に面した埋め立て地にある
横浜市立並木中央小学校では、卒業を祝う会が体育館で開かれていた。

出席していたのは、6年生約80人と保護者約80人。
保護者への感謝をメッセージに込め、
発表している最中に激しい揺れが襲った。

バスケットゴールの下から離れ、体育館の中央に集まるよう教員が指示。
ある程度揺れが収まってから、校庭へ避難。
「あわてていたのは、むしろ保護者。
児童は、冷静に教員の指示に従っていた」と酒井宏校長(58)。

同小は地震、火災、不審者侵入を想定し、
年11回の防災訓練を行っている。
中には抜き打ちの訓練もあり、子どもたちに自分で
避難経路をたどらせたりすることもある。

「『間違った情報に惑わされず、正しい情報を取ることが命を守る』と
口をすっぱくして言ってきた。
訓練の積み重ねが、児童の対応力を高めた」と、胸をなで下ろす酒井校長。
「来年度は津波も想定し、屋上や近くの高台へ避難する訓練も
取り入れなければ」と、気を引き締めた。

東京都内の区立小学校の理科室では、
4年生がアルコールランプで金属球を熱し、体積の変化を調べる
実験に取り組んでいた。
激しい揺れでドアが音を立て、泣き出す児童もいて騒然と。
「先生が大声で叫んでいたが、すぐには何を言っているのか
分からなかった。
『火を消して』と言っているのだと分かり、
アルコールランプを消した」と女子児童。

巨大地震の発生が学期末だったため、
理科の実験や家庭科の調理実習など、
授業で火を使っていた学校は限られていた。
授業の時期や時間帯が違っていたら、
被害はもっと大きかった可能性もある。

消火が先か、避難が先か、学校によって判断は異なる。
消火する場合も、教師が消すか、子どもに任せるかは様々。
大きな地震の場合、ガスの供給が自動停止するため、
ガスバーナーなどの火は消える。
アルコールランプや希塩酸などが机から落ちることも。

名古屋大学の鈴木康弘教授(地域防災学)は、
「極力消火すべきだとは思うが、命がけで止める必要はない。
大切なのは、マニュアルに縛られず、臨機応変に対応することだ」と
指摘した上で、どの教室でも緊急地震速報を
聞けるようにするべきだと主張。

緊急地震速報について、文部科学省は、
「導入する学校が増えているとは聞いているが、
全国的な状況は把握していない。
費用を補助する事業もない」(学校健康教育課)。

大震災の前に、できる備えはまだたくさんある。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110325-OYT8T00174.htm

スポーツを考える:有元健・社会学者

(毎日 5月21日)

言葉がどういう意味を持つかが、時代によって変わるように、
スポーツの定義も変わる。

いつの時代にも、スポーツというものを、ある方法で語りたい、
考えたいという社会の要求、さまざまなレベルでの要請がある。

今なぜ、スポーツは元々遊びであり、気晴らしでありと
言われているのか?
戦前、スポーツは体育に取り込まれ、ナショナリズムやファシズムと
結びついた歴史がある。
戦後、それを切り離したいという思いが非常に強く、
今も皆そう思い込んでいる。
そういう意味で、今は健全な時代と言えるかもしれない。

スポーツは何なのかという本質論よりも、
社会の中で、政治や経済、文化などと、なぜ結びついたのか、
どのように結びついたかを考察する作業が必要。

スポーツの商業化につれ、この20年ほどでアスリートの社会的な
意味合いは大きく変わってきている。
80年代後半以降、日常生活の中にスポーツのロゴが浸透。
一部のアスリートは、今やメディアヒーローであり、社会的なセレブに。

今回の大震災では、獲得賞金を義援金として寄付したり、
海外でチャリティーマッチを開催したりすることで、
彼らの良質なパブリックイメージが維持されていくという側面。

震災以降、「がんばろう日本」や「日本人は頑張れる」という
言葉があふれている。
「私たち日本人」という概念は非常にあいまい。
本来不安定なその枠組みは、「日本人」が同質的なものだと
繰り返し語られることによって維持。
スポーツのメディア報道もそうだし、それをネタに僕たちが
居酒屋で語り合うのも、そうした行為。
スポーツは、こうして排他的なナショナリズムと結びつく可能性がある。

サッカー日本代表の強みは「組織力」となっていて、
「日本人は器用だ」が、その前提。
その時の「日本人」とは誰なのか?
ある種の同質的な身体的特徴を持った日本人観が前提。
スポーツを巡る語りの中に誰を入れて、誰を入れないのか?

スポーツ以外の分野で、「私たち日本人は」とか「日本人ってこうなんだ」と
語る場面はあまりないのではないか。
スポーツを考えることが重要なのは、それが国民の概念を
身体的に定義する言葉を提供するから。

スポーツ選手が発する言葉は、今の社会の状況では有効で、必要。
歴史を見れば、全く違った接続をされる可能性があることが分かる。

スポーツは、どっちにも転ぶ。
そこへの注視を怠ってはいけない。
それが、「スポーツを考える」ということにつながっていくと思う。
==============
◇ありもと・たけし

1969年生まれ。ロンドン大ゴールドスミス校社会学部博士課程修了。
社会学博士。専門はカルチュラル・スタディーズ。
著書に「サッカーの詩学と政治学」(共編著)など。
桐蔭横浜大特任助教。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/05/21/20110521dde007070063000c.html

細胞生死の鍵はNO 濃度調節、脳障害軽減も

(2011年6月7日 共同通信社)

細胞内のNOが、特定のタンパク質と結合する際、
NOの濃度によって細胞死を食い止めたり、促進したりすることを、
岡山大の上原孝教授(神経薬理学)のグループが突き止め、
7日付の米科学アカデミー紀要電子版に発表。

脳梗塞を起こした部分に、濃度を調節したNOを送り込んで
神経細胞が死滅するのを防げば、脳へのダメージや言語・運動障害を
軽くできる可能性がある。
がんやアルツハイマー病治療への応用も目指す。

上原教授によると、PTENと呼ばれるタンパク質は、
細胞の生存のための情報を伝達する経路に働き掛けて、
細胞の過剰な増殖を抑えている。

低濃度のNOは、PTENと結合してその活動を抑え、
細胞の生存や増殖を促す信号が活発に出るようにする。
NOが高濃度だと、PTENだけでなく情報伝達自体も抑制し、細胞死が進む。

上原教授は、脳梗塞を起こしたネズミの脳を観察。
中心部はNOの濃度が高く、神経細胞の死ぬスピードが速いが、
周辺部は低濃度で、死滅は緩やか。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/6/7/137607/

2011年6月10日金曜日

緊急連載 学校と震災(5)天井や壁 耐震に遅れ

(読売 3月24日)

東日本巨大地震では、震度5前後の揺れにとどまった地域の
学校でも、照明カバーや内壁が崩落し、
児童生徒がけがをする事故が起きた。

耐震化が進む建物本体に比べ、対策が遅れている天井や壁、
設備器具の落下などによる危険が改めて浮き彫りに。

栃木県下野市立国分寺中学校では、1、2年生約300人が
前日行われた卒業式の反省会のため、体育館に集まっていた。
震度5強で揺れた数十秒後、体育館の天井を覆う石こうボードが
はがれ落ちてくるのに、田熊利光教諭(44)が気づいた。

「危ない!」と叫んで、生徒らを壁際に避難させたが、続いて
何枚ものボードと鉄製照明カバー(1個重さ約1kg)計7個が落下。
うちカバー1個が、逃げ遅れた1年女子生徒にあたり、
額を8針縫うけが、生徒19人が打撲などで病院に行った。

「まさに逃げる間もなく、落ちてきた」と田熊教諭。
新村純一校長(57)は、「安全であるべき学校で
けがをさせてしまい、申し訳ない」

三鷹市立第三小学校では、地震の数分後、体育館にいた
5年生児童87人が運動場に避難する際、出口の上部内壁を覆う
モルタル材(厚さ1~2cm)の一部がはがれ落ち、児童8人にあたった。
白井千晴校長(54)によると、うち2人が肩や手に打撲や
軽い切り傷を負い、保健室で手当てを受けた。

同校児童の保護者は、「地震でよく聞く屋内の事故は、
天井や壁の落下によるけが。
メンテナンスがどうなっていたのか気になる」

文部科学省によると、確認できただけで、
23都道府県の国公私立学校5819校で物的損害が。

学校の建物本体は、阪神大震災の教訓から、
「震度6強でも倒壊しない」とされる新耐震基準をもとに
補強工事が進み、全国の公立小中学校で73・3%が耐震済み。

今回は、最大で震度7と想定を超える揺れ、さらに津波が襲ったため、
校舎倒壊や全焼、津波による流失と被害はいまだ計り知れない。

外壁や天井の落下、壁のひび割れ、ガラス窓の破損といった
被害も目立った。
「非構造部材」の耐震化について、文科省が2005年に
耐震対策事例集を出しているが、安全チェックが難しいほか、
建物本体耐震化を優先させるため、
現場もようやく対策にとりかかり始めた段階。

学校建築に詳しい東洋大学の長沢悟教授(62)は、
「非構造部材の落下などは軽微に見えても、危険なことに変わりない。
速やかな耐震対策が必要」

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110324-OYT8T00178.htm

児童向けに医学教室

(2011年6月7日 読売新聞)

「体の不思議や医学の面白さを、子供たちにも知ってもらいたい」
そんな思いを込めて、武蔵野市吉祥寺の内科医沢田めぐみさん(47)が、
「とうきょうキッズメディカルスクール」を始めた。

授業では、実験やクイズを交えてわかりやすく解説。
子供たちは白衣に身を包み、熱心に学んでいる。

「血圧って何?」
「血液は心臓の中でどんなふうに動きますか?」

武蔵野商工会議所の会議室で、先月開かれたスクールで、
沢田さんは8人の小学生に語りかけた。

この日の主な学習テーマは、心臓や血液の流れ。
心臓の部位をクイズ形式で答えさせたり、血圧計を腕に巻いて
実際に計測しあったり。
参加した成蹊小3年の辻なつみさん(8)は、
「静脈や動脈の働きなどを知ることができて面白かった」と笑顔。

沢田さんは、呼吸器内科が専門で、都内の大学病院などに
13年間勤務したが、出産を機に2000年、臨床の現場を離れた。
非常勤の内科医として、都内の検診センターで働くが、
長男(11)と長女(7)の子育てを通じて、
子供の頃から医療に親しめる環境があれば、
医療への理解が深まるのでは」と、考える機会が増えた。

歯科医の夫(49)に相談、知人から顕微鏡を借りて09年秋、
自宅で教室を開講。
長男の友達を集めて教えると、受講希望者が増えていった。

手応えを感じた沢田さんは、子供向けの医学教室の事業計画を、
三鷹市の「みたか社会的企業人財創出コンソーシアム」に提案。
その選定会で第1位を獲得、国から最大300万円の
起業支援金が受けられる。

顕微鏡や超音波検査装置などを購入し、4月からスクールを開講、
同会議所と「三鷹ネットワーク大学」(三鷹市下連雀3)の2か所を
教室にして、それぞれ毎月1回、90分の授業。

講師は、沢田さんと知人の外科医、産婦人科医、薬剤師ら
計6人が交代で務める。
沢田さんは、「将来の医学部生を育成するためではなく、
子供たちの『生きる力』を育むことを目的に続けたい

対象は小学3-6年生。
授業料は、月額5000円(別に機材費1000円)。
問い合わせは、沢田さんのメール(info@kidsmed.jp)。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/6/7/137622/

大腸菌は毒性強い新種か WHO、死者18人に

(2011年6月3日 共同通信社)

ドイツを中心に、欧州で感染が広がっている腸管出血性大腸菌
「O104」について、WHOはこの大腸菌がこれまで見つかっていない
新種である可能性が高い。
専門家の解析の結果、この菌は感染性も毒性も強いと報じている。

世界的にも最大規模の感染となる恐れがあり、
WHOと欧州連合(EU)は、共同で感染源特定や治療態勢確立などを急ぐ。
2日時点で、ドイツを中心に死者は18人、感染患者は1500人以上。

ロシアが、EU全加盟国からの生野菜の輸入を2日から停止するなど、
感染拡大の影響も深刻化。
WHOは、「感染拡大に関連していかなる貿易規制も推奨していない」と、
過剰反応を自制するよう呼び掛けている。

感染拡大は、5月下旬に明らかに。
ドイツ保健当局によると、これまで感染源と報じられていた
スペイン産キュウリは検査の結果、感染源ではないことが判明。

WHOは、一般的な大腸菌予防策として、
「少なくとも食材の中心の温度が70度に達するまで、調理するように」
勧めている。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/6/3/137458/

2011年6月9日木曜日

緊急連載 学校と震災(4)校内泊に追われた私立

(読売 3月23日)

東日本巨大地震では、首都圏の鉄道網がマヒしたため、
生徒が広域から通う私立中学・高校で、当日帰宅できない生徒が続出。

都内では、共立女子中学高校810人、日本大学鶴ヶ丘高校180人、
巣鴨中学高校160人など、多数の生徒が校内で1泊。

頌栄女子学院中学高校(港区)では、電車が不通で駅から
引き返してきた生徒も含め、全校生の半数を超える800人以上が
家に帰れなくなった。

全員を耐震工事済みの校舎で待機、電車が復旧する気配はない。
横浜市、さいたま市、千葉市など、自宅が遠い生徒もいる。
岡見清明校長(67)は覚悟を決め、教職員約60人と一緒に、
生徒の世話や保護者との連絡を始めた。

夕食には、備蓄してあった携帯非常食の「カロリーメイト」を配った。
田中貞美教頭(64)らは、「何か温かいものを」と、
米やかつお節などを買いに走り、調理室でおにぎり約800個を作った。
翌日の朝食分約1000個を作り上げた時、午前2時に。

家族との連絡用に、校長室にある災害優先電話を開放。
深夜、親が車で迎えに来た生徒もいたが、それでも約500人が配られた
保温シートにくるまって寝た。
翌朝、高校生は保護者に連絡がついた生徒から下校させ、
中学生は親に引き取りに来てもらった。
最後の引き取りが済んだのは、午後1時。

「教職員は良くやってくれた」と岡見校長。
田中教頭は、「校内に残った生徒の対応に追われ、下校した生徒の
安否確認まで手が回らなかった。
保護者への連絡も十分とはいかなかった」と反省。

鴎友学園女子中学高校(世田谷区)には、
部活動で約1000人の生徒がいた。
安全を確認後、徒歩と自転車で約200人が、
親が迎えに来た約100人が夜までに下校。
生徒約720人と、教職員約80人が学校に泊まった。

吉野明教頭(60)によると、保護者への連絡は比較的スムーズ。
阪神大震災の教訓から、ホームページや携帯サイトでの掲示、
メールによる伝言に加え、災害時に不通になりにくい回線を使った
音声による情報サービスを設置。
保護者は、つながりやすい手段で学校からの情報を入手。

東京私立中学高等学校協会長を務める
近藤彰郎・八雲学園中学高校長(64)は、
「携帯が通じなくても、安否が確認できるシステムが必要では」と指摘。

佐藤茂樹・都私学行政課長は、「私立各校は、今回の経験を
災害対策マニュアルに生かしてほしい」

帰宅困難な生徒の安全と保護者への連絡。
通学範囲が広い私立校の課題が明らかに。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110323-OYT8T00230.htm

東日本大震災:母国カナダで援助金1000万円集め再来日

(河北新報 2011年6月4日)

宮城県女川町で、ALT(外国語指導助手)をしている
カナダ国籍のマイケル・ルジアさん(27)が、震災後に母国に帰り、
1000万円以上の援助金を集めて、日本に戻った。

同町には、太平洋戦争で日本軍に撃墜されたカナダ人大尉を祭る
碑があり、カナダと縁が深い。

ルジアさんは、「被災者への思いは、どの国も同じ。
この悲劇をきっかけに、ますます両国がつながれば」

ルジアさんは、バンクーバー市出身。
地元大学で日本語を学び、日本政府主催の国際交流事業で、
08年8月に女川町に赴任。
女川一中、二中、女川四小で英語を教えていた。

地震に遭遇したのは、二中の授業を終え職員室に戻った直後。
二中は、離島・出島(いずしま)の中央部にあるため、
津波襲来は知らなかった。

被害の深刻さを知ったのは翌日、救助に来た自衛隊のヘリの窓から、
海岸沿いを見た時。
「屋根の上で必死に助けを求めてる人や、動かなくなった人がいた。
この世のこととは信じられなかった」

3月24日に帰国。
被災地を知る数少ないカナダ人として、新聞やテレビ、ラジオなど、
20を超えるメディアから取材を受けた。

最初の4~5社までは、震災の悲惨さがフラッシュバックし、
感情が高ぶったことも。
それでも、最後に必ず寄付金を募ると、
計1000万円を超える援助金が集まった。

女川町には、1945年8月9日、町内で日本軍に撃墜された
カナダ人、ロバート・グレー大尉の戦没記念碑がある。

グレー大尉は、バンクーバー市近くのネルソン市出身で、
「カナダ軍最後の戦死者」として、同国内で勲章も受けた。
ネルソン市には、女川町から中学生が
毎年短期留学するなど、交流が続いている。

日本に再び戻ったルジアさんは、
「両国のこれまでの交流が、援助を後押ししたのかもしれない。
心のこもった大切なお金なので、援助金の使い方はこれから考えたい」

http://mainichi.jp/select/today/news/20110604k0000e040021000c.html?inb=tw

"つぶやいて"見守る 高齢者がツイッター活用

(2011年6月2日 共同通信社)

「インフルエンザでした」、「大丈夫ですか」、
「水分補給して寝とったらいいですよ」-。

見えない相手を気遣う言葉が、次々につぶやかれる。
ツイッターを活用した高齢者の見守り事業が、
徳島県で軌道に乗り始めた。

「しばらくつぶやきがないと心配になる」と参加者。
東日本大震災でも、安否確認などに力を発揮したツールが活躍。

NPO法人「徳島インターネット市民塾」(徳島市)が主催。
参加者は、徳島県内の19~79歳の約100人で、
見守る側と高齢者を中心とした見守られる側に分かれる。

NPOが無料でiPhone(アイフォーン)を貸し出し、
徳島大の学生が開発した専用ソフト「とくったー」を使用。

高齢者らが、「体調が良いです」など26の項目から選んで現状を報告。
自由につぶやくことも可能で、参加者同士がやりとりをするほか、
NPOがつぶやきの頻度や中身をチェック。

1人暮らしの同県松茂町の栢本利明さん(76)は、
「つぶやきにすぐ返事が来るので、みんなが見ていてくれる気がする」
iPhone自体が面白くなり、フェイスブックを使い始めたり、
参加者が独自に勉強会を開催したりすることも。
年齢を問わず、誘い合って出掛けるようになり、
高齢者は「外出の機会が増えた」と歓迎。

資金面など課題もあるが、NPO法人副理事長の吉田敦也徳島大教授は、
「シニアこそ、ITを使って社会とのつながりを広げるべき。
『家族よりも家族らしく』を目指したい」と目標。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/6/2/137435/

2011年6月8日水曜日

緊急連載 学校と震災(3)「帰宅難民」に校舎開放

(読売 3月19日)

東日本巨大地震で、交通機関が全面的にストップする事態を受け、
都内の多くの学校が、「帰宅難民」に門を開いた。

青山学院大学は、地震発生直後から、区の避難場所に指定される

青山キャンパスで、学外者の受け入れを始めた。
同大は、都や区でつくる「渋谷駅周辺帰宅困難者対策協議会」のメンバー。
最大8000人が滞在し、4000人程度が一晩を過ごした。

体調不良者には、学校の看護師や避難してきた医師らが対応。
妊婦などには和室を開放。
防寒シート、水、非常食などの物資は足りたが、
「春休み中で、学生が少なかったためで、
授業期間中なら一晩で非常食や水は底をついた」と同大は推測。

都立第一商業高校(同区)は、当日午前が卒業式だったため、
生徒600人のうち残っていたのは100人。
そこに400人が避難して来た。
同校も同協議会メンバー。

同校を含め、島しょを除く全都立学校は、都の「帰宅支援ステーション」に指定。
生徒用に、毛布や非常食はある。
位置づけは、水や情報を提供する休憩所であるため、
一般用の毛布や非常食は準備されていない。

今回、各校は生徒分を取り崩して対応したが、平常授業の日や、
もっと避難者が多かった場合、十分な対応は厳しかった。
同校から、「避難者は、温かい毛布や食事を期待して来る。
備蓄物資の再考も必要では」

JR各線がストップし、新宿駅に近い都立新宿高校には、
他校より突出して多い、2500人以上が殺到。
教職員は、校内にいた生徒520人の安全確保と並行し、
避難者の誘導に追われた。
夜間、近隣校から毛布の補充があったが、全員には行き渡らなかった。
深夜に、悪寒を訴える避難者が出て、救急車を呼んだ。

事態を受け、都は計画停電で新宿駅に滞留者が生じた際、
駅頭に職員を出し、ほかの都立高校などにも誘導することを決めた。
「(帰宅難民は)ある程度は予測していたが、それ以上の殺到となった」

新宿区も、自主的に区立の小中学校を帰宅難民に開放し、
住民も含め、1100人以上が夜を明かした。
各校は、区の避難所に指定され、毛布や非常食を備蓄。
それでも不足が生じた学校があり、区が応援物資を届けた。
区によると、小中学校での帰宅難民の受け入れについては、
「ありうると考えていた」(区長室危機管理課)。

400人を受け入れた都立芝商業高校(港区)の林努副校長は、
「教職員が少ない時間帯や休日の発生だったら、対応できただろうか」と自問。
臨機応変な対応で大混乱は回避されたが、
備えが足りない部分も少なからず明らかに。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110319-OYT8T00205.htm

津波の危険過小評価IAEA調査団指摘 現場、政府の対応は賞賛

(サイエンスポータル 2011年6月2日)

福島第一原子力発電所事故を調査していた
国際原子力機関(IAEA)の調査団が、報告書素案を日本政府に提出。

報告書素案は、「幾つかのサイトで、津波の危険が過小評価されていた」
と指摘、原子力発電所の設計、運転者は自然災害の危険を適切に評価し、
防護措置を講じるべき。

新たな情報、経験、理解を踏まえて危険性に対する評価と
評価手法を、定期的に見直す必要も指摘。

大洪水のような極限的な外部事象について、深層防護、物理的分離、
多様・多重性の考え方が適用されるべきだ、と。

水素の危険性についての詳細な評価と対応システム、
シビアアクシデント(過酷事故)に対する適切な緊急時対応の必要

現場の運転員による非常に献身的で、強い決意を持つ専門的対応は、
模範的とたたえるとともに、避難を含め、公衆を保護するための
日本政府の長期的対応は見事で、非常に良く組織されている、と評価。

IAEA調査団は、5月24日~6月1日まで日本で調査を行った。
調査結果は、6月20~24日にウィーンで開かれる原子力安全に関する
IAEA閣僚会議で報告。

IAEA調査団の団長、ウエイトマン博士は、
英原子力規制庁の原子力規制主査も務めている。

福島第一原子力発電所事故が、英国の原子力発電に与える影響を
評価するよう英政府から求められ、
「英国の原子力発電所その他の原子力施設の運転を、
縮小させる必要はない」という報告書を、5月18日に英政府に提出。

http://www.scienceportal.jp/news/daily/1106/1106021.html

子どもの自殺1カ月で報告 「可能性」も含め、文科省

(2011年6月2日 共同通信社)

事情がはっきりしないことが多い、子どもの自殺の実態を把握しようと、
文部科学省は、小中高校生が死亡した場合、
自殺と断定したケースだけでなく、可能性があれば原則1カ月以内に
報告を求める通知を、全国の教育委員会などに出した。

毎年、文科省が公表する自殺者数は、警察庁より大幅に少なく、
死亡理由の約6割が「不明」。
専門家から、「実態を反映していない」と指摘、幅広く情報を集めることに。

文科省によると、定型の調査票の項目に記入する形式で報告。
実態把握が目的のため、死者は匿名とし、学年や年齢、男女別などは
記載するが、個人が特定されないように地域名も示さない。

死亡に至る背景については踏み込み、「学校」、「家庭」、「個人」の
三つに分け、「いじめ」、「保護者の離婚」、「身体の病気」など、
40以上の選択肢から考えられるものを全部選ぶ。

文科省は、調査の指針も通知。
初期調査では、全教員や同級生らから迅速に聞き取り、
遺族に説明するとした。
遺族の要望があればさらに詳しく調べ、弁護士や医師など
外部の専門家を加えた調査委員会を設置することも重要。

文科省の専門家会議は、遺族が自殺の公表を希望しなくても、
学校が全教員から3日以内に、関係のありそうな子から
数日以内に話を聞き、1週間以内に遺族に説明するのが望ましいとする
審議結果をまとめている。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/6/2/137392/

2011年6月7日火曜日

緊急連載 学校と震災(2)遠足 安否確認が難航

(読売 3月18日)

3月11日、東京ディズニーシー(TDS)。
板橋区立板橋第五中学校の3年生24人と引率教諭5人は、
卒業式を1週間後に控え、最後の思い出作りの遠足中。

午後3時40分集合と決め、5班に分かれてアトラクションを
楽しんでいる時に、東日本巨大地震が発生。

同中では、校外活動の際、各班に1台ずつ携帯電話を持たせている。
TDSでは、従業員に声をかければ、事務所経由で引率教員の
携帯電話へ連絡を取るシステムがあるため、
この日は生徒たちに携帯電話を持たせていなかった。
教員から、生徒たちに連絡を取る事態は想定しておらず、
避難したくても集合場所で待つほか、手段はなかった。

入園者が長い列を作って、なかなか進めない通路もあったことから、
生徒全員が集合場所にたどり着いたのは、
地震から2時間半後の午後5時半。
携帯電話が通じにくくなり、学校にいた小川達夫校長(54)に、
公衆電話から、「生徒は全員無事」との連絡が入ったのは同6時。

引率教諭の一人が、液状化した道を泥だらけになりながら
舞浜駅まで向かい、帰宅は危険だと判断。
現地にとどまることにした。

建物の近くは危険なため、ゲートの外で生徒たちが雨交じりの寒風に
震えていると、近くのホテルオークラの送迎バスが通りかかった。
交渉したところ、避難所として大広間を開放。

「温かいおにぎりに、ビュッフェ形式の食事、使い捨てカイロまで
提供してくれた。
翌朝はバスで駅まで送ってもらい、感謝してもし尽くせない」と女性教諭。

復旧した私鉄を乗り継ぎ、12日午前8時過ぎに学校に着いた生徒たちは、
ようやく保護者と対面。
地震発生から約17時間がたっていた。

東京都内の学校は、2007年に都教委が策定した
「学校危機管理マニュアル 震災編」などをもとに、
各校が実情に応じた危機管理計画を作っている。

マニュアルでは、校外活動中の震災時の対応についても、
「揺れが収まったら、直ちに事前に確認した避難所に入る」などと
細かく示されている。

高知大学の大槻知史准教授(コミュニティ防災学)は、
「校外学習でグループワークをする時、活動エリアの避難所を記した
地図を生徒たちに渡しておくべき。
安全な避難ルートを考えさせる作業も取り込めば、防災教育にもつながる

生徒の安否は、教員が近くにいながらいつまでも確認できなかった。
「登山時に使うトランシーバーを、班ごとに持たせる方法もあった」と小川校長。
想定を超えた巨大地震は、校外学習時の対応に、
改めて課題を突きつけた。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110318-OYT8T00183.htm

松原のマツを“再生” 有志が「薪プロジェクト」 加工作業本格スタート

(東海新報 6月3日)

高田松原のマツなどをまきとして「再生」させようという、
「復興支援薪+αプロジェクト」に取り組んでいる
福井県坂井市のNPO法人・ふくい災害ボランティアネット
(東角操代表)などは、加工作業に本格着手。

今後は、気仙からの参加者も募りながら全国に販売し、
収益を市の復興に役立ててもらう。

大津波により、高田松原に植えられていた約7万本のマツは、
たった一本を残して流され、市内の至る所で無残な姿をさらす。
その量は、10万立方㍍以上とも。

このプロジェクトは、これらマツをはじめ、塩害を被ったリンゴの木、
倒壊した木造家屋の部材など、津波で散乱した木材を
ただ廃棄物として処理せず、まきに加工して全国に販売し、
その収益を市の復興に役立ててもらおうとの狙い。

同ネットも名を連ねるチームふくい
(福井県災害ボランティアセンター連絡会)が共催。

市の許可を得て、5月1日から着手し、ボランティアによる
回収作業を継続して展開。
市が集めた分と合わせ、これまでにおよそ1万立方㍍を回収、
高田町内に集積。

販売を前に、福井県工業技術センターに分析を依頼した結果、
塩分はペレットストーブなどで使用しても支障のない0・03%以下。

回収が一区切りを迎え、塩分検査も終えたことから、
まきストーブ販売などを手掛ける滝沢村の㈲、DSTYLE(橋本大治社長)
が中心となり、2日から加工作業をスタート。

同日は、橋本社長ら3人が作業。
小雨の降る中、山積みとなったマツや雑木をチェーンソーで小さく切り分け、
まき割り機で次々と割っていった。

富山県高岡農林振興センターの大沼進上席専門員は、
「樹齢300年近くのマツもある。
成長度合いが分かる年輪の幅は狭く、砂地で潮風を浴び続ける
過酷な環境で強く生きてきたことが伝わってくる」

「自社でまき加工するのとは違う思いがわいてくる」と橋本社長。
1立方㍍当たり8800円(送料別)で、同社が販売とりまとめも
ボランティアで行うといい、「炊いて暖かいだけでなく、
その先にある何かを感じてもらえれば」

第1弾の作業は、5日ごろまで継続。
地元からも、作業への参加や取り扱い店を募っている。
問い合わせは、DSTYLE(℡019・699・1123)、
同プロジェクトホームページ(http://www.fukkou.org/)。

http://www.tohkaishimpo.com/

出生率1・39、再び上昇 自然減は初の10万人超 人口動態統計

(2011年6月2日 共同通信社)

女性1人が生涯に産む子どもの推定人数を示す合計特殊出生率が、
2010年は1・39だったことが、厚生労働省の人口動態統計(概数)。

05年、過去最低の1・26となった後に上昇、
08年と09年は1・37と横ばい、
今回0・02ポイント上がり再び上昇傾向。

出生数から死亡数を引いた自然増減は、
マイナス12万5760人で、初めて10万人を超えた。

出生率について厚労省は、30代後半や第2子以降の出産が
増えたためと分析。
「上昇に転じたものの、少子化傾向は今後も続くとみられる」

年齢別では、10代後半~20代前半は09年より下がったが、
20代後半~40代後半は上昇。
第1子出産時の平均年齢は29・9歳、0・2歳高まった。

都道府県別では沖縄が最高で、1・83。
島根、宮崎が1・63、熊本1・61、鹿児島1・60の順。
最低は東京の1・12。

出生数は107万1306人、1271人増加。
死亡数は119万7066人、5万5201人増。

死因の最多は、がんの35万3318人で30年連続。
心疾患18万9192人、脳血管疾患12万3393人。

結婚は70万213組、7521組減少。
離婚は25万1383組、1970組減。

自殺は1183人減の2万9524人で、3万人を下回った。
警察庁の統計では昨年、13年連続で3万人を超えたが、
厚労省は市区町村に提出される死亡届を基に集計。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/6/2/137399/

2011年6月6日月曜日

緊急連載 学校と震災(1)引き取り下校 大幅遅れ

(読売 3月17日)

突然の緊急事態。
多くの小中学校では安全のため、子どもを保護者の「引き取り」で
下校させる措置をとったが、保護者に連絡できず、
子どもが夜遅くまで学校に残ったり、泊まったりした例も。

都市圏に特有の問題として浮かび上がったのは、保護者が都心で働き、
子どもは何十kmと離れた住宅地の学校にいるケース。

「仕事より子どもを優先し、情報をすぐに確認すべきだった」と
反省する都内の40歳代男性。
妻を病気で亡くし、ひとり親として働く男性が、小学生の次女を
学校から引き取ったのは、学校の引き取り要請から7時間半後。

管理職として、部下全員の帰宅を確認した午後8時、
帰宅難民となり、徒歩で自宅に向かった。
携帯電話は不通。
公立小学校の次女は、引き取り訓練時の説明から集団下校したと思っていた。

途中、午後10時に携帯電話にメールがまとめて配信、
小学校で午後3時過ぎ、保護者引き取りを要請していたと初めて知る。
同級生の母親らから、代理引き取りの申し出メールが何通も来ていたが、
保護者の同意確認が必要なため、次女はまだ学校に。
引き取ったのは午後10時半。
中学生の長女は、学校で宿泊。

大地震や事件などの緊急事態が発生した場合、
大半の小中学校では児童生徒の自主下校をさせず、
保護者による引き取り下校措置をとることになっており、
年に何回か訓練も行う。
保護者がすぐに来校できない時に備え、引き取り人名簿に
同級生の保護者など、候補者を複数登録していることが多い。

引き取り要請を伝える連絡網の電話やメール自体が、
数時間以上にわたって通じなかったため、混乱が生じた。

ケースは様々に分かれた。
都内杉並区のある小学校では、緊急電話網で引き取り要請を行ったが、
電話が通じず、多くの児童が長時間学校で待機。
大田区の小学校では、かなり早い段階で引き取り要請メールが届いた例、
電話やメールが通じなかったが、保護者が自己判断で
引き取りに向かった例など。

杉並区内では、集団下校措置をとった学校もあるが、
同区教委では、「この緊急時、保護者のいない自宅に
子どもが1人になるのはかえって不安な面もある」

東京学芸大学の渡辺正樹教授(53)(安全教育学)は、
保護者が帰宅困難になり、連絡網が不通の場合どう対処すべきか。
今回の混乱を教訓に、対応策を改めて見直す必要がある」

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110317-OYT8T00252.htm

英国…学費無料校 市民が模索

(読売 2月24日)

ロンドン西部イースト・アクトンにある邸宅に、15人の男女が集まった。
ホームパーティーのようだが、家の主でジャーナリストの
トビー・ヤングさん(47)を中心に、議論が始まる。

「書類に不備はないか」、「反対派が訴訟を起こした場合の対応は」。
地元にフリースクールを創設しようとするグループの話し合い。

日本でフリースクールというと、不登校児が通うイメージが強いが、
昨年5月発足のキャメロン政権が教育改革の目玉として推進するのは、
スウェーデンをお手本にした、市民が設立して公費で運営する
学費無料(フリー)の学校。

9月開校を目指すヤングさんたちは、その第1陣。
11~16歳が対象、初年度は11歳の1学年のみを受け入れ、
定員120人に457人が応募するなど反響は大きい。

ヤングさんは、2~7歳の3男1女の父親。
「子どもたちには、最高の教育を受けさせたいが、
4人とも私立は無理だし、公立は当たり外れがある。
通わせたい学校を手作りしよう」と、2年前に運動を始めた。

目指すは、フリースクール版イートン。
数多くの宰相、王族を教育してきた名門私立男子校イートンは、
年間最低400万円という学費の高さでも知られ、
これを地元で学費無料、共学で実現しようというわけだ。

特色は、ラテン語の必修化。
イタリア語など、ラテン語系言語の習得に役立ち、
記憶力や忍耐力を養うのに最適だから。

最大野党・労働党や教職員労働組合などは、
「少ない教育予算を奪い、貧富の差の拡大につながる」と、
フリースクールに反対の立場。
地元の反対派も、提訴する構え。
ヤングさんたちの模索は、全英の注目を集めている。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/jijou/sekai/20110224-OYT8T00282.htm

浜再建へ一歩また一歩 本県沿岸部

(岩手日報 6月2日)

東日本大震災で、基幹の水産業に深刻な被害を受けた本県沿岸部。
地域差はあるが、再建の歩みは着実に前進。

宮古湾では、養殖漁家がホタテ稚貝を集める採苗器作りに汗を流した。
2日にも沖合に投じ、目標とする来年冬の出荷につなげる。
「海で生きる」。
決意を胸に、大船渡市では大型サンマ船が漁場調査に出港し、
大槌町の漁業者は漁港に残るがれき撤去に励んだ。

◆稚貝採苗器作りに汗 宮古

宮古市の宮古湾。
被災した冷凍施設前で、宮古北部養殖組合鍬ケ崎ホタテ部会の組合員ら
十数人が、手作業で採苗器を次々に作った。

がれきの中から見つけた塩化ビニール管が即席製作機。
手際よくオレンジ色のタマネギ袋に、青い粗めのネットを押し込む。
目標は約4千個。
早ければ2日から日出島沖に投下し、海流に乗って漂う稚貝を付着。

本来は、春の浜がにぎわうホタテ養殖の最初の作業。
例年より約1カ月遅れたが、船や仲間を流された失意を乗り越え、
希望の一歩を踏み出した。

同組合の250カ所の養殖施設のうち、残ったのは3カ所。
船も、3隻を残して壊滅状態。
養殖施設は不足し、十分な水揚げは望めない。
「漁業を諦めるかな」と、多くの組合員が一度は考えた。

それでも動き始めたのは、この時期を逃すと、
収穫が再来年の冬までできないから。
ホタテは、春の稚貝採取からほぼ1年半のサイクル。
ブランクは、安定収入を失う期間を長くするだけ。

組合員らが作業に没頭した近くには、津波で打ち上げられたままの
漁船があり、対岸にはがれき置き場が見える。
田中仁組合長(58)は、「何もなくて厳しいさ。
でも、みんなの顔を見てるだけでいいんだ」。
日焼けした顔に充実感が満ちた。

同組合は当面、船や施設を共同使用して苦境を乗り切ることに。

◆サンマ船、調査に出港 大船渡

大船渡市の鎌田水産(鎌田仁社長)所有の大型サンマ船第15三笠丸
(工藤日出美漁労長、169トン)は、北太平洋の公海上での
調査漁業に向け、蛸ノ浦漁港を出港。

船は、大漁旗を掲げて出港。
震災による地盤沈下が著しい岸壁で、家族らが手を振り、
五色のテープで見送った。
震災以降、初めての大型漁船出港に、関係者は笑顔が絶えなかった。

調査は、水産総合研究センター(横浜市)の事業、今年の漁況を調べ、
公海上での漁の可能性なども探る。
7月末まで、釧路を拠点港に調査。
サンマ漁は昨年、記録的不漁だった上、震災で今年の漁の行方も注目、
調査はより重要度を増している。

三笠丸は、調査に初参加。
震災発生時、蛸ノ浦漁港で津波の直撃を受け、激しく損傷。
同社所有のもう1隻の大型船は、気仙沼市で全焼。
三笠丸は、懸命の修繕でなんとか調査に間に合わせた。

鎌田社長は、「復興への船出だ。よく津波に耐えてくれた。
これから一つ一つ頑張るしかない」と力を込める。

◆漁港がれき撤去に一丸 大槌

大槌町漁協(倉沢重司組合長)は、組合員を集めて、
漁港のがれき撤去作業をスタート。
東京のNPO法人の支援で、収入がない漁業者に助成金が出る
事業の一環だが、同町の漁業者が集まったのは震災後初めて。
漁業再開のめどは立っていないが、漁港には一丸となって、
復興を目指す熱気があふれた。

作業は、町内5地区で行われ、組合員や家族ら約250人が参加。
吉里吉里漁港には75人が集まり、久々の再開に
笑顔を見せながら作業に励んだ。

佐々精一さん(72)は、「2隻の船は流され、収入源もなく、沈んでいた。
収入が入るのはありがたいし、再開に向けて漁港をきれいにしたい」
同漁協の芳賀陽一副組合長は、
「7月に、ワカメ養殖を再開させたい」と前を見据える。

作業は、NPO法人水産業・漁村活性化推進機構の支援事業の一環。
1日8時間労働すると、1万2400円が支給。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110602_9

被災地医療を協働で 県、国際団体と覚書締結

(岩手日報 6月1日)

東日本大震災で県は、米国に本部を置く国際医療支援団体
「プロジェクト・ホープ」と、被災地支援に関する覚書を締結。
具体的な支援活動の内容や時期について今後、本格的に協議。

覚書は、
▽被災地への医療機器などの物資供給
▽医療機関の再建、機器などの購入に充てる金銭的支援
▽医師や看護師ら医療ボランティアの派遣―
などに、県と同団体が協働で取り組むことを明記。

同団体で、日本の被災地支援を指揮するフレデリック・ガーバー氏らが
県庁を訪問。
ガーバー氏は、個人的なアイデアとして、
「医師や看護師を目指す若者への奨学金も視野に入れている」

達増知事は、「友好関係を構築する姿勢で取り組んでくれることをうれしく思う。
被災者が将来、ほかの被災地を助けられるようになることを願う」と、
覚書に署名した。

プロジェクト・ホープは、1958年に米国で設立。
医療ボランティアの派遣や医療物資支援、保健教育などに取り組み、
途上国や被災地への支援活動を行っている。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110601_9

2011年6月5日日曜日

中国…70年以上前の教科書 注目

(読売 2月10日)

中国で、70年以上前に作られた小学校の国語の教科書が注目。
シンプルな構成と牧歌的な挿絵が特徴で、
近年に再出版されて、人気が出た。
浮き彫りになったのは、現行の教科書への不満。

この教科書は、1932年に初版が発行された「開明国語教科書」。
出版社間の競争が激しかった当時にあって、40回余りも増刷。

上海の出版社が2005年、上下巻で再出版。
しばらく注目されなかったが、昨年、突如として人気が沸騰。
ネットでは、原価の10倍の260元(約3200円)で取引、
版元は10万セットの増刷を表明。

内容はどうか?
「先生、おはようございます」。
「皆さん、おはようございます」。
あるページには、こんな簡単な会話と、先生に向かってお辞儀する
生徒の挿絵しかない。
文章を手がけ、日本でも著作が出版された
作家・葉聖陶(1894~1988)は、
「教科書は児童文学でなければ、興味を持ってもらえない」

親類の勧めで読んだ遼寧省瀋陽の小学4年生、金泓吉君(10)は、
「学校の教材は、文章が長くて時々飽きるが、こちらは楽に読める」
「社会主義の現代化建設」に役立つ人材の養成を目指し、
「知識偏重」、「説教くさい」との批判がある現行の教科書に比べ、
親しみやすいようだ。

インターネットで調査したところ、教科書を修正すべきだとの回答は
6割を超え、小学校教育がますます功利的、画一的になっているとの
回答も8割以上。
批判に押されるように、政府は昨年12月、
小中学校で使う教材の見直しを指示したと発表。
ネットの影響力は、この国でも無視できないようだ。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/jijou/sekai/20110210-OYT8T00234.htm

復興へ雇用が最大課題 県緊急対策、創出に全力

(岩手日報 6月1日)

岩手労働局が発表した、1万1千人超という沿岸部の離職実態は、
本県にとって、雇用対策が復興への最優先課題であることを
あらためて示した。

県は、緊急雇用創出事業で5千人の「職」の創出が目標。
4月の新規求人数は、前月比で39・9%増、
今後も市町村や企業と連携して、職の確保に全力を挙げる。

県は、4月の補正予算で緊急的な雇用対策のため、56億円を確保。
沿岸部の市町村で3500人、直接雇用と委託を合わせた県関連で
1500人の雇用創出を目指し、機会の掘り起こしを急いでいる。

5月23日現在の雇用創出数は計1700人、うち雇用済みは960人。
仕事内容は、がれきの撤去や漁具・漁網などの片付け、
物資の仕分け、事務補助など。
雇用期間は半年程度がめどだが、委託分は来年3月まで。
今後、予算が増額されれば、雇用の規模や期間は拡大。

県は、被災店舗や工場の修繕費、従業員が一定規模以上の
工場の再建費に関する補助金制度を既に創設。
6月補正予算案には、水産加工業など沿岸部の主力産業を
ハード面から支援する企業組織向けの新たな補助金も盛り込む方針、
民間事業者への「異例」の資金投入などを通じ、
事業の早期再開を後押し。

県雇用対策・労働室の津軽石昭彦雇用対策課長は、
「緊急対策の課題は、受け皿づくり。
安定的な雇用には、産業振興施策が欠かせない」、
市町村、民間と連携して対策をさらに強化する構えだ。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110601_10

がん細胞 立体的な増殖に成功 抗がん剤開発に期待 福井大が世界初

(2011年5月27日 毎日新聞社)

福井大高エネルギー医学研究センターなどは、
ナノサイズの格子状の突起がある培養プレート上で、
3次元の立体的ながん細胞の培養方法に、世界で初めて成功。

体内の腫瘍に近いがん細胞を、簡単に均一に培養できるため、
抗がん剤の研究開発などに役立つ。
生体材料・ナノテクノロジーの研究分野で、世界的権威のある
「Biomaterials」誌オンライン版に近く掲載される予定。

従来は、培養器の平面上にがん細胞を増殖させる
2次元の培養方法があったが、実際の腫瘍の特徴とは違いがあった。

3次元のがん細胞培養も試みられてきたが、均一に培養できなかったり、
細胞の生存率が低いなどの課題。

今回の方法では、がん細胞は突起を足場に、自発的に動いて
細胞間接着を繰り返し、細胞の塊を形成。
この方法では、従来の方法よりも細胞の生存率が上がり、均一に増殖。

体内では、がん細胞が活発に増殖して低酸素領域が生じ、
化学療法や放射線治療が難しくなるが、
今回作り出したがん細胞にも低酸素領域があり、治療研究に生かせる。

元福井大助教で、放射線医学総合研究所(千葉県)の
吉井幸恵研究員は、「従来よりも簡単に、抗がん剤の効き目などを実験できる。
患者に合った抗がん剤が提供できるようになれば」

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/5/27/137117/

日本の医療には十分な価値 萩野隆二・JTB地域交流ビジネス推進室マネジャー

(2011年5月31日 共同通信社)

日本が、海外に開かれた観光地であることは既に浸透。
次は、持っているコンテンツ(利用できる内容)を知らせていくことが必要。

日本の医療には、技術と高いホスピタリティー(もてなしの能力)があり、
政府と連携しながら健康診断、歯科部門などを
海外にプロモーションする価値は十分ある。

政府が医療ツーリズムを打ち出したことで、JTBは担当部署をつくった。
100カ所以上の自治体と病院から、問い合わせが。
医療の国際化と地域経済の活性化を、事業の軸。
病院が国際競争力を付け、地域が訪日客誘致の動きを推進し、
経済に波及効果を広げるために、私たちが何をお手伝いできるか考えたい。

医療のため、地域に長期滞在する外国人が増えることで、
宿泊施設などにも経済効果が出てくる。
医療ツーリズムが進めば、日本医療のブランドイメージが上がり、
将来は、医療機器の輸出拡大にもつながるのでは。

訪日外国人に対する医療ツーリズムを導入しても、
国内の患者に対する国民皆保険制度は当然、継続すべき。
患者へのサービスを低下させず、無理のない範囲で外国人を受け入れ、
病院が新たな投資や人材の投入を進める好循環を目指す。

少子高齢化が進む中、海外の需要を探る発想自体は悪いことではない。
あとはバランスだ。
他国でもそうだが、(受け入れの)割合を設定するなどの
議論になっていくのではないか。

尖閣諸島沖で起きた漁船衝突事件は、
医療ツーリズムにも影響を及ぼした。
東日本大震災や原発事故で、訪日客数は大きな打撃。
現在は医療も含め、海外からの問い合わせがぽつぽつ来始めた状況。

現時点は、医療ツーリズムの受け入れ態勢をきっちり固めておき、
訪日客が戻った時にPRするのが現実的。
本国で長く待たされる手術が、日本では1週間後に
受けられるとなれば、人は動く。

PRのターゲットとして中国、ロシアは大いにありうるが、
中近東のニーズも調べている。
正確な情報や国際的なメッセージも必要だ。
海外に対して、政府と旅行会社、病院で日本の医療ブランドを
つくり上げていくといいと思う。

◆はぎの・りゅうじ

66年神奈川県茅ケ崎市生まれ。
旅行マーケティング戦略部営業戦略担当マネジャーを経て、
07年2月から現職。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/5/31/137277/