2011年6月6日月曜日

浜再建へ一歩また一歩 本県沿岸部

(岩手日報 6月2日)

東日本大震災で、基幹の水産業に深刻な被害を受けた本県沿岸部。
地域差はあるが、再建の歩みは着実に前進。

宮古湾では、養殖漁家がホタテ稚貝を集める採苗器作りに汗を流した。
2日にも沖合に投じ、目標とする来年冬の出荷につなげる。
「海で生きる」。
決意を胸に、大船渡市では大型サンマ船が漁場調査に出港し、
大槌町の漁業者は漁港に残るがれき撤去に励んだ。

◆稚貝採苗器作りに汗 宮古

宮古市の宮古湾。
被災した冷凍施設前で、宮古北部養殖組合鍬ケ崎ホタテ部会の組合員ら
十数人が、手作業で採苗器を次々に作った。

がれきの中から見つけた塩化ビニール管が即席製作機。
手際よくオレンジ色のタマネギ袋に、青い粗めのネットを押し込む。
目標は約4千個。
早ければ2日から日出島沖に投下し、海流に乗って漂う稚貝を付着。

本来は、春の浜がにぎわうホタテ養殖の最初の作業。
例年より約1カ月遅れたが、船や仲間を流された失意を乗り越え、
希望の一歩を踏み出した。

同組合の250カ所の養殖施設のうち、残ったのは3カ所。
船も、3隻を残して壊滅状態。
養殖施設は不足し、十分な水揚げは望めない。
「漁業を諦めるかな」と、多くの組合員が一度は考えた。

それでも動き始めたのは、この時期を逃すと、
収穫が再来年の冬までできないから。
ホタテは、春の稚貝採取からほぼ1年半のサイクル。
ブランクは、安定収入を失う期間を長くするだけ。

組合員らが作業に没頭した近くには、津波で打ち上げられたままの
漁船があり、対岸にはがれき置き場が見える。
田中仁組合長(58)は、「何もなくて厳しいさ。
でも、みんなの顔を見てるだけでいいんだ」。
日焼けした顔に充実感が満ちた。

同組合は当面、船や施設を共同使用して苦境を乗り切ることに。

◆サンマ船、調査に出港 大船渡

大船渡市の鎌田水産(鎌田仁社長)所有の大型サンマ船第15三笠丸
(工藤日出美漁労長、169トン)は、北太平洋の公海上での
調査漁業に向け、蛸ノ浦漁港を出港。

船は、大漁旗を掲げて出港。
震災による地盤沈下が著しい岸壁で、家族らが手を振り、
五色のテープで見送った。
震災以降、初めての大型漁船出港に、関係者は笑顔が絶えなかった。

調査は、水産総合研究センター(横浜市)の事業、今年の漁況を調べ、
公海上での漁の可能性なども探る。
7月末まで、釧路を拠点港に調査。
サンマ漁は昨年、記録的不漁だった上、震災で今年の漁の行方も注目、
調査はより重要度を増している。

三笠丸は、調査に初参加。
震災発生時、蛸ノ浦漁港で津波の直撃を受け、激しく損傷。
同社所有のもう1隻の大型船は、気仙沼市で全焼。
三笠丸は、懸命の修繕でなんとか調査に間に合わせた。

鎌田社長は、「復興への船出だ。よく津波に耐えてくれた。
これから一つ一つ頑張るしかない」と力を込める。

◆漁港がれき撤去に一丸 大槌

大槌町漁協(倉沢重司組合長)は、組合員を集めて、
漁港のがれき撤去作業をスタート。
東京のNPO法人の支援で、収入がない漁業者に助成金が出る
事業の一環だが、同町の漁業者が集まったのは震災後初めて。
漁業再開のめどは立っていないが、漁港には一丸となって、
復興を目指す熱気があふれた。

作業は、町内5地区で行われ、組合員や家族ら約250人が参加。
吉里吉里漁港には75人が集まり、久々の再開に
笑顔を見せながら作業に励んだ。

佐々精一さん(72)は、「2隻の船は流され、収入源もなく、沈んでいた。
収入が入るのはありがたいし、再開に向けて漁港をきれいにしたい」
同漁協の芳賀陽一副組合長は、
「7月に、ワカメ養殖を再開させたい」と前を見据える。

作業は、NPO法人水産業・漁村活性化推進機構の支援事業の一環。
1日8時間労働すると、1万2400円が支給。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110602_9

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