2009年6月8日月曜日

逆風の中で:第4部・冬季競技の模索/7止 「エース」船木、恩返し

(毎日 5月25日)

北海道余市町で開かれたジャンプ大会。
会場には、「世界一美しい」と呼ばれた飛型で一時代を築いた
98年長野五輪金メダリスト、船木和喜(34)の姿。
今も現役の船木は、出場した子供たちに1着10万円ほどの
ジャンプスーツを5着贈り、笑顔でサインに応じた。

長野五輪当時、約3000人いた道内の選手は、
今や3分の1ほどに減少。
その状況を心配した船木は、「競技人口を増やしたい」と立ち上がった。
昨年2月、知人と冷凍食品販売会社を設立して、取締役に就任。
売り上げの一部や自分の資金から、子供たちを支援することを決め、
古里の余市町から活動を始めた。
ジャンプに恩返しをしたいという船木は、
「将来はNPO法人を作り、子供たちの『雪離れ』を食い止めたい」

日本のジャンプ選手は、多くが企業の社員。
船木も、長野五輪のころはデサントの社員。
99年に退社し、自身の会社「フィット」を設立。
国内では、まれなクラブチームを作った。
上を狙う選手だけでなく、「結果が残せずに引退するしかない選手や
趣味でジャンプを続けたい人の受け皿」を目指した。

この挑戦は苦難の連続だった。
環境の変化に対応できず、自身の成績も低迷し、
06年トリノ五輪は出場を逃した。
スポンサー探しも難航し、「100社に当たって1、2社」の支援が
得られるかどうかだ。
今は、船木を含め4人が所属しているが、遠征費などはすべて「自腹」。

そんな窮状を見かねた道内の不動産会社社長の呼び掛けで今年4月、
「船木和喜北海道後援会」ができた。
1口1万円(法人は2万円以上)の会費を募り、
それを競技活動費に充てようという、ジャンプ界では珍しい試み。

そんな動きが起こるのも、船木が現役を続けているからだろう。
本人は、「ジャンプは楽しいし、次々と新しい目標が出てくる。
当面は来年のバンクーバー五輪出場。
(14年)ソチ五輪も狙っている」と力強い。
全盛期と比べれば、五輪代表入りは決してたやすいものではないが、
「ジャンプをやめる必要はないし、引退はない」と断言。

船木は数年前、フィンランドで、祖父と孫が一緒に
ジャンプを楽しむ光景を見た。
「すごくいいなと思い、日本でもできないかと考えた」と船木。
独自の視点で、ジャンプ界に新風を吹き込もうと挑む船木の着地点は、
かつての大ジャンプのように、まだまだ遠い先にある。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/archive/news/2009/05/25/20090525ddm035050103000c.html

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