2011年6月21日火曜日

緊急連載 学校と震災(16)早期再開「日常」へ戻す

(読売 4月20日)

推定高さ18mの津波に襲われ、中心部がほぼ全滅した宮城県女川町。
高台にあり、難を逃れた同町立女川第二小学校に4月12日、
子どもたちの笑い声が響いた。

同小と、孤立した町北東部の離島・出島から移転してきた女川第四小学校
二つの小学校の始業式や入学式が行われた。

町役場や災害対策本部も入り、体育館が支援物資置き場になっていたため、
第二小の式は4階コミュニティールームで行われた。
約130人の児童が出席した始業式では、
新任の梶谷美智子校長(54)が、「一生懸命学習しましょう」などとあいさつ、
児童代表の6年、渡辺杏奈さんが、
「友だちと避難所で支え合って生活し、不安な気持ちが和らぎました」

17人の新入生の1人、遠藤遥斗君(6)は、ランドセルが流され、
リュックで登校したが、入学式で新しいランドセルをもらって笑顔を見せた。
入学予定だった6人が、一時的に他校に転入し、
母親のあゆみさん(30)は、「お友だちが減って残念ですが、
この日が来てよかった」

第四小は、3階廊下ホールで始業式、4階教室で入学式を行った。
島の高台にあり、併設の女川第二中学校と共に
「SOS」と屋上に描き、助けを求めた学校。

児童は、9人が他地域に避難し、現在5人。
少し離れた女川第一小学校の避難所で、家族らと寝起きし、通学バスで通う。

「やっぱり学校は楽しい。野球がやりたいな」と、6年の須田龍人君(11)。
新田瑞穂教諭(48)は、「避難所にいる時より、子どもの顔色が明るく、
学校に戻ったことは大きい」、
三品隆校長(52)は、「学習場所を整備してもらった。
がんばるしかない」と気を引き締めた。

同県内の被災地では、多くの小中学校が4月下旬開始だが、
同町では4月初め、早期再開を決めていた。
第二小では、当時校内にいた約120人の避難者の大半に
別の避難所に移ってもらった。
電話事情の悪い中、保護者に何度も電話をかけ、
9か所の避難所を回って保護者を探し、お知らせを貼って周知。

人口約1万人の同町では19日現在、身元が判明しただけで321人が死亡、
1035人が行方不明、小中学生も4人の行方がわかっていない。
第二小では、児童は無事だったが、約30人の家族が死亡・行方不明、
9割の児童の家屋が流失。

遠藤定治・町教育長(70)は、「子どもたちが大変厳しい状況にあるからこそ、
学校で日常のリズムを回復させたい。
仲のいい友だちに再会し、先生が寄り添ってくれることで、
心の支えにしてほしい」

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110420-OYT8T00133.htm

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