(読売 6月23日)
生徒と信頼関係を築き、活躍の場を広げる学校がある。
大阪市の舞洲アリーナ。
“軽音楽の甲子園”と呼ばれる大会「スニーカーエイジ」に
初出場した大阪府立北淀高校フォークソング部の11人は、
とにかく笑顔だった。
149校の中で、準グランプリ。
ギター、ボーカルの3年中村得夢君(18)は、
「やればできるやんと感じた。学校がめっちゃ好き。
次はもっと頑張ろうと思える、こんな学校はない」と声を弾ませた。
北淀高は、1963年に開校、かつては進学校として知られた。
合格発表ミスなどがあり、評判が徐々に悪化。
80年代、学校崩壊を経験。
校内が破壊され、授業は成立せず、生徒は競って規則や秩序を破り、
自由に校内外を動き回った。
先生への不信感をむき出しにした――
退学者数は、79年からの8年間で10倍。
千数百人もの生徒がいたとはいえ、87年度100人以上が退学。
生徒の素行不良などを理由に、住民からは廃校運動の声。
87年、府教育委員会の支援を得て再建がスタート。
学年フロアの真ん中に、「担任室」が設置。
教員が朝は校門、休み時間はトイレ前に立ち、
終業まで校門前に常駐する仕組みもできた。
生徒の目線で考え、教職員はチームとなって取り組み、
トラブルが起きた時も、まずは生徒の言い分をじっくり聞いた。
こうした努力の結果、徐々に授業ができるように。
山崎睦也教頭(54)は、赴任した95年当時、
「力で押さえつけるのではなく、生徒と信頼関係を築く姿勢ができていた」
新入生は教師不信が強く、授業中、大声で雑談する生徒も
一部にはいたが、「2年生になる頃には心を開いてくるようになった」
だが、何かが足りなかった。
99年から4年間、同校に勤務した伊井直比呂教諭(50)は、
赴任当時、生徒の「どうせ」という人生へのあきらめの空気に驚いた。
学力面だけで判断され続け、学校不信や教師不信に陥っていた。
「自尊感情を高めることが求められているのではないか」と
伊井教諭は考え、同僚の教諭らと、国際理解教育を企画。
先入観のない海外からの研修員や留学生が相手なら、
素直な部分が出せるのではないか。
「君たちの印象が、日本の高校生の印象になる」と励ますと、
自己紹介の英語を学ぶなど意欲的に取り組むように。
本番では、苦手な英語で堂々と留学生たちと交流し、
「北淀に来てよかった」と感想を寄せた。
「認められ、活躍できると感じることができれば、成長できる」
伊井教諭はそんな感触を得た。
こうした中、部活動が活発になってきた。
2005年、休部状態だったフォークソング部が再開。
最初は、ギター2本とマラカスだけだったが、
「夏休みが過ぎても、部員が辞めないようになり、
バンドとして形になるなど、一つひとつできることが増えてきた」、
06年から顧問を務める狭間弘美教諭(44)。
ボーカルの3年宮城泰希君(17)には、忘れられない経験が。
1年の冬、人間関係のいら立ちから、ゴミ箱やいすをけって暴れた時。
先生が駆け付け、「どうしてん。落ち着け」と声をかけて
言葉を引き出し、ギターを鳴らしながら昔話もしてくれた。
「本気で聞いてくれたことがうれしくて、大泣きしてしまった。
先生というより、人と向き合う感じ。こういうのは初めてだった」
大会当日の応援席には、野球、サッカー部員ら100人近い応援団。
「のびのびとやんちゃな北淀高校が、そのまま応援席に引っ越してきた。
奇跡のような一日だった」と狭間教諭。
大会では応援も審査され、部員と応援席が一体となって
勝ち取った準グランプリだった。
会場に響いた演奏は、学校が取り戻した〈一体感〉で輝いていた。
◆担任室
1~3年の各フロアの中心に設けられ、担任団が常駐するミニ職員室。
トラブル時の指導や相談、話し合いの場所として、
仕切られたスペースが設けられている。
何かあるとまず、担任室に連絡が入る。
情報を担任室に集約することで、学年全体で生徒の事情を共有し、
素早い対応ができる。
◆「義務教育化」の現状
高校進学率97.8%、中退者数7万2854人――。
高校を巡る最新の数字から、義務教育のような存在でありながら、
多様な生徒に応じられていない現状。
女子美術大学短期大学部の山田朋子准教授(43)(教育制度学)が、
様々な課題が集中する高校を100校以上調査、
〈1〉九九や漢字などの基礎学力が不足している生徒がいる
〈2〉荒れて授業が成立しない。地域で存在を煙たがられ、学校が孤立
〈3〉家庭が経済的困難を抱えている――などの傾向。
こうした状態を改善するには、学校一丸となった努力に加え、
地域や家族などによる様々な協力や支援が欠かせない。
山田准教授は、「生徒は自己否定感を強め、
将来に希望を見いだせずにいる。
そのまま社会に出れば、次世代に拡大された形で現れてくる。
悪循環を断ち切るためにも、義務教育の〈やり直しの場〉としての
役割が重要だが、現場は限界を超えている。
教員を増やすなどの支援を充実させるべきだ」
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20090623-OYT8T00321.htm
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