2011年5月6日金曜日

復興への希望は(下) 震災50日、戸羽 太陸前高田市長に聞く

(東海新報 5月1日)

――震災以降を振り返っての率直な感想と、最優先で取り組んできたことは?

戸羽 大変厳しい状況の中で、自衛隊、警察、消防、全国の自治体、
ボランティアの応援、世界各国からの励ましがあり、
避難者の皆さんにも我慢強く協力していただいた。
何とか、少しずつ前に進んできた。

行政とすれば、行方不明の方々を1人でも多く、
ご家族の元に返してあげたい。
それは今も変わらず、最優先にやってきた。

――震災では、漁業、農業が壊滅的な被害を受けた。

戸羽 漁業については、漁協や国の関係機関、県と話し合っている。
市の経済の下支えでもあり、大事にしなければ。
漁業者からの声は、時間がかかっても整備をした中で一からやりたい、
とりあえずワカメ養殖だけでもなどとそれぞれ、
行政よりは漁協が中心となって漁業者の意思統一を図り、
同じ方向で市も応援できる形をつくっていきたい。

農業は、自家用生産が中心、津波による塩害問題も。
私個人としては、農業そのものの切り替えを図るのも必要。
ある議員から、たとえば漢方薬などがつくれないかという話も。
こういうタイミングだからこそ、切り替えも可能だし、
研究機関の応援も得られる。
農業でもご飯を食べられるよう、皆さんと相談をしていきたい。

――商工業の復興、雇用対策への取り組みは?

戸羽 商工業が、今すぐ復活するのは難しい。
仮設商店街や仮設住宅が各地域にできたとき、
必要な店などはつくっていきたい。

雇用に関しては、避難所での調理や高齢者の話し相手など、
ボランティアでやっていることを仕事にすれば、
男女関係なく働ける場がいっぱい。
1人が1週間ずっと働くのではなく、曜日別などにして、
一人でも多くの人が働く形も考えなければならない。

生活費すべてをまかなうのは難しいが、あまりお金を使わなくて済む、
今の期間にいくらかでも収入を得れば、自立への準備、
きっかけづくりにはなる。
本格的には、大企業が復興支援という名の下に雇用の場を
つくってもらえるよう、呼びかけを図っていきたい。

――浸水区域の土地を利用する考えは?

戸羽 いろんな考え方があるが、私個人からすれば、
基本的に住む地域ではない。
商店街のようなものであれば、許される部分は出てくるが、
あれぐらいの平場であれば、太陽光や風力発電、養殖漁場の拡大など、
可能性はいろいろある。
専門家の意見を聞いて市民に提示し、
方向性を決めていかなければならない。

新しく生まれ変わった陸前高田市が、
「よくなったね。若い人たちにも魅力のあるまちになったね」と
言われる風にならないと。
犠牲になった方々の気持ちに報いるためにも、
大事なところは大事にしながらも、思い切った転換をしなければ。

――仮設住宅の建設、入居が進むが、市内で必要戸数が建設でき、
以前のような地域社会を維持できるか?
被災者の自立に向け、どのような道筋をつける考えか?

戸羽 仮設住宅は、2000ちょっとの数があれば足りるのでは。
最終的な数は分からないが、その数ならば市内で建てられる。

地域社会については、小友町の方が小友町に住むことを
ベースに考えているが、以前と同じ地域に住みたいという声に
100%応えるのはちょっと難しい。
それができない地区も、できるだけ固まって別の地域に行けば、
人間関係は保てるよう、配慮はさせていただいている。

市内にもガソリンスタンドができ、
ガソリンは自分で手に入れられるようになった。
地元のスーパーからは出店の話を聞いている。
今後、買い物難民やガソリン不足の問題はだんだん解消され、
家があっても、そういう理由で動けなかった方々には、
自立をしていただかなければならない。
仕事がなく、蓄えがないという方も。
今後は、生活保護などの相談にも乗っていかなければならない。

被災という部分はあっても、徐々に本来の姿に戻していかなければ。
その中で、「仕事も見つけ、生活保護がなくても大丈夫」となるよう、
仕事をつくり、企業にも呼びかけ、雇用の面でも相談に乗っていきたい。
仮設住宅に入ったから、これだけの時間が経ったからと、
突然切り離すわけにはいかない。
実態や個々の家庭状況を見ながら、
できることをやっていかなければならない。

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