2008年1月18日金曜日

第2部・地球からの警告/1(その1) 氷が消えれば私たちも

(毎日 1月1日)

細る氷河、巨大化するハリケーン、頻発する大規模森林火災。
相次ぐ異変は、温暖化にさいなまれる地球からの警告。

冒険家の故植村直己さんが北極点単独行(78年)や
北極圏1万2000キロ踏破(74~76年)を成し遂げてから30年。
米アラスカ州北部で、植村さんの足跡をたどる。

1万2000キロ踏破で植村さんがアラスカに入ったのは、76年3月。
「アラスカの旅が始まった。(中略)西から吹きつける風はマイナス33度
とは思えないほど、冷たく痛い」(「北極圏一万二千キロ」文芸春秋刊)
3月22日、植村さんはこう書いた。

カナダとの国境に近い先住民族「イヌピアット」の村、
カクトビック(人口約300人)到着3日前。
「マイナス33度とは思えない」との記述が、当時の寒さを物語る。
記者がカクトビックを訪ねた昨年11月末の気温は、
3月末と同程度だが、氷点下20度を下回ることはない。

「親しみやすくていい人だった。犬ぞりの犬一頭ずつに名前をつけて、
いつも犬と一緒だったな。楽しい思い出だよ」
シェルドン・ブラウワーさん(39)が、植村さんを覚えていた。
村の顔役だった父親の招きで、自宅に数日泊まったという。

ブラウワーさんは、イヌピアットの伝統捕鯨で重要なモリ打ち役を
務めているだけに、気候の変化には敏感。
「この30年、すべての面で変わった。温暖化が進み、波も高くなった。
漁には、以前より大きなボートが必要」。

カクトビックの観光ガイド、ロバート・トンプソンさん(60)の案内で
北極海を望む海岸に出た。
海は凍っておらず、高さ3、4メートルのがけが続いている。
がけは所々で崩れ、海岸線はギザギザに。
海岸を保護していた海氷の減少で、浸食が進んだ。
かつてはなだらかな斜面で、浜辺もあった。

植村さんは、北極海の海氷上を犬ぞりで走ってカクトビックに入ったが、
これでは、海氷上を縦横無尽に走ることはできない。
植村さんの冒険も、今なら成り立たない。

鯨やアザラシと並ぶ食糧源のカリブーにも、異変が。
カリブーの冬場の餌は、コケや地衣類。雪を掘って懸命に探す。
ところが、冬場に時折雨が降るようになり、事情が変わった。
降った雨が凍ると雪が掘れず、餌も食べられない。

数年前には、それで数十頭ものカリブーが餓死。
カクトビックの西約500キロにあるイヌピアット最大の町バロー
(人口約4000人)も温暖化に悩まされていた。
11月25日の正午前。
北極海に面した海岸で、猟銃を手にしたハンターがつぶやいた。
ノー・アイス、ノー・エスキモー(氷が消えれば、エスキモーも消える)」

バローでは、11月下旬から1月下旬まで太陽が昇らない。
ハンターらは薄明かりの中、アザラシを探していた。
アザラシは氷上を好むが、海に氷はほとんどない。
気温は氷点下7度。平年(同20度程度)を上回る日が続く。
「暖かすぎる。氷上に出たいが、氷があっても薄く危険だ」。
ハンターは肩をすくめた。
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イヌピアット

極北のツンドラ地帯にはアラスカ、カナダ、グリーンランド、ロシアに
計約15万人の先住民がいる。
アラスカ北西部に住み、狩猟や漁労を生活の糧としてきた民族が、イヌピアット。
かつては、極北の先住民全体が「エスキモー」と呼ばれた。
「生肉を食べる者」を意味するとも解釈され、侮べつ的だとの認識が広まり、
カナダでは「人々」を意味する「イヌイット」が呼称。
極北先住民全体をイヌイットと総称する傾向があり、
イヌピアット自身は、英語で「イヌピアット・エスキモー」という呼称。

http://mainichi.jp/life/ecology/select/news/20080101ddm001040003000c.html

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