2008年7月4日金曜日

[第3部・イラク]情勢不安 スポーツに影

(読売 6月25日)

「ドーハの悲劇」と呼ばれるサッカー・ワールドカップ(W杯)
米国大会アジア最終予選(1993年)の日本戦。
ゴールを決めたイラクの元スター、アハマド・ラディさん(44)は、
母国のサッカーに対する情熱を感じる1人。

「空襲や戦闘で街が廃虚になった時でも、子どもたちは、
がれきの上でボールをけっていた。それがイラクなんだ」

98年に現役引退。昨年10月にイラク議会議員に就任。
青年スポーツ委員会のメンバーとして、
スポーツ復興に力を注ぐが、身の危険を抱えた仕事。

イラク戦争後、政情不安や混乱はスポーツ界に及び、
要人や元選手らがテロや拉致の対象となった。

2006年7月に武装集団の襲撃を受け、五輪委員会の会長ら
約30人が拉致され、会長は消息不明に。
「将来に希望がない人の犯罪だろうが、誰が敵か、何の理由か分からない」
と五輪委のティラス・オディシオ・アンワイア事務総長は嘆く。

サッカーに与える影響も深刻。
フル代表が参加した昨年7月のアジアカップで劇的な初優勝を飾ったが、
快進撃の間もバグダッドでは、市民への自爆テロが発生。
大会後、主将のFWユニスらは身の危険を感じて帰国を見合わせた。

選手の多くは海外でプレーしているため、代表の練習もままならず、
主催試合をアラブ首長国連邦(UAE)など周辺国を間借りして開催。
空爆で競技施設が破壊され、使用できるスタジアムは国内で一つだけ。
リーグ戦も、中断や停止が繰り返されている。

04年のアテネ五輪で準決勝まで進んだ五輪代表チームは、
北京五輪アジア予選で敗退。
フセイン・サイード・サッカー協会長は、「準備が出来なかった」と悲しんだ。
W杯南アフリカ大会アジア3次予選でも敗れ、国民は失望した。

ウエートリフティングはトルコ、ボートはドイツなど、
イラクでは国際オリンピック委員会(IOC)などの協力で、
五輪で有望な個人競技の選手を、
国外に送り込んで練習施設の確保と強化を進めている。

「今のイラクで、スポーツは唯一国民に希望を与えるもの」
(オディシオ事務総長)と関係者の努力は続いている。

一方6月に入り、政府がイラク五輪委に干渉しているとして、
IOCがイラク五輪委の暫定資格停止を決めるなど
国内では新たな混乱も生じている。
スポーツを取り巻く厳しい状況は予断を許さない。

http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2008/feature/continent/fe_co_20080625.htm

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