2008年3月27日木曜日

腎臓がん克服、小橋建太さん 不屈のリング…自分信じ生きる

(毎日 3月18日)

人気、実力ともに日本を代表するプロレスラー、小橋建太さん(40)が
腎臓がんを克服してリングに帰ってきた。
がんで腎臓を片方取って、現役復帰したプロスポーツ選手は前例がない。
プロレスや生き様を通して、たくさんの人を勇気付けている小橋さん。
不屈の闘志を支えるものは何か?

「こばしーーーっ!」
叫ぶような声が、日本武道館のあちこちから聞こえてくる。
得意技のマシンガンチョップや剛腕ラリアットが決まるたびに、
観客から「お~~」という歓声が地鳴りのように響く。
リングの上では、汗でぬれた鍛え上げられた体がライトに照らされる。
復帰第8戦を飾った小橋さん。
コールや拍手が鳴りやまない。会場が一つになっていった。

小橋さんは、両親の離婚で父の姿を知らないまま育った。
母はパートなどを掛け持ちして、小橋さんと兄の2人を1人で育てた。
経済状況は苦しかった。
家は雨漏りし、畳がへこみ、床底が抜けた。
母は、愚痴ひとつ言わずに必死で働いた。
「母が胸を張れる立派な人間になりたい」。

早く自立したく、高校卒業後は京セラで工場勤務。
しかし、自分が置かれた状況が見えてくるに従って、
「本当にこれがしたかったことなのか?」という疑問が。

小さな新聞の記事が目に入った。
米国のプロボクサー、マイク・タイソンの活躍を伝えるもの。
恵まれない環境に育ち、少年院にまで入っていた同い年の男が、
好きなボクシングでのし上がっている。
「自分にとってのボクシングはなんなのか?」。
「プロレスラーになりたい」。子供のころの夢がよみがえった。

退職してウエートトレーニングに取り組み、全日本プロレスに入門願。
しかし、実績がないことや20歳という年齢を理由に入門を断られた。
交渉して何とか入門したが、上下関係が厳しい先輩たちとの共同生活や
付き人としての苦悩など、苦労は絶えなかった。
リングデビューは88年。

熱いファイトスタイルや不屈の強さで、徐々に存在感を増した。
たくさんの賞を取り、前シーズンではチャンピオンだった06年6月、
がんが見つかった。
所属する「プロレスリング・ノア」の健康診断。

東京都江東区にある事務所を訪ねると、
白いシャツにブルーのネクタイをきちんと締めた小橋さんが現れた。
黒のスーツに包んだ体は、リングの上よりも小さく見える。
激しい戦いの後、観客に何度も丁寧にお辞儀をした、
あの誠実な人柄は、ここでも全身からにじみ出ている。

「(告知された時)がん=(イコール)死=『もうプロレスができない』って、
すべてが結ばれました。
帰りのタクシーの中で、入門して20年のことが頭にフラッシュバック。
家に帰って、少し落ち着いてから、いろいろ考えました。
ああ、もうこれで死んでしまうんだな、と。
あこがれのチャンピオンベルトも取ったし、
ベストバウト(年間最高試合賞)とかMVPとかの賞もいっぱいもらったけど、

でも何が自分にとって一番大きかったのか、と考えたら、
ファンのみんなの声援だったんですね。
自分のプロレス人生は本当にファンのお陰だった。
そう思うと、後悔はなかった。
こんなにみんなに愛されたプロレスラーとして後悔はない、とね」

手術後は、底なし沼といえるほどの精神の激しい落ち込みに苦しんだ。
全身の倦怠感が3~4カ月続き、心身ともにブラックホールにいるよう。
練習熱心で知られるが、当時は「ここで動かないとダメだ」と、
自分を無理やり道場に連れて行き、練習を再開。
「早くリングに上がりたい」という一心。
復帰について、主治医は「絶対反対」と言い続けた。

07年12月2日。日本武道館で、546日ぶりの復帰戦。
詰め掛けた1万7000人は「プロレスリング・ノア」史上最多の観客動員数、
異例の立ち見券も販売。
終了後、観客は総立ちとなり、「小橋コール」。
多くの人が泣いていた。みんなが「生きる」ことの大切さを共有。

「まずは生きること。
生きたくても、生きることができない人がいっぱいいる中で、
自分は生きるチャンスを得たんですよ。
当たり前にできていたことが、当たり前って感じない。
すごくありがたく感じますよね。
すべてに対して、ありがたい、ありがとう、って感謝の気持ちが
余計に強くなりましたよね」

がんは今、不治の病というわけではない。
たくさんの人が不安の中で闘病している。
「がんばるしかないですよね。自分を信じて、生きようと。
自分も、チャンピオンになったこのいい時期に、なんでなんだ?と
思いましたけどね、やっぱり。だから……」

言葉の端々から一生懸命な姿勢が見える。おごらず、偉ぶらない。
「自分だけじゃないんだよ、と。人間なんてみんな一緒、みんな弱いと思う。
でも、強くなろうとする気持ちがあれば、強くなっていく。
『上がって行こう、上がって行こう』と思えば、必ず上がって行ける。
プロレスが好きか嫌いかは別にして、がんになっても復帰したプロレスラーが
いるということを一人でも多くの人に知ってもらいたい。
病気とかいじめとかにあっている人に、負けないで自分自身を信じて
がんばって行けば道は開けていくんだと。それを伝えたいんですよね」
小橋さんの目は、どこまでも真っすぐだった。
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◇こばし・けんた

1967年、京都府福知山市生まれ。
福知山高校卒業後、京セラ勤務を経て、87年、全日本プロレス入門。
88年にデビュー。00年「プロレスリング・ノア」創設を機に、
「新しい自分を建てる」という意味を込めて本名の健太から改名。
186センチ、115キロ。

http://mainichi.jp/select/science/news/20080318dde012050013000c.html

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