2008年3月2日日曜日

大きく変わる認知症環境 超高齢社会を生きる

(毎日新聞 2008年2月24日)

認知症は、85歳まで生きれば4人に1人、
120歳まで生きれば全員が発症するといわれる。
超高齢社会にとって宿命の病気であり、その進展とともに、患者が急増。
認知症を取り巻く環境は大きく変わろうとしている。
患者のQOL(生活の質)に配慮した介護・医療ができる時代へ。
有効な予防法が模索され、根本的治療薬の開発を目指して
国家的プロジェクトもスタート。

高知市「菜の花診療所」の老年精神科医・真田順子さん、
北村ゆりさんから話をうかがった。

2人は、高知医科大学神経精神科で物忘れ外来を担当、
「大学病院は、患者にとってどうしても敷居が高い。
気軽に相談できる施設が必要」と、8年前に認知症外来クリニックを開設。

同診療所は、心療内科を掲げているが、
新患1000人強のうち、約40%が認知症で、年々増加傾向に。
内訳は、認知症の疑いがある人15%、軽度認知症40%、
中等度30%、高度10%。
北村さんは、「痴呆ではなく認知症という病名となり、
本人・家族ともに受診に抵抗がなくなった。
トラブルは年のせいではなく、病気にかかったためと考える患者が増えた」。

真田さんは、「介護保険の申請書には、認知症の有無を書かねばならず、
ケアマネジャーに受診を勧められ、認知症と診断される人も多い」。

以前は、認知症の患者がいることを隠したがる家族が多かったが、
最近では病気であることを話し、介護の協力を仰ぐケースが増えている。
受け入れをちゅうちょしていたデイケア施設なども抵抗がなくなった。
ケアワーカーも、認知症患者との接触の仕方を熟知している人が増えた。
認知症を取り巻く環境も、大きく変わりつつある。

認知症で最も多いアルツハイマー病の治療は、
症状の進行を年単位で抑える薬であるアリセプト(製品名・塩酸ドネペジル)
の登場で、新しい時代を迎えた。
「アルツハイマー病は、じわりじわりと進行、ある時点を境に、
一気に悪くなるといわれるが、早期に確定診断がついた場合、
アリセプトの服用で、ぐっと持ちこたえる患者が増えた。
患者の日常生活が、著しく改善された」

アルツハイマー病は、まだ完治できる疾患ではないが、早期発見、
早期治療によって、患者のQOLに配慮した医療・介護ができる時代に。
「菜の花診療所」で、認知症患者のうち、高知市とその周辺に住む患者は
1~2カ月に1回通院し、身体の動きや皮膚の変化などのチェックを受ける。
これから起こるであろうことへの対応策を家族とともに学ぶ。

認知症の治療・看護は、進行がんに似ている。
進行がん治療は、がんを克服するのではなく、上手にがんと共存して
患者のQOLを高めることに主眼が置かれる。
認知症も、病気と折り合いをつけ、患者の尊厳を維持するための支援が
広く行われるようになった。

しかし、認知症専門医不足は否めず、徘徊、抑うつ状態など、
周辺症状が十分コントロールできていない例も目立つ。
認知症の知識を十分もった介護スタッフが増えているが、
不眠、脱水症状などに対しては医療の介入が不可欠。

「かかりつけ医と専門医のネットワーク、医療と福祉の連携が
ますます大切になっている」。
末期になればなるほど、医療からの介入が必要。
認知症患者のための終末期医療の確立など、
解決しなければならない課題も山積。

アルツハイマー病研究は、発症を遅らせるのではなく、
βアミロイドの生成過程に着目した根本的治療薬の開発が進んでいる。

予防の研究で、筑波大学臨床医学系精神医学教授の朝田隆さんは、

茨城県利根町の高齢住民1052人を対象に、予防介入試験を行っている。
01年から5年にわたる試験では、エイコサペンタエン酸(EPA)や
ドコサヘキサエン酸(DHA)などのサプリメントの服用、早歩き、
サイクリングなどの有酸素運動、短時間の昼寝を取るなど睡眠の改善を
介入して行ったグループとしなかったグループで、
認知症の発症に差が出るかを観察。

その結果、介入群の認知症発症率は3・1%だったが、
非介入群では4・3%。
記憶、運動能力、うつ症状の改善などの点で、介入群が優れていた。
生活習慣病対策が、認知症対策にも有効であることが明らか。

厚生労働省と新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の
共同による国家的プロジェクト、J-ADNI
(Japanese-Alzheimer's Disease Neuroimaging Initiative)がスタート。

軽度認知機能障害(MCI)から初期アルツハイマー病への移行を示す
代替もしくは客観的マーカーを特定するために行う観察研究。
健常者(150人)、MCI(300人)、アルツハイマー病(150人)の3群に分け、
血液、脳脊髄液、磁気共鳴画像装置(MRI)や
陽電子放射断層撮影装置(PET)などのデータの変化を3年にわたって調べ、
発症時には、どのデータがどのように変化をするかを知って
診断基準を作ろうというもの。

J-ADNIの代表・東京大学大学院医学系研究科脳神経医学教授の
岩坪威さんは、「アルツハイマー病は、発症時には病理学的に進行し、
客観的指標がなければ治療薬の有効性評価は難しい」。
J-ADNIによって、アルツハイマー病の根本治療薬の開発が、
さらに活発化すると期待。
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◇介護通じて母と対話--女優・坪内ミキ子さん

介護は、終点が見えず、長期的視野でとらえられない。
途中で手を抜くと、それまでの苦労は水泡に帰してしまう。
だから無理をするということに。
介護をする側がつらいのはもちろんだが、される側も同様につらいことを
忘れないで、ゆとりを持って介護にあたること。

明治、大正、昭和、平成を生きた母は、宝塚歌劇団1期生の雲井浪子。
人一倍用心深く、娘には臆病にも見えるほど。
嫌いな牛乳を骨に良いからと飲み、外出時には私にしがみついて歩いていた。
そのおかげか、病気知らずの生活をしていた。
私が仕事で家を空けることが多く、「ゴッドマザー」の役割を担ってくれた。

その母が、96歳で転倒したことから、寝たきりに。
母は、絶望感から「攻撃」という形で抵抗したように思う。
あまりのつらさに「夜だけはオムツをして」と泣いて懇願すると、
「お願いだから、それだけはやめて」と涙で懇願された。
互いに相手の気持ちを思いやるゆとりはなく、
わが身のつらさだけをわからせようとわめき合った。

そんな時は、なりきり演技で息抜きをした。
病院の屋上にあがって介護者の役を、
例えば松坂慶子さんになったつもりで演じてみたりした。
退院をしてからは、仕事をやりくりし、
ヘルパーさんと役割分担を明確にして介護にあたった。
時間ができれば、日本画や書道の教室に通い、友人との小旅行にも出かけた。

102歳で母を見送ることができた。
母と共に闘った6年間は、今では、共に過ごした六十余年のどの時よりも密接に、
親密に母と対話していたように感じる。
介護を通して、「生老病死」について深く考えさせられた。
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◇家族が認知症に気づいた変化の発生頻度◇

1 同じことを何度も言ったり聞いたりする 45.7%
2 ものの名前が出てこなくなる      34.3%
3 置き忘れやしまい忘れが目立った    28.6%
4 時間や場所の感覚が不確かになった   22.9%
5 病院からもらった薬の管理ができない  14.3%
5 以前はあった関心や興味が失われた   14.3%
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※東京都福祉局:高齢者の生活実態及び健康に関する専門調査報告書より

http://www.m3.com/news/news.jsp?sourceType=GENERAL&categoryId=&articleId=68101

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