2011年7月12日火曜日

「独りじゃない」周囲の支えで前向きに 支える 在宅療養への道/1

(2011年6月28日 毎日新聞社)

「おはよう。今日は天気だよ」
高浜町和田の自宅で、筋肉を動かす神経が働かなくなる難病
「筋委縮性側索硬化症」(ALS)との闘病生活を送る一瀬長義さん(71)に、
妻篤子さん(67)が明るく声をかける。

一瀬さんは、唯一動かせる唇の筋肉で、呼びかけに応える。
昨年に次女が嫁いだが、篤子さんは、
「お父さんがいてくれるから、独りじゃない」と、
夫婦そろっていられることをありがたく思っている。

06年、一瀬さんを異変が襲った。
腹に力が入らない。
医師も驚く進度で病状は悪化し、5カ月後には永平寺町の福井大病院に入院。
同12月には歩けなくなった。

ベッドの上で、体勢を変えることもできなくなる。
肺の機能が衰え、呼吸にも支障が生じ、変えてほしい体勢を
口にするのが精いっぱいに。
つらさを訴えることもできない行き詰まった精神状態から、
夜中でも体勢を変えるよう、付き添いの篤子さんに求め続けた。
生来の明るさで夫を励ましていた篤子さんも、この時ばかりは体調を崩し、
院内の救急診療にかかった。

症状が進行しきってできる治療がほとんどなくなり、
07年5月に退院せざるを得なくなった。
一瀬さんは家族の負担を心配し、別の病院での入院を希望。
専門医が少なく、ベッド数も限られているため、転院先のめどは立たない。
篤子さんが、県難病支援センター(福井市)に相談すると、
ALS患者の多くが自宅療養をしていることが分かり、
6月から家へ連れて帰ろうと決めた。

一瀬さんは、面倒見が良く、勤めた工場の退職後、
区長など地区の役職を一手に引き受けた。
篤子さんは、「誰彼かまわず世話をするのが大好きだった人。
それが人の手を煩わせることになって、どれほど悔しかったことだろう」、
涙声で当時を振り返る。

望んだ在宅療養ではない。
しかし、わが家であった。
天気のよい日、篤子さんや主治医の井階友貴医師(30)らが、
車いすで外に連れ出すと、たくさんの知人が声をかけてくれる。

一瀬さんは、明るさを取り戻していった。
筋肉の動きを伝えて文字にする特殊機器を通じ、
「この心地よさは 隣人の心と血の動きと風の清かさよ」と詩をしたためた。
「運命の定めに従い、感謝して生きていこうと思います」と前向きな気持ちも。

篤子さんも当初は不安だった。
初めての介護、見通せない将来……。
たんの吸引やおむつの交換など、日々の介護に慣れるうちに意識が変わった。

「お父さんが生きていてくれることが、幸せだと思えるようになった。
体力が続く限り、家で診たい」
在宅医療を選択して本当によかったと、今は思っている。

******
国は、自宅を「第3の医療現場」として、在宅医療を進める方針だが、
なかなか広がらない。
患者一人一人で望ましい治療のあり方は異なるが、
在宅医療のよい面が知られていないことも普及の壁になっている。
県内の在宅医療の好例や、地域ぐるみの前向きな取り組みを紹介。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/6/28/138632/

0 件のコメント: