2011年7月15日金曜日

過疎食い止めた包括ケア 「脱ハコモノ」の発想を 「日本を創る―復興への道」老いの未来

(2011年7月5日 共同通信社)

病院や介護施設にも甚大な被害を与え、多くの患者や高齢者が
行き場を失った東日本大震災。
政府の復興構想会議は提言の中で、お年寄りが住み慣れた自宅で
暮らしながら、医療や介護サービスを受けられる
「地域包括ケア」の導入を打ち出した。
復興に合わせて白紙からシステムを構築し、少子高齢化時代の
モデル地域にする狙い。

医療過疎という現実に直面してきた被災地は、
地域のコミュニティーを取り戻し、復興につなげることができるのか?

▽近づく限界

「職員は、もうぎりぎりの状態。このままでは続けられない」

気仙沼市の特別養護老人ホーム「恵風荘」の佐藤久子施設長。
震災から3カ月以上が過ぎ、介護現場は限界が近づいている。
特養ホームには、被災施設から収容したお年寄りがあふれ、
体調を崩したり、ストレスで要介護度が上がったりした高齢者も少なくない。

恵風荘は震災後、30人の高齢者を受け入れ、入所者は120人超に。
過密状態の中、肺炎などで17人が亡くなった。
関係者は、「自宅のある高齢者は、在宅医療や介護のシステムが
整備されていれば、自宅に帰すことができ、犠牲者を出すこともなかった」

医療費の膨張、施設不足という現状を打開するシステムとして、
地域包括ケアへの期待が高まっている。
ヘルパーらが、30分以内に駆けつけられる「圏域」を設定し、
医療や介護、福祉、生活支援サービスを切れ目なく提供するという考え方。

▽戻った表情

尾道市の笹山良法さん(84)の自宅に6月20日、看護師と保健師が訪れた。
「お母さんこんにちは、変わりないですか」。
2人は、ベッドで寝たきりのイツキさん(81)に語りかけた。

6年前に脳出血で倒れて以来、イツキさんは入退院を繰り返した。
夫の良法さんは、「家に帰って、表情が戻ってきた」と喜ぶ。
7カ月前、良法さんが在宅介護への切り替えを決断した背景には、
24時間訪問看護サービスがあり、リハビリ部門も充実している
公立みつぎ総合病院の存在が。

尾道市中心部から北に約20kmにある同病院は1956年、
わずか20床ほどでスタート。
「寝たきりゼロ作戦」など、在宅医療・介護に積極的に取り組み、
患者は増加。
現在は200床を超え、特別養護老人ホームや介護老人保健施設なども
併設する地域の一大拠点となった。
山口昇病院事業管理者は、「地域包括ケアで高齢者が町にとどまり、
過疎化を食い止めることができた。
地域の活性化にもつながった」

▽脱ハコモノ

「介護している息子さんは、職に就いてるの?
職がないなら、ハローワークにつなぐ。それが包括ケアだよ」。
東京のベッドタウン・和光市の南地域包括支援センター。
会議室に集まったケアマネジャーや看護師、介護福祉士ら約40人を前に、
市職員(厚生労働省出向中)の東内京一さん。

人口約8万人の同市に、特養ホームは1カ所(定員60人)しかない。
市内に4カ所ある地域包括支援センターが事実上の司令塔となり、
自治体主導で包括ケアの導入に成功。

釜石医師会の小泉嘉明会長は、岩手県沿岸部で被災者の医療に
当たってきたが、「被災地では、介護問題に焦点が移ってきた」、
地域包括ケアの導入が今後の課題に。

医療と介護の連携の難しさなど課題も多いが、東内さんは、
「問題意識を持つ自治体職員や医師がいれば可能。
ハコモノ(施設)から脱し、人中心に考えることが大切だ

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/7/5/138972/

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