2010年10月17日日曜日

インサイド:W杯後の日本サッカー 変革と熟成を目指して/1

(毎日 9月28日)

サッカー日本代表が、W杯南アフリカ大会で、
過去最高成績に並ぶベスト16に進出してから約3カ月。
日本代表は、イタリア人のアルベルト・ザッケローニ監督(57)を
迎えて、4年後へとスタートを切り、
複数の代表選手が欧州に活躍の場を求めた。

育成現場は、長期的な強化策を進め、日本協会が招致を目指す
22年W杯の開催地決定は、12月と間近に迫る。
変化を続けるW杯後の日本サッカー界を追った。

◇「監督争奪」 未熟さ痛感

岡田武史・前日本代表監督との契約期間最終日だった8月31日、
ザッケローニ監督の就任会見が行われた。
新監督が会場を後にすると、交渉に当たった日本協会の
原博実・強化担当技術委員長が、第一声、
「彼クラスを日本に連れてくるのは、簡単じゃないと思った」

実績ある指導者との交渉をまとめた安堵感と、
交渉が長期化したことによる複雑な思いが込められていた。
日本代表は、4大会連続でW杯に出場し、
「さらにワンランク上に行くためには、それに見合った指導者が必要」
(日本協会・小倉純二会長)、監督選びの方法を変えた。

「今までは『ご紹介』だったが、
今回は『監督争奪マーケット』に乗り込んだ」と小倉会長。

◆「市場」に初参戦

これまで日本代表を率いた外国人監督は、
日本での指導経験があったり、協会幹部が人づてに
紹介を受けたりしたため、就任への障害は小さかったものの、
人脈の広がりに限界があった。

「ワンランク上」を目指し、今回は世界の第一線で活躍する
指導者に狙いを絞り、その選任と交渉が原委員長に委ねられた。
W杯前から情報収集を進め、本大会後に本格交渉に乗り出した
原委員長だったが、交渉は難航。
南米や欧州にいる交渉相手に直接会っても、
日本の地理的条件などを理由に、決裂することの繰り返し。

「名前がいろいろ出ると、交渉でお金が上がってしまったりする」
(原委員長)、大仁邦弥副会長ら一部の幹部のみと
情報を共有しながら、秘密裏に交渉を進めたが、
複数の候補者の名前が浮かんでは消えた。
協会内も手探り状態のまま、予定した8月中旬の決定はずれ込んだ。

交渉では、技術委員会の存在意義が問われた格好。
Jリーグのクラブや高校で指導歴のあるメンバーなどで
構成する同委員会は、A代表だけでなく、育成年代を含めて
日本サッカーの強化の方向性を示す役割がある。

大仁副会長は、「これまでも代表監督は、技術委員会が推薦し、
委員長と会長で決めてきた」と言うものの、
実態を伴っていなかった。

これまでの代表監督選考の経緯から、海外の指導者との
ネットワークは未整備状態だった。

◆海外との人脈構築

犬飼基昭・前会長時代の09年、技術委員会は
「強化」と「育成」部門に分割、A代表と五輪代表の強化を、
原委員長が受け持つ体制がスタート。

今回の選考では、これまでのノウハウ不足を痛感させられた形。
原委員長が、「今回、交渉をしていろんな指導者と知り合えたのは
今後につながる」、海外の指導者と日常的に関係を構築することは
今後の課題となる。

技術委員長に、外国人を置いてはどうか」と話す関係者も。
Jリーグ第2代チェアマンを務めた鈴木昌・日本協会元副会長。
J1鹿島の元社長で、ジーコ元監督の就任にもかかわった鈴木氏は、
海外との人脈という利点に加え、将来『日本人監督を据えたい』と
考えた時、その評価がフラットになる。
難しいかもしれないが、そういう選択肢も持っていい」

難航した今回の代表監督選びを通じ、
日本協会は組織としての「新たな一歩」を踏み出した。

http://mainichi.jp/enta/sports/archive/news/2010/09/28/20100928ddm035050037000c.html

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