2007年12月10日月曜日

がんと闘う筑紫哲也さんに聞く 無常だからこそ感謝

(毎日新聞 2007年11月26日)

紅茶2杯で3時間。
斜光の入るレストランの個室で、筑紫哲也さん(72)は終始ニコニコしていた。
がんは面白い病気」と語れるようになった筑紫さんは今、
無常だからこそ輝く人生を、そのありがたさを感じているという。

事務所のある赤坂のビルまで迎えに上がると、
青いシャツに黒のジャケットというラフな格好で下りてきた。
療養中にしては、はつらつとしている。
半年ぶりにテレビ出演した先月は、つけ毛が話題になったが、
「生えてきたので、今は自毛です」と少し恥ずかしそうな顔をした。
「もともと髪が多いから、局で『視聴者がショックを受ける』なんて言われて、
つけ毛にされて。でも、嫌だから自分でばらしたんです」

以前、お会いしたのは2年前。
日比谷のホテルのバーでアフリカの話をした。
もともとがヘビースモーカーなので、灰皿が吸い殻の山に。

病後、たばこをやめた。
困ることが出てきた。大好きなマージャンと原稿書き。
「一服できないと、全然面白くない」。
長年愛してきたのは、ハイライトとマールボロの赤。
ニコチンが強く、のどに強い圧迫感のある本物のたばこだ。
「長生きには、吸わないのがいいのか、吸うのがいいのか、
議論のあるところでね。たばこで死ぬ人も、糖尿など食い過ぎで死ぬ人もいる。
もう一つは、たばこや食に急ブレーキかけて、そのストレスで死ぬ人。
屁理屈だけど」

論は勢いを増す。
「百害あって一利なしと言うけど、文化は悪徳が高い分、深い。
人類が発明した偉大な文化であり、たばこの代わりはありませんよ。
これを知らずに人生を終わる人を思うと、
何とものっぺらぼうで、気の毒な気がしますね」

でも、そんな文化ががんをもたらした、と向けると、
「そうとも言えない」と首を振る。
「肺がんに直結しているようだけど、たばこは引き金で、本当の原因はストレス」
たばこが原因だとは今でも思っていないのだ。

◇「Must(-ねばならない)」から「Want(-したい)」へ

では、どのようなストレスがあったのか?

「簡単に言えば、Mustが多すぎた。
だから、MustからWantに変えればいい
でも、長年、僕を知る人は笑う。
『お前は好きなことしかやらないじゃないか』と」

それでも、TBSテレビの「ニュース23」に出ずっぱりというのは、
やはり負担もあったのだろう。
「そう。僕は約束を破ったり、会議に出なかったり、いいかげんなんですが、
放送は18年間、月曜から金曜まで1秒も遅刻せずにやった。
自分がやりたいことだから、苦痛はなかった。
東京だけにいてはこの国は見えないと、週末は講演など理由をつけては
地方を回ったんです。これも、楽しかった」

ただ、心は楽しんでも、体は違った。
「加齢ですね。体が文句を言っても、ペースを崩さなかった。
人はそもそも心身が分裂しているものなんです。
美空ひばりは東京ドームで歌い終わり、ぐじゃっと倒れた。
僕もそういうところ、あると思う」

◇語るたびに自己嫌悪だった

30年間、朝日新聞社で記者、雑誌編集長を務め、キャスターに転身。
活字の世界にない気遣いもあった。

後任キャスター、共同通信社の前編集局長、後藤謙次さんにこう助言した。
「テレビは、軽率で不完全なメディアだから、
家で奥さんと反省会をやるのはやめなさい、とね。
僕は毎晩、自己嫌悪でした。

原稿ってのは、へたくそでも活字になると、まあ自己満足できるでしょ。
でも、テレビは見るたびに自己嫌悪でね。
ボディーランゲージが大きなウエートを占めるし。
『なんであんなことを言ったのか』というのがストレスになってね」
「僕がキャスターを始めたころ、朝日新聞では、テレビは下賤なメディアで
一度さわったら体が腐る、とさえ言われた」。

テレビに移ったのは、新聞に限界を感じていたからだ
「何百万も部数があるから、書いたものが相手に届くと思っていた。
でも、ある時気づいたのは、ほとんど何も届かない。
特に国際報道は、どんなに大変な思いをしても何も届かない。
多くの人に届けるには、テレビが手っ取り早いと気づいたんです」

キャスターとしてどれだけのことを伝えられたのか?

「こうあってほしいと思うことを語ってきたが、
その方向に世の中が進んだことはない」。
語るたびに、どんどん自分が少数派になってゆくと感じた。

それでも自分を突き動かすものがあるとすれば?

「うーん、おせっかいな好奇心ですかね。
でも、この(報道の)仕事って、おせっかいですよね」

◇予約つき人生、今日が大事

がんになり、発見があった。
一つは、患者と有権者が似ていること。
「いくら情報を与えられても、自分で思うほど賢くはなれない」。
結局は他人に言われるままになる。
そして悪い結果が出れば「自分の責任」となる。

「底にあるのは、人間は賢者になれるという壮大なフィクション。
世界経済の影響で酪農家が破産すれば、
『お前の責任』と言われ、フリーターや社会からこぼれる人が叱責される。
でも、弱い患者と同じく、有権者にすべての責任があるわけじゃない」

ごく自然に東洋医学に向かった。
「僕の体は空爆されたイラクみたいなもの。
放射線でがんはほぼ撃退したけど、体中が被爆している。
西洋医学は敵を攻めるばかりだが、東洋医学は、がんを生む体に
ならないようにすることを心がける。それが自分には合っている」。

今は月の半分を奈良の東洋医学専門家、松元密峰さんのもとで過ごす。
放射線医療の後遺症でのどが膨れ上がったとき、はり治療などで救われた。
「がんは面白い病気でね、これくらい個人差があり、
気持ちに左右されるものはない。心臓が急に止まるのと違い、
余命率がどれくらいという、一種予約つきの人生になる。
年数はわからない。ラッキーだと延びるし、短い人もいる」

日々、「ありがたい」と思うことがある。
「倒れるまで、一日、一日なんて、特に考えないで過ごしてきたけど、
先が限られていると思うとね。例えばきょう一日も、とても大事というかね。
うん。お墓には何も持っていけないから、大事なのは、どれくらい、
自分が人生を楽しんだかということ。それが最後の自分の成績表だと」

今は週に1回、立命館大で講義し、
あとは「源氏物語」を猛烈な勢いで読んでいるそうだ。
「入院中にじっくり読んだのは、新渡戸稲造の『武士道』。
古典が面白くてね。それと、仏像や日本画をしみじみと見るというのかな……。
これって、なんだろうと思う。
これから先、見ることはないという、見納めの心理も働いているんでしょうが、
すべてにありがたさを感じる。
そう思いながら味わえる何日かが、あとどのくらい続くか分からないけど。
その日々、月日があるというのは、急に逝くよりいいんじゃないか、なんて思うんです」

http://www.m3.com/news/news.jsp?sourceType=GENERAL&categoryId=&articleId=62482

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